NHK文化センター京都での季節限定単発講座「京都 五山の送り火」2022年8月7日を開催します。

シンとトニーのムーンサルトレター 第068信

第68信

鎌田東二ことTonyさんへ

今日は、2011年3月20日。Tonyさんの60回目の誕生日です。お誕生日、おめでとうございます。ついに還暦を迎えられましたね。これからも、ますますお元気で「明るい世直し」に邁進されることを心よりお祈りいたします。

 3月20日といえば、オウム真理教による「地下鉄サリン事件」が起こった日でもあります。あの悪夢のような事件から、もう16年が経ったのですね。そして、16年前には、もうひとつの大きな出来事がありました。1995年1月17日(ちなみに、わたしの弟の誕生日です)に起こった「阪神淡路大震災」です。日本中を震撼させた大地震でしたが、ついにそれを超える大きな地震が起こってしまいました。未曾有の大災害となった「東日本大震災」の発生です。じつに、わが国の観測史上最大となるマグニチュード9.0の巨大地震でした。今も、その衝撃が冷めやらない状況です。

 2011年3月11日。わたしは東京の羽田空港を14時05分発のスターフライヤー81便で発ち、15時50分に北九州空港に到着しました。空港のロビーに進むと、そこが騒然となっており、大型のテレビ・モニターには大量の自動車が水に浮かんで流されている衝撃的な映像が流されていました。14時46分に東北の三陸沖で大地震が発生したというのです。東京でも被害は小さくありませんでした。ちょうど、わたしが飛行機に乗って空中にいるときに地震が起きたわけです。もし1便遅かったら、わたしは北九州に帰れなかったでしょう。社員のみなさんも心配してくれたようで、わたしのケータイには大量のメールが残されていました。

 まだ東京に残っていた父と連絡が取れないとのことで大変心配しましたが、その夜に無事を確認して、安心しました。地震が発生した時刻、父は東京の丸の内にある日本商工会議所で会議中でした。避難して外に出ましたが、もちろん電車も動かず、タクシーにも乗れません。赤坂見附にある宿泊先のホテルまで歩くことを決心しました。通常は1時間ちょっとで着く距離なのに、道に大勢の人が溢れていて思うように前に進むことができず、結局、5時間ぐらいかけて歩いて帰りました。そこから、さらに36階にある自分の部屋まで帰ったそうです。もちろん、エレベーターは使えません。父は、「帰宅難民ならぬ帰泊難民になった」と言っていました。飛行機で帰ったわたしは、まさか父がそんな大変な思いをしているとは、まったく知りませんでした。

 それにしても、毎日、死者・行方不明者の数が増えてゆく一方です。わたしは冠婚葬祭互助会業界の理事などを務めているので、行政からの協力依頼により、棺などを集めて被災地に送る手配などをしていました。わが社でも、とりあえず150本の棺を提供しました。いずれ、被災地への社員の派遣要求も出てくると思います。

 大地震と大津波で、今の東北はまさに「黄泉の国」となっています。津波に流されたため、遺体も思うように見つかっておらず、見つかった大量の遺体もまとめて土葬にされている現状です。そこに現実として人間の亡骸が存在しても、どこに誰だかわかりません。その身元不明の遺体をそのまま地中に埋めてしまうのです。「人間の尊厳」というものを考えたとき、やりきれない思いがします。葬儀という営みが人間の尊厳に直結していることを再認識しました。

 未曾有の大地震に大津波、それに加えて、福島原発の爆発事故で放射能漏れの不安が広がっています。首都の東京も余震が絶えず、輪番停電の混乱にあります。この春から、わたしの長女が大学に入学して東京で生活をスタートします。正直言って、親としては心配でなりません。

 まったく悲観的な考えに走りがちになってしまいますが、いま、世界各国から日本に対する賞賛の声が出ているようです。中国で日本人のマナーの良さが絶賛され、「マナー世界一」という声まで出ているというのです。中国は日本と同じく地震多発国であり、東日本大震災への関心も特に高いです。12日付の中国政府系国際情報紙「環球時報」は、大震災を1面で報じました。その見出しは、「日本人の冷静さに世界が感心」というものでした。さらに、12日より中国のインターネットには、非常事態にもかかわらず日本人は「冷静で礼儀正しい」との書き込みなどが相次いでいるそうです。

 特に、11日の夜に「ツイッター」の中国版である「微博」に投稿された写真が衝撃的だったようです。それは、地震のためにJR新橋駅の構内で足止めされた通勤客の写真です。階段で通行の妨げにならないよう両脇に座り、中央に通路を確保している姿でした。

この写真には、「(こうしたマナーの良さは)教育の結果。(日中の順位が逆転した)国内総生産(GDP)の規模だけで得られるものではない」との説明が付けられたそうです。

 通行人のために通路を確保し、多くの人々が規律正しく座っていた姿は「江戸しぐさ」そのものだと思います。江戸時代、江戸に住む庶民の間で行われていた思いやりの作法。東京には、まだ「江戸しぐさ」が残っていたのです!

 この「つぶやき」を見た中国の人々は感動し、すでに7万回以上も転載され、それは現在も続いています。人々は、「中国は50年後でも実現できない」「とても感動的」「われわれも学ぶべきだ」などのコメントを寄せています。

 わたしは、大学で「孔子研究」の授業を受け持っています。学生たちの中には、多くの中国人留学生もいます。つまり、日本人にも中国人にも「礼」の大切さを説いているわけです。そんなわたしにとって、こんなに嬉しいニュースはありません。靖国問題から尖閣諸島問題まで、日本人と中国人とのコミュニケーション・ギャップにはこれまで悲しい思いをしてきましたが、この東日本大震災をきっかけに、中国が日本の良さを見直してくれれば素晴らしいことですね。

 中国だけでなくインドでも、日本人の冷静な対応が称賛されたそうです。13日付のインド紙「ビジネスライン」が、日本への出張中に被災したインド人技術者が日本人の冷静な対応を称賛する声を紹介しました。記事には、「天井や壁が完全に崩れ落ちるような災害の中でも、すべての規律が保たれていた」と書かれていました。

 アメリカのBBCでも、「地球最悪の地震が世界で一番準備され訓練された国を襲った。その力や政府が試される。犠牲は出たが他の国ではこんなに正しい行動はとれないだろう。日本人は文化的に感情を抑制する力がある。」とのコメントを放送しました。BBCだけでなく、CNN、NBC、NPRなど、あらゆる大手メディアのテレビ局が日本の震災に関して取り上げる3大トピックは「震災の被害」「原発の危険」「日本人の素晴らしさ」です。

 こんな中、拙著『隣人の時代』(三五館)が18日に発売されました。もともとは「無縁社会」を乗り越え、「有縁社会」を再生するために本書を書きました。でも、今このタイミングで本書を上梓することは、とてつもなく大きな意味があるように思います。わたしは、この大地震によって、日本に「隣人の時代」が呼び込まれるかもしれないと考えています。思えば、阪神淡路大震災のときに、日本に本格的なボランティアが根づきました。つまり、あのときが日本における「隣人の時代」の夜明けだったわけです。今また、多くの方々が隣人の助けを必要としています。「無縁社会」や「孤族の国」では、困っている人を救えません。各地で、人々が隣人愛を発揮しなければ、日本は存続していけないのです。

 実際、東日本大震災の発生から、多くの人々が隣人愛を発揮しています。もちろん被災地で大変な状況に巻き込まれた人たちの悲惨なニュースも入ってきますが、一方では救援に尽力する人たちの様子も伝わってきています。東北の避難所では、ボランティアの人々がおにぎりを握っています。11日の東京では、都内の仕事場から帰る足を奪われた人たちに暖を取ってもらうために、営業時間が過ぎても店を開放している飲食店がありました。また、道往く人を励ますために、売れ残ったお菓子類を無料で配った和菓子屋さんもありました。関東では停電が実施されていますが、「自分たちも節電に努めよう」というチェーン・メールが日本中を回っています。日本の各地で、誰かを助けようとして必死になっている人々がいるのです。いわば、多くの人々が隣人愛を発揮しているのです。

 隣人愛の発揮は、国内だけではありません。先月の大地震で犠牲者多数を出したニュージーランドをはじめ、100近くの国々からの援助隊が日本にやって来ました。Twitterでは、海外から「#PrayforJapan(日本のために祈ろう)」というハッシュタグで被災者の無事を祈るツイートが世界中から寄せられているそうです。今度の地震によって、明らかに、わたしたちの社会はその方向性を変えようとしています。そう、「無縁社会」から「有縁社会」へと進路変更されたように思えてなりません。

 なぜ、世界中の人々は隣人愛を発揮するのでしょうか。その答えは簡単です。それは、人類の本能だからです。「隣人愛」は「相互扶助」につながります。「助け合い」ということです。わが社は冠婚葬祭互助会ですが、互助会の「互助」とは「相互扶助」の略です。

よく、「人」という字は互いが支えあってできていると言われます。互いが支え合い、助け合うことは、じつは人類の本能なのです。

 『隣人の時代』を貫くメッセージは、「助け合いは、人類の本能だ!」です。こんな、東北の書店が壊滅的な被害を受け、輪番停電の東京でも開店休業のような書店が多い状態で、かわいい我が子を世に出すことに不安もあります。はっきり言って、新刊を出すタイミングとしては最悪かもしれません。でも、ある意味では最高のタイミングだと思います。 いま、わたしは、さまざまな想いを込めて我が子を送り出します。『隣人の時代』が1人でも多くの方の手に渡り、そのメッセージを受け取ってくれますように。隣人愛の大切さをわかってくれますように。相互扶助が人類の本能であることをわかってくれますように・・・・・今夜も、わたしは、天上の満月に向かって祈りました。亡くなられた犠牲者の方々の御冥福、そして1人でも多くの行方不明者が見つかることを祈りました。

 Tonyさんにも『隣人の時代』を送らせていただきますので、ご笑読の上、ご批判下されば幸いです。それでは、次の満月までオルボワール!

2011年3月20日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 3月11日に起こった東北・関東大震災を前にして、どのような言葉も浮ついたものになってしまうように思います。この前と後ではあらゆるものが変わった、変わってゆくと思わざるをえません。その言葉で表現しきれない数々を内に含み、言葉が後追いや弁解や根拠なき期待や希望に落ちて行ってしまいそうな、こんな時にも、しかしそれでも、言葉を通してしか、何がしかを伝えることもできない苦渋の中で、亡くなった方々のみたまをしのび、また負傷や被災をした方々の苦しみや痛みを思いつつ、去来する思いを記してみます。

 元暦2年(1185年)は、源平の合戦(治承・寿永の乱)が終了した年です。その年の3月24日に壇ノ浦の戦いがあり、安徳天皇と二位の尼が三種の神器を抱えて入水しました。この年に、日本はドラスティックな政権交代を実現しました。実質的に源頼朝による武士政権の鎌倉幕府が確立したのです。

 その同じ年の7月9日に、大地震が勃発しました。鴨長明の『方丈記』には、その時のことが次のように記されています。「又同じころかとよ、おびたゝしく大地震振ること侍りき。そのさま、世の常ならず。山は崩れて河を埋み、海は傾きて陸地をひたせり。土さけて水わきいで、巌われて谷にまろびいる。渚漕ぐ船は浪にたゞよひ、道ゆく馬は足の立ちどをまどはす。都のほとりには、在々所々、堂舍廟塔、ひとつとして全からず。或は崩れ、或は倒れぬ。塵灰立ち上りて、盛りなる煙のごとし。地の動き、家の破るゝ音、雷にことならず。家の中にをれば、忽にひしげなんとす。走り出づれば、地われさく。羽なければ、空をも飛ぶべからず。竜ならばや、雲にも乗らむ。恐れのなかに恐るべかりけるは、只地震なりけりとこそ覚え侍りしか。かくおびたゝしく振る事は、しばしにてやみにしかども、そのなごりしばしは絶えず。世の常驚くほどの地震、二三十度振らぬ日はなし」と。

 頻繁に尋常ではない大地震が襲いかかって、山は崩れて河を埋め、海が壁のような大津波となって押し寄せて陸地を一面の海に変えてしまう。巨大で頑丈な仏舎利塔もみな破壊され、塵灰がもうもうと煙のように立ち上る。雷のような音を立てて家が倒壊し、地面に亀裂が走る。世の中で恐ろしいものの中でもひときわ恐ろしいものが地震で、それが余震も含め頻繁に起こって1日に2,30回も揺れる・・・と書いているのです。

 ほとんど同様の文章が『平家物語』にも出てきます。「七月九日の午ノ剋計ニ大地震シク動イテ良久シ。怖シナンドモ愚也」、「上ガル塵ハ煙ノ如シ。崩ル音ハ雷ニ似リ。天闇クシテ日ノ光モ不見、老少共ニ魂ヲ消シ、鳥獣悉ク心を迷ハス。遠国近国モ又如此。山崩テ河ヲ埋ミ、海傾テ浜ヲ侵ス。興漕舟ハ浪漂ヒ、陸行駒ハ足ノ立所ヲ迷ハス。大地割テ水涌出ヅ。岩ワレテ谷ヘマロブ。洪水漲来バ岳ニ登テモナドカハ可不助、猛火燃来バ河ヲ隔テモ暫ハ可去。非鳥レバ空ヲモ不翅、非竜ネバ雲ニモ難入。只悲カリケルハ大地震也」

 わたしは20年以上前から現代大中世論を主張してきました。現代は中世の課題をいっそう拡大再生産したような困難の中にあると主張してきたのです。「平成」の世とは、「平和に成る」ことを願う世の中ではあるけれども、それは実態が平和ではなく、戦乱や混乱が続く「乱世」となると。慈円『愚管抄』で説いたように、世の中が「乱世」となり「武者の世」となっていくと直覚し、平成は兵制であるとか、兵政とかであると乱暴にも見えることを言ってきました。

 平成元年(1989年)、ベルリンの壁が崩壊しました。続いて、1991年にはソ連が崩壊し、湾岸戦争が起こりました。1195年には阪神淡路大震災とオウム真理教事件が起こりました。1197年には酒鬼薔薇聖斗事件、2001年には9・11ニューヨーク同時多発テロ事件とアフガニスタン戦争、2003年にはイラク戦争、2004年にはスマトラ沖地震、2008年にはリーマンショック後の世界金融危機、そして1990年代から続く異常気象や地球温暖化現象などなど、深刻度を増す事件や事態の勃発が続いています。

 確かにいつの世にも世界に戦争が絶えたことがなく、自然界の異変や疾病の流行などもあったかもしれません。でも、この20年あまり、それまでの危機とは格段に深刻さと規模の大きさの異なる危機が到来していると思わざるをえなかったのです。シュタイナーが予言した「1998年=666×3」の危機もその一つの見方であり指標でした。

 そのような中で、わたしが怖れていた事態の一つは、人間が引き起こす戦争のような破壊ですが、それ以上に怖れていたのは、異常気象、気候変動が引き起こす天変地異でした。一言で言えば、「風の吹き方が変わった」ということ。自然がざわざわしている、この感じ。地球が大きく深く激しく振動している、この胸騒ぎのようなざわめきでした。

 それが、どのような形で顕在化するか。火山の噴火か、地震か、台風か、竜巻か、吹雪か。そのいずれもであり、またそれ以上の気象異常や変動が起こるのではないかと心配してきたのです。人間が作り上げた高度に思える文明システムがその前では実に脆弱であるばかりか、逆に大きな危険性を孕み増大させているということを。

 そのような文明と自然の変調や危機の中で、自分たちにできる次の道への準備として、猿田彦大神フォーラムや神戸からの祈りや虹の祭りや月山炎の祭りや天河護摩壇野焼き講やNPO法人東京自由大学など、さまざまな活動をしてき、さらにこの4年ほどは東山修験道という、等身大の自分に立ち返りつつ野生の力を甦らせる方向を探究してきました。しかしそれは当然のことながら、限界があり、それゆえに、その限界をばねにして、次なるステップに踏み越えていかねばという思いも生み出してくれます。

 わたしが主張してきた現代大中世論とは、一言で言えば、4つのチ縁の崩壊現象とそれを踏まえた再建への課題を指します。地縁・血縁・知縁・霊縁という4つのチ縁の崩壊現象。限界集落を抱える地域共同体やコミュニティの崩壊。家族の絆の希薄化と崩壊。知識や情報の揺らぎと不確定さ。「葬式は要らない」とか「無縁社会」と呼ばれるような先祖祭祀や祖先崇拝などの観念や紐帯や儀礼が意味と力を持たなくなった状況。すべてのレベルでチ縁が崩落し、新たな効果的な再建策やグランドデザインを生み出せないでいるのが今日の現状であるということ。それは、政権交代や経済システムのチェンジを生み出すだろうけれども、その葛藤・確執・対立・拮抗・矛盾が生み出すさまざまな軋みと混乱。その人間世界の混乱を根本のところからさらに揺さぶる自然界の変調。それがどのような破壊の相乗作用を生み出すか、いらずらに危機感を煽るつもりではありませんが、この20数年、「平成」になる前後からそのような危機感を持ってきました。

 そのような中、今回のM9の東北関東大地震に直面しました。その日、3月11日の14時46分、わたしは和歌山県勝浦町の那智の大滝の前にいました。実はわたしは、この日の朝、8時36分京都駅発の特急オーシャンアロー3号に乗って、12時34分に紀伊勝浦駅に到着し、新宮市教育委員会の西嶋さんと二人で、那智大社、青岸渡寺、妙法山阿弥陀寺、浜宮神社、補陀落山寺、大斎原、熊野本宮大社を参拝して回ったのでした。その那智で地震に遭遇していたのです。でも、わたしはまったくそこで地震の揺れに気づきませんでした。

 大斎原と熊野本宮大社を参拝して、夕方6時過ぎに、本宮大社近くの川湯温泉の宿みどりやに到着しました。そこで、沖縄から熊野本宮に来訪した沖縄大学の一行と合流したのです。その一行の中に、沖縄大学地域研究所の緒方所長や、沖縄県南城市長や、『久高オデッセイ』の監督大重潤一郎さんたちがいて、その大重潤一郎さんから東北地方を襲った大地震と大津波のことを聞いて、初めてこの事態を知ったのでした。

 大重さんたち沖縄からの一行20名近くは、3月12日に熊野本宮館において「地域学サミット」を開催する予定でした。一方わたしは、新宮市教育委員会が主催する「熊野学オープン講座 KUMANOを市民文化できりひらけ」にパネリストの一人として参加する予定で来熊し、その前日に熊野三山を参拝して3月12日の当日に臨みたいと思っていたのです。

 この日の深夜、わたしは熊野本宮の地で、東北地方を襲った地震と津波の映像を見ました。言葉を失う、息をのむ光景でした。津波にのみ込まれて亡くなっていった多くの人々の恐怖と無念の念いが一挙に押し寄せてくるような、どのような言葉も喪失せざるを得ない事態の到来。その到来を前にしている。もう、この出来事の前と後では何から何まですべてが変わってしまうのではないかと直感しました。

 「無縁社会」などと言っている場合ではない。この大震災と大津波によって亡くなった方々をどう供養し鎮魂し、そしてこれからの社会をどう築いていくのか、極めて激烈に問われているのだと感じました。そして今、緊急に必要なのは、人命救助、治療と健康管理、ライフラインの確保と救援物資の輸送・供給、最悪事態回避の適切な措置(特に原子力発電所の事故)、適切な情報伝達、励ましや支え合い、避難施設の仮設(テントや簡易ベッドや簡易風呂など)、そして同時に、復興施設の建設と生活再建、心のケアへの取り組みです。中長期的には、新しい社会づくり、21世紀の新らしい文明の創造、7世代先の子供たちのために残しできることを問いかつ実践していくことが必要となります。

 1995年の阪神淡路大震災の折、山田和尚さん(バウさん)とともに「神戸元気村」の活動を3年間副代表として続けてきた前山形県鶴岡市市会議員の草島進一さん(通称スターン)が、震災直後の3月12日にいち早く「鶴岡元気村」を立ち上げて、支援活動を始めています。

 以前、『神道のスピリチュアリティ』(作品社、2003年)の「終曲 いのちのシンフォニーを求めて」の中で書いたように、草島進一さんや羽黒修験者の星野文紘さんたちとは、1999年より7年間、毎夏、8月13日から16日のお盆の時期に、月山と山形県羽黒町月山高原牧場で「月山炎の祭り」を行なってきました。

 その草島さんが、地震直後の3月12日から、被災地の名取市などで炊き出しなどの支援活動をしていて、今も現地でさまざまな形で活動しています。彼らが必死で呼びかけている声が次のHPに掲載されていますので、ぜひお読みください。また、自分たちでできる支援や協力を実行しましょう。 (http://kusajima.exblog.jp/

 そのような中、Shinさんが新著『隣人の時代——有縁社会のつくり方』(三五館)を出版して、昨日、その本が届きました。「無縁社会」に対して「有縁社会」を、「孤族の時代」に対して「隣人の時代」を、という、Shinさんの年来の主張が実に明確なメッセージで説かれていますね。「生きることはつながること」であり、「となりびと」との関係をむすんでいくことである、そして、「有縁社会」を作る方法として、隣人祭りなどの新しい互助行為の実践がさまざまな事例とともに紹介されていますが、最後の方で、「観光力」(美点凝視力)、「沖縄力」(「いちゃりばちょーでい=一度会ったら兄弟」、先祖と隣人を大切にする心と行為と生き方)に加えて、わたしが子供から学んだ「礼能力」(他者を大切に思える能力)のことも取り上げ紹介してくれています。

 そんな「沖縄力」や「観光力」や「礼能力」をドキュメントした本が、昨日、Shinさんの新刊本が届いたのと同じ日に届けられました。それは、先回のムーンサルトレターの最後でも紹介した須藤義人さんの著書『久高オデッセイ——遥かなる記録の旅』(晃洋書房)です。

 この本は、沖縄本島の東南にある、「神の島」と呼ばれてきた小さな離島「久高島」の記録映画『久高オデッセイ』を撮っている大重潤一郎監督の感性と思想と生き方を、大重監督の話した言葉の言霊力を写し取り、文字と記録の中で生かし、タマフリしようとしている著作です。その本の推薦文として、哲学者の梅原猛さんが、「この書は、比嘉康雄氏の遺志を受け継ぎ、神々に憑かれた大重潤一郎氏が神の島の映画を撮った感動的な記録である。」という言葉を寄せてくれています。

 13年前の1998年に大重潤一郎さんとわたしたちは、喜納昌吉さんの呼びかけで、阪神淡路大震災で亡くなった方々の鎮魂の祭りとシンポジウム「神戸からの祈り」を行ないました。その時の活動記録は、喜納昌吉・鎌田東二『霊性のネットワーク』(青弓社、1999年)にまとめています。この活動がきっかけとなって、大重さんとわたしたちは、「神戸からの祈り」の終わった1998年の暮れに東京自由大学を立ち上げ、その最初の催しを「ゼロからの出発」と題して1999年2月20日に西荻窪WENZで行ったのでした。そして、その「神戸からの祈り」を行う準備をしていた1998年1月に初めて草島進一さんと京都で会ったのでした。

 Shinさんの言ってきた「有縁社会」、わたしが言ってきた「縁の行者」、どちらも同じことを社会の側面からか個人の側面からか語っているのだと思います。自分たちで今できること、今つながることでいっそう力と認識を増しながら具体的な活動として社会と生活の中に着地していくこと。できることは、いろいろな形があるということ。直接のボランティアや支援活動だけでなく、さまざまな後方支援や側面支援や下支えがあるということ。生きるためには何よりもご飯やベッドやお風呂が必要だけど、からだだけでなくこころも和らげ開放していくためには、歌も笑いも芝居も必要だということ。そんな自由自在な創造的な活動の中から新しい有縁社会の芽や「楽しい世直し」を粘り強く持続的に形成していくことができるのだと思っています。

 何事も、これでなくちゃいかんとか、これだけというものはないと思います。どのような形も方式も編み出せるのだ。そんな自由なあり方の中での方法の模索と創造が可能だと信じます。未曾有の大変な事態の中ですが、これからいっそう、型にはまった活動ではない、八百万縁結びの方策をゲリラ的に実践していきたいと思っています。どんな悲劇的な事態の中でも、歌や笑い、ユーモアを忘れずに、ともに生きぬき、そして、死んでいきたい。

2011年3月20日 還暦の日、比叡山山頂の聖地つつじヶ丘でバク転2回した大ばか者の鎌田東二より