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シンとトニーのムーンサルトレター 第102信

第102信

鎌田東二ことTonyさんへ

 今夜の小倉は雨。残念ながら、今年最後の満月を拝むことはできませんでした。時はまさに師走の忘年会シーズン真っ盛りで、わたしも連日、大量のアルコールを体内に吸収しています。(苦笑)前回のレターから1ヵ月間、いろいろな出来事がありました。Tonyさんとお話したいこともたくさんあります。

 まず、先月25日、流通大手セゾングループ元代表の堤清二氏が肝不全のため東京都内の病院で亡くなられました。86歳でした。堤氏は本業の西武百貨店以外に、スーパーの西友や「無印良品」ブランドの良品計画、パルコを展開し、バブル期には「インター・コンチネンタル・ホテルズ」を買収しました。売上高4兆円を超える一大流通グループを築きますが、中核の西武百貨店が経営不振に陥り、91年にセゾングループ代表を辞任。92年には西武百貨店の代表権も返上しました。また、経営者とは別に「辻井喬」のペンネームで作家・詩人としても活躍しました。61年、詩集『異邦人』で室生犀星詩人賞を受賞。84年、小説『いつもと同じ春』で平林たい子文学賞。グループ代表退任後、旺盛に創作に取り組み、詩集『群青、わが黙示』で高見順賞、『鷲がいて』で読売文学賞、小説『虹の岬』で谷崎潤一郎賞、『父の肖像』で野間文芸賞を受賞しています。

 経営と執筆活動を両立しておられた堤清二氏の存在は、わたしの人生に多大な影響を与えました。その意味で、堤氏はわたしの恩人であると思っています。学生の頃、最も憧れた経営者が堤氏でしたし、わたしは「経営者でも本を書いて良いのだ」ということを知りました。「二束の草鞋」を嫌う日本社会の中で、一時の堤氏の大活躍は歴史に残る輝きを放っていたと思います。そして、堤氏の執筆活動を中心にした文化人としての感性が現実の経営の分野にフィードバックしていたことは間違いありません。

 まさに、堤清二氏こそは「文化」と「経済」をつなげた方でした。そういえば、ずいぶん昔、東京は有楽町の炉端焼の店でTonyさんと水野誠一さん(当時は西武百貨店の社長)、堤康二さん(映画プロデユーサーで清二氏の長男)とわたしの4人で飲んだことがありましたね。大いに「文化」について語り合った夜でした。あの頃は、まだTonyさんも飲まれていましたよね。憶えてらっしゃいますか? あの夜、後に参議院議員になられた水野さんが「堤清二の晩節を汚してはならない」とポツリと言ったのが印象的でした。

 それから、この年末、わたしは多くの映画を観ました。いずれ、『死が怖くなくなる映画』という本を書く予定があり、機会があれば時間を見つけて映画館に飛び込むことにしています。11月23日に公開されたスタジオジブリの最新作「かぐや姫の物語」も観ました。世界最古の長編物語といわれる『竹取物語』を題材に、数々の傑作を生み出してきた巨匠・高畑勲監督が手掛けた長編アニメーションです。

 素晴らしい映像美を堪能しましたが、特にラストでかぐや姫を迎えに来た月からの使者の描写が印象的でした。巨大な雲のような乗り物には、ブッダのような人物が乗っていました。他にも多くの月人たちがいましたが、彼らは一様に楽器を奏でていました。それに対して、地上の武士たちは武器で身を固めています。これを観て、わたしは「すべての武器を楽器に!」というミュージシャン・喜納昌吉氏の言葉を思い出しました。喜納氏はペリーの“黒船”がもたらした文明開化のお返しに、平和を象徴する“白船”によってアメリカに平和開花を迫ろうと、「白船〜White Ship of Peace〜」を1998年に実施しました。月からの使者たちはまさに“白船”に乗って地球上にやって来たわけですが、高畑氏はもしかして喜納氏のアイデアにヒントを得たのでしょうか?

 わたしは、2013年公開の「かぐや姫の物語」をもって、1958年の「白蛇伝」に始まった日本の長編アニメという芸術ジャンルはピークに達したように思います。日本の長編アニメの歴史は、宮崎駿と高畑勲の両監督が所属するスタジオジブリが支えてきました。宮崎監督は「風立ちぬ」で紹介した映画をもって72歳で引退を表明しました。高畑監督も今年で78歳になります。おそらく、この作品が最後で最高の作品になるのではないでしょうか。考えてみれば、宮崎監督の「となりのトトロ」と高畑監督の「火垂るの墓」というお互いの代表作が同時上映されたことが、今では夢のようです。

 わたしは日曜日に、この映画を1人で観ました。本当は、2人の娘たちと一緒に観たかったです。なぜなら、わたしは2人の娘を「姫」だと思って育ててきたからです。最初に、竹取の翁が光る竹の中から女の子を見つけたとき、翁は「これは天からの授かりものに違いない」と言います。それとまったく同じで、子どもというのは基本的に「天からの授かりもの」であり、「天からの預りもの」だと思います。それは、わたしの娘たちだけでなく、世の中の子どもはみんなそうなのです。

 映画の最初のほうで、幼い姫が近所の子たちに「たーけの子!」とはやし立てられ、よろよろ歩くシーンがあります。それを見ていた翁は愛しさのあまり、たまらず駆け寄り、姫を抱き上げます。その翁の目には光るものがありました。それを観たわたしも、なんだか泣けてきました。2人の娘たちが赤ちゃんだった頃を思い出しました。かぐや姫が月に帰るとき、翁は「姫のオムツを替えるとき、どんなにわしが嬉しかったか」と言う場面があります。これにも深く共感しました。

 最近よく思うのですが、「面倒くさいこと」の中にこそ、人間の幸せがあるのではないでしょうか。考えてみれば、赤ちゃんのオムツを替えることだって、早起きして子どもの弁当を作ることだって、寝たきりになった親の介護をすることだって、みんな「面倒くさいこと」です。でも、それらは親として、子として、やらなければならないこと。そして、子どもが成長した後、また親が亡くなった後、どうなるか。わたしたちは「あのときは大変だったけど、精一杯やってあげて良かった。あのとき、自分は幸せだった」としみじみと思うのです。それが「面倒くさいこと」のままであれば、どうなるか。行き着く果ては、赤ん坊を何人も捨ててしまう鬼畜のような親が出現するのではないでしょうか。

 それから、12月7日公開の「利休にたずねよ」も観ました。この映画を観て、気づいたことがあります。利休が盆に水を浮かべて夜空の満月を映したり、枯れかけたムクゲの花を水に与えて命をよみがえらせるシーンがありました。彼は水というものの力を知り尽くしていたのです。そして、彼がきわめた茶の湯の道こそは、水を湯と化して、さらには茶に変える芸術にほかなりません。その茶によって、人の心に平安をもたらす。利休こそは、「水の白魔術師」だったのではないでしょうか。そう、茶の湯とは日本が生んだ幸福創造のホワイト・マジックだったのです!

 わたしは、孔子、ブッダ、ソクラテス、イエスの「四大聖人」は大河の文明を背景として生まれた「水の精」であったと考えています。そして、利休という「水の魔術師」の体内には偉大な「水の精」たちも潜んでいたのではないでしょうか。だから、彼は茶の聖人、すなわち「茶聖」と呼ばれたのです。しかし、「聖人」であるはずの利休は、「天下人」である秀吉によって切腹に追い込まれます。その理由は、大徳寺の山門に利休像を置いたからだとか、娘を秀吉の側室として献上しなかったからだとか、または利休が高額で茶器を売り買いしたからだとか、いろいろ言われたようです。

 でも、真の理由はただ1つ。秀吉が利休の人気を嫉妬したからでしょう。考えてみれば、信長が本能寺の変で死亡せずにそのまま「天下人」となっていれば、利休の運命も大きく変わっていたかもしれません。信長と秀吉では、「美」に対する理解の度合いにおいて雲泥の差でしょうから。秀吉ほど、「美」を理解できないというか、教養がない人間もいないでしょう。あのキンピカの黄金の茶室など、醜悪の極みであり、日本文化の恥です。

 いずれにしても、秀吉と利休はまったく正反対の人間だった気がします。冒頭に、切腹を控えた利休が「この世は、武力や銭金だけで動いているのではないぞ」とつぶやくシーンがあるのですが、それを見て、なぜか故・堤清二氏のことを思い出してしまいました。今は亡き堤氏が「利休にたずねよ」を観たら、どんな感想を抱いたことでしょうか。

 そして、12月13日に公開された映画「ゼロ・グラビティ」を観ました。この映画、映画史上最もリアルに宇宙空間を表現しているとの前評判を聞いて以来、ずっと観るのを楽しみにしていました。いや、予想以上に素晴らしかったです。3Dで観たのですが、上映された91分間、わたしは宇宙を漂流する疑似体験をすることができました。つくづく感じたことは「宇宙は人間の世界を超越している」ということ。

 「この映画のテーマは何だと思いますか?」というインタビュアーの質問に対して、主演女優のサンドラ・ブロックは「わたしがこの作品から得たのは、畏敬の念ね。大きな宇宙の中で、わたしたちがいかに小さな存在か、そしていかに人生を無駄使いしているかを強く感じたわ。人生は驚嘆すべきもので、そこにはパワーやマジックがある。この作品のどこが美しいかというと、人生において、どこから助けがやってくるか決してわからないということを描いていることだと思うわ」と答えていますが、まさに宇宙とはサムシング・グレートそのもの、人間は「畏敬」の念を覚えずにはいられません。

 畏敬すべき宇宙を体感する映画としては、SF映画の最高峰とされるスタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」を思い出してしまいます。名曲「美しき青きドナウ」が流れる中、人類文明の粋を凝らした宇宙ステーションが全貌を現した感動的な冒頭シーンを忘れることができません。Tonyさんが「2001年宇宙の旅」という映画をこよなく愛しておられることはよく存じていますが、この「ゼロ・グラビティ」は絶対におススメです。ぜひ、御覧下さい。わたしがDVDをお送りした「シュガーマン」や「危険なメソッド」はあいにくお気に召さなかったようですが(苦笑)、この「ゼロ・グラビティ」はきっと気に入られることと信じます。この他、「悪の法則」「清須会議」「四十九日のレシピ」「サプライズ」「キャプテン・フィリップス」なども観ましたが、キリがないので感想は割愛します。よろしければ、わたしのブログ記事をお読み下さい。

 最後に、明日18日に、わたしの新刊『慈を求めて』(三五館)が発売されます。サブタイトルは「なぜ人間には祈りが必要なのか」で、孔子文化賞受賞記念出版となった『礼を求めて』(三五館)の続編です。さまざまな話題が登場しますが、中でも世界平和パゴダ再開をはじめとしたミャンマー仏教関連のエピソードをたくさん書きました。また、「東アジア冠婚葬祭業国際交流研究会」のミッションで訪問した韓国や台湾の葬儀事情、同じく業界のミッションで訪問したオランダやベルギーの葬儀事情なども書きました。おそらく、資料的には類書がないと思います。さらに、伊勢神宮、出雲大社、靖国神社、知覧特攻平和会館、ビルマ日本人墓地などを訪れたレポートにも力が入りました。「禮鐘の儀」、「宇宙葬」、「月への送魂」などの儀式文化におけるイノベーションについても紹介しました。

 誠に不遜ながら、Tonyさんにも送らせていただきますので、御笑読のうえ、御批判下されば幸いです。それでは、今年も大変お世話になりました。来年も、どうぞ、よろしくお願いいたします。Tonyさん、どうか良いお年をお迎え下さい。オルボワール!

2013年12月17日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 2013年もいよいよ幕を閉じそうですが、世の「動乱」は幕を閉じないどころか、ますます「動乱」の動きを強めています。そのように見えます。わたしは、「スパイラル史観」という歴史観によって、古代と近代を「文明開化・富国強兵・殖産興業」を旗印とした帝国化の時代と大括りし、中世と現代を帝国崩壊の乱世にして戦国期であると大括りしました。そしてそれを「現代大中世論」として、25年前、平成になってからすぐに強く主張するようになりました。わたしの見方では、どうも、その悪い予測が当たっているように思えます。

 21世紀の現在、世界は「災害(自然災害・人為災害)多発・激発時代」に突入しているように見えます。金融資本(社会?)主義に牽引されたグローバル化の大波は地球を呑み込まんばかりです。このままでは、多様な生命世界は沈没し、生きとし生けるものの多くが溺死してしまうのではないでしょうか?

 そんな危惧の念を覚えます。

 折しも日本では、東アジア領土問題や都政を始めとする政治の迷走、原発問題と深刻な環境・健康汚染、構造的な経済危機、人材育成の困難、超少子高齢化の超高速進行と社会保障問題のなし崩し的崩落などの、様々なレベルでの「崩れ現象」が発生しています。

 そうした中で、この閉塞と混迷を突破し、新たな時代と世界を創造していく力と知恵が求められています。この時、「宗教」はどのような力となり、いかなる役割を果たすのでしょうか。その限界と可能性を見究めつつ、挑戦してみたいですね。

 わたしにとってその「挑戦」が、来年早々、1月7日にポプラ社のポプラ新書から刊行される『歌と宗教——歌うこと、そして祈ること。』の刊行になります。ぜひ読んでブログで感想などお聞かせくだされば幸いです。Shinさんの新刊『慈を求めて』(三五館)に対抗する(対立・対決するという意味ではなく、太陽と月のように相照らし合うという意味です)ものだと思いますよ。

 Shinさんの次々の出版に較べれば、亀の歩みですが、しかし、「神道ソングライター」としての15年の歳月の歌の力が炸裂した本ですので、本としては薄っぺらですが、メガトン級の起爆力だと自負し、これも、動乱期をゲリラ的に生きぬくワザと思っています。そして、現代の耳なし芳一、佐藤西行に対する鎌田東行、現代平家物語の活動だと、古代妄想的に考えています。

 ともあれ、「動乱期」の現代を証しするようなデータが、最新科学の現場から出てきているのは注目すべきです。太陽観測衛星の「ひので」などの観測データでは、2008年以降、太陽黒点活動が異様に少ないことが続いているというのです。それによって、将来、寒冷化していく可能性があります。少なくとも、世界史において寒冷化した17世紀中ごろからの「マインダ—極小期」と共通要素があるということ。加えて、太陽が通常の二重極(NS極)ではなく、四重極(2つのNS極化)していること。この現象が何をもたらすか、予断を許しません。

 20世紀末には、21世紀は「心の世紀」になると、期待をもって予測されましたが、しかし、現実は逆でした。「心の喪失の時代」か、あるいは、「心の荒廃の時代」となっています。

 平成10年(1998)、年間自殺者数は前年1997年の24391人から一挙に32863人と増え、その後も年間3万人を下回らず、2006年10月には「心の荒廃」が国会でも論議されました。さらには、2011年3月11日(「3・11」)に起こった東日本大震災、そしてその直後の福島原発事故により、いっそう深刻な「自然と心の荒廃」に直面しています。

 しかしそれゆえ、わたしたちは、人間の生存について、いのちあるものの未来について、また真に豊かな暮らしや生き方とはどのようなことかを模索しているわけですが、そのようなさ中に、常田佐久JAXA宇宙科学研究所所長(宇宙物理学・太陽物理学)のお話を伺う得難い機会があったのです。海野和三郎NPO法人東京自由大学学長(東京大学名誉教授・天文学者)の縁で、常田佐久宇宙科学研究所所長の講演「最近の太陽活動の異変と地球環境」を聞くことができたのです。

 話の大筋は、常田佐久著『太陽に何が起きているか』(文春新書、2013年)にまとめられています。講演と著書によれば、JAXAの観測衛星「ひので」のデータに基づく太陽物理学の研究では、2008年から太陽活動が黒点のない不活発期に入り、太陽はNS2重極構造から「4重極構造」に変化しているというのです。

 それは、17世紀中頃から後半の「マウンダ—極小期」のような寒冷期に入る可能性があるということを含意しています。1645年頃から1715年頃までの「マウンダー極小期」には、テームズ河も凍ったとのことです。

 『太陽に何が起きているか』には、17世紀の画家アブラハム・ホンディウスの「凍ったテムズ川」(1677年作)の絵のことが紹介されています。そこには、凍結したテームズ河の上を人々が歩いたり、駆けたりしているロンドン市民の様子が描かれています。

アブラハム・ホンディウスの「凍ったテムズ川」(1677年作)

アブラハム・ホンディウスの「凍ったテムズ川」(1677年作)
 その頃、イギリスでは、ピューリタン革命(1640〜60年)が起きていました。が、すごい凶作で、飢餓が広がり、ペストなどの疫病も流行し、人口は激減し、経済不振が続いたのです。

 重要なことは、その頃に「科学革命」が起きたことです。つまり、「近代」の「躍進」が進んだわけです。

 この頃、デカルトが、1637年に『方法序説』、1641年に『省察』、1644年に『哲学原理』、1649年に『情念論』を著しています。また、1665年には、ニュートンが「万有引力」を発見します。そして、この力学的世界観に基づいて、科学・技術文明が構築されていったわけですね。

 そして2013年も終わろうとしている現在、6年半後の2020年に開催予定の東京オリンピックの後に、未曾有の人類史的苦難の時期がやってくるかも知れないという時期に差し掛かっています。

 もちろん、常田佐久先生は科学者ですから、いたずらに危機感を煽るような煽情的な書き方はしていませんし、確かな未来予測もできないようですが、近い将来、「地球温暖化問題」も異なった局面を迎えるかもしれません。その時、当然、農作物や食料や貿易や健康管理なども多方面にわたる備えと対策が必要になります。TPP問題も、交渉締結が裏目に出るかも知れません。

 暗い未来予測ばかりで恐縮ですが、石油資源も枯渇し、エネルギー問題・食糧問題など、大波乱や戦争が起こる可能性も否定できません。2020-30年頃から50年間ほどの21世紀後半期は、自然環境も社会環境も大波乱含みの上、日本は世界最高の超少子高齢化社会を驀進します。いったいこのような時代を、わたしたちはどのように生き抜いていくことができるのでしょうか?

 さてそこで、われらが「楽しい世直し」を始め、いろいろな「世直し策」を講じていかなければならないわけです。どんな世の中になっても、逆境にめげず、それをバネとして生き抜いていくゲリラ的活力と創造性を、「世の立て替え建て直し」をしなければなりません。

 そんな「世直し」を、女一人、果敢に教育分野で行なってきたのが、わが姉鳥山敏子でした。鳥山敏子は本年10月7日に72歳で死去しました。亡くなる日の朝まで、「東京賢治シュタイナー学校」の教師として、小学校3年生の子どもたちの前に立って教えていたといいます。

 先日、12月21日の朝9時半から、その「鳥山敏子先生を偲ぶ会」が開かれたので、立川にある「東京賢治シュタイナー学校」に向かったのでした。新宿から立川に向かう電車の中から雪の富士山がきれいに見えました。

 その富士山を見上げながら、「姉さん、あなたは富士山のようでした。美しく、雄大で、孤高で、しかもたくさんの人に愛されました。あなたのその生き方は、これから多くの人に語り継がれるでしょう。そしてその遺志は、あなたが教えた子どもたちや関係者の中で生きつづけ、はたらきつづけるでしょう。あなたはこの世で着実に使命を果たして、あの世に旅立っていきました。この世でのお務め、本当にありがとうございました。あなたの遺志をわたしも弟として受け継いでゆきます。見ていてください。見守っていてください。オナリ神のように。わが姉鳥山敏子よ!」と呼びかけました。

 その朝、天から光が降り注いでいました。姉は、姉のミッションをこの世で着実に果たしました。そのミッションのためには、芸術と宗教と科学・学問・教育は欠かすことができない連環の中にありました。その姉をわたしは深く尊敬し、愛しています。姉の志の高さと純粋さと過激で着実な実行力に心からの敬意を表します。

 今からちょうど15年前の1998年の11月の末、わたしはこの鳥山敏子にそそのかされて「神道ソングライター」になったのでした。1997年から99年にかけて、2年間、わたしは「東京賢治の学校」で月一回連続講義を行っていました。97年度は「悪について」、98年度は「幸福について」をテーマにして。

 そして1998年11月の講義の最後に、突然、鳥山敏子が、「ところで、鎌田さんは歌わないの?」と問いかけたのです。その翌日、大宮の楽器店でタカミネのエレアコ・ギター(今も愛用のもの)を買って、「日本人の精神の行方」「探すために生きてきた」「エクソダス」の3曲を作詞・作曲したのでした。それが神道ソングライターとしての出発で、1998年12月12日、浦和教育会館でその3曲を歌い、神道ソングライターとしてデビューしました。

 そのいきさつを、先に記したように、来年1月7日に発売される『歌と宗教——歌うこと。そして祈ること』(ポプラ新書、ポプラ社)の冒頭に書いたのです。そしてこの本を、まるごと、姉・鳥山敏子に捧げたのです。鳥山敏子がいなかったら、彼女のその一言がなかったら、わたしは15年前に「神道ソングライター」になることはなかったでしょう。

 「神道ソングライター」としての15年目の節目の年に、わたしをけしかけた張本人の姉・鳥山敏子は逝ってしまったのでした。それは確かに寂しいことだけれども、しかし同時に、粛然と襟を正されることでもありました。喝を入れられました。「あんた! しっかりなさい! やるべきことをやってから、こっちへ来るのよ! そうでないと、承知しないわよ!」と、叱咤激励されました。姉は激しい人ですから、人をその根源の素のところからひっくりかえして燃焼させてやまない人ですから。

 鳥山敏子は、東京都内の公立小学校で、ニワトリを殺して食べる授業やブタを飼育したあとで一頭丸ごと食べる「いのちの授業」を行ないました。そのことで、保護者や教師たちや教育関係者の間で物議をかもしました。その教育実践はまさしく「革命」です。

 そして30年近い公立小学校の教諭を辞めて1994年に作ったのが、「賢治の学校」でした。それが、今の宮沢賢治とルドルフ・シュタイナーの精神と思想と教育方法に基づく「東京賢治シュタイナー学校」http://www.tokyokenji-steiner.jp/characteristic/に発展したのでした。

 この東京賢治シュタイナー学校のHPには、「こころからの学びとこころからのよろこび」、「日本の素晴らしい文化、伝統、自然に根ざしたシュタイナー教育の創造と実践を通じ、21世紀を切り開く真に自立した子どもたちを、親、教師、地域コミュニティが一体となって育成する学校です。」と謳われています。

 またその「教育の特徴」は、「授業がおもしろい。学校がたのしい。今度は何をやるのかな。明日が来るのが楽しみ。」で、<子どもたちの生命に最も必要なことは何かを常に考え、その将来も見据えたユニークな教育が「生きる力」を育みます。生命あるものすべてのものに深い関心をよせ、学ぶことを愛する子どもたちは、心と身体を生き生きと弾ませて学校に通っています。シュタイナー教育と宮沢賢治の精神が融合した日本に根ざしたシュタイナー教育を実践する学校です。>とあり、今は、総児童数が162人とあります。

 ではその「シュターナー教育」とは、「試験がなく、点数評価もない。一人ひとりの子どもたちの体験を、慎重な観察と深い理解に裏打ちされたまなざしで包み込む教師たちのもとで、子どもたちはいきいきと心と身体を動かし、教師と親密な関係をつくりながら学び育つ」で、「シュタイナー教育の特徴」は、<シュタイナー教育は、人間の成長についての深い洞察に満ちた思想家、哲学者であるルドルフ・シュタイナー(1861〜1925年:オーストリア)の人間観に基づいた独特の教育です。この教育理念に基づいて、1919年、ドイツで最初のシュタイナー学校が誕生しました。その教育観は、「成長の節目を7年ごとにとらえる」こと、また「幼児期=意志の育成、少年期=感情の育成、青年期=思考の育成」と、3つの時期にそれぞれふさわしい方法を編み出していることなど、誰でもなるほどと頷けるところが多く、初めての学校設立から80数年を経て、国境や民族の違いを越え、人々の感動を呼び起こし続けています。>というものです。

 またもう一つの「宮澤賢治の精神」とは、<「東京賢治シュタイナー学校」はその命名からもわかるように、日本の優れた思想家である、宮澤賢治の世界観・精神を拠りどころとして設立されました。「せかいがぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」。宮沢賢治は、生き物はみな兄弟であり、生き物全ての幸せを求めなければ、個人の本当の幸福はありえないと考え、生き物、鉱石、風、虹、星、といった森羅万象との交感から多くのエネルギーを体得していました。宮澤賢治の精神とは、「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである。」(宮沢賢治 1926年)というものです。これは、宇宙・自然・他者とつながる「共生の精神」ということができます。この精神は、ドイツのルドルフ・シュタイナーが提唱した精神ともみごとに繋がっています。「東京賢治シュタイナー学校」でもこの思想を第一義として、自らの身体と心の内なる声を聞き、人、生き物、地球、宇宙との深いかかわりを意識することに重点をおき、その中で自分らしく生きていくことを学びのなかで実践しています。>というものです。

 「鳥山敏子先生を偲ぶ会」で、『シュタイナー・建築—そして、建築が人間になる』(筑摩書房、1998年)の著書がある上松佑二さんの後、『ミュンヘンの小学生』(中公新書、1975年)の著書のある子安美知子さん(早稲田大学名誉教授)の前に、挨拶をしました。

 1996年の鳥山敏子との出会いと、2年後の1998年に「神道ソングライター」となったいきさつを短く語り、「その責任を取ってもらいます。」と言って、遺影に向かって、アカペラで神道ソング「この光を導くものは」を歌ったのでした。


  この光を導くものは この光とともにある いつの日か輝き渡る いつか いつか いつの日か

  あなたに会ってわたしは知った このいのちは旅人と 遠い星から伝えきた 歌を 歌を この歌を

  導く者はいないこの今 助ける者もいないこの時 いのちの声に耳を傾け 生きて 生きて 生きていけ


 そして、力いっぱい感謝と別れの法螺貝を吹きました。姉の魂に届けとばかりに。姉の過激な遺志を受け継ぐよという誓いとともに。

 わたしはちょうど15年前、オウム真理教事件と酒鬼薔薇聖斗事件と神戸からの祈りと鳥山敏子の一声によって、「犬も歩けば棒に当たる」ようにして、「神道ソングライター」になったのでした。その原点を姉の死は思い知らせてくれました。そしてさらに激烈に生きよと喝を入れられました。それに全身全霊で応えていきたいと思います。

 「鳥山敏子先生を偲ぶ会」が終わって、「東京賢治シュタイナー学校」の教室や校舎を見学して、心の底から感動しました。そして、「姉さん! あんたは偉い! 凄いよ! ほんとうに。よく15年でここまで築き上げることができたね。ほんと、立派です。この教室と校舎は、プレハブみたいで、粗末かもしれないけど、大阪城や江戸城よりもずっと立派です。」と呼びかけました。また東京賢治シュタイナー学校の教師の方にもそう言いました。わたしには、東京賢治シュタイナー学校が、豊臣秀吉が築いた大阪城や太田道灌や徳川家康が築いた江戸城よりもはるかに立派に見えました。

 この東京賢治シュタイナー学校とわたしたちのNPO法人東京自由大学とは姉妹校のようなものです。同じ精神を共有しています。また同じ時代意識や問題意識を共有しています。そして、NPO法人東京自由大学では「久高オデッセイ」など大重潤一郎監督の記録映画の上映会を定期的に行なっていますが、本年、それと並行して上映しているのが、鳥山敏子とタッグを組んで、「鳥山先生と子供たちの11ケ月」(1984年)や「せんせいはほほーっと宙に舞った-宮沢賢治の教え子たち」(1991年)を作った四宮鉄男監督の記録映画作品なのです。これもまた深い縁ですね。その四宮鉄夫監督が大重潤一郎を記録する『わが友大重潤一郎』を作っているというのですから、ホント、魂の兄弟姉妹の縁というものは、奥深い「縁は異なもの」というほかないものがあるようです。ありがたくも、くしび、です。

2013年12月24日 鎌田東二拝

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