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シンとトニーのムーンサルトレター 第117信

第117信

鎌田東二ことTonyさんへ

 Tonyさん、2月20日は久しぶりに東京でお会いできて嬉しかったです。同日の夜に開催された「『生と死』を考える学び」と題するトークショーでTonyさんと共演させていただきました。このトークショーは、わたしも寄稿した『じぶんの学びの見つけ方』(フィルムアート社)から生まれたイベントで、さまざまなジャンルの人が「学び」について大いに語るものです。会場は、恵比寿の「amu」というイベントスペースです。お花屋さんと一緒になっている不思議なスペースです。

 19時になって、トークショーが開始されました。冒頭、このイベントを企画・立案された二橋さんより、「大人の遊び」シリーズイベントの紹介、Tonyさんとわたしの紹介を行って下さいました。それから、Tonyさんの法螺貝の音が鳴り響いた後、わたしたち二人のフリートークが繰り広げられました。

ShinとTonyのトークショーのようす

ShinとTonyのトークショーのようすTonyさんの法螺貝の音を聴く

Tonyさんの法螺貝の音を聴く
 まず、わたしがTonyさんとの出会いについて説明しました。初めてお会いしたのは『魂をデザインする』(国書刊行会)での対談でした。そのとき、Tonyさんから「月にお墓をつくればいい」というお話を聴き、大変なショックを受けました。その後、『ロマンティック・デス〜月と死のセレモニー』(国書刊行会)を一気に書き上げたほどです。

 それから、わたしは自己紹介を兼ねて、主催者からテーマを与えていただいた「サンレーにおける『生と死』のとらえ方、考え方」について述べました。パワーポイントで「サンレー」という社名の由来を紹介しながら、まずは「産霊(むすび)」について語りました。「産霊(むすび)」は「太陽光線(SUNRAY)」とも密接な光があり、それが見事に表現されているのが「天の岩戸開き」の神話ではないかと述べました。儀式の根本である「礼」の精神を讃える「讃礼」も含めて、すべては暗闇を明るく照らすことにつながるとして、最終的には「明るい世直し」こそがサンレーの最終目標であると述べました。

 そして、サンレーがめざす四大「永遠葬」として、現在取り組んでいる葬儀イノベーションを紹介しました。日本人の他界観を大きく分類すると、「山」「海」「月」「星」となりますが、それぞれが「樹木葬」、「海洋葬」、「月面葬」、「宇宙葬」に対応しています。新しい葬儀イノベーションはそれらの他界観を見事にフォローしています。「月への送魂」の動画も流しましたそれから、現実的な儀式イノベーションとして「禮鐘の儀」を紹介し、動画も流しました。これは、葬儀での出棺の際に霊柩車のクラクションを鳴らさず、鐘の音で故人を送るセレモニーです。

 Tonyさんのフリートークでは、これまでの御自身の歩みを中心に、縦横無尽にさまざまなお話をされました。それから、二人のフリートークの時間となって、わたしたちは「生」と「死」、神話と儀式について大いに語り合いましたね。途中、フィルムアート社のイベントということで、映画の話をしました。話題のイギリス・イタリア合作映画「おみおくりの作法」についてです。この映画の最大のテーマは「葬儀とはいったい誰のものなのか」という問いです。死者のためか、残された者のためか。ジョン・メイの上司は「死者の想いなどというものはないのだから、葬儀は残されたものが悲しみを癒すためのもの」と断言します。わたしは、多くの著書で述べてきたように、葬儀とは死者のためのものであり、同時にこの世に残された「愛する人を亡くした人」のためのものであると思います。

 たとえ愛する人が死者となっても、残された人との結びつきが消えることはありません。その問題について深く考えた人物が、ドイツの神秘哲学者ルドルフ・シュタイナーです。彼は人智学という学問の創始者として知られていますが、よく「人智学を学ぶ意味は、死者との結びつきを持つためだ」と語ったそうです。 死者と生者との関係は密接であり、それをいいかげんにするということは、わたしたちがこの世に生きることの意味をも否定することになりかねないというのです。

 この世の人間は死者との結びつきを持てるのでしょうか。そういうことを考える前に、まず言えるのは、死者が現実に存在していると考えない限り、その問題は解決しないということです。つまり、死者など存在しないということになってしまえば、いま言ったことはすべて意味がなくなってしまいます。ところが、仏教の僧侶でさえ、死者というのは、わたしたちの心の中にしか存在していないという人が多いのです。そういう僧侶は、人が亡くなって仏壇の前でお経をあげるのは、この世に残された人間の心のために供養しているのだというのです。もし、そういう意味でお経をあげているのなら、死者と結びつきを持とうと思っても、当人が死者などいないと思っているわけですから、結びつきの持ちようがありません。死んでも、人間は死者として生きています。しかし、その死者と自分との間には、まだはっきりした関係ができていないと考えることがまず前提にならなければならないのです。

 シュタイナーは多くの著書や講演で、「あの世で死者は生きている」ことを繰り返し主張しました。彼は、こう言いました。今のわたしたちの人生の仲で、死者たちからの霊的な恩恵を受けないで生活している場合はむしろ少ないくらいです。ただそのことを、この世に生きている人間の多くは知りません。そして、自分だけの力でこの人生を送っているように思っています。シュタイナーによれば、わたしたちが死者からの霊的恩恵を受けて、あの世で生きている死者たちに自分の方から何ができるのかを考えることが、人生の大事な務めになるのです。以上のような考えを述べました。

 わたしは、葬儀とは人類の存在基盤であると思っています。約7万年前に死者を埋葬したとされるネアンデルタール人たちは「他界」の観念を知っていました。「人類の歴史は墓場から始まった」という言葉がありますが、埋葬という行為には人類の本質が隠されています。それは、古代のピラミッドや古墳を見てもよく理解できます。「心の時代」などと言われますが、それは主に「哲学」「芸術」「宗教」から構成されます。いずれも、肉体を超越して精神を純化させる試みであり、「死」というものが最大のテーマとなります。さらに、わたしはすべての人間の文明や文化の根底には「死者との交流」という目的があったのではないかと推測しています。怪談もそうですが、写真や映画といったメディアも「死者への想い」から誕生したのではないかと考えています。その考えをまとめるために、長らく構想を温めていた『唯葬論』の執筆をついに開始しました。

 話は変わって、わたしは「イスラム国」についても述べました。「イスラム国」は、人質にしていたヨルダン人パイロットのモアズ・カサスベ中尉を焼き殺しました。これを知ったわたしは、湯川さんや後藤さんの斬首刑以上の衝撃を受けました。イスラム教では火での処刑は禁じられており、火葬さえ認められていません。遺体の葬り方は、土葬が原則です。イスラム教において、死とは「一時的なもの」であり、死者は最後の審判後に肉体を持って復活すると信じているからです。また、イスラム教における「地獄」は火炎地獄のイメージであり、火葬をすれば死者に地獄の苦しみを与えることになると考えます。よって、イスラム教徒の遺体を火葬にすることは最大の侮辱となるのです。「イスラム国」は、1月20日付で火での処刑を正当化する声明を発表しています。自分たちの残虐行為を棚に上げてイスラム教を利用するご都合主義が明らかです。

 わたしは、葬儀を抜きにして遺体を焼く行為を絶対に認めません。かつて、ナチスやオウムが葬送儀礼を行わずに遺体を焼却しました。ナチスはガス室で殺したユダヤ人を、オウムは逃亡を図った元信者を焼いたのです。しかし、「イスラム国」はなんと生きた人間をそのまま焼き殺しました。このことを知った瞬間、わたしの中で、「イスラム国」の評価が定まりました。わたしたち日本人は、通夜も告別式もせずに火葬場に直行するという「直葬」「直葬」あるいは遺骨を火葬場に置いてくる「0葬」といったものがいかに危険な思想を孕んでいるかを知らなければなりません。葬儀を行わずに遺体を焼却する行為は「人間尊重」に最も反するものであり、ナチス・オウム・イスラム国の闇に通じているのです。

 それにしても、この日本で「直葬」が流行するとは・・・さらには、あろうことか「0葬」などというものが発想されようとは! なぜ日本人は、ここまで「死者を軽んじる」民族に落ちぶれてしまったのでしょうか? そんな疑問が浮かぶとき、わたしは「日本民俗学の父」と呼ばれる柳田國男の名著『先祖の話』の内容を思い出します。『先祖の話』は、敗戦の色濃い昭和20年春に書かれました。柳田は、連日の空襲警報を聞きながら、戦死した多くの若者の魂の行方を想って、『先祖の話』を書いたといいます。日本民俗学の父である柳田の祖先観の到達点です。柳田がもっとも危惧し恐れたのは、敗戦後の日本社会の変遷でした。具体的に言えば、明治維新以後の急速な近代化に加えて、日本史上初めてとなる敗戦によって、日本人の「こころ」が分断されてズタズタになることでした。

 柳田の危惧は、それから60年以上を経て、現実のものとなりました。日本人の自殺、孤独死、無縁死が激増し、通夜も告別式もせずに火葬場に直行するという「直葬」も増えています。家族の絆はドロドロに溶け出し、「血縁」も「地縁」もなくなりつつあります。『葬式は、要らない』などという本がベストセラーになり、日本社会は「無縁社会」と呼ばれるまでになりました。この「無縁社会」の到来こそ、柳田がもっとも恐れていたものだったのではないでしょうか。彼は「日本人が先祖供養を忘れてしまえば、いま散っている若い命を誰が供養するのか」という悲痛な想いを抱いていたのです。

 今年は終戦70周年の年です。日本人だけでじつに310万人もの方々が亡くなられた、あの悪夢のような戦争が終わって70年目の節目なのです。今年こそは、日本人が「死者を忘れてはいけない」「死者を軽んじてはいけない」ということを思い知る年であると思います。いま、柳田國男のメッセージを再びとらえ直し、「血縁」や「地縁」の重要性を訴え、有縁社会を再生する必要がある。わたしは、そのように痛感しています。そして、英霊たちの魂の行方を想いながら『唯葬論』を書き上げる覚悟です。また、島田裕巳氏の『0葬』への反論の書として『永遠葬』も並行して執筆しています。

 わたしは、全国冠婚葬祭互助会連盟(全互連)の会長も務めています。互助会は戦後の横須賀で生まれ、全国に広まりました。国学や日本民俗学が「日本人とは何か」を追求したのなら、わたしはその答えは冠婚葬祭にあるように思います。互助会の使命とは、「日本人とは何か」を一歩進めて、儀式によって「日本人を幸福にする」ことではないかと最後に述べました。

大いに語り合いました

大いに語り合いました非常に有意義な対談でした

非常に有意義な対談でした
 世の中には「奇人変人倶楽部」というものがあるとか。何を隠そうTonyさんが同会の設立者の一人であり、わたしも誘われています。(苦笑)会場のみなさんにとって、「緑色の奇人」と「紫色の変人」の対談はいかがでしたでしょうか? この日の夜は、わたしが普段から考えていることをTonyさんにお話しさせていただいたので、わたし自身はスッキリしました。Tonyさんのお話も、大変興味深いものでした。こうして恵比寿の熱い夜は過ぎていきました。Tonyさん、お世話になりました。また機会があれば、トークショーで御一緒したいですね。それでは、今月11日に京都の北野天満宮で開催される「悲とアニマ展」でお会いしましょう!

2015年3月6日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 Shinさん、先だっては、amuでのトーク、ありがとうございます。原広司さん設計の大変瀟洒で面白い空間で「生と死」をテーマに話をしました。が、観衆が少なくて申し訳なく思いました。たくさん人が集まればいいというわけではありませんが、適正規模というのは空間においても時間においてもコンテンツにおいてもあります。過少でも過剰・過大でも無理が出てなかなかうまく行きません。

 二宮尊徳さんの言う「分度」(適正サイズに見合った生き方・やり方・家計・収支決算)を守りながらよりよく生きるというのは、ホント、難しいです。特にわたしのような「道楽」や「極道」な生き方をしてきた極端で極限に挑みたい人間には。その「中道」精神は見習いたいといつも思いますが、いつもどこか過剰で失敗します。

 さて、今、わたしたちは「悲とアニマ〜モノ学・感覚価値研究会展」を含む「現代京都藝苑2015」という展覧会の真最中(3月7日〜4月12日)で、てんてこ舞いでござりますう〜。この会期中に、ICUでの4日間の全部英語のカンファランス「宇宙における人間の存在と未来〜何故社会が科学と人文学両方を必要するのか?」にも全日程参加しなければならないし、またNPO法人東京自由大学の琵琶湖一周聖地・霊場巡り春合宿(3月27日〜29日)まであるし、「久高オデッセイ」の監督大重潤一郎さんのお見舞いと、完結編「久高オデッセイ第三部 風章」の仕上げを見届けなければなりませんし、33身の観音菩薩とは言いませんが、少なくともその1割の3身くらいはほしいなあ〜と思うこの頃でござります。

 この「悲とアニマ展」のプレイベントとして、さる3月5日に、「森と身心変容」をテーマとして、わたしたちの科研の「身心変容技法研究会」と山折哲雄初代会長の後を引き継いでわたしだ2代目会長を務めている「京都伝統文化の森推進協議会」との合同セミナーを行ないました。大変面白く有意義でした。ちょっとその報告をさせてください。

京都伝統文化の森推進協議会+第34回身心変容技法研究会合同公開セミナー「森と身心変容」
日時:2015年3月5日(木)13:00〜17:00
場所:京都大学稲盛財団記念館3階大会議室
基調講演①:「木彫刻のアニミズム」三宅一樹(彫刻家・元多摩美術大学非常勤講師)
基調講演②:「森の自然と人のかかわり——生態学・進化生物学の視点」
伊勢武史(生態学者・進化生物学者・京都大学フィールド科学教育研究センター准教授)
総合討論:司会・鎌田東二
主催:京都伝統文化の森推進協議会
共催:京都大学こころの未来研究センター(科研:基盤研究A「身心変容の比較宗教学——心と体とモノをつなぐワザの総合的研究」+ワザ学研究プロジェクト)

京都伝統文化の森推進協議会のキャラクターの一つ「京だらぼっち」

京都伝統文化の森推進協議会のキャラクターの一つ「京だらぼっち」

 最初の三宅一樹さんの「木彫刻のアニミズム」の発表。
 「木は単なる素材でもマテリアルでもない!」、それはそれ以上の「モノ」(霊性を含む物=者=霊(もの))であるということが具体的に木彫アーティストの深い経験と洞察にも土づいて語られました。この「モノ的感受」なくして、木彫作品が生まれえないという日本木彫の神髄が示されました。もちろん、円空仏のダイナミズムと力動と生命感もすべてそこに由来します。円空の「鉈彫り」は、そこに「カミが現れる途中であるというメッセージ」が込められているという発言は説得力がありました。

 そもそも「素材」となる一本の木の選定から彫刻が始まります。よき木彫になる木は「霊木」で、「御神木」であり、落雷した「霹靂木」であり、「立木」です。その木は山から伐り下してきて、水の中で数年間寝かしているのがいいというのです。わたしたちの常識では日光や乾いた空気に触れさせることによって乾燥させると考えるのですが、木の性質上、水の中に浸けていることによって樹液が排出されてそれによって乾燥していくというのです。

 水に濡れながら乾燥する! そんなことがあるのか! 目からウロコが落ちた瞬間でした。それから木にも厳しさが個性を作るということも大納得でした。苦労した木ほど個性があるということ。すくすくと育った木は彫りやすいのですが、しかし脆くて割れやすいそうです。それに対して、厳しい風雪の中で紆余曲折しながら変節していった木には、こぶとかねじれやよじれでまがりがあるのですが、それが個性と強さとなるというのです。人間もまったく同じですよね。

 そして、とどのつまり、その「木」から「像」がおのずと「生まれてくる」、顕在化してくるというのです。その通りです。300曲近くをすべて3分間で作った=受け取った=ダウンロードした「神道ソングライター」としては完全納得しますね。

 そして、本日、3月7日から「悲とアニマ〜モノ学・感覚価値研究会展」が北野天満宮で始まりました。

 いやあ〜、この場の力が磁場となって作品群を結集する力というか、引力というか、親和力というのは凄いものです。おのずとこのような展覧会になっていったその「縁結び」には天神さんの御力=神力がはたらいているとしか思えません。「神ながら」の人生を生きてきましたが、今さらながら「神ながら」の物凄さに驚いている始末です。

 ところで、「モノ学・感覚価値研究会」と「身心変容技法研究会」のことを記しておきたいと思います。わたしは、「モノ学・感覚価値研究会」のHPに次のように書きました。
http://mono-gaku.la.coocan.jp/

1、「モノ学・感覚価値研究」とは何か?

 「モノ学・感覚価値研究会」は、2006年4月21日付けで、日本学術振興会科学研究費補助金交付に採択された「モノ学の構築—もののあはれから貫流する日本文明のモノ的創造力と感覚価値を検証する」を研究し、「モノ」と「感覚価値」をあらゆる角度と発想から考察し、表現してゆく“アヴァンギャルドな研究会”です。

 この研究会では、
①日本人が「モノ」をどのように捉え、「モノ」と心と体と命及び自然との関係をどう見てきたかを検証すると同時に、「カワイイ・カッコイイ・ワクワク・ドキドキ・こわい・すてき・おもしろい・たのしい」などの快美を表わす感覚価値形成のメカニズムを分析します。
②「モノ」が単なる「物」ではなく、ある霊性を帯びた「いのち」を持った存在であるという「モノ」の見方の中に、「モノ」と人間、自然と人間、道具や文明と人間との新しい関係の構築可能性があると考えます。
③21世紀文明の創造には新しい人間認識と身体論と感覚論が必要であり、感覚基盤の深化と再編集なしに創造力の賦活と拡充はないでしょう。それゆえ、「モノ」の再布置化と人間の感覚能力の可能性と再編成を探ることは極めて重要な21世紀的課題となるはずです。
④人間の幸福と平和と結びつく「モノ」認識と「感覚価値」のありようを探りながら、認識における「世直し」と「心直し」をしていくのが本研究の大きな目的となります。
⑤また、「モノ」と「感覚価値」を新しい表現に結びつけ、大胆な表現に取り組んでいきます。

2、研究・表現成果(研究会活動については、「モノ学・感覚価値研究会」HP参照:http://mono-gaku.la.coocan.jp/

A:展覧会活動
① 第1回展「物からモノへ——科学・宗教・芸術が切り結ぶモノの気配の生態学」(京都大学総合博物2010年)
② 第2回展「物気色(モノケイロ)——物からモノヘ」(虚白院・2010年)
③ 第3回展「モノケイロケモノ」(東京画廊・2011年)
④ 第4回展「物気色11・11」(遊孤草舎・2011年)
⑤ 第5回展「続・物からモノへ——うつしとうつわ」(遊孤草舎・2014年)
⑥ 第6回展「悲とアニマ——モノ学・感覚価値研究会展」(北野天満宮・2015年)

B:出版活動
①鎌田東二編『モノ学の冒険』(創元社・2009年)
②鎌田東二編『モノ学・感覚価値論』(晃洋書房・2010年)
③鎌田東二・近藤髙弘『火・水(KAMI)——新しい死生学への挑戦』(晃洋書房・2010年)
④モノ学・感覚価値研究会編『物気色』(美学出版・2011年)
⑤『モノ学・感覚価値研究(年報)』(第1号・2007年〜第9号・2015年)
京都大学博物館2010年1月能舞「ランビルの森」、虚白院展覧会能舞「虹鬼伝説」2010年

C:研究テーマ
1)「モノ」認識の原理的研究—「もののあはれ」「もののけ」から「ものづくり」まで
2)モノと心の統合点としての身体性の研究→科研「身心変容技法の比較宗教学−心と体とモノをつなぐワザの総合的研究」(2011年度〜2014年度)
3)「感覚価値」形成の研究
4)モノ認識の比較文化史的・比較文明史研究
5)感覚拡張の研究→渡邊淳司『情報を生み出す触覚の知性:情報社会をいきるための感覚のリテラシー』 (DOJIN選書、2014年)
6)「気配」の研究

3、「悲とアニマ」展開催概要
 なぜわたしたちは北野天満宮で「悲とアニマ」展を行おうと企画したか?
 いうまでもなく、北野天満宮は御祭神として菅原道真公をお祀りする神社である。だが、歴史学者の上田正昭氏によれば、人神として菅原道真公をお祀りする以前から、北野の地には雷神信仰や天神信仰があった。その自然神信仰の上に、人神としての菅原道真公への鎮魂と顕彰と讃仰(信仰)が加わったのである。
 つまり、菅原道真という「人」が「怨霊」になり、その後「神」になったのは、北野という場所に秘密があった。それはもともとあった天神信仰、つまり、雷と稲作豊穣(自然の驚異と恵みの表裏一体)の基盤の上に、菅原道真公への思慕と讃嘆と鎮魂が接木され、定着し、強力な北野天神信仰を生み出していったのである。
 わたしたちの「悲とアニマ」展は、直接的には東日本大震災を機に、その「悲」を、生死を越えた永遠のいのちに昇華していく「アニマ(霊魂・霊性)」に接続したいという非願を持ってこの展覧会を企画した。
 その「悲」を生きる力や霊性に転換する信仰こそが北野天満宮の信仰の本質だと思うがゆえに、わたしたちはこの展覧会を何が何でも北野天満宮で開催したいと考えたのである。

科研「モノ学の構築—“もののあはれ” および “もののけ” から “ものづくり” までを貫流する日本文明のモノ的創造力と感覚価値を検証する」の概念見取り図
①モノの古代的展開〜霊性としてのモノが中心〜例えば、三輪の「大物主神(おおものぬしのかみ)」、「物実(ものざね)」、「物部(もののべ)」「物怪(もののけ)」など。
②モノの中世的展開〜霊性としてのモノに者性としてのモノが加わる〜例えば、世阿弥が『風姿花伝』で主張した「能=申楽」は「物学(ものまね)」であるという主張など。
③モノの近世的展開〜者性としてのモノが中心〜例えば、本居宣長が王朝文学論や「源氏物語」論で展開した「もののあはれを知る」など。日本的感受性(Japanese sensitivity)の探究。
④モノの近代的展開〜物性としてのモノが中心(物質主義的なモノ観に頽落)。
⑤モノの現代的展開〜霊性・者性・物性としてのモノの再発見・再興〜例えば、もの派とモノ学。

宇宙・霊性

自然

火・水・土

伝統文化

モノ派

モノ学

 そして、「身心変容技法研究会」に関しては、「身心変容技法研究第4号」219頁全頁を「身心変容技法研究会」のHPの「研究年報」欄に掲載しましたので、ぜひご覧ください。おもろすぎます! 参考までに、その目次を掲げておきます。
http://waza-sophia.la.coocan.jp/

科研研究年報誌『身心変容技法研究』第四号刊行にあたって   鎌田東二 1
第一部 身心変容技法の光と闇
「身心変容技法」としての歌と剣—「身心変容技法研究」試論   鎌田東二 3
「即の体験」から「結びの思想」へ   町田宗鳳 16
キリスト教神秘主義の伝統における身心変容技法   鶴岡賀雄 23
マインドフルネスの彼方へ   井上ウィマラ 33
身心分離とインターフェイスにおける身心変容技法   河合俊雄 45
太極拳と修験道における相互身体性   倉島 哲 52
俳優からパフォーマーへ—グロトフスキの〈否定の道〉   松嶋 健 58

第二部 身心変容のワザ学
まぶさび、その美学と宗教学   篠原資明 66
無心のケアのために— 断片ノート   西平 直 72
虹の身体   永沢 哲 82
倍音声明の音構造   加藤雅裕・安本義正・永沢哲 89
現代韓国におけるシャーマニズムと「癒し」の実態   金 香淑 98
シャーマン神偶の身心変容力—ブォのオンゴッド   アルタンジョラー 108
「誰が歌ったのか?」風聞の身体、名もなき実在論(リアリズム)—奄美群島の宮澤賢治   今福龍太 112
〈あわい〉の身心変容技法   安田 登 120

第三部 身心変容の哲学
心身問題と魂の死後存続—ベルクソンの哲学的思索を手引きにして   棚次正和 132
ジェイムズの心霊研究圏における身心変容問題   津城寛文 143
湯浅泰雄の修行論と身体技法論   桑野 萌 151
自律性療法(心身医学)と後期シェリングの神話と啓示の哲学   濱田 覚 159
賀川豊彦の教育論の背景に関する一考察   トマス・ジョン・ヘイスティングス 168

第四部 身心変容の科学
自由エネルギー原理に基づく催眠と瞑想の統一理論   乾 敏郎 176
マインドフルネス瞑想と脳のシステム特性— 脳波測定による検討   齋木 潤 184
現代日本手技療法—ヴェルテブロ・セラピーの実証的研究へ向けて   藤守 創 191
マインドフルネス瞑想における身体感覚の重要性—心のプロセスと瞑想のプロセスの連結環   藤野正寛 196
現象学から顕現学へ—一九九〇年以降フランス哲学における「生ける身体living body」の誕生   ベルナール・アンドリュー、奥井遼訳 207
From Phenomenology to Emersiology : The birth of living body in the philosophical research in France among 1990   Pr.Bernard Andrieu 216
奥付・編集後記

 また、『モノ学・感覚価値研究第9号』の目次も参考までに記します。

『モノ学・感覚価値研究』第9号刊行に際して    鎌田東二 ●001
第1部  こころのワザ学
第一章「こころの練り方」探究事始め その五 安部公房と三島由紀夫を中心に 鎌 田東二●002
第二章 ポール・ゴーギャン、フィンセント・ファン・ゴッホ、ジョルジュ・スーラ における写真の影響の比較研究  秋丸知貴 ●018
第三章 モノ学・感覚価値研究会アート分科会/ 京都大学こころの未来研究セン ター連携研究プロジェクト二〇一四年度活動報告 大西宏志 ●027

第2部  第五回東日本大震災関連プロジェクト│こころの再生に向けて〜震災後の自 然と社会     田中克+草島進一+島薗進+金子昭+大西宏志+鎌田東二 ●037

第3部  身心変容技法の比較宗教学〜大荒行シンポジウム 田中利典+星野尚文+高木亮英+戸田日晨+倉島哲+鎌田東二ほか  ●072
編集後記・奥付●141

 この「大荒行シンポジウム」は修験者たちと研究者たちがガチンコでぶつかった本邦初演の大シンポジウムではなかったかと思います。ぜひ読んでみてください。

 わたしは「スサノヲの到来展」と「悲とアニマ〜モノ学・感覚価値研究会展」に関わって、本当に世の中、変わり始めている、いや変わらなければいけない、変わらせなければならないと思っています。「楽しい世直し」、わが道を黙々と邁進して参りたく思いますので、今後ともよろしくお願します。

悲とアニマ——モノ学・感覚価値研究会展



 現代京都藝苑2015は、京都市内の5つの会場を使って開催する現代美術の4つの展覧会(「悲とアニマ」「素材と知覚」「連続の縺れ」「記憶の焼結」)の総合名称です。京都の伝統文化遺産と現代芸術文化の国際的な情報発信に貢献することを目指して、「日本的感受性」の今日的意味を問う展覧会のほか、様々なパフォーマンスやシンポジウム等を行います。

■会場:北野天満宮(〒602-8386 京都府京都市上京区馬喰町)
■会期:2015年3月7日(土)〜3月14日(土)会期中無休
■開館時間:9:00〜17:00(※3月12日(木)のみ12:00〜17:00)入館は閉館30分前迄
■観覧料:無料
■主催:現代京都藝苑実行委員会/モノ学・感覚価値研究会
■共催:北野天満宮・京都伝統文化の森推進協議会・京都大学こころの未来研究センター震災関連プロジェクト「こころの再生に向けて」
■協賛:株式会社サンレー
■後援:PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015・京都大学こころの未来研究センター連携研究プロジェクト「被災地のこころときずなの再生に芸術実践が果たしうる役割を検証する基盤研究Ⅲ」・科研:基盤研究A「身心変容の比較宗教学——心と体とモノをつなぐワザの総合的研究」(研究代表:鎌田東二・2011年〜2015年)
■監修:鎌田東二
■企画:秋丸知貴
■出品作家:大西宏志・岡田修二・勝又公仁彦・狩野智宏・上林壮一郎・坪文子・松生歩・三宅一樹・渡邊淳司+丸谷和史・スティーヴン・ギル・鎌田東二
■鎮魂茶会:近藤髙弘
■鎮魂舞台:淡路人形座・くーだら劇団(京都伝統文化の森推進協議会)・河村博重+鎌田東二
■移動舞台車:やなぎみわ

■公開シンポジウム①「モノ学・感覚価値研究とアート」


日時:2015年3月7日(土)16:00〜19:00
場所:京都大学稲盛財団記念館3階大会議室(無料、予約不要)
 基調講演①:「モノ学・感覚価値研究とは何か」
鎌田東二(京都大学こころの未来研究センター教授・「悲とアニマ」展監修者)
 基調講演②:「モノ学・感覚価値研究会アート分科会の歩み」
大西宏志(京都造形芸術大学教授・モノ学・感覚価値研究会アート分科会幹事)
 基調講演③:「『悲とアニマ』展について」
秋丸知貴(インディペンデントキュレーター・「悲とアニマ」展企画者)
 総合討論
岡田修二(画家・成安造形大学教授)
近藤髙弘(陶芸・美術作家・モノ学・感覚価値研究アート分科会幹事)
大舩真言(画家・現代美術家)

■公開シンポジウム②「火と水と森とアート」
日時:2015年3月10日(火)13:00〜17:00
場所:京都大学稲盛財団記念館3階大会議室(無料、予約不要)
 基調講演①:「火とアート」
勝又公仁彦(美術家・写真家・京都造形芸術大学専任講師)
 基調講演②:「水とアート」
近藤髙弘(陶芸・美術作家・京都伝統文化の森推進協議会文化的価値専門委員会委員)
基調講演③:「森とアート」
やなぎみわ(演出家・美術作家・京都造形芸術大学教授)
総合討論
  吉岡洋(京都大学教授・京都伝統文化の森推進協議会委員)
鎌田東二(京都大学こころの未来研究センター教授・京都伝統文化の森推進協議会会長)
大西宏志(京都造形芸術大学教授・京都伝統文化の森推進協議会文化的価値専門委員会委員)
秋丸知貴(インディペンデントキュレーター・「悲とアニマ」展企画者)

■鎮魂茶会
日時:2015年3月11日(水)12:00〜15:00
場所:北野天満宮 茶室
 近藤髙弘

■鎮魂舞台日時:2015年3月11日(水)17:00〜19:00頃(※雨天順延)
場所:北野天満宮 境内駐車場
演目:
17:00〜17:05 前口上
鎌田東二+やなぎみわ
17:05〜17:15 移動舞台車ライトアップ&トランスフォーム
  やなぎみわ(演出家・美術作家・京都造形芸術大学教授)
17:15〜17:45 淡路人形芝居「戎舞」
淡路人形座
17:45〜18:15 電気紙芝居「くーりんと京だらぼっち」
  くーだら劇団(京都伝統文化の森推進協議会)
18:15〜18:45 能舞「天神〜鎮魂・悲とアニマ」
  河村博重(観世流能楽師・重要無形文化財・京都造形芸術大学客員教授)
鎌田東二(神道ソングライター・京都大学こころの未来研究センター教授)
18:45〜18:50 後口上
  加藤迪夫(北野天満宮権宮司)

■現代京都藝苑2015公式ウェブサイト
http://www.kyoto-contemporary-art-network.net/

 ぜひ大勢の人に見に来てほしいです。

2015年3月7日 鎌田東二拝