京都伝統文化の森協議会のクラウドファンディングへのご支援をお願いいたします

シンとトニーのムーンサルトレター 第036信

第36信

鎌田東二ことTonyさんへ

 Tonyさん、毎日あいかわらずの暑さですが、お元気ですか?わたしは、今日、小学3年生になる下の娘と一緒に映画「崖の上のポニョ」を観てきました。わたしの大好きな「となりのトトロ」や「魔女の宅急便」などの完成度に比べると、正直、物足りなかったです。宮崎駿監督の前作「ハウルの動く城」と同様にストーリーの背景がわかりにくかったように思います。でも、魚のポニョが嵐の海の上を疾走し、ついに宗介と再会するシーンには感動しました。また、月が海上に浮かぶ場面が美しかったです。例のテーマソングも耳に残りますね。Tonyさんは、もうご覧になりましたか?

 人間の男の子に恋をして自らも人間になることを選んだポニョは、現代の人魚姫です。人魚姫といえば、もちろんアンデルセンですが、彼の『人魚姫』の原題はもともとデンマーク語で「小さな姫」という意味でした。これに大きなインスピレーションを得て、後に「小さな王子」という物語がフランス語で書かれました。そう、サン=テグジュペリの『星の王子さま』ですね。『人魚姫』も『星の王子さま』も、ともに絶対の「孤独」と他者との「関係性」を描いていますが、この有名な二作品には明白な影響関係があるのです。以前、レターの第13信にも書きましたように、同様にメーテルリンクの『青い鳥』の影響を受けて宮澤賢治が『銀河鉄道の夜』を書いたと言われています。じつは、わたしは現在、アンデルセン、サン=テグジュペリ、メーテルリンク、宮澤賢治の四人の作品から人類の普遍思想をさぐる『ハートフル・ファンタジー』という本を書いており、ファンタジーについて日々考えているのです。

 21世紀におけるファンタジー界の大事件といえば、なんといっても「ハリー・ポッター」シリーズの登場です。この全世界で3億冊も読まれたという新時代のファンタジーはすでに古典の風格さえあり、島田裕巳氏のように「現代の聖書」と呼ぶ人さえいます。この作品が歴史的ベストセラーになった原因について、わたしも色々と考えましたが、最大の要因として「ホグワーツ魔法魔術学校」の存在があると思います。魔女や魔法使いになるために教育を受けなければならないという設定は非常に説得力があります。イギリスの作家であるクリストファー・ベルトンは、著書『ハリー・ポッターと不思議の国イギリス』(コスモピア)において、「このシリーズが現れるまで、ファンタジー文学に登場する人物はふつうの人間と魔女・魔法使いとに二分されていました」と述べています。J・K・ローリングは、ふつうの人間でもいくばくかの才能があり、良い教育を受けることができれば、魔女や魔法使いになれるという設定を考案しました。まるで、スポーツ選手や芸術家になるように。これこそ、ファンタジー文学にとって大きな躍進でした。しっかりした教育を受けていない、あるいは訓練を怠った魔女・魔法使いは、ただの人間にすぎません。

 じつは、わたしは常々、ホテルや冠婚葬祭といった接客サービス業に携わる人間とは「魔法使い」をめざすべきだと言っています。『星の王子さま』には、「本当に大切なものは、目には見えない」という言葉が出てきます。本当に大切なものとは、思いやり・感謝・感動・癒し、といった「こころ」の働きに他なりません。そして、接客サービス業とは、挨拶・お辞儀・笑顔・愛語などの魔法によって、それを目に見える形にできる存在ではないかと思うのです。もちろん、それらのホスピタリティ・スキルを身につけるのには教育と自らの訓練が必要になります。1943年に書かれた『星の王子さま』で示された「本当に大切なもの」が、ちょうど50年後の1993年に書かれた『ハリー・ポッター』の方法論で目に見える形になるなんて、なんて素敵なことでしょうか!

 そういうわけで、わたしも「ホグワーツ魔法魔術学校」に入学したいと思い立ち、先週、イギリスに行ってきました。ロンドンのキングス・クロス駅にある例のプラットフォームから学校に向かいました。実際のホグワーツのモデルは、オックスフォードにある「クライスト・チャーチ」です。ここは、かの『不思議の国のアリス』を書いたルイス・キャロルことチャールズ・ドジソンが数学の教授として勤務していたことでも有名です。

ロンドンのキングス・クロス駅からホグワーツ魔法魔術学校に向かう。

ロンドンのキングス・クロス駅から
ホグワーツ魔法魔術学校に向かう。ホグワーツのモデルであるクライスト・チャーチ。あのルイス・キャロルも教授だった!

ホグワーツのモデルであるクライスト・チャーチ。
あのルイス・キャロルも教授だった!
 ロンドンでは、ジェームズ・バリーが『ピーター・パン』を構想したケンジントン公園のベンチに座り、目に見えないネバーランドを幻視しました。その他にも、『ピーター・ラビット』『くまのプーさん』『指輪物語』『ナルニア国物語』と、本当にファンタジー大国としてのイギリスの底力には改めて驚嘆します。ファンタジーといえば、妖精の存在が欠かせませんが、シェイクスピアの『真夏の夜の夢』に出てくる妖精こそ、その代表格でしょう。今回、ストラットフォードにあるシェイクスピアの生家を訪れることができたのも大きな収穫でした。また、シェイクスピア夫人のアン・ハサウェイの生家の庭は見事なものでした。近年、この家がイングリッシュ・ガーデンの聖地となっています。わたしは現在、『花をたのしむ』という本も作っているのですが、コッツウォールズ地方のさまざまな名庭を訪れ、花の洪水を浴びたことも楽しかったです。

 イギリスを訪れた目的は他にもあります。まず、バッキンガム宮殿の大広間がこの8月から初公開されるので、それを視察すること。エリザベス女王が主催する大晩餐会の会場やそのバックヤードなどを見学しましたが、当社は「ザ・ブリティッシュ・クラブ」や「ザ・ブリティッシュ・ヒルズ」などの英国風結婚式場を運営していますので、大変有意義な視察ができました。ウィンザー城も訪れました。イギリスの城は、ライオンとユニコーンの紋章に守られています。じつは、ユニコーンやドラゴンなどの「幻獣」をテーマとした本を近く講談社から出す予定(監修書ですが、なんと永井豪さんがイラストを描いてくれるんですよ!)ですので、その意味でも非常に参考になりました。なぜ、わたしが「幻獣」かというと、『世界をつくった八大聖人』における龍についての考察を注目していただいたようです。さまざまな世界のモンスターの文明史的意味を解明する本になりそうです。

 それから、ロンドン訪問には、夏目漱石の足跡をたどるという目的もありました。ここのところ、わたしの頭の中にはずっと漱石が棲みついているのです。当社のミッションは「冠婚葬祭を通じて良い人間関係づくりのお手伝いをする」ですが、何よりも「人間関係」が最大の問題だと思っています。サラリーマンの退職も自殺も、その理由の第一位は「人間関係の悩み」です。かつて漱石は『草枕』の冒頭で「とかく人の世は住みにくい」と書きましたが、その住みにくい世を住みやすくする最大の鍵こそ、「人間関係」にあります。漱石は、福沢諭吉の「脱亜入欧」に代表される明治の西欧化の中で儒学の伝統を守り、日本人の「こころ」を見つめて、良き人間関係を築く方法について考えた賢人でした。一連の漱石作品には、人間関係を良くする具体的なヒントが満載です。

 漱石の『倫敦塔』の文庫本を手に、ロンドン塔にも向かいました。かのワタリガラスもしっかり見ました。その日は3羽いました。また、1週間ほどのロンドン滞在中、毎日、雨に降られました。ぱらぱらと降る細い雨なのですが、晴れた日が一日もないわけですから、やはり気分も晴れません。この雨は霧となり、かくして霧の都ロンドンは非常に憂鬱な雰囲気に満ちます。わたしは、この憂鬱な街で、漱石がノイローゼになったことも、フロイトの精神分析や、心霊主義や、妖精写真や、探偵小説や、怪奇小説やSFなどが次々に生まれたことも何だかわかるような気がしました。霧で視界の良くない街には、逆に見えないものが見えてくるのでしょう。これは、泉鏡花を生んだ日本の金沢にもいえることだと思います。金沢も非常に日照時間の短い雨の多い霧の街だからです。

 そして、ロンドンはもうひとつの顔を持っています。それは、「法則の都」という側面です。「史上最大の法則」と呼ばれるかのニュートンの「万有引力の法則」をはじめ、人類の主要な法則のほとんどはロンドンで発見されていることに気づきました。「法則」追求の書といえる、アダム・スミスの『国富論』も、マルサスの『人口論』も、ダーウィンの『種の起源』も、すべてロンドンで構想あるいは執筆されています。究極の「社会法則」を求めたドイツ人のマルクスでさえ、『資本論』を書いたのは大英博物館のリーディング・ルームでした。そして、明治時代に「法則の都」にやって来た日本人が二人います。夏目漱石と南方熊楠です。漱石には悪名高い『文学論』という講義録があります。内容は、ロンドンでの英文学研究ですが、「およそ文学的内容の形式は(F+f)なることを要す」と切り出し、「Fは焦点的印象または観念を意味し、fはこれに付着する情緒を意味する」などと、文学を数学的方程式で表現しました。この前代未聞の試みは日本で大変な不評を買いましたが、わたしは、漱石は文学の世界に「法則」を求めたのだと思えてなりません。スミスやケインズが経済学にニュートン的「法則」を求めようとしたごとく、漱石は世界で初めて文学に「法則」を求めた人だったのです!また、同時代人の南方熊楠は粘菌の研究を中心に「南方マンダラ」を残しましたが、これも大いなる「宇宙法則」「生命法則」の追求だと思います。漱石も熊楠も、「法則の都」の磁力に引き寄せられたような気がします。

 最後に、ロンドンからバスに乗って念願のストーンヘンジを訪れました。Tonyさんが以前言われていましたが、空間はデカルトがいうような「延長」的均質空間では決してないと思います。 世界各地には、神界や霊界やさまざまな異界と接触し、ワープする空間、すなわち聖地があるのだと思います。世界は聖地というブラックホール、あるいはホワイトホールによって多層的に交通づけられ、穴を開けられた多孔体なのですね。ストーンヘンジも伊勢も出雲も、デルフォイもメッカもエルサレムも、すべては異界に通じる孔にすぎません。世界はバラバラのようでも、根底ではつながっています。近く「パワースポット」についての本をPHP文庫から出す予定ですので、貴重な訪問となりました。

イングリッシュ・ガーデンに立つ。まるで妖精のような一条真也。

イングリッシュ・ガーデンに立つ。
まるで妖精のような一条真也。ストーンヘンジにて。大地のパワーを注入!

ストーンヘンジにて。
大地のパワーを注入!
 というわけで、同時進行で何冊かの本を作っていますが、すべてに有意義な取材ができました。ファンタジーも、花も、幻獣も、パワースポットも、限りなく世界を豊かにしてくれることを再確認しました。帰りの機内では、アーサー・C・クラーク著『幼年期の終わり』の新訳(光文社古典新訳文庫)と、むのたけじ著『戦争絶滅へ、人間復活へ』(岩波新書)を読みました。ともに感銘を受けましたが、この二冊のテーマは共通していました。

 前者は、地球上空に突如として巨大な宇宙船が現れ、オーヴァーロード(最高君主)と呼ばれる異星人が人類を統治して、平和で理想的な社会をもたらすというSFです。後者は、太平洋戦争の敗戦の日に戦争責任をとる形で朝日新聞社を去った93歳のジャーナリストが戦争の真実をあますところなく語り、愚直なまでに永久平和を訴える書で、気鋭のノンフィクションライターの黒岩比佐子さんが聞き手となっています。クラークは「鳥の目」で、むの氏は「虫の目」で、戦争根絶について考えています。この二つの見方を重ねれば、新時代の平和思想が見えてくるような気がします。北京オリンピックが華やかに開催された翌日は長崎原爆記念日でした。そして、直後にロシアとグルジアが軍事衝突しました。これからも、「鳥の目」と「虫の目」で世界を見ることを忘れず、そして自分にできる世直しに努めたいと思います。

 さて、満月の夜ごとに交わされるこの不思議なレターも、今回で36信となりました。早いもので、ちょうど3年です。この先いつまで続くかは神のみぞ知るところですが、63回目の終戦記念日の今夜、月が美しく輝いていますね。これからも、わたしはTonyさんと月光の道をともに歩んで行きたいと願っています。それでは、また、オルボワール!

2008年8月15日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 Shinさん、じつはわたしも封切り間もない2週間ほど前に埼玉県大宮のときどき行くサティのマイカル大宮で「崖の上のポニョ」を観ました。確かに、背景や登場人物の関係性など、わかりにくいところがありましたが(たとえば、ポニョの父らしい藤本と母らしい「観音様」の関係とどうしてそのようにして生きているのかなど)、わたしは深い感動をおぼえました。

 それは、宮崎駿監督が、大自然の猛威——ここでは大津波——によって、主人公の一人宗介の住む港町が海中に没するという災害が起こることをたいへん大胆に描いていたからです。それを観て、宮崎さんの地球壊滅あるいは人類滅亡への危機感とそれを脱却することへの希求は相当なものだと感じました。そして、その宮崎さんのとてつもなく根深いニヒリズムと、それでもそこから立ち上がってくる希望の祈りのようなものの発信に対して、わたしは深い共感を抱いたのです。アカデミー賞を受賞した作品『千と千尋の神隠し』や『ハウルの動く城』をわたしはあまり評価していませんが、今回の『崖の上のポニョ』には感じ入るところが多々ありました。

 そして、説明不足のところもまたよい、と思ったのです。ファンタジーはすべてわかりやすく説明されて面白さが生まれるわけではありません。宮沢賢治の童話作品の多くは説明不足、背景不明です。しかしそれでも、いやその不可思議な超越性のゆえにわたしたちをグイグイと惹き付けて離さないのです。圧倒的なリアリティと異界への四次元空間や銀河系への「孔」を感じさせるのです。そんな「ファンタスティック」な感覚が、『崖の上のポニョ』には確かにあると思いました。

 それから、この点がさらに重要なのですが、ポニョのお母さんの「観音さま」と呼ばれる海の中の大きな女性(海の女神)が、天河大弁財天社の「日輪天照大弁財天」にどこか似ていました。ポニョのお母さんの方が綺麗とか美人という点では綺麗で美人でしたが、その大きさと母性と親しみ深い崇高さはどこか共通するものを感じたのです。日輪天照弁財天にぞっこん痺れてしまったわたしはこの女神の生命力と救済力に宮崎駿の絶望と希望と祈りを透視したのでした。そして、大破壊やカタストロフィーの中にあっても、逞しく生きのびるいのちとこころとおもいを描いているとわたしは感じ、このところダウンしていた宮崎評価が赤丸急上昇しUPしたのです。

 Shinさんは、イギリスに行っていたのですね。キングスクロス駅、懐かしいです。漱石が住んでいたロンドンのサウスエリアの阿井染徳美という日本画家のお宅で、わたしもしばらく居候をしていて、漱石のことなどもそこで考えていたことがあるからです。阿井染徳美さんのことは、鏡リュウジさんとのムーンサルトレターの2004年7月31日・8月1日付けのレターのやりとりで書いてありますので、参照してみてください。わたしは阿井染さんと一緒に漱石が住んでいたあたりを徘徊し、安パブでギネスビールをガブガブと飲み(そのころはまだ大酒呑みでした)、イギリスのケルトルネッサンスに一役買ったウィリアム・モリスの工房なども訪ねたものです。

 イギリスは陰影のある国ですね、確かに。わたしはビートルズやTレックスやキンクスやザ・フーやフリーやポリスやケイト・ブッシュなどのブリティッシュ・ロックが好きでしたが、それは彼らの中にマイナーな旋律やケルト的な香りが漂っているのを感じたからでした。その「ケルト感覚」が隠し味のようにイギリス文学やイギリスの絵画(たとえば、ウィリアム・ブレイクやラファエロ前派など)やロック・ミュージックにはあって、その暗い翳が好きでした。大英帝国や大英博物館は大嫌いですが、だから、大英帝国からの民族独立を成し遂げたマハトマ・ガンジーには最大の敬意を払いますが、イギリスに潜在するケルトの影にはとても魅かれます。そして、トールキンの『指輪物語』やC・S・ルイスの『ナルニア国ものがたり』や最近のハリー・ポッターにもその影とテイストが忍ばされていると思います。でもわたしには、ハリー・ポッターは退屈です。なんといっても、『ゲド戦記』がすばらしい。だけど、宮崎吾朗監督の『ゲド戦記』は最悪でしたが。

 Shinさんの同時進行している新作の一つに、アンデルセン、サン=テグジュペリ、メーテルリンク、宮澤賢治の四人の作品から人類の普遍思想をさぐる『ハートフル・ファンタジー』があるのはおもしろそうです。賢治は確かにアンデルセンやメーテルリンクの影響を受けていると思います。また、ほぼ同時代を生きたサン=テグジュペリとは共通するところが多々ありますね。特に、「すべての偉大な人々も初めはみな子どもだった」とか、 「言葉は誤解の源」とか、「目では見えない。心で探さないといけない」 「本質は目では見えない。心で見るのだ」とか、賢治の考えや感覚と共通します。

 わたしは今、『聖地感覚』(角川学芸出版)と『神楽感覚』(作品社)の2冊の本の最終校正段階を迎えています。どちらも9月20日過ぎに出版できると思いますが、前者はこれまで『場所の記憶』(岩波書店、1990年)とか『聖地への旅』(青弓社、1999年)とか書いてきた聖地論のテーマの延長線上の本で、後者は細野晴臣さんや環太平洋モンゴロイドユニットとの共著で対談・座談本ですが、1996年から12年間続けてきたサルタヒコの探究や「おひらきまつり」の中で実践してきた「新神楽」の集大成の本です。出来上がったら、ぜひ読んで批評してもらいたいと思います。

 さて、Shinさんがロンドンの街を徘徊していたころ、わたしは韓国のソウルの街を徘徊していました。ソウル国立大学で5年に1回開催される「世界哲学会議」に参加したのです。オリンピックのように、5年に1度、持ち回りで、世界中の有名大学で行われているようで、何千人もの参加があって、7月30日から8月5日まで1週間行われたのです。

 わたしは東京大学の仏教学の末木文美士教授に誘われて、仏教哲学の部会で神道と仏教の関係について話をしました。行きも帰りも一人で行き、宿泊も一人だけ、ソウル市庁駅近くのホテルに泊まり、昼間はソウル大学、夜は明堂の街中を徘徊して韓国のテイストとソウルをソウルフルに楽しみました。とくに、明堂で食べたサンゲタンはおいしかったですね。そこでわたしは、生まれ故郷のパリとソウルはどこかなし似ていると思ったのでした。そして、ソウル大学は京都大学と東京大学と北海道大学を足して3で割ったような感じの大学で、大変な「パワースポット」に建っているので、今後凄い底力を発揮するはずだと確信しました。ソウル大学はその名に恥じず、ソウルの南の聖域の一角に陣取ってますね。京都大学はすぐ近くに吉田神道の本拠地だった吉田神社と吉田山があり、鬼門の方角に比叡山延暦寺があって、その学地=学知を守護していると思います。東京大学は上野の寛叡寺と神田明神と湯島聖堂の間にあって、帝都の知のシステムを起動させていく頭脳として企図されています。ともかく、東大には野性味は薄く、京大や北大には野性味があると思いますが、ソウル大学は知性と野性の両方が適度にバランスされているすばらしい場所に建っていると感心しました。今後のソウル大学に注目する必要があります。

 韓国から帰国してすぐNPO法人東京自由大学の恒例の夏合宿を行いました。今回は、群馬県沼田市出身の「フォト霊師」須田郡司氏に先達をお願いして、「天狗の里・上州を巡る」というテーマで、ゆかりの聖域を巡りました。じっくりと充実した、ゆとりのある、よき夏合宿になったと思います。

 須田さんは前掲『聖地への旅』や『宗教と霊性』(角川選書)など、わたしの書いた本の多くの表紙の写真や本の中に収録した写真の多くを撮影してくれたユニークなカメラマンで、「奥上州山岳霊場への先達として場所を選びました。私が、聖地に目覚め、石の世界へと導かれた原風景を堪能して頂ければ、幸いです」という須田郡司さんの前口上を発してくれました。

 初日は、迦葉山龍華院弥勒寺・奥の院参拝。2日目は、泰寧寺参拝、三峰山登拝、榛名神社参拝。3日目は、前橋・飛石岩神稲荷神社、産泰神社、赤城神社参拝のスケジュールでした。迦葉山弥勒寺は、須田さんの説明では、沼田市北部にそびえる迦葉山の中腹に鎮座し、寺号は詳しくは「迦葉山龍華院弥勒護国禅寺」と称します。一般には単に「迦葉山」と呼ばれることが多く、天狗の寺として知られ、高尾山薬王院、鞍馬寺と共に「日本三大天狗」の一つに数えられています。参拝の際には、中峯堂から天狗の面を借りて帰り、願いが成就したら、その面ともう一つ新しい天狗の面を奉納し、また別の面を借りるというならわしがあるそうです。鎮守中峯尊者は、曹洞宗に改宗の天巽禅師に随伴した非凡の高僧で、伽藍造営の大事業から布教伝導まで大いに努めて禅師を助け、また山頂の岩屋や険しい岩山など人力では到底登れないような所まで開き、修行者を導くなど非凡な神通力を持っていました。 十年一日の如くその容顔変わることなく神童といわれ、天巽禅師が二世大盛禅師に住職を譲られるや中峯尊者は、「実は、私は迦葉尊者の化身である。衆生済度のため、かりに姿を変えてこの世に現れたのであるが、なすべきことは終わったので、今から昇天し末世衆生のため苦しみを除き、楽しみを与えよ」と両禅師に別れを告げ昇天され、その後に天狗の面が残されていたと言われています。その由緒ある場所が境内正面の案内峰と伝えられています。神童、中峯を祭って「中峯尊者」と言われますが、一般にはお天狗さま」として崇められ、時が経つとともに、そのご利益は益々高く、「開運守護の天狗さま」という「迦葉山信仰」となって、県内はもとより、遠く埼玉、栃木、新潟、東京、関西にまで及び、多くは講を作り、また、お互いに誘い合い毎年参詣するならわしになっているとのことです。寺城はうっそうとした樹木に包まれ、馬かくれの杉、地蔵の杉など老杉が多く、山頂は奇岩、怪石に富み、和尚台などもありますが、この「和尚台」が凄い修験場でしたね。

 実に、感動しました。何も知らず、予備知識も何もなく、須田さんの後をついて迦葉山に登ったのですが、すばらしく厳しい修験の岩場で、なるほどここに天狗信仰が発達するのもむべなるかなと深く納得したのでした。その鎖場は、九州修験の本拠地英彦山や羽黒修験の本拠地出羽三山よりも厳しく、戸隠山にも似た鋭い厳しさがあり、いやあ、しびれましたわ。

 2日目に登った三峰山は須田さんが子供のころから初日の出を拝むために登っていた山で、上越線後閑駅の北東に位置し、南北に平らな頂を伸ばし、南から追母(おいぼ)峰、吹返(ふきかえし)峰、そして山頂である後閑峰の三峰からなる山で、その南端にある河内神社に参拝したのです。須田さんの父上は、その神社の太々神楽の伝承者で、毎年そこで神楽を奉納しているとのことです。そのお父上から直接神楽の話を伺うこともできました。

 榛名神社は、延喜式内社で、聖徳太子のお父さんになる用明天皇(585〜587年)の時代に創建されたといわれる古社です。雨乞いの神社として、また修験者の霊場として古くから榛名山信仰の参拝者を集め、荘厳な雰囲気の漂う本殿の背後には御姿岩 (みすがたいわ) とよばれる巨岩があり、本殿はその奇岩の一角にめり込むように建てられています。この御姿岩をご神体とした神仏習合の聖地霊場が榛名神社で、わたしは3回目の参拝になりますが、改めて凄い神社だ、素晴らしい神社だと感嘆しました。

 3日目に参拝した岩神稲荷神社は、赤城山の噴火活動による火山岩がここまで押し流されてきた岩を崇拝する神社で、今は安産の神として知られる産泰神社もその背後に巨大な火山岩の集積があり、「おおっー!」と唸りました。ここには、古くから太々神楽が伝えられていて、その出雲神楽の系統を引く里神楽は「猿田彦の舞」「大蛇退治の舞」など23座が舞われ、近郷近在の神楽に多大な影響を与えていて、昭和48年(1973)に前橋市指定重要無形文化財となりました。赤城神社は、知る人ぞ知る上野の国の二の宮です。ちなみに、一の宮は貫前神社(ぬきさきじんじゃ)です。上州・上野の国の重要性と面白さを堪能した東京自由大学の夏合宿になりました。新たな発見も多々あり、その成果はおいおい出していきたいと思います。最澄さんもこの上野の国に布教に来ていて、ここが東国の仏教布教の拠点になっていたのですよ。

 そんなこんなで、7月8月は、わたしも聖地巡りが続いていますが、8月末には出羽三山縦走、バリ島研修、9月には八ヶ岳縄文の聖地巡りとさらに続きます。暑い暑い夏ですが、今しがたまで東山の上空からからさしてくる満月の月明かりの中でこのムーンサルトレターをしたためていました。今日は大文字の送り火の夜でした。わが砦からも「妙法」の「法」の字と小大文字の火が見えました。お盆のみたまの送り火とともに、この「乱世」のさ中、「平安」の世の到来を願わずにはいられません。

2008年8月16日 鎌田東二拝