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シンとトニーのムーンサルトレター第193信(Shin&Tony)

鎌田東二ことTonyさんへ

Tonyさん、お元気ですか? 4月の満月は「ピンクムーン」とも呼ばれますが、今夜の小倉はあいにく雨で、月が見えません。4月25日から東京・大阪・京都・兵庫の4都府県に3回目の緊急事態宣言が発出されました。アナクロそのものである禁酒法と灯火統制には、あきれてものが言えません。そこまでして、東京五輪を開催したいのでしょうか。国民のほとんどは、五輪の開催に反対しています。また、落語家の立川志らく氏も言っていましたが、子どもたちが運動会もできずに悲しい思いをしているのに、どうして大人の運動会を無理して開催しなければならないのか。世界各地で感染力の強い変異株が生まれているのに、どうして世界中の人々を日本に集めるのか。命より大事な運動会などありません。26日には、新型コロナウイルスによる国内の死者が、ついに1万人を超えたというのに・・・・・・このままでは、東京五輪は「ウイルス五輪」「ウイルス博覧会」「ウイルス見本市」となる可能性があり、世界最強のハイブリッド「東京五輪株」が誕生するかもしれません。わたしは、東京五輪の開催に断固反対です!


京都で再会した二人

ところで、その緊急事態宣言中の京都で、Tonyさんにお会いできて嬉しかったです。3月30日の夜、わたしたちはホテルグランヴィア京都の15階にある中華料理店「樓外樓」で再会しました。昨年12月5日以来ですが、そのときも同じホテルの和食店でお会いしましたね。Tony さんは3月20日に70回目の誕生日を迎えられたのですが、この日、ちょっと遅めの誕生日祝いをしました。前夜は満月であり、リニューアル2回目となる「ムーンサルトレター第192信」も無事にUPしました。この日は雲と黄砂で月は隠されていましたが、わたしたちは思う存分、ムーンサルト・リアル・トークを展開。

話題は、2人ともに応募している月周回旅行のこと、二宮尊徳のこと、日本民俗学のこと、わたしが副理事長を務めている冠婚葬祭文化振興財団が設立を計画している儀礼・儀式学会のこと、そして日本における相互扶助とグリーフケアのこと・・・・・・いろいろと多岐にわたりました。わたしの個人的な悩みにも相談に乗っていただきましたが、的確で慈愛に溢れたアドバイスをいただき、ありがたかったです。特に、「艱難汝を玉にす」という言葉が胸に沁みました。心より感謝申し上げます。

その席で、わたしは、最近自分が体験している不思議な現象について話しました。それは、何の映画を観ても、テーマがグリーフケアであることに気づくことです。この現象は、小説やマンガを読んだときにも起こります。すべてはグリーフケアの物語なのです。この不思議な現象の理由としては3つの可能性が考えられます。1つは、わたしの思い込み。2つめは、神話をはじめ、小説にしろ、マンガにしろ、映画にしろ、物語というのは基本的にグリーフケアの構造を持っているということ。3つめは、実際にグリーフケアをテーマとした作品が増えているということ。わたしとしては、3つとも当たっているような気がしています。この話に、Tonyさんは非常に興味を抱いておられましたね。


「MAG2NEWS」より

その翌日となる3月31日、「入学式も卒業式もムダ。3月4月すべての儀式が日本人を不幸にする」というネット記事が配信され、強い違和感をおぼえました。記事のリード文には、「3月4月の日本では、卒業式や入学・入社式等々多くの行事が行われますが、それらはすべて『ムダな儀式』と言い切ってしまって間違いないようです。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では米国在住作家の冷泉彰彦さんが、前掲の行事を『オワコン』と一刀両断。その上で、それらの儀式を無意味と判断せざるを得ない理由を、冷静な筆致で明らかにしています」と書かれています。

記事を読んでみると、率直な感想は「春の一連の儀式について悪意を持って書くとこのようになるのかな」と思いました。また、主張に論拠もなく、主観を振りかざすばかりで、特に得るものがありませんでした。儀式については、当然いろいろな意見があると思いますが、一人一人の多様な人間が、それぞれの儀式で何を得るかなどを考えず、価値感の押し付けをする独善的な印象です。


「毎日新聞オンライン」より

新型コロナウイルスの影響で昨春の入学式を中止とした大学が今春、新2年生向けに「一年遅れの入学式」を行うケースが相次ぎました。上智大学でも、新型コロナウイルスの影響で去年中止となった入学式が開かれ、400人もの新2年生たちが一年遅れの式典に臨みました。オンライン授業中心でキャンパスに通うこともままならなかった学生たちは「ようやく大学生の実感が湧く」と喜んでいました。1年遅れの入学式を希望するかと大学側が新2年生たちにアンケートを取ったところ、じつに80%以上の学生が希望したとか。これを知ったわたしは、彼らが入学式もないまま大学生活をスタートして、どんなに不安な毎日を送っていたかと思い、泣けてきました。

そもそも、儀式は何のためにあるのか。儀式が最大限の力を発揮するときは、人間のココロが不安定に揺れているときです。もともと、「コロコロ」が語源であるという説があるぐらい、ココロは不安定なものなのです。まずは、この世に生まれたばかりの赤ちゃんのココロ。次に、成長していく子どものココロ。そして、大人になる新成人者のココロ。それらの不安定なココロを安定させるために、初宮参り、七五三、成人式、結婚式があります。さらに、老いてゆく人間のココロも不安に揺れ動きます。なぜなら、人間にとって最大の不安である「死」に向かってゆく過程が「老い」だからです。しかし、日本には老いゆく者の不安なココロを安定させる一連の儀式として、長寿祝いがあります。そして、人生における最大の儀式としての葬儀があります。葬儀とは「物語の癒し」です。愛する人を亡くした人のココロは不安定に揺れ動きます。ココロが動揺していて矛盾を抱えているとき、儀式のようなきちんとまとまったカタチを与えないと、人間のココロはいつまでたっても不安や執着を抱えることになります。このように、カタチにはチカラがあるのです。


辞令交付式のようす

その翌日となる4月1日、わが社は不安なココロを抱えているであろう新入社員を迎える辞令交付式を小倉の松柏園ホテルで行いました。例年は各地のグループ企業すべての新入社員を一同に集めて合同入社式を行うのですが、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、昨年は大幅に規模を縮小して本社新入社員のみを対象とした「辞令交付式」としました。残念ならが、今年もコロナ禍が続いているため、合同入社式はやめて、各地で辞令交付式を行うことになりました。辞令交付式では、社長であるわたしは新入社員に辞令を交付しました。わたしはマスク姿で1人ずつ名前を読み上げ、心を込めて交付しました。


社長訓示のようす

その後、わたしはマスクを外して、以下のようなメッセージを伝えました。

「入社、おめでとうございます。みなさんを心より歓迎いたします。いつもこの時期になると、社長として、新入社員のみなさんの人生に関わることに対して大きな責任を感じてしまいます。そして、世の中の数多くある会社の中から、わがサンレーを選んで下さって感謝の気持ちでいっぱいです。みなさんと縁をいただき、お会いできて嬉しいです。いま、世界では新型コロナウイルスが猛威をふるい、人類社会が大混乱しています。みなさんは過酷な就活戦線を乗り切ってこられたことと思います。コロナ禍によって多くの企業が苦境に陥っています。当然ながら、新卒の採用というのは厳しくなります。みなさんの中には、『もしかしたら、どこの会社にも入れないかもしれない』と不安に思った方もいることと思います。その謙虚な気持ちをどうか忘れないで下さい。そして、サンレーと縁があったことを喜んで下さい。わたしは、みなさんに大いに期待しています。なぜなら、今年の新入社員ほど、会社に入ることの喜びと社会人になることの責任感を胸に抱いている者はいないからです。さらに、みなさんはサンレー創立55周年という記念すべき年に入社するラッキー・ルーキーズです。このような会社に入った新入社員のみなさんに一番伝えたいことは、儀式の大切さです。平成が終わって令和の時代となりました。時代の変化の中で、さまざまな慣習や「しきたり」の中には消えるものもあるでしょう。しかし、世の中には変えてもいいものと変えてはならないものがあります。結婚式や葬儀、七五三や成人式などは変えてはならないもの。それらは不安定なココロを安定させるだからです儀式は人間が人間であるためにあるものです。最後に、わたしは「儀式なくして人生はありません!」「本日は、ご入社、誠におめでとうございました!」と述べました。


東京で、島薗進氏と

その4日後となる4月5日、わたしは上京し、上智大学グリーフケア研究所の島薗進所長とお会いすべく、指定された四ッ谷駅近くのイタリアン・レストランを訪れました。島薗先生とお会いするのは、ずいぶん久しぶりです。オンライン講義では対面していましたが・・・・・・。この日は、上智大学グリーフケア研究所が監修し、一般社団法人 全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)のグリーフケアPTが企画・実行し、一般財団法人 冠婚葬祭文化振興振興財団が運営する「グリーフケア資格認定制度」について、また同財団が設立を計画中の現代儀礼・儀式文化学会(仮称)について、意見交換させていただきました。

その夜はディナー・ミーティングということで、ワインのグラスを重ねていくうちに話題は広がり、「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」などのアニメ映画、マンガ大賞2021を受賞した『葬送のフリーレン』などについても大いに語り合いました。島薗先生は「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」を観て泣かれたそうです。エヴァについての熱い想いも語って下さいました。まだ、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」はご覧になられていないそうですが、エヴァの劇場版「序」「破」「Q」のDVDを観て復習&予習されているとか。わたしが「シン・エヴァンゲリオン劇場版」には相互扶助の村のような共同体が登場し、そこはエッセンシャルワークのみで成立していたことをお話すると、非常に興味を持って下さいました。

また、わたしが「最近は、どんな小説を読んでも、どんな映画を観ても、テーマがグリーフケアであることに気づきます。この理由には3つの可能性があると思います。1つは、わたしの思い込み。2つめは、神話をはじめ、物語というものはすべてグリーフケアの役割を果たしていること。3つめは、本当にグリーフケアを題材とした作品が増えていること。わたしは3つとも当たっているような気がします」と申し上げたところ、島薗先生はうなずいて下さいました。さらには、新型コロナウイルスの変異種、東京五輪、日本民俗学、日本人の先祖供養、東アジアの死者崇拝、カトリックの儀礼文化、イスラームの巡礼、コロナ後の世界の宗教地図、そして、Tonyさんとわたしが応募中の月周回旅行・・・・・・次々に派生する話題を縦横無尽に語り合いました。約2時間のトークセッションでしたが、わたしにとって得難いハートフルな時間となりました。Tonyさんといい、島薗先生といい、わが国の「知」の最前線を行く師と思う存分、意見交換をさせていただくことができ、わたしは本当に幸せ者です。この恵まれた環境を活かして、必ずや日本における「グリーフケアの時代」を拓きたいと願っています。どうぞ、これからも御指導下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。

2021年4月27日 一条真也拝

 

一条真也ことShinさんへ

オリンピック問題、コロナという観点から見ると、無謀なる「Go to travel」同様、さらなる混乱と被害をもたらす可能性大ですね。昔からですが、日本の行政や政策は、付け焼き刃的で、体系性や戦略性がありません。良しとはしませんが、まだしも明治維新期の「文明開化・富国強兵・殖産興業」の三本柱は一貫性と体系性がありました。しかしそれが元で日本の帝国主義支配、資本主義的野望、軍事的侵略が展開していくので、体系的で戦略的だから良いとは言えません。どのような体系や戦略を持つかという、コンテンツの吟味と中長期的な時間軸を視野に入れた批判的検討が常に必要だとおもいます。

オリンピック・パラリンピックを開催してほしいという経済人、アスリート、政治家や関係者、広告業界などなどがいて、その人たちが五輪政策の中心を担っているから、このような事態が起きているのでしょう。五輪マネーの動きも大いに関係しているはずです。だから、国民世論が「五輪開催は無謀だよ、ヤバいよ、アブないよ!」といくら言っても、IOCとの約束があるからとか、WHOの指示に沿っているからだいじょうぶとか、どこかでかならず弁明的な「錦の御旗」を持ち出して、全容を合理的かつ批判的に吟味することができず、ずるずると「オリンピック開戦」を継続していき……、挙句の果てに……。嗚呼! さあ、どんな結末が待っているのでしょう。

怖いけれども、最悪のシナリオも念頭に置いて、今後のことを考えてみる、準備をしておくことも必要ですね。Shinさんは経営者でもあるので、そのあたりの動向についてはいつも目を配っていることと思いますが、選択を一つ間違えると、とてつもない被害がはね返ってくる、綱渡りのリスクマネジメントを取ることになりますから。

祭りの開催や儀式の開催も同様ですね。インドでは、この前、インド最大の祭りのひとつである「クンブメーラ祭」が行なわれました。神聖なガンジスに身を浸して沐浴し、救済と祝福を祈り願う祭りです。しかし、ワクチン接種も始まり、感染拡大が少し収まりかけていたところに、膨大な巡礼移動者の濃厚接触が起こったので、それを機に、インド型変異株のコロナ感染が急拡大したことは間違いない事実だと思います。その祭りがどれほどの感染を引き起こしたかの具体的な量的証明はできないけれども、十分に未来予測できた事態です。

このような不安や予測はあっても、多くのインド国民は、祭りの中止ではなく開催を望み、ガンジス川に数百万人が集結しました。この祭りの組織委員会は、ガンジス川での沐浴により「神がコロナから守ってくれると信じた」と開催を正当化していたらしいです。しかし、インドではやっかいな二重変異株が発生して拡大し続けているようですから、コロナ対策としては、巨大な祭りの開催は実に危険で無謀な催しであったという結果結論になります。韓国で最初に新型コロナウイルスの感染拡大が起こったのも、キリスト教系新宗教・新天地イエス教会(新天地イエス教証しの幕屋聖殿)での大集会がきっかけでしたね。

祇園祭りも疫病退散の祭りですから、こんな時こそ開催する意味があると言えますが、しかし山鉾巡行をして何十万人もの観光者が訪れたら、変異株が広がってきた状況にあって、さらにそれが爆発的に増えていくのは目に見えています。だからこそ、祇園祭山鉾連合会はこの前4月15日に山鉾巡行を中止したわけです。2年続けて中止というのは「苦汁の決断」であり、さぞかし辛く無念の思いであったことでしょう。1943年から4年間、祇園祭での山鉾巡行は中止されていたようですから、それに次ぐ事態に直面していることになります。

が、もちろん、八坂神社で少人数で関係各位で祇園祭りの儀式は開催されています。祈りは一人でもできるけれども、祭りは一人ではできません。祇園祭りのような京都を代表する祭りには国内外から多くの人がそれを見にやってきました。京都の祭りの、というばかりでなく、日本の祭りのもっとも派手やかにして、優美かつ豪壮な祭りのハイライトが山鉾巡行でしたから。町衆もその行事の開催を待ち望んでいたでしょう。わたしもその一人です。また、それによる経済効果も多くの商店やホテルなど宿泊観光業界の人たちも期待したでしょう。しかし、現状を考えると、3度目の緊急事態宣言が発出されるという事態に直面しており、コロナワクチンの接種も遅々として進まず、この状況で山鉾巡行を開催すればどのような変異株の感染拡大につながるか、危険極まりないと考えるのが理性的な判断であったとおもいます。

米国では、ワクチン接種が50%を超え、屋外などの少人数の集会などではマスクを外して行動できるというCDC(米国疾病対策センター)の指針に基づいて、バイデン大統領が新行動指針を発表しました。アメリカは世界最大の感染拡大を経験しましたが、迅速かつ組織的なワクチン接種を進めて、一部マスク解除に進み、それに伴い、人出も観光も経済回復も進みつつあるという状況のようです。むろん、事態の推移がどのように運ぶかさらなる慎重な観察が必要ですが、一山越えたという感が最近の報道などでは感じられます。

それに対して、日本の状況はゴールデンウイークの大型連休を前にして混乱の極みのように見えます。これまでの主張の繰り返しですが、防災をめぐる組織的・体系的な研究と対策と準備をする「防災省」の開設こそが必要で、「ワクチン担当大臣」の任命程度で済まさせる状態ではないと思うのですよ。今も将来も見据えれば、もっと体系的・戦略的な防災・防疫・防衛の政策が必要でしょう。21世紀になっての気候変動や国際情勢を考えれば、誰にもそのことは分かるはずです。しかし、小手先の、付け焼刃的な、パフォーマンス的な不出来な「演出」と「演技失敗」が繰り返されています。性懲りもなく。

2011年3月11日に東日本大震災が起こりましたが、その前年の2010年1月に、宗教学者の島田裕巳さんが『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)という本を出し、それに対するアンサーブックとして、すぐさま同年4月に、Shinさんが『葬式は必要!』(双葉新書)という気合の籠った力作を出しましたね。しかしながら、島田さんのような葬式不要論が出てくる時代ですから、それをさらに敷衍した儀式不要論も出てくるでしょう、このご時世では。合理主義や効率主義の延長で、祭りも葬式もさまざまな儀式も「無駄なもの」と見做して、そんなものは要らないという人も出てきます。出てきていますよ、じっさいに。

が、Shinさんもわたしも、儀礼や儀式は思いをカタチにするために必要なプロセスであり様式であり大切な象徴作用であると考えているので、それは無駄であるどころか、人間文化と人間行動の根幹をなすエートス(倫理)とパトス(情念)の基盤であると認識しています。実際、上智大学の学生の入学式や卒業式、また上智大学グリーフケア研究所のグリーフケア人材養成講座への社会人受講生への開講式の様子を見たり、感想を聞いたりしていると、今もなお、節目節目の儀式がいかに大事であるか、各人各個の人生の節目や覚悟やふりかえりや思い出になっているか、痛感します。

だから、声を大にして、「祭りも葬式も必要!」と思っていますが、しかしその開催の「カタチ」をどうするかについては状況に応じた工夫も必要だと考えます。祇園祭りの山鉾巡行が例年と同じカタチではできないけれども、それを違うカタチで行なう方法はあり得ると思います。何のために、何を目的として、どのような意図や狙いを以てそれを行なうのか。儀式の意味や意義の再検討・再吟味をする時なのかもしれません。

Shinさんは最近何を見ても「グリーフケア」に見えるとのことですが、それは単なる思い込みや思い違いではなく、どんな映画や物語にも「グリーフケア」の「要素」があるのだと言えます。そのようなスペクトラムが物語要素として含まれているということではないでしょうか?

美学理論として、アリストテレスの「カタルシス」論はとても有名ですが、アリストテレスは『詩学』第6章(1449b27~28)で「悲劇」を「悲劇の機能は観客に憐憫と恐怖とを引き起こして,この種の感情のカタルシスを達成することにある」と規定していますね。この「カタルシス」機能は「グリーフケア」の機能でもあるとおもいます。カタルシスの語源は、古代ギリシャ語の“κάθαρ (kathar)”で、不浄を取り除く浄化儀礼の意味を持っています。つまり、お祓い効果があると考えられてきたわけです。身心霊を浄化するはたらきが「カタルシス」で、それは「排泄」の意味も持っていました。

排便や排尿ばかりでなく、落涙すること、すなわち涙を流すことも一つの排泄行為ですね。泣くことによる排泄浄化作用は確かに日々実感するところです。もちろん、あまりに悲しみが深いような場合、涙も出ない、泣くことさえできないという、一種の機能不全や機能停止状態が起こることもありますが、しかし、泣ける段階や状態を経て、次の状態や段階に進むことができるようになります。わたしは、アリストテレスが言う「悲劇」だけでなく、「喜劇」も「音楽」もみな「カタルシス」効果を持っているので、すべてが「グリーフケア」となり得るということだと考えます。笑いのカタルシス効果も絶大でしょう?

大笑いをしている時に涙が出ることがしばしばありますよね。泣き笑いと繋げて言うことがありますが、泣くことと笑うことは感情の爆発であり開放であり、心の排泄であるために、心の浄化につながるわけです。

このカタルシス機能は、日常の中にうまく取り込むことで、ストレスの解除にもなり、免疫力のアップにもなります。前号(192信)では久松真一の『茶道の哲学』を引きながら、お茶を飲む茶道の行為とその象徴機能を取り上げましたが、わたしの場合、比叡山登拝が最大のカタルシス効果のある行動になります。コロナ禍の1年で約100回ほどの比叡山登拝を続けたのですが、先般4月19日に700回を超えました。記念すべき700回目から最近の702回目までの「東山修験道」動画をご笑覧ください。森の妖怪君たちやタヌキやシカやお月さんといろいろと出逢って、身心霊の浄化をされていますよ。

東山修験道700:https://www.youtube.com/watch?v=MwQmsnzqGE8 (4月19日,5分46秒)

東山修験道701:https://www.youtube.com/watch?v=WAYhIE4tOPo(4月22日,5月51秒)

東山修験道702:https://www.youtube.com/watch?v=4qmkQcqWxaU(4月27日,5分36秒)

それでは、次の満月の日まで、くれぐれも御身お大事にお過ごしください。

4月28日 鎌田東二拝