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シンとトニーのムーンサルトレター第202信(Shin&Tony)

鎌田東二ことTonyさんへ

今年最初の満月が上りました。Tonyさん、あけましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。本年もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。Tonyさんは、お正月をどのように過ごされましたか?


今年もよろしくお願いいたします!

和装で並んだ長女(左)と次女(右)

 

昨年は長女も次女も帰省しない寂しい正月となりましたが、今年は家族全員が揃いました。長女は結婚、次女は就職するので、今後はなかなか家族で揃う機会は限られることと思います。例年は元旦の早朝は家族とともに門司の皇産霊神社で初詣をするのですが、昨年同様に今年も新型コロナウイルスの感染防止のために歳旦祭が中止となり、初詣も延期しました(2日に参拝)。


皇産霊神社で初詣

 

1月4日、小倉の松柏園ホテルにおいて、サンレーの新年祝賀式典が万全のコロナ対応スタイルで行われました。式典に先立って、松柏園の顕斎殿で新年神事を行いました。コロナ後のニューノーマル仕様で、コロナ以前よりも人数を減らしてソーシャルディスタンスに配慮し、マスクを着用した上での神事です。わが社の守護神である皇産霊大神を奉祀する皇産霊神社の瀬津神職が神事を執り行って下さいました。佐久間進会長に続き、わたしも玉串奉奠を行いました。


新年祝賀式典のようす

 

それから、新年祝賀式典です。例年は500名を超える社員が参加しますが、昨年同様に今年は半数以下に制限して開催されました。また、新館ヴィラルーチェに第二会場も用意しました。最初に、佐久間会長とわたしが第一会場に入場。「ふれ太鼓」で幕を明け、「開会の辞」に続いて全員でマスクを着けたまま小声で社歌を斉唱し、「経営理念」も小声で唱和しました。


訓示を行う佐久間会長

 

それから、佐久間会長による「会長訓示」です。佐久間会長は
佐久間会長は「新時代の冠婚葬祭互助会を目指そう」として、「昨年、当社は創立55周年の記念すべき年を迎え、新たな節目へと歩みはじめましたが、これはそのまま、本年から当社がアフターコロナの新たな社会を進まなければならないと言い換えることができます。

従来に比べ大きな変革を迎えるであろう新たな社会は、いずれ互助共生社会、すなわち人と人とが相互に手をとりあって助け合い支え合う社会になるでしょうし、異常のような有縁社会を実現しなければ、社会としてのかたちを維持できなくなるのではないかとも考えております。この実現のためには、わたしたち冠婚葬祭互助会は特別な意味を持つことでしょう」と述べました。


社長訓示のようす

 

そして、いよいよ「社長訓示」です。最初にみなさんと「あけまして、おめでとうございます」「今年もよろしくお願いいたします」と新年の挨拶をしてから、わたしは以下のような話をしました。令和4年、2022年の新しい年をみなさんと一緒に迎えることができ、たいへん嬉しく思います。新型コロナウィルスの感染拡大は冠婚葬祭業界にとってはまさに業難でした。この試練の2年を耐え抜き、闘い抜き、わが社はなんとか昨年も黒字で終えられました。本当に、ありがたいことです。みなさんのおかげです。心より感謝を申し上げます。どうか、この前代未聞の2年間を生き抜いたことに誇りを持って下さい。そして、近い将来に必ず業績を元に戻しましょう!

サンレーは、サービス業からケア業への進化を図っています。そこでは縦の関係(上下関係)である「サービス」から横の関係(対等な関係)である「ケア」の本質と違いを理解することが重要になります。学生のアルバイトに代表されるようにサービス業はカネのためにできますが、医療や介護に代表されるようにケア業はカネのためにはできません。特に、無縁社会に加えてコロナ禍の中にある日本において、あらゆる人々の間に悲嘆が広まりつつあり、それに対応するグリーフケアの普及は喫緊の課題です。


サンレーズ・アンビション・プロジェクト

 

最近、わが社の社会貢献活動が多大な注目を集めています。わが社の大志、すなわちサンレーズ・アンビションが次々に「かたち」となっており、話題を集めているのです。まず、わが社では今年から児童養護施設に入居している新成人に晴れ着などを提供し、記念の写真を撮影する取り組みを始めました。また、わが社は同様に経済的理由から七五三の晴れ着撮影ができない北九州市内の児童養護施設の児童の七五三の晴れ着姿を撮影しました。さらに、わが社が指定管理者を務める天然温泉「ふるさと交流館 日王の湯」(田川郡福智町神崎)で「子ども食堂」を開催し、小中学生を無料招待しました。これは、日王の湯周辺の福智町内の子どもを招待し、温泉での入浴やレストランでの食事(カレーライスなど)を楽しんでもらう交流の場を設けたものです。ホテルや旅館で子ども食堂を展開しているケースはありますが、全国的に見ても天然温泉と子ども食堂を合わせて実施している例は珍しいそうです。養護施設への晴れ着の無償提供、温浴施設での子ども食堂開設は大きな話題となり、全国紙をはじめとしたマスコミ各社からも取材の申し込みが相次ぎました。取材ではよく、「なぜ、このような社会貢献事業をされるのですか?」という質問があります。わたしは、「わが社の本業である冠婚葬祭互助会はソーシャルビジネスだからです」とお答えしています。


互助会はソーシャルビジネスである!

 

ソーシャルビジネスとは、高齢者や障がい者の介護・福祉、子育て支援、まちづくり、環境保護、地域活性化など、地域や社会が抱える課題の解決をミッション(使命)として、ビジネスの手法を用いて取り組むものです。「人間尊重」としての礼の精神を世に広める「天下布礼」の実践です。晴れ着の無料レンタルは、儀式というわが社の本業というべきものの意味と価値を世に広く問うものです。七五三は不安定な存在である子どもが次第に社会の一員として受け容れられていくための大切な通過儀礼です。成人式はさらに「あなたは社会人になった」というメッセージを伝える場であり、新成人はここまで育ててくれた親や地域社会の人々へ感謝をする場です。長寿祝いも含めて、通過儀礼とは「あなたが生まれたことは正しい」「あなたの存在と成長をこの世界は祝福している」という存在肯定のセレモニーです。万物に光を降り注ぐ太陽のように、サンレーはすべての人に儀式を提供したいという志を抱いています。

わが社の一連の活動は、SDGsにも通じています。SDGsとは「持続可能な開発目標」という意味ですが、要するに社会を持続させるために必要なことを実行するということ。そして、冠婚葬祭互助会は社会を持続させるシステムそのものであると考えます。結婚式は、夫婦を生み、子どもを産むことによって人口を維持する結婚を根底から支える儀式です。一方で葬儀は、儀式とグリーフケアによって死別の悲嘆によるうつ、自死などの負の連鎖を防ぐ儀式です。冠婚業も葬祭業も単なるサービス業ではありません。社会を安定させ、人類を存続させる文化装置です。そして、互助会の根本理念である「相互扶助」は、社会の持続性により深く関わります。貧困ゆえに入浴の習慣を知らない小学生がいるという。また、一日に一回しか食事ができない子どもがいるという。その事実を知り、「なんとかしなければ!」と強く思いました。SDGsは環境問題だけではありません。人権問題・貧困問題・児童虐待・・・・・・すべての問題は根が繋がっています。そういう考え方に立つのがSDGsであるわけです。その意味で入浴ができない、あるいは満足な食事ができないようなお子さんに対して、見て見ぬふりはできません。「相互扶助」をコンセプトとする互助会こそはソーシャルビジネスであるべきです。

コロナ禍という想定外の大事件によって、社会は一変しました。これまでのように「ただ儲ければいい」「ただ売上と利益さえ追求すればよい」という商売の仕方では通用しません。これからの企業に求められるものは「M&A」ではないでしょうか。M&Aの「M」とは「Mission(ミッション)」のことです。そして、「A」とは「Ambition(アンビション)」のことです。すなわち、サンレーの「M&A」は「使命」と「志」のこと。会社人として仕事をしていく上で「ミッション」が非常に大切です。ミッション経営とは、社会について考えながら仕事をすることであると同時に、お客様のための仕事を通して社会に貢献することです。要するに、お客様の背後には社会があるという意識を待たなくてはなりません。そして、ミッションと並んで会社人に必要なものが、アンビション、つまり「志」です。志とは何よりも「無私」であってこそ、その呼び名に値します。「自分が幸せになりたい」というのは夢であり、「世の多くの人々を幸せにしたい」というのが志です。夢は私、志は公に通じているのです。自分ではなく、世の多くの人々、「幸せになりたい」ではなく「幸せにしたい」、この違いが重要なのです。


道歌を披露

 

わが社には無縁社会を乗り越え、有縁社会を再生するという志、グリーフケアによって世の人々の悲嘆を軽くするという志、そして冠婚葬祭という儀式で日本人を幸福にするという志があります。すなわち、「天下布礼」という大志です。今後は、ますます「ハード」よりも「ハート」、つまりその会社の「想い」や「願い」を見て、お客様が選別する時代に入ります。サービス業からケア業へと進化するサンレーは「天下布礼」の大志を抱きながら、新しい時代を創造していきましょう!」と言ってから、「この世をば続けるための助け合ひ礼の社の出番が来たり」という道歌を披露いたしました。それから、各種の表彰や各部門の決意表明などを行い、最後は、手をつながない「和のこえwithコロナ」を行って新年祝賀式典がめでたく終了。全員の心が1つになりました。その後、一同礼をしてから、わたしは佐久間会長とともに退場しました。昨年同様に、例年行われる各種表彰者との食事会も中止となりました。せっかく感染者数が激減してきたと思っていたのに、オミクロン株の登場でまた自粛の日々となるのでしょうか? どうか、冠婚葬祭を安心して行える平和な日々が訪れますように。

その後、わたしは感染大爆発の沖縄をはじめ、大分、宮崎、そして災害レベル大雪の北陸と各事業部を回って、新年祝賀式典に参加し、社長としてのメッセージを述べてきました。今年も、わたしは「天下布礼」の道を歩んでいく所存ですが、17日の「毎日新聞」朝刊にわたしの記事が掲載されました。


「毎日新聞」2022年1月17日朝刊

 

記事は「ズーム・イン ひと・まち・ビズ」のコーナーで、『アンビショナリー・カンパニー』(現代書林)を持ったわたしの写真が使われ、「儀式の精神『礼』を実践」の大見出し、「『人間尊重』説き100冊超す著書、遺族ケアも」の見出しで、「成人式や結婚式、葬儀も制限され、コロナ禍は人生の大切なセレモニーの危機でもあった。そうした中、冠婚葬祭事業を全国展開する『サンレー』(北九州市小倉北区)の佐久間庸和(つねかず)社長(58)は、儀式の意義や理念を、長年にわたって執筆活動や大学での講義を通じて広め続けている。『冠婚葬祭に通じるのは「礼」。人間尊重の思想』と改めて重要性を説く」というリード文の後に、わが社のアンビション(大志)とそれを果たすための取り組みが書かれています。

記事の本文には、「古代から人類は死者を埋葬し弔ってきた。大切な人を失うことは、ものすごいストレスで欝や自殺につながる。セレモニーをしっかりやって区切りを付け普通の生活に戻ることができる」。儀式論や死生観を一条真也のペンネームで100冊以上出版してきた。一日1万字は書きブログでも発信する。七五三も貧困などのため子をあやめていた『間引き』を防ぐ知恵でもあったという。『虐待事件をみると被害者の子どもは七五三を祝ってもらっていたのだろうかと心が痛む』本業以外にも『子ども食堂』の運営や、『有縁社会』作りとして地域の高齢者らが集う『隣人祭り』を開くなど事業は多岐にわたる。だが『やっていることは1つ』だという。それは孔子の教えであり、冠婚葬祭に通底する『礼』の実践。成人式も成長した自己を肯定し、親へ感謝する。儀式は『人間尊重』のためにあるとする。冠婚葬祭業はそれをビジネスの手法で実現する『ソーシャル・ビジネス』と位置づける。『皆がおめでとう、ありがとう、と互いを尊重する。そんな心豊かな社会の実現に尽くしたい』。昨年からは児童養護施設で七五三や成人を迎えた入居者に対し、貸衣装やヘアメークもサービスし記念撮影をプレゼントする取り組みを始めた。震災や新型コロナなどの災禍が相次ぐ近年、葬儀におけるケアの重要性も増している。力を入れているのが『グリーフ(悲嘆)ケア』だ。肉親などを亡くした遺族を癒やし支援するもので、冠婚葬祭文化振興財団の『グリーフケア士』の資格認定制度が2021年6月に始まった。サンレーは約100人の社員が資格を取得しており、佐久間さんは上智大学グリーフケア研究所の客員教授も務める。『泣きたい時には泣く時間も必要で、我慢は悲嘆を増大させる。葬儀の司会も立て板に水でなくあえて間を作る。遺族の方の様子がおかしいと思った時には医療ケアにつなげることもできる』。ケアを学ぶことで見えてくることがある。大災害などでのケア士派遣も考えたいとしている」と書かれています。毎日新聞社の山田宏太郎部長の書かれた記事ですが、わが社の「こころ」と「かたち」を丁寧に汲み取っていただき、大変感謝しています。ということで、今年も「天下布礼」のために頑張ります。どうぞ、御指導下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。では、次の満月まで!

2022年1月18日 一条真也拝

 

Shinさんこと一条真也様

Shinさん、あけましておめでとうございます、と言うには、もう日が経ちすぎてしまい、また、ムーンサルトレターをいただいてからも10日が過ぎ、いろいろとご心配をおかけし、申し訳ありません。また、この間のお心遣い、心より感謝申し上げます。

この間、体調を崩したりしていたわけでは全くなく、博士論文の審査や採点などを含め、本務に集中しなければならなかったことと、約束していた神道ソングライターとしてのサードアルバム『絶体絶命』(2022年7月17日リリース予定)のレコーディングに追い立てられていて、あらゆることがとどこおり、返信が遅れに遅れてしまったことが原因です。ご心配をおかけしたことをお詫びします。ごめんなさい。

しかし、この間、いろいろと得るものがありましたよ。

まず第1に、椚座信さんや谷崎テトラさんたちとの「樂園学会」準備会の立ち上げ。昨年末の12月22日の冬至の日にその準備会の発表会や意見交換会を行ない、たいへんおもろかったですね。将来、おそらく、沖縄の久高島と和歌山県串本の潮岬(近畿最南端)が、その「樂園学会」の2大拠点になると思います。このあたりの背景とか状況については、12月25日のクリスマスの日に行なった第84回身心変容技法研究会の動画の中の、樂園学会発起人共同代表である谷崎テトラさんの発表を見ていただけると幸いです。

第84回身心変容技法研究会
テーマ:「楽園と身心変容」
日時:2021年12月25日(土)13時~17時
開会あいさつ・趣旨説明・発表者紹介 鎌田東二

谷崎テトラ(京都芸術大学客員教授・樂園学会設立呼びかけ人代表)「樂園と身心変容」

鎌田東二(上智大学大学院実践宗教学研究科特任教授)「身心変容と至高の境地」

コメンテイター:鶴岡賀雄(東京大学名誉教授・宗教学)・やまだようこ(京都大学名誉教授・心理学・ナラティブ研究)・津城寛文(筑波大学教授・宗教学)・村川治彦(関西大学教授・健康科学部学部長・同研究科科長・宗教学・身体文化論)+ディスカッション

 

 

そして、第2に、年が明けて、1月9日に、「悲とアニマ~いのちの帰趨」展の最後のイベントして「グリーフケアと芸術」のシンポジウムを行ないました。これについても、以下の動画を見ていただけると幸いです。

現代京都藝苑2021シンポジウム④「グリーフケアと芸術」2022年1月9日

鎌田東二(上智大学グリーフケア研究所特任教授・京都大学名誉教授)「妹の力と妹の死~宮沢賢治における喪失と悲嘆と創作を手がかりに」
秋丸知貴(上智大学グリーフケア研究所特別研究員)「芸術におけるケアの基本構造――創造と鑑賞の両面から」

松田真理子(京都文教大学教授)「画家・青木繁の人生――邪気と仏性」14:30~14:45 休憩
木村はるみ(山梨大学准教授)「い・のりとあらはれの身心変容技法:脱魂型と招魂型~奉納鎮魂能舞舞踏『悲とアニマⅡ』にみる三体四元素~」

勝又公仁彦(京都芸術大学准教授)「写真教育の場における実例と、自作においてのグリーフケアについて」

大西宏志(京都芸術大学教授)「3.11以降の私の映像表現」

コメンテーター:奥井遼(同志社大学准教授)+全体討議 司会:鎌田東二
主催:現代京都藝苑実行委員会 共催:身心変容技法研究会

芸術が持つグリーフケア機能は、アリストテレスの『詩学』のカタルシス論以来、哲学や美学の根本問題の一つとなっているとおもいます。

そして、さらに、第3に、1月21日には、京都の老舗ライブハウス「拾得」での、ジャンベ奏者でありヴォーカリストであり「ヤポネシア音楽祭」の呼びかけ人であるSUGEEさんのライブにゲスト出演したこと。京都の酒蔵を改造して、1960年代後半から和製パンクバンドの代表と言える「村八分」や「外道」などが出演して、一時代の神話を作ったライブハウスは、なかなかのおもろく、エキサイティングな空間でした。

https://www.youtube.com/watch?v=VPlqGv5bo_E

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第4に、冒頭で書いた、昨日今日と神道ソングライターとしてのサードアルバム『絶体絶命』(2022年7月17日リリース予定)のレコーディング。これまた、エキサイティングで、おもろく、物狂いになりました。

 

こんなふうに、あっという間に10日間が過ぎてしまって、毎晩ムーンサルトレターの返信を書かねばと思っているうちに、魂速で時間が過ぎてしまいました。ごめんなさい。

さて、御社サンレーに対する注目や評価の高まり、何よりと存じます。この20年余り、Shinさんが社長に就任して、次から次へと新展開を企画し、リノベートし、社会貢献の密度と濃度と強度を上げてきた成果がコロナ禍の中でのサンレーの評価の高まりともなっているのですね。浮沈の激しいビジネスの業界で、社会的意義と価値のあるソーシャルビジネスを展開していくことは、社会のニーズを読み取るだけでなく、積極的な未来展望やビジョンの提示を仕掛けていく必要があると思いますが、Shinさんは業界のトップランナーとして、高らかに松明を掲げて走り続けてきました。心から敬意を表します。

Shinさんの公共的価値の高いソーシャルビジネスに対して、わたしなどは公共的価値は皆無ではないものの、パーソナルイベントというのか、まったく自分流にボランティア・プラクティショナーというのか、ビジネスにならないことばかりをやって来ました。とはいえ、「神道ソングライター」としての「3Dライフ」を、「でたらめ・でまかせ・でかせぎ」の3Dと定義したのは、もう25年近くも前の1998年のことです。その3つの中でも、「でたらめ・でまかせ」はかなり実行できていると思いますが、3つ目の肝心の「でかせぎ」が全く出来ず、むしろ持ち出しで細々とやっている現状。稼ぎは成り立たず、貧困そのものです。

しかし、それは、この世界の危機や絶体絶命にも連動しており、人間尊重の精神よりも、荒ぶる自然のせつない呼び声に感応してしまう性分のわたしは、どうしても絶体絶命の感を抱いてしまうのであります。AIやITやロボットやサイボーグや5Gなど、テクノロジーの凄まじい進化もある程度理解はしますが、根本的に信用していません。いつか、短期的にも、中期的にも、局地的にも、電気エネルギーが不足してしまう事態がやってくると思っているからです。だから、火打石を用意し、火をおこす練習をせねばといつも思っています。また、水や空気や土の大事さを、また農業や漁業の重要性を以前よりもずっと強く感じています。一言で言えば、自然現象の変化に応じたいのちのむすひ、生命力の存亡に最大の関心を祈りと願いを持っているということになります。

『絶体絶命』というタイトルのサードアルバムは、そのような近年のわたし自身のせっぱつまり感を等身大で歌い、絶叫・絶句するものとなるはずです。歌は相変わらずとても下手ですが、切迫感だけはその下手を超えて津波のように押し寄せていると思います。

今日、『絶体絶命』のレコーディング風景をyou tubeにアップロードしてみました。まだ未完成ですが、「探すために生きてきた」と「夢にまで見た君ゆえに」と「神ながらたまちはへませ」の3曲を歌っています。未熟ではありますが、ぜひ笑いながら聴いてやってください。

絶体絶命レコーディング第2回目 2022年1月27‐28日

 

さて、昨日、妻の実家のある埼玉県で、在宅診療医が散弾銃で殺害されるという悲惨過ぎる事件が起きましたね。十分にその詳細を知らず、先ほど帰洛して報道であらましを知り、衝撃を受けています。昨年起きた大阪のクリニックの放火殺人事件と今回の事件の持つ深刻さに対して、本当に政府や厚労省が進める「地域包括ケア」などで対処できるのだろうか、大変不安でもあり、不足でもあるとも感じます。だがそれでは、どうすればよいのか? 「ケア」的な仕組みが必要なことは重重わかりますが、しかし、明確で構造的な手立てはすぐには見い出せず、制度設計の政策立案・実行もままなりません。コロナ対策ですらこの体たらくですから。すべての対策が遅れに遅れています。わたしのムーンサルトレターの遅れなど、ある意味かわいいものです。

そんな課題山積感がある中、見応えのあるものと出逢いました。最近、記録映画プロデューサーの桂俊太郎氏制作の記録映画4本を立て続けに見たのです。

  1. 『石を架ける―石橋文化を築いた人びと』(1996年製作)

2.『洪水をなだめた人びと』(1997年製作)

3.『石を積む―石垣と日本人」(2001年製作)

4.『表現に力ありや―「水俣」プロデューサー、語る』(2016年製作)

上記4作品です。

シリーズ第1巻の『石を架ける―石橋文化を築いた人びと』は、江戸時代の長崎から始まり、肥後熊本、薩摩鹿児島に伝わる江戸末期の「種山石工」の伝統を堀り起こしたものです。長崎、熊本、鹿児島と、江戸時代に日本の石橋文化が定着していく過程やその技術の特徴が明確に描かれていて、大変勉強になりました。地味な記録映画ですが、素晴らしい仕事だと思いました。

続くシリーズ第2巻の『洪水をなだめた人びと』は、日本各地の「荒川」と呼ばれた暴れ川をどのような石積み工法で制御するかという、日本的な親水式土木技法を掘り起こしたドキュメンタリーで、シリーズ第3巻の『石を積む―石垣と日本人』は、古代日本の石工衆の穴太衆らの仕事から、山城の石垣建造、そして織田信長の安土城築城の文化から、江戸時代の石垣築造、またそれが終わって全国各地の棚田などの石垣づくりに応用されていく流れを俯瞰的かつ総合的に位置付けています。どれも大変素晴らしい仕事です。

特に、シリーズ第3作の3巻は『石を積む―石垣と日本人』は素晴らしい出来です。この3巻の後半に使われている音楽はアイルランドの曲で、とても染み入ります。地味な仕事だけれども、まことに先見の明があるというか、深い日本文化に対する洞察と愛惜と未来に伝える確かな意志があって、すばらしいと感嘆しました。また、特にこの3巻は、これまでのシリーズの集大成で、万感の思いを込めて作られているようで、深い感銘を覚えました。プロデューサーの桂俊太郎さんは、膵臓癌で、2015年1月に63歳という若さで亡くなったようです。その没後1周忌頃に本作を世に問うたのでしょうね。桂氏の死去は大変残念で、一度お会いし、大重潤一郎さんに引き合わせたかったですね。その盟友の『久高オデッセイ』三部作の映画監督・大重潤一郎(1946年3月9日~2015年7月22日)も、同年に死去したので、この年は惜しい人を亡くした年でもありました。

最後の作品、桂俊太郎氏の遺作「表現に力ありや―「水俣」プロデューサー、語る」(2016年製作)は、主に、岩波映画、東(陽一)プロダクション、青林舎などで、東陽一監督や「水俣病」を追った土本典昭監督の作品群をプロデュースした高木隆太郎さんへのインタビューが中心です。その中に、東陽一監督や石牟礼道子さんのインタビューも含まれていて、大変興味深いものでした。47分から53分あたりに、石牟礼道子さんの発言があり、抗議集会で「怨」と題した旗を掲げ、水俣病患者たちとご詠歌を詠うくだりなどは圧巻です。おそらく、プロフィールの桂俊太郎氏は、プロデューサー・高木隆太郎さんの中に自己を投影していたのでは? と思いました。

その桂俊太郎氏の論文5本を見つけました。

1,”絶滅危惧種”文化映画製作の悦楽 : 自主映画「土木遺産3部作」を完成して (2002)

2,「映像で見る戦後日本の産業史」上映会報告 (2006)

3,「PR映画年鑑」で見る高度経済成長期の産業映画 企業編(その1) (2006)

4,「高度経済成長期における産業映画の特徴と意義について」

5,「PR映画年鑑」で見る高度経済成長期の産業映画 企業編(その2)

まだ読んではいませんが、論考を手に入れたら、読んでみたいと思います。

ところで、今年はとても雪が深いですね。比叡山も正月から冠雪が続き、根雪となりました。最近の東山修験道です。最新は、東山修験道761(2022年1月24日)です。明日も比叡山に登拝するつもりです。762回目となります。

東山修験道759 雪雪雪の一乗寺と比叡山 2022年1月14日

 

ともあれ、この1年、何事が起こるか分かりませんが、気を引き締めていろいろな方策を探ってみたいと思っています。本年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。ムーンサルトレターの返信が遅れましたこと、改めて心よりお詫び申し上げます。くれぐれも御身お大事にお過ごしください。

2022年1月28日 鎌田東二拝