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シンとトニーのムーンサルトレター 第014信

第14信

Tonyこと鎌田東二さま

 Tonyさんが五木寛之さんと対話された『霊の発見』(平凡社)が大きな話題になっていますね。なんでも、売り切れ書店続出とか。丹波哲郎さんの葬儀以来、「霊」について書かれた最近の本を片っ端から読みましたが、『霊の発見』以外にも実に多くの関係書が出版されていることにまず驚かされます。やはり、スピ系ブームに代表されるように、世間では目に見えない霊的世界への関心が高まっているのでしょうね。

 現在のスピ系ブームには何人かのキーマンがいますが、最も有名なのは、スピリチュアルカウンセラーと称する江原啓之氏でしょう。テレビ番組「オーラの泉」にも出演中の彼の本はどれもよく売れ(なんと総計500万部以上とか!)、書店では専用コーナーまでつくられています。心霊を「非科学ではなく、未科学」と説く彼のカウンセリングの特徴は力強い断言です。「あなたの亡くなった息子さんは部屋の角で微笑んでいますよ」「亡くなった御主人は、あなたの幸せを望んでいらっしゃいますよ」といったふうに霊たちのメッセージを依頼人に伝える。遺された人々に「癒し」の物語を与えているわけです。

 國學院の神道科で神職資格を取得したという江原氏は、現代のカリスマである美輪明宏さんのお墨付きを得て、またたく間に時代の寵児となりました。わたしは正直言って、江原氏の能力の真偽はわかりませんが、美輪さんの能力は本物だと思っています。最近読んだ「霊」の本の中でも最も高く評価できるのは美輪さんの『霊ナアンテ、コワクナイヨー』(PARCO出版)でした。Tonyさんも、美輪さんを評価されていますよね。

 江原氏の他では、スピリチュアルの分野で二人の学者が注目を集めています。一人目は、福島大学経済学部教授の飯田史彦氏です。飯田氏はPHP研究所から『生きがいの創造』をはじめとする一連の「生きがい」シリーズを出版し、総計120万部を超えているそうです。彼の本業は経営学者ですが、宇宙には意思があり、「死」とは肉体を離れて生きること、そして、この世は「魂の学びの場」としての学校であるという霊的人生論を説いています。また、シンガーソングライターとして「ツインソウル」「生きていく明日からも」「いつまでも、いつでも一緒」など、死者が生者の身近にいることを訴えた内容のフォークソングを作詞作曲し、コンサートで自ら歌い、CDまで出しています。

 もう一人は、明治大学文学部教授の諸富祥彦氏です。諸富氏はトランスパーソナル心理学に依拠して数冊の本を書いていましたが、『人生に意味はあるか』(講談社現代新書)で、ついに一歩踏み出して自らの霊的体験を告白しています。心身疲労でうつぶせに倒れたとき、横たわった自分の腹の1メートルほど上の位置に強烈な「エネルギーのうず」のようなものが見えたそうです。それを見たとたん、自分の本体であると悟ったというのです。神秘体験ですね。飯田氏は死者と会話ができ、自身も臨死体験をしたと告白しています。

 相次ぐ学者の霊的カミングアウト!かつて御船千鶴子や長尾郁子らの超能力を認めて東京帝国大学を追われた福来友吉博士が霊界で喜びそうな話ですが、言うまでもなく、飯田氏や諸富氏らの前には「子どものとき、鬼を見ていた」鎌田東二という先達がいました!

 ところで、勢古浩爾著『結論で読む人生論』(草思社)という本では、江原、飯田、諸富の三氏を「霊的人生論」の御三家として位置づけ、次のような興味深い指摘をしています。すなわち、江原啓之氏は1964年生まれ(42歳)、諸富祥彦氏は1963年生まれ(43歳)、そして、飯田史彦氏は1962年生まれ(44歳)であり、三人は同世代だというのです。勢古氏は「いったい、どうなっている?三役揃い踏みか。六〇年代初頭生まれになにがあった?八〇年代初頭に成人となったかれらになにがあったのか」と述べています。

 その謎について、わたしにはいくつか思いあたるふしがあります。何を隠そう、1963年生まれの43歳である小生は御三家とまったく同世代なのです。そこで、三人の心に影響を与えたと思われるものをいくつかあげてみます。まずはニューエージ&ニューサイエンス、「フィールド・オブ・ドリームス」「オールウェイズ」「ゴースト ニューヨークの幻」などのハリウッド心霊映画、社会現象ともなった丹波哲郎さんの「大霊界」、ある意味で平成最大のベストセラー作家といえる「幸福の科学」主宰・大川隆法氏の一連の著作、さらに江原氏においては宣保愛子さんの存在、飯田氏および諸富氏においては中沢新一氏や上田紀行氏などの存在、そして、ずばりTonyさんの活動も何らかの形で影響があったのではないでしょうか。あくまで、スピリチュアル御三家と同世代であるわたしの個人的な想像にすぎませんが。

 陽の下に新しきものなし。個人の思想には必ず先人の影響が見られます。前回のレターにも書きましたが、最近、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』がメーテルリンクの『青い鳥』の影響下に書かれたことを知り、とても感動しました。そのことは、山根知子著『宮沢賢治 妹トシの拓いた道』(朝文社)という本で知りました。

 賢治の妹である宮沢トシは才媛で、日本女子大学校に学びました。在学中の4年間、校長であった成瀬仁蔵の授業を受け、深く影響されています。成瀬は校長でありながら必修科目「実践倫理」を教えていました。1915(大正4)年頃から1917(大正6)年夏頃まで、成瀬が授業でよく引用していたのが、エマソンであり、タゴールであり、メーテルリンクでした。特にメーテルリンクにはよほど共鳴するところがあったようで、『青い鳥』や『万有の神秘』や『死後は如何』などの著書を参考に用いて、かなり長いあいだ授業の材料をそこから採っていたようです。

 特にトシが強く影響を受けたのが、死後の世界の神秘を説いた『死後は如何』でした。ちょうどこの時代は、世界的に心霊科学の勃興期であり、神秘を科学的に証明してゆくことで、近代科学が排除してきた神秘を肯定的に受け入れる流れが起きていました。この本にはそうした時代精神がくっきりと反映されています。成瀬はこの本をはじめ、メーテルリンクの思想を高く評価しましたが、それは心霊科学の具体的な実験内容を重んじたということではありません。それよりも、生死の神秘の背後にある目に見えないものに対する深い洞察を自身にも学生にも及ぼそうとしたのでしょう。そして、「個々人が自らの感覚に忠実でありながら、どのような信仰や宇宙観をもち、どのように幸福を求めてゆくことで充実した人生を送ることができるか」といった問題意識が彼には強くありました。

 その問題意識は、各宗教が「宇宙意思」を部分的に表現したものにすぎず、根本は同じであるという「万教帰一」「万教同根」思想へとつながっていきます。これは、メーテルリンク、エマソン、タゴールはもとより、イェイツやウィリアム・ジェイムズ、ベルクソンに至るまで大正期に活躍した思想家に広く見られるものです。また、哲学者の篠原資明氏は新刊『ベルクソン』(岩波新書)で、マザー・テレサの「死を待つ人の家」設立に始まる一連の活動はベルクソンの哲学を補完するという、きわめて興味深い指摘をしています。

 考えてみれば、野垂れ死にしてゆくインドの人々に対して、マザー・テレサはキリスト教の立場を超え、ヒンドゥー教であろうがイスラム教であろうが、その人の信仰する宗教の祈りを捧げました。その思想も万教帰一に通じます。当社は創立40周年を迎えるにあたり、「死を待つ人の家」を支援するつもりです。先月末、彼女の遺志を継ぐ東京都足立区の女子修道会に寄付金をお届けいたしました。近く、インドまで赴く予定です。

 万教帰一的な発想をしたのは海外の思想家だけではありません。日本においても、福沢諭吉・新島襄とともに三大教育者と呼ばれた成瀬仁蔵、その影響を妹を通じて受けた宮沢賢治、壮大なスケールの曼荼羅世界を構想した南方熊楠、まさに「万教同根」をスローガンに「大本教」という日本霊学のダムを築いた出口王仁三郎がいました。さらには柳田國男、折口信夫らの日本民俗学の人々、武者小路実篤や柳宗悦らの白樺派の人々など、大正期の日本には綺羅星のごとく精神の巨人たちがいたのです!それぞれが、それぞれの信仰を持ちながらも、それぞれの方法で、日本人の、あるいは人類の「魂」を追い求めた時代でした。以前、第一次世界大戦で戦争のあり方が変わってしまったと申し上げましたが、その頃、人類全体の幸福を俯瞰する「普遍思想」というものがおぼろげな姿を瞬間的に見せたような気がします。あの頃、人間の思想が有史以来、実に「イイ線」行ってたように思えてなりません。これからもう一度、あの頃の「イイ線」まで持って行きたいものです。

 さて、話は変わりますが、超能力者として有名な清田益章さんが大麻所持で逮捕という悲しい報道がありました。彼とはハートピア計画時代に親交があり、スプーンを曲げる瞬間にも立ち会いました。わたしは、彼こそは正真正銘の能力者であったと確信しています。わたしが東京から北九州へ居を移す際、浅草で仲間が開いてくれた送別会にやって来て、曲がったスプーンを餞にくれました。スピ系ブームで霊能力者たちが華やかな脚光を浴びる一方で、念力系の超能力者を代表する清田さんの現状に複雑な思いを抱いてしまいます。

 実は、タイから帰国したばかりです。バンコクでは「世界最高のホテル」と呼ばれるオリエンタルホテルに宿泊しました。上座仏教の国ならではの極上のホスピタリティに触れ、たいへん有意義でした。人間の「霊性」というものは、霊視や念力などのエビデンスではなく、日常における「礼」や「ホスピタリティ」において発現されるべきだと思います。

 明日、5日の夜は、北九州市のサンレーグランドホテルにおいて「月への送魂」を行います。満月の光の中で、人類の魂が癒され、再び普遍思想が甦ることを切に願っています。

2006年11月4日 一条真也拝

一条真也ことShinさま

 Shinさん、大変興味深いレター、ありがとうございます。いろいろとコメントしたくなりますが、思いつくまま書き始めます。まず、五木寛之さんとの対話集『霊の発見』は、五木さんだから話題になり、ある程度売れているという情況があります。残念ながら、鎌田東二の本だとそんなに売れないでしょう。しかし確実に地盤振動が起こっていて、『霊の発見』はそのような振動波の一つになっているように思います。

 それに関連して、年末の12月末に、宗教学者で東京大学教授の島薗進さん(『精神世界のゆくえ』東京堂出版、の著者)や倫理学・日本思想史者で同じく東京大学教授の黒住真さんとともに編集委員を務めているシリーズ本『思想の身体』(全9巻)の内、わたしの担当する巻『霊の巻』が春秋社より出ます。論考は、島田裕巳、川村邦光、田中貴子、樫尾直樹の諸氏とわたしが書き、中沢新一さんとわたしが対談しました。たぶん、刺戟的な本になると思います。出版されたらぜひご一読下さい。また感想などお聞かせ下さい。

 ところで、つい先頃、戸隠神社に参りました。京都造形芸術大学の授業「地域文化演習・長野」を戸隠神社を中心に行なったのです。宿泊を中社前の横倉旅館にしたのですが、その宿の主人で、戸隠神社の非常勤権禰宜でもあり、修験者のまとめ役の聚長(しゅうちょう)でもある横倉英起さんから、最近戸隠神社を訪れてきた江原啓之氏と会って話をした際、わたしのことが話題に出たと聞きました。何でも、話をしていた場所にわたしの写っている写真があったらしく、江原氏が「鎌田先生が来られたのですか?」と訊ね、横倉さんが、「ええ、最近、東京自由大学の夏合宿で来られたんですよ。江原さんは鎌田先生をご存知なんですか?」と問い返したところ、「はい、私は鎌田先生に授業を教わったことがあります」と答えたということらしいのです。

 実は2−3週間ほど前、わたしもなぜか不意に、「もしかしたら江原啓之を國學院大學の別科の授業で教えたことがあるんじゃないか?」という記憶とも直感ともつかぬ想いに駆られていて、「どこか江原氏の面差しに見覚えがあるなあ」と思っていた矢先だったのです。そこで、「ああ、やっぱり・・・・・・」と奇縁を不思議に思った次第なのでした。

 江原啓之氏はその頃から心霊的なものに関心を持っていたように記憶します。彼は國學院大學の別科という神職養成課程に通っていて、わたしはそこで「倫理学」を教えていたのです。その時たぶん、プラトンの『国家』の最後に記された臨死体験と輪廻転生の記録「エルの物語」と倫理との関係などを話したことがあるんじゃないかと思います。また、丹波哲郎の『大霊界』の話をしたような記憶もあります。江原氏は「倫理学」の授業でそんな話を聞いていたかもしれません。いつか会う機会があったら確かめて見たいものです。

 ところで、この3日間(ついさっきまで)、京都造形芸術大学東京サテライトキャンパスで「民俗学」の集中授業があり、平田篤胤、柳田國男、折口信夫、南方熊楠、柳宗悦、宮本常一、坪井洋文、宮田登、谷川健一などの民俗学の先駆者や先達について話をし、また加えて、昨日の夜には、アニメーションコースの学習会+公開講座で、河森正治監督作品『KENJIの春』の上映と、宮沢賢治についての講演を行ないました。マクロスシリーズの監督の河森さんとは親しくしていますが、この『KENJIの春』は何回観ても飽きない傑作です。素晴しい賢治論になっています。ここまで宮沢賢治のシャーマニスティックな感覚を深くいきいきと描いた作品は知りません。

 その賢治が、妹のトシを通して、メーテルリンクの『万有の神秘』や『死後の如何』を読んで、影響を受けていたのですね。賢治は、「シャーマン山」とか「トーテム」という言葉を詩の中で使っていますから、当時の最新の宗教学や人類学の知識を得ていたことは間違いありません。妹トシからの情報も随分あったことでしょう。

 ところで、わたしたちが「東京自由大学」を設立して来年の2月でまる8年になります。その間、自由大学が黒字になったことは一度もありませんが、懸命に取り組んできた結果、蓄積された知的財産である幾つかの講座が、来年作品社より『いきいきトーク』全8巻のシリーズとして出版される予定となっていて、今、編集作業中です。

 この前、写真家で民俗学者の内藤正敏氏(東北芸術工科大学教授)に造形大東京サテライトキャンパス内でお会いしたのですが、NPO法人東京自由大学の2006年度の「人類の知の遺産」のチラシを見て、「すごいね。こういうことをボクもやりたいんだよ。自然科学と人文科学が一緒になってやられていることが重要だ。これからももっともっと創造的なことをやろうよ! カマタさん!」と熱っぽく語られました。内藤先生は来年度、「霊性ゼミ」の講師として来てくれるんですよ。楽しみだなあ!

 さて来る11月24日(金)、Shinさんもよく知っている大重潤一郎監督の映画の上映会とシンポジウムを青山の東京ウィメンズプラザ視聴覚室で開催します(詳しくは、こちら)。NPO法人東京自由大学の副理事長でもある大重監督は、2001年に神戸から沖縄に移り住み、2002年、NPO法人沖縄映像文化研究所を設立して理事長に就任し、12年がかりの大作ドキュメンタリー映画『久高オデッセイ』の制作に取りかかりました。これは文字通り大重監督のライフワークであり、大重映画の集大成です。

実は、2年前の2004年度から大重監督は、わたしが担当している京都造形芸術大学通信教育部のスクーリング授業「環境文化論・沖縄」(集中講義3日間、現地実習科目)の非常勤講師を務めてくれています。

 その最初の授業は2004年11月初旬に行われましたが、それは大重監督が脳出血で倒れて僅か2週間後のことでした。大重監督はその時必死の思いで病院を抜け出て、息子の生さんに介護されて、車椅子で久高島まで来てくれました。そして時に涎を垂らしながらも(それを私が隣にいてハンカチで拭く一幕もありました)、久高島と『久高オデッセイ』について熱い想いを語ってくれ、受講生に多大の感動を与えてくれました。続く去年の「環境文化論・沖縄」では、リハビリの成果が出てきて、自ら車椅子で島内のウタキや浜を案内してくれ、いっそう熱弁をふるい、学生に強烈なインパクトと勇気を与えてくれました。そのことは忘れられません。

 またこの10月、立教大学教授のアメリカ先住民文化の研究家の阿部珠理教授は、ゼミの学生たちと久高島に渡り、大重監督の案内を得て有意義な時間を過ごしたとのことです。学生たちは、大重さんの話に涙を流したと聞いています。

 そのような大重監督の苦闘と格闘の中、『久高オデッセイ』はようやくにしてこの春完成しました。それを受け、大重監督の映画制作を支援してきたNPO法人東京自由大学は、このたびこの『久高オデッセイ』を中心に、完成記念の上映会を青山ウィメンズプラザで行なうのです。そこで、大重さんのソロトークの他、宗教学者の島薗進さん、作家の宮内勝典さん(『焼身』で本年、読売文学賞受賞、大重監督の高校時代からの盟友)、前述の阿部珠理さんを迎えて、「久高島の再生と先住民文化の現在」と題するシンポジウムも行います。

 大重監督は、久高島のことをしばしば「現代文明の最終ランナー」とか「一周遅れのトップランナー」に喩えますが、久高島は日本の置かれている伝統と現代の相克・相生の縮図であるように思います。わたしたちは、この映画の上映会をすることを通して、もう一度、東京自由大学の存立の精神と意義を根っこのところから問いかけ直し、この時代における東京自由大学の位置と意味と役割を掘り下げ、時代の課題に深く切り込んでいきたいのです。時間がありましたら、どうかご知友をお誘い併せの上、ぜひ来てください。

 最後になりますが、清田益章さんの大麻所持逮捕のこと、知りませんでした。わたしも20年前に清田さんに何度もスプーン曲げの実験をしてもらい、その「事実」が間違いないことを繰返し確かめています。彼は「リラックスしていないとうまくスプーンを曲げられない」と言っていましたが、リラックスするために大麻を吸っていたのでしょうか。宮内勝典さんの傑作小説『ぼくは始祖鳥になりたい』(集英社)の超能力を持つ主人公ジローは、清田君がモデルだと思います。あるいは、清田君に宮内さん自身を重ねたようなキャラクターがジロー。彼のピュアーないい面を知っているだけに、もっともっと活躍して、おもろく楽しい世直しをしてほしいと思っていました。残念です。

 今日は15夜のお月様がとてもきれいです。このところ異常に湿気があり、生暖かい日が続きます。完全に異常気象だと思います。世の中の動向に気をつけて行動していきたいと思います。17日に小倉でお会いできるのを楽しみにしています。

2006年11月5日 鎌田東二拝