NHK文化センター京都での季節限定単発講座「京都 五山の送り火」2022年8月7日を開催します。

シンとトニーのムーンサルトレター 第099信

第99信

鎌田東二ことTonyさんへ

Tonyさん、お元気ですか? 今日は、9月19日の十五夜です。お月様がきれいです。それにしても、今年は暑い暑い夏でしたね。今日も、北九州は30度くらいあって、けっこう暑かったですけど。なんでも今年は平安・鎌倉時代以来の「千年猛暑」と呼ばれているそうですが、消防庁の発表によれば、7〜9月期の熱中症による救急搬送数が30年に一度の異常気象といわれた2010年7〜9月期の53843人に迫る数になりそうです。埼玉・千葉では竜巻が起こるし、各地ではゲリラ豪雨や台風による水害も激しいし、名古屋駅や京都の嵐山は冠水するし、本当に異常気象ですね。地球温暖化の影響を肌で感じる今日この頃です。

 さて、明るいニュースといえば、2020年の夏季オリンピックの開催地が東京に決定しましたね。さまざまな人が東京招致のプレゼンテーションを行ないましたが、その中でも、やはり滝川クリステルさんのプレゼンが最高でした! アルゼンチン・ブエノスアイレスのIOC(国際オリンピック委員会)総会で東京がプレゼンテーションを行った際、滝川クリステルさんがIOC委員に東京招致を訴えました。流暢なフランス語と、ナチュラルな笑顔・・・これ以上ない適役でした。その癒しビームには、すべての男性委員がメロメロになったのでは? とにかく、彼女は美しくて可愛くて上品で、おまけにクールビューティでしたね。

 滝川クリステルさんは、プレゼンで以下のように述べました。「皆様を私どもでしかできないお迎え方をいたします。それは日本語ではたった一言で表現できます。『おもてなし』。それは訪れる人を心から慈しみ、お迎えするという深い意味があります。先祖代々受け継がれてまいりました。以来、現代日本の先端文化にもしっかりと根付いているのです。その『おもてなし』の心があるからこそ、日本人がこれほどまでに互いを思いやり、客人に心配りをするのです」

 何よりも、「おもてなし」を打ち出したところが素晴らしかったですね。サービスともホスピタリティとも違った、日本独特の「おもてなし」。もともと「おもてなし」の心は、言葉を交さなくても相手の気持ちを察することにあり、そのルーツは神道の「神祭」にあるように思います。滝川さんが「お・も・て・な・し」と1字づつ印を切るように発声してから、最後に合掌しながら「おもてなし」と言い直した場面には感動しました。彼女が合掌している姿に、IOC委員たちは「理想の日本人」を見たのではないでしょうか。東京の治安が良いこととか、公共交通機関が充実しているとか、街が清潔であるとか、そういった現実的な問題ももちろん大事です。でも、「おもてなし」という言葉、そして合掌する姿がこれ以上ないほど日本という国を輝かせてくれました。かつての日本は、黄金の国として「ジパング」と称されました。これからは、おもてなしの心で「こころのジパング」を目指したいですね。

 さて、今年もサンレー本社の社員旅行が行われ、総勢60名以上で「こころのジパング」を満喫してきました。わずか2日間の旅でしたが、非常に充実した内容でした。1日目は大型バスに乗って北九州から鳥取の境港まで行きました。そうです、ここには「水木しげる記念館」および「水木しげるロード」があるのです。「水木しげる記念館」には、日本を代表する漫画家で妖怪研究家の水木しげる先生(境港市出身)とその作品の数々が展示されています。2003年、すでに境港の観光名所になっていた「水木しげるロード」内に造られました。老若男女問わず愛され続けている水木ワールドの集大成です。その建物は、100年の歴史を誇る料亭を改装して作られました。館内には、迫力満点の妖怪オブジェやジオラマ、映像に溢れています。来館者は、重厚な雰囲気の中で、水木ワールドの魅力を大いに満喫できます。記念館に入ると、まずは水木先生と鬼太郎が出迎えてくれます。 

 記念館を出た後は、「水木しげるロード」を散策しました。ここは、1993年(平成5年)にオープンしています。当初は銅像23体でのオープンでしたが、同年、JR境線にラッピング車両「鬼太郎列車」も運行を開始しています。現在は、境港駅前から本町アーケードの約800m(徒歩約15分)の間では全部で153体の妖怪たちが並んでいます。

水木しげる記念館にて

水木しげる記念館にて水木しげる妖怪ロードにて

水木しげる妖怪ロードにて
 水木しげるロードの商店街には鬼太郎グッズのショップがずらりと並びます。鬼太郎茶屋、鬼太郎焼き(大判焼)などをはじめ、パン屋さんでは鬼太郎・目玉おやじ・ネズミ男・一反木綿・砂かけ婆など有名キャラクターの形をした「妖怪パン」が売られています。着ぐるみの妖怪たちも出没し、彼らとの記念撮影もできます。また、世界でも唯一の「妖怪神社」では、妖怪おみくじロボットでおみくじが楽しめます。さらに、大きな壁に妖怪たちが描かれた「妖怪壁画倉庫」、旅の記念の「鬼太郎プリクラ」、妖怪の消印がついて届く「妖怪ポスト」・・・・・もう、これは妖怪ファンにはたまりませんね。まさに、ここは待ごとそのまま妖怪テーマパークになっているのです。わが社のみなさんも童心に返って、とても楽しそうでした。

 その日の17時半過ぎに、われら一行は島根県・玉造温泉の旅館にチェックインしました。宴会は19時からでしたので、まずは温泉に入って疲れを取りました。宴会では、まず佐久間進会長が挨拶しました。佐久間会長は、翌日に参拝予定の出雲大社について触れ、「出雲大社は、サンレーの心のふるさとである」と述べました。そこには聖徳太子が説いた「和」の精神があるというのです。

 会長に続いて、わたしも社長として挨拶しました。わたしは、昼間見学した「水木しげるロード」に並んでいた「妖怪」たちの話をしました。以下のような内容です。わたしも大の妖怪好きだが、妖怪というものは「目に見えない」ものを「目に見える」ようにした文化であると思う。つまり、人間の「おそれ」とか「かなしみ」とか「不安」などを可視化したものが妖怪ではないだろうか。だから、妖怪たちは恐怖の対象というよりも物哀しく懐かしい存在に感じる。わたしたちの「冠婚葬祭」という営みも、「目に見えない」ものを「目に見える」ようにした文化だと思う。「縁」や「絆」といった目に見えない大切なもの、思いやり、感謝といった「こころ」を可視化して「かたち」にしたものが冠婚葬祭なのだ。最後に、いまどき社員旅行に行くこと自体が珍しいが、「無縁社会」などといわれる現在、こうした人間同士のコミュニケーションはますます重要になると述べました。100年とか200年といった長寿企業は、いずれも社員旅行を実施しているそうです。わたしは、今後も、良き企業文化として、ぜひ社員旅行を続けていこうと訴えました。

 翌12日、8時半にホテルを出発して、バスは松江玉造ICに入りました。そこから出雲ICで降りて、目的の出雲大社に到着しました。今年は、60年に一度の大遷宮で非常に賑わっています。「ムーンサルトレター」の第88信に書いたように、わたしは昨年の10月、サンレー北陸の社員旅行で、伊勢神宮を訪れています。言うまでもなく、伊勢神宮と出雲大社は日本を代表する二大神社です。特に、今年は伊勢は20年に1度の式年遷宮、出雲は60年に1度の大遷宮ということで大きな注目を浴びています。

 出雲大社といえば、かつては巨大な建築物であったとされています。10世紀から12世紀ごろまでの、出雲大社の本殿の全高は地上48メートルだったそうです。この高さは、ビルでいえば15階ぐらい。東大寺の大仏殿(当時の全高は46メートル)よりも高かったとされています。実際、1999年(平成12年)の調査では、直径135センチの柱を3本、鉄の輪で組み合わせて1本の柱としていたことが確認されました。なお、ある文書によれば、高床から本殿までの階段の長さは109メートルとか。さらに古い伝説によると、地上97メートルに本殿があったというのです。その高さのせいか、出雲大社の本殿は少なくとも1036年、1061年、1141年に倒壊しています。すごい惨事だったでしょう。そのたびに建て替えられましたが、1228年以降、本殿の全高は現在の24メートルになりました。

 出雲大社の祭神は大国主神(大穴牟遅神)大穴牟遅神。縁結びの神としても有名で、大国主神が美女と結婚したことなどから、ご利益があるとされています。大国主神が国譲りを行った後、その世話をしたのは、天照大神の第2子・天穂日命でした。彼女の子孫は出雲国造の祖先となり、同時に大国主神の宮の祭祀を司ってきました。現在の宮司は、出雲国造の84代にあたります。日本のなかでもっとも古い家柄に数えられ、知事さえも頭を下げるという噂もあるほどです。出雲大社は、須佐之男命や大国主神(大穴牟遅神)の神話で有名ですが、このような神話に触れると、なんだかホッとします。人間には神話と儀礼が不可欠であると、つくづく実感します。

 出雲大社を後にしたわたしたちは、松江の「小泉八雲記念館」に向かいました。小泉八雲ことラフカディオ・ハーンは、わたしの最もお気に入りの作家です。もう1人、最もお気に入りの作家がいます。泉鏡花です。金沢にある「泉鏡花記念館」も、もう何度も訪れています。八雲と鏡花の2人は、わたしに異界を覗かせてくれるばかりか、日本人の「こころ」に気づかせてくれる作家なのです。

小泉八雲旧居にて

小泉八雲旧居にて出雲大社にて

出雲大社にて
 「小泉八雲記念館」の近くには、国指定史跡の「小泉八雲旧居」もあります。八雲は1904年(明治37年)、東京で亡くなるまでの14年間を日本で過ごしました。その間、松江・熊本・神戸・東京と4つの都市に住みましたが、松江では1年3ヶ月弱暮らしています。その内の約5ヶ月間をこの家で過ごしました。八雲が住んでいた当時のままで保存されているのは、現在では松江の「小泉八雲旧居」だけです。

 それにしても、小泉八雲に水木しげる・・・・・異界を描いた二大天才は山陰地方にゆかりがあります。何か、山陰には「見えないもの」を見る気配が漂っているのかもしれません。それは、やはり出雲大社の存在というか、出雲のまつろわぬ神話世界が影響しているのではないでしょうか。

 いよいよ明後日の21日には、日緬仏教文化交流協会主催による「仏教文化交流シンポジウム」が北九州市門司区の「旧大連航路上屋」2Fホールで開催されます。世界平和パゴダ住職であるウィマラ長老の基調講演の後、「世界平和パゴダの可能性」と題されたシンポジウムが行われます。わたしも、井上ウィマラさんと一緒に出演します。世界平和パゴダは、ミャンマーと日本の友好のシンボルです。そして、日本における唯一のミャンマー式寺院です。その可能性を語り合うことは、大きな意義のあるものと思います。わたし自身、とても楽しみにしているシンポジウムですので、頑張ります!

 それではTonyさん、また次の満月まで。次回は、なんと第100信ですよ!

2013年9月19日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 Shinさん、このところ行き着く暇もない移動等のため、返信が遅れ、申し訳ありません。お盆の後、8月23日から26日まで、NPO法人東京自由大学の飛騨高山・北陸夏合宿。29日から9月4日まで、宮城県名取市閖上地区から青森県八戸市までの沿岸部約400〜500キロの東北被災地第6回追跡調査。9月6日から8日まで、上京して母校の國學院大學で第72回日本宗教学会。そして、9月14日から20日まで第6回日本スピリチュアルケア学会+第10回アジア太平洋パストラルケア・カウンセリング学会合同学術大会。さらに、21日から本日23日まで沖縄久高島ゼミ合宿に遅れて参加。(NPO法人東京自由大学の夏合宿や東北被災地めぐりのことなどは、「モノ学・感覚価値研究会」のHP:http://mono-gaku.la.coocan.jp/に掲載していますので、よろしければご一読ください。)

 とまあ、このように、北陸、東北、東京、沖縄と、文字通り、東奔西走したわけです。わたしはたぶん年間150日以上は家を空けているのではないかと思いますが、それにしても、ここまで飛び回っていたのは久しぶりのような気がします。が、疲れはまったく感じていません。どこかが壊れているのか? と思うくらいです。あるいは、自己探知能力が鈍っているのかもしれませんね?

 このようなわけで、この8〜9月に、2回、東北被災地を巡りましたが、被災地の復興はとても遅れていると思います。けれども、その一方で、先回のムーンサルトレターに書いたように、コンクリート防潮堤の建設が進みつつあり、気仙沼では市民の反対が激しくなっています。

 もちろん、わたしも反対していますが、常務理事を務める「地球システム・倫理学会」では、2013年7月27日の研究例会「緑の防潮堤をめぐって」のパネルディスカッションをうけて、以下のような「巨大コンクリート防潮堤建設見直しを求める緊急声明」を発表したのは先回書いた通りです。しつこく、何度でも再掲載しておきたいと思います。


2011年3月11日に発生した東日本大震災の後、その復旧・復興過程で、被災地海岸線に最大十六メートルの高さ(最大底辺八〇メートル)の防潮堤を造ることが計画され、すでに一部着工されています。

 この計画と実施が、地元住民の考えや生活形態、地域のあり方、将来構想などを充分に組み込み検討することなく進められていることに多くの関係者が疑問を抱いています。

 とりわけ、一律にコンクリートで防潮堤を築くことは、海と共に暮らしてきた沿岸部地域住民の親水・親海感を分断し、森・里・海のいのちの循環を断ち切るものではないかという強い懸念が寄せられています。

 地球システム・倫理学会では、このような、一律コンクリートによる防潮堤の築造に対して反対の意を表するとともに、これまでの親水・親海的な暮らしと民俗の知恵の再検証に基づく地域住民主体の防潮・防災構想の再構築を国・県およびすべての関係者に求めます。


http://www.jasgse.com/

 東北大学で行われた第6回日本スピリチュアルケア学会と第10回アジア太平洋パストラルケア・カウンセリング学会との合同学術大会では、「典礼長Liturgist」という不思議な役目をいただき、14日から20日の最初から最後まで出席しました。冠婚葬祭業のShinさんのお株を奪ってしまったようでしたね、「典礼長」とは!

 その国際学会の記念講演をしたオーストラリアのラ・トローブ大学のブルース・ランボルド教授は、「スピリチュアルケアの現在」と題する講演の中で、近代において宗教とスピリチュアリティはほぼ同義であったが今日では状況が違ってきたと指摘し、スピリチュアルケアは人間性の弱さに注目しつつ、真の健康をめざすと述べていました。

また、人生におけるスピリチュアリティとして、
①アイデンティティ(私は誰なのか?)
②つながり(私たちは誰なのか?)
③意味と目的(なぜ私たちはここにいるのか?)
を探究し、確認し、自覚し、統合することが重要であると指摘しました。
 また、わたしたちが「関係する網の目」としてあり、
①場所と物と共に
②自己と共に
③他者と共に
④人々の間に
⑤超越と共に
存在することに気づき、プロセスをファシリティすることやいのちの意味づけを自覚することを説いていました。

日本スピリチュアルケア学会

日本スピリチュアルケア学会
 「典礼長」の役目の一つは、始めの歓迎会と終わりの送別会において、歓迎と総括・同別の意を込めたパフォーマンスを用意することでした。そこで、「雄勝法印神楽」と「幻創」太鼓グループを招待・紹介し、幸い、参加者に大きな感動と力を伝えることができました。どちらも大変な熱演で、パワフル、エキサイティング、ファンタスティックでした。実に多大なインパクトがあり、外国からの参加者の身心を揺すぶったと思います。

雄勝法印神楽「日本武尊」の上演

雄勝法印神楽「日本武尊」の上演
 雄勝町は、石巻市にありますが、東日本大震災で大きな被害を受け、神社も神楽道具も流されました。が、それを乗り越え、地元復興の核として神楽の復興を手がかりにいろいろと活発な活動をしています。そのことも、海外から来た参加者を含め、力強い印象と感銘を与えてくれました。

 わたしは、この「神楽パフォーマンス」を、修験道の身体修行に基づく「社会的・公共的身心変容技法」と捉えることができると考えています。というのも、小学生からお年寄りまで、「神楽」奉納を通して、うまく地域間と世代間の連携をはかり、地域活性や安定の重要な手法となっているからです。

 中日の17日には、名取市閖上地区から気仙沼市までの神社・仏閣供養塔などの鎮魂巡礼1日ツアーを実施し、「典礼長」のわたしがコーディネイト・引率をさせていただきました。海外の方々も深い印象を持ってくれたようで、文化理解が深まったと思います。

名取市閖上地区 冨主姫神社・閖上湊神社・供養塔

名取市閖上地区 冨主姫神社・閖上湊神社・供養塔海外からの参加者と塩竈神社祭務所で

海外からの参加者と塩竈神社祭務所で
 ところで、学会の内容については、「スピリチュアルケア」あるいは「パストラルケア」の概念や定義や両者の関係性についてなどから始まって、生命倫理や臨床での実践事例や、東北大学で進行しつつある「臨床宗教師」養成などが幅広く報告され、大変勉強になりました。

 日本スピリチュアルケア学会の理事長は、本年102歳の日野原重明先生(上智大学グリーフケア研究所名誉所長)で、副理事長は高木慶子上智大学グリーフケア研究所特任所長と島薗進上智大学グリーフケア研究所所長です。わたしは、今回、推薦されて理事の一員に加わることになりましたが、この学会は、医師、看護師、宗教家、研究者が一緒にやっている500人ほどの学会で、日野原重明先生を始め、監事の柏木哲夫先生(金城学院学院長・医師)ユニークな方々が目白押しのようですね。

日野原理事長と高木副理事長が「スピリチュアルケア師」に認定証を手渡す場面。

日野原理事長と高木副理事長が「スピリチュアルケア師」に認定証を手渡す場面。
 16日には、「地水火風空〜現代の自然・科学。技術の状況における宗教とケア」と題するシンポジウムが開かれました。講師は、森清範清水寺貫主、大井玄東京大学名誉教授(医師)・島薗進東京大学名誉教授(上智大学グリーフケア研究所所長)の3方で、カトリックのシスターで高木慶子上智大学グリーフケア研究所特任所長とわたしが司会を担当しました。

 興味深かったのは、今回の学会で、「スピリチュアルケア師」が認定されたことです。http://www.spiritual-care.jp/。その「スピリチュアルケア師」とは別に、東北大学では、欧米のチェプレンやアジアのビハーラ僧に該当する「臨床宗教師」を養成し、認定し始めています。これは、東日本大震災後の社会的ニーズに積極的に応える新しい試みです。

 日本では、十数年ほど前から、終末期医療や緩和ケアやスピリチュアルケアの問題と領域に注目が集まり始めました。とりわけ日本は世界一の少子高齢化社会ですから、間違いなく、この領域は今後の大きな課題となります。「スピリチュアルケア」学会は、これからますます重要になってくる分野の学会です。そこでは、医師・看護師・研究者と、臨床と理論の両方がダイナミックに組み合わさっていて、いろいろと考えさせられ、勉強になります。

 国際学会の方で、特に興味深かったのは、最終日に発表されたインドネシアの首都ジャカルタの神学者のダニエル・スサント師の「我等が惑星を救え〜インドネシアの環境をケアすることの必要性」で、人間精神や霊性に働きかけるスピリチュアルケアと環境に働きかけるスピリチュアルケアの両者が必要であるという問題提起でした。あらゆる機会に、「生態智」(Ecosophia,Ecological Wisdom)の要とその実践を説いている「東山修験道」者の我が身としては、わが意を得たりの内容でした。

 9月20日、東北大学での国際学会が終了して、21日に沖縄に移動する飛ぶ前に、比叡山で講演しました。比叡山根本中堂前の宮沢賢治の歌碑の前で11時半から約1時間、第81回宮沢賢治忌の法要が行なわれた後、比叡山会館で1時間半、「宮沢賢治における宗教と文学」と題して記念講演をしたのです。「東山修験道」でいつも行く比叡山山頂で宮沢賢治について講演できるとは大変嬉しくも名誉なことでした。

第81回宮沢賢治忌

第81回宮沢賢治忌横山照泰比叡山行院院長さんの法話

横山照泰比叡山行院院長さんの法話
宮沢賢治は、1896年、三陸沖震災の年に生まれ、1933年、三陸沖震災の年に亡くなりました。その宮沢賢治における「宗教」を、わたしは、
①アニミズム——『注文の多い料理店』「狼森と笊森、盗森」「鹿踊りのはじまり」
②シャーマニズム——『注文の多い料理店』「龍と詩人」
③トーテミズム——『春と修羅』
④浄土真宗——家の宗教・父(宮沢政次郎)の宗教
⑤隠し念仏(秘密念仏)——家(?)あるいは地域の宗教(民俗宗教)『春と修羅』
⑥『法華経』——賢治個人の信念:生命(久遠実成の本仏「如来寿量品」)の宗教・菩薩道の宗教
⑦国柱会——1920年入信:日蓮法華教信仰と文明批判と時代批判に基づく社会・国家変革の思想と実践
⑧銀河教(宇宙宗教)——生命及び全存在の協働・共鳴・響命へ
と捉え、作品論としては、
A:『銀河鉄道の夜』は、「ほんとうのさいわい」を求めていく旅=スピリチュアリティの探究と論理
B:それに対して、『グスコーブドリの伝記』は、「ほんとうのさいわい」を実現していく行為=スピリチュアリティの実践と倫理
と捉えています。

また、
①「スピリチュアリティ・霊性」とは「魂能」=生のコンパス(磁針・方向指示器)=直観・霊性に従う
② 四次元感覚(超越性・垂直軸・普遍性Ⅰ)に導かれて
③ 銀河系意識(内在性・水平軸・普遍性Ⅱ)を生きる
④ 「ほんとうのさいわひをさがして」〜久遠実成の本仏(『法華経』「如来寿量品」)の力(四次元感覚・銀河系意識)に基づき、修羅と菩薩をつなぐ
⑤ 全体性(丸ごと)・根源性(根っこ)・変容(深まり)を探究する
とも考えています。

 いずれにせよ、宮沢賢治の思想と実践は、「身心変容技法」としての「スピリチュアルケア」に深くかかわるワザと実践であったと考えています。

 その比叡山から沖縄に飛びました。比叡天狗のように。と言ったら、カッコいいですが、実際は、安いスカイマークで行きました。そして、21日の夜は沖縄映像文化研究所の大重潤一郎監督を訪ね、翌朝22日の朝一番の9時の高速船で久高に渡り、「久高大運動会」に参加しました。船では、古謝南城市長さんと同船し、挨拶しました。

 実はわたしは、京都大学の授業で大学院と学部両方で数科目担当していますが、学部1回生(1年生)に「ポケゼミ 沖縄・久高島研究」というゼミを行なっているのです。参加者は全員初々しいフレッシュマンの1回生で定員15名です。今回、ブータンに研修に行っている1人を除いて、全員が久高島での3泊4日のゼミ合宿に参加し、本日午前中には、今回合宿所にさせていただいている久高島離島振興センターで学生14名+TA院生1名と、記録映画『久高オデッセイ』の監督大重潤一郎さん+製作スタッフの比嘉真人さんと一緒に、3泊4日間の合宿の総括をしました。

 その授業では、比嘉康雄さんの著作『日本人の魂の原郷 沖縄久高島』(集英社新書、2000年)をテキストに議論しつつ読み進め、5月に葵祭、7月に祇園祭の班別ミニフィールドワークを体験して、最終仕上げとして、久高島ゼミ合宿をしたわけです。そして昨日、9月22日の日曜日は、学生と共に「久高大運動会」に参加し、大いに盛り上がりました。

 学生も前日と当日の朝の準備から手伝い、運動会にも最初の行進・開会式から最後の閉会式までフル参加し、リレーや障害物競走やフォークダンスや綱引きなど、一般参加できる競技にはフル出場し、大活躍しました。たとえば、一般参加もできる島1周の3000メートル走では、理学部1回生の安邊啓明君が一番になったのです。といっても、彼は京大陸上部で、5000メートルの走者ですから、当然かもしれませんね。

 運動会が終わった後、島の反省会にも全員で参加し、1人1人感想を述べました。島民の方々も、京大生の参加もあって、今年は大いに盛り上がったと言ってくださいました。ありがたくも、うれしかったですね。さらに昨夜は、午後7時半から9時前まで、大重潤一郎監督を囲むミーティングを行ない、運動会の感想などを述べ合いました。

 それが終わって、レストラン「とくじん」で沖縄そばを食べて、大重監督と比嘉真人さんと共に夜道を辿り、途中、東の海岸に立ち寄り、月見をしました。そして、月明かりの中、東の海に入って禊しました。真裸で。月光に照らされながら。何か、ホッとし、またしみじみとするのもがありましたね。横殴りの浪が荒くて、結構危なかったけど。ともあれ、まことに充実した久高体験でした。学生にも大変いい経験になったと思います。来年もまた実施する予定です。

久高大運動会

久高大運動会久高大運動会

久高大運動会大重潤一郎監督と

大重潤一郎監督と久高大運動会に参加した京大1回生14名+TA院生1名(左側)

久高大運動会に参加した京大1回生14名+TA院生1名(左側)久高の夜の海

久高の夜の海
この夏、最後の仕上げは久高の海だったのだなあとしみじみ思い至った次第です。

2013年9月23日 鎌田東二拝