身心変容技法オンラインセミナーを開催します

シンとトニーのムーンサルトレター 第109信

第109信

鎌田東二ことTonyさんへ

 今年は本当に台風が多いですね。沖縄をはじめ、わが社も施設が被害を受けたり、予定されていたイベントを延期したりと大変です。その他にも、さまざまな出来事があり、相変わらず慌ただしい日々を過ごしています。
 そんな中、忘れがたい出来事がありました。毎月18日の早朝、サンレー本社では課長以上の役職者が集まって「月次祭」を行っています。場所は、わが社の「松柏園ホテル」の神殿です。6月18日、いつものように月次祭を行いましたが、その後、近くにある「天道館」という施設に場所を移して、「孔子像除幕祭ならびに孔子の木植樹祭」を行いました。略して「孔子祭」です。待ちに待った「孔子祭」ですが、あいにくの雨でした。サンレーグループの守り神である皇産霊神社の瀬津隆彦神職による神事の後、佐久間進会長と社長であるわたしが孔子像除幕と孔子の木植樹を滞りなく終えました。
 東京の「湯島聖堂」や栃木の「足利学校」には、大きな孔子像があります。このたび天道館に設置された孔子像は大きなものではありませんが、「北九州のミケランジェロ」と呼ばれる名工・三島平三郎氏に作っていただきました。松柏園ホテルの「オリンポス12神像」、皇産霊神社の「七福神像」、「巨大河童像」といった珠玉の彫刻群もすべて三島氏の手による作品です。このたびの孔子像は、「礼の社」をめざすわが社の歩みを今後も見守ってくれることでしょう。
 孔子の木とは「楷の木」のことです。中国山東省にある孔子廟には、その弟子たちが孔子を偲んで植樹した楷の木が繁っています。この木は中国原産の落葉喬木で、葉の生じ方や枝振りが直角に整然としているところから、「楷書体」の語源ともなっています。孔子木とも呼ばれる楷の木は、日本においても湯島聖堂、足利学校、岡山の閑谷学校、佐賀の多久聖廟など、孔子に由来する史跡などに植樹されている木なのです。
孔子像除幕祭のようす

孔子像除幕祭のようす完成した孔子像と一条人形

完成した孔子像と一条人形
 学問の木としても貴ばれるこの木は、孔子の教えに鑑みれば「人間尊重の木」、「慈礼の木」と称するべきでしょう。天道館の「孔子の木」は5本あり、それぞれ「仁」「義」「礼」「智」「信」の木となっています。そう、儒教の「五倫」にちなんでいるのです。ちょうど今から100年前、湯島聖堂、足利学校、閑谷学校、多久聖廟の4カ所に楷の木すなわち「孔子の木」が植えられました。孔子は「社会の中で人間がどう幸せに生きるか」ということを追求した方ですが、その答えとして儀式の重視がありました。人間は儀式を行うことによって不安定な「こころ」を安定させ、幸せになれるのです。その意味で、儀式とは幸福になるテクノロジーです。カタチにはチカラがあるのです!
 サンレーは創業以来、「人間尊重」という企業理念のもと、「互譲互助」の精神で冠婚葬祭事業を営んでまいりました。社名の由来でもある「礼」は孔子の教えであり、「人間尊重」そのものでもあります。事業の継承とは、創業理念の継承にほかなりません。その過程の中で取り組んできた活動が、図らずも孔子及び「論語」思想の普及に繋がっているとして、一般社団法人・世界孔子協会からご評価いただき、平成24年2月には第2回「孔子文化賞」を受賞いたしました。今年の5月29日には第3回「孔子文化賞」の授賞式が都内のホテルで開催されましたが、鈴木敏文氏(株式会社セブン&アイ代表取締役会長)、丹羽宇一郎氏(元伊藤忠会長、前在中国日本大使)、佐々木常夫氏(東レ経営研究所特別顧問)、中村紀雄(元群馬県議会議長)の4人が受賞されました。第2回「孔子文化賞」受賞者であるわたしも壇上に立ち、祝福のスピーチを行いました。
孔子の木植樹祭のようす

孔子の木植樹祭のようす天道館で「礼」について語りました

天道館で「礼」について語りました
 今回、天道館に孔子像を建立し、孔子の木を植樹することに大きな意義を感じます。昨年9月26日、サンレーグループの佐久間進会長の満78歳の誕生日に合わせ、「天道館」が竣工しました。ニックネームは「平成の寺子屋」です。
 天道館の名前に使われている「天道」とは何か。日本では、一般的にお天道様(おてんとさま)とも言うように、太陽神としても知られます。サンレーの社名の由来でもある太陽は、日本において神として祀られたのです。信仰心が伴わなくても、日本人は太陽を「お日様」と呼び、「お月様」と同様に自然崇拝の対象でした。天照大神は太陽の神格化であり、仏教の大日如来と習合しました。
 さらに注目すべきは、いわゆる「天道思想」が戦国末期の仏教・神道・儒教の統一思想に発展したという説があることです。
「天道思想」といえば、二宮尊徳の名が思い浮かびます。尊徳は、常に「人道」のみならず「天道」を意識し、大いなる「太陽の徳」を説きました。それは大慈大悲の万物を慈しむ心であり、この徳の実践が尊徳の「無利息貸付の法」なのです。また、尊徳は神道・仏教・儒教を等しく「こころ」の教えとしました。「神道は開国の道なり。儒学は治国の道なり。仏教は治心の道なり。」として、神仏儒の正味のみを取り、人の世の無上の教えとして「報徳教」と名づける。また、それを「神儒仏正味一粒丸」と薬にたとえて、その効能の広大さをアピールしました。
 この思想は、石田梅岩が開いた「心学」の流れを受け継ぐものです。
わたしは、梅岩や尊徳の思想を受け継ぎ、「平成心学塾」を主宰しています。
毎月、月次祭の後に開講しています。通常は松柏園ホテルで開講しているのですが、天道館においても、平成心学塾を開く機会をうかがっていましたが、この「孔子祭」の日に合わせて天道館では初となる平成心学塾を開催しました。
 わたしは、まず、「今日はあいにくの雨ですが、じつは孔子には雨が似合います」と述べました。孔子は儒教という宗教を開きました。儒教の「儒」という字は「濡」に似ていますが、これも語源は同じです。ともに乾いたものに潤いを与えるという意味があります。すなわち、「濡」とは乾いた土地に水を与えること、「儒」とは乾いた人心に思いやりを与えることなのです。孔子の母親は雨乞いと葬儀を司るシャーマンだったとされています。
 雨を降らすことも、葬儀をあげることも同じことだったのです。雨乞いとは天の「雲」を地に下ろすこと、葬儀とは地の「霊」を天に上げること。その上下のベクトルが違うだけで、天と地に路をつくる点では同じです。母を深く愛していた孔子は、母と同じく「葬礼」というものに最大の価値を置き、自ら儒教を開いて、「人の道」を追求したのです。わたしは、5本の「孔子の木」の名前の由来となった「仁義礼智信」について説明し、最後は「万物に光を注ぐ天道の名をば掲げて礼を広めん」という道歌を披露しました。この天道館が、孔子の教えを学ぶ「平成の寺子屋」として、また「人の道」を学び実践していく場として、些少なりとも地域に貢献出来る施設となれば嬉しい限りです。

 それから6月21日、ある結婚披露宴に参列しました。わたしは、日頃から「日本人には和が似合う」と考え、神前結婚式こそ日本人に合った結婚式と思っています。また神前式はもちろん、新郎新婦が和装を着て、披露宴では和食が供され、乾杯は日本酒で行う結婚披露宴を「和婚」と呼んでいます。そんなわたしが素晴らしい和婚にお招きを受けたのです。会場は、「和」を重んじているわが社の松柏園ホテルです。

 新郎の是則慶秀さん、新婦の福田沙耶香さんとも太宰府天満宮にお務めとのこと。現在では珍しくなった媒酌人を太宰府天満宮の西高辻信良宮司ご夫妻がお務めになられました。新郎は北九州を代表する神社の1つである戸上神社の直系ということもあり、結婚披露宴には宗像大社をはじめ、神社界の方々も多数参列されていました。
さながら「神社サミット」の観がありましたね。

 神社界といえば、最近大きな話題がありましたね。そう、5月27日、高円宮家の次女である典子さまと、出雲大社の神職である千家国麿さんとの婚約が内定したのです。高円宮家典子さまのお相手となる千家国麿さんのプロフィールを知って、わたしは驚きました。千家は代々、出雲大社の神事を司る「出雲国造」という役職を務めてきた家柄です。Tonyさんには釈迦に説法(神主に祝詞?)ですが、出雲国造は『古事記』『日本書紀』にある高天原から大国主神の下に遣わされた神「天穂日命」を祖とします。その天穂日命は、天照大神の次男です。天照大神は天皇家を初めとする皇室の先祖としても知られています。つまり、典子さまと千家さんは、はるか昔の先祖を同じくするカップルなのです。じつは昨年、太宰府天満宮の西高辻宮司のご長男がご結婚されているのですが、そのときの仲人が第84代出雲国造である千家尊祐宮司ご夫妻だったそうです。つまり、千家国麿さんのご両親ですね。

大宰府天満宮の西高辻宮司と

大宰府天満宮の西高辻宮司と「和婚」のシンボル・枡タワー!

「和婚」のシンボル・枡タワー!
 是則家・福田家の結婚披露宴ですが、新郎新婦入場の後、司会者からの「開宴のことば」に続き、最初に「媒酌人のことば」が格調高く行われました。それから、わたしが来賓を代表して祝辞を述べさせていただきました。形式的なあいさつのあと、「本日、凛とした和装姿のお二人を拝見して、やはり『日本人には和が似合う』と再認識したところでございます」と言いました。続いて、「わたしは『神道という宗教』と『結婚という行為』の相性は非常に良いと考えております。もともと結婚は、男性と女性が結びついて新しい生命をつくり出す、『産霊(むすび)』を意味します」とも述べました。わたしは、「結婚は最高の平和である」と常々言っています。人と人とがいがみ合う、それが発展すればけんかになり、さらには9・11同時多発テロのような悲劇を引き起こし、最終的には戦争へと至ってしまう。逆に、人と人とが認め合い、愛し合い、共に生きていく結婚とは究極の平和であると言えるでしょう。また八百万の神々をいただく多神教としての神道の良さは、他の宗教を認め、共存していけるところにあります。自分だけを絶対視しない。自己を絶対的中心とはしない。根本的に開かれていて寛容である。他者に対する畏敬の念を持っている・・・・・・神道のこういった平和的側面は、そのまま結婚生活に必要なものではないでしょうか。そのようなことも述べさせていただきました。

 来賓祝辞の後は、シャンパンタワーならぬ「枡タワー」が行われました。これはピラミッド状に重ねた枡に、新郎新婦が日本酒を注ぐ和の演出です。日本酒は、新婦のご出身である佐賀県は嬉野の名酒でした。これぞ和婚の極み! ぜひ、この枡タワーを普及させたいものです。今日は、わが社で支援させていただいているミャンマー式寺院「世界平和パゴダ」へ行って、住職から「慈経」を唱えていただきます。ということで、神道にも仏教にも儒教にも関わらせていただき、充実した精神生活を送っている(笑)わたしです。こんな「なんでもあり」の愚生ですが、今後ともよろしくご指導下さいませ。では、次の満月まで。オルボワール!

2014年7月12日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 Shinさん、弘法大師空海の『三教指帰』ではありませんが、神道と儒教と仏教という、現代の「三教共働」を逞しく、バイタルに展開していること、大変心強くも嬉しく思っております。何よりです。

 台風8号が沖縄・九州を直撃して、被害を受けられたこと、お見舞い申し上げます。京都は被害がありませんでしたが、今回は思いがけないところで大雨と土砂崩れが多発し、どこで何が起こるか、本当に予測がつきがたくなりました。「乱世」の様相はますます色濃くなってきています。集団的自衛権行使容認の閣議決定にもなったりで。

 この間、わたしの方も、いろいろとシンポジウムやら何やらで忙しくしておりました。特に、6月28日(土)に国際日本文化研究センターの大ホールで開催された「方位信仰と聖地文化」の冒頭で、観世流能楽師で京都造形芸術大学客員教授の河村博重さんと「能舞 平安〜四神相応の都」(15分)をコラボレーションして初演したことが、おもろかったですね。これまで河村さんとは5回ほど創作「能舞」のコラボをしてきていますが、世阿弥の時代もこのような新作のコラボをいろいろと実験的にやって、今の複式夢幻能のスタイルを完成していったのだと思いますね。

 日文研の大ホールの舞台は新しく設備のよく、客滴も快適な雰囲気でしたが、7月7日の七夕の夜に行なった京都大学西部講堂での催しは、まったく対極的な空間でした。催しは、「大月健さんを偲び、中島夜汽車さんの新刊句集『銀幕』出版をお祝いする会」。大月健さんは、京大農学部図書館の司書を40年務めた京大の「ヌシ」のような存在で、大月さんのサポートで研究者として大成した人が何人もいます。彼は、この5月に肺癌で65歳という若さで亡くなりました。

 大月さんは、中島和秀さん(俳号:中島夜汽車)ともに、「京大俳句」の世話人をし、西部講堂連絡協議会顧問も務めていました。そこで、中島君の5冊目の新刊句集『銀幕』の出版を心待ちにしてくれていたのが大月健さんでした。そこで、「京大俳句」を支えてきた大月健さんの逝去を偲ぶとともに、一緒に第三次「京大俳句」を支えてきた中島夜汽車さんの新刊句集出版をお祝いする会を開催するという企画を立てたわけです。

 この「京大俳句」は、3回波がありました。第一次「京大俳句」は昭和8年(1933年)に創刊されたのですが、昭和15年(1940年)2月に、同人の平畑静塔、波止影夫、仁智栄坊たち6名が検挙されました。その後も検挙が続き、著名な俳人の西東三鬼たちも検挙され、合計15名も検挙されたのですよ。
  軍橋もいま難民の荷にしなふ     平畑静塔
  あなたゐない戦勝の夜を嬰児は眠る 波止影夫
  タンク蝦蟇の如く街に火を噴きつ   仁智栄坊
  塹壕に一つ認識票光る        西東三鬼

 このような句作が検挙理由になったというのですから、何をかいわんやですねえ。こわいことです。言論統制と弾圧は。自由は表現も創造活動もできなくなりますからね。今も、そんな空気が漂い始めているので、警戒が必要です。

 結局、検挙された人たちの中で3名が治安維持法違反で起訴となり、禁錮2年・執行猶予3年の判決を受けました。

 その後、戦後、第二次「京大俳句」の活動があり、社会学者の上野千鶴子さんもその同人の一人でした。中島夜汽車君は、「京大俳句」の面々やその頃の上野千鶴子さんと面識があり、わたしも中島君を通じて社会学者・上野千鶴子の前に、俳人・うえのちづこを知ったのです。ちょっと大胆エロスな俳句でしたね。上野さんの俳句は。上野さんらしい、と思いましたね。それが、1960年代から1970年代にかけての活動だったと思います。

 そして、5年前だったか、2008年から第三次「京大俳句」の活動が始まり、去年の5月に50回目の俳句会があって、京大西部講堂で記念の催しを行ない、そこでわたしが基調講演をライブを頼まれたので、初めて京大西部講堂でライブをし、緑のフンドシ一丁になって「フンドシ族ロック」を歌ったのでした。

 その時には、空間の魔力のようなものをそれほど強く感じなかったのですが、今回の七夕イベントで、神道ソングを3曲歌った際、西部講堂に溜め込まれた底深い怨霊とも怨念とも祈りとも言えるふかぶかとした声たちを確かに聴き取りながら歌ったという思いがありました。

 それがよかったのか、七夕の夜の神道ソングの評判はすこぶるよかったのですよ。今までで一番でしたね。わたしも少し霊界通信している感覚があったし。京大西部講堂はやはり特別の魔窟だと思いますよ。

 ライプニッツやゲーテやノヴァーリスやワーグナーやニーチェが学んだライプチッヒ大学の大学院生で、京大に1年間留学して戦前に弾圧された「京大俳句」の研究をしているマルチン・トーマス君が、歌が終わって近づいてきて、「とても感動しました。日本の歌に感動したのは初めてです。CDはありませんか?」と言ってくれたり、亡き大月健さんの旧友の方々来て、「『なんまいだー節』は親鸞を超えていますよ!」などと、親鸞崇拝者を激怒させるようなことを言ってくれたり、褒め殺しに会いましたね。まったく、初めての経験でした。

 わたしは昔から褒められると悲しくなるのでとても悲しく、いたたまれませんでした。が、旧友のイギリス人でイングリッシュ俳句の俳人で生け石アーティストのステーヴン・ギルさんや、今年から京都造形芸術大学の専任講師になった勝又公仁彦君が来てくれたりしていろいろと話ができたのはとてもよかったです。

 歌は3曲で、1曲目は大月健さんを偲び、「なんまいだー節」。2曲目は「宇宙葬」とも通じる「銀河鉄道の夜」。そして、3曲目は、やはり大月さんを偲び、「永訣の朝」。個の3曲ですが、2曲目の「銀河鉄道の夜」の前に、神道ソングで唯一アカペラで歌う曲「この光を導くものは」をくっつけてアカペラで歌いました。

この光を導くものは
この光とともにある
いつの日か 輝き渡る
いつか いつか いつの日か

あなたに会って わたしは知った
このいのちは旅人と
遠い星から 伝え来た
歌を 歌を この歌を

導くものはいない この今
助けるものもいない この時
いのちの声に 耳を傾け
生きて 生きて 生きてゆけ

 実はこの歌は、JR渋谷駅の階段を上がっている時にできた歌で、階段を上がり終わった時にはすでに全曲できていました。3分間でできると言っている「神道ソング」の中でも、もっとも早くできた曲です。Shinさんの会社の社歌として頼まれた「永遠からの贈り物」も、Shinさんと別れた後の渋谷駅で出来た曲で、やはり3分以内でできましたね。

 ともあれ、西部講堂という空間がとてつもなく奥深い魔的な力を持っていること、それゆえにこの空間で踊ったり、歌ったり、さまざまなイベントをやってみたいと思う人が後を絶たないということも、よくよくわかりました。今なら、京都の魔界スポットとして、1〜2を争う魔界が京大西部講堂であると、確信を持って言うことができます。

 その中島夜汽車君の句をいくつか。まず、タイトル句。

銀幕に春は曙黒き馬
凍蝶さすらひて銀(しろかね)の夜汽車
瞑れば空中都市に黒揚羽
人魚のわき毛震ふや秋の暮
喉(のみど)より弓手に流る冬銀河
吹雪てふ鷹老いて神上がりましぬ
人一人殺してみよと啼くかもめ
虫の音や吾が脱糞の音勝る
春雨に巫女の足跡消え行けり

 どうです? 「夜汽車」と名乗るだけあって、どこか哀しげで宇宙的でしょう?

 宇宙的と言えば、この前、宇宙飛行士の向井千秋さんにインタビューしたのですよ。2014年10月刊行予定の「こころの未来」第13号の特集テーマが「宇宙」なので、その「巻頭インタビュー」を向井千秋さんにお願いしたのです。ちょうど台風8号が日本列島を通過していく時で、宇宙船ならぬ新幹線が動かなくなるんじゃないかとヒヤヒヤしましたが、インタビューは無事たいへん有意義に龍称しました。乞うご期待!

 向井さんは、今、JAXA宇宙医学研究センター長を務めていて、日本の宇宙医学・生物学研究を牽引しています。たっぷり2時間のインタビューの中でも、印象に残ったエピソードの一つが、宇宙船の中でドアのノブを回すと、ドアのノブが回らず、自分の身体が回ってしまうというエピソードです。この体験をすると、宇宙ではすべてのものが「相対的」であるということが心底わかると言うのです。

 一緒にインタビューに行った仏教学者でブータン学研究室の熊谷誠慈こころの未来研究センター准教授が、「まさしく仏教の『縁起』の思想そのものですね!」と感心していましたが、仏教は宇宙感覚的だと改めて思いました。延喜思想もそうだけど、空観も、曼荼羅も。

 加えて興味深かったのは、向井さんが、「私があるのは重さがあるからです」という意味のことを言った点です。重力というものがなければもちろん人類の特徴である二足歩行は起こらない。鳥の羽も必要ない。押せばその反動で跳ね返るから。まさに永久玉突きのような状態が続く。無重量状態や微小重力の中で生きていくことのできる存在は二足歩行する人類とはまったく異なる存在となる。「私」は「重力」によって「私」たり得る。「我思う、故に、我在り」なのではなくて、「この地球に重力がある。故に、我在り」なのである。重力がなければ地上における基点や基準はなくなるのだ。おもろすぎる!

 向井さんの話を聞きながら、「バク転神道ソングライター」のわたしは、ドアのノブの手を放したら、何回バク宙の回転ができるのだろうと考え、そんなバク宙をし続けたまま、宇宙空間に補陀落渡海のように宇宙葬をしてもらってお陀仏してもいいな〜なんてことばかり考えていました。が、もちろん、わが死体が宇宙ゴミになるのでそんなことはできませんが。

 ともかく、向井さんは、今自分がいるところ、いつも「ここが宇宙」という気持ちで仕事をしていると言います。”Working in space”

 宮沢賢治好きのわたしも、常に「銀河系統」や「四次元感覚」を生きる規準にしていますが、「今ここが宇宙」を忘れずに今後も活動していきたいですね。バク転神道ソングライターとして。

 もう一つ、向井さんの話で、Shinさんとも関係があるのは、これからの50年は政府主導のより遠くより長く飛行していく宇宙開発と民間主導の観光的な宇宙開発に2極化するだろうという予測でした。Shinさん提唱の「月面聖塔」や「宇宙葬」なども、そうした民間主導の観光・ツーリズムビジネスや冠婚葬祭の互助活動につながるものですね。

 しあさっての7月15日(火)、わたしは京都大学の「宇宙総合学」の授業の一コマを担当します。わたしに与えられた講義テーマは「宇宙と人のこころ」ですが、まず冒頭で向井千秋さんへのインタビューのことを話しすることから始めたいですね。学生もきっと興味津々でしょう。

 バク宙や 天突き抜けて 逆落とし

 お粗末!

2014年7月13日 鎌田東二拝