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シンとトニーのムーンサルトレター 第005信

第5信

鎌田東二ことTonyさま

 いま、金沢のホテルでこの便りを書いています。こちらは大雪で、街中を歩くのにも一苦労です。金沢には当社の冠婚葬祭施設がかなりありますので、毎月訪れております。大好きな街ですが、最も愛する作家である泉鏡花が愛した東茶屋街が特に気に入っています。夜、浅野川のほとりを散歩していると、東茶屋街の灯りがぼんやりと闇の中に浮かび上がってきて、まるで鏡花が描いた物の怪たちが支配する異界のイメージそのものです。

 わたしの父は晩年を気候温暖な石垣島で暮らしたいといつも言っておりますが、わたしの晩年は寒くとも金沢を希望します。浅野川を望む場所で、鏡花の如く幻想小説を書いて余生を送るのが夢です。その鏡花ですが、あれほど怪異な小説を多く残したにもかかわらず、死を非常に怖れていたそうですね。親友の柳田國男に看取られたときも、最後まで死の恐怖に怯えていたといいます。死への恐怖が度外れて大きかったからこそ、あれだけの非日常的な幻想小説が書けたのでしょうか。彼は実際に幽霊や妖怪といった異界の存在を感じていたのかもしれません。興味深いなと、いつも思います。

 鏡花の作品には映画化されたものも多く、それぞれわたしの心に強い印象を残しています。『夜叉ケ池』の坂東玉三郎や『天守物語』の宮沢りえは、妖艶な異界の姫君を見事に演じていました。また、全篇が鏡花へのオマージュとなっている寺山修司の『草迷宮』も名作でした。しかし、何と言っても、わたしの最も愛読する鏡花作品は『高野聖』です。わたしは日頃から、さまざまなジャンルの本を乱読していますが、わが読書の原点は上田秋成の『雨月物語』や小泉八雲の『怪談』などです。『高野聖』もその系統に沿った古典的怪談であり、読み返すたびに「日本が一番怖い」ということを再確認させてくれます。ラブクラフトの「恐怖は人間の最も古い感情である」との言葉はその通りだと思いますが、その最古の感情は言語の問題と深く関わっているように思います。つまり、日本人は日本語で語られた怪談が一番怖いということです。わたしは海外の怪奇幻想小説、特に江戸川乱歩や平井呈一らの翻訳によるホラー・アンソロジーも好きなのですが、やはり日本語で書かれた恐怖にはかなわないように思います。

 『高野聖』が書かれたのは、1901年です。この作品は、単なる怪異談を超えて、人間と動物との関わり、人間と自然との関わりなど、さまざまな問題提起を含んでいるとわたしは思っているのですが、ちょうど20世紀の最初の年に書かれたのは実に象徴的です。『高野聖』の問題提起は、環境破壊やBSEの牛肉問題まで、現在における日本人、そして人類の問題につながっている気がしてなりません。ちなみに現代日本文学の旗手の一人とされている平野啓一郎さんの『一月物語』は、『高野聖』のリライトだと思います。

 『高野聖』といえば、深山幽谷に住む謎の女性が出てきますが、彼女にそっくりの実在の人物をわたしは知っています。築城則子さんという方です。小倉織という伝統文化を復活したことで知られる北九州在住の染織家で、わたしの高校、大学を通じての大先輩でもあります。わたしの住む北九州市には「文化の砂漠」などという不名誉な呼び名がついていますが、その砂漠に咲く大輪の花が築城先生です。最近もポーラ文化賞を受賞されましたが、北九州を代表する文化人として、いつも御指導をいただいています。わたしのホームページも、築城先生のサイト http://www.tsuikinoriko.com/ をデザインされた方を紹介していただき、製作することができました。

 築城先生は早稲田大学在学中に能の世界にふれ、その舞台衣装の美しさに強く惹きつけられたそうです。それが染織を始められるきっかけとなり、その後、郷里である小倉にかつて小倉織という伝統文化が存在していたことを知りました。小倉織は徳川家康も愛用していたとされます。司馬遼太郎の小説によく「小倉袴」という語が出てきますが、幕末維新の志士たちにも愛用されていました。さらには、かの夏目漱石の『坊っちゃん』冒頭には、主人公である坊っちゃんが小倉袴をはいて松山入りしたと書かれています。そういえば、鎌田先生は明日から松山入りされるのですよね。

 いずれにせよ、小倉織は一時それほどまで普及していたにもかかわらず、久しくその伝統が途絶えていました。それを復元したのが築城先生なのです。築城先生は、猪倉という八幡の深い山中に工房を構えられ、そこで毎日のように機を織っておられます。猪倉とはおそらく猪が実際に生息しているからついた地名でしょうが、失礼ながら『高野聖』の舞台そのままにまさに深山幽谷なのです。偶然でしょうが、すぐ近くに平野啓一郎氏の実家があります。そして、その山中の工房で機を織る築城先生の姿は完全に浮世離れしていまして、初めてその姿を見たとき、わたしは民話の「鶴の恩返し」を連想し、「この人の正体はツルなのでは?」と一瞬思ったほどでした。

 築城先生は、また大の月好きで知られています。満月を見ると、魂が疼き、じっとしていられないとのことで、自ら「月ノリコ」とか「狼の血族」などと名乗っておられます。完全に、われわれと同類ですね。鎌田先生とは絶対に意気投合されると確信しています。ぜひ一度、ご紹介したいです。この「ムーンサルトレター」も毎月、愛読下さっています。

 築城先生が月に魅せられるのは無理もないほど、猪倉の山上に浮かぶ満月は見事です。毎年、2月には猪倉の工房で月見会が開催され、「北九州のヤクザな文化人の会」という秘密結社のメンバーが参加します。実は、このわたしも秘密結社の構成員の一人ですので、今月14日のバレンタインデーの夜には猪倉で満月を愛でていることでしょう。周囲には電灯もなく真っ暗なので月は美しく見えるし、酒は美味だし、築城先生手作りの料理は絶品だし、今から本当に14日が楽しみです。また、酒や料理を容れる器が素晴らしい!

 築城先生は陶芸にも造詣が深く、最近は近藤高弘さんの作品がお好きだそうです。鎌田先生と近藤さんが福岡市博物館で開催される「伊勢の神宮展トークセッション」でご一緒されることが前回の「ムーンサルトレター」に紹介されていましたので、築城先生も来場されたがっていましたが、残念ながら今回は予定が合いませんでした。

 わたしも、トークセッションにぜひ参加したかったのですが、当日の1月21日の昼間は東京で所用があり、夜の打上げ会から参加させていただきました。その日、東京は大雪で飛行機が飛ばず、急遽、新幹線で博多入りしました。遅れて参加した打上げでは、近藤高弘さんをはじめ、漆芸家の並木恒延さん、ガラス作家の足立煉さんなどをご紹介いただき、まことに有り難うございました。九大の宗教学科出身というRKB毎日放送の山田本部長もユニークな方でしたね。ホリエモンが東大宗教学科の出身という話も意外でした。

 二次会は、シーホークホテルのカラオケルームに行きました。メンバーは、平成のオラビスト鎌田先生を筆頭に、近藤さん、並木さん、山田本部長、そして、天性の恥ずかしがり屋ゆえカラオケが大の苦手のわたしの5人でした。いやあ、面白かったですね。宗教哲学者も芸術家もテレビ局本部長も、みなさん、魂がスパークしましたね! 女性が一人もおらず、不惑をとうに過ぎた野郎5人でひたすら歌いまくる光景は異様というか、求道者のような神々しささえ感じましたね。

 その日の曲目を記録したのですが、鎌田先生は長渕剛の「しゃぼん玉」と布施明の「シクラメンのかほり」、近藤さんは尾崎豊の「I LOVE YOU」と来生たかおの「Good bye day」、並木さんは南こうせつの「夢一夜」と因幡晃の「別離」、山田さんは海援隊の「まっすぐの歌」と沢田研二の「時の過ぎゆくままに」でした。わたしは帰りの新幹線の時間があったので先に失礼せねばならず、二巡目までしかみなさんの歌が聴けずに残念でした。あの後も、まだ男4人で延々と歌われたのですか?

 それにしても、近藤さんにしろ、並木さんにしろ、芸術家というのは歌がメチャクチャ上手ですね。鎌田先生はプロだから当然ですし、山田さんの歌も巧拙を超越したパワーを感じましたが、それにしても芸術家のお二人は上手かった! 近藤さんは、あのイケメン・マスクであの甘い声だと、さぞ女性にモテるでしょうね。陶芸界のプリンスだし、天は二物も三物も与えるのですね。一次会で紹介された奥様も美しい方だったし、本当に羨ましいかぎりですな。それから、並木さんは南こうせつと顔面相似形というほど似ており、「夢一夜」はまるで本人が歌っているかと錯覚するくらいでした。歌い終わった後、わたしが「本当に、お上手ですね」と声をかけたら、突然、「自己満足だよ、芸術は!」と絶叫されたので、度肝を抜かれました。みなさんの熱唱に押され、わたしも清水の舞台から飛び降りる気でサザンオールスターズの「神の島遥か国」と「BOHBO No.5」を歌いました。忘れがたい一夜です。

 歌といえば、前回のレターの最後に「なんまいだー節」の歌詞に「心の闇を超えてゆく」というフレーズがあったと書きましたが、実は「この世の果てを旅をする」の間違いであったことが判明しました。謹んで訂正とお詫びを申し上げたいところですが、あの歌は何十回と聴いていますが、完全に「心の闇を超えてゆく」と思い込んでいました。というか、わたしの耳には確かにそう聴こえたのです。何なんでしょうね? 不思議です。

 本当は、昨今の世間を騒がせている「ライブドア事件」や「イスラム教偶像崇拝問題」などの話題にもふれたかったのですが、長くなるのでやめておきます。実は、昨日、『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』という本を脱稿したばかりで睡眠不足のため頭がボーッとしています。今月20日に発売される『知の巨人ドラッカーに学ぶ21世紀型企業経営』と併せて、今年に入って2冊の本を書き下ろしました。いま、放心状態です。

 また、鎌田先生とカラオケ行きたいです。それではトニーさん、ごきげんよう!

2006年 2月10日 一条真也拝

一条真也ことShinさまへ

 Shinさん、博多での熱い夜のことを想い出させてくれるレターをありがとうございます。書かれているとおり、「行」のような、実に集中したピュアーな時間でしたね。大いなる母なるいのちの海に向かって、そこから生まれ出た男の子供たちが精一杯の自分を奉納しているような。祈りにも似た歌唱の時間。まるでウィーン少年合唱団のような、ハカタ中年合唱団ではありました。

 近藤高弘さんの歌のうまさはピカイチですよ、ホント。彼が歌う尾崎豊の「I love you」は何回聞いても痺れますね。上手いだけでなく、入魂されてます。尾崎豊も本望でしょう。これだけ自分の歌のスピリットをきちんと表現してくれる「後継者」がいて。そして、南こうせつそっくりの並木恒延さん! あまりにも似すぎていて、時空ワープしているような変な気になり、トランスしちゃいました。その上、「芸術は爆発だ!」ならぬ、「芸術は自己満足だ!」発言! あそこまであけすけに言われると、かえって清々しい気持ちになるから不思議ですね。抜けてるよ、ナミキ・センセーは!

 さて、わたしは今、松山に向かう飛行機の中です。2月11日、建国記念の日とその翌日に、愛媛県で「地域文化演習」という京都造形芸術大学通信教育部のスクーリング授業を行なうのです。そのために、9時25分フライトのANAで今太平洋上を飛んでいます。

 Shinさんは、来る4月から北九州市立大学の非常勤講師を務められるということですが、わたしは大学院を修了して高校の教師を6年、専門学校の教員を4年、短期大学の教員を12年、そして今の芸術大学の教員を3年務めてきました。実に長いこと学校教育に関わってきました。その前の大学院時代の5年間の塾の教師時代を含めると、まる30年も教育という現場にかかわってきました。

 でも、高校時代、将来絶対になりたくなかったものが二つあって、それは、坊さんと教師でした。その理由は、説教臭いから。わたしは子供の頃から「説教」というものが大嫌いで、自由奔放を求めてきました。「説教」されるくらいなら、「家出」した方がずっとましだと思い続けてきました。そして、いつか「家出」することを考え続けてきました。

 今、わたしは埼玉県大宮というところに家がありますが、それは配偶者の実家で、わたしはマスオさんとして配偶者の両親とともに住むようになったのです。16年前に。それはしかしどこか、彼女の「巣」の中にたまたま仮寓・寄生しているだけ、という感じがします。

 小さい時、父親に「説教」されると、反抗して、絶対に言うことを聞かず、「山」の中の「巣」に逃げていきました。それは「家」とは違う、居場所でした。「家」のような団欒やあったかさはなかったけれど、また実に心細かったけれども、せつないほどの野生の敬虔な祈りと観察と集中がありました。たった独りの、私設修道院のような。あるいは、土中入定する行者の行場のような。あるいはまた、補陀洛渡海する渡海上人の乗る船の中の棺桶のような……。

 ともかく、そんなこんなで、何の因果か、一番なりたくなかった教員の仕事について、坊さんにこそならなかったけど、フリーランス神主として、頼まれれば地鎮祭や御祓いをすることもある神仏習合神主になりましたから、人生というものは実に神秘不可思議というか、いい加減とも、因果応報とも、無節操とも、面白いとも言えるでしょう。

 ところで、「地域文化演習」という授業は、文字通り、「地域文化」を体験的・フィールドワーク的に学び、身体的につかんでいくレッスンをする授業で、今年は、伊勢・山形・鎌倉・松山の4ヶ所で開催しました。もう一つのフィールドワーク型授業の「環境文化論」は、出羽三山、隠岐の島、沖縄・久高島の3ヶ所で実施しました。そのために、博多から大宮に帰ってすぐの1月26日からは沖縄に行っていたのですよ。そして、沖縄から帰ってすぐ天河大弁財天社にお参りしました。今年は2月2日から5日まで、「第10回天河護摩壇野焼き講」の10周年記念イベントがあったから、特に念入りにいろいろと仕込みました。その野焼き先達が、博多の夜、尾崎豊を熱唱したかの近藤高弘さんなのですよ。この10年余り、近藤さんとは家族ぐるみの付き合いです。

 沖縄では、映画監督の大重潤一郎さんに非常勤講師を、作家の宮内勝典さん、高嶺久枝さんとかなの会のみなさんに特別講師をお願いしました。拙著『霊性の文学誌』にも書きましたが、大重さんと宮内さんは高校時代、文芸部の先輩後輩で、ともに「深海魚」という同人誌を作っていました。盟友といっていい仲です。そしてわたしとは、二人ともに「東京自由大学」を一緒に立ち上げた設立発起人で、同志的存在です。その宮内さんがこの度、『焼身』(集英社)で読売文学賞を受賞しました。彼の苦労を知っているだけに、大重さんとともに心から喜び、祝福しました。宮内さん、本当におめでとうございます。これを機会に宮内さんの最高傑作『ぼくは始祖鳥になりたい』(集英社文庫)がもっともっと読まれ、評価されることを望みます。

 さて、松山での「地域文化演習」のことを少し書きます。今回のねらいは「四国遍路」という地域文化を体験的に理解しつかむことにあります。四国遍路において、阿波(徳島県)は「発心」の地、土佐(高知県)は「修行」の地、伊予(愛媛県)は「菩提」の地、讃岐(香川県)は「涅槃」の地とされてきました。弘法大師空海は讃岐の国・善通寺に生まれましたが、20歳前後に阿波の太龍寺や戸岬で虚空蔵求聞持法の修行をしたことが『聾鼓指帰(三教指帰)』に記されています。後に、辺境の道という意味の辺路(ないし辺土)という言葉で、四国の霊場巡礼を表すようになりました。

 わたしは、パリ・セーヌ生まれの阿波・徳島育ちですので、「発心(発菩提心)」の地で、幼少期から長いこと「心」を固めさせられたというわけです。ずいぶん「巣」の中で「心」を練りましたねえ。

 もう今は昨日のことになってしまいましたが、松山についてすぐバスで道後温泉駅まで行って、時宗の開祖で踊り念仏の創始者・一遍上人が誕生したというお寺・宝厳寺(ほうごんじ)にお参りし、法螺貝を奉奏しました。そして、22人の学生と51番札所石手寺の仁王門前で待ち合わせました。この仁王門は国宝に指定されていて、石手寺は愛媛県一の名刹です。

 ところが、お寺の中は曼陀羅・マントラ洞窟や五百羅漢堂が重要文化財の本堂や大師堂や三重塔に混じって実に混沌として配置されていて、まことにキッチュでチープな空間を作り出しているのでした。この空間デザインはいったい何なんだ! とあきれ返ってしまいましたが、理論的には胎蔵界曼陀羅と金剛界曼陀羅を持つ密教哲学に基づいているので、思想的な齟齬はないのですが、空間的齟齬はたいへんなものなのです。一度ぜひお参りして、体験してみてください。石手寺は山号を熊野山と言い、熊野十二所権現がお祀りされています。本尊は「おやくっさん」こと、薬師如来。

 わたしたちはこのキッチュな摩訶不思議空間を後にして、一路、一遍上人が厳しい修行をした秘境の45番札所・岩屋寺に向かいました。例年以上の雪に覆われ、胎蔵界峰・金剛界峰と名づけられた奇岩・巨岩の岩肌随所に穴が穿たれて、その穴に籠もって一遍上人たちは厳しい修行に明け暮れたのでした。面白いのは、山頂に白山権現が祀られていることです。この山の奥深さを味わえば、四国遍路がどれほどの海山両方の「辺路=奥の細道」の旅路であるかを身を以って知ることができるでしょう。

 参拝後市内に戻って、35年前の学生時代からの親友の経営するもつ鍋屋「てんじん」で愛媛大学教授の宗教学者黒木幹夫さんや同じく愛媛大学教授でスピリチュアル心理学者の中村雅彦さんをゲストに招いて交流会をしました。中村さんは『呪いの研究』(トランスビュー社)というディープな研究書の著者で、自身神主として呪術的な祈祷も実践している人です。もちろん、ブラックではありませんよ。

 と、このように、1月から2月にかけて、大変濃い日々を送らせていただいております。天河での4日間も、本当に濃かったです。柿坂神酒之祐宮司さんとももうかれこれ20年以上一緒にいろいろなことをしてきました。魂の同志のような想いがありますが、それは機会があれば次回に書くことができればと思います。

 そんな中、世間ではライブドア、東横インの事件・問題で大揺れに揺れています。ライブドア社長の堀江貴文氏が東京大学文学部宗教学科中退だということは、わたしも最近知ったことです。1月下旬に早稲田大学人間学部の学生が真剣な面持ちで、「ライブドア事件とオウム真理教事件とは共通するところがありませんか?」と聞きに来たのが忘れられません。この二つの事件にある補助線を引けば、深く大きく結びつくものがあると思います。この事件の首謀者の堀江貴文も麻原彰晃の二人ともに九州出身ですね。磐井の叛乱を思い浮かべてしまいます。堀江氏は確か年頭所感で「自分に今一番関心があることは世界平和と宇宙だ」と言っていたと記憶しますが、彼の中で宇宙と世界平和と宗教とはどう結びついているのでしょうか。訊いてみたい気持ちがします。

 わたしは20年近く前から、「現代大中世論」者でしたから、このような事件や乱が起こってくることは予想していましたし、ルドルフ・シュタイナーが「666」の3倍の年、すなわち「1998年」に「悪の力」が強大になるという予言をしていることを踏まえて、10年前の1996年に「天河護摩壇野焼き講」を立ち上げました。大中世的な「乱世」をどう生き抜くか、Shinさん、知恵と力を出し合いましょう! そして、楽しい世直し、面白き世の建て替え・建て直しをしていきたいものです。

 それでは、次の満月の夜まで、オルボワール、ごきげんよう!

2006年2月12日 鎌田東二拝