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シンとトニーのムーンサルトレター 第003信

第3信

鎌田東二ことTonyさま

 昨夜、長崎県にある「ハウステンボス」のイルミネーションを楽しんでいましたが、ふと上空を見上げると月が満ちてきていました。雲がかかっていてほのかに青白く、地上を彩る青色発光ダイオードの輝きにも負けない幻想的な美しさでしたが、その美を堪能するとともに、「そろそろ満月だ。トニーさんに便りを出さなければ」と思いました。本当に、天然のカレンダーというのはどこにいても見れるから便利ですね。私たちの祖先が太陰暦を使用していたのも当然だという気がします。

 クリスマスのメッカといわれる「ハウステンボス」や「東京ディズニーリゾート」に限らず、日本中どこもかしこも街はクリスマスのイルミネーションに溢れて、きれいですね。12月25日のクリスマスこそは、イエスの誕生日として年間最大のイベントであり、多くの家族や仲間や恋人同士がこの日を祝います。

 でも、この日はイエスの本当の誕生日ではないことを思えば、ちょっと複雑な気持ちになります。紀元後3世紀までのキリスト教徒は、12月25日をクリスマスとして祝ってはいませんでした。同じ頃、まだキリスト教を受け入れていなかったローマ帝国では12月25日は太陽崇拝の特別な祝日とされていました。当時、太陽を崇拝するミトラス教が盛んで、その主祭日が「冬至」に当たる12月25日に祝われていたのです。異教の太陽崇拝とキリスト崇拝とを結びつけ、12月25日をクリスマスと定めた人物こそ、ローマ皇帝コンスタンティヌスでした。313年、ミラノ勅令を発布して、キリスト教を国教化した彼は、帝国を平和に統治するために対立していた二つの宗教を意識的に結びつけたとされています。

 以前から救世主たるキリストとは「義の太陽」であり、人間界の「新しい太陽」であるという見方が民衆の間にあったため、太陽崇拝との合体は無理なく行なわれたようです。太陽崇拝に好意を抱いていたコンスタンティヌスは、キリスト教の「主の日」を「太陽の日」として、帝国の週ごとの休日としました。SUNDAY(日曜日)の誕生です。

 そして、真冬のクリスマスとは死者の祭りであったことを忘れてはなりません。冬至の時期、太陽はもっとも力を弱め、人の世界から遠くに去っていきます。世界はすべてのバランスを失っていきます。そのとき、生者と死者の力関係のバランスの崩壊を利用して、生者の世界には、おびただしい死者の霊が出現するのです。

 生者はそこで、訪れた死者の霊を、心を込めてもてなし、贈り物を与えて、彼らが喜んで立ち去るようにしてあげます。そうすると世界中には、失われたバランスが回復され、太陽は再び力を取り戻して、春が到来し、凍てついた大地の下にあった生命がいっせいによみがえりを果たす季節がまた到来してくることになるのですね。

 そして、死者の霊の代理人を生者の世界でつとめたのが子どもたちであり、この子どもたちに贈り物を渡す役目は、老人が果たさなければなりませんでした。言うまでもなく、子どもと老人はともに霊界に近い存在だからです。

 まさに鎌田先生の翁童論そのものですが、こうして遠い北の国から、体じゅうに死者の霊をまとった、子どもたちにやさしい老人というイメージが生まれてきます。そして、彼はただぶっきらぼうに「ペール・ノエル(クリスマスおじさん)と呼ばれるよりも、子どもたちの守護聖人である聖ニコラウスの名前を冠した「サンタクロース」という呼び名の方がふさわしいのですね。

 クリスマスの正体とは、死者をもてなす祭りです。クリスマス・イヴの晩餐とは、もともと死者に捧げられた食事であり、この食卓では招待客が死者で、子どもたちは天使の役目を果たしています。天使たち自身も、死者であることを忘れてはなりません。また、子どもたちが死者の代理人として大人の家庭を訪ね歩く習慣がありましたが、これはアメリカのハロウィーンに受け継がれています。

 日本のお盆はもちろん、年神という祖霊を迎える正月も死者の祭りであることを思えば、これらの祭りはすべて、死者の世界と生者の世界のあいだのバランスを取り、魂のエコロジーを循環させる機能を果たしているのですね。いま、エリアーデの大著『世界宗教史』を通読中なのですが、そこで次から次に登場する古代の秘儀とか密議とかさまざまな宗教儀礼に関する記述を読むと、人類は本当に儀礼中毒というか儀礼なしには生きられない生物なのだなと実感します。しかし、それもすべては世界のバランスを取るためなのですね。

 さて、私には娘が二人いるのですが、二人ともカトリック教育を受けています。娘たちからよく、キリスト教に関する質問を受けたりします。また冠婚葬祭という仕事柄もあり、キリスト教についてはよく考える機会があるのですが、わが国では、布教自体は成功したとは言えませんが、教育界におけるミッション・スクール、そして結婚式のチャペル人気は大変なものです。最近流行のハウスウェディング施設をはじめ、日本人はキリスト教会でしか結婚をしなくなった観さえあります。当然、神社での神前式の数は減少する一方です。しかし、それにともなって、日本人の離婚件数がものすごい勢いで増加し続けています。今では年間30万組近くが離婚するようになっており、この数字は実に20年前の約2倍であり、半数のカップルが別れる離婚大国アメリカに猛烈な勢いで迫っています。

 この事態を大いに憂慮した私は、一昨年末に『結魂論』を上梓し、結婚の霊的意味を説くとともに、離婚しないためにはパートナーへの思いやりが大切であると力説しました。
 そして、昨年2月には北九州市に古代ローマ式結婚式場「ヴィラ・ルーチェ」をオープンする運びとなったのです。ローマ帝国、特に初代皇帝アウグストゥスの時代は彼の法律政策もあって、人類史上もっとも離婚の少ない時代であったと言われています。

 さらに、この12月8日には古代ローマ式場の庭園内に古代ギリシャ神殿「パンテオン」をオープンいたしました。オリュンポス12神の等身大の大理石像が立ち並ぶ中、門司にある戸上神社の宮司さんに神事を執り行なっていただきました。ギリシャの神々を日本の神々がお迎えする光景は感動的で、多くの新聞やテレビでも報道され、私もインタビューの中で現代社会における多神教の重要性をアピールしました。

 私はつねづね、「結婚とは最高の平和である」と口にしていますが、それを司るのは一神教の唯一神ではなく、多神教の人間臭い神々の方がふさわしいと思っています。また、あの9・11同時多発テロの原因は複雑で、さまざまな要因が絡まっていますが、ユダヤ・キリスト教とイスラム教の対立という大きな側面があることは間違いありません。この三つの宗教はその源を一つとしながらも異なる形で発展しましたが、いずれも他の宗教を認めない一神教です。宗教的寛容性というものがないから対立し、戦争になってしまう。

 一方、ギリシャ・ローマ神話の世界、そして八百万の神々をいただく日本の神道は多神教です。多神教の良さは何といっても、他の宗教を認め、共存していけるところにあります。この寛容性こそ、人間界最高の平和である結婚生活に不可欠なものだと確信します。

 ギリシャ神殿の上方には皇産霊大神をまつる神社である「太陽の神殿」もあり、いずれ東西両神殿を階段などの「聖なる導線」でつなげる予定です。これによって『ギリシャ神話』と『古事記』の世界が通じていることを視覚的に示し、広く世界平和を訴えていきたいと思います。この言わば「多神教プロジェクト」の願いは、二つ。すなわち、「日本における離婚の減少」と「世界における戦争の根絶」なのです。

 多神教といえば、鎌田先生の新刊『神様たちと暮らす本』をご贈呈いただき、まことにありがとうございました。一気に読了しました。大変シンプルでキュートな本ですね。このような読みやすい本によって、世の人々に神道そして多神教の素晴らしさが伝わっていけば素敵だと心の底から思います。また、「魂の平安京」という言葉が私のハートにヒットしました。当社は以前、平安閣という結婚式場を全国で展開しておりましたので、よく「心の平安閣」を造るなどと表現していましたが、今では結婚式場の名称も変更しましたので、今後は世界平和を実現するために「魂の平安京」を造りたいと思います。

 その他、12月2日には北九州市立大学の経済学部で特別講義を行ないました。ドラッカー理論をどのように当社の経営に活かしたかを中心に「人間尊重の経営」について90分喋りまくりました。300名を超す学生さんを前にして自分の考えをまとめて語ったことは良い経験になりました。また機会があったら、ぜひ大学で語ってみたいです。鎌田先生の後輩で、同大学で中世神道史を教えておられる佐藤眞人助教授とも初対面を果たしました。これから親交を深めていきたいと存じます。ご紹介、ありがとうございました。

 また、六本木ヒルズの森ミュージアムで開催された「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」、東京ドームでの「サザンオールスターズ・コンサート」、鎌田先生おすすめの映画「奇談」、究極の冠婚葬祭映画である「エリザベスタウン」など、最近心に残るイベントをたくさん体験しましたので、ぜひそのお話もしたかったのですが、長くなりますので、やめておきます。詳しくは、12月24日のクリスマス・イヴに開催される東京自由大学の玄侑宗久さんの講演会でお会いしたときに、直接お話いたします。

 窓の外を見ると雪が降っていますし、世間ではインフルエンザが猛威を奮っています。くれぐれもご自愛下さい。それでは、クリスマス・イヴに東京でお会いしましょう!

2005年 12月14日 一条真也拝

一条真也ことShinさまへ

 一条さん、北九州市立大学での渾身の特別講義、聴いてみたかったです。わたしは経済学者ドラッガーのことは何一つ知りませんが、一条さんがみずから「ドラッガー・チルドレン」を公言し、『ネクスト・ソサエティ』のアンサー・ブックとして『ハートフル・ソサエティ』(三五館)を書いたことの重みを充分に感じています。一条さんにとってかけがえのない人なのですね。「人間尊重の経営」には共感できそうですが、わたしは21世紀に世直しを伴う「生命尊重の経営」と「友愛経済学」が実現しなければ、人類は滅びの道をまっしぐらに突き進むのではないかと懸念しています。

 昨日、東銀座の東劇試写室で、川本喜八郎監督の人形劇映画『死者の書』の試写を見ました。2006年2月11日から神田の岩波ホールでロードショーされます。今年の3月に出した拙著『霊性の文学誌』(作品社)の中で、折口信夫の『死者の書』のことを取り上げましたが、折口の原作は日本文学史のベスト・スリーに入る傑作小説だとわたしは思っています。本当に凄い小説です、『死者の書』は。なんとも名状しがたい、折口でしか表現できない魂の世界を表現していて、凄みと極みを感じます。ここに表現された魂呼び・タマフリ・ワザヲギの世界には実に不可思議なリアリティがあります。

 声優には、宮沢りえ、江守徹など芸達者が固めていますが、とりわけ、當麻の語り部の媼の役の黒柳徹子が秀逸でした。川本喜八郎監督のこの映画は、とにかく映像が美しく、ここまで人形で表現できるのかと思うような部分が何度かあり、特に藤原南家の郎女が神隠しになって深夜当麻寺に向かうシーンの美しさと神秘は筆舌に尽しがたいものがありました。大津の皇子(滋賀津彦)の霊的目覚めを呼び覚ます「したしたした……」という有名な冒頭の場面もしっかり表現されていました。東京に出てくる機会がありましたら、ぜひ岩波ホールで観てみてください。

 さてわたしは、11月29日から12月3日まで、ベトナムにいっておりました。「民族文化の未来〜日越マンガ・アニメ交流シンポジウム〜」というシンポジウムに参加したのです。主催は東京財団とベトナム社会主義共和国文化情報省、後援は在ベトナム日本国大使館、協力キムドン社で、日本側団長は東映アニメーション株式会社代表取締役会長の泊懋氏、日本側発表者は、泊氏のほかに、日本動画協会理事長で手塚プロダクション社長の松谷孝征氏、マンガ編集者でノンフィクションライターの中野晴行氏、音楽家でマンガ収集家でもあるタケカワユキヒデ氏、そしてわたしの5人。ベトナム側は、作家のグエン・ゴック氏、キムドン社顧問のグエン・タィン・ヴー氏、民間文化研究所所長・教授のゴ・ドゥック・ティン氏、アニメ製作所所長のダン・スアン・タオ氏でした(ハノイシンポのみ)。

 文化情報省副大臣のレー・ティン・トー氏、在ベトナム日本国特命全権大使の服部則夫氏の挨拶の後、東京財団情報交流部長の野崎祐司氏の司会で進行しました。全体は4部に別れて、朝の8時半から最後の記者会見を夕方6時近くまでかかって消化しました。流れは以下のとおりです。

第1部 『マンガ・アニメの文化・歴史・思想的背景の考察』
「マンガ文化交流を通したベトナムと日本の相互理解の促進」グエン・ゴック
「日本アニメはマンガを母体にして世界に広まった表現とアイデア」松谷孝征

第2部『マンガ産業論』
「ベトナムにおける日本マンガのブームとその課題」グエン・タィン・ヴー
「日本におけるマンガとアニメの市場規模」中野晴行

第3部『神話から創造力へ』
「ベトナム神話とマンガ・アニメの関係」ゴ・ドゥック・ティン
「妖怪大戦争プロモーションフィルム上映」
「現代に生きる日本神話」鎌田東二

第4部『世界に受け止められるマンガ・アニメとその世界』
「マンガ・アニメによる日越交流と未来」ダン・スアン・タオ
「日本のアニメ発信:傑作集、東映アニメーション・ラインナップ上映」
「日越をつなぐアニメのこころ」泊懋

 どれも興味深い内容で、実に勉強になりました。特に、ベトナムで1992年に起こった「ドラえもんブーム」は携わった直接の当事者から聞いたのでリアリティがありました。1992年12月11日に『ドラえもん』がベトナムで初めて出版され、各巻1巻につき、1週間で1万部を売る驚異的な売れ行きを示し、3ヶ月で各巻20万部、そして3年弱で、合計100巻2000万部という爆発的な人気を博したのでした。これはまさしく、子供たちによる「ドラえもん革命」だったと言えます。

 この大ブレークは何が原因だったのでしょうか。ベトナムのジャーナリズムも児童文学者もこぞって分析し、新聞・雑誌で喧々諤々の議論をたたかわせました。日本のマンガという形式がベトナムの子供たちにとっては初めて読むものだったこと、『ドラえもん』の登場人物の面白さと親しみやすさ、そして何よりも夢があること。ベトナムの1980年代生まれと、1990年代生まれの若者は、出版元のキムドン社顧問のグエン・タン・ヴー氏の表現に拠れば、「ドラえもんと寝食を共にし、共に笑い、共に泣いて成長した」というのです。まさにベトナムでは、ドラえもんはアイドルであり、”子供たちの神様”だったのです。宮崎駿監督の『となりのトトロ』のトトロが”子供たちの神様”であったように。

 ともかく、この事実にわたしは驚き、大変面白さを感じました。社会主義の国でも資本主義の国でも、子供たちの希求と感覚には共通のものがあるのだと思うだけで、楽しく微笑まずにはいられませんでした。これは他の東南アジアの国々でも同様だったようです。おそらく欧米でも同じでしょう。

 日本のアニメやキャラクターは世界中で人気を博していますが、東映アニメーションの泊会長の話では、日本の製造業の自動車産業部門の総売上高が20兆円、コンテンツ産業の総売上高が12兆円、その中でアニメやキャラクター関係の総売上高は2兆円だそうです。別の資料では、キャラクター関連の総売上高は30兆円とも聞きました。その算出方法がどういうものか知りませんが、凄い額ですね、これは。トヨタや日産やホンダを全部合わせた売り上げよりも多い額に達するというのですから。

 東映アニメーションの泊会長は、日本のアニメの強さを分析して、(1)マンガを原作に持っていること、(2)キャラクターやストーリー作りに精力を集中し、面白さを引き出すことに成功したこと、(3)テレビとマンガ出版社、アニメ製作会社3者のメディア・ミックスの協力体制があったことを挙げました。そして、日本のアニメ作品の根底に流れる文化と思想として、「万物に神を見る心、歌舞伎・能・浮世絵など日本古来の文化、多元的な価値観を認め合う考え方」があると指摘されたことにも、わたしは驚きました。最大手のアニメ会社の会長さんがアニメの淵源に「アニミズム」や「汎神論」があると言ったのですから。つくづく、「おもろい時代になったんやなあ!」と感嘆しました。

「ドラゴンボール」や「セーラームーン」や「デジモン」を作った会社のトップやサルタヒコの登場する手塚治虫の「火の鳥」や「鉄腕アトム」を作った手塚プロのトップの中に混じって、宗教学や民俗学を研究してきたわたしが、『奇談』や星野之宣さんの『ヤマタイカ』や『宗像教授伝奇考』やサルタヒコおひらき祭りのことなどを交えて「現代に生きる日本神話」という問題を話したのですから。ベトナムの”ドラえもん革命”と共に。

 なんか、深いところから活力と笑いが込み上げてくるような、底知れぬエネルギーに満たされたような感じがしました、ベトナムで。うーん、すごかった。

 この話はどこか、一条さんの念願の”多神教神殿”の完成とも通じるものがあると思います。アニミズムの底力とでもいうものが確かにあって、間歇泉のように、時を越えて汲めども尽きぬ源泉として噴き上げてくるのだな、という思いとでもいうか。いのちの源泉に素手で触れていくような、無垢なる始源のエネルギーに賦活されたような。小栗判官が聖地・熊野の温泉で復活を遂げたような……。譬えがだんだん飛躍していきそうですが、ともかくすごいちからとよろこびを感じました。

 そんなこんなで、このところ、目まぐるしく忙しかったのですが、おもろかったです。いろいろと。それから、わたしが監修した本『すぐわかる日本の神々』(東京美術)が出来上がりました。これは冠婚葬祭業の一条さんには絶対参考になると思いますので、ぜひ読んでいただければと思います。それでは次の満月は来年、2006年(平成18年)の1月になりますね。よい年になりますように。よろこびと活力に満ちた社会に向かってめげずに世直ししていきましょう! ごきげんよう。

2005年12月15日 鎌田東二拝