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シンとトニーのムーンサルトレター 第006信

第6信

鎌田東二ことTonyさま

 また、満月が近づいてきました。鎌田先生は、今度の満月をどこで眺められるのでしょうか。わたしは、本当はタイのバンコックに出張の予定があり、憧れの上座部仏教の国で月見と洒落込むつもりでしたが、このところタイの国情が不安定なため周囲の説得に従って出張を延期しました。まことに残念です。

 でも、わたしの心はウキウキし、顔は自然にほころんでいます。なぜかというと、かのスバルの発見者である東京大学名誉教授の天文学者、海野和三郎先生から嬉しいお便りをいただいたからです。そう、NPO法人東京自由大学学長の、あの海野先生です。以前、わたしの2冊の著書『ロマンティック・デス』『ハートフル・ソサエティ』をお送りしたところ、丁重な礼状を頂戴したのですが、今回、再びお手紙をいただきました。拙著を「面白く拝読いたしました」と書いていただき、たいへん感激いたしました。また、同封の「教育通信」というペーパーにも拙著および小生のことを紹介していただいています。

 そこには、『ロマンティック・デス』に出てくる月の影響力、特に潮汐力と月光について言及されており、「重力(潮汐力)に関しては、鎌田東二、玄侑宗久、一条真也の三者会談があったらしく、逆立ちは重力の束縛からの解放の一種であるという」と書かれております。三者会談とは、昨年のクリスマス・イブのことでしょうか。

でも、何が嬉しいって、敬愛する鎌田先生と玄侑先生と並んで名前を出していただいたことです。さらに続いて、「この三者はまた、宮沢賢治の世界を共有する人達で、それぞれ自分の著書に独自の宮沢賢治論を展開している。宮沢賢治を読む人にはこれらの著書が賢治への理解を深めてくれる。宮沢賢治は月の世界の人であるらしい」と書かれているのです。もちろん賢治は尊敬してやまない憧れの人物ですが、彼が月の世界の人で、かつ、わたしがその世界を共有しているということは・・・わたしも月の世界の住人だということじゃないですか!しかも、同居人が鎌田先生と玄侑先生ですよ。スバルを発見したスバルらしい(!)方から、こんな言葉の贈り物をいただいて、もう、スキップして踊り出したいくらいです。日常生活で少々嫌なことがあっても、この文章を読めば、たちどころに心が晴れてしまいます。ほんとうに海野先生には感謝の気持ちでいっぱいです。

 それから、最近の出来事といえば、3月1日に沖縄県浦添市に高齢者複合施設「サンレーグランドホール」をオープンいたしました。2004年2月に北九州市でオープンした「サンレーグランドホテル」に次いで、当社が手がける2カ所目の高齢者複合施設です。

 この施設展開の背景には「グランドシティ・プロジェクト」なる構想があります。これは、高齢者のための都市をつくるプロジェクトです。グランドシティとは、シティ・オブ・グランドマザーズ・アンド・グランドファーザーズという意味です。お年寄りが安心して暮らせて、学べて、遊べて、買い物できる街。また、理想的な介護が受けられ、病気の際は設備の整った病院に行けて、そして満足のいく余生を送り、「自己表現」や「自己実現」としての個性的な葬儀で旅立つことができる街のことです。

 世界一の高齢化国である日本に最も求められるのは「老い」に価値を置く「好老社会」の実現です。そして、日本が好老社会になるためには、日本一の超高齢化都市である北九州市が「好老都市」になる必要があると、わたしは考えています。東京でも大阪でもなく、北九州市こそが、まず先駆けとして「好老都市」になるべきだと思うのです。わたしは、好老都市のことを、高齢者が幸福になれる街という意味で、「老福都市」と呼んでいます。そして、国際的にアピールするために「グランドシティ」という言葉を使っているのです。

 現在、特区行政ということで、物流特区など数多くの特区が全国につくられていますが、わたしはぜひ北九州市に「高齢者福祉特区」をつくるべきだと思います。全国には一人暮らしの高齢者がなんと300万人以上もいます。その方々をはじめ、全国の孤独な高齢者が一種の「老人租界」としての特区で安心・安全に暮らしていただければと考えています。

 もともと北九州市は全国で最も医療施設や介護施設が充実していると言われますが、それらをさらに充実させて、逆に税金や医療費は安くします。買い物はもちろん、高齢者向けのカラオケボックスやスポーツクラブなどのレジャー施設やカルチャー施設も充実させる。つまり、徹底して高齢者にとって安心で楽しくて生きがいを持てる街をつくるのです。

 わたしが思うに、北九州ほど日本人の豊かさに貢献してきた土地はありません。かつては筑豊で大変な思いをして石炭を掘り、八幡では鉄を製造して、日本人を豊かにしてきた。今後は、グランドシティの実現によって、「老いの豊かさ」という新しい価値を全国に発信していけるのではないでしょうか。そういった意味で、世界初の高齢者複合施設「サンレーグランドホテル」は、グランドシティのモデル施設として位置づけています。

 さらに、北九州市と並んで、高齢者の移住がめざましい沖縄県にもグランドシティのモデル施設をオープンさせる必要を感じました。もともと生年祝いで高齢者を祝う風習が根づいており、儒教にもとづく敬老精神にあふれる沖縄県は、北九州とは違った「老いの豊かさ」を発信できると確信したからです。医療や介護を求める高齢者は北九州に、健康に不安がない高齢者は温暖でリゾート感覚あふれる沖縄に集まれば素晴らしいと思います。その考えのもと、このたび浦添市に高齢者複合施設をオープンさせた次第です。北九州と沖縄の二つのグランドシティから、全国いや全世界に向けて「人は老いるほど豊かになる」というメッセージをさまざまな形で発信していきたいと思います。

 また、「老い」のみではなく「死」のデザインを手がけたいです。特に、葬送のあり方を根本的に提案し直したいと思っています。日本の葬儀は、実にその9割以上を仏式葬儀によって占められていますが、最近になって仏式葬儀を旧態依然の形式ととらえ、もっと自由な発想で故人を送りたいという人々が増えています。今のところは従来の告別式が改革の対象になって、「お別れ会」などが定着しつつありますが、やがて通夜や葬儀式にも目が向けられ、故人の「自己表現」や「自己実現」が図られていくに違いありません。

 サンレーグランドホテルには「北九州紫雲閣」が、またサンレーグランドホールには「中央紫雲閣」が併設されていますが、そこであらゆるスタイルの葬儀を行なうことが可能となりました。従来の仏式葬儀はもちろん、本格的な神殿と教会も設け、神葬祭およびキリスト教式もできます。また、海洋葬、樹木葬、宇宙葬、月面葬、DNA葬などをお望みの方には、そのお世話をさせていただく。もちろん、音楽葬、ガーデン葬、その他もろもろのスタイルの葬儀もすべて可能です。わたしが提案している「月への送魂」もプランの一つとしてエントリーしています。どの葬儀が絶対に正しいということはありません。

 全国でも最大の葬祭会館である北九州紫雲閣、二番目に大きい中央紫雲閣はともに、葬儀の百貨店、葬儀の見本市のような場所をめざしています。葬祭会館の本質とは、死者の魂がそこから旅立つ、魂の駅であり、魂の港であり、魂の空港ではないでしょうか。そこで、あらゆる魂の交通機関の中心となる「ソウル・ターミナル」にしたいと思います。

 さらに両高齢者複合施設には、文化教室の「グランドカルチャーセンター」、懐かしい映画フィルムを上映する「グランドシアター」、医療から法律・税務まで高齢者のあらゆる相談に応じる「よろず相談所」、曼荼羅や十牛図など各種宗教美術を展示した「宗遊館」などを備えていますが、さらには高齢者と幼児の交流施設としての「幼老院」を開設したいと考えています。もう十数年前から暖めているプランです。それは、老人ホームあるいは養老院のような「老人施設」と幼稚園あるいは保育園のような「児童施設」を同じ施設内か同じ敷地内につくるものでした。老人と子どもは相互補完的な関係にあるとされますが、おじいちゃん子やおばあちゃん子が多いように、もともと老人と子どもは「セックス」や「労働」といった生産的行為から自由な遊戯的存在同士だから相性がよい。

老人と子どもがドッキングすれば、老人はボケを早める高齢者だけの集団生活よりも張りが出てくるし、生きがいも持つことができるでしょう。また子どもにしても、仕事や社交に忙しい父親や母親が教えてくれないさまざまな知識や人生の知恵を老人から学ぶことができるのではないかと訴えたわけです。

 鎌田先生の受け売りですが、沖縄には「ファーカンダ」という方言があります。親子や兄弟のように、「孫」と「祖父母」をセットでとらえる言葉です。「ファー」が葉で、「カンダ」が蔓。つまり、葉と蔓が一体である如く、連続した生命を表現しているわけですね。 現在さまざまな自治体で試みられているハードだけの幼老交流施設ではなく、何よりソフトが大切です。すなわち、高齢者が折り紙や、縄のない方、昔の遊戯、昔話、体験談などを、子どもたちに興味を持たせるような工夫と取り合わせで推進していくことが・・・。

老人の知恵と生きがいを役割と生きがいをうまく演出し、実現することによって、子どもたちに「人は老いるほど豊かになる」ということを体感させるのです。先生の言われるように、子どもと老人の波長の共鳴度を高めることによって、社会にハーモニーがもたらされます。わたしは、いつか必ず「幼老院」を実現したいと思っています。

 金沢にも鎌田先生をご案内したいですが、沖縄でもぜひ合流したいですね。一緒に、カチャーシーを踊りましょう!今度お会いするのは、京都ですね。近藤高弘さんのアトリエを訪問した後、三人で語り明かすことを心より楽しみにしております。それでは、また!

2006年3月12日 一条真也拝

一条真也ことShinさまへ

 今日は3月11日。満月までにはまだ少し日がありますが、このレターを新山口から東京に向かう新幹線の中で書き始めることにします。Shinさんにぜひお知らせしたいことがあるからです。

 実は、わたしは今しがた山口県萩の吉田松陰のお墓参りをしてきたところなのです。作夜遅く萩に着き、朝早く日の出を拝み、宿を出て、松陰神社、松下村塾、伊藤博文旧宅、吉田松陰誕生地、松陰墓所、久坂玄瑞・高杉晋作などの墓、東光寺などをお参りし、行く先々で法螺貝や石笛や横笛を奉奏し、最後に海辺に出、日本海に向かって法螺貝を吹いて、東萩駅からJR特急バスで新山口駅まで出て新幹線に飛び乗ったのです。その墓参りの余韻と残り香に浸りながら、この月のレターを書き始めることにします。

 吉田松陰に関心を抱いたのは、三島由紀夫の自決(1970年11月25日、憂国忌)以来です。わたしは三島由紀夫の小説は『金閣寺』以外、あまり好きではありませんが、彼の思想と行動にはかねて注目してきました。『文化防衛論』とか、「文化天皇論」をそのまま支持するわけではないけれども、彼が「生命より大事なもの、それは魂だ!」と檄文を撒き、ほとんど誰にも理解されないまま死んでいったその姿に言葉にならない衝撃を受け、その衝撃がいまだにわたしの深いところで疼いているのです。

 三島由紀夫は、『豊饒の海』第4巻「天人五衰」を完結させた後、自衛隊市谷駐屯地に乱入し、決起を促し、それが不可能だとわかるや、総監室に入って、切腹し、介錯により首を刎ねられて自決しました。それが11月25日だったのは、29歳の吉田松陰が東京都小伝馬町で刑死された日と時を合わせたからだという話を事件後まもなく聞きました。実際には、吉田松陰が江戸幕府により処刑されたのが安政6年(1859)10月27日(旧暦)ですが、それを新暦にすると11月25日らしいというのです。

 そのことを聞いた時、わたしの中で、吉田松陰の姿が三島由紀夫の後ろに大きく浮かび上がってきました。以来、わたしは吉田松陰に強い関心を抱き続けながらも、さほど深く彼の思想と行動を調べてみることもないまま今日まで来てしまいました。

 しかし3年前から、どうしても一度は萩の吉田松陰の墓にお参りしなければいけないと思うようになりました。3年前の4月に、わたしは前任校の武蔵丘短期大学から現在勤務している京都造形芸術大学に転任しました。京都造形芸術大学の徳山詳直理事長とは1998年6月に初めて会ったのですが、その経緯はともかく、「京都文芸復興」と「芸術立国」という理念を掲げて、京都造形芸術大学と東北芸術工科大学を立ち上げた徳山理事長がもっとも尊敬する人物が吉田松陰で、毎年何回も吉田松陰の墓参りを欠かさないということを何度も聞かされ、いよいよこれは本腰を入れて松陰の墓参りに行かなければと思うようになったのです。

 京都造形芸術大学設立の蔭にも吉田松陰がいるのです。特に彼の『留魂録』は、共産主義の洗礼を受けて学生運動をし、逮捕されて獄中にあった若き時代の徳山詳直氏の「魂」を根底のところから揺さぶり、彼の生涯を転換させたといいます。そして京都造形芸術学が東京に進出し、東京サテライトキャンパスを作った時、わざわざ吉田松陰が処刑された小伝馬町の処刑場から歩いて10分のところにあるビルを借りて、京都造形芸術大学と東北芸術工科大学の合同キャンパスを設けたほどです。それほど徳山詳直理事長は吉田松陰に傾倒し、敬愛してきたのです。

「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」

「吾は今国の為に死す、
 死して君親に負(そむ)かず。
 悠々たり、天地の事、
 鑑照、明神に在り」

 安政6年10月27日(旧暦)、吉田松陰は、この時世の句(短歌)と詩(漢詩)を吟じ、残して、従容と死につきます。そして親孝行の彼は、「親思ふ心にまさる親心 今日のおとづれ何ときくらん」と両親に宛てた遺言の中に短歌を記しています。松陰の書簡を読んだ「親心」はいかばかりだったでしょうか? Shinさんも二児の親、わたしも一児の親ですので、これから大きな仕事ができるはずと将来を期待していた子供に先立たれることの言葉にならぬほどの痛恨の悲しみが理解できます。

 わたしは、「神仏分離」や「神社合祀」政策を推し進めた「明治維新」をけっして手放しで讃美するものではありません。むしろ、薩長同盟などの独占的体制に批判的です。しかしそれでも、幕末維新期に思想的激震を与えた吉田松陰の思想と行動については、正面から受け止め、取り組まねばならないと思ってきました。平田篤胤を研究してきたわたしにはそれは必然です。

 しかし、吉田松陰の思想と行動については、何れまたおいおいと書くていくことにします。実は、わたしが山口県に来たのは、五木寛之さんの「百寺巡礼」に関わって行なわれている「論楽会」という講演+トーク・セッション+コンサートの催しに、ゲスト・スピーカーとして参加することになっていたからです。シンガーの沢知恵さんのミニ・コンサートもありました。その催しは、3月10日の金曜日の午後、山口駅前の「ほるぶ」のホールに行なわれ、とても楽しく、エキサイティングに終ったのですが、その後、山口に住む知人の案内で、国宝である瑠璃光寺の五重塔や八坂神社や野田神社などを参拝し、山口の町並みを見て回った後、毛利藩の本拠地だった萩に来たのです。

 毛利家は戦国大名として中国地方8カ国を所領とする121万石の大大名でしたが、毛利輝元が関が原の合戦で西軍(豊臣軍)の総大将に就いたため、周防と長門の2カ国36万石に減封された上、萩という、日本海に面した荒涼たる地にしか城と町を築くことを許されず、恨みを持ってこの地に移り住んだとのことです。その毛利藩の「怨念」の凄まじさが勤皇倒幕=明治維新を生み出す原動力だったことを今回痛いほど感じました。スゴイですね、この「オンネン」は!

 なんと、毛利の殿様は毎年正月に、家臣たちの前で、「今年はどうじゃ?」と聞いたそうです。それは、「今年こそは徳川体制を倒すことができるだろうか?」という問いかけだったとのことです。毎年、それを言っていたのですよ、270年もの間、クーデターへの志を持ち続けたとは! すごいよ、これは!

 と、ここまで書いた段階で、バッテリーが切れてしまったので、後を埼玉県大宮の自宅に戻って続けます。

 さて、問題は毛利藩の反徳川の意志の深さとその執念です。昔、酒鬼薔薇聖斗の書いた犯行声明文に「積年の怨念」という言葉があったと記憶しますが、まさしく「積年の怨念」が日本史を書き換えさせて「明治維新」を達成させたのです。

 しかも、驚くべきは、吉田松陰が営んだ「松下村塾」の小ささとその活動期間の短さです。松陰神社の境内に松下村塾の建物が保存されていましたが、萩の有名な藩校である明倫館に較べて、それは何という小ささでしょう。この貧しい私塾で学んだわずか70人ほどの塾生の中の10人ほどが明治維新の中核となるのですから。「教育」というものの底力を考えさせられます。

 その松下村塾の教育が、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、品川弥二郎、山県有朋、そして國學院大學や日本大学の設立者となった山田顕義など、錚々たる人材が輩出したのです。それも、わずか1年半あまりの、松陰がペリーの黒船に密航しようと企図して失敗して自宅に幽閉された後、短い期間許しが出た間の活動でした。安政3年(1856)から同5年まで、松陰、26歳から28歳までの1年半ほど間なのですよ。

 教育というのは、あるいは感化というのは、けっして地位とか施設とか期間の長さとかではない、ということが松下村塾の例ではっきりします。たとえ施設がみすぼらしく、小さくとも、また活動期間が短くとも、そこで「入魂」された「魂」の火は燃え続け、また「入植」された「種」はおのずと育ち、次なる活動と展開を生み出す創造力を持つということなのです。宮沢賢治が作った「羅須地人協会」もそうでしたね。活動期間は短く、施設も貧しく、しかし志は太く大きく、夢にあふれ・・・・・・。

 でも、これって、わたしたちがやっている「NPO法人東京自由大学」の現実の姿じゃないか、って思えましたね。東京自由大学は、自慢ではありませんが、施設はチョー貧しく、活動期間も1999年から7年(よく続いているよ、ホント)、しかし、海野和三郎学長やわたしたちは、昔の「比叡山」と「高野山」を一緒にしたような新しい「スピリチュアル・デザイン」の次元を切り開いていく実験の場と、意気軒昂たる思いをもって活動を続けています。このNPO法人東京自由大学の小ささは、松下村塾にも、羅須地人協会にも負けません。そして、そこに「入魂」された「魂」の熱さと志の大きさも。

 わたしはつい最近、東京自由大学のニューズレターに折り挟む提言集に「魂の玉手箱」と題した次のような文章を寄せました。

≪人はみな心の深いところに、魂の玉手箱を持っている。

 その玉手箱の存在を、
 どこかでうすうすとは気づいているけれど、
 多くの人がその中を開けてそこに何が入っているか見てみようとはしない。

 そこには、探せば、
 ダイヤモンドやルビーや紫水晶やトルマリンや翡翠など、
 いろいろな美しい宝石もいくらか入っているけれど、
 なんてことはない素朴そのものの原石もいっぱい混じっている。

 要は、玉石混交。

 だから、その原石を取り出して、慈しみ、育み、磨き、愛でなければ、
 石はその石自身の力強い輝きを発揮できない。

 どんな原石も、光となる性質を持っている。
 どんな原石も、輝きの虹彩を秘めている。

 NPO法人東京自由大学の提唱する「スピリチュアル・デザイン」とは、
 そんな魂の玉手箱の原石を、
 みずから見つけ、
 取り出し、
 愛情を注いで磨き上げ、
 また仲間とともに研き合い、
 切磋琢磨しながら、
 大いなる玉手箱マンダラに作り変えること。

 その時、
 それぞれの魂の玉手箱は、
 それ自身で満ち、
 他者と響き合い、
 輝き合う、
 一つであってすべてである
 本当の「魂手箱曼荼羅」
 となる。≫

 こんな思いを以って活動しているわたしたちに、吉田松陰や宮沢賢治は大きな励ましと道しるべを与え続けてくれます。吉田松陰の中核には孟子儒学と敬神愛国の念があり、宮沢賢治の中核には大乗法華信仰と銀河系農民芸術のヴィジョンがあり、東京自由大学の中核には宇宙論とスピリチュアル・デザインへの意志があります。

 一条さん(佐久間さん)の中核にも「礼経一致」や「老福論」や「好老社会」のヴィジョンがあり、「ソウル・ターミナル」建設に向かう世直しの意志があります。もちろん、わたしたちの「意志」はそうたやすく、やすやすとは実現しませんが、また時代の困難の中で艱難辛苦を嘗めながら練磨されますが、しかしその種と火は燃え続け、広がり、育ち続けると確信しています。わたしは昔から「スピリチュアル・デザイン」世直し確信犯です。

 2月末に、松山に行きました。ここも美しい10万石の城下町でした。ここから正岡子規や高浜虚子や河東碧悟堂らの近代俳句の創始者が出たことの意味と因縁の深さをひしと感じました。中世には踊り念仏を創始した時宗の開祖一遍上人も出ています。風土と文化が次なる新しい創造の地平を切り開く土壌となるのだと松山で強く感じましたが、山口や萩に来て、その念はいっそう強くなりました。時代を切り開く新しい運動というのは、やはり因縁因果というのか、それだけの条件の下で、さまざまなつながりに芯を入れる創造の力がはたらく時、生み出されるのですね。その創造の芯を、吉田松陰も、宮沢賢治も入魂したのです。もちろん、一遍も、空海も、最澄も、役行者も。

 NPO法人東京自由大学学長の天文学者の海野和三郎先生(東京大学名誉教授でもあります)は、凄い、素晴らしい学者であり、預言者です。そのような得難い「宇宙人」との出会いの中で、わたしはわたしの「スピリチュアル・デザイン革命」を実現していきたいと思います。3月19日、京都でお会いできるのを楽しみにしています。その日は、近藤高弘さんのアトリエで心行くまで語り合いましょう!

 ところで、Shinさんは、今、新著『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』と『孔子とドラッカー〜ハートフル・マネジメント』の2冊の本の著者校正を終えられたところとか。わたしも新著『霊的人間——霊性の文学誌2』(作品社)の再校を終えたところです。二人とも内容は違っても、それぞれの「スピリチュアル・デザイン」論だという点では一致していますね。新刊、楽しみにお待ちしています。ではまた! チャオ!

2006年3月12日 鎌田東二拝