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シンとトニーのムーンサルトレター 第004信

第4信

鎌田東二ことTonyさま

 新年あけまして、おめでとうございます。今年も、どうぞよろしくお願いいたします。
 鎌田先生は、暮れからずっと風邪で寝込んでおられるとのことですが、大丈夫ですか?
正月も風邪のまま迎えられたわけですね。わたしは、例年通り、九州最北端にある門司・青浜の皇産霊神社にて初日の出を拝みました。見事な旭日で、まことに気分爽快でした。

 さて、前回のレターは昨年12月14日にお出ししましたが、その2日後の16日に韓国から北九州市のわがサンレー本社を訪問する視察団がやってきました。大田保健大学と昌原専門大学の「葬礼指導科」の教授10名を含む、僧侶、学生ら52名の視察団です。
 わたしも知らなかったのですが、韓国には七つの大学と専門大学で葬礼指導科が設けられ、葬儀文化や歴史などを教えているそうです(さすが、儒教の国!)。教授陣の顔ぶれは、哲学と宗教学の混成軍といった感じでした。

 現在、韓国の葬儀環境は激変しています。土葬が一般的ですが、近年は土地不足などで火葬が増えており、両大学を中心に「火葬先進国」である日本の視察が企画されたようです。また韓国では、昨年くらいから葬祭会館が建設されはじめ、今後、爆発的に増えることが予想されています。現在、日本には3000を越える葬祭会館が存在しますが、その第1号は当社の「小倉紫雲閣」だとされております。この小倉紫雲閣および日本最大の葬祭会館である北九州紫雲閣、そして世界初の複合高齢者施設であるサンレーグランドホテルといった冠婚葬祭イノベーション施設の視察も目的のようでした。

 当社のことはネットで知ったそうですが、教授陣のリーダー的存在である昌原専門大の李徳辰先生が、わたしの著書(拙著『リゾートの思想』および『ハートビジネス宣言』の2冊がハングルに翻訳されています)を読んでおられたようです。わたし宛てに李先生から視察依頼のお手紙が届きました。思いもかけぬことに大変おどろきながらも、日韓両国の交流にもなることであり、快諾のお返事を出して、今回の訪問が実現したわけです。
 わたしは歓迎のレセプションで、次のようなスピーチをしました。

 北九州市は日本でもっとも韓国に近い都市です。わたしは少年時代、海をながめるのが大好きな子どもでした。少年にとって、海の向こうはいつだって憧れの国であり一種の理想郷ですが、それが韓国だったわけです。そのせいか、わたしはキムチ、ナムル、ビビンバ、チジミ、サンゲタンといった韓国料理が大好物ですし、韓国焼酎の真露などは一人で軽く1本空けてしまいます。テレビドラマや映画においても、現在の日本は大変な韓流ブーム・・・そして、「日本人から一番愛されているのはヨン様で、一番憎まれているのは将軍様です」とキム・ジョンイルを揶揄したところ、韓国の人々に馬鹿受けすると思いきや、みなさん一斉に複雑な顔をされたので、慌てました。南北に分かれているとはいえ、やはり同じ民族という意識があるのでしょうか。

 その後、「しかし、日本は韓流ドラマなど及びもつかない素晴らしい贈り物を二つも朝鮮半島からいただいています」と前置きし、「それは、仏教と儒教です。この日本人の心の二本柱ともいうべき両宗教は、中国から朝鮮半島をわたって、日本に入ってきました。そして、もともと日本にあった神道と共生して、三者は互いに影響し合い、また混ざり合いながら、日本人の豊かな精神文化をつくってきました。その果実が冠婚葬祭です」と述べました。古今東西の人物のうち、わたしは孔子をもっともリスペクトしており、何より大切にしているのは「礼」の精神であり、当社は「礼経一致」を追求していると言ったときは、感嘆の声があがりました。

 レセプション・パーティーの後、わたしは90分ほどの講演をしました。さまざまな話をしましたが、「あらゆる人類の営みのなかで、葬儀はもっとも価値あるものである」と何度も繰り返しました。親しい者、愛する者が死に、この世から消えてゆくことは世界の一部が欠けることである。その欠損部分を回復する行為が葬儀であり、葬儀をせずにそのまま日常生活を送っていたとしたら、人類はおそらく発狂して、とうの昔に滅亡していただろう。何を隠そう、人類を発狂と滅亡から救ってきたものこそ葬儀なのだ。わたしは約10万年前に、ネアンデルタール人が死者に花を手向けた瞬間から「サル」が「ヒト」になったとさえ思っている。人類はホモ・フューネラル(弔うヒト)であり、葬儀は人類のレーゾン・デトール(存在理由)なのだ。ぜひ、葬儀という営みに携わることに対して自信と誇りを持っていただきたい・・・以上のような持論をまくしたてました。

 実は、その前日に某新聞社の幹部から葬儀に対する侮蔑的な発言を受け、わたしは大いに憤慨していたのです。いまだ死がタブーであるがゆえに、葬儀という仕事に対する偏見も残っています。ふだんから少しでも葬祭業の社会的地位を上げたいと願っているわたしの想いは、講演後の感想にふれたところ、韓国の方々にも伝わったようです。今度は春頃に韓国に招待するので、各大学で特別講義をしてほしいと言われました。

 また当日は、国家資格である「1級葬祭ディレクター」の取得者数の日本一を当社が達成した祝賀会も重なり、わたしにとっては忘れえぬ一日となりました。ドラッカー理論を導入し、ひたすら「知識化」に努めてきましたが、一応の区切りがついた気がします。典型的な労働集約型産業とされていた冠婚葬祭業を、医師や弁護士や公認会計士などのような知識集約型産業に転換させるのが当社のビジョンでした。さらには、「思いやり」「感謝」「感動」「癒し」が凝縮された精神集約型産業を目指していく所存です。

 そして、何より嬉しかったのが、「月面聖塔」「月への送魂」といったムーン・ハートピア・プロジェクトに対して、韓国の人たちが共鳴してくれたことでした。葬儀を通じて、「人類平等」「世界平和」に少しでもつながる道を拓いてゆきたいと強く思いました。そして、この韓国葬儀視察団の一行に自作の短歌を贈りました。次のような歌です。
「日の本に 礼を伝えし韓国(からくに)の 礼の人来て カムサハムニダ」

 この日の様子は、「読売新聞」をはじめとした新聞各紙でも報道されましたが、後日、韓国からも新聞が送られてきました。なんと、1・2面に視察団の当社への訪問が大きく紹介されていて、おどろきました。どうも「日本の冠婚葬祭会社が韓国進出か?」などとも書かれていたようですが、韓国をはじめとしたアジア諸国への進出は大いに可能性のあることだと思います。当社はもともと国際品質であるISO9002を冠婚葬祭業としては世界で初めて取得したことから、海外からの問い合わせや進出の打診は珍しくありませんでした。葬祭会館というビジネスモデルは日本を超えた普遍性を持つものだと捉えていますし、何より商売を超えて、韓国や台湾や中国、さらにはインドと縁を得て、いつの日かかの地に出て行くことは、わたしにとって孔子や釈迦への恩返しに他なりません。あるいは文化の逆流という点からも、月に墓標をつくるのと同じく壮大なロマンなのです。

 もう一つ、忘れえぬ日が12月24日でした。クリスマス・イブのこの日、わたしは鎌田先生が理事長をつとめられる「NPO法人東京自由大学」で行なわれた玄侑宗久さんの講演会を訪れたのです。講演は実に刺激的な内容でした。わたしは玄侑さんの著書はすべて読んでいますが、以前から思っていた通り、ニューサイエンスの影響を強く感じました。ウサギの親子のテレパシーの話はライアル・ワトソンを連想しますし、「すべては波動であり、出来事である」というお話はフリッチョフ・カプラの『タオ自然学』を思い出しました。そして、「すべては虹である」という玄侑さんの最後の言葉が心に残りました。

玄侑さんは、拙著『ロマンティック・デス』の幻冬舎文庫版の解説を書いていただいた方です。国書刊行会から出ているオリジナル版は鎌田先生に捧げたものであり、『ロマンティック・デス』をめぐって両先生との御縁をいただいたわけです。敬愛する両巨頭とイブの夜を過ごせて、感慨深いものがありました。わたしの書斎と社長室のデスクの上には、鎌田先生と玄侑さんとわたしのスリーショット写真が飾られています。エディターの内海準二さんが撮ってくれたものですが、両巨頭の間に挟まれて、わたしがニッコリ笑っています。「神の道」を求めておられる鎌田先生、「仏の道」を歩まれる玄侑師、そして、わたしはやはり孔子の末裔として「礼の道」を進み行きたい。まことに不遜ながら、お二人とともに日本人の死生観にレボリューションを呼び起こして、いつの日か2005年12月24日が「あの三人が参集していた聖夜」と、後世の人々に語り継がれてみたい。そのためにも一層の精進を重ねる覚悟です。


左から、鎌田東二、一条真也、玄侑宗久氏

 ちょうど24日の18時に、わたしのホームページ(Heartful Moon 一条真也オフィシャルサイト:http://www.ichijyo-shinya.com)が開通したのですが、その瞬間、わたしは東京自由大学にいました。そしてこの夜、『神道&仏教&儒教』という本を書く決心をしました。韓国の方々にも申し上げたように、日本では神道、仏教、儒教がハイブリッドに結びついています。これは、よく外国人から言われるように「宗教的にいいかげん」などと卑下する必要はまったくありません。逆に、その「宗教的に良い加減」で「宗教的に大らか」なところが日本人の長所だと確信します。

 東京自由大学の熱気にも圧倒されました。講演後の質疑応答では、葬儀についての質問が集中かつ白熱し、みなさんの関心の深さにおどろきました。最後に、鎌田先生による「ふんどし族ロック」と「なんまいだー節」のミニ・ライブは最高でしたよ。本当に、カッコよかったなあ!

 名曲「なんまいだー節」の歌詞にもあるように、心の闇を越えて行くべく、ふんどしの紐を締め直したいです。今年も、よろしく御指導下さい。お身体、お大事に!

2006年 1月12日 一条真也拝

一条真也ことShinさまへ

 一条さん、お見舞いありがとうございます。年末年始に風邪をこじらせてしまい、この間ほとんど寝ていました。1昨年8月の骨折の時以来、よく寝た感じです。実は、12月20日から22日まで3日間、天理大学大学院臨床人間学研究科で非常勤講師として、「現代社会と宗教」について集中講義をしたのですが、その初日から風邪にかかり、喉が唾も飲み込めないほど痛くなり、話をするのも大変苦痛な状態になりました。

 その前夜、京都で、京都大学総合人間学部2回生の甥(弟の長男)に晩御飯をご馳走していろいろと近況など語り合っている時から寒気がしておかしかったのです。甥とは2、3ヶ月に一度会って、晩御飯を一緒に食べながら、近況や社会状況や学問のことなどを話し合います。彼は自然科学系を志望していますが、子供の頃からちょくちょく会って話をしてきていますから、だんだんとしっかりしてきて成長していくのが楽しみなのです。その夜はてっちりの鍋をつつきながら寿司を食べ、栄養を十分摂ったのですがねえ……。京都からJRで奈良に向かう途中からいよいよ寒気が増して、ついに4年ぶりに風邪を引いてしまいました。

 そんなこんなで、正月元旦は、零時過ぎに地元の櫛引氷川神社(祭神:須佐之男命・櫛稲田姫命)を参拝し、例年のように断食をした他は、ただただ静かに寝ていました。年賀状を2年続けて1枚も書きませんでした。昨年の正月はスマトラ沖の地震と津波で多数の死者が出て、どうしても「あけましておめでとう」ということができず、今年は心身ともに喉が痛く、言葉を発することができませんでした。そんなわけで、結果的に、実に静かな正月となりました。

 ところで、昨年末の12月18日(日)に世田谷パブリックシアターで、麿赤兒さんの演出・出演の「AMA−ZONE」を観ました。麿さんの舞台を見るのは4度目ですが、何時見ても迫力がありますね。特に今回の作品は力にみなぎっていて、麿さんの底力を強烈に感じました。「凄い人だなあ、麿さんは!」と改めて感服しました。神話・伝説・現代思想・現代風俗批評などが渾然一体となって、緊張感とグルーヴ感のある舞台が創出されていました。ここ数年いろいろな舞台を観ていますが、最近観た中でも傑作だと思いましたね。

 麿さんはわたしたちがやっている「新妖怪談義研究会」(東京財団主催)の御神体でもあります。大駱駝艦のホームページ(http://www.dairakudakan.com/rakudaindex.html)には麿さんのプロフィールが次のように掲載されています。<1964年、舞踏家、土方巽に師事をしながら唐十郎とともに劇団状況劇場を設立。60年代は唐の「特権的肉体論」を具現する役者として、その怪物的演技術により、演劇界に多大な影響を及ぼす。’72年大駱駝艦(だいらくだかん)を旗揚げし、 舞踏に大仕掛けを用いた圧倒的スペクタクル性の強い手法を導入。 天賦典式(てんぷてんしき)と名付けたその手法は日本はもちろんフランス ・ アビニヨンフェスティバル、アメリカン ・ ダンスフェスティバル参加 (’82)により海外で大きな話題となり “BUTOH”の名が世界のダンスシーンを席巻する。 ダンサー、役者、演出家としてあらゆるジャンルを越境し、舞台芸術の分野で先駆的な地位を確立している>。また、さらに詳しくは、<1943年生まれ。奈良県出身。早稲田大学中退。「ぶどうの会」(山本安英主宰)を経て、64年より舞踏家土方巽に師事、その間唐十郎との運命的出会いにより状況劇場設立に参加。唐の「特権的肉体論」を具現化する役者として、60〜70年代の演劇界に大きな変革の嵐を起こし、多大な影響を及ぼす。72年に舞踏集団「大駱駝艦」を旗揚げし、舞踏に大仕掛けを用いた圧倒的スペクタクル性の強い様式を導入。”天賦典式”(意:この世に生まれ入ったことこそ大いなる才能とす)と名付けたその様式は日本はもとより、1982年のフランス・アメリカ公演で大きな話題となり、「Butoh」の名が世界を席巻する。麿赤兒の考え方である「一人一派」を実践し、数多くの舞踏集団・舞踏手を輩出。また、舞踏家としてのみならず俳優・演出家としてあらゆる分野を越境する。2006年5月18日〜21日前進座(吉祥寺)にて「魂戯れ」公演決定。>

 麿さんには、2006年5月27日(土)のNPO法人東京自由大学の「アートシーン21」の講座でお話していただくことになってもいます。「AMA−ZONE」などのスライドショーも交えて。また、2月末か3月には妖怪研のシンポジウムを行なう予定で、そこでも麿御神体には登場してほしいと思っています。彼の踊りには独特のユーモアと勇壮と底抜けのパワーがあります。まさに「妖怪X」ですわ! ぜひご都合がつきましたら、Shinさんもまた東京自由大学に来てください。

 わたしは、この1月7・8・9日と奈良に行きました。飛鳥にある県立万葉文化会館内の財団法人万葉古代学研究所の共同研究員になっていて、「万葉集と葬送儀礼」という共同研究をしているのです。本年度最後の研究会があったので、雪の中、奈良に出向き、研究会が終って、東大寺、春日大社、大神神社を参拝して帰りました。8日の夜には若草山の野焼きも見ましたよ。東大寺二月堂の学僧平岡昇修師(上院住職)にもお会いして挨拶をしてきました。平岡さんにはいろいろとこれまでお世話になっているのです。東大寺の修二会がまもなく始まりますが、東大寺って本当に面白いお寺です。大仏様の正面で法螺貝を奉奏してきました。

 わたしは15年ほど前に、奈良県桜井市の大神神社で1ヶ月間、神社実習を行いました。それは、神職の資格を取る時に義務付けられている実習です。なぜ大神神社で神務実習をさせてもらったかというと、わたしは大神神社が好きで、日本の神社の原像だと思っているからです。そしてこの大神神社の祭神は大物主神さまですが、御神体は三輪山となります。神体山信仰のプロトタイプなのですよ、大神神社と三輪山は。

 興味深いことに、麿赤兒さんはこの三輪山の麓の生まれで、確か、日本浪漫派の思想家保田與重郎と同じ畝傍中学(現在の畝傍高校)の出身でしたね。また、大学は、一条さんと同じ早稲田大学出身ですね。中退ですが……。早稲田大学では伝統的に、中退組みが一番「エライ」とか言いますが、聞いたことありますか。わたしも早稲田大学の法学部と政経学部でこの20年近く非常勤講師をしてきたので、早稲田の空気をいくらか知っていますが、中には飛び切り変な学生がいて、おもろい大学ですね、WASEDAは。活力がありますよ。そこからあの「妖怪X」師が”中退”して出てきたのもわかるような気がします。

 ところで、今月1月21日・22日と博多に参ります。福岡市博物館で1月5日から2月19日まで開催されている、「伊勢の神宮展」(福岡市早良区百道浜3丁目1-1 URL:http://museum.city.fukuoka.jp/)のトークセッションにチェアマンとして参加します。展示案内には、「三重県伊勢市に鎮座する伊勢神宮。遙か古代から連綿と続く20年に一度の式年遷宮。庶民の楽しみでもあった『お伊勢まいり』。様々な観点から悠久の歴史と文化を紹介。 神宝や、天皇・将軍などからの奉納品、また伊勢参宮の盛行を物語る資料により、伊勢信仰の様々な局面を紹介します」とあります。図録を見ましたが、豊富な資料が満載されていました。主催は福岡市博物館とRKB毎日放送と(社)霞会館。

 そのトークセッションは1月21日(土)・22日(日)両日ともに午後1時30分から開催されます。会場は福岡市博物館の講堂で、入場無料(先着順)。Chairman:鎌田東二(宗教哲学・民俗学)、Panelists:近藤高弘(陶芸)、並木恒延(漆芸)・足立煉(ガラス)の4人で、いろいろとスライドを交えながら話を進める予定です。時間がありましたら、ぜひお越しください。その際、近藤高弘さんをぜひご紹介したいと思います。近藤さんもカラオケは大の得意で、歌は大変上手です。ぜひ一緒にまたカラオケに行きましょう。そして博多の夜を歌で覆い尽くしましょう!

 最後になりましたが、12月24日、NPO法人東京自由大学でのクリスマスの夜の玄侑宗久さんの「アートシーン21」の講座、面白かったですね。テーマが「逆立ちと仏教と文学」という三題噺でしたし。玄侑さんもこのテーマには困ったようですが、仏教と逆立ちは深い関係にあるとわたしは直観して、玄侑さんにお話をお願いしたのです。玄侑さんの言葉を使えば、「逆立ちも仏教もともに”重力からの解放”を目指す!」というわけですから。「色即是空」とは、まさに逆立ちの論理でと言えるでしょう。逆立ちして「脚下照顧」する。わたしたちが重力場という「業=カルマ」の中で生きていることを正しく自己認識すること。それが仏教の基本。とすれば、仏教とは本質的に「逆立ち哲学・逆立ち宗教」と言えるのでは?

 一条さんが指摘されるように、玄侑さんには「ニューサイエンスの影響」があるかもしれませんが、彼の場合、もっと本質的に、仏教が持つ”科学性”や”哲学性”の可能性を探っているように思います。そこはとても共感するところです。かねてよりのわたしの持論は「仏教は世界宗教の審神者(さにわ)である!」というものですから。それは徹底した認識と反省の道なのです、正見即正定の道とは。

 それでは、21日の夜、博多でふたたびお会いしましょう! オルボワール!

2006年1月12日 鎌田東二ことTony Paris