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シンとトニーのムーンサルトレター第201信(Shin&Tony)

鎌田東二ことTonyさんへ


今年最後の満月は、コールドムーン

京都大学稲盛財団記念館の前で

 

今年最後の満月「コールドムーン」が上がりました。2021年の中で、地球から最も遠い満月でもあります。Tonyさん、師走はいかがお過ごしですか? 先月の23日、京都でお会いできて嬉しかったです。その日、「日本人と死生観」と題する現代京都藝苑 2021のシンポジウムに出演させていただきました。シンポジウムの会場は京都大学稲盛財団記念館の3階大会議室です。ここに来たのは、2012年7月11日に開催された第3回「震災関連プロジェクト〜こころの再生に向けて」シンポジウム以来です。そのときは、「東日本大震災とグリーフケアについて」を報告する機会も与えていただきました。わたしにとって、まことに貴重な経験となりました。


シンポジウムの事前打ち合わせ


出演者紹介のようす

 

「日本人と死生観」シンポジウムは、13時からの開催でした。まずは主催者からの趣旨説明がありました。その後、出演者紹介がありました。わたしは過分なご紹介を受け、大変恐縮いたしました。その後、13時15分から14時まで、やまだようこ(ものがたり心理学研究所所長・京都大学名誉教授)先生が登壇。14時から14時45分までは、鎌田東二(上智大学グリーフケア研究所特任教授・京都大学名誉教授)先生が登壇。15分間の休憩を挟んで、15時から15時45分までは、広井良典(京都大学こころの未来研究センター教授)先生が登壇。いずれも非常に示唆に富んだお話で、まことに勉強になりました。ちなみに広井先生は「定常型社会」「社会的持続可能性」についての第一人者であり、翌24日は大分市で開催される第69回九州経済同友会大会で「人口減少・成熟社会のデザイン」の演題で基調講演をされました。


「死生観の『かたち』」について発表

 

そして15時45分から、わたしが上智大学グリーフケア研究所客員教授・作家として登壇しました。テーマは「死生観の『かたち』」です。冒頭、自己紹介を兼ねて、「死を乗り越える」三部作や葬儀四部作などの自著を紹介。それから、日本人の死生観のターニング・ポイントとして、「すべては1991年から始まった」という話をしました。現代日本の葬儀に関係する諸問題や日本人の死生観の源流をたどると、1991年という年が大きな節目であったと思います。「死」と「葬」と「宗教」をめぐって、さまざまな問題が起こりました。一連のオウム真理教事件の後、日本人は一気に「宗教」を恐れるようになり、「葬儀」への関心も弱くなっていきました。もともと「団塊の世代」の特色の1つとして宗教嫌いがありましたが、それが日本人全体に波及したように思います。

また、わたしは、現在取り組んでいる葬イノベーション――四大「永遠葬」を紹介しました。日本人の他界観を大きく分類すると、「山」「海」「月」「星」となりますが、それぞれが対応したスタイルで、「樹木葬」「海洋葬」、「月面葬」、「天空葬」となります。この四大「永遠葬」は、個性豊かな旅立ちを求める「団塊の世代」の方々にも大いに気に入ってもらえるのではないかと思います。わたしは、儀式を行うことは人類の本能ではないかと考えます。ネアンデルタール人の骨からは、葬儀の風習とともに身体障害者をサポートした形跡が見られます。儀式を行うことと相互扶助は、人間の本能なのです。この本能がなければ、人類はとうの昔に滅亡していたのではないでしょうか。そして、そのとき、ネアンデルタール人の頭上の夜空には月が上っていたことでしょう。


全体討議のようす

 

世界中の神話に「人は死んだら、月へ行く」と伝えられているように、また、さまざまな宗教が月を死後の天国として描いているように、月こそは「あの世」なのかもしれません。葬儀は人類の存在基盤です。葬儀は、故人の魂を送ることはもちろんですが、残された人々の魂にもエネルギーを与えてくれます。もし葬儀を行われなければ、配偶者や子供、家族の死によって遺族の心には大きな穴が開き、おそらくは自殺の連鎖が起きたことでしょう。葬儀という営みをやめれば、人が人でなくなります。葬儀というカタチは人類の滅亡を防ぐ知恵なのではないでしょうか。そして、その未来形は「月の塔」や「月への送魂」といったカタチになるように思えます。以上のような話をした後、全体討議に入りました。ここでも、自分の考えを学者の先生方に遠慮なくぶつけました。特に、幸福論と死生観の関係について語りました。「死生観なくして幸福論なし」です。


ムーンサルトレター第200信達成を祝って

 

こうして、「日本人と死生観」シンポジウムは異様な熱を帯びたまま終了しました。わたし自身、非常に大きな学びを得ることができました。何よりも、ムーン・ハートピア・プロジェクトを披露できたことが感無量でした。じつは、この日、家族が京都に来ており、揃って聴講してくれました。また、長女の婚約者がわざわざ福岡から駆け付けて聴講してくれました。それが非常に嬉しかったです。婚約者は京都大学出身ということもあり、長女を母校に案内することを兼ねて参加してくれたのです。思えば、11月3日の「文化の日」以来、20日間ずっとノンストップで走り続けてきました。シンポジウムがすべて終了した後、若い二人をTonyさんに紹介しました。Tonyさんはとても喜んで下さいました。そして、その夜はTonyさんと2人で「ShinとTonyのムーンサルトレター」200信達成の祝杯をあげました。忘れ得ぬ夜となりました。


『アンビショナリー・カンパニー』(現代書林)

 

さて、このたび、わたしが社長を務める株式会社サンレーは創立55周年を迎えることができましたが、それを記念して『アンビショナリー・カンパニー』(現代書林)を本名の佐久間庸和名義で上梓しました。『ハートフル・カンパニー』『ホスピタリティ・カンパニー』『ミッショナリー・カンパニー』続く4冊目の私のメッセージ集となります。前作の『ミッショナリー・カンパニー』に詳しく書きましたが、会社人として仕事をしていくうえで「ミッション」が非常に大切です。「ミッション」は、もともとキリスト教の布教を任務として外国に派遣される人々を意味する言葉でしたが、現在はより一般的に「社会的使命」や「使命感」を意味するようになっています。ミッション経営とは、社会について考えながら仕事をすることであると同時に、お客様のための仕事を通して社会に貢献することです。要するに、お客様の背後には社会があるという意識を待たなくてはなりません。


『カンパニー』四部作が勢揃い!

 

そして、ミッションと並んで会社人に必要なものが、アンビション、つまり「大志」です。「ボーイズ・ビー・アンビシャス」という言葉を聞いたことのある人は多いでしょう。ウィリアム・スミス・クラーク(クラーク博士)による有名な名言の1つで、「少年よ、大志を抱け」と訳されます。ならば、わたしは「カンパニーズ・ビー・アンビシャス(会社よ、大志を抱け)」と言いたいです。企業理念として設定されている概念であるミッション、ビジョンは、米国では「古い」とされているとかで、それに代わる概念としてのパーパス(目的)が注目されています。パーパスは「志」と訳されることも多いですが、いかにも経営用語といった軽い印象があります。わたしは「志」にはアンビションという言葉を使っています。「大志」といった方がいいでしょうか。そもそも英語の「Ambition」は、「野望」と「大志」というように、良い意味でも悪い意味でも使います。「天下布武」という「信長の野望」の英訳は「Nobunaga‘s Ambition」ですが、「天下布礼」というわが社の大志は「Sunray‘s Ambition」。すなわち、サンレーの「M&A」は「使命」と「大志」のことなのです。志というのは何よりも「無私」であるべきですが、わが社には無縁社会を乗り越え、有縁社会を再生するという志、また、グリーフケアによって世の人々の悲嘆を軽くするという志、そして冠婚葬祭という儀式によって日本人を幸福にするという志があります。

今後の会社経営においてはミッション(使命)とアンビション(大志)による「M&A」戦略が必要とされます。特に「ホスピタリティ」を提供するあらゆるサービス業において、施設の展開競争に代表されるハード戦略は、もう終わりです。今後は、ますます「ハード」よりも「ハート」、つまりその会社の「想い」や「願い」を見て、お客様が選別する時代に入ります。まさにそのときに「M&A」が最重要となります。そして、サービス業そのものがケア業へと変貌を遂げていくように思えてなりません。いま、人類は未曽有の危機に直面しています。新型コロナウイルスによるパンデミックです。このたびのコロナ禍は世界中を疲弊させ、大きな不安と深い悲しみをもたらしました。今ほど、不安定な「こころ」を安定させる「かたち」としての儀式、悲しみに対処するグリーフケアが求められる時代はありません。

コロナ禍という前代未聞の国難を経て、社会が大きく変化しています。わたしはコロナ後の社会に関する本を大量に読みましたが、「資本主義の終焉」とか、「ビジネスの役割は終わった」とかのショッキングな論説が多いです。確かに一理ありますが、少し行き過ぎた部分も感じます。しかし、「グレート・リセット」とか、「エコノミーにヒューマニティを取り戻す」などのキーワードは的確であり、今後の社会では「相互扶助」が求められることを示唆しています。さらに今後のビジネスにおいては「ケア経済」が最大のキーワードです。そういったトレンドも踏まえて、わたしには、「これからは、冠婚葬祭互助会の時代ではないか」という思いがしてなりません。儀式やグリーフケアの分野は、社会に必要なハートフル・エッセンシャルワークであると確信します。


「西日本新聞」2021年12月7日朝刊

 

最近、サンレーズ・アンビションが次々に「かたち」となっています。たとえば、わが社では今年から児童養護施設に入居している新成人に晴れ着などを提供し、記念の写真を撮影する取り組みを始めました。第1弾として「カリタスの国 天使育児園」(北九州市門司区光町)で暮らす新成人2人が12月4日、サンレーグループの松柏園ホテルを訪れて晴れ着を選びました。児童養護施設の入居児童に対しては従来、18歳未満までの支援が行われてきましたが、それでは社会的自立が難しいため、2017年度から22歳の年度末まで入居が可能となり、施設内で成人式の年齢を迎えるケースが増えてきました。しかし、経済的に晴れ着を借りられない新成人がほとんどで、一生の記念となる成人式の写真も持っていません。儀式を重んじる「礼の社」であるわが社では、経済的理由から人生の節目を実感できない児童のケアのため、晴れ着やバッグ、草履などの貸衣裳一式を貸与し、プロのカメラマンが記念写真を撮影してプレゼントすることにしました。新成人女子2人は、松柏園ホテル内の衣裳センターで試着したうえで、晴れ着などを決めました。正式の撮影は後日となりますが、北九州市の成人式式典(来年1月9日)には、この晴れ着で出席します。わが社は同様に経済的理由から七五三の晴れ着撮影ができない北九州市内の6児童養護施設の児童に対しても、今年から晴れ着の提供を呼びかけました。12月1日の聖小崎ホーム(北九州市八幡西区)の6人を皮切りに、12月中に計28人の児童が七五三の晴れ着姿を撮影します。


「西日本新聞」2021年12月8日朝刊

 

また、12月7日には、わが社が指定管理者を務める天然温泉「ふるさと交流館 日王の湯」(田川郡福智町神崎)で「子ども食堂」を開催し、小中学生を無料招待しました。これは、日王の湯周辺の福智町内の子どもを招待し、温泉での入浴やレストランでの食事(カレーライス)などを楽しんでもらう交流の場を設けたものです。NPO法人全国こども食堂支援センター むすびえ(東京都新宿区、湯浅誠理事長)の調査では、2020年12月時点で全国に子ども食堂が5086か所あります。ホテルや旅館で子ども食堂を展開しているケースはありますが、全国的に見ても天然温泉と子ども食堂を合わせて実施している例は珍しいそうです。今後は、原則月1回のペースで開催していく方針で、来年1月の第2回からは毎月第2火曜に行う予定です。

児童養護施設への晴れ着の無償提供、温浴施設での子ども食堂開設は大きな話題となり、「西日本新聞」だけでなく、「朝日新聞」「毎日新聞」「読売新聞」からも取材の申し込みが相次ぎました。取材ではよく、「なぜ、このような社会貢献事業をされるのですか?」という質問があります。わたしは、「わが社の本業である冠婚葬祭互助会はソーシャル・ビジネスだからです」とお答えしています。ソーシャル・ビジネスとは、高齢者や障がい者の介護・福祉、子育て支援、まちづくり、環境保護、地域活性化など、地域や社会が抱える課題の解決をミッション(使命)として、ビジネスの手法を用いて取り組むものです。「人間尊重」としての礼の精神を世に広める「天下布礼」の実践です。

冠婚葬祭衣装の無償レンタル、天然温泉の無料体験&子ども食堂の開設・・・・・・これら一連の活動は、SDGsにも通じています。SDGsは環境問題だけではありません。人権問題・貧困問題・児童虐待・・・・・・すべての問題は根が繋がっています。そういう考え方に立つのがSDGsであるわけです。その意味で入浴ができない、あるいは満足な食事ができないようなお子さんに対して、見て見ぬふりはできません。「相互扶助」をコンセプトとする互助会こそはソーシャル・ビジネスであるべきです。基本がソーシャル・ビジネスである冠婚葬祭互助会ほど大志を掲げ、かつ、それを果たせる業界はないと思います。

晴れ着の無料レンタルは、儀式というわが社の本業というべきものの意味と価値を世に広く問うものです。七五三は不安定な存在である子どもが次第に社会の一員として受け容れられていくための大切な通過儀礼です。成人式はさらに「あなたは社会人になった」というメッセージを伝える場であり、新成人はここまで育ててくれた親や地域社会の人々へ感謝をする場です。長寿祝いも含めて、すべての通過儀礼は「あなたが生まれたことは正しい」「あなたの成長をこの世界は祝福している」という存在肯定のセレモニーです。万物に光を降り注ぐ太陽のように、サンレーはすべての人に儀式を提供したいという志を抱いています。ということで、これからもサンレーズ・アンビションを果たすために不撓不屈の精神で歩んでいきたいと思います。それでは、Tonyさん、これからますます寒くなっていきますので、くれぐれも御自愛下さい。今年も大変お世話になりました。どうぞ、良いお年をお迎え下さい。

2021年12月19日 一条真也拝

 

一条真也ことShinさんへ

最初に、いくつかのおめでとうを言わせてください。

まず、ご長女の結納と来年のご結婚のこと、まことにおめでとうございます。また、京都大学稲盛財団記念館で開催した「日本人と死生観」シンポジウムの際にご紹介くださり、まことにありがとうございました。新郎となる方は京都大学の卒業生とのこと、母校でお会いできたこと、大変嬉しく思います。

第二に、株式会社サンレー創立55周年、まことにおめでとうございます。また、社長に就任してのこの激動の20年、本当にご苦労様でした。その中で、着々と新規事業にも着手され、また業務の選択と集中も実行され、業績と地歩を確実なものにされて、経営手腕も発揮されてきたこと、何よりです。

第三に、新著『アンビショナリー・カンパニー』(現代書林、2021年11月刊)の刊行、まことにおめでとうございます。『ハートフル・カンパニー』『ホスピタリティ・カンパニー』『ミッショナリー・カンパニー』に続く『アンビショナリー・カンパニー』という「カンパニー」シリーズ四部作、凄いですね。その構想力と筆力に心よりの意を表します。サービス業からケア業への転換、その中での「グリーフケア」の役割と貴社の果たすべき役割が明確に説かれているアンビショナリー&ミッショナリー&ハートフル&ホスピタルな本だと思います。

また、監修本『イラストでわかる 美しい所作と振る舞い』(メディアパル、2021年11月刊)もおめでとうございます。この本を読んだ妻が「とうさんも(妻は東二であるわたしを昔からとうさんと呼びます)この本を読んで『美しい所作と振る舞い』を学んでください」と言います。吾は野蛮ですから。法螺吹きだし。石笛吹きだし。毎朝夕、ギタージャカジャカ歌は歌うし。お風呂は真っ暗にして毎晩深夜に大声で「この光を導くものは」と「北上」の2曲を3回(後者は2回繰り返す)歌うし。騒々しいったらありゃしないのでしょう、彼女からすれば。うるさくてしょうがないよとため息をついていますよ、毎日。

それはともかく、わたしも、久方ぶりにこれほど忙しい時期はないというくらいに忙しい時期を過ごしました。この時期にもちろん通常の授業以外に、溜まっている原稿書きに、11月1日から5日までの東北被災地訪問と、足利市立美術館での諸星大二郎展における「妖怪民俗学と神智学から見た諸星大二郎の世界」と題した招待講演、NPO法人東京自由大学主催の須田郡司さんとの対談など、イベント続きでした。さらに加えて、11月18日から28日までの10日間、建仁寺塔頭寺院の両足院とThe Terminal KYOTOの二ヶ所での「悲とアニマ~いのちの帰趨」展の開催。それが終わってすぐの12月2日から8日までの須田郡司さんの写真展でのトークイベント。また、単発のオンライン授業やアニシモフさんやロシアのみなさんとのオンライン会議。アバターが三体ほどほしかったですね。

それから、先週からシンガーソングライターのKOWこと曽我部晃さんの自宅スタジオでのサードアルバム『絶体絶命』(2022年7月17日リリース予定)の録音が始まり、本格的に「遺言」と覚悟した歌撮りを始めました。たぶん、神道ソングライターとしてはこれが最後のアルバム制作になるのではないでしょうか。もし4枚目、フォースアルバムができたら、『希望』とか『光明』とか『祈り』というアルバムタイトルにしたいですが、どうなるか、わかりません。


『私が見た未来 完全版』(飛鳥新社)

 

さて、Shinさんから宿題をもらっていましたね。それは、たつき涼『私が見た未来 完全版』(飛鳥新社、2021年10月刊)を読んで、どう思うか、忌憚のない意見を聞かせてほしいという宿題でした。慌ただしすぎてまだ完全に隅から隅まで読み切ったわけではありませんが、ほぼだいたい全体を読んでみて、驚きはありませんでした。当然というか、ありえるだろうな、という感覚でした。漫画としては今読んでも諸星大二郎の作品には驚きと衝撃がありますが、たつき涼の漫画作品にはそのような驚きも衝撃もありません。そんなことがあるだろうと思うばかりでした。

2025年7月に大津波が来るという「予言」も、あり得ると思うし、それより先に富士山の爆発や南海トラフの大地震と大津波が来るかも、またそれ以上に考えられない自然災害がやってくるかもしれないという強い思いもあります。何しろ、2019年9月1日に『狂天慟地』(土曜美術社出版販売)と題する第三詩集を出して、その冒頭に、「みなさん 天気は死にました」と1967年に出た高校三年生の田村君の詩のフレーズを引用して、「天気の死」を「詩」にしたのですから。わたしは、確信者です。大きな自然災害が何度も到来してくることの。

たつき涼さんは、2025年7月の大地震や大津波の後、「ものすごく輝かしい未来が見えています。」とか「地球全体で、すべての人々の状態が明るく輝き、活き活きと暮らしている」(88頁)と明るい未来が来ることを「予言」していますが、わたしはそうではありません。事態はもっと深刻になると思っています。しかし、「大切なのは、準備をすること。災難の後の生き方を考えて、今から準備・行動しておくこと」(87頁)が重要だと言っている点はまったく同感です。拙著『狂天慟地』などでも同じことを伝えようとしてきました。

また、2025年の大災害の後、「心の時代の到来、つまり心と魂の進化が起こる」(90頁)と書かれている点も、そうあってほしいと思いますし、部分的にはそのような動きや運動が起こるとは思っています。もちろん、地球規模で、自然災害の多発や疾病の深刻化や格差や紛争や戦争の拡大など、不安定要素や破局要素は増すと予想しますが、それに対抗する方策や方法も検討され実施されることになると思うので、分断と対立は深まりつつも、そこから先の共生とか多様的調和とかの方向性はより強固な信念と方向になるとは思っています。

が、21世紀後半に向かって、現実には、さらに対立や分断は深まるのではないでしょうか? そのように思います。2022年7月に、わたしは神道ソングライターとしてサードアルバム『絶体絶命』を出す予定で録音をし始めていますが、まさにわたしの気持ちは「絶体絶命」という感じです。崖っぷちから崩落寸前だと。でも、たとえそうであっても、崩落しつつあったとしても、1本でも「いのちの樹」を植えていきたいものです。

そのような思いを胸に、11月に、京都現代芸苑実行委員会主催で、「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨」展を行ない、Shinさんにも「日本人と死生観」シンポジウムに参加していただきました。ご参加、ご講演、またご協賛、まことにありがとうございました。おかげさまで、各所から好評をいただきました。先回の第200信にも書きましたが、今回の展覧会の出品作家は、

池坊由紀 入江早耶 大西宏志 大舩真言 岡田修二 勝又公仁彦 鎌田東二 小清水漸 近藤高弘 関根伸夫 成田克彦 松井紫朗 吉田克朗(五十音順)

です。

それぞれのアーティストの出品作は、それぞれの「悲とアニマ~いのちの帰趨」を問いかけたものとなっています。それらはみな渾身の作品群で、いのちを伐り出している、削り出している、そして真剣ないのちのあそびをしている、と思っています。

この「悲とアニマ」というテーマは、2015年の展覧会の時に名付けたものですが、その時には、秋丸知貴事務局長もわたしも上智大学グリーフケア研究所の所属ではありませんでした。わたしは京都大学こころの未来研究センターの教員でした。だから、同センターのある稲盛財団記念館でいくつかのシンポジウムも開催しました。

しかしそれから6年が経ち、上智大学大学院実践宗教学研究科や同グリーフケア研究所の教員となってグリーフケアやスピリチュアルケアにより深く関わるようになり、「悲とアニマ」というテーマがよりリアルな場所で仕事をするようになりました。同時に、時代も、より深く「悲とアニマ」のテーマに関わる様相を示しているように思えます。そして、「いのちの帰趨」という今回のテーマ設定は、今、茨木県五浦の岡倉天心設計の六角堂で展示されている太平洋の荒波を前に瞑想する近藤高弘さん作の座像「Reduction~Wave」が典型的にも象徴的にも示しているように、現代文明あるいは現代文化の最重要課題だと思っています。海といういのちの根源に向かって、人間の身心また霊性のいのちの根源を尋ねる。そのような現代作家たち一人ひとりのいのちの根源に向かう探究のかたちがこの「悲とアニマ~いのちの帰趨」展で全面展開されたと思っています。

その中で、11月21日、両足院方丈(本堂)で行なった展覧会タイトルと同じ「奉納鎮魂能舞舞踏 悲とアニマ~いのちの帰趨」(上演時間45分)奉納パフォーマンスは、観世流能楽師の河村博重さんと舞踏家の由良部正美さんとのいのちの叫びのコラボレーションだったと思っています。もちろん、歌は下手だし、まだまだ未熟ではありますが。その時の動画を、山梨大学教員の木村はるみさんが撮影・編集してくれました。ご覧いただけると幸いです。動画URLは以下の通りです。

奉納鎮魂能舞舞踏「悲とアニマ~いのちの帰趨」
開催日時:2021年11月21日
場所:建仁寺塔頭・両足院方丈(本堂・本尊釈迦牟尼仏)
演者:観世流能楽師 河村博重、舞踏家 由良部正美、音楽 鎌田東二
動画リンク:https://youtu.be/WZV84PJLaaU

 

撮影者がダンサーでもあるためか、撮影自体が一緒にダンスをしているような動きがあります。ところどころのズームアップなど、能楽師と舞踏家の動きが丁寧に追われ、とくにわたしにとっては、演奏中でまったく見えなかった舞踏家の由良部正美さんの動きが繊細に撮影されていて興味深く思いました。「ゆらべさん、やるねえ~。名前の通り、ゆらいでいるねえ~」と思いましたね。

じつは、わたしも、今回は初めて舞踏手たちと同じような感覚で、自分も音の舞踏をしているような感覚を味わいました。とくに石笛や横笛を吹きながら「鏡の間」のような奥の大舩真言さんの画の部屋に入っていった時には、「死と再生」の甦りを感じていました。その空間は、実に不思議な静謐空間で、その奥の間に入っていくことがわたしの中の舞踊・舞踏・能舞であり、儀式であったように感じていました。そのような舞踊的感覚は初めて持ちました。そこがたいへんおもろかったですね、本番中でいちばん。

いずれにせよ、「悲とアニマ~いのちの帰趨」というテーマは、自分のいのちをいぶきを深いところから刺激し、引き出したと思っています。作品展示に関しては、わたしも写真2点を展示しました。彼岸=両足院と、此岸=The Terminal KYOTOに分割して。それがどのような印象を見た方にもたらしたかはわかりませんが、わたしの中の彼岸と此岸の二道を示したつもりです。

その「悲とアニマ~いのちの帰趨」展が終わってすぐ、12月2日から8日まで須田郡司さんの東北被災地訪問記録写真展を行ないました。併せて、その記録集も自主制作で刊行しました。展覧会は五章に分かれて、最後の第五章が海と陸、自然と人間を分断する壁でもあるコンクリートの防潮堤の写真群でした。防潮堤問題にはいろいろな意見があると思いますが、わたしは「緑の防潮堤」派です。この防潮堤問題はとても深刻ですが、いずれ変化があると思っています。

ともかく、この10年を総括する写真展を開催し、記録集を出すことができてよかったと思っています。12月8日、写真展が終わり、ギャラリー5610で須田郡司さんと一緒に終了の感謝の法螺貝奉奏をしましたら、物凄い響きでびっくりしました。「おまえたち、しっかりやれよ!」と言われたように感じました。

さて、本年もまもなく終わりますが、年末のクリスマスの日に以下のような「楽園論」をテーマにした研究会を開催します。もしお時間がありましたら覗いでみてください。

第84回身心変容技法研究会
テーマ:「楽園と身心変容」
開催方法:Zoom開催(無料)
日時:2021年12月25日(土)13時~17時
13時 開会あいさつ・趣旨説明・発表者紹介 鎌田東二(司会進行、10分)
13時10分~14時10分 谷崎テトラ(京都芸術大学客員教授・楽園学会設立呼びかけ人代表)「楽園と身心変容」(仮題)発表60分
14時10分~15時 鎌田東二(上智大学大学院実践宗教学研究科特任教授)「身心変容と至高の境地」(仮題)50分
15時~15時10分 (10分休憩)
15時10分~17時00分 (110分)
コメンテイター:鶴岡賀雄(15分、東京大学名誉教授・宗教学)
コメンテイター:やまだようこ(15分、京都大学名誉教授・心理学・ナラティブ研究)
コメンテイター:津城寛文(15分、筑波大学教授・宗教学)
コメンテイター:村川治彦(15分、関西大学教授・健康科学部学部長・同研究科科長・宗教学・身体文化論)交渉中
+ディスカッション

当日のZoom情報です。

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鎌田 東二さんがあなたを予約されたZoomミーティングに招待しています。

トピック: 第84回身心変容技法研究会

時間: 2021年12月25日 01:00 AM 大阪、札幌、東京

Zoomミーティングに参加する

https://sophia-ac-jp.zoom.us/j/99642369547

ミーティングID: 996 4236 9547

パスコード: 676485

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最後になりましたが、株式会社サンレーの社会活動である<冠婚葬祭衣装の無償レンタル、天然温泉の無料体験&子ども食堂の開設>、すばらしいですね。「楽しい世直し」の実践事例だとおもいます。そのような具体的で地道な実践事例の積み重ねと連携・連動が大切だと思います。ぜひ今後とも継続展開していってください。

それでは、Shinさん、ご家族の皆様、また会社の皆様方とともに、よきお年をお迎えください。

2021年12月19日 鎌田東二拝