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シンとトニーのムーンサルトレター 第108信

第108信

鎌田東二ことTonyさんへ

 今日は、13日の金曜日の満月です。このレターも、今回で108信となりました。煩悩の数と同じですね。Tonyさん、お元気ですか? わたしは、これまでの人生の中でも最も慌ただしい日々を過ごしています。

 今月3日、熊本市で開催された全国冠婚葬祭互助会連盟(全互連)の第56回定時総会において、わたしが会長に選出されました。最初に会長のお話を頂いた時はまさに青天の霹靂でした。しかし弊社会長の父とも相談の結果、不肖の身を顧みず、甚だ微力ながら冠婚葬祭業界および互助会業界の発展のために会長をお引受けすることにしました。

 互助会とは、その名の通りに「相互扶助」をコンセプトとした会員制組織です。終戦直後の1948年に、西村熊彦という方の手によって、日本最初の互助会である「横須賀冠婚葬祭互助会」が横須賀市で生まれ、名古屋で大きく花開き、静岡を経て、日本全国へ広まっていったのです。そして、各地で冠婚葬祭を通じ日本人の心を豊かにしてきました。

 全互連は冠婚葬祭互助会の保守本流です。保守とは、守るべきものを守るために改革することです。守るべきものとは、「文化の核」としての日本人の儀式であり、それを支える「相互扶助」の心です。それらを守る全互連とは、ある意味で日本文化を守る「文化防衛軍」かもしれません。わたしは全互連の新会長として、互助の心を取り戻し、有縁社会を再生するため全力で臨む覚悟です。そして、それはそのまま「天下布礼」の大いなる前進となるでしょう。

全互連の定時総会のようす

全互連の定時総会のようす新会長として挨拶しました

新会長として挨拶しました
 わたしは、総会の最後に新会長挨拶として、以上のような内容を述べさせていただきました。本当は、前日の2日に行われたサンレー本社総合朝礼で詠んだ歌を披露したかったです。それは、「全互連の総力を挙げて、日本の儀式文化と相互扶助の精神を守りたい。そのためにも、天下布礼をもっと進めなければ」という想いを込めた「日の本のこころとかたち守るため 天下布礼をさらに進めん」という歌です。

 それから6日には、シンポジウムに参加しました。福岡県仏教連合会の主催による「第10回『いのちとこころ』の講演会」で、会場は福岡市中央区天神にあるエルガーラホール(8階 大ホール)です。14時にシンポジウムが開始。挨拶などの後、14時20分から、わたしが「葬式は必要〜有縁社会をめざして」の演題で基調講演を行いました。

 380名収容の大ホールがほぼ埋まりました。これまでも僧侶の方々の前で講演した経験はありますが、これほど多くの僧侶を前に話すのは初めてです。まさに「釈迦に説法」ですので、最初にそのことをお断りしました。あくまでも仏教の研究者ではなく、冠婚葬祭の専門家として話しました。それから日本人の「こころ」が神道・仏教・儒教の三本柱から成っていることを説きました。神前結婚式は神道と儒教のハイブリッド儀式であり、仏式葬儀は仏教と儒教のハイブリッド儀式であることも述べました。この「なんでもあり」「いいとこどり」の文化の創始者は聖徳太子であり、後に武士道、心学、冠婚葬祭に受け継がれていきました。

 そして、いよいよ講演のタイトルにもなっている「葬式必要論」について話しました。『葬式は必要!』(双葉新書)の内容を中心に話を進めました。葬儀は人類が長い時間をかけて大切に守ってきた精神文化です。いや、葬儀は人類の存在基盤だと言ってもよいでしょう。昔、「覚醒剤やめますか、人間やめますか」というポスターの標語があったが、わたしは、「葬式やめますか、そして人類やめますか」と言いたいです。日本人が本当に葬式をやらなくなったら、人類社会からドロップアウトしてしまいます。

 あらゆる生命体は必ず死にます。もちろん人間も必ず死にます。親しい人や愛する人が亡くなることは悲しいことです。でも決して不幸なことではありません。残された者は、死を現実として受け止め、残された者同士で、新しい人間関係をつくっていかなければなりません。葬式は故人の人となりを確認すると同時に、そのことに気がつく場になりえるのです。葬式は旅立つ側から考えれば、最高の自己実現であり、最大の自己表現の場ではないでしょうか。「葬式をしない」という選択は、その意味で自分を表現していないことになります。葬儀とは人生の卒業式であり、送別会だと思います。

 さらに、「有縁社会」についても話しました。血縁と地縁の重要性を説きました。

 タテ糸とヨコ糸から「人間の幸福」が実現することを述べ、「縁」と大書された凧を会場で掲げながら「有縁社会」の必要性を訴えました。わが社が取り組んでいる「隣人祭り」についてもお話ししました。

 流行語になった「無縁社会」ですが、もともと「無縁社会」という日本語は変です。なぜなら、「社会」とは「関係性のある人々のネットワーク」という意味だからです。ひいては、「縁ある衆生の集まり」という意味だからです。「社会」というのは、最初から「有縁」なのです。ですから、「無縁」と「社会」はある意味で反意語ともなり、「無縁社会」というのは表現矛盾なのです。どうも、「無縁社会」という言葉には無理矢理に人を怖がらせようとする意図があるように思えます。いたずらに「無縁社会」の不安を煽るだけではダメです。それよりも、わたしたちは「有縁社会」づくりの具体的な方法について考え、かつ実践しなければなりません。隣人祭りに「相互扶助」の精神を見たわたしは、わが社で隣人祭りのお手伝いを行ってゆくことにしました。

 わたしたちは「無縁社会」を乗り越え、「有縁社会」を再生しなければなりません。まずは、地縁再生から! これからも、隣人祭りを通じて、地域の人間関係が良くなるお手伝いがしたいと述べました。参加者のみなさんは真剣なまなざしで1時間の話を熱心に聴いて下さいました。最後はみなさまとの御縁に感謝して、合掌いたしました。

 しかし、その後、思わぬ展開がわたしを待ち受けていたのです。第一部の基調講演終了後、10分間の休憩を挟み、そのまま第二部のパネルディスカッションに参加しました。テーマは、「終活〜人生終焉への心構え〜」です。パネリストは、野口善敬師(臨済宗妙心寺派 長性寺住職)、渡邊和弘師(日蓮宗 浄泉寺住職)、外松太恵子さん(福岡県仏教連合婦人会 会長)、そしてわたしの4人です。コーディネーターは、安永宏史師(浄土宗 生住寺住職)でした。「終活」というテーマは、これまでにも何度も講演やパネルディスカッションのテーマで取り上げてきました。ちょうど今、『決定版 終活入門』(仮題、実業之日本社)という本を書いているところでもあり、わたしとしては普段から考えていることをお話ししました。

仏教連合会総会での基調講演のようす

仏教連合会総会での基調講演のようす仏教連合会主催のパネルディスカッションに参加

仏教連合会主催のパネルディスカッションに参加
 わたしは、これまでにも多くのパネルディスカッションに参加してきました。Tonyさんとも御一緒させていただいたこともありますね。ふつう、こういうものはガチンコでは行いません。必ず、シナリオというものがあります。シナリオといっても、セリフもすべて決められた芝居の脚本ではありません。こういう流れで進めていき、こういう質問を出演者全員に投げかけ、一人当たりの発言時間は何分以内といった類のシナリオです。そうでないと話が分散して収集がつきませんし、絶対に時間内には終わらないからです。しかし、今回は初めてシナリオなしのパネルディスカッションとなりました。つまり、正真正銘のガチンコです。

 わたしも、これまで相当な回数の修羅場を潜ってきたと自負していますので、「喧嘩上等」もとい「ガチンコ上等」です。でも、やはり定められた時間内に有意義な討論を行うにはシナリオは必要であると思っています。この日は、シナリオなしに「葬式は必要か、不要か」という議論からスタートしました。しかも、わたしの前に発言された方が「葬儀屋と坊主が集まって『葬式は必要』と言っても始まらないでしょう」とか、「葬式をするも良し、しないのも良し」などと言われる方がいたので、わたしも久々にキレました。

 公開の場でキレたのは初めてですが、そもそもわたしは「葬儀屋」とか「坊主」といった言葉が大嫌いなのです。そこには、自分の職業に対する誇り、他人の職業に対する敬意というものがありません。そして、その根底には葬儀という営みに対する軽視が明らかにあります。わたしは、葬儀ほど崇高な営みはないと本気で思っているので、そのような言葉は看過できません。また、お布施に関するジョークが出たのも気に喰わなかったです。それをそのまま書くと反響がものすごいと思うので、やめておきます。

 それで、わたしは「今日は、お寺様の前で話すということで、『釈迦に説法』だと申し訳なく思ってきました。わたしは、お坊様という聖職者を『えらい存在』として尊敬しているからです。それだけに、布施についてのジョークは不愉快です」と述べたところ、会場から笑みが消え、凍りついたようになりました。さらに、わたしは「『葬式は必要か、不要か』という議論からパネルディスカッションが始まったことに非常に驚いています。必要に決まっているじゃないですか。そんな弱腰だから、『葬式は、要らない』とか『無縁社会』とか言われるんです」とも述べました。「わたしは葬儀屋だから『葬式は必要!』を書いたのではありません。会社のためとか業界のためとか関係ありません。『葬式は、要らない』などと考えたら日本人が困るから書いたのです」とも言いました。もっと、いろいろ言ったのですが、個人批判が目的ではないので、このへんにしておきます。

 わたしは情けないというか、心の底から悲しくなりました。しかしながら、もう一人の僧侶の方がわたしの発言に共感を示して下さいましたので、救われた気がいたしました。でも、わたしのことを「一条さんは儒者なんですよ」という発言がありましたが、それは正しいとも思いました。本音を言えば、その場に、Tonyさんや井上ウィマラさんや奥田知志さんにいて欲しかったです。Tonyさんや井上さんや奥田さんに「日本の仏教はどうしちゃったんですかね?」と問いたい気分でした。ただ、断っておけば、そのような宗教者らしからぬ僧侶はあくまでも一部であり、多くの僧侶の方々は日夜、葬儀をはじめとした一連の死者儀礼によって遺族の方々の心を癒してしていると思います。「葬式仏教」などと揶揄されることもある日本仏教は、世界に誇りうる「グリーフケア仏教」であると信じています。

 わたしは、この1ヵ月の間に、九州国際大学の客員教授、経営者団体である北九州中小企業経営者協会の副会長、そして業界の全国団体である全国冠婚葬祭互助会連盟の会長に就任しました。加えて、数多くの講演やシンポジウム出演も加わり、これまでの人生でも最も時間破産の危機に襲われています。それでも毎日2つのブログも書いているのですから困ったものですが、50歳を過ぎてもう若くありません。これからは自分に与えられた使命を果たすため、健康に留意しながら「明るい世直し」に努めたいと考えています。Tonyさん、どうか今後とも御指導下さい。それでは、次の満月まで、オルボワール!

2014年6月13日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 全国冠婚葬祭互助会連盟会長就任、まことにおめでとうございます。父子二代にわたる業界のリーダー、まさしく「天下布礼」のミッション(天命)を着々と実現しつつあるのを感じます。Shinさんの実力と活動力を考えれば業界役員トップの就任は当然だと思います。ますますの活躍を祈念申し上げるとともに、くれぐれも御身大切に超多忙な日々を乗り切ってください。父上にくれぐれもよろしくお伝えください。魂の三兄弟のそれぞれの活躍は頼もしくも嬉しい限りです。

 さて、全国冠婚葬祭互助会連盟会長に就任した矢先に行なわれた福岡県仏教連合会の主催による「第10回『いのちとこころ』の講演会」、大変のようでしたが、なかなかおもろかったですね。そんなこともありますよ、いろいろと。人生にも道中にもシンポジウムにも。が、何があってもへこたれず、我が道を往くという信念と実践と、そして、「臨機応変」が肝心です。「臨機応変」は禅でもよく使いますね。例えば、「臨」済宗とか?

 そもそも、東大寺を含め、南都六宗など奈良仏教では葬式をする習慣はなかったと言います。今、東大寺の執事長を務めている平岡昇修師に聞いたことがあります。だから、仏教は葬式をしてもいいし、しなくてもいい、というのは、その通りでしょう。仏教の歴史や実践のアクセントやポイントをどこに置くかの違いではないでしょうか?

 確かに、お釈迦さんは、仏道を行じる者は葬儀などに構うなと言っているのですから。例えば、「アーナンダよ。お前たちは、修行完成者の遺骨の供養(崇拝)にかかずらうな。どうか、お前たちは、正しい目的のために努力せよ。正しい目的を実行せよ。正しい目的に向かって怠らず、勤め、専念しておれ。」(『ブッダ最後の旅—大パリニッバーナ経』中村元訳、岩波文庫、1980年)などで。

 だから、仏教と言っても、テーラワーダ(上座部)仏教と、日本の大乗仏教、特に平安時代以降の真言宗や天台宗、そして鎌倉時代以降の仏教とはまったく違うと言ってもいいのではないでしょうか? このあたりのことは、すでに読まれているとは思いますが、知人の松尾剛次さんの『葬式仏教の誕生—中世の仏教革命」(平凡社新書、2011年)に詳しく書いてあります。

 ともかく、葬儀をめぐっては仏教も立場が両極あるということですね。そして、座禅仏教である禅宗などは、ある面では、「葬儀などに構うな」という初期仏教に近い面がありますから、臨済宗のお坊さんがそのような発言をするのも理解できます。

 それはそれとして、わたしはこう考える、わたしはこうやる、ということでいいのだと思いますよ。また、わたくし、鎌田東二個人は、葬儀も結婚式も、いろいろと「儀式」は大切だと思っているので、葬儀も結婚式も必要だと思います。が、そうだとしても、いろいろな考え方ややり方があっていいと思っています。これでなければならない、という、固定した考え方はありません。

 最近、知人がなくなりました。大月健さんという京都大学農学部図書館の司書を40年務め、その後も京都大学総合図書館の職員として働いてきた京大図書館の主のようなアナーキストが1ヶ月前の5月17日に亡くなったのです。わたしは仕事があり、お通夜にも告別式にも参列できませんでした。そこで友人に頼んで、次の弔歌を奥さんに届けてもらいました。

    大いなる 月の光に 照らされて
      魂健やかなれと 祈りまつらん

 という歌です。「大月健」さんの名前をこの歌の中に詠み込んだものです。歌を通して故人を偲ぶ、また儀式を通して故人を鎮魂する、顕彰する、讃える、いろんなことがあっていいと思います。わたしは「神仏習合フリーランス神主」であり、「神道ソングライター」ですから、儀式も修法も修行もいろいろと必要だし、やってみる価値があると思っている人間ですが、重要な点は「東京自由大学」や「フリーランス」の「自由」や「フリー」だと思っています。

 多様性、多元性、他者性、多面性、まあ、「やおよろず(八百万)」ということですね。そんな精神とやり方で向き合いたいと思っています。ので、これという決まりや縛りはありません。

 が、全国冠婚葬祭互助会連盟の新会長であり、株式会社サンレーの社長であるShinさんには、別の立場と信念とやり方があると思っていますので、その道と流儀を邁進してください。

 ところで、7月7日(月)の七夕の夜に、次のような催しを京都大学西部講堂で行なうことになり、知友に案内したところです。


みなさま

 情趣ゆたかな七夕の夕べに、次のような催しを京都大学西部講堂で行うことになりました。
 関西在住のみなさまで都合のつく方は、ぜひふらりとお立ち寄りください。

「大月健さんを偲び、中島夜汽車さんの新刊句集『銀幕』出版をお祝いする会」

 7月7日、七夕の日に、中島和秀さん(俳号:中島夜汽車)が5冊目の新刊句集『銀幕』を出版します。
 この句集の出版を心待ちにしてくれていたのが、中島夜汽車さんとともに「京大俳句」の世話人をし、西部講堂連絡協議会顧問を務めてくれた元京都大学図書館司書の大月健さんでした。
 しかし、大月さんは先月この世から夜汽車に乗ってあの世に逝かれました。
 そこで、ともに「京大俳句」を支えてきた大月健さんの逝去を偲ぶとともに、中島夜汽車さんの新刊句集出版をお祝いする会を開催するという企画を立てました。


「大月健さんを偲び、中島夜汽車さんの新刊句集『銀幕』出版をお祝いする会」

日時:2014年7月7日(月)18時30分〜21時頃
場所:京都大学西部講堂
主催:京都大学俳句会
会費:2500円(飲食代を含む)、学生1500円
発起人:鎌田東二、久保田一、波佐場春香、大石高典、田所大輔

プログラム
 1)法螺貝+開会挨拶・大月健さんへの黙祷(鎌田東二・第一部司会担当)
 2)中島夜汽車による「京大俳句会」の説明と大月健さんの紹介とその代表句3作朗読
 3)祝辞+乾杯(発起人:久保田一)
 4)第一部終了・飲食・懇談
 5)第二部20時前後から(司会:発起人・波佐場春香&大石高典&田所大輔)
 6)友人による激励、お祝いの言葉、偲び言など(清水光男【俳人】・間奈美子【装丁家】)
 7)久保田一童(尺八)+中山登美子(ダンス)+ナパーム田所(ピアノ・DJ)
 8)神道ソング3曲「なんまいだー節」「神ながらたまちはへませ」「銀河鉄道の夜」(鎌田東二)
 9)自作俳句朗読(中島夜汽車)
10) 閉会の挨拶(発起人:波佐場春香)

「大月健さんを偲び、中島夜汽車さんの新刊句集『銀幕』出版をお祝いする会」

「大月健さんを偲び、中島夜汽車さんの新刊句集『銀幕』出版をお祝いする会」
 これは、「葬儀」ではありませんが、「死者儀礼」であり、生きている者の創造を祝う「生産儀礼」でもあります。このような「儀式」は人生に不可欠であるとわたしは思っています。繰り返しますが、しかし、そのやり方は「八百万」ですね。

 ところで、5月の出来事として、わたしにとって特筆すべきことは、東京ドイツ文化センターで開催された「老いと踊り」国際シンポジウムに参加したことと、荒川修作の設計した「三鷹天命反転住宅」を見学したことにありました。

 「老いと踊り」の方は、後で、徳島新聞の記事を貼り付けておきますが、三鷹の方は、実に、実に面白く、楽しく、愉快で、豊かでした(http://mono-gaku.la.coocan.jp/の「研究問答」欄を参照ください)。荒川修作もずいぶん自由な思考と創造と実践を展開した人だったのだなあと感心しましたね。荒川はん、たいしたもんですなあ〜。ごりっぱ、でした!

 最後になりますが、次のような催しもやるのですよ。6月末の6月28日に。そこで、「平安〜四神相応の都」と題した「能舞」を観世流能楽師の河村博重さんと一緒にやるのです。乞う、ご期待! どんなふうになるか、今から興味津々です。


公益社団法人日本易学連合会主催第2回シンポジウム

日時:2014年6月28日(土)13時〜17時
場所:国際日本文化研究センター講堂(京都市西京区)
テーマ 「方位除信仰、聖地文化」
司会者:嶌竜玄 (日本易学連合会副理事長兼京都支部長)

13:00 芸術公演 能舞「平安〜四神相応の都」観世流能楽師:河村博重+楽:鎌田東二
    開会挨拶 上島慶晃(日本易学連合会副理事長)
    挨拶 加藤迪夫(北野天満宮権宮司)
13:20 基調講演「占いと方位信仰〜いざなぎ流の事例を通して」小松和彦(国際日本文化研究センター所長)
14:20 資料映像「方位信仰と平安京」
14:50 講演「日本の聖地文化と占いと平安京」鎌田東二(京都大学こころの未来センター 教授)
15:50 総合討論 小松和彦 + 加藤迪夫 + 鎌田東二(司会)
16:50 閉会の辞 井上湖悠(日本易学連合会副理事長)
17:00 閉会宣言 司会者

徳島新聞 2014年6月2日記事 「老いと踊り」国際シンポジウム

徳島新聞 2014年6月2日記事 「老いと踊り」国際シンポジウム


 そんなこんなで、支離滅裂になりましたが、金輪際、めげることなく、屈することなく、我が道を往き、「天下布礼」の大使命を果たしてください。心より期待し、応援しています。

 以下は、今宵6月13日金曜日の満月です。

6月13日金曜日の満月

6月13日金曜日の満月
2014年6月13日 鎌田東二拝