シンとトニーのムーンサルトレター 第021信
- 2007.05.30
- ムーンサルトレター
第21信
鎌田東二ことTonyさま
Tonyさんが中沢新一氏について述べた前回のレターを読み、深く考えさせられました。なにか、宗教という一種の危険物を取り扱う人間の業のようなものまで感じました。島田裕巳氏の『中沢新一批判』については、ネット上でも騒然となっています。さまざまな人からさまざまな意見が発せられていますが、わたしは、葬儀という視点からこの問題を考えてみたいと思います。というのも、父である民俗学者の故・中沢厚氏も、叔父である歴史学者の故・網野善彦氏も、ともに自身の葬儀さえ拒否するほど、葬儀の徹底的な否定者でした。ここに、中沢新一という人の謎を解く鍵があるように思えるのです。
葬儀というものの意義を説いた人に、孔子や孟子がいます。儒教の祖である孔子は、人間にとって最も親しい人間とは、その字のとおり「親」であると述べました。そして、その最も親しい親の葬儀をきちんとあげることこそ「人の道」の基本であるという価値観を打ち出しました。孔子の後継者である孟子も、親の葬儀に何よりも価値を置きました。彼は『孟子』のなかで、昔の習俗について述べています。かつて、親を埋葬しない人々がいた。親が死ぬと、彼らは死体を集めて溝に投げ入れるだけだった。ところがある日、その場を通りかかると、狐が死体を喰らい、蝿や蛆が死体にたかっているのを目にした。すると、とたんに額に冷汗が噴き出し、彼らは、それ以上は見ようとしなかったというのです。
孟子は、「顔面に冷汗が流れたのは、他人の目を気にしてそうなったのではない。その反応は彼ら自身の心のもっと深いところから湧きあがったのだ」と解説します。そのためか、彼らはスコップと土車を取ってきて、急いで死体を埋めなおしました。そして、「埋葬をきちんと行なうことは、単なる習慣の問題ではない。それは、親子の絆を証しているのであり、死ですらそれをほどくことができないのだ」と、孟子は結論づけるのです。
古代の中国人たちは自分たちのあり方のルールとして「礼」というものを持っていましたが、葬儀を最重要視することで、「死」がこの「礼」の基準となっていきました。人間はその一生において、さまざまな社会的関係を作っていきます。一般人なら、成人式、結婚式、葬儀、祭祀といった、いわゆる冠婚葬祭です。このなかで、冠(成人式)は一般庶民にまで徹底したわけではありません。また結婚しない人間もいるし、祖先の祭祀をしない者もいます。しかし、必ず避けられないものは「葬」です。すなわち、葬礼こそ一般人の「礼」の中心なのです。それでは、諸礼のモデルとなる最も重要な葬礼はどのように組み立てられているのかといえば、親の葬礼を基準とするのです。なぜなら、一般的にいって、親が子よりも後で亡くなるという特別な事情を除くと、人間はほとんど必ず親の死を迎え、葬礼を行なうからです。この必ず経験する、親に対する葬礼を基準として、それを最高の弔意をあらわすものとします。逆に言えば、最も親しいがゆえに、最も悲しむわけです。このように、親の葬礼を行なうことこそは、すべての「礼」の中心となる行為であり、「人の道」を歩むことに他ならないのです。
さて、孟子とほぼ同じことを述べた思想界の超大物が西洋にもいました。その人物の名は、ヘーゲル!言うまでもなく、近代哲学における最高の巨人です。ヘーゲルの哲学はこれまでマルクス主義につながる悪しき思想の根源とされてきました。しかし、わたしは、ヘーゲルほど、現代社会が直面する諸問題に対応できる思想家はいないと思っています。
ヘーゲルは、共同体と人間の関係について徹底的に考えた人でした。社会制度と個人のあり方を見たとき、共同体には大きくふたつのものがあります。ひとつは「国家(ポリス)」という公共的で明確な法律を持った共同体。もうひとつは、血縁で結ばれた私的な共同体、つまり「家族」です。ヘーゲルによれば、国家は男たちのつくりあげる共同体です。男は家族のなかで育ちますが、成年になると公共的なものに眼を向け、そこにアイデンティファイする。自由と共同性を実現した「人倫の国」こそが、ヘーゲルにとっての国家です。
では、家族のほうはどうか。家族は、男女が結びつき、愛し合う場所であり、愛の結晶である子どもを育てる場所です。国家の側からすれば、家族の機能とは「子どもを立派な公民として育て上げる」ということにつきるでしょう。しかし、家族の最大の存在意義とは何か。ヘーゲルは、家族の最大の義務を明らかにしました。
それは、「埋葬の義務」です。どんな人間でも必ず死を迎えますが、これに抵抗することはできません。死は、自己意識の外側から襲ってくる暴力と言えますが、これに精神的な意義を与えて、それを単なる「自己」の喪失や破壊ではないものに変えること。これを行なうことこそ、埋葬という行為なのです。家族は死者を埋葬することによって、彼や彼女を祖先の霊のメンバーのなかに加入させる。これは「自己」意識としての人間が自分の死を受け入れるためには、ぜひとも必要な行為なのです。
ヘーゲルは大著『精神現象学』において、「死」の問題に正面から取り組んでいます。死の恐怖を知ることによって、「自己」の意識がめばえる。死を廃絶してしまうことはできない。できるのは、ただ死に「意味」を与えることだけである。だから、死者をとむらうという制度が発生するのは必然的なのです。ヘーゲルは言います。国家のために戦って死んだ男たちを埋葬するのは女たち、すなわち家族の役目である、と。もし、埋葬されずに死骸が鳥や獣の餌食にされるならば、それは死者にとっても、遺された家族にとっても、耐えがたいことなのです。家族の執り行なう埋葬が「死」に意義を与えてくれるのです。このように、孟子と同じく、ヘーゲルも「埋葬の倫理」というものを力説しました。
ところで、80年代の日本でニュー・アカデミズムと呼ばれる思想が爆発的に流行しましたが、その正体はいわゆるポスト・モダニズムです。これが徹底的にアンチ・ヘーゲルでした。『構造と力』(1983年)を書いた浅田彰氏をはじめ多くの人が「諸悪の根源こそヘーゲルだ」と考えていたと、社会哲学者の西研氏が著書『ヘーゲル・大人のなりかた』(NHKブックス)で指摘しています。ポスト・モダニズムは、「真理・道徳・共同体」という三つを眼のカタキにし、「ヘーゲル哲学こそこの三つを完璧にそなえた犯罪的哲学だ!」とみなしていたというのです。浅田氏は『逃走論』も書き、「スキゾ」なるコンセプトを紹介して、共同体に取り込まれずに徹底的に逃げることを呼びかけました。しかし、いま振り返ってみると、あまりにも実のない思想だったとしか思えません。別に、フリーターやニートの増加を浅田氏の責任とするつもりはまったくありませんが、現代社会に最も必要なのは「逃げない社会人」であることは確実です。そもそも人間は国家や家族といった共同体から逃げられるものではなく、また、逃げてはならないものだと思います。
周知のように浅田彰氏と並ぶポスト・モダニズムの雄こそ、中沢新一氏でした。自身の葬儀を拒否した父親の中沢厚、同じく叔父の網野善彦は、ともに唯物論者であるとカミングアウトしていました。では、中沢新一氏も唯物論者なのでしょうか。それに関して興味深い発言があります。「批評空間」第Ⅱ期第9号に浅田彰&坂本龍一の対談が掲載されており、オウム事件について、95年の時点で二人は次のように語っています。
「坂本 あれも60年代的なヒッピー・カルチャーの最悪の帰結だね。あれが危ないってのは最初からわかってて、ずっと批判してきたんだけど。
浅田 だいたい、細野晴臣と中沢新一がテクノ・オカルティズム、坂本さんとぼくがテクノ・マテリアリズムっていう感じで、友好的な中でも闘争を続けてたわけじゃない?
坂本 そう、YMOの「散開」の原因も結局はそれだもの。まあ、階級闘争としてみれば、唯物論は正しかった、神秘主義はやっぱりだめだったってことが95年にやっとはっきりしたんじゃない?それにしても、細野さんや中沢さんにはオウムに関して責任があると思うんだけど。」
なんと、浅田氏と坂本氏の二人は「自分たちは唯物論者だけど、中沢新一は神秘主義者」と断じているのです。そういえば、以前、中沢氏は葬儀について「象徴をあやつり、魂をコントロールする技術」と表現していました。また、社団法人・全日本冠婚葬祭互助協会の「葬祭学セミナー」でも、不安に揺れ動く遺族の心に「かたち」を与えて安定させるのが葬儀の役割と述べ、その意義を力説されていました。中沢氏は、自身の葬儀をどのように行なうつもりなのでしょうか。また、中沢氏の著書『フィロソフィア・ヤポニカ』には西田幾多郎と田邊元の思想的対立が書かれていますが、そのキーワードは「家族愛」でした。西田は田邊の哲学を「子どものいない者の哲学」と断じて、その情動性のなさを批判しています。そして、中沢氏にお子さんがいるかどうかは知りませんが、彼は田邊元の思想が「家族愛に対して冷静」であると、きわめて高く評価しています。ちなみに、相対する西田哲学の本質とは、ヘーゲルと同じくロマンティシズムの道を行く哲学でした。
母親を殺害して首を切断し、それを持ってネットカフェに行く。元妻を人質にとって立てこもり、発砲して人を殺す。それ以外にも、本当に異常な事件が続いています。現代社会において、家族という共同体がドロドロと溶け出しているような気がしてなりません。
家族とは何か?そして、葬儀とは?中国から北九州に流れてきた大量の光化学スモッグを知らないうちに吸ったのでしょうか、頭が朦朧として、うまく考えがまとまりませんでした。言いたいことは、もっとたくさんあるというのに。いつの日か、家族と葬儀の秘密をさぐる『孟子とヘーゲル』という題名の本を書きたくなりました。それでは、また!
2007年5月30日 一条真也拝
一条真也ことShinさま
Shinさん、中沢新一さんを葬儀と家族という観点から考えるという興味深い指摘、ありがとうございます。けれども、わたしは中沢君のお父さんがどういう人であれ、義理の叔父さんの網野善彦氏がどんな人でどんな葬儀をしたにせよ、それは中沢新一氏本人とは違う人なので、それはそれとして、別の存在としてとらえます。
先のレターに書いたように、中沢君はしばしば「唯物論」の重要性を独自の視点からなかなか魅惑的に語りますが、それは実に不思議な「唯物論」で、グノーシス的唯物論とでもいうべき、スピリチュアルな唯物論です(形容矛盾だけど)。彼のレーニン論がそうであるように。
中沢新一という人格は三位一体のように、あるいは鵺のように、あるいやヤヌスのように、複数の顔を持っていて、それがゆえにトリッキーとも、レトリカルとも、ソフィスト的ともいえるようなねじれとそりとカーブを持っていて、それがまた独自の陰影と魅力を放っているといえます。
要するに、単純にこうであると規定できない柳腰と流動性・流体性を持っているのです。坂本龍一さんや浅田彰さんはその点、明晰である分、単純な「唯物論」の立場でやっていくことができるのでしょう。細野晴臣さんも中沢新一さんもちょっと複雑骨折したようなグノーシス的霊的唯物論者のようにわたしには見えます。もちろん、細野さんと中沢さんは同じ思想と立場の持ち主ではありません。
西田幾多郎と田邊元についても、中沢氏の論点は一元的ではありません。家族という点からは両者の対照的違いが浮き彫りになるかもしれませんが、「即」という概念と論理—脱論理からは両者は同じ地平に立っているといえます。中沢君の『フィロソフィア・ヤポニカ』は昔読みましたが、彼が去年出した『芸術人類学』(みすず書房)の中に「日本哲学にとって『観念』とは何か」という、京都大学で行なわれた講演会の記録が収められています。そこに次のようにあります。
<西田幾多郎はこの「即」に秘められた表現能力に着目して、これを純化する努力をおこないました。「即」をものごとの同一性を表現する側面だけに限定せず、同時にそこに「非」の側面が組み込んである、複雑で力動的な、もうひとつの哲学概念と呼んでもいいような繋辞に鍛え上げてみせたのです。こうして「即」は同一性と差異性が同時に作用しあう、きわめてダイナミックな転換性をはらんだ言葉につくりかえられました。こうして西田によって改造され、田邊によって高速回転させられた「即」は、同一性と差異性が同時に作用する様子を表現することによってハイデッガーのつくった「生起」という概念に近いものになっていきました。>(前掲書、160ページ)
ここに、西田幾多郎の親友で同級生であった鈴木大切の「即非」の論理や、鈴木大拙が自分の大切な後継者と期待をかけていた柳宗悦の「妙好人」や「美醜不二」「無有好醜」の概念を入れると、同時代の日本の哲学的思惟——中沢君のいう「フィロソフィカ・ヤポニカ」の思索——の構造の相似性が見えてきます。このような観点から西田幾多郎と田邊元を見れば、やはり彼らは同伴者とも相補的対照性パートナーともいえる側面を持っているといえるでしょう。そういえば、鈴木大拙はアメリカ人の妻ベアトリスとの間に子どもがいませんでした。一方、柳には3人の息子がいて、デザイナーや美術史家や園芸家として活躍しています。何人目の子どもだったか、その子が幼い頃亡くなった時、実に哀切に満ちた文章を書いています。それは子どもに対する父の心情と愛情に溢れた胸を打つものでした。また妻の声楽家である兼子夫人への労わりに満ちた文章でした。
さて、ヘーゲルですが、わたしもヘーゲルについては学生時分、ヘーゲルの『精神現象学』の訳者・樫山欽四郎先生(女優の樫山文枝さんのお父さん)から直接『精神現象学』を学びました。が、その論理には納得できませんでした。大構想なのはわかりますが、論理が大まかで、大上段で、大見得を切っているようで、当時のわたしには強弁のように聞えました。だから、ヘーゲル後のキルケゴールやニーチェがヘーゲルを批判したくなるのがよくわかりましたね。ヘーゲルは大宮殿を作ったけど、自分はその横のみすぼらしい小さな犬小屋に住んでいる、と……。この後、マルクスやキルケゴールやニーチェが出てくるのは、思想の必然のようにも思いました。
ヘーゲルは、発想がきわめて男性主義的だと思います。わたしはトーテミストなので、キリスト教プロテスタントを最上位に置くヘーゲルの宗教哲学にもその弁証法的進化論にも馴染めません。「国家」以前の共同性のありようからもう一度考え直したくなります。「国家のために戦って死んだ男たちを埋葬するのは女たち、すなわち家族の役目である」というような、一種の「銃後の安心」を説く思想にはどうも入っていけません。
ある時、葬式で泣いているのは女性ばかりで、男たちは無表情か、渋面を作って堪えているのか、どちらかであるのを見て、「ああ、男って、どうしようもないなあー!」と思ってしまいました。そんな、どうしようもない「男たち」の英雄の一人がヘーゲルでしょう。わたしは、哀しい時には男も女も一緒になって泣くという、そんな共同社会のありようを望みます。男だから男らしくとか、武士は食わねど高楊枝とか、自然な感情を無理やり押さえつけたり我慢したりするような、無理やりこさえた人倫には耐えられません。その点ではわたしは孔子よりも自然道の老荘思想に強い共感を寄せます。老荘のタオイズムの方が儒教よりも女性性や母性性に根ざした思想だと思えます。とはいえ、わたしは孔子さんは嫌いではありません。わたしも笛などを毎朝吹くので、孔子の言う「礼学の道」は身を以ってよく分かりますし、その点は共感します。彼の礼学=音楽論はもっともっと注目され実践されるべきだとも思っています。
いずれにせよ、島田裕己さんの新著『中沢新一批判』(四季社)から始まったこの論議は、両人と30年の付き合いのあるわたしにとってはなかなか複雑な多面性を持ってきます。わたしはいずれ中沢新一君は彼なりのオウム真理教論を必ずや書くだろうと思っていますし、それを心から待ち望んでいますが、それに共感できるかどうかは、もちろんその時にならなければ分かりませんし、読んでみなければ分かりません。
ところで、わたしはこの10日ほどの間に、鳥取県の霊山・大山と日光修験道の神体山・男体山と高知県の縄文遺跡のある足摺岬唐人駄馬に行きました。文字通り、東奔西走しました。そのことは、「東山修験道その13」と題して、モノ学・感覚価値研究会のホームページ(http://homepage2.nifty.com/mono-gaku/)の「研究問答」欄にUPしましたので、お暇な時に覗いてみてください。
茂木健一郎さんと鳥取市民会館で「脳と幸せ」をテーマに対談した翌日、大山に独り登拝したのですが、そのブナ林と元谷から吹いた法螺貝の響き方は世界一だと思いました。大神山神社奥宮から元谷を経て行者道を5合目まで登るブナ林道の美しさは筆舌に尽しがたく、わたしは「ここは、ブナ林天国だ!」としんそこ思いました。白神山地のブナ林帯が世界自然遺産に指定される前にそこに入って歩き回ったころがありますが、白神山よりも大山の方がすばらしいブナ道だと思いました。西日本一と看板に書いてありましたが、日本一と言っても言い過ぎではないのではないかと思いましたね。
日光の方は、大学の「地域文化演習・日光」で二荒山神社や日光東照宮を見学・参拝した折、各自フィールドワークを行なった際に、独り二荒山神社中宮祠から男体山奥宮まで登拝したのでした。2500メートル近い男体山は目測の2倍の時間がかかりましたが、中禅寺湖を眼下に見下ろしながらやはり5合目近くまではブナ林帯を抜けていきますが、これまた実に浄土的な美しい風景で、湖を持つまろやかな感じが何ともいえず、うるわしく、おくゆかしい感じです。大山では日本海を望みながら登っていけますが、ここは山々に囲まれた湖を見下ろしながら登っていけます。その波動がなんともまろやかなのです。
が、5合目から上は、大山修験と同様、日光修験の山にふさわしく、荒々しい岩場が多く、また溶岩や火山弾などの風化した岩や石がゴロゴロしていて、「男体山」という名前が付けられたのがよくわかりました。「なるほど、これは男体山というしかないわな」。その近くには、2400メートル宮の奥方とされる「女峰山」や子供とされる「太郎山」が聳え、「男体山ファミリー」を形成しています。山頂の突風は実に凄まじく、雹まで降りかかりました。奥宮と太郎神社と三角点(頂上)の逆鉾を参拝して降りましたが、大山とは違う魅力があり、ここが観音浄土の補陀洛世界だとされるのが納得できました。確かにここは観音浄土的なやわらぎとうつくしさがあると思えます。それは中禅寺湖の力が大きく作用しています。
またこの間、わたしはNPO法人東京自由大学の催しで、評論家の栗田勇さんの「一休」と舞踏家の麿赤兒さんの「舞踏の現在と未来」というトークの司会をしましたが、それぞれ面白く、日本文化や舞踏という芸術について考えさせられました。わたしは麿さんを新妖怪談義研究会の「御神体」として「招魂」しましたが、いよいよ麿さんという舞踏家の真価を感じさせられ、感銘を深くしました。麿さんは存在が舞踏している、そして言葉も舞踏している舞踏家でした。実にバロック的に。麿さんの言葉は立っていて、横に流れないのです。一つ一つの言葉が諏訪の御柱のように、神懸り的に立っているのです。すばらしい!! 舞踏思想家としても深みと魔力のある人だと思います。
6月1日は満月でしたが、足摺岬唐人駄馬近くの風の神(=アネモス)を祀る喫茶ガーデン・アネモスで、2日間にわたり、「みちひらきまつり」が行なわれました。松尾地区の方々と共にアネモスを舞台に歌や踊りや聖地めぐりワークショップを繰り広げました。このアネモスのすぐそばにわたしの従兄が家を建てているのを知り、びっくりしました。「ええっ! なんで、ここに!?」と思うほど、意外で、不思議な従兄と従兄の子(と言っても、50代だが)との再会でした。「風の神」さま・アネモスは粋な配剤をしてくださるなあ、と感嘆。これまた言葉にならない驚き。
そこでわたしは夜の12時から1時間ほど「神道ソングライター」として歌いました。10曲ほど。「弁才天讃歌」ではシンガーソングライターのKOWさんが共演してくれ、また「フンドシ族ロック」ではフンドシ姿の「フンドシ学会」の強力メンバーが舞台に上がってくれ、一緒に踊りながら助っ人をしてくれました。カレーショップの出店のおねえさんがフンドシ姿で紅一点参加してくれたのは、これもまた言葉にならないくらい嬉しく、感動しました。女性のフンドシ姿もじつにうつくしいですねえ。いいですねえ。もっとも上半身はTシャツ姿だったけど。
そして、今日、6月2日は朝5時に唐人駄馬のコテッジを出て、京都に戻り、京都造形芸術大学で「ピンホール写真芸術学会」の創立に立ち会い、「光と孔」と題して講演しました。そこに京大の修士1年の大学院生が来てくれて、わたしがかつて書いた酒鬼薔薇聖斗に宛てて書いた散文詩のような奇怪な文章について質問されました。この文章に深く動かされたという若者に出会ったのは初めてで、わたしにとって、意味のある出会いでした。彼は酒鬼薔薇聖斗と同学年だということでした。『エッジの思想』(新曜社、2000年)や『呪殺・魔境論』(集英社、2004年)で、オウム真理教事件や酒鬼薔薇聖斗事件のことを考察しましたが、改めてさらにまたもう一歩踏み込まねばという思いにさせられました。
ところで、ピンホール写真芸術学会は、ユニークなピンホール写真家で造形大教授の鈴鹿芳康さんが会長ですが、おもろい面々が集っていて、なんか仕掛けてくれそうですよ。もっともっと、孔開き=アナーキーに暴れてみたいな。「孔子」も「孔開き」の人だったのでしょう? 天地人を繋ぐ。
そんなこんなで大忙しの日々でしたが、大山や男体山や足摺岬に行けて、実に幸福な時を過ごすことができました。その巡り合わせに、心より感謝、です。謝謝! ということで、Shinさん、次の満月の夜までごきげんよう。また、近々、どこかでお会いしたいですね。
2007年6月2日 鎌田東二拝
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