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シンとトニーのムーンサルトレター 第174信

 

 

 第174信

鎌田東二ことTonyさんへ

 Tonyさん、お元気ですか? 10月も、わたしはバタバタと忙しい毎日を送っています。2日の午前中、マレーシア航空89便でクアラルンプールに飛びました。全互連の冠婚葬祭事情視察研修に参加するのですが、この視察研修の制度はわたしが会長時代に始めたにもかかわらず、いろいろと多忙で、ここ数回は参加が叶いませんでした。今回は、久々の参加となりました。

 クアラルンプールは、マレーシアの首都です。わたしは、これまで2回マレーシアに行っていますので、3回目の訪問となります。最初の訪問では、マハティール・ビン・モハマド氏にお会いし、その後も福岡で何度かお会いしました。マハティール氏は現在93歳ですが、昨年5月の総選挙で、15年ぶりに世界でも異例といえる高齢での首相復帰をされたことは世界の注目を集めました。外交面では老練な手腕を見せられており、機会があればまたお会いしたいです。

 クアラルンプール国際空港には定刻よりも早い16時15分くらいに到着。先に到着していた関西空港組と合流し、わたしたちは宿のフォーシーズンズ・ホテル・クアラルンプールに向かいました。途中、バスの車内からクアラルンプールの街が見えました。建設中の大型ビルも多かったです。クアラルンプールは一流芸能人のGACKTが住んでいることでも有名ですが、ここ数年、「日本人が住んでみたい海外都市」の第1位だそうです。

 ホテルにチェックインすると、再びバスに乗って、Wホテルに向かいました。ここの11階に入っている中華レストランで夕食会が開かれたのです。全互連の前会長として、わたしが乾杯の音頭を取りましたが、今回は「全互連若手の会」が企画しただけのことはあって、フレッシュマンがたくさん参加しています。若い方々と話すのは大変楽しかったです。中華料理もとても美味しかったです。

 Wホテルの12階には、クラブのようなBARが入っており、ここも見学しましたが、夜景が素晴らしかったです。特に眼前にそびえるツインタワーの威容には息を呑みました。この夜景を見ていると、なんだかクアラルンプールそのものが宇宙基地みたいでもあり、SF少年だった小学生の頃に夢想した未来都市のようでもありました。

クアラルンプールのツインタワーを背に

クアラルンプールのツインタワーを背にクアラルンプールのクラブで

クアラルンプールのクラブで
 2日目となる3日の朝、ホテルを出発したわたしたちは、まずはEQという最新のホテルを訪問しました。昨年出来たばかりというスタイリッシュなホテルで、クアラルンプールの富裕層に大人気だそうです。ここで二階建てのバンケットや眺望抜群の客室などを見学しました。それから、セント・レジスというクアラルンプールの名門ホテルを訪れました。スタイリッシュなEQとはうって変わって、こちらはクラシックな印象です。日本でいえば、帝国ホテルやホテル・オークラのようなイメージでした。やはりバンケットや眺望抜群の客室の他、エステサロンやフィットネスクラブなども見学しました。

 昼食後は、今回の研修のメインイベントともいえる東南アジア最大の葬儀社である「NIRVANA(ニルヴァーナ)」の「富貴生命館」という巨大葬儀会館を訪問しました。NIRVANAとは「涅槃」という意味ですが、わたしが学生時代に六本木に「NIRVANA(ナバーナ)」というディスコがあり、当時は六本木に住んでいたこともあり、毎晩のように通いつめていました。なつかしい思い出です。(笑)

 富貴生命館では、最初にプレゼンテーションルームで同社の沿革や内容を紹介する映像を観ながら、レクチャーを受けました。それから館内を見学しましたが、巨大な仏像が三体並んだ部屋、各種の納骨堂、葬儀式場などを視察しました。葬儀式場では、故テレサ・テンの遺影を使用したデモンストレーション演出を体験しました。最後はテレサ・テン本人が歌う「グッバイ・マイ・ラブ」が流れる中で、彼女の人生が走馬灯のように流れていきました。

 葬儀関連用品コーナーでは、重厚な棺、死装束、副葬品(ティアラもありました)などを並べており、わたしたちはそれらを興味深く見ました。二重扉の棺などは持ち上げようとしてもビクともしない重さで、わたしは「相撲取りが10人ぐらいいなければ、出棺できないのではないか」と思いました。見学後は再びプレゼンテーションルームで説明を受け、非常に充実した研修を行うことができました。

 3日目となる4日の朝食後、宿泊先のフォーシーズンズの会議場でブライダルに関するレクチャーを受けました。結婚式の企画・演出を業務とするキャサリン・イベント社によるセミナーで、最初はマレーシアの婚礼事情について、赤い中国服を着た男性から話を聴きました。マレーシアの婚礼には6つの儀式があるということで、それは、プロポーズ、新郎新婦の誕生日の運勢合わせ、先祖からの祝福、結納、結婚式、披露宴だそうです。

 マレーシアは多民族国家であり、中華系、インド系、マレー系・・・・・・いろんな民族の、いろんなスタイルの結婚式があります。キャサリン・イベント社の美しいキャサリン代表が、インドの結婚式について詳しく説明してくれました。

 最終日となる5日は、オプションの観光ツアーに参加しました。フォーシーズンズ・ホテル・クアラルンプールをチェックアウトしてから、9時10分に出発しました。まず最初は、王宮を見学。マレーシア国王の王宮は「ISTANA NEGARA(イスタナ ネガラ)」といいます。マレーシアには州ごとにスルタン(Sultan)と呼ばれる州の王がいて、5年交代でアゴン(Agong)と呼ばれる国王の役目を担います。Jalan Dutaという地区にあるこちらの王宮は2011年に完成したばかりとのこと。

富貴生命館にて

富貴生命館にてマレーシア王宮にて

マレーシア王宮にて
 次に国家記念碑を訪れました。1949年から12年続いたマレーシア独立戦争で共産主義ゲリラと戦い、亡くなった兵士たちを弔うために造られた、高さ15mのブロンズ像です。作者のフェリック・デ・ウェルトンはワシントンDCの硫黄島記念碑の製作者でもあります。マレーシア国旗を掲げ、勇敢に戦う兵士の姿が見事に表現されています。

 次に、独立広場を訪れました。ムルデカ・スクエアとも呼ばれますが、ムルデカとはマレー語で独立の意味です。1957年8月31日午前0時に、この広場に掲げられていたユニオン・ジャック(英国国旗)が降ろされ、代わってマラヤ連邦国旗が掲揚されました(マラヤ連邦の独立)。なお、マラヤ連邦独立記念式典は、同日日中にムルデカ・スタジアムにおいて行われています。旗竿の高さは95メートルです。

 次に、国立回教寺院を見学しました。マレーシアはイスラム教国なのです。国立回教寺院は「MasjidNegara(マスジッド・ネガラ)」といいます。1960年に着工、1965年に竣工したマレーシア国内最大の大規模なモスクです。マレーシアの保有する13の地方行政区分とイスラム教の五行を象徴した18角形の直線的な水色の金属製の屋根の白を基調とした池の中心に浮かぶような超近代的な礼拝堂で、約8000人が収容できるそうです。他に、72メートルもの尖った白亜のミナレット(尖塔)、マレーシアの歴代指導者の霊廟、イスラム書籍の図書館、会議室などがあります。わたしは回教徒の衣装を着て、イスラム教の祈りのポーズをしました。『コーラン』を両手に頂くポーズです。

マレーシア国立回教寺院にて

マレーシア国立回教寺院にてスリ・マハマリアマン寺院にて

スリ・マハマリアマン寺院にて
 それから、スリ・マハマリアマン寺院を見学しました。マレーシア最古のヒンドゥー教寺院で、極彩色に彩られたヒンドゥーの神々の像が華やかに彫り込まれた門塔が、見るものを引きつけます。実業家サミ・ピライにより1873年に建造。1965年から約7年の歳月をかけて修復し、その後2010年に塗り直しされています。チャイナタウンのほぼ中心に位置していますが、信者の多くはインド系の人々です。 

 それから、関帝廟を見学しました。三国志でも知られる武将・関羽が祀られています。1887年完成の寺院。この関帝廟は広東様式で、四角い柱が好んで使われています。唯一の丸い柱には、邪悪な気が進入しないようにと竜が彫られています。また、門の天井から吊り下げられた線香も見どころです。

 その後、セントラルマーケットに行きました。イギリス統治時代の1888年に建てられた歴史的建造物で、もともと生鮮マーケットとして建てられました。今は約130店舗が軒を連ねる、観光客に人気のお買いものスポットとなっています。内部は2階建てになっており、中央の吹き抜け部分を中心に左右にお店が並ぶ細い通路が巡らされていて、さながら迷路のような状態です。売られているものは、伝統工芸品、お土産物、衣類など様々で、手軽に買える雑貨からかなり高価なものまで揃っています。ちょうどランチタイムになったので、セントラルマーケットで昼食を取りました。注文するとき、他のメンバーが「ナシゴレンにしようか、ミゴレンがいいか?」などと言っていたので、わたしが「ゼンゴレンにしなさい!」と言ったら、馬鹿受けしました。(笑)わたしは五目海鮮そばを食べましたが、美味しかったです!

 それから、バトゥ洞窟を訪れました。クアラルンプール屈指の人気観光地で、ヒンドゥー教の聖地として知られる場所です。272段もある急な階段を登った先には巨大な鍾乳洞があり、洞窟内には多くのヒンドゥー神話に基づく展示や壁画があります。カラフルな神像が並ぶ神秘的な空間が広がっていますが、洞窟を形成する石灰岩はおよそ4億歳とされています。毎年1月下旬から2月上旬にかけて、ヒンドゥー教最大の祭「タイプーサム」が洞窟内で行われます。周辺には数多くのサルが生息しています。わたしは、三度の飯よりも洞窟が好きなのですが、雨が降り出したので、階段を上って洞窟には入りませんでした。まことに残念です。

 その後、ロイヤルセランゴールの錫(すず)製品を作っている工場を視察した後、ホテルをチェックアウト、レストランでマレーシア料理を楽しんでから、クアラルンプール国際空港へ。23時30分発のマレーシア航空88便で帰国の途に就きました。成田空港には日本時間の6日7時40分に到着。久々に全互連の仲間たちと時間を共にできて有意義な海外視察となりました。それでは、次の満月まで、ごきげんよう!

2019年10月14日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 全互連の冠婚葬祭海外事情視察研修への参加、稔りある研究で面白そうで有意義であったようですね。わたしはマレーシアには行ったことがないのですが、いつかは訪れてみたい国です。

 Shinさんが南に旅だったのに対して、わたしは北の国、北海道にまいりました。函館と札幌と小樽です。函館では、北海道で唯一の国宝である「中空土偶」と呼ばれる縄文土偶が出土した著保内野遺跡の近くにある縄文文化交流センターに行きました。

 函館市内から2時間ほど東に海沿いを渡り、恵山岬を回り、渡島半島をぐるりと回って、著保内野遺跡をめざしました。今回の見学の大きな目的は中空土偶が出土した著保内野遺跡周辺の地形を体感することにありました。縄文人はどこから来て、どこに住み着いたのか?

 17歳の時から聖地めぐりをしてきたわたしは、縄文人はなぜその地に住み着いたのかを縄文遺跡の地形構造から探りたいと思ったのでした。そこに住み着く地形的・生態学的必然があるはずだとわたしは思っています。

 縄文人がどのような土地を選んで住んでいたかは、三内丸山遺跡(青森県青森市)と真脇遺跡(石川県能登半島九十九湾)と岡田遺跡(神奈川県寒川町)を見るとよくわかります。海の幸と山の幸が豊富に獲れるところ。水に恵まれているところ。森に囲まれているところ。何にせよ、海辺+山辺に住んでいたことは間違いありませんね。三内丸山遺跡も真脇遺跡も岡田遺跡も海の間近で森が深くて近いです。

 著保内野遺跡もまさにそのような遺跡でしたね。恵まれた海山。よほど安定した生態連鎖・食連鎖があったのでしょう。この中空土偶の技術力の高さは、暮らしの豊かさの担保なしには生まれないと思うのですよ。ここにはストーンサークルもあるんですよ。これらは墓群なので、葬送と関係していると考えられます。

中空土偶

中空土偶中空土偶

中空土偶
 著保内野遺跡は、渡島半島の内浦湾沿いにあります。この辺りは、昔は、南茅部郡と言われていましたが、平成の市町村合併で、今は函館市となっています。恵山岬を回り込み、海に近い低い海岸段丘の上に著保内野遺跡群がありました。7つほどの縄文遺跡の中にたくさんの集団墓があってそこから土偶が発見されたといいます。縄文人の死生観と土偶は密接な関係にあります。土偶や縄文土器の文様は、死と再生に関わるという説があります。加えて、糸魚川から運ばれた翡翠の勾玉も赤漆が塗られた櫛も出土しています。

 縄文時代後期(約3,200〜3,500年前)の墳墓ですから、中東ではモーゼの時代に当たるでしょうか? 「十戒」が授けられた時代にこの中空土偶が造られていたと考えるのは大変面白く興味深いものがあります。

 中空土偶の特徴は、その大きさと精巧さにあります。縄文土偶として大きく、中も中空で作り方も難しく紋様やデザイン感覚も斬新です。もっとも、縄文のヴィーナスも仮面の女神もハート形土偶もみな斬新であることには変わりませんが。縄文土偶の中でももっとも愛嬌のあるものがハート形土偶とこの中空土偶だと思います。両者ともおおらかさやユーモアを感じさせます「縄文のヴィーナス」のような吊り上がった目ではないのす。目も口も顔も丸くて愛嬌があり、眉が太くて可笑しみがあります。

 縄文人はなぜここに集落を作ったのでしょうか? ここは、北海道の東南部の東の果てです。彼らのノスタルジーや他界観を想像したくなります。この海の彼方に、山の向こうに広がる異界の深み。北海の海と山が告げるこの世の果ての感覚。そのシグナルをキャッチしたいものです。

 北海道に行った目的は大きく3つ。1つは、この著保内野遺跡の中空土偶見学。2つめはSF作家の荒巻義雄さんとNHK札幌局のチーフディレクターの上野智男さんと会って歓談すること。そして3つめは、小樽に行くこと。この3つです。

 荒巻義雄さんとは初対面ですが、実は、わが処女作『水神傳説』(泰流社、1984年)は、荒巻さんが個人的に出していた「あらまき賞新人賞」を受賞したんですよ。その年の暮れに、いきなり、「あらまき賞」ののし紙が付いたアラマキジャケがまるまる1本届いたのですが、それがなんと、「あらまき賞新人賞」の賞品でした。そして、手紙が届きました。が、その手紙の中身は、同じ時に「あらまき賞」を受賞したSF作家の筒井康隆さん宛のものでした。同年、筒井康隆さんは『虚構船団』と『虚構船団の逆襲』を出しており、それがあらまき賞受賞作品となったようです。この手紙の入れ違いは面白い縁でしたね。ただ、わたしは筒井康隆さんとは会ったことはありませんが。

 荒巻さんとはお会いするのは初めてでしたが、1984年来の、35年来の旧知のような親密さで接していただきました。上野智男さんとは、彼がNHK岐阜局にいた時に、映画監督の篠田正浩さんやの縄文考古学者の小林達雄さんや打楽器奏者で縄文太鼓の研究者でもあった土取利行さんと、縄文や両面宿灘をテーマにした1時間ほどのBS番組を作ったことが切っ掛けで、かれこれ30年近くの付き合いになります。

 夕刻18時から21時まで、まる3時間、食事を摂りながら、シュメール文明から、小樽の手宮洞窟や余市のフゴッペ洞窟や源義経やアイヌ文化や、実に幅広い話題を繰り広げ、話は途切れることなく続きました。荒巻さんのSF小説の処女作の『大いなる正午』や『神聖代』のことや大ベストセラー『紺碧の艦隊』や『旭日の艦隊』のことも話題に上りました。荒巻さんからはサイン入りの『神聖代』と、瀟洒な作りの、マンディアルグの『大理石』にも似た装幀感覚の『ゴシック』をいただきました。そして、詩や俳句や連句に至るまで大変面白い話で盛り上がりました。

 いやあ〜、当年86歳とは思えないほど、知的にお元気で、凄かった。おもろかった。たのしかった。うれしかった。人間、好きなことをして生きていくことがどれほど豊かで幸せなことか、改めてひしひしと感じましたね。吾も、神道ソングライターとして、詩人として、好きなような生き方を貫かねば、と思った次第です。荒巻さん、まことにありがとうございました。

 そして、最後の目的地小樽では、荒巻さんと上野さんにぜひ手宮洞窟に行って、その線刻を見て来いと勧められたので、そこに行ってみました。縄文考古学者の石井匠君からフゴッペ洞窟の線刻画のことは聞いていたので、その流れで、小樽の手宮洞窟の線刻画のことも聞いたことはありました。

 手宮洞窟の線刻には、確かに有翼のシャーマンと思われる人物が描かれていましたが、これは考古学的には続縄文時代のものとされるのですが、それよりも古いのではないかというのが荒巻さんの見解でしたが、わたしも同意見でした。

 というのも、約1万年前のスカンジナビアのロックカービング線刻画にトランスしたシャーマンの勃起と思われる線刻があるのですが、そのような線刻文化と共通の衝迫とイメージがあると思ったからです。このあたりは、学術的には精査が必要ですが、そのような思いを抱きましたね。大変興味深い問題です。

線刻画

線刻画

線刻画

線刻画

線刻画

線刻画

 小樽に来たかったのは、この町がとても好きになったからですが、実は2010年8月にあがた森魚さんと一緒にNPO法人東京自由大学の夏合宿で、苫小牧から小樽や留萌や利尻島や宗谷などに来たのです。その時、小樽の「御宿 櫻井」に宿泊し、そこで、シンガーソングライターのあがた森魚さんと神道ソングライターの鎌田東二と一騎打ちの歌合戦をやったのですよ。そんな過去もあり、また、その時の旅のテーマが「宮沢賢治 オホーツク挽歌・宗谷挽歌を辿る最北への旅」だったこともあり、心に残っていました。また、その時の企画コーディネートをしてくれた吉田美穂子さんがこの旅を終えた後数ヶ月して亡くなったこともあり、いろいろと思いがあったのです。

 そして、今回、その小樽の町で手宮洞窟の線刻を見ることができました。小樽は2度目ですが、やはりとても好きな街ですね。函館も好きですが、小樽も好きです。また、札幌も面白い街だと思いました。北海道、凄いなあ〜と、今回、強く、深く思った次第です。北方文化と北海道、日本民俗学は沖縄や九州など、南方文化を探りましたが、北方文化に捜索の足を運ぶ必要があると思いました。これから毎年北海道に行こうと思います。

 2019年10月24 鎌田東二拝

シンポジウム「私たちはどう生きるか〜戦後民主主義と精神史を見つめて」
白井聡×赤坂真理×大澤真幸×伊達聖伸×鎌田東二×島薗進

日時: 2019年11月16日(土)13:00〜17:30(開場12:15)
会場: 経済倶楽部ホール(日本橋)

プログラム:
開会の辞 島薗進
講演① 白井聡
講演② 赤坂真理
講演③ 大澤真幸
 休憩
コメント① 伊達聖伸
コメント② 鎌田東二
討論 白井聡×赤坂真理×大澤真幸×伊達聖伸×鎌田東二×島薗進
閉会の辞 島薗進


受講料: 一般 2500円 会員 2000円 学生 1000円 会員学生 500円
申込: NPO法人東京自由大学のHPより(詳しくはこちら
主催: NPO法人東京自由大学

シンポジウム「私たちはどう生きるか〜戦後民主主義と精神史を見つめて」

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