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シンとトニーのムーンサルトレター第237信(Shin&Tony)

鎌田東二ことTonyさんへ

 

Tonyさん、こんばんは。
わたしの星座は牡牛座なのですが、今夜はその牡牛座で満月が起こります。アメリカ先住民の間では「ビーバームーン」と呼ばれ、木の皮や葉を食べるビーバーが冬ごもりの準備を始める季節を表しているそうです。
激動の11月も半ばを過ぎましたが、1日には父・佐久間進の「お別れの会」が小倉の松柏園ホテルで開催されました。Tonyさんにはお忙しい中を御参列賜り、また丁重なる弔辞、石笛・横笛・法螺貝の献奏までしていただき、心より感謝申し上げます。

松柏園ホテルのサインタワー

松柏園ホテルの入口のようす

 

父は9月20日に満88歳で亡くなりましたが、同月25日の通夜式、26日の葬儀告別式が小倉紫雲閣で行われましたが、「お別れの会」の会場は、わが社の「天下布礼」の原点となった松柏園ホテルです。この日、松柏園が「佐久間進ミュージアム」と化しました。入口前には佐久間名誉会長の笑顔、そして太陽をモチーフにした約4mの高さのサインタワーが立てられています。前日までは天気が安定していましたが、この日から雨が降り始め、次第に大雨になっていきました。ホテルエントランスには「佐久間進お別れの会」のサインと名誉会長の笑顔をタペストリーで表現。皆様をお迎えいたしします。虹色のサンレーマークが随所に配されています。


新館に飾られた父の肖像パネルと

AIで亡き父が「感謝」する

 

受付カウンターは、加藤藤九郎作「万朶」の世界観を活かしたデザインとなっています。ウォールビジョンでは、「感謝」の文字を配したお辞儀動画をAIの最新技術で作成。名誉会長が最敬礼でみなさまをお迎えします。メモリアルコーナーの①メインパネルでは、プロフィール、略歴、役職、叙勲・褒章・賞をご紹介します。②パネル「サンレーと共に」では、業界そしてお取引先様、サンレーグループ社員のみなさんと共に歩んだ軌跡をご覧いただきます。③パネル「アワード」では、旭日小綬章、藍綬褒章、紺綬褒章の展示をしています。


メモリアルコーナーのようす

メモリアルコーナーのようす

 

④パネル「心帰る場所」では、家族とともに過ごした時間、およびプライベートタイムの様子をご紹介します。⑤パネル「出会いに感謝」では、数々の著名人との出会いをご紹介します。故人は「会う人、皆我が師」をモットーにしていました。⑥パネル「ミャンマー・コーナー」では、世界平和パゴダへの支援によりミャンマー政府から送られた追悼のお手紙や貴重な写真の数々を展示いたします。そして⑦パネル「その美しき思い出に」では、晩年、長男であるわたしと共に訪れた皇産霊神社でのスナップ写真が拡大され、パネル展示されています。聖徳太子像を背景に、わたしが名誉会長の車椅子を押している写真です。


プロジェクション・マッピングで「八美道」が!

プロジェクション・マッピングで巨大な満月が!

 

「プロジェクション・マッピング」エリアでは、太陽そして月さらには名言・・・・・・幻想的な光と映像の演出で名誉会長を偲びます。「ヒストリー・ビジョン」では、創業から現在まで「サンレーの沿革」を動画でご覧いただきます。「直筆メッセージコーナー」では、業界、社員、そして家族へ…直筆にしたためた想いを展示しております。「書斎コーナー」では、会長室そして自宅の書斎をプロジェクション・マッピングで再現しています。「SUSUMU SAKUMA BOOK」では、書籍『佐久間進のすべて』をデジタル映像でご覧いただけます。


「お別れの会」の会場のようす

 

セレモニー会場の祭壇は、LEDビジョンを配したオリジナル祭壇です。葬儀と同様に、「太陽を追う花」である向日葵をポイントにしています。この日の10時から、祭壇の前での集合写真でした。「お別れの会」の委員長である山下裕史様(117社長、全国冠婚葬祭互助会連盟会長)をお迎えして、佐久間家の遺族親族、サンレーグループ役員で集合写真を撮影しました。その後、13時より第一部のセレモニーが開始されました。冒頭、30秒間の黙祷が行われました。黙祷が終わると、2本の追想ムービーが上映されました。

 

追想ムービーの1本目はムック『佐久間進のすべて』内の目玉特集で、Tonyさんのアドバイスで生まれた実録マンガ「すすめ!進くん~佐久間進ものがたり~」を動画にしたものです。「すすめ!進くん」は父の幼少期から青年期までを振り返った実録マンガですが、社内外でも非常に好評でした。「末っ子の男の子」「勉強はできた?」「野球部を創ろう」「柔道をやるぞ」「木更津の駅で」「古藤田師との出逢い」「ぼくは九州に行きます」などをテーマに今回の動画化で絵の優しいタッチはそのまま、ナレーションとアニメーションを付けることで臨場感のあるものとなっています。

 

2本目は「太陽を追う男~佐久間進~八十八年の軌跡」のお別れ会バージョンが上映されました。こちらは通夜・告別式でも上映した動画の細部を調整したものです。通夜・告別式では、ご都合がつかなかった方のご参列もあることを考え、改めてアップデート版を上映させていただきました。それから、委員長挨拶となり、山下裕史委員長(全国冠婚葬祭互助会連盟会長)の御挨拶を頂戴しました。


弔辞を読むTonyさん

 

続いて、Tonyさんより、弔辞を賜りました。鎌田先生は、「心より敬愛する故佐久間進サンレーグループ名誉会長のお別れ会に際し、國學院大學文学部の後輩鎌田東二が謹んで弔辞を奏上申し上げます。昭和10年という大激動の時代に、房総安房の国に誕生された名誉会長は、太平洋を望む雄渾の地で、つねに「心如大海」(心は大いなる海の如し)の精神を育まれ、長じて國學院大學に学んで、折口信夫らが切り拓いた日本民俗学を学び、この「生活の古典」であり、「日本人の幸福の探求の学」である民俗学を、人々の日常生活の中に活かす互助会の活動を始められました。それが、サンレーグループの始まりであったと聞いております」と述べられました。


弔辞を読むTonyさん

 

また、Tonyさんは「これは、まごうことなく、『古典の生活化』、つまり、伝統的な精神性と儀礼を日常の社会生活の中に接続し、実際に活かす道であったと思います。その意味で、佐久間進名誉会長は一貫して『日本民俗学』を実践的に生きぬき、國學院の伝統をその篤い心に受け継いでその生涯をかけて実現した國學院のお手本であり誇りであります」と言って下さいました。さらに、鎌田先生は「名誉会長は、日本のいしづえを築いた人物として憲法十七条において、神仏儒と礼の道を明晰に説いた聖徳太子を深く篤く尊敬・讃仰され、皇産霊神社の境内に聖徳太子像を建立されました。そして、聖徳太子が信仰していた浄土である『天寿国』に旅立たれ、ご昇天されました」と述べられました。

Tonyさんの追悼歌(その1)

Tonyさんの追悼歌(その2)

Tonyさんの追悼歌(その3)

石笛を献奏するTonyさん

横笛を献奏するTonyさん

法螺貝を献奏するTonyさん

 

Tonyさんは、「ここに、その尊く見事なご生涯を讃え、三首の歌を奉唱申し上げます」として、「進みゆく 礼(ゐや)びのみわざ 八美道 神のみこころ伝え行く道」、「進みゆく 礼(ゐや)びのみわざ 八美道 神のみこころ伝え咲く真道(佐久間道)」、「進みゆく 礼(ゐや)びの道の その果てに ついに至りし やすらぎの郷」という三首の追悼かを詠んで下さいました。そして、「最後に、佐久間進大人命のみたまに、衷心よりわが三種の神器である石笛・横笛・法螺貝を奉奏申し上げます」と言って、献奏して下さいました。その音色は名誉会長が向かうであろう天寿国へと通じているかのようでした。


弔辞を読む第一交通産業の田中社長

 

その後、一般社団法人 全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)の渡邊正典会長から弔辞を賜りました。渡邊会長は、佐久間名誉会長が全互協の初代会長であり、業界発展のためにいかに尽力してきたかをお話して下さいました。続いて、第一交通産業の田中亮一郎社長から弔辞を賜りました。佐久間名誉会長は第一交通産業の創業者であった故黒土始氏と親しく、同社の監査役を14年間務めていた御縁があります。北九州商工会議所の副会頭でもある田中社長は、佐久間名誉会長が北九州市の観光振興のためにいかに尽力してきたかをお話して下さいました。


社員代表弔辞を読む東専務

 

最後は、社員代表として、サンレーの東専務が「お別れの言葉」を述べました。北九州本部長や北陸本部長として、長年にわたってわが社を牽引してこられた東専務は、現在の紫雲閣を創り上げた最大の功労者でもあります。そんな東専務の心が込められた弔辞を聴いていると、ありし日の名誉会長の姿が浮かんできて、涙が出てきました。

献花する母の車椅子を押しました

わたしも献花しました

 

その後、弔電拝読を経て、委員長献花の時間となりました。山下委員長の後は、母、わたし、弟の順で献花をしました。その後は親族献花が行われました。続けて、弔辞者献花、来賓者献花、参列者献花が行われました。その間、山下委員長、わたし、弟、東専務、祐徳常務、山下(格)常務の順に立礼で御挨拶をさせていただきました。


遺族親族代表謝辞を行いました

 

そして、遺族親族代表謝辞です。サンレー社長で、サンレーグループ代表であるわたしが、マイクで挨拶をさせていただきました。冒頭、「遺族・親族を代表して、一言ご挨拶を申し上げます。本日は、サンレーグループ創業者・名誉会長の佐久間進のお別れの会にご参列いただき、誠にありがとうございます。弔辞を賜った皆様には、心より御礼申し上げます。また、多くの皆様から温かいお言葉やご厚情をいただき、深く感謝しております」と述べました。


ミャンマー政府より追悼のお手紙を賜りました

 

また、わたしは「本日はここ松柏園ホテルを『佐久間進ミュージアム』として、故人ゆかりの品や写真や言葉などを展示していますが、それらを見返すたびに「故人の人生は、本当に多くの方々との縁に恵まれた人生であったなあ」と痛感いたします。じつは通夜・葬儀に、日本で唯一のミャンマー式寺院である世界平和パゴダから多数の僧侶の方々にご参列いただきました。故人が、世界平和パゴダ奉賛会の会長を務め、支援活動を続けていた御縁からです。加えてミャンマー政府より追悼のお手紙を賜りました。「佐久間進氏は日本仏教とミャンマー仏教との間に橋を架けられた」とのメッセージがそこに書かれておりました。まことに有難く、感動をおぼえました。

故人は生涯、聖徳太子を崇拝し続けました

 

名誉会長は、生涯をかけて人間の「こころ」と「かたち」を追求しましたが、ただ1つの道に縛られることなく、常に広い視野と高い志を持って生きてきました。その一環として、皇産霊神社の代表役員を務め、神道の伝統を守りつつ、さらには“平成の寺子屋”ともいえる天道館を創設し、「仁義礼智忠信孝悌」といった儒教の教えを広める場を設けました。天道館には孔子像、皇産霊神社]には聖徳太子像が建立されております」と述べました。さらに、わたしは「名誉会長は『神道・儒教・仏教は日本人の心の三本柱』と考えておりました。また、その3つの宗教を平和的に共生させた張本人が聖徳太子であると考えており、生涯、聖徳太子を崇拝しておりました」と述べました。


「天下布礼」とは「人間尊重」の考えを広めること

 

続けて、「名誉会長の神道・儒教・仏教の枠を超えたその活動は、『人間尊重』という普遍的な理念を体現するものであり、故人の信念の深さを示しています。『人間尊重』の考えを広めることが『天下布礼』です。それはただ単に礼儀作法を守るという意味を超え、人間関係における『思いやり』を世の中に広げようとする壮大な挑戦でした。どんな困難に直面しても『何事も陽にとらえて』の精神で、名誉会長は常に新しい視点と行動で道を切り開いていきました。その精神は今もわたしたちに深い感銘と影響を与え続けています」と述べました。


互助会こそが日本を救う!

 

さらに、わたしは「名誉会長は國學院大學で国学と日本民俗学を学び、この北九州市において冠婚葬祭互助会を創業しました。国学が『日本人とは何か』を問う学問なら、民俗学は『日本人を幸せにする方法』を問う学問です。そして、冠婚葬祭互助会はその学びを実践するものでありました。名誉会長は『互助会は日本人によく合う』と常々語っていました。また、『互助会の可能性は無限である』、さらには『互助会こそが日本を救う』という信念を持っておりました。最近では『互助共生社会』という言葉を使い、未来に向けた新たな社会像を描いていました。それは、わたしが長年提唱し続けてきた『ハートフル・ソサエティ』にも通じるものです」と述べました。


冠婚葬祭こそ日本文化の集大成である!

 

さらに、わたしは「冠婚葬祭事業の未来に対して悲観的な意見を述べる方も少なくありません。しかし、名誉会長、常に確信を持って語っていました。『冠婚葬祭こそが、互助共生社会を築き、日本を救う力になるのだ』と。その言葉には、深い信念と揺るぎない情熱が込められていました。名誉会長にとって、冠婚葬祭はただのセレモニーではなく、日本人の心をつなぎ、人々が互いに助け合い支え合う社会を作り出すための根本であり、その可能性は無限であると信じていたのです。冠婚葬祭とは『こころ』を『かたち」にする文化です。名誉会長は、小笠原流礼法をはじめ、茶道や華道にも精進していましたが、『冠婚葬祭こそ総合芸術であり、日本文化の集大成である』と言っていました」と述べました。


日本の未来に太陽光線のように希望の光を灯したい

 

続けて、わたしは「亡くなる1カ月ほど前に、私は一般財団法人 冠婚葬祭文化振興財団の理事長の大役を拝命しましたが、それを報告すると、名誉会長は『それはいい』『その仕事はお前に合っとる」と大変喜んでくれました。名誉会長の『冠婚葬祭で、日本人を幸せにする』という大きな目標に向かって、『創業守礼』の精神を受け継ぎながら、これからも歩み続けてまいります。日本の未来に太陽光線のように希望の光を灯す、その日まで決して諦めることなく、名誉会長の教えを実践し続けていく覚悟です。最後になりますが、ご参列いただきました皆様に心より御礼を申し上げ、ご挨拶とさせていただきます。本日は誠にありがとうございました」と述べたのでした。こうして第一部のセレモニーは終了し、わたしたちは参列者みなさまを送賓したのでした。


思い出の写真とともに

 

第二部は15時半から開始されました。主に地元の方々を中心に、随時献花をしていただきました。弦楽四重奏の流れる中、わたし、弟、サンレーグループ役員で応対させていただきました。みなさま、館内の展示物を珍しそうに見られ、故人をなつかしく偲んで下さいました。みなさまからかけていただくお言葉から、「ああ、名誉会長は多くの方々から愛されていたんだなあ」と再確認しました。献花後は新館テラスへご案内し、軽食を提供させていただきました。こうして、「佐久間進お別れの会」は無事に終了しました。御参列いただいた方々、準備・設営に関わっていただいたスタッフのみなさまに心より感謝申し上げます。


四十九日のようす

 

その翌日、11月2日、父の「四十九日法要」を行いました。
四十九日法要は、忌中に行う儀式の中で最も重要とされています。朝、わたしたち家族は 小倉紫雲閣の「桜の間」に寄ってから「鳳凰の間」に向かいました。広寿山福聚寺のご住職に御挨拶させていただき、11時より法要が開始されました。佐久間家の遺族親族の他、サンレーグループの役員のみなさん、秘書室のみなさん、会長宅(実家)で働くみなさんも参列されました。


母の車椅子を押しました

心を込めて焼香しました

 

読経を聴いて、合掌・礼拝の後、焼香の時間となりました。最初は母からです。母は足が悪いので、長男であるわたしが車椅子を押しました。続いて、わたしの番です。わたしは、「陽徳院法禮興進大居士」と書かれた父の位牌に向かって心を込めて焼香し、合掌・拝礼しました。遺族親族に続き、サンレーグループ役員のみなさんも焼香して下さいました。昨日の「お別れの会」からの流れで、全国各地から役員が集結しており、すべての役員の方々が参列して下さいました。続いて、会長宅で働かれている方々、秘書室のみなさんが焼香をして下さいました。みなさん、生前の父が大変お世話になりました。

遺族親族を代表して謝辞をしました

 

四十九日法要が終わると、謝辞の時間となりました。遺族親族を代表して、わたしがマイクを持ち、謝辞を行いました。わたしは、「本日はお忙しいところ、父・佐久間進のの四十九日法要にご参列いただき、誠にありがとうございます。9月20日に逝去し、9月25日・26日の通夜・葬儀告別式、昨日のお別れの会を経て、本日無事に四十九日の法要を終えることができました。これも福聚寺のみなさま、サンレーグループのみなさまのおかげです。心より御礼申し上げます」と述べました。


素直な思いで謝辞を述べました

 

それから、わたしは「今日は朝から大雨ですが、何事も陽にとらえれば、これは昨日の『お別れの会』が大成功に終わり、今日こうして四十九日も終わって、ようやく憧れの天寿国へと旅立てる名誉会長の嬉し涙ではないかと思っております。じつは、昨夜、父の夢を見ました。亡くなってからずっと夢に出て来なかったのですが、昨夜、初めて出てきました。父はニコニコ笑っていました。そして、わたしに『よくやってくれた』『いろいろ、ありがとう』と言ってくれました。嬉しかったです」と述べました。


父の伝言を伝えたら、涙が溢れました

 

それから、家族のみんなに「献身的に介護をしてくれて、本当にありがとう。最期を看取ってくれて、ありがとう。じつは死ぬことに少しだけ不安があったが、みんなが側にいてくれてから安心できた」との伝言を紹介しました。その言葉を伝えたとき、突然ダムが決壊したように涙が溢れ出てきました。また、「会長宅のみんなは、親切にしてくれて、ありがとう」「秘書室のみんなも、いつも支えてくれて、ありがとう」という父の言葉も伝えました。


涙を流しながら、父の伝言を伝えました

 

それから、役員のみなさんの方向を向いて、「昨日のお別れ会は、本当にお疲れ様でした。あまりの素晴らしさに驚きました。あれは大したもんじゃ」「東専務、心のこもった弔辞をありがとう。ちゃんと聴いてましたよ」「山下常務、お別れの会を成功させてくれて、ありがとう」「石田取締役、死後叙勲の手続きをありがとう。死んでから勲章を貰ってもと思っておったが、やはり有難いものです」、他にも「みなさんのおかげで、良い人生が歩めました。感謝の気持ちでいっぱいです。みなさんは体に気をつけて、せめてわたしと同じ88歳か、できればそれ以上長生きして下さい」という伝言を紹介しました。


父は憧れの天寿国へ行きます!

 

最後に、わたしは「いま有難い『般若心経』を聴きました。『色即是空』『空即是色』・・・宇宙の真理、死の秘密を説いたお経です。そして、最後は『羯諦羯諦(ぎゃあてい ぎゃあてい)』という言葉が出てきます。『ぎゃあてい ぎゃあてい』という古代インド語の響きは日本語の『おぎゃあ おぎゃあ』、すなわち赤ちゃんの泣き声に似ています。人は、母の胎内からこの世に出てくるとき、『おぎゃあ おぎゃあ』と言いながら生まれてきます。奇しくも誕生日に葬儀をあげた父は、母なる世界に帰っていったのかもしれません。そして、その世界とは、憧れの聖徳太子の向かわれた天寿国であると思います。父はいま、ニコニコしながら天寿国へ向かいました。みなさまのご厚情に感謝いたします。本当に、ありがとうございました」と述べたのでした。


『愛する人を亡くした人へ』(PHP文庫)

 

父の四十九日を迎えた翌日、自宅にPHP研究所から小包が届きました。開封すると、『愛する人を亡くした人へ』 (PHP文庫)の見本でした。「悲しみに寄り添う15通の手紙」というサブタイトルがついています。118冊目の著書となりますが、現在のわたしに最も必要な本がジャストタイムで届きました。カバー表紙には、美しい夕暮れの空に下弦の月が浮かんでいる写真が使われ、帯には「本書を原案とした映画がついに公開」「人はどう悲しみと向き合えばいいのか――」「解説:町田そのこ(作家)」「2025年1月17日(金(新宿ピカデリー他 全国公開)「【主演】坂東龍沙汰/西野七瀬」「映画『君の忘れ方』」とあります。

 

本書『愛する人を亡くした人へ』を原案としたグリーフケア・ドラマ映画「君の忘れ方」が来年1月17日に全国公開されます。本作で初めての映画単独主演を務めるのは、若⼿実⼒派俳優として振り幅の⼤きい演技で存在感を発揮している坂東⿓汰さん。映画、ドラマ、CM、舞台と⼋⾯六臂の活躍をみせる⻄野七瀬さんがヒロインを演じます。いま映画界で最も旬な2人ですが、わたしも恥ずかしながら、フューネラル・ディレクター役で出演しています。お時間ございましたら、ぜひご鑑賞下さい!

 

2024年11月16日 一条真也拝

 

一条真也ことShinさんへ

 

新潟県直江津でこのムーンサルトレター237信の返信を書き始めます。まずは、11 月1日のお父上故佐久間進サンレー名誉会長のサンレー全社の心と力を投入した「お別れ会」、そしてその翌日の49日、ともに心に残る故人を偲び讃える忘れられない機会となりました。

 

この「お別れ会」にお招きいただき、故佐久間進サンレー名誉会長とも最後のお別れをすることができ、感無量の思いです。Shinさんともお父上とも家族ぐるみの長いお付き合いですが、名誉会長にお会いするたびに、その真直なる探求心や好奇心と誠心誠意のご努力におのずと頭が下がりました。

 

人格・識見・行動、三拍子のほかに、慈悲・慈愛・思いやり・仁徳すべてが揃った素晴らしいお方でした。こころより敬意をいだきます。そして、故人を偲びます。

 

Shinさんも、ご家族も、さぞかしお寂しい思いを感じておられることと思います。わたしがこんなにさびしいのですから。なにか、大切なたからもの、宝玉や神宝を喪失したような。かけがえのないものをうしなったおもいがしています。

 

死に逝くことは不幸ではないとおもいながらもさびしいと、Shinさんが葬儀の時に言われた言葉をかみしめます。そのとおり、とかんじます。

 

じつは、昨日、上智大学グリーフケア研究所名誉所長の元日本スピリチュアルケア学会理事長の高木慶子先生や、上智大学グリーフケア研究所前所長で、現在の一般社団法人日本スピリチュアルケア学会理事長の島薗進さんとともに、新潟県直江津で、高田仏教会主催の催し「悲嘆について学ぶ」講演会&シンポジウムをおこなったのでした。

 

「悲嘆」とは端的に「喪失」です。たいせつなものをうしなったときのこころの様態です。

昨日の一日で、わたしは「悲嘆」にむきあって、次のような7つの詩篇を書き付けました。

 

水面は……

 

水面は時を外れて落ちた。栗の未来紋の飛沫を受けて。道の向こうに巫女がいる。手旗信号で「来るな」と言っている。神父は槍を持って走っている。浮雲の下編み笠の雲水が流れている。行雲流水。すべては水のように。風のように。だからこそ火は嫉妬してやまぬ。地は羨ましくてしようがない。世界は気楽に充ちているというこの真実が。世界は悲惨と惨酷と喜悦に溢れているという意外に。ものの見事にうっちゃられた。そこはかとなく。いづのみたまよ。とめどなく。水面を襲う渡り鳥の群れ。突っ込んでくる。どこに獲物があるのかを知っている。どこに翼を休める島があるかも。摂理至極。理という見事な仕組みに息を呑む。さらば箱舟。こんちくしょうは魂蓄生に変身する。それによって水面は悉皆得度した。

 

 

未来記1

 

すごろ苦が残したあくびを拾ってみると

太平洋の大入道が首を出した

 

斬ってくれ!

断ち切ってくれ!

 

齢千年

見果てぬ夢と成り果てた残骸

千年王国都市国家

 

葉脈の隙間をなめくじが這っている

惧れを知らぬ無垢

やまいたちは逃走した

 

菩提寺の墓石を掘りつくして銀河鉄道に乗ったさんぴん茶

 

ゆるゆるとパイプをくゆらせて世界史をひもといた

文明がいかに滅亡したか 詳細に綴られていた

ヒストリーというヒステリーにも似たストーリー

 

霊験あらたかな南無十方人未来債

漬物と債権が同等交換の市場に出回る

 

東銀座は黄昏た

西銀座も南銀座もすでに消滅

北銀座はエベレストのような空中都市となってラピュタ化した

 

途方もない

途轍もない

共行きの道

 

人通りが不意に恋しくて

涙した

合掌

 

未来記2

 

トキをしる

 

いまはむかし

うずをまいてのみこまれた

微分化された粒子たち

 

よびごえにこたえてはしった

東奔西走

 

おおーっ

ううーっ

たあ~っ

 

空面も水面も地面もなく

あらゆるおもてもうらもなく

そこもなくふたもない

あらゆるふきぬけの

つつぬけの

とおりぬけの

マヌケ

 

真抜け敷島

そのしきしまのやまとごころをひととはば

全神経を凝集して応えよう

 

やまとはくにのまほろば

やまとごころはひとのまほろば

やまとだましいはかみのまほろば

 

人知れず泣く

神知らず無く

友知れず亡く

 

耳なし芳一に語る

公認されない 共有されない 理解を超える悲哀を

 

さればとーれ

さらばぽーれ

さすれとーぼ

イーハトーヴ

 

通せてくれ 呉羽よ

見せてくれ そのうつくしい入れ歯を

銀河みたいな入歯を

 

いや それこそが まさしく 銀河 銀歯 銀波

 

よいやさあー

よい子よ

 

ははもちちも いない

いないが

ははちちなしに そだつ

ははちちなしに うまれる

ははちちなしに いきる

 

されど いのちよ

おおはは は いる

おおはは は ある

おおははは おわす

 

いのちの底無しのそこなしのむこうに

いのちの蓋閉めをする ふくろ詰めをする そのさきに

 

あえて 嗣ぐ

つぐべき ときを

時々刻々の全相続を

 

財産は皆無でも採算は無限大

 

よし

よち

よか~!

 

 

未来記3

 

よしずみの

ひいきのひきわたしの北の海

 

たばしり走って走行不能

路が切れたから

道が裂けたから

未知が溶けたから

 

いうまでもなく 言語不通

通信途絶

 

あれほどテレパシーを磨けと言っておいたのに

怠るな 日常生活を

その修業の日々を

 

回路の途絶えを海路がつなぐ

陸がなければ海がある

脳が死んだら腹がある

山が沈めば海が跳ぶ

 

よしずみよ

汝が知る以上に世界は流動的でダイナミックなのだ

 

信じていいのだ 生まれ変わりを

信じていいのだ よみがえりを

信じていいのだ いづのみたまを

 

光り輝く泡立ちの峰

手元に残した真珠貝

旅立ちの朝 靴下を脱いで 土を踏みしめた

愛しの君よ

 

 

未来記4

 

イカ釣り船に乗って神輿を担いだ

 

ムラは消えない

 

ソラは儚い

ハラは空かない

 

ハンモックに蟻がたかる

不在の主人の昼寝王国

 

涙ながらのナラティブをカナブンの親分と聴いた

 

いけず

と言ったあなたにものもうす

 

生け簀もイケズも好かぬ

 

いのちの生捕りはよくないよ

南無三宝

 

この星に願いをかけるために堕ちた

なむあてずっぽう

 

 

未来記5

 

五目寿司は見事だ

アンドロメダ星雲もかくやとおもうほど

 

出し惜しみして腐らせた愛のコリーダ

 

帰ってこない

還ってこないよ

 

ひと夏の恋も

ふた夏の金柑も

 

少年は閉じた

終末を

 

三島由紀夫みたいに

ハラキリこそしないが

 

ヤスナガとともに

幕を下ろした

 

蔑むものよ

汝は知らむ

光明菩薩を

日光菩薩も月光菩薩も

 

ボサツはオサツとちゃうねん

シンソツのように初々しいねん

 

いのちみなぎる

元気玉

 

時の蘆舟に乗せて遣る

ひのもとのはてのはてから愛をこめて

 

通りすがりの……

 

通りすがりの微分方程式にご挨拶。畏しや。光辻を渡ったところに亀裂が走って次から次へと人民を吞み込んでいる。愁いを漂わせる暇もないほどの高速で。5Gもクソもない。味噌も糞も一緒に攪拌してこの千年世紀の饗宴は続く。後ろ髪を引かれるまでに。表向き減税の受けのよい下剋上政策を掲げて。正念場を離れられない藝者の祖母は遺言した。「ゲイは身を助ける」と。だがねばあちゃん。迎が来てもおれは逝かん。翔んで往く先があるから。無礙異には死なんよ。生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く死に死に死に死んで死の終りに冥し。生死輪廻。ねじ込んで潰れた餡蜜。密儀を取り仕切る司祭の翌朝。屍体は晴れ晴れと宙を舞った。さらば季節よ。うるわしの四姉妹よ。ありがとう。

 

そして、「悲嘆」を拭い去るように、「災害学・災害社会支援者研修センター」の細部を詰めました。

 

(任意団体)「災害学・災害社会支援者研修センター」の設立の背景と目的と事業内容の概要

2024年10月11日 海臨山千手院にて

 

1, 設立の背景と目的

「災害学・災害社会支援者研修センター」は、すでに始まっている激甚災害多発時代を創造的に生き抜いてゆく活力と構想力のある社会支援者・コーディネーターを育成していくための研修およびそのための教育研究ネットワーク機関である。

すでに到来している超少子超高齢社会日本において、本年2024年1月1日に起こった能登地震と、9月21日に起こった能登豪雨被害のダブルパンチは、能登半島の地域社会に大きな打撃を与えた。家を失い、生業も成り立たず、復興に向かう気力を萎えさせ、将来の暮らしのありように多大な先行き不安を与えたために、集落を離れる人が増大している。

この出来事は、日本列島の各地で進行してきた『地方消滅』(増田寛也、中公新書、2014年)が、地震と豪雨の二重被害で加速したことであり、日本国中に同様の傾向と危機がある。

そうした中で、わたしたちは、激甚化する自然災害の中で地域社会を存続させ、その地域特性に沿った形での暮らしの再建と維持を図り、次世代につないでいかなければならない。そのためにさまざまな試行が必要である。

本センターは、そうした超少子超高齢超激甚災害社会日本において、次の世代にリレーしていくための力強く豊かな智慧と技法をあらゆる組織や権力に縛られずに自由かつ臨機応変に研鑽・研修する機関としてここに設立を発起する。

設立日は,第1回理事・監事・役員会を行なった2024年11月20日とする。

 

2, 事業内容

本センターは目的を達成するために、次の事業を行なう。

1) 激甚災害社会の調査研究に基づく対策研究立案(研究部門)~調査研究については「能登学プロジェクト」(小西賢吾京都大学人と社会の未来研究院特定准教授・井川裕覚東北大大学災害人文学特定助教・桑野萌金沢星稜大学准教授たち)と連携し、地道で息の長い研究調査に基づく対策立案を検討していく

2) そこで、自主的に活動する人材を育成する(教育部門)~本センターの主要部門となる

3) 諸種の機関や団体・個人と連携しながら災害支援を実施する(実践部門)~受講修了生たちの自主的な実践活動が中心となるが、受講修了生同士の交流とネットワークを絶やさず、年に1回は京都市左京区の「関西セミナーハウス」で合宿交流研修会などフォローアップ研修を定期的におこなう

 

3, 役員

センター長(代表理事):鎌田東二、副センター長(副代表理事):今村達弥(精神科医)、理事:加藤眞三(慶應義塾大学名誉教授・内科医)・長谷川敏彦(元日本医科大学教授・一般社団法人未来医療研究機構代表理事)・佐藤伸彦(ものがたりの街理事長・医師)・降矢英成(赤阪溜池クリニック院長・元日本ホリスティック医学協会会長・心療内科医)・今井洋介(長岡西病院ビハーラ病棟部長・日本仏教看護ビハーラ学会会長・医師)・稲葉俊郎(慶應義塾大学特任教授・医師、元軽井沢病院院長)・石野真輔(十条武田リハビリテーション病院リハビリテーション科部長・上智大学グリーフケア研究所非常勤講師・医師)・宮地尚子(一橋大学教授・精神科医・トラウマ研究)・三澤史明(九州大学附属病院心療内科・医師)

事務局長:大野邦久、事務局:大野珠希、非常勤スタッフとして野々目月泉(僧侶、一般社団法人日本臨床宗教師会理事)

監事:島薗進(東京大学名誉教授・前上智大学グリーフケア研究所所長・日本スピリチュアルケア学会理事長)・藤井満(元朝日新聞者記者、輪島支局長4年)

 

・本研修センターは、まず、能登・穴水町の森本敬一NPO法人能登くいしん坊理事長の訴えに応えていく社会活動などをしていくための支援機関として出発する。

・オンラインでいくつかの授業をし、15科目程度のオンライン授業を踏まえて、比叡山の麓の関西セミナーハウスで土日の集中授業をしてワークショップ・演習などし、また副代表の今村達弥氏が院長・理事長を務める「ささえ愛よろずクリニック(https://www.yorozu-caretown.com/ )」を訪問し、実習的研修を行なう。

 

5、研修プログラムにおける主なオンライン科目と担当者

1,「災害学原論」鎌田東二(京都伝統文化の森推進協議会会長・京都大学名誉教授)・「災害学各論」森本敬一(NPO法人能登くいしん坊理事長)・「災害学各論」草島進一(鶴岡市議会議員・元神戸元気村副代表)・「災害学各論」諌山憲司(明治国際医療大学教授・救急救命士・僧侶)担当

2,「災害自然学」原田憲一(元山形大学・京都造形芸術大学教授・元至誠館大学学長・京都伝統文化の森推進協議会副会長、地球科学者・地質学者)・「防災フロンティア」里深好文(立命館大学防災フロンティアセンター長・教授)担当

3,「災害人文学」井川裕覚(東北大学災害人文学特任助教)・小西賢吾(京都大学人と社会研究院特定准教授)・桑野萌(金沢星稜大学准教授)担当

4,「災害社会学」金菱清(関西学院大学教授)担当

5,「災害心理学」やまだようこ・河合俊雄(ともに、京都大学名誉教授)担当(交渉中)

6,「災害精神医学・災害時医学・医療」今村達也・降矢英成・加藤眞三・宮地尚子(一橋大学名誉教授・トラウマ精神医学)・石野真輔担当

7,「災害時(緊急)支援演習」諌山憲司担当

8,「救急救命学」諌山憲司担当

9,「災害時ケア学」島薗進・今井洋介・石野真輔・鎌田東二担当

10,「災害ジャーナリズム・情報科学」藤井満(元朝日新聞記者)・米田亮太(共同通信記者・文化人類学)・服部久美恵(東京大学先端科学技術研究センターPD研究員)・大野邦久(京都大学大学院理学研究科・霊長類研究所研究認定退学)担当

11,「災害復興学」草島進一・三澤史明担当

12,「サバイバル術」関根秀樹 (原始技術史研究者)

13,「復興エンターテイメント(芸術・芸能・まつり)」鎌田東二・しんめいP・喜納昌吉(シンガーソングライター・元参議院議員)ほか担当(交渉中)

 

6,第Ⅰ期研修期間:2025年2月~4月

2月から15回(コマ、1回2時間合計15日30時間)のオンライン授業+一部対面授業を行なう。また、3月下旬に京都の関西セミナーハウスで2泊3日合計15時間の実習中心の総括授業を行なう。

 

7,研修日程(オンライン講義15回2025年2月6日(木)から4月25日(金)19時30分~21時30分まで原則毎週木曜日の夜に座学15講(ただし、最終回=15回目のみ金曜日の夜に実施)、3月21日(金)~23日(日)の金から日までの2泊3日の関西セミナーハウスでの実習+対面座学授業)

 

1,2025年2月6日「災害学原論~災害の捉え方と向き合い方」 鎌田東二(京都伝統文化の森推進協議会会長・京都大学名誉教授)OK

2,2月13日「災害学各論①発災急性期から慢性期の移行と課題」諌山憲司(明治国際医療大学教授・救急救命士・僧侶)OK

3,2月20日「災害学各論②阪神淡路大震災の経験から問いかけ学んだこと」草島進一(鶴岡市議会議員・元神戸元気村副代表)OK

4,2月27日「災害学各論③能登地震の経験から問いかけ学ぶこと」森本敬一(NPO法人能登くいしん坊理事長)交渉中

5,3月6日「災害自然学~地球科学・地質学の視点から」 原田憲一(元山形大学・京都造形芸術大学教授・元至誠館大学学長・京都伝統文化の森推進協議会副会長、地球科学者・地質学者)交渉中

6,3月13日「防災フロンティア~防災工学の課題」里深好文(立命館大学防災フロンティアセンター長・教授)OK

7,3月20日「災害宗教学」島薗進(東京大学名誉教授・前上智大学グリーフケア研究所所長・日本スピリチュアルケア学会理事長)OK

 

3月21日(金)~23日(日)集中実習と講義(第9講~12講)

3月21日(金)12時前に集合受付して昼食後、13時よりゆっくりと歩行「東山実習」関西セミナーハウス~曼殊院山~瓜生山~大文字山~山科踏破とレクチャ&交流・懇親 担当:鎌田東二・佐野文憲(庭師・一松造園代表)OK

3月22日(土)「比叡山実習」とレクチャー・演習「防災すごろく」「いきものあそび」「災害ジャーナリズム」 担当:諌山憲司・鎌田東二・藤井満OK

3月23日(日)「総括および受講生研修総括発表(各自20分」

 

8,3月27日(木)「災害医療学:災害医療と未来医療~山岳医療と救急救命の経験から」稲葉俊郎(慶應義塾大学特任教授・元軽井沢病院院長・循環器内科医)OK

9,4月3日(木)「災害精神医学①~災害とトラウマ」宮地尚子(一橋大学教授・精神科医・トラウマ研究)OK

13,4月10日(木)「災害人文学」井川裕覚(東北大学災害人文学特任助教)交渉中(基本的にOK)

14,4月17日(木)「災害精神医学②フランクルを読み直す」降矢英成(心療内科・精神科医、赤阪溜池クリニック院長・元日本ホリスティック医学協会会長)OK

15,4月25日(金)19時30分~21時30分「災害精神医学③災害と依存症」今村達弥(精神科医・ささえ愛よろずクリニック院長)OK

 

 

そして、次作の長谷川敏彦・鎌田東二対談集『超少子・超高齢社会の日本が未来を開く——医療と宗教のバラダイムシフト』ホーム社/集英社、2024年12月15日刊、と公益財団法人日本心霊科学協会で2025年1月26日(日)に上演する「ロックンロール神話考Ⅱ末法篇2024」に集中していました。

ロックンロール神話考Ⅱ末法篇2024 チラシ表 2025年1月26日上演@公益財団法人日本心霊科学協会

ロックンロール神話考Ⅱ末法篇2024 チラシ裏 2025年1月26日上演@公益財団法人日本心霊科学協会

けれども、からだの体調の方は、この1ヶ月、食欲はなく、ほとんど食べず、体力がガタ落ちになり、たぶん貧血と肝臓の転移の悪化で疲れが嵩じ、階段を歩く際にも手すりによりかかり、踊り場で休憩し、休み休みに、そろりそろりと歩いていく状態で、立っているのも、時には座っているのもきつい状態になりました。

 

が、講演などしているうちにすっかり元気になるのは、わたしにとって、ご飯よりも、言葉の方が何よりもゆたかなふかい栄養なのだということの証明だと感じています。そして、そのような「ことば」にたちむかえることのありがたさも、痛感しています。

 

Shinさんの118冊目の新刊文庫本『愛する人を亡くした人へ』 (PHP文庫)も改めて拝読し、すごいなあ、Shinさんは、つぎつぎと精力的かつ集中的に本を出し続けて。しかも、映画にまで出演する! この生産力、言葉創造力の豊饒さは。まさに「産霊」=むすひの力の発現そのものですね。

この『愛する人を亡くした人へ』を原案としたグリーフケア・ドラマである映画「君の忘れ方」の全国公開も併せて、こころからおめでとうを申し上げます。それでは本年最後の次の満月まで、くれぐれも御身お大事にお過ごしください。

2024年11月18日 直江津にて 鎌田東二拝

PS:世界遺産熊野本宮館で、写真家のエヴァレット・ケネディ・ブラウンさんと、こんなイベントもしました。