シンとトニーのムーンサルトレター 第110信
- 2014.08.10
- ムーンサルトレター
第110信
鎌田東二ことTonyさんへ
8月10日の満月は、いわゆる「エクストラ・スーパームーン」だとか。つまり、今年最も大きくて明るい満月だそうですが、あいにく小倉は雨で夜空は真っ暗です。心配された台風11号は北九州を通過しなかったものの、本当に今年の夏はよく雨が降ります。
8月というのは、日本人が死者を思い出す季節ですね。6日の広島原爆記念日、9日の長崎原爆記念日、12日の御巣鷹山の日航機墜落事故の日、そして15日の終戦記念日というふうに、3日置きに日本人にとって意味のある日が訪れるからです。それはまさに日本人にとって最も大規模な先祖供養の行事である「お盆」の時期とも重なります。
さて、7月26日の「毎日新聞」朝刊の1面トップに、世紀の大スクープ記事が踊りました。そこには「八幡製鉄 原爆当日に煙幕」の大見出しが踊り、「8月9日 元職員『コールタール燃やす』」「米軍機『視界不良』一因か」「広島投下で警戒強める」の見出しで、以下のようなリード文が続きます。「長崎に原爆が投下された1945年8月9日、米軍爆撃機B29の来襲に備え、福岡県八幡市(現北九州市)の八幡製鉄所で『コールタールを燃やして煙幕を張った』と、製鉄所の元従業員が毎日新聞に証言した。米軍は当初、旧日本軍の兵器工場があった近くの小倉市(同)を原爆投下の第1目標としていたが、視界不良で第2目標の長崎に変更した。視界不良の原因は前日の空襲の煙とする説が有力だが、専門家は『煙幕も一因になった可能性がある』と指摘した。戦後70年近く歴史に埋もれていた、原爆を巡る新たな証言として注目を集めそうだ」
「毎日新聞」7月26日朝刊
じつは、この大スクープには、わたしも関わっています。今年の4月30日、わたしは「毎日新聞」の取材を受けました。取材テーマは「小倉原爆の真相」でした。その日から始まった一連の取材の成果がトップ記事として掲載されたわけです。事の発端は、わたしが講師を務めたある講演会でした。わたしは小倉に落ちるはずだった原爆について話しました。そして、その真相に関する推測を述べるとともに、少し前にわたしのHPに届いた1通のメールの内容を紹介しました。そのことを伝え聞いたという「毎日新聞」の記者の方々から取材の依頼があったのです。
HPに届いたのは、工藤由美子さんという方からのメールで、3月15日のことでした。工藤さんは、わたしが書いた小倉原爆のブログ記事を読まれたそうです。「小倉への原爆投下が見送られたわけについて」という件名のメールには、工藤さんのお父様である宮代暁さんの中学生の頃の思い出が書かれていました。宮代さんは中学生の頃、八幡製鉄所を守るために煙幕隊として、コールタールを燃やす作業をされていたそうです。その結果、昭和20年8月9日(原爆が小倉に投下されず、長崎に投下された日)も空を真っ黒に覆っていたそうです。工藤さんのメールの最後には、「もう、父も、85歳。もしかしたら、大事な生き証人なのかもしれないと思い、メールしました」と書かれていました。その宮代暁さんも写真入りで新聞に紹介されていました。それを見たわたしの胸は熱くなり、「間に合って良かった」と心から思いました。
同紙の27面にも、関連記事が大きく掲載されています。「煙幕で小倉原爆投下に抵抗」「戦後69年の悔恨『迷惑、長崎に』」「許されざるは市民狙ったこと」の見出しで、以下のようなリード文が続きます。「激化する米軍の本土空襲に抵抗するための苦肉の策が、地上からの煙で上空を覆う「煙幕作戦」だった。煙幕装置で空襲を防ごうとした八幡製鉄所の元従業員らが、戦後69年を経て当時の状況を初めて証言した。煙幕が小倉への原爆投下見送りにどの程度影響したかは明らかではないが、第2目標の長崎では約15万人が被爆直後に死傷しており、作戦に携わった人たちの心にも影を落としてきた」
わたしは、「作戦に携わった人たちの心にも影を落としてきた」という一文を読み、胸を痛めるとともに、深い感慨にとらわれました。この広島・長崎の犠牲者への配慮こそが、小倉への原爆投下回避という大作戦の存在がこれまで隠されてきた一番の原因だったと思います。いずれにせよ、小倉の人々はつねに広島と長崎の死者を忘れずに生きていかなければならないと思います。そして、米国民は人類で初めてアメリカが核兵器によるジェノサイドを実行したという事実を忘れてはなりません。
今回の記事の最後には、「八幡製鉄所の元従業員らの証言について、長崎原爆被災者協議会の山田拓民事務局長(83)は『戦後70年近くになっても原爆を巡る新しい事実が明らかになってくるのは興味深いし、これからも掘り起こしていく必要がある。煙幕を付けたことで思い悩まないでほしい。許せないのは、投下地点がどこであれ、あんな爆弾を大勢の市民がいるところを狙って落とそうとしたことだ』と語った」と書かれています。この山田事務局長の言葉で救われた思いをされた関係者も多いでしょう。
8月12日の朝、工藤さんから1通のメールが届きました。それには「ご尽力のおかげで、このまま埋れてしまうはずだった父の証言が日の目をみる事ができました。本当にありがとうございました。父は、かなり、嫌がっていたのですが、本日、NHKの取材を受けるようになりました。ご報告申し上げます」と書かれていました。わたしは「毎日新聞」と並行して、NHKの北九州局長にもずっと取材のお願いをしてきたのですが、ついに山が動き出しました。来年の終戦70周年=原爆投下70周年の記念番組として、ぜひNHKスペシャル「なぜ小倉に原爆が落ちなかったのか」を放映していただきたいと思います。歴史の真実が明るみになれば、多くの犠牲者の霊も浮かばれることと思います。
小倉原爆は、わたしにとって大問題です。なぜなら、わたしの「生き死に」に関わる重大事だからです。まさに、「他人事」ではない「自分事」そのものなのです。わたしにとって、8月9日は1年のうちでも最も重要な日です。 わたしは小倉に生まれ、今も小倉に住んでいます。わたしは、死者によって生かされているという意識をいつも持っています。「死者を忘れて生者の幸福など絶対にない」と信じています。これからも、死者のまなざしを感じながら生きていきたいと思います。
「長崎原爆の日」である9日の11時2分、わたしは長崎の原爆犠牲者の御霊に黙祷を捧げた後、以下の3つの歌を詠みました。
「なぜ生まれ なぜここにいる 忘るるな 小倉に落つるはずの原爆」
「晴れの日を曇りに変へる煙幕は われに命を与へし奇跡」
「長崎の空に向かひて手を合はす 小倉に落つるはずの原爆」
話は変わりますが、わたしの父でもあるサンレーグループの佐久間進会長が新刊『人間尊重の「かたち」〜礼の実践五〇年』(PHP研究所)を上梓しました。タイトルにある「人間尊重」は、かの出光佐三翁の哲学を象徴する言葉です。佐久間会長が若い頃、地元・北九州からスタートして大実業家となった佐三翁を深く尊敬しており、その思想の清華である「人間尊重」を自らが創業した会社の経営理念としました。以後、わが社のミッションとなっています。また、サブタイトルは「礼の実践五十年」ですが、佐三翁の著書『人間尊重五十年』(春秋社)を連想させ、そのまま偉大な先達へのオマージュとなっています。
「まえがき」の冒頭で、佐久間会長は五十年前に出光佐三の言葉を初めて知ったときの感動を綴っています。次のような言葉でした。
「社会とは人間が集まってできたものであるから人間は互いに仲良くすると、そして力を合わせることが大切です。それは人間の尊厳だからです。平和の基です。人間の美しさでもあります。私はそれを人間尊重と言っております」
佐久間会長は「私の人生を振り返る時、礼の実践を通して、『人間尊重』とはどういう『かたち』になるのかを社会経営、社会貢献の中で目指してきたのではないか、そんな思いがしています」と述べています。佐久間会長は「人間尊重とは、人と人とがお互いに仲良くし、力を合わせることです」と喝破します。そして、互いに助け譲り合う「互譲互助」「和」の精神というものが神道の根幹を成す思想であることを示し、「自然と人間の調和こそが日本人の精神形成の基」であると述べています。
わがサンレーをはじめ、冠婚葬祭互助会は「互助社会をつくろう!」「共生社会をつくろう!」「支え合う社会をつくろう!」というスローガンを掲げてきました。それらは、まさに日本人が持っている最大の美点を表現しています。わが社は、それを長年にわたって言い続けてきました。東日本大震災後、「絆」という言葉がクローズアップされています。絆とはまさに人と人の結びつきです。佐久間会長は「かつて絆を大切にしてきた日本人の心が覚醒し、お互いに助け合うこと、支え合うことが再認識され、われわれ冠婚葬祭互助会に対する評価も必ず上がってくると思います」と述べています。そして、「支え合う」ということを大きな柱に据えなければなりません。「助け合い」から「支え合い」へ。冠婚葬祭を通して、もう一度人と人との絆を結び直す時代が来たように思えてなりません。佐久間会長も「本格的にわれわれの目指す仕事がいよいよできるのではないかと、楽しみに感じているところです」と述べています。
「人間尊重」を経営の軸に、50年にわたり「礼」を実践してきた佐久間会長は、「私も齢80を迎えます。事業の節目、人生の節目を迎えるにあたり、次のステップへのきっかけにするべく、本書を記しました。次世代に向け、本書が何かしらのヒントになってくれれば幸いです」と書き記しています。これからの企業には「アップデート」とともに「初期設定」が求められます。48年前、佐久間会長は万人に太陽の光のように等しく冠婚葬祭のサービスを提供したいと願って、サンレーを創業しました。佐久間会長こそは、わが社の「初期設定」を行った本人です。わが社の「初期設定」を確認する上でも、佐久間会長の言葉を振り返ることができるという意味でも意義ある1冊であると思います。
さらには、サンレーだけでなく、冠婚葬祭互助会事業の「初期設定」もこの本にはふんだんに書かれています。大きな曲がり角を迎える互助会業界にとって、一般社団法人全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)の初代会長でもある佐久間会長の言葉は大きな指針となるのではないでしょうか。わたしは、同書の刊行にあたり、8月度のサンレー本社総合朝礼で「半世紀 礼を求めて来た道は 支え合う世をつくる旅路か」という歌を詠みました。Tonyさんにも送らせていただきますので、ぜひご一読下されば幸いです。
佐久間会長の新刊『人間尊重の「かたち」』
最後に、もうすぐお盆ですが、Tonyさんはいかが過ごされますか? わたしは、上智大学名誉教授の渡部昇一先生と対談させていただくことになったため、13日から16日まで上京いたします。渡部先生との対談は『永遠の知的生活』(仮題)として実業之日本社から刊行される予定です。上梓されましたら、これもTonyさんに送らせていただきます。まだまだ厳しい暑さが続きますが、どうぞ、御自愛下さいませ、それでは、9月8日の「中秋の名月」まで、オルボワール!
2014年8月10日 一条真也拝
一条真也ことShinさんへ
Shinさん、お父上の佐久間進会長の新著『人間尊重の「かたち」——礼の実践五〇年』(PHP研究所)ご出版、まことにおめでとうございます。『軍師官兵衛』であれば、「上様、祝着至極にござりまする」とお祝いするところです。本当におめでたくも、意義深いことです。
満の齢80歳を目前にして、新著を刊行することができるなんて。すばらしいことです。おそらく世界中の親子2代社長の中で、もっともたくさんの本を出版しているのが、佐久間親子ではないでしょうか? ギネスブックものだと思います。佐久間進会長は10冊以上の本を出版し、息子の佐久間庸和社長は70冊以上の本を出し、齢80歳を超える80冊以上の本を二人で出版しているのです。快挙であり、痛快であり、偉業です。すばらしいことです、ほんとに。
ところで、1945年8月9日に投下された原子爆弾が、実は小倉に投下される予定だったということは、2年ほど前だったか、小倉の松柏園ホテルに泊まった時に、Shinさんから詳しく聴いたことがありましたね。その「事実」がいよいよ広く報道されることになり、思いを新たに日本の戦後のことを、そして現在から未来に向かってどう生きていくかを真剣に考えていることと思います。
お父上のご本は、その意味でも、絶好のタイミングで、これからの「礼道」すなわち「礼経一致の道」を生き抜いていく冠婚葬祭業やそれぞれの場所で出来る「楽しく美しい世直し」の道が説かれていると思います。
お父上は、コピーライターとしても名人ですが、未来社会は、<「助け合い」から「支え合い」へ>という言葉は、至言だと思います。わたしの友人の医療人類学者で管理衛生学の長谷川敏彦日本医科大学教授は、それを「ケアサイクル」論として問題提起しています。
長谷川敏彦さんとは、彼が大阪大学医学部の学生であった1970年以来の親しい友人です。その長谷川さんが日本の「少子高齢化」問題に警鐘を鳴らし、その打開策を積極的に打ち出していたキーパーソンなのです。
長谷川さんは言います。「二〇三〇年に日本は『史上最大の高齢者数』を抱え、二〇六〇年には『究極の高齢社会』になると予測されている。実は二〇六〇年頃には日本は五〇歳以上つまり生殖可能年齢を終えた人口『第三の人生』が六〇%を占める社会、生物種としてはありえない社会に移行し定常化する。一九七〇年頃まで日本は五〇歳以下の人口「第二の人生」が八〇〜九〇%を占める一九世紀型の社会であった。現在はその移行期のど真ん中に位置している。」と。
そして、その先を、「これからは過去とは全く異なる『断裂的な未来』が想定され、社会を構成する諸要素を21世紀の状態と価値観で再構築する必要に迫られている。たとえば医療についてこれまでは、病院での単一疾患に対する急性期医療、つまり『治す医療』であったものが、これからは地域に軸足を移し、複数疾患に対する医療と福祉が統合された継続的ケア、つまり『支える医療』にシフトする」と予測するのです。
未曾有の少子高齢化社会の中で、「治す医療」から「支える医療」へと転換することを長谷川さんは予見し、提言するのです。その「研究と実験」の中に日本の社会そのものが投げ込まれていることを長谷川さんは強調します。
長谷川さんの提案は、診療所などでの「地域ケア」とリハビリテーション施設での「回復期ケア」と福祉施設などでの「長期ケア」と緩和ケア施設での「末期ケア」の四つの「ケアサイクル」を廻していく医療と福祉を一体化させた「地域包括ケア」を実施することにあります。そして、そのようなケアサイクル医療に見合う新たな医学として、「生態病理学(Ecological Pathology)」に基づく「進化生態医学(Evolutionary&Ecological Medicine,EEM)」や「老人栄養学」と「新健康概念」を提唱するのです。
長谷川さんははっきり言います。老人にとって、「塩辛くてもいい、脂っこくてもいい。楽しければ、美味しければいい」のだと。そして、「育てる、買い物、料理、会食、咀嚼、嚥下、消化、排泄、運動、楽しむ、繋がっている」ことを生きる「支える医療」の医学や栄養学や「病気は治らない、死は防げない」というリスクマネジメントから支援へと転換する新健康概念を提唱するのです。長谷川さんは、さらに加えて、軍事経済的なかつての「大東亜共栄圏」構想に対して、「大東亜共老圏」という老いるアジアの共闘戦線を提案するのですよ。
このような長谷川敏彦さんの分析と提案はドラスティックで奇想天外に見えるかもしれません。また、誤解を受けやすいかもしれません。しかし早晩、日本社会もアジア社会も国際社会もそのような方向に舵を切っていくことは間違いないでしょう。そこでは「生き方」ばかりではなく、「死に方」の、したがって、「病気のない健康」概念ではなく、「病気と共に生きる安らかなる健康」概念が求められてくるのです。WHOの新「健康概念」の議論の中で、“spiritual”と“dynamic”が入ったことには、そのような「痛み(spiritual pain)」を伴う生き方、生存のありようへの模索でもありました。
実は、このようなことを書いた鎌田東二企画・編の本が、9月と11月末に出ます。9月5日発売のものは、『地球人選書 講座スピリチュアル学第1巻 スピリチュアルケア』(BNP)で、11月末発売のものは、『地球人選書 講座スピリチュアル学第2巻 スピリチュアリティと医療・健康』(BNP)です。全体は全7巻で、その構成は次の通りです。
第1巻 スピリチュアルケア (2014年9月5日発売)
はじめに 「講座スピリチュアル学」と「スピリチュアルケア」鎌田東二(趣旨説明)
序章 スピリチュアルケア総論
伊藤高章「スピリチュアルケアの三次元的構築」
第一部 スピリチュアルケアと宗教・医療
高木慶子「現場から見たパストラルケアとスピリチュアルケア、グリーフケア」
島薗進「スピリチュアルケアと宗教」
窪寺俊之「ホスピス、チャプレンとスピリチュアルケア」
谷山洋三「スピリチュアルケアの担い手としての宗教者:ビハーラ僧と臨床宗教師」
カール・ベッカー「スピリチュアルケアとグリーフケアと医療」
第二部 スピリチュアルケアとワザ
井上ウィマラ「スピリチュアルケアと瞑想〜高野山大学スピリチュアルケア学科の実践から」
大下大圓「スピリチュアルケアと死生観ワークショップ〜伝統仏教寺院を活用した心身統合のスピリチュアルケア教育」
滝口俊子「心理臨床とスピリチュアルケア」
終章
鎌田東二「スピリチュアルケアと日本の風土」
第2巻 スピリチュアリティと医療・健康 (2014年11月末日発売)
はじめに 「講座スピリチュアル学」と「医療・健康」鎌田東二(趣旨説明)
序章
山本竜隆「統合医療から見た医療・健康とスピリチュアリティ」
第一部 医療とスピリチュリティ
帯津良一「からだとスピリチュアリティ〜終末期医療と気功実践の経験から」
上野圭一「代替医療からみたスピリチュアリティ」
浦尾弥須子「シュタイナー医学がとらえたスピリチュアリティ」
大井玄「看取りとスピリチュアリティ」
第二部 こころとたましいの健康にむけて
やまだようこ「ナラティブの語りとスピリチュアリティ」
黒木賢一「たましいの臨床心理」
黒丸尊治「緩和ケアとこころの底力」
長谷川敏彦「少子高齢化日本における健康の未来」
終章
鎌田東二「スピリチュアリティと日本人のいのち観」
第3巻 スピリチュアリティと平和 (2015年3月末日発売)
はじめに 「講座スピリチュアル学」と「平和・平安・平静」 鎌田東二(趣旨説明)
序章
小林正也「地球公共的平和とスピリチュアリティ」
第一部 宗教間の対立と対話
阿部珠理「アメリカ先住民が提起する平和の存在基盤としてのスピリチュアリティ」
千葉眞「キリスト教における平和とスピリチュアリティ」
板垣雄三「イスラームにおける平和とスピリチュアリティ」
小倉紀蔵「儒教における平和とスピリチュアリティ」
第二部 文明の衝突を超えて
服部英二「聖性と霊性の変遷——地球倫理の構築に向けて」
内田樹「平和を創る武道と芸能」
金泰昌「文明間の対話と公共哲学」
山脇直司「環境と倫理と平和」
終章
鎌田東二「平和と平安の基盤としての生態智」
第4巻 スピリチュアリティと環境 (2015年7月末日発売)
はじめに 「講座スピリチュアル学」と「自然」と「環境」 鎌田東二(趣旨説明)
序章
原田憲一「地球環境とスピリチュアリティ」
第一部
田中克「森里海の連環学と自然の霊性観」
湯本貴和「日本列島と環境思想」
神谷博「建築と都市と地域の循環系の構築」
第二部
磯部洋明「宇宙環境と人間精神」
田口ランディ「水の聖地と大地の力を探ることから見えてきたもの」
津村喬「気功と環境と陰陽の哲学」
大石高典「生態人類学から見た環境とスピリチュアリティ」
終章
鎌田東二「環境倫理としての場所の記憶」
第5巻 スピリチュアリティと教育 (2015年11月末日発売)
はじめに 「講座スピリチュアル学」と「教育」 鎌田東二(趣旨説明)
序章
西平直「教育とスピリチュアリティ」
第一部
上田紀行「覚醒のネットワークとスピリチュアリティ」
トマス・ヘイスティングス「賀川豊彦とスピリチュアリティ」
中川吉晴「ホリスティック教育とスピリチュアリティ」
第二部
中野民夫「ファシリテーションするスピリチュアリティ」
矢野智司「宮沢賢治と夏目漱石に見る教育と霊性」
吉田敦彦「教育的日常の中のスピリチュアリティ」
奥井遼「わざの臨床教育学に向けて」
終章
鎌田東二「臨床教育学と『日本的霊性』」
第6巻 スピリチュアリティと芸術・芸能 (2016年3月末日発売)
はじめに 「講座スピリチュアル学」と「芸術・芸能」鎌田東二(趣旨説明)
序章
佐々木健一「芸術とスピリチュアリティ」
第一部
高橋巖「シュタイナー思想における芸術とスピリチュアリティ」
篠原資明「ベルクソンと生の跳躍」
梅原賢一郎「身体と場所の美学」
柿沼敏江「ヒルデガルトとバッハとジョン・ケージにおける音楽とスピリチュアリティ」
第二部
藤枝守「ディープリスニングとスピリチュアリティ」
龍村あや子「さまざまな民族の音楽から考えるスピリチュアリティ」
中島那奈子「舞踊における老いる身体とスピリチュアリティ」
終章
鎌田東二「ワザヲギする霊性〜芸能と芸術と宗教」
第7巻 スピリチュアリティと宗教 (2016年7月末日発売)
はじめに 「講座スピリチュアル学」と「宗教」鎌田東二(趣旨説明)
序章
棚次正和「宗教と霊性とスピリチュアリティ」
第一部
町田宗鳳「修行と霊性」
鶴岡賀雄「神秘主義とスピリチュアリティ」
深澤英隆「近代とスピリチュアリティ」
永澤哲「瞑想と惑星的自覚」
第二部
津城寛文「日本と霊性、スピリチュアリズム・スピリティズムとスピリチュアリティ」
伊藤雅之「現代スピリチュアルライフ」
アルタンジョラー「シャーマニズムと霊性」
樫尾直樹「身体と超越」
終章
鎌田東二「宗教の未来と可能性」
いかがですか? すごい豪華企画でしょう? これを3年がかりで出版します。その第2巻目に長谷川敏彦さんが書いてくれるのです。「支え合い」の未来社会ケアサイクル論を。
お父上のご本『人間尊重の「かたち」』の中に、前の本にも出てきた「はひふへほの法則」が書かれていますね。
は・・・半分でいい
ひ・・・人並みでいい
ふ・・・普通でいい
へ・・・平凡でいい
ほ・・・ほどほどでいい
これは、老いの生き方の指針となる「法則」であると思います。「小欲知足」の。そして、「支え合う」ところに「支合わせ」があると指摘するところなど、お父上の真骨頂ですね。
そして何よりも重要だと思うのは、お父上の思想と実践の根幹に「むすび(産霊)」の哲学があるということです。「何事も陽に捉えて、明るく、楽しく、いきいきと生きる」というのが、その「産霊」哲学ですが、これはわたしの言う「楽しい世直し」そのものではありませんか!!!
そして、佐久間会長はそれを「産霊=讃礼=Sun Ray(太陽光線)」と「太陽目線」で捉えます。その「太陽目線」の会長に対して、「月目線=ムーンサルト・パースペクティブ」なのが佐久間庸和社長です。その太陽と月が相補的・相乗的に組み合わさって、株式会社サンレーは最強の会長・社長親子鷹で高速飛行し続けていますね。凄いことです。すばらしいことです。
「陽気暮らし」といえば、最近、「魂の姉」と敬愛する高木慶子上智大学グリーフケア研究所特任所長の新著『それでもひとは生かされている』(PHP研究所)を読みました。とりわけ、感銘深かったのが、神戸の**組の組長であったKさんの記述でした。Kさん(鎌田東二もKさんですね!)は若い頃に組に入り、真面目に勤め上げて組長にまでなったのですが、どうしても組での暮らしが性に合わず、10年がかりでお世話になった親分や兄貴分や子分たちに尽くして足を洗い、堅気に戻ったのです。そして、その頃、カトリックのシスター高木慶子大姉に出逢ったのでした。神戸の夜の溜り場で、1晩に200万円も300万円も使っていた組長がほとんど文無し同然になって、1人の素の人間として高木シスターに出逢ったのです。そして、Kさんは高木シスターとの出逢いを通してクリスチャンになります。
わたしは小学校1年生の時に、子供用の福音書を読んで、奇妙な懐かしさを感じたことがありますが、以来、キリスト教には親しみと懐かしさを感じています。が、もちろん、わたしはキリスト教徒ではありません。けれども、キリスト教はすばらしい、神秘的だとよく思います。それは、イエスという、「神の子」とされる人の、弱き虐げられてきた人々への曇りのない愛と毅然として行動に胸打たれるからです。キリスト教の深さ、その深遠、悲しみと愛、逆説的な肯定と包摂を強く感じるのです。Kさんは、Shinさんの故郷の小倉の「無法松の一生」にも通じるような純粋さ、一途さを持っています。その「子供のような身を投げ出した献身的な一途さ」を、神が、キリストが愛で慈しむのでしょう。
この本の中で、高木大姉は「悲嘆力」の大切さを訴えています。まさに、キリスト教こそ、最大の「悲嘆力」を発揮した宗教であると思います。高木大姉は、いつも聖霊に満たされていますね。
佐久間進会長のご本『人間尊重の「かたち」』も、高木慶子大姉の『それでもひとは生かされている』の両著とも、同じPHP研究所からの刊行でしたが、どちらの著作も一気に読了しました。高木慶子大姉は、そこで、「悲嘆力」の凄さを強調していました。どんなつらい時でも、どんな悲しいことがあっても、人間の「悲嘆力」はそれを超えて、それを生きる力に変えて生きぬいていくことができる、と高木大姉は主張します。
実は、その高木慶子シスターとわが盟友の記録映画『久高オデッセイ』の監督大重潤一郎さんが知り合いだったということが最近分かったのです。大重潤一郎さんは、10年前の2004年秋、沖縄・那覇で脳内出血で倒れました。そして右片麻痺になりましたが、必死でリハビリして、一人息子の大重生さんや沖縄大学専任講師(当時、現在准教授)の須藤義人さんたちの助けを得て、『久高オデッセイ第一部 結(ゆい)章』を完成させ、2006年だったか、島薗進さんが大会委員長を務めた「国際宗教学・宗教史学会」で初上映し、同学会でシンポジウムも行ないました。続く第2作目の『久高オデッセイ第二部 生章』は、2009年に完成し、今も各地で自主上映されています。来月9月にも東京渋谷のUPリンクで上映されることになっています。
大重さんは、2008年頃だったか、肝臓癌になり、その後、東京大学と順天堂大学で15回、椎名教授の肝臓癌をラジオ波で焼き切る術法で手術を受けました。その施術回数はギネスブックものです。が、この4月に肺に転移していることがわかり、ネクサバール服用の投薬療法に切り替えましたが、副作用で意識不明状態になったりするので、つい最近、大船中央病院放射線センターで検査・治療をすることになりました。
そんなさ中に、大重潤一郎さんが「死ぬなら癌がいい」と言うので、大重さんに、最近読んだわが高木慶子大姉の新著『それでも人は生かされている』には、「『自分はポックリ死のような突然死ではなく、死に至る過程を準備できる癌死がいい』と書いてあったので、なるほどと思ったばかりなんだよ」と応えると、「実は高木先生は私の作品『光りの島』を上映してくださった方なんだよ。大阪の御堂会館で600人くらい入った、『光りの島』の上映で、これまでに一番大きな上映会だったんだよ」と言うので、たいへん驚きました。
大重さんとは、1998年2月に出逢って、以来、意気投合して盟友となり、「神戸からの祈り」(1998年8月8日、神戸メリケンパーク)を共に行ない、以降、いろんなことを一緒にやって来た同志中の同志です。「東京自由大学」も、「沖縄映像文化研究所」も、一緒にやってきました。
その大重潤一郎監督と高木慶子大姉が、映画上映やトークショーをするほどの知り合いだったなんて、なんて、「縁は異なもの」でしょう!!??? 実は、わたしは1970年に、当時、大阪大学医学部4年生だった長谷川敏彦さんと会ったのですが、同じ年に、大重潤一郎さん長谷川敏彦さんと会って、大重さんのデビュー作『黒神』を大阪大学で上映したのでした。それが、1970年の秋のことでした。
その大重潤一郎監督も高木慶子大姉も長谷川敏彦教授・医師も、3人とも、「陽気暮らし」の達人です。「楽しい世直し」を提唱してきたわたしももちろんその仲間ですけどね。
ところで、そんな「陽気暮らし」の中で、この「乱世」陰鬱な出来事が次々と襲いかかってきています。例えば昨日は、台風11号が大きな被害をもたらして、日本海に抜けていきました。この今回の台風11号はいつもと違って、離れた長大な地域に「レインバンド」という積乱雲をもたらして、特に台風の東側に大量の雨を降らしました。そして、わたしが幼少期を過ごした徳島県阿南市の加茂谷中学校は2階まで浸水しました。
わたしが幼少期を過ごした阿南市桑野町の隣が山口町で、その隣が弘法大師空海が虚空蔵求聞持法の修行をした太龍寺のある鷲敷町、そしてその隣が加茂谷町なのです。その加茂谷を流れる那賀川は徳島県では吉野川に次いで大きな一級河川で、その那賀川が決壊して2階までの浸水という大被害をもたらしたのです。
わたしは当年63歳になりますが、加茂谷中学校とか、その付近とかが水没するような洪水になったとは初めて聞きました。前代未聞の被害ではないでしょうか? 那賀川に較べると、桑野川はしょっちゅう氾濫していて、家の前がすべて水没し、2階まで床上浸水して、大人たちがイカダを組んで屋上に避難している人を助けに行った光景を子供の頃見たことがありますよ。そんな50年以上の昔をフラッシュバックさせるような大浸水の出来事でした。高知県と徳島県の雨量は半端じゃなかったですね、じっさい。
水没した加茂川中学校の辺りには、「猫神様」と呼ばれる神社があります。わたしも中学校の時に父に連れられてお参りに行きました。わたしの家の親戚筋には「犬神」さんもいたのですが、阿波の徳島には、「猫神」さんも「狸」さんもいて、動物神が跋扈する大変アニミスティックな土地柄でした。
加茂谷中学校についていえば、剣道の盛んなそこの中学校の生徒と一戦交えて敗退したことがありました。1963年の夏のことです。わたしが桑野中学校1年生時、徳島県阿南市の夏の新人戦で阿南市の剣道の試合で準優勝したのですが、その時、優勝した対戦相手が加茂川中学校の生徒でした。彼は身長も体重も大きく、ワザも見事で、その頃小柄だったわたしは長身の彼に面を取られて完敗したのでした。
そのために、県大会には出場できず、剣道部主将の先輩と、桑野中学校の裏山の瑜伽神社で殴り合いの喧嘩をして、その日、わたしは剣道部を退部したのでした。以来、独自に、宮本武蔵に倣って、剣の道を独自に探究し始め、いつしか、宮本武蔵が吉岡一門と決闘したという京都の一乗寺下がり松のすぐ近くに棲み付き、今年の1月にはShinさんと一緒に小倉の武蔵の碑を見ることができたのでした。
とにもかくにも、人生とは不思議なり、縁は異なものなり、ですね。これからも、不思議な異なものがいっぱいあるでしょうが、しかし、お父上の言う「産霊」の力でこの激動の「乱世」をしっかと生き抜いていきましょう! そして、その「産霊力」を駆使して「楽しい世直し」を全面展開していきましょう! 今後ともいっそうよろしくお願いします。くれぐれも、大先輩のお父上によろしくお伝えください。
2014年8月11日22時 京都一乗寺から見た十六夜の月
2014年8月11日 鎌田東二拝
*以下は、「講座スピリチュアル学第1巻 スピリチュアルケア』(BNP)の執筆者(ほどんどが日本スピリチュアルケア学会理事)が関わっていて、日本スピリチュアルケア学会副理事長の島薗進氏が大会委員長を務める「日本スピリチュアルケア学会」第7回学術大会の案内です。都合がつきましたらぜひご参加ください。
http://www.spiritual-care.jp/
日本スピリチュアルケア学会
※退会申込・会員情報・年会費等のお問い合わせ先が、変更になりました。
「日本スピリチュアルケア学会 2014年度第7回学術大会」
日程 : 2014年9月6日(土)・7日(日)
場所 : 上智大学(東京・四谷)
大会長: 島薗 進(本学会副理事長、上智大学神学部教授、同大学グリーフケア研究所所長)
2014年度第7回学術大会 参加申込みは、https://amarys-jtb.jp/jssc2014/
日本スピリチュアルケア学会 2014年度第7回学術大会
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