NHK文化センター京都での季節限定単発講座「京都 五山の送り火」2022年8月7日を開催します。

シンとトニーのムーンサルトレター 第127信

第127信

鎌田東二ことTonyさんへ

Tonyさん、メリークリスマス! 慌ただしい師走の中、いかがお過ごしですか? わたしは相変わらず、バタバタしております。前回のレターは11月26日の日付でお送りしました。そこで大重潤一郎監督、岡野恵美子さん、横尾龍彦先生という東京自由大学にとって大切なお三方が亡くなられたことに触れ、心より御冥福をお祈りいたしました。その後、30日には東京自由大学の顧問を務められていた方がお亡くなりになられました。『ゲゲゲの鬼太郎』や『悪魔くん』で知られる漫画家の水木しげる先生です。

わたしは少し前に、『戦争と読書 水木しげる出征前手記』水木しげる・荒俣宏著(角川新書)を読みましたが、「この本は水木しげるの遺書だ!」と思いました。この本は、水木先生が徴兵される直前、人生の一大事に臨んで綴った「覚悟の表明」たる手記です。そこから浮かびあがったのは、これまで見たことがない懊悩する水木先生の姿でした。水木先生が哲学書を読み耽る多感な青年であったことを知り、わたしは感銘を受けました。

同書の第11章「水木手記をどう読むか」では、水木先生が手記の中で書いている「死ぬ覚悟」という言葉を取り上げて、荒俣氏が以下のように述べています。

「死ぬ覚悟! これはまことに本質を衝いた言葉です。『三太郎の日記』も、そのメッセージの要約は、武良茂がふと口走ったこの一句に尽きます。戦時下の青年の多くが真摯に求めた『自分が死ぬ意味』の答えも、おそらくこの一句にありました。死ぬ覚悟とは、つまり——なまけものになりなさい——という後年の警句に吸収されるのではないでしょうか。なまけものでいてはならない時期に、あえてなまける。ここに水木しげる的な哲学が結晶したのかもしれません」

「哲学とは死の学び」と述べたのは、ソクラテスであり、プラトンです。同書を読めば、20歳の水木青年が早熟な哲学青年であったことがよくわかります。読みながら、わたしは神風特攻隊で若い命を散らせた兵士たちに「哲学の徒」や「文学の徒」が多かったことを思い出しました。それにしても、片腕を失いながらも、日本に帰還できたからこそ、わたしたちは素晴らしい妖怪漫画の数々を読むことができました。

その幸運に感謝するとともに、水木先生が描き続けた「妖怪」とは平和のシンボルにほかならないことを改めて痛感しました。異界のようすをレポートした人として、水木先生は、上田秋成、平田篤胤、小泉八雲、柳田國男、泉鏡花らと並ぶ偉人でした。まったく惜しい方を亡くしましたが、あの世の住人たちは大喜びしているかもしれません。偉大なる妖怪王・水木しげる先生の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。  さて、わたしは『死が怖くなくなる映画』という本を書いていることもあり、日々さまざまな映画を努めて鑑賞することにしています。今年も多くの映画を観ました。ここ最近も、「岸辺の旅」、「ポプラの秋」、「パパの遺した物語」、「ヒトラー暗殺、13分の誤算」、「ミケランジェロ・プロジェクト」、「リトル・プリンス 星の王子さまと私」、「エベレスト3D」、「ハッピーエンドの選び方」、「海難1890」などを観ましたが、おそらくは今年最後となる劇場での映画鑑賞は今月12日(土)に公開された日本映画「母と暮せば」でした。

この映画、戦後70年という「死者を想う」一年の締めくくりにふさわしい名作でした。観る前から「絶対に泣く」とわかっていたわたしは、タオルハンカチを持参しましたが、映画館を出る頃にはビショビショになっていました。原爆で壊滅的な被害を受けた長崎を舞台に、亡くなった息子が幽霊となって舞い戻る姿を描いた人間ドラマです。母親を日本を代表する名女優の吉永小百合が演じ、息子を嵐の二宮和也が好演しています。

1948年8月9日、長崎で助産師をしている伸子(吉永小百合)の前に、3年前に原爆で失ったはずの息子の浩二(二宮和也)が突然姿を見せました。母は呆然としながらも、すでに死んでいる息子との再会を喜びます。

「母と暮せば]」は、いわゆる幽霊映画です。しかし、その「幽霊」とは恐怖の対象ではありません。あくまでも、それは愛慕の対象としての幽霊です。生者にとって優しく、愛しく、なつかしい幽霊、いわば「優霊」です。欧米の怪奇小説には「ジェントル・ゴースト」というコンセプトがありますが、これを怪談研究家の東雅夫氏が「優霊」という訳語を考えたのです。東氏によれば、ジェントル・ゴーストとは生者に祟ったり、むやみに脅かしたりする怨霊の類とは異なり、絶ちがたい未練や執着のあまり現世に留まっている心優しい幽霊といった意味合いの言葉だそうです。

この英米で流行したジェントル・ゴースト・ストーリーは、日本にも見られる文芸ジャンルです。古くは『雨月物語』の「浅茅が宿」から、近くは山田太一の『異人たちとの夏』、赤川次郎の『ふたり』、浅田次郎の『鉄道員』『あやし うらめし あな かなし』『降霊会の夜』、さらには荻原浩の『押入れのちよ』、なども典型的なジェントル・ゴースト・ストーリーですね。

これまで多くのジェントル・ゴースト・ストーリーが映画化されてきました。ハリウッドでは「オールウェイズ」、「ゴースト〜ニューヨークの幻」、「奇跡の輝き」、「ラブリー・ボーン」などが代表です。日本でも、「異人たちとの夏」「ふたり」「あした」といった一連の大林宣彦作品、「鉄道員」、「黄泉がえり」、「いま、会いにゆきます」、「ツナグ」、さらには「ステキな金縛り」、「トワイライト ささらさや」、「想いのこし」、「岸辺の旅」などで紹介した映画などがあります。そこには、「幽霊でもいいから、今は亡き愛する人に会いたい!」という生者の切実な想いがあります。わたしは、映画というメディアはもともと「死者との再会」という古来からの人類の願いを疑似体験させるものだと考えています。

「母と暮せば」も亡き息子の幽霊が母のもとに出現するという典型的なジェントル・ゴースト・ストーリーなのですが、そのエンディングはこれまでの作品とは明らかに違っていました。これまでの作品については、「母と暮せば」の映画パンフレットの特別寄稿を書いている小説家の綿矢りさ氏が次のように述べています。

「物語に現れる死者の霊は、エンディング近くになると、優しく生者を突き放すのが定番だ。死んだ直後はあまりにも突然で、事実を受け入れられなかったが、お別れをちゃんと言いたかったから現れた、あなたと再び話せた今は悔いはない。私は一人で逝く、あなたはまだ早い、と微笑みを浮かべて、天国へ導かれていく。残された者は涙するが、死者が発したメッセージを大事に受け取って、また前を向いて生きる決心を固める」

しかし、「母と暮らせば」のエンディングには、「ああ、こういう終わり方があるのか」ということを気づかせてくれる素敵なラストが用意されていました。まるで、アンデルセンの童話の『マッチ売りの少女』のようなハートフルなラストでしたが、その背景にはアンデルセン童話に通じるキリスト教の宗教観を感じました。ちなみに、母の伸子も息子の浩二もクリスチャンでした。

詳しく書くとネタバレになってしまいますが、「母と暮せば」のラストには、いわゆる「お迎え現象」が描かれています。東京大学大学院医学系研究科・医学部救急医学分野教授にして東京大学医学部附属病院救急部・集中治療部部長である矢作直樹氏はわたしとの対談本である『命には続きがある』(PHP研究所)で、次のように語っています。

「『お迎え現象』というのがあります。これは、亡くなる前の人が、死に臨み、先に逝った両親や祖父母などの身内や友人の姿を目撃する現象です。周囲の人間には見えません。『お迎え現象』についてすこしだけ説明させてください。東北大学医学部臨床教授、医療法人爽秋会理事長だった岡部健氏、在宅緩和医療の第一人者の方で、医療スタッフや研究者の協力のもとで、10年以上、患者さんの家族にアンケート調査を行なってきたそうです。残念なから2012年9月に亡くなられました。岡部教授の調査によれば、42%の方が何らかのお迎え現象を体験し、体験者の52%がすでに亡くなった家族や知人を見たり、感じたといいます。中には、光や仏といった存在との遭遇も報告されています」

「母と暮せば」のラストでは、母は亡き息子に連れられて天国へと旅立ちますが、この映画そのものが最初から最後まで「お迎え現象」を描いた作品という見方もできます。
「母と暮せば」では、やはり葬儀について考えさせられました。愛する息子である浩二は原爆によって焼き殺されたため、伸子のもとには遺体はおろか遺骨も遺灰も届きませんでした。伸子は浩二の「死んだ証拠が欲しい!」と強く思います。わたしは、その悲しいシーンを観ながら、4年9ヵ月前の「東日本大震災」の津波の犠牲者のことを連想しました。

東日本大震災では、これまでの災害にはなかった光景が見られました。それは、遺体が発見されたとき、遺族が一同に「ありがとうございました」と感謝の言葉を述べ、何度も深々と礼をしたことです。従来の遺体発見時においては、遺族はただ泣き崩れることがほとんどでした。しかし、この東日本大震災は、遺体を見つけてもらうことがどんなに有難いことかを遺族が思い知った天災であったように思います。しかし、よく考えてみれば、広島や長崎での原爆の犠牲者の遺体の多くも発見されなかったのです。そして、遺族は遺体のないまま死別の悲しみに堪えなければなりませんでした。遺体をきちんと安置して葬儀があげられるというのは、とても幸せなことなのです。また、ラストの教会での葬儀のシーンも良かったです。死は不幸な出来事ではなく、天国に帰るだけだというキリスト教の「帰天」のイメージが見事に描かれていました。ある意味、ハッピーエンドでした。

ラスト近くで伸子と浩二が映画の話をする場面が出てきます。ともに映画好きの親子の会話を楽しんだ後で、浩二は「アメリカちゅう国はおかしな国やねぇ。あんな素晴らしい映画も作れば、原爆も作る・・・」と言いますが、この言葉はアメリカのみならず、文明社会そのものへの警鐘でもありました。戦後70年を記念して出版した『唯葬論』(三五館)や『永遠葬』(現代書林)にも書きましたが、死者を忘れて生者の幸福など絶対にありえません。「母と暮せば」を観終わって、わたしは「死はけっして不幸な出来事ではない」、そして「死者を忘れてはならない」というわが信条を再確認することができました。戦後70年となる大きな節目の年の師走にこの映画を観ることができて、本当に良かったです。

ということで、Tonyさん、今年も大変お世話になりました。今年は『満月交遊 ムーンサルトレター』上下巻(水曜社)を上梓することができ、思い出に残る年となりました。来年もどうぞ、よろしくお願いいたします。それでは、次の満月まで、オルボワール!

2015年12月25日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

レター、ありがとうございます。本年、最後のレター交換となります。今年は二人で『満月交遊』(水曜社)という今どきありえないような上下巻本として出版できました。ご尽力、まことにありがとうございました。フロイトとユング、柳田國男と南方熊楠とのレターのやり取りに匹敵するボリュームとコンテンツです。引けを取らないどころか、彼らは会って一緒に活動してしばらくして絶縁していますが、わたしたちは出会って以来25年、そしてムーンサルトレターを交歓し始めた10年が過ぎましたので、大変長寿カップル(?)でありパートナーです。何といっても、「魂の義兄弟」ですから、その「霊縁」は切ろうとして切れるものではありません。

さて、Shinさんのレターの中での「優霊」論、面白いですね。「怨霊」日本文化論で一世を風靡したのが哲学者の梅原猛さんでしたが、「怨霊」や「恐霊」や「怖霊」が一般的なイメージの中、「ジェントル・ゴースト・ストーリー」(優霊譚)が生まれてくるのは、いかにも現代的だと思いました。

「優霊譚」でわたしが好きなのは、リー・チーガイ監督・金城武主演の『世界の涯てに』(原題:『天涯海角/LOST AND FOUND』1996年、111分、香港映画)です。といっても、「優霊」になるのは、ラストシーンだけなので、「優霊」としての登場場面はわずかですが・・・。

あらすじを紹介すると、ネタバレで申し訳ないのですが、あまりに好きな映画なので、紹介させてください。主人公は、香港のブルジョワ娘ケリーと、天涯孤独の探偵(何でも屋)を職業としている青年チュンの二人です。その二人の出会いと結婚と死に至るラブストーリーがこの『世界の涯てに』です。

その出だしのシーンから、実に、実に泣けてくるんだよな〜、なぜか。わたしは海のシーンに弱いのです。香港の海から港に入っていく海船シーン。そこに、渋いレナード・コーエンの“Dance me to the End of Love”がかぶってきます。これだけで、イカン、イカン・・・

何不自由のない裕福な家庭に育ったケリーは、白血病だったか(実によくあるパターンですね?)に冒されていて、不安を抱えています。ある日、彼女はイギリスに帰ってしまう船員でコックのテッドという男を捜してくれるよう、何でも屋の金城武=チュンに捜索の依頼をします。ケリーはテッドの言ったイギリスの不思議な島の習俗のことを忘れることができません。テッドのことをケリーは、「彼はスコットランドの沖に死者の魂が帰っていく“世界の涯て”という場所から、自分の心の支えとなるために来た人なの」とチュンに話します。

わたしは子供の頃から、「世界の涯て」という言葉に大変弱いので、もうそれだけで滂沱の。。。なのです。わたしが着ている服はいつも”Land’s End”なのですが、それくらい、「地の果て」「世界の果て」が好きなのです。「俺はいつも『世界の果て』(”Land’s End”の服のこと)と共にいる!」と思うだけで、幸せになります(単純そのもの!)。

さて、探し当てたものの、テッドはアドレスをケリーに伝えてイギリスに帰国していきます・・・。そして、イギリスのスコットランドらしき田舎でB&Bみたいなプチホテルを父親からか引き継いで経営しているところにケリーは辿り着き、そこで生命の不思議・神秘を実感します。命とは何か? 若くして死を迎える自分がこの世に在ることの意味・・・

そんなイギリスのスコットランドのド田舎の町の、それも「世界の涯て」の断崖のところまで、英語もろくにしゃべれない香港青年が辿り着くのです。それから先は・・・

本当は映画を観てのお楽しみ、なのですが、「優霊」譚ですので、申し訳ありませんが、最後まで簡単にお伝えします。彼女ケリーはチュンと結ばれ、めでたく結婚しますが、しかし、不治の病を克服することはできず、ベイビーを遺して死んでいきます。そして、葬儀のパーティーの席で、「優霊」となったケリーが二人やファミリーを優しく見守る・・・の・・・で・・・す・・・・・・

いやあ〜、申し訳ない! バレバレ、ネタバレで。でもね、本当にいい映画なのです。もし観ていなかったら、ぜひ観てください。ある時期、1ヶ月以上、50回くらい、毎日、この映画を観ていました。そんなに熱中したのは、1位『2001年宇宙の旅』、2位『気狂いピエロ』、3位『となりのトトロ』、4位『世界の涯てに』、でしょうか・・・。ともかく、『唯葬論』の著者で、冠婚葬祭業の社業を踏まえて国際儀礼学会を立ち上げたいと思っているShinさんにはお薦めの映画です。

ところで、横尾龍彦先生が亡くなったことは先回のレターでお伝えしたばかりです。2015年12月19日(土)に、横尾龍彦先生の告別式が、埼玉県所沢市小手指のカトリック所沢教会で行われたので、その報告をします。その日の朝、わたしは埼玉県大宮の妻の実家から武蔵野線に乗って小手指に向いました。本当に久しぶりに武蔵野線に乗りましたが、隨分民家が増えましたね。路線沿いに。このあたりは人口増なのでしょう。大宮もそうですが、まだ居住人口は増えているのかもしれません。

小手指には早稲田大学人間科学部があって、昔、そこで非常勤講師を5年ほどしていたことがあるので、駅周辺には少し土地勘があります。早稲田は駅からバスで15分くらいのところにあり、とにかく不便で、高田馬場のキャンパスとはだいぶ離れているので、大変でした。

その小手指に、カトリック所沢教会があり、藤田神父さんの司式のもと、1時間ほどミサが行われました。カトリックの信仰においては、死は単に哀しみではありません。キリストのもとに召されて救いにあずかることなので、一つの祝福になるのだと思います。

カトリック所沢教会の祭壇

カトリック所沢教会の祭壇横尾龍彦先生の遺影

横尾龍彦先生の遺影
わたしが横尾龍彦先生と初めて会ったのは、1982〜3年頃だったと思います。もう30年以上前のことになります。横浜の高島屋で個展をしているのを見に行って個展会場に入った途端、目に飛び込んできた絵があったのです。わたしはその瞬間、「この絵と縁がある!」と思い、生まれて初めて絵を買ったのです。

それは、「枯木龍吟」というタイトルの絵でした。25年近く前の安月給で、初めて絵を買うわたしを気遣って、横尾先生が絵を割引してくれました。そしてご自身で届けてくださったのです。横尾先生が、神奈川県川崎市宮前区土橋のわが家のマンションの壁面にその「枯木龍吟」を架け終わった途端、3歳になるかならないかの息子が、突然、「とうちゃん、こんな絵を買ったら、ウチがビンボーになるよ!」と言い放ったのです。これにはみな仰天してしまいました。汗顔の至り、恐縮至極の発言に、それでも横尾先生は笑いながら大人の対応をしてくれました。今となっては笑い話になりますが、そのことが忘れられません。

わたしは横尾先生について書いた文章が2つあります。1つは、『翁童のコスモロジー——翁童論4』267〜286頁、新曜社、2000年)に収めた「風と珠(たま)の人・横尾龍彦」です。もう1つは、『神道のスピリチュアリティ』(作品社、2006年)に収めた「宇宙的協奏としての横尾龍彦の瞑想絵画」です。

「風と珠の人・横尾龍彦」は次のような構成でした。

序章 霊性の画家・横尾龍彦
横尾龍彦は「風と球の画家」である。彼の画業の前半生は球を、そして後半生は風を主題にしている。
第一章 三度の神秘体験Ⅰ〜光体出現
少年の頃、ある夜、横尾は部屋の中に白金色に光り輝く「球」の出現を見た。このときの驚きと神秘と畏敬の感情が横尾龍彦の画業に底流している。
第二章 三度の神秘体験Ⅱ〜天地合体
第二の神秘体験は25歳の時に訪れる。
第三章 三度の神秘体験Ⅲ〜光体成仏
横尾は幻視的な世界が消える第三の神秘体験、すなわち禅の見性体験を持ちます。
終章 風龍の行方
雄大な「風龍」がたゆたう。おおどかで、力強く、時にはゆったりと、時にはすばやく激しく自由自在に舞い踊っている。横尾龍彦はついに風になった。「風龍」と化した。

「風龍の画家」横尾龍彦。この風龍の行方がどこに到るか、翁の風貌をたたえはじめた横尾の画業と人生の深化を見とどけたい。

この文章は、横尾先生の画集『横尾龍彦 1980−1998』(春秋社、1998年)の解説として掲載したものでした。横尾龍彦は、「シュールリアリステックでデモーニッシュ(デモーニック)な幻想画家から、禅の見性体験を経て、(自我で書く絵を捨てて)『風が描く・水が描く』画家になりました。

わたしは、ドイツ・ベルリンでの展覧会、例えば、ルードヴィッヒ・ランゲのギャラリーでの個展や、シャーロッテンブルグ宮殿での個展や、ベルリンのソニーセンターでの個展や、スロバキアの首都ブラチスラヴァやタイや北九州市鶴美術館手の個展での絵画パフォーマンスで、横尾先生の瞑想描画パフォーマンスを楽の演奏(石笛・横笛・法螺貝など)で支えたことがあります。北九州市立美術館でのパフォーマンスにはShinさんも見に来てくれたのではないでしょうか? 今、横尾先生の絵が、大分県立美術館の「神々の黄昏」という展覧会に6点の展示がされていますので、機会がありましたらぜひ見てください。

13時から行われたミサでは、讃美歌の歌声の響き渡りました。それが終わり、続いて告別式が挙行されました。山田耕雲老師の後継者の三宝教団第四祖山田凌雲老師と大分県立美術館長で武蔵野美術大学教授の新見隆氏とわたしの3人が弔辞を奏上しました。わたしは弔辞の最後に歌と石笛・横笛・法螺貝を奉奏しました。

その後、ご家族や受付を手伝ったスタッフのみなさんと共にお寿司をいただきました。30人ほどの方々が一人一人、横尾先生との関わりや思い出を語り合いました。特に印象に残ったのが、横尾先生の5人のお子さんとその配偶者や孫の方々の思い出語りでした。

得難い祝福された時間でした。横尾龍彦先生、最後の最後まで本当にありがとうございました。心より尊敬の念いと愛を捧げます。

以下は、本日の告別式で横尾龍彦先生に捧げた弔辞です。

横尾龍彦先生に捧ぐ弔辞

十一月二十三日、新嘗祭の朝に、敬愛する東京自由大学初代学長横尾龍彦先生が亡くなられました。享年八十七歳でした。本年二〇一五年は、「久高オデッセイ」三部作の監督でNPO法人東京自由大学副理事長の大重潤一郎さん、東京自由大学前運営委員長で「久高オデッセイ第三部風章」事務局長の岡野恵美子さん、そして東京自由大学初代学長の横尾龍彦先生と、東京自由大学の三本柱が相次いで旅立ち、深い悲しみとともに忘れられない、心に残る大きな節目の年となりました。遺されたわたしたちは、いっそう心しておのおのの使命を果たして参りたく、決意を新たにしています。

横尾先生の訃報をお聞きして、わたしは「美と霊性の行者」横尾龍彦先生に捧げる三首の歌を作りました。

君ははや 天上巡る 龍となり 日の本宇宙の 魂描き逝く
美の行者 横の尾の上人 龍彦と 受肉せし身を 脱ぎて還らむ
はろばろと 伯林秩父を 翔け巡り 天空上人 龍の眼の人

横尾龍彦先生は、一九二八年、福岡県に生まれました。お母上は神仏習合系の凄い霊能力者でした。子どもの頃、横尾先生は毎朝ご神前のお水を取り替え、お供え物をし、朝拝の準備を整え、 母上とともにご神前で礼拝することを日課とされてきました。

少年の頃のある夜、横尾先生は部屋の中に白金色に光り輝く球の出現を目撃します。この龍彦少年の「玉」の透視こそ、「霊性の画家」、横尾龍彦の生涯を貫く創造の原点でした。この少年期の光体出現と二十五歳の時の天地合体体験と五十代の禅見性体験による光体消滅の三つの神秘体験が、横尾先生の生涯の画期をなす体験であったと思います。

横尾先生の画業は、二十代からの神秘的な球体・光体を描き続けた時期と、五十代の見性体験によってそれが消えてただただ風やプネウマ的霊気の流動をのみ描く時期の二期に大きく分けられると思います。

わたしは横尾先生の後半生の作品がとても好きです。大宮のわが家には横尾先生の大きな絵が八点、京都のわが家には七点、京都大学の研究室には一点が掛けてあり、三十代からわたしの人生と生活は横尾龍彦先生の絵と共にあります。そこで、文字通り、横尾先生とは生活を共にしてきたと思っています。

NPO法人東京自由大学のウェッブマガジン「EFG第二号」に横尾先生は次のように記してくださいました。

「私は生涯美を求めて彷徨いながら神に出会いました。/人格の完成を求めても、内なる人が聖霊に満たされて変容しなければ道徳と偽善性に縛られて自由を失います。理想の人間像は柔らかく砕けた自由人です。/その自由は目に見えない存在との交流によって齎されるのです。/人の思惑や、社会のために生きるのではなく、内面の声に従うのです。他人からは見えませんし、人からは理解されませんが、神様に知られているのです。人を対象にすると誤解されたり、無視されて傷つくことも多いのですが、霊としての偉大な愛である存在と対話していると、孤独ではありません、そこでは静かな平和が心の中から絶えず湧出してきます。/人生は短いです。人に知られなくとも本来の真人を実現したいものです。」

瞑想画家として横尾先生が繰り返し言われたのは、私が描くのではない、「水が描く、風が描く、土が描く」ということでした。その横尾先生の画法は、「龍彦」というお名前の名の通り、「龍画」そのものだと思います。龍が風に乗って空を翔け、また水の中を自在に潜り巡る、波動の流れと一体となる「流画」。気息やヴァイブレーションの流動に身をゆだね、分子の波動が微細に変化し変容していくことを映し出す、気配と霊性の錬金術師・横尾龍彦。

その画法には、聖霊やプネウマの風が吹き渡っています。高次元界からの魂風が。それは、神秘不可思議なそよぎでもあり、同時に、大変明晰な合理と直観が一如となった流動でもあります。目に見えない世界からの風のメッセージ。

霊性の画家・横尾龍彦は「風と球の画家」であった。先生の画業の前半生は球を、そして後半生は風を主題に自在に表現し生きた。
その横尾先生のみたまに心より捧げます。

神ながらたまちはへませ 神ながら

この光を導くものは この光と共に在る いつの日か 輝き渡る いつかいつかいつの日か
あなたに会ってわたしは知った このいのちは旅人と 遠い星から伝え来た 歌を歌をこの歌を
この光を導くものは この光と共に在る いつの日も 輝き渡る いつもいつもいつの日も

2015年12月29日 鎌田東二拝