NHK文化センター京都での季節限定単発講座「京都 五山の送り火」2022年8月7日を開催します。

シンとトニーのムーンサルトレター第204信(Shin&Tony)

鎌田東二ことTonyさんへ

新型コロナウイルスの感染拡大がなかなか収束しない中、2月24日にはロシアがウクライナに軍事侵攻を開始、3月10日にはロシア軍が占拠したチェルノブイリ原発で停電が発生。さらに3月16日の23時36分頃、福島沖で震度6強の地震が起こり、関東では大規模な停電が発生しました。

 

パンデミックに戦争に原発に自然災害・・・・・・世界はまさに「絶体絶命」。地震といえば、3月11日、あの東日本大震災の発生から11年目を迎えました。その日、わたしは四谷にある上智大学のキャンパスに向かいました。ここにある6号館で開かれる「実践宗教学研究科シンポジウム」に参加するためです。


上智大学の前で

 

このシンポジウムでは、上智大学グリーフケア研究所の島薗進先生、Tonyさん、伊藤高章先生が上智大教授を退官されるにあたっての最終講義が行われました。島薗先生はわがグリーフケアの師であり、Tonyさんは魂の義兄弟であり、伊藤先生は全互協グリーフケアPTのメンバーで、グリーフケア資格認定制度の発足と運営にひとかたならぬご尽力をいただいています。お三方とも大変お世話になっている方々ばかりですので、「いざ、四谷!」と出張先の長崎から博多を経て駆け付けました。


「実践宗教学研究科シンポジウム」のチラシ

 

会場となった上智大学6号館の410号室には、約100名が参集しました。いずれも教員(わたしも客員教授として参加)、あるいはグリーフケア養成講座の修習生のみなさんです。その他、オンラインで約350名が参加、合計450名もの方々がお三方の最終講義を聴講しました。


伊藤高章先生の最終講義

 

この日のシンポジウムは、13時からの開始でした。トップバッターは伊藤先生で、テーマは「“実践宗教学する”を学ぶ」でした。クリスチャンである伊藤先生は冒頭で「ルカによる福音書」を引用され、ケアに学び、ケアを実践することの意義を説かれました。「実践宗教学する」「スピリチュアルケアする」「三人称的なまなざし」といった刺激的なキーワードを駆使され、「『私』を成り立たせているもの」について考察し、「自己実現としてのスピリチュアルケア」について言及されました。それから伊藤先生は「強者へのケアはある得るか?」という問題提起をされましたが、それを聞いたわたしは「いま、世界中で最もケアが必要なのはプーチンではないか」と思いました。あと、「言葉になりえないものを扱うのが文学であり、芸術である」という指摘も印象的でしたが、何と言っても「吸うスピリチュアリティ」と「吐くスピリチュアリティ」という言葉が心に強く残りました。


島薗進先生の最終講義

 

次に、島薗先生が「上智大学の9年間に学んだこと――グリーフケア・死生学・実践宗教学」の講義をされました。島薗先生は、東京大学の医学部に入学され、精神学科に進まれましたが、そこが日本における学生運動の発火点となり、島薗青年も巻き込まれていきます。ちょうどベトナム戦争に対する反戦運動が盛んな頃で、ロシアがウクライナ侵攻した現在のように世界が混乱している時期でした。その後、医学から宗教学へ自身の進む道を変更された島薗先生は、天理教の中山みき、金光教の赤沢文治といった新興宗教の教祖を研究します。若くして、宮田登・五来重・桜井徳太郎といった大学者とも共著を出す活躍ぶりでした。その後、研究対象を宗教→死生学→グリーフケアへと変えてこられました。


「ケア」について目から鱗でした!

 

島薗先生が挙げられた「喪の仕事」と「悲しみの容れ物」、「魂のふるさと」と「悲劇的なもの」というキーワードも非常に興味をそそられましたが、何と言っても、「愛」「仁」「慈悲」「絆」「和」などポジティブな人と人との関わりについての鍵概念は「ケア」と関わりがあるという発言が非常に印象的でした。ということは、「ケア」はイエスや孔子やブッダの思想にも通じ、キリスト教や儒教や仏教の教えをも貫くことになります。これはもう、人類の普遍思想ではないですか! わたしは「愛」「仁」「慈悲」「絆」「和」などを「ハートフル・キーワード」として捉えていますが、「ハートフル」と「ケア」が同義語のような気がしてきました。まさに、目から鱗です。最後に、「子どもの頃からお墓参りに連れて行ってもらったのが原点で、そこから死生学やグリーフケアへと流れたのかもしれません」という発言が心に残りました。


Tonyさんの最終講義

 

最後は、Tonyさんによる「日本の物語文化とケアの文化――日本三大悲嘆文学と四国遍路を事例として」です。Tonyさんの登壇時間は14時45分からで、まさに東日本大震災の発生時間の頃でした。冒頭、鎌田先生は聴講者一同に黙祷を呼びかけられました。当然ながら東日本大震災犠牲者への追悼の黙祷かと思いましたが、Tonyさんは「ウクライナ、コロナ、東日本大震災をはじめとした自然災害で命を落とされたすべての方々のために」と言われました。わたしは静かな感動をおぼえるとともに、「Tonyさんらしいなあ」と思いました。それからTonyさんは、島薗先生が言われた「悲しみの容れ物」に言及するとともにTonyさん自身は「悲しみの共同体」という言葉を大切にしていると言われました。儀礼についても語られ、「リアルからいったん離れて、あえてフィクションの世界に身を投じる」ことが儀礼の本質であると指摘されましたがつねづね儀礼や儀式について考え続けているわたしも、これには膝を打ちました。そう、儀式という営みは物語の世界です。さすがTonyさんは日本を代表する宗教哲学者です!


「日本人と死生観」シンポジウムにも言及

 

それからTonyさんは「三種学問」を紹介し、「道としての学問」「方法としての学問」「表現としての学問」について話されました。特に「表現としての学問」がお気に入りのようで、「わたしが神道ソングライターとして歌うことも学問だと思う」と言われました。鎌田先生いわく、ニーチェなど詩人に過ぎないが、彼は哲学史に決定的な影響を与えたとか。また、「物語の諸機能・はたらき」について説明し、アリストテレスの「カタルシス」論に言及。つねづね、ムーンサルトレターでこの問題については意見交換していましたので、よく理解できました。さらに、昨年の11月23日に開催された「日本人と死生観」シンポジウムに言及され、登壇者の1人であった小生の名前も出して下さいました。恐縮です!


法螺貝を奏上するTonyさん

 

Tonyさんの最終講義は、日本三大悲嘆文学としての『古事記』と『平家物語』と『苦海浄土』についての解釈が主な内容でしたが、特に印象的だったのは「いのちの賛歌としての『古事記』は日本人の生存戦略の書でもある。すなわち『まつり』と『うた』を発明したのがそれである」というくだりは、わたしのハートをヒットしました。なるほど、「まつり」と「うた」は日本のSDGsに関わっていたのか! ならば、コロナ以前にサブちゃんの「まつり」をカラオケで「うた」いまくっていたわたしはどうなる?(笑)また、鎌田先生は、大国主命(オホナムヂ)が兄たちからいじめられ続け、2度も殺されたことを挙げ、「こんなエピソードが神話として残っている日本は変な国です」と言われました。今年、Tonyさんとわたしは『神道と日本人』という対談本を上梓する予定ですが、ぜひこの「変な国」について大いに語り合いたいです。さらに、「『古事記』の考え方の上にお遍路はできている」というTonyさんの指摘も刺激的でした。最後に神道ソングライターとしてのサード・アルバム「絶体絶命」の告知後、法螺貝の奏上をもってTonyさんは最終講義を終えられました。


質疑応答のようす


島薗先生とTonyさんのツーショット

 

その後は、お三方が揃って登壇され、質疑応答の時間となりました。司会者は、上智大学グリーフケア研究所の葛西賢太先生です。葛西先生がお三方の発言を振り返り、それぞれに質問するというスタイルでしたが、伊藤先生の「悲嘆とは失ったものの大きさの裏返しです。悲嘆を抱えないための唯一の方法は、誰も愛さないことです」との発言が心に残りました。このような素晴らしい方の指導を受けた全互協のグリーフケア資格認定制度のファシリテーターたちは本当に幸せだと思いました。ともに「グリーフケアの時代」を開いた同志である島薗先生とTonyさん生が仲良く並んで座っておられる姿も、なんだかしみじみと感銘を受けました。本当に、お二方にはお世話になりました。これからも変わらぬ御指導をよろしくお願いいたします。


謝辞を述べられる伊藤先生


謝辞を述べられるTonyさん


謝辞を述べられる島薗先生


最後は、やっぱり法螺貝!

 

最後は、花束贈呈の時間。伊藤先生、Tonyさん、島薗先生の順番で上智大学グリーフケア研究所の事務局の方やグリーフケア養成講座の修習生の方などがお三方に花束を渡されました。花束を受け取ったお三方が一言ずつスピーチされて終了の予定でしたが、ここで上智大学教授の浅見昇吾先生(実践宗教学研究科委員長)の提案で、最後の最後に鎌田先生が法螺貝をもう一度奏上されることになりました。日本におけるカトリックの殿堂である上智大学で法螺貝の音が鳴り響くのはおそらくこれが最後でしょうが、世界平和とコロナ終息と自然災害の犠牲者への鎮魂の祈りをこめた法螺貝は6号館の410教室に高々と鳴り響いたのであります。じつに素晴らしい最終講義で、大きな学びを得ました。6号館を出たわたしは、その上に月が上っているのを見ました。月はグリーフケアのシンボルです!


シンポジウム終了後、6号館の前で


6号館の上には月が・・・

 

その後、ささやかな打ち上げの会を開かせていただき、島薗先生および鎌田先生と歓談するお時間を頂戴しました。ロシアのウクライナ侵攻問題を中心に両先生と意見交換させていただきました。お二人の平和を願う強い想いには感服いたしました。また、お二人ともに6月5日の長女の結婚披露宴にご参列いただけることになりました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。当日は、Tonyさんに祝いの法螺貝を奏上していただきたいと存じます。どうぞ、よろしくお願いいたします!


次は、6月5日に!

 

2022年3月18日 一条真也拝

 

<戦争を一刻も早く止めてください。人間の命ばかりでなく、多様な動植物のいのちを殺戮する戦争を。そのようないのちを殲滅する権利は誰にもありません。>

 

一条真也ことShinさんへ

ムーンサルトレター204信、ありがとうございます。今日は、2022年3月18日です。あさって、わたしは71歳となります。ちょうどお彼岸の頃に生まれたので、この時期になるとたましいがあくがれでるような、奇妙な浮遊感におそわれ、どこかふらふらと出歩いてしまいそうになります。

先だって、3月11日には、上智大学大学院実践宗教学研究科の「実践宗教学研究科と私」と題するシンポジウムが開催され、Shinさんも参加してくれましたね。ご参加、まことにありがとうございました。また、これまでの客員教授としてのご協力に心から感謝申し上げます。またシンポジウム終了後の赤坂の老舗中華料理屋でのふかひれスープのおいしかったこと。ふかひれスープ好きのわたしも、あれほどの美味のふかひれスープは食べたことがありませんでした。至福のひと時でした。ご厚情、心より感謝申し上げます。

さて、島薗進さんが上智大学に来て、2つのミッションを実現したと言えます。1つは、グリーフケア研究所の人材養成課程や資格認定課程や専門課程を大阪だけでなく東京にも設けて、東京と大阪をグリーフケア実践と研究の二大拠点としたこと。もう1つは、大学院を作って、優れた修士・博士を世に送り出したこと。

島薗さんは、この2つを見事に達成したと思います。その功績は大なるものがあります。わたしは、島薗さんに招かれて、まず、2014年から非常勤講師として、グリーフケア研究所大阪で「宗教学」の授業を2コマだけ文旦担当しました。それが2年続いて、2016年4月からグリーフケア研究所特任教授となり、2019年から大学院実践宗教学研究科特任教授となりました。もちろん、当初から両方に関わっていたのですが、所属と比重がグリーフケア研究所から大学院実践宗教学研究科の方に移ったということです。

大学院では、「宗教学演習」「宗教学研究」「研究指導」などのほか、「コロッキウム」や「インターンシップ」なども分担することになりました。四谷キャンパスでの学部の授業は「宗教思想の構造」「聖地の比較宗教学」「日本思想」「日本の宗教と文学Ⅰ・Ⅱ」を担当しました。グリーフケア研究所では、「宗教学」「スピリチュアルケアと芸術」「死生学」「文献講読Ⅰ・Ⅱ」を担当しました。中でも、「スピリチュアルケアと芸術」と「文献講読」には力を注ぎました。それをついこの前に出た『グリーフケア 第10号』に、「スピリチュアルケアと芸術」と題して文章を書きましたので、ぜひお読みください。

実は、その文章に以下のような第3節を書いていたのですが、わたし個人のスピリチュアルケアに対するかかわりを記し、あまりに長くなりすぎたので全部カットしました。それを以下に貼り付けてみます。長文ですが、ご海容ください。

ーー<『講座スピリチュアル学』全7巻と「アート・オブ・ピース」の実践事例と詩集

私は2014年9月から2016年7月まで3年がかりで「講座スピリチュアル学」と銘打った全7巻シリーズを企画刊行した(出版元 ビイング・ネット・プレス、BNP)。そこで次のように編集意図を記した。

<「スピリチュアル学」とは、こころとからだとたましいの全体を丸ごと捉え、さまざまな方法論を用いてそれを生き方や生きがいなどの生の価値に絡めて考察しようとする総合的な学問的探究をいう。従来の細分化された専門分野に限定されてきた学術研究の枠を取っ払って、こころとからだとたましいと呼ばれてきた領域や現象をホリスティック(全体的)に捉えようとしたのが本講座である。

「スピリチュアル学」全7巻の構成と各巻テーマは、①スピリチュアルケア、②スピリチュアリティと医療・健康、③スピリチュアリティと平和、④スピリチュアリティと環境、⑤スピリチュアリティと教育、⑥スピリチュアリティと芸術・芸能、⑦スピリチュアリティと宗教、である。

第1巻を「スピリチュアルケア」とした理由は、「心のケア」が社会問題となった1995年に起こった阪神淡路大震災から16年を経た2011年に起きた東日本大震災の後の時代と社会を一人ひとりがどう生きぬいていくかという喫緊の深刻な実存的問題にまず取り組むべきだと考えたからである。「心のケア」から「スピリチュアルケア」への展開がこの17年で具体的に進行していると考えたからだ。

そして第2巻「スピリチュアリティと医療・健康」では、その具体的な進行と展開を主として身体の側から検討した。「心のケア」と「霊的なケア」を踏まえて「体のケア」と、「霊・魂(心)・体」全体の「ケア」を考えようとしたのである。こうして次に、第3巻「スピリチュアリティと平和」において、「社会のケア」あるいは「人間関係や集団間のケア」の問題を考察し、「宗教間の対立」と「文明の衝突」を超えていく宗教間対話や地球倫理や共助や公共とスピリチュアリティとの関係を考察した。さらに第4巻「スピリチュアリティと環境」では、「環境」が「地球」の中にあることを踏まえて変化する地球の中での生命と人間の位置とワザを確認し、具体的な固有名を持つ「地域」の中でどのようなかたちを形成し思想を生み出していったか、また環境の聖性や超越性の次元をさまざまな角度から考察した。こうした問いかけのステップの上に、第5巻「スピリチュアリティと教育」では、さまざまな角度からの学びを通してより豊かな自己探究や他者との関係を築いていく過程を練磨する「教育」と「スピリチュアリティ」との連環を問うた。

さらに、第6巻「スピリチュアリティと芸術・芸能」では、「スピリチュアリティ」が想像力と創造力の自由で高度な発出しての芸術や芸能とどのように関与し、相互作用を生み出しているかを古代世界から現代世界までの諸地域や諸民族の案出してきた種々ワザの吟味を通して、時空を超越しつつ接続する技法と表現を掘り起こし考察した。そして、最終巻第7巻「スピリチュアリティと宗教」では、「宗教と霊性とスピリチュアリティ」を人間実存の形や存在論を踏まえて考察し、第一部「宗教の構造」では、修行や神秘主義や芸術表現や瞑想的世界観が吟味、第二部「宗教の諸技法」ではスピリチュアリズムやシャーマニズムや現代のスピリチュルな探究を検討、終章では「宗教の未来と可能性」を考究した。この全7巻の各論者の提起する問いかけと探究と解決への取り組みから、生のヒントと活力を得ていただければ企画・編者としてこれにすぐる喜びはない。

行く先を知らぬ雁とて飛ぶ空を おのがいのちのふるさととしる>

このような「講座スピリチュアル学」全7巻編集の過程で、先に記した「体は嘘をつかない。が、心は嘘をつく。しかし、魂は嘘をつけない。」という言い方で、からだとこころとうたましいとの相互関係や相違を示すようになっていった。そして、中でも、「嘘をつく」ことのできる「心」のはたらきの重要性を芸術表現や芸術鑑賞と心のケアとの関係の観点から考えるようになっていった。そこにおいて、ケアと芸術とは不可分の関係にあると考えられたからだ。

実際、そのような考えを抱くようになる前に、すでに私はこの30年あまり、「アート・オブ・ピース(平和を生み出す諸ワザ)」とか「楽しい世直し」を主張し、課題としてき、自称「神道ソングライター」として320曲余りを作詞作曲し歌い続けているのもその一環であり、日本の和歌の創始者である「スサノヲの道」の実践であると思っていた。

「アート・オブ・ピース」というのは、「安心と平和への道行き」を生み出すワザヲギであるが、そのようなワザヲギが実践される時には、石牟礼道子の言う自分自身への「浄瑠璃語りのごときもの」によるセルフケアも不可欠である。私は1967年4月、17歳の春のある日、四国・山陽横断・九州一周の一人旅を経た後、突然思いがけない形で詩を書き始め、今日に至っているが、その自身への「浄瑠璃語り」として、2018年7月17日(奈良県吉野郡天川村坪ノ内鎮座の天河大辨財天社の例大祭の日)に詩集を出した。『古事記』や『日本書紀』の中に出てくるタジマモリのいのちの木の実(「常世の時じくのかくの木の実」)の伝説をタイトルにした『常世の時軸』(思潮社)と題する詩集である。それから、ほぼ1年の間に取り憑かれたような思いで自称「神話詩三部作」と名付けた詩集を立て続けに出版した。『夢通分娩』(土曜美術社出版販売、2019年7月17日)、『狂天慟地』(土曜美術社出版販売、2020年9月1日)。これにより、私の「浄瑠璃語り」の衝動は収まり、これ以降詩集を出したいという気持ちは芽生えて来ない。これも自分の中では「スサノヲの道」の実践であり、セルフケア的な「浄瑠璃語り」の発言であると考えている。

「人はパンのみにて生きるにあらず。神の口より出でし言葉によりて生くるなり。」とは悪魔の第一の誘惑を退けたイエスの言葉として有名であるが、元は「申命記」第8章第3節に出て来るモーゼの言葉であった。イエスは、「マタイによる福音書」第4章第4節の中で、悪魔による三つの誘惑を受け、それをすべて『旧約聖書』の言葉を引用しつつ退けている。

――イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。すると試みる者がきて言った、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。それから悪魔は、イエスを聖なる都に連れて行き、宮の頂上に立たせて言った、「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために御使たちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』と書いてありますから」。イエスは彼に言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」。次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。――

この悪魔の誘惑は仏伝における瞑想中のブッダに対する悪魔マーラたちの誘惑にも類するものであるが、重要なことは、石牟礼道子の言う「神をも魔をも呼びうる」という点である。宗教も芸術もともに、「悪魔」や「魔」のはたらきや領域と接続する。石牟礼道子が言う通り、「詩人とは人の世に涙あるかぎり、これを変じて白玉の言葉となし、言葉の力をもって神や魔をもよびうる資質のものをいう。」のであるが、宗教家もまた「魔」をも呼び出しながら、それを対峙し、退ける強靭さを持たねばならないということになる。これに関して、須佐之男命は弱さ(生まれてから髭が胸元に垂れるまで啼きいさちる)と強さ(八俣(やまたの)大蛇(おろち)を退治する)の両方を持ち、八俣大蛇を退治した後、ようやく「我が心、清々し」と言って、先に引いた「八雲立つ」のわが国最初の和歌を歌ったのであるが、ここにも「魔を呼びうる資質」が表現されている。

この「魔」を「怨霊」とか「悪霊」とかと霊的実態として捉える宗教文化の文脈もあれば、「怨念」や「憎悪」などのような負の感情の次元で捉える文脈もあり、それらを取り込んで物語的・演劇的表現の中で可視化する文脈もある。芸術はそのような「魔」の可視化の一手法としても機能する。

「涙」とは、痛み(ペイン)や悲しみ(グリーフ)であり、苦悩であり、当人にとってはまさに「魔」の到来である。それらを、「白玉の言葉」の力で、「神や魔」を呼び出しながら、その涙を拭って生きていく力に切り替えていく。そうした言葉の生きた力の表現者であり伝達者が石牟礼道子の言う「詩人」である。

この「詩人」を、「芸術家(artist)」と言い換えても同じことが言えであろう。そこで、グリーフケアやスピリチュアルケアを学ぶ人にとって、芸術を学び実践してみることは、より身近な自分の生活圏の中での魔や負の感情と対峙するケア実践と結びついていることが分かる。

「詩人」の存在意義について、 トマス・インモース(カトリック司祭・元上智大学教授)は、『深い泉の国「日本」――異文化との出会い』(中公文庫、1999年)において、「詩人の存在意義というのは、太古からの人間の普遍的な体験を言葉で表現するところにある。」とも、「詩人は彼個人の哀しみや歓びを、それが人間的普遍性をもつような形に凝固させなければならない。詩人の魂には、その民族、その宗教、いえ、全人類の集合的記憶が蓄えられている。」と述べている。また、山尾三省は「詩人というのは、世界への、あるいは世界そのものの希望(ヴィジョン)を見出すことを宿命とする人間の別名である。」と述べ、「祈り」と題する詩を次のように記した。

祈りのことばは

わたくしが 人間としてたどりついた

最初のことばにすぎないが

最終の ことばでもある

詩については、さまざまな見解があるだろうし、それでよい。詩がこれこれでなければならないというような縛りはない。日本の近代詩人として画期を成した萩原朔太郎は『月に吠える』(1918年)の序の中で、「詩とは感情の神経を掴んだものである。生きて働く心理学である。」とか、「詩は言葉以上の言葉である。」とか、「詩は一瞬間に於ける霊智の産物である。」とかと述べているが、それもまた詩論・詩観として示唆に富む見解である。

さらに科学者の寺田寅彦は『俳句と地球物理』(角川春樹事務所、1997年)は夏目漱石の最古参の一番弟子と言える人で、科学者でもあり文人でもあるが、科学者と詩人との根源的共通基盤と分岐点を次のように述べている。

「宇宙の秘密が知りたくなった、と思うと、いつの間にかじぶんの手は一塊の土くれをつかんで居た。そうして、両つの眼がじいっと其れを見詰めて居た。すると、土くれの分子の中から星雲が生れ、其の中から星と太陽とが生れ、アミーバと三葉虫とアダムとイブが生れ、それから此の自分が生れて来るのをまざまざと見た。…そうして自分は科学者になった。

しばらくすると、今度は、なんだか急に唄い度くなって来た。

と思うと、知らぬ間に自分の咽喉から、ひとりでに大きな声が出て来た。(中略)声が声を呼び、句が句を誘うた。(中略) ……そうして自分は詩人になった。」(寺田寅彦「二十二のアフォリズム」『俳句と地球物理』)

寺田虎彦によれば、科学者も詩人もともに「宇宙の秘密」の感受者であり解読者である。ただし、科学者はそれを現象のメカニズムとロジックで解明し、詩人はそれを歌う。その歌の力がケアとどのように関わるか、「スピリチュアルケアと芸術」では、そのところを具体的な芸術家の芸術実践を通して探究しているのである。>ーー

ここで述べたように、わたしにとって問題意識の最初にあったのは、10歳の時の「神話」で、それが具体的には日本の『古事記』とギリシャ神話でした。そして、17歳になった時に、四国から九州を旅して、徳島に戻った時、突然、口中から火山弾を吐き出すようにして「詩」を吐き出したのでした。

以来、わたしにとって、「神話」と「詩」は最大の問いであり、その問いを解くために、神秘主義や宗教言語や言霊の研究をしてみました。その間に、『水神傳說』(泰流社、1984年1月1日)を出し、同年、すべてひらがなの詩集『りしゅのえろす』(メタモルフォーゼ社、1984年7月)を出し、石川力男と二人俳句集『阿吽結氷』(夜桃社、1984年)を出し、その後、12年ほど創作を離れて、学問研究の方に主力を移しましたが、わたしの中では創作の火は燃え続けていたように思います。

それが、1998年12月12日から始る「神道ソングライター」の活動になっていったわけです。ですので、ある日突然、歌い始めたのではなく、少なくとも、17歳の時からわたしは歌い始めていたのです。その年、生まれて初めて自発的に詩を書き、作詞作曲しました。忘れもしません。最初に作詞作曲した歌の初めのフレーズは「黄色い春風に乗ってやってきた少女は緑の瞳と……」から始まるじつにメルヘンチックな歌でしたね。コード進行も大体覚えています。まもなく71歳になる今でも。わたしにとって、71歳になるということは、その人生の裏返しの「17歳」に立ち返るということであります。

というのも、わたしの哲学は「リバーシブル哲学」、裏返し可能哲学で、その哲学の淵源はグノーシス主義にあると考えています。「AはAではなく非Aである、ゆえに、AはAでありうる」。そのリバーシブル哲学と同じような思考が次の『ナグ・ハマディ文書』の中にあります。

<私は最初の者にして最後の者。

私は尊敬される者にして軽蔑される者。

私は娼婦にして崇敬される者。

私は妻にして処女。

私は<母>にして娘。

私は母の一部。

私は不妊にして多産。

私は婚宴数多くして非婚。

私は助産婦にして産み出さない者。

私は私の産みの苦しみを和らげる者。

私は花嫁にして花婿。

そして、私を産んだのは父の夫。

私は私の父の母にして私の夫の姉妹。

そして、彼は私の子孫。

私は私の子孫の支配者。

(中略)

私は知識にして無知。

私は控えめにして大胆。

私は恥知らずにして恥を知る。

私は強力にして、恐れ。

私は戦争にして、平和。

(中略)

私は私の探究の知識にして、

私を求める者たちの発見にして、

私に尋ねる者たちの命令にして、

私の知識の内なる諸力の力、

私の言葉によって遣わされた御使いたちの力、

そして、私の計らいによる諸々の季節の中なる神々の力、

そして、私と共にあるすべての男の霊の力、

私の内に住まう諸々の女の力。

私は敬われ、讃えられる者にして、軽蔑され、疎まれる者。

私は平和にして、私ゆえに戦争が起こる者。

そして、私は外国人にして市民。

私は本質にして、本質を有しない者。

私と本質を共有する者は私を知る者。

私に近い者たちは私を知らなかった。

そして、私から遠くにいる者たちは私を知った者。

私が〔あなたたち〕に近づく日に、

〔私は〕あなたたちの〔近くにいる。〕

(中略)

私は結合にして解消。

私は滞在にして解消。

私は下りにして、人々が私に上る。

私は有罪判決にして、無罪放免。

私はといえば、私は罪なき者にして、罪の根の出自。

私は外見欲望にして、心の節制わが内に。

私はすべての人に達する聴力にして、捉え得ない言葉。

私は話し得ない唖者にして、私の多弁は大いなるもの。

私に優しく聴きなさい。そして私から厳しく学びなさい。

私は≪大地に≫叫ぶ者にして、大地に投げ出される者。

私はパンと<  >内にヌース(叡知)を備える者。

私は私の名の認識。

私は叫ぶ者にして、聴く者。

(中略)

私は「真理」と呼ばれる者にして〔私の名は〕暴力。

(中略)

私はあらゆるものに達する聴力。

私は捉え得ないコトバ。

私は声の名前にして、名前の声。

私は文字の徴にして、分離の顕示。

(中略)

私は結合にして解消。

私は滞在にして解消。

私は下りにして、人々が私に上る。

私は有罪判決にして、無罪放免。

私はといえば、私は罪なき者にして、罪の根の出自。

私は外見欲望にして、心の節制わが内に。

私はすべての人に達する聴力にして、捉え得ない言葉。

私は話し得ない唖者にして、私の多弁は大いなるもの。

私に優しく聴きなさい。そして私から厳しく学びなさい。

私は≪大地に≫叫ぶ者にして、大地に投げ出される者。

私はパンと<  >内にヌース(叡知)を備える者。

私は私の名の認識。

私は叫ぶ者にして、聴く者。

(中略)

私は「真理」と呼ばれる者にして〔私の名は〕暴力。

(中略)

私はあらゆるものに達する聴力。

私は捉え得ないコトバ。

私は声の名前にして、名前の声。

私は文字の徴にして、分離の顕示。>

(「雷・全きヌース」『ナグ・ハマディ文書Ⅲ 説教集・書簡』荒井献訳、105∹118頁、岩波書店、1998年)

一見、この「雷・全きヌース」の支離滅裂とも矛盾の塊とも何を言いたいのかわからないという言説を見て、Shinさんはわたしの『常世の時軸』の意味不明に見える言葉の数々を思い起こしませんか? わたしはこの「雷・全きヌース」に最初に触れた時、それを読んで、思わず涙しました。自分と同じ思考をする人々を、仲間を見出した思いで。わたしにとって、10代から「反対の一致」(coincidentia oppositorum,ニコラウス・クザーヌス)は中核命題でありつづけたのです。今に至るも根幹にそれがあり、だからこそ、孔子の道徳思想ではなく、老子や荘子の哲学により近いところにいると思うのです。

グノーシス主義は一般に霊肉善悪二元論と言われていますが、そんな単純なものではないと考えています。「私は有罪判決にして、無罪放免」なのですから。であれば、「我々は絶体絶命でありつつ、草木国土悉皆成仏である」と言えるのです。「絶体絶命」と「草木国土悉皆成仏」が同時存在し、同時反転しうる世界、それがグノーシス世界だとおもっています。

しかし、これは古代キリスト教最大の異端思想として撲滅されたと言われます。その撲滅されたグノーシス主義の末裔が、カトリックの中でも最強のイエズス会の本拠の上智大学大学院実践宗教学研究科の教員となっていたのですから、世の中は不思議なものですね。カトリックはその内部に最大の異端思想を抱き込んでいたのですから。その意味で、カトリック、イエズス会、上智大学の懐の深さは端倪すべからざるものがあると言えます。まことに深遠です。

島薗進さんも、大貫隆や高橋義人さんや村上陽一郎さんたちとともに、『グノーシス 陰の精神史』(岩波書店、2001年)と『グノーシス 異端と近代』(岩波書店、2001年)を編んでいます。が、グノーシス主義の研究者がグノーシス主義者であるかどうかはわかりませんから、彼らがグノーシス主義思想を生きているかどうかは不明です。しかし、こと、わたしにとっては、グノーシス思想は生の根幹に巣食う思想です。おそらく、詩を書き始め、歌い始めた17歳の頃から。

だから、だからこそ、「絶体絶命」の今こそ、甦りのいのちの芽吹く時節に違いないと思えるのです。絶叫の中に、わたしたちは何を聴き取るか。乱世の極みにあり、世界崩壊のような、第三次世界大戦の前兆のようなただ今の中で、「生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける」(『古今和歌集』紀貫之「仮名序」)の「歌」が聞こえてくるでしょうか?

わたしはこの4月から、この戦禍絶えぬ「狂天慟地」の乱世のさ中、ギターと法螺貝と石笛と横笛を持って、ボチボチ、ヨロヨロ、ウロウロと、「諸国一見の僧」ならぬ、「諸国一巡の神仏習合諸宗協働フリーランス神主&神道ソングライター」として、じっくりと廻国し始めるつもりです。アイルランドのドルイドのような吟遊詩人をめざして。その諸国行脚の過程でふたたび相まみえることができますよう望みます。そして、6月5日に小倉でお会いできることをたいへん楽しみにしています。

東山修験道769 祝! 三澤史明様

2022年3月18日 鎌田東二拝