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シンとトニーのムーンサルトレター第229信(Shin&Tony)

鎌田東二ことTonyさんへ

 

Tonyさん、まずは、お誕生日おめでとうございます!
3月20日、Tonyさんは誕生日を迎えられ、73歳になられました。本当は20日当日に小倉で誕生日祝いをするはずでしたのに、当方の事情で延期になってしまいました。本当に、申し訳ございません。ぜひ、日を改めて開催させて下さい。Tonyさんにおかれましては、「ガン遊詩人」として東奔西走の日々ですが、どうぞこれからも誕生日を迎え続けることを心より願っております。今夜は綺麗な満月が上っています。3月の満月は、ワームムーン。 土壌が温まり始めた3月、冬の冬眠から目覚めたさまざまな幼虫が地上に現れることが由来ですね。


ヤフーニュースより

 

わたしが大の映画好きなのはご存じでしょうが、3月11日(日本時間)にアメリカ・ロサンゼルスのドルビー・シアターで開催された第96回アカデミー賞授賞式についての感想を述べたいと思います。グランプリである作品賞は「オッペンハイマー」に輝きました。クリストファー・ノーラン監督が、原子爆弾の開発に成功したことで「原爆の父」と呼ばれたアメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマーを題材に描いた伝記映画です。第96回アカデミー賞では合計13部門にノミネートされ、うち7部門(作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞、撮影賞、編集賞、作曲賞)を受賞。興行的にも、全世界興行収入9億5000万ドルを超える大ヒットを記録。実在の人物を描いた伝記映画作品として、歴代1位の記録を樹立しています。日本では今月29日からの公開ですので、かなりの観客動員が見込まれると思います。わたしも、必ず観ます。


ヤフーニュースより

 

また、宮崎駿監督のアニメ映画「君たちはどう生きるか」が長編アニメ映画賞に輝きました。スタジオジブリの作品が、同賞に輝くのは、第75回アカデミー賞の「千と千尋の神隠し」以来21年ぶり2度目となります。宮崎監督作品としては、「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」「風立ちぬ」に続く4度目のノミネートでした。「君たちはどう生きるか」は、宮崎監督が長編作品からの引退を撤回し、原作・脚本・監督を手掛けています。宮﨑監督が少年時代に感銘を受けた吉野源三郎の児童書『君たちはどう生きるか』からタイトルを採用し、自伝的要素を含むオリジナルストーリーとして完成させた冒険活劇ファンタジー映画です。公開日まで一切詳細情報を明かさない異例のプロモーションも話題を集めました。昨年12月、「The Boy and the Heron(少年とサギ)」のタイトルで、北米公開されると、週末興行ランキングで初登場1位に輝き、スタジオジブリ作品最大のヒットスタートを切りました。


ヤフーニュースより

 

さらに、山崎貴監督の怪獣映画「ゴジラ-1.0」が視覚効果賞を受賞しました。ゴジラ生誕70周年となる2024年に先駆けて製作された、実写版第30作品目となるゴジラ映画です。太平洋戦争で焦土と化した日本で、人々が懸命に生きていこうとする中、突然現れた謎の巨大怪獣が復興途中の街を容赦なく破壊していき、すべてを失った人々を負(マイナス)に叩き落すさまを描いています。全米では昨年12月、邦画実写史上最大規模となる2308館にて封切られ、週末興収ランキングで3位に初登場ランクイン。日本製作のゴジラシリーズとして歴代最高記録となり、全米における累計興収が邦画実写作品として、34年ぶりに記録を塗り替え、歴代1位となりました。日本映画が視覚効果賞部門にノミネートされるのは初めてで、アジア映画としても初の快挙達成です。「ゴジラ-1.0」よりはるかに巨額の費用で作られた強力なライバルたちを圧倒しました。

 

日本のエンターテインメントが世界に誇れるジャンルは、やはりアニメと怪獣です。結果として、「君たちはどう生きるか」は最もヒットした日本のアニメ映画であり、「ゴジラ-1.0」は最もヒットした日本の怪獣映画です。その両作品がアカデミー賞でオスカーに輝き、「日本映画ここにあり!」と万歳したい気分ですが、どうにも気が晴れないのは、作品賞をはじめ「オッペンハイマー」が7冠に輝いたことです。3・11という日本人にとってのグリーフ・デーの当日に、日本人にとって最大のグリーフといってもよい原爆の開発者についての映画がアカデミー賞で旋風を起こしたというのが、どうにも複雑な気分であります。原爆というのは世界史上で2回しか使われていません。その土地は日本の広島と長崎です。ですから、被爆国である日本の人々は、当事者として、映画「オッペンハイマー」をどこの国の国民よりも早く観る権利、また評価する権利があると思いました。当然のことではないでしょうか?

 

わたしは、「オッペンハイマー」が日米同時公開されるとばかり思っていました。それが、日本だけ非公開だった事実が釈然としませんでした。この映画で、原爆開発の倫理的責任はどう描かれているのか。試作弾頭「トリニティ」の臨界実験の描写は凝りに凝ったCGと音響で圧倒的なインパクトが強いそうですが、それが、原爆の恐怖を表現しているのか、それとも開発成功を称える高揚シーンになっているのか。さらには、広島・長崎の惨状はどう描かれているのか。本当は、昨年8月6日の「広島原爆の日」までには公開されているべきでしたね。ということで、まだ「オッペンハイマー」を観ていないわけですが、日本人のグリーフを無視した映画がアカデミー賞作品賞を受賞した事実によって、日本人はセカンド・グリーフを負ったように思えてなりません。

 

今回のアカデミー賞授賞式では、複数の受賞者の振る舞いが人種差別的だと批判を浴びて、炎上しました。問題になったのは助演男優賞を受賞したロバート・ダウニー・ジュニアと主演女優賞を受賞したエマ・ストーンです。いずれも前年受賞者のアジア系俳優からオスカー像を受け取る際に、視線を合わせることもなく他の白人俳優らとだけ喜びを分かち合う姿が「人種差別」だとしてSNS上で批判を呼んでいます。欧米では黒人に対する人種差別は暴力や暴言などで可視化され、それゆえ差別行為として認知されていますが、アジア系に対する差別は、今回のようにそもそもその場に存在しないかのように扱われることが多いとされます。そのため、差別を行った者が後になって「気づかなかった」「そんなつもりはなかった」と言い逃れできることも問題に輪をかけているといいます。

 

今回、キー・ホイ・クァンやミシェル・ヨーといったアジア人は、まるで透明人間にように無視されました。彼らは透明化されたのです。しかし、わたしは最も透明化されたのは日本人であると思います。なぜなら、多くの日本の民間人を大量虐殺した原爆の開発物語である映画「オッペンハイマー」が製作されたばかりか、アカデミー賞で作品賞・監督賞を含む7冠に輝いたからです。そこには、原爆によって殺戮された人々への哀悼の念や、戦後も原爆症で苦しんだ人々への謝罪の念も微塵もありません。日本人は、完全に透明化されてしまったのです。ハリウッドが謳っている「ポリコレ」や「多様性」がいかにインチキなものであるかが明らかになりましたね。

 

今回のアカデミー賞では、「君たちはどう生きるか」が長編アニメ映画賞に輝いた他、「ゴジラ-1.0」が視覚効果賞を受賞しました。「ゴジラ-1.0」は、ゴジラ生誕70周年となる2024年に先駆けて製作された、実写版第30作品目となるゴジラ映画です。1954年に公開された1作目の「ゴジラ」は、当時、ビキニ環礁の核実験が社会問題となっていた中、水爆実験により深海で生き延びていた古代生物が放射能エネルギーを全身に充満させた巨大怪獣が日本に来襲するという物語でした。すなわち、明確な反核映画だったのです。「ゴジラ」で中では銀座や日比谷を蹂躙したゴジラが皇居の前まで来ると回れ右をするシーンがあります。ゴジラとは太平洋戦争で亡くなった日本兵たちの霊魂(英霊)の集合体という見方もできるのです。

 

「ゴジラ-1.0」が「オッペンハイマー」とあわせて注目されていることについて山崎監督は、「作っている時はまったくそういったことは意図されていなかったと思いますが、出来上がった時に世の中が非常に緊張状態になっていたというのは、運命的なものを感じます。『ゴジラ』は、戦争の象徴、核兵器の象徴であるゴジラをなんとか鎮めようとする話ですが、鎮めるという感覚を世界が欲しているのではないか。それがゴジラのヒットの一部につながっているんじゃないかと思います」と見解を述べました。さらに、「『オッペンハイマー』に対するアンサーの映画は、個人的な思いとしてはいつか、日本人として作らなくてはいけないんじゃないかな、と思っています」と秘めていた思いを明かしていました。わたしは、他のノミネート作品に比べて製作費が破格に少なかった「ゴジラ-1.0」が受賞したのは、同じ第96回アカデミー賞において「オッペンハイマー」旋風を吹かせることに対する免罪符ではないかと思えてなりません。

 

結局のところ、ハリウッドが日本や韓国や中国の映画人をリスペクトしているというのは虚構のように思えます。図らずも、今回のアカデミー賞授賞式でハリウッドの本音、アメリカの真実が露呈しました。村上龍氏が芥川賞を受賞した小説のタイトルは『限りなく透明に近いブルー』ですが、今回のアカデミー賞授賞式を見て、わたしは「限りなく透明に近いアジア」という言葉が脳裏に浮かびました。トランプ大統領復帰を不安視する声もありますが、笑止千万ですね。アメリカは、もともと、こんな国なのです。だって、世界史上において核兵器を使われた国は日本だけですが、使用した国はアメリカだけなのですから。しかし、そんなアメリカのハリウッドがこのたび、21世紀最高傑作とされる超弩級のSF映画を世界に問いました。ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の「デューン 砂の惑星PART2」です。フランク・ハーバードの小説を映画化したSF超大作の第2弾です。

 

前作の「DUNE/デューン 砂の惑星」は、2021年の一条賞(映画篇)大賞に選んだぐらい素晴らしい名作でした。SF映画史上に燦然と輝くスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」の高みに到達した奇跡の名作であると思いました。人類が地球以外の惑星に移り住み宇宙帝国を築いた未来。皇帝の命により、抗老化作用のある秘薬「メランジ」が生産される砂の惑星デューンを統治することになったレト・アトレイデス公爵(オスカー・アイザック)は、妻ジェシカ(レベッカ・ファーガソン)、息子ポール(ティモシー・シャラメ)と共にデューンに乗り込みます。しかし、メランジの採掘権を持つ宿敵ハルコンネン家と皇帝がたくらむ陰謀により、アトレイデス公爵は殺害されてしまいます。逃げ延びたポールは原住民フレメンの中に身を隠し、やがて帝国に対して革命を決意するのでした。

 

「デューン 砂の惑星PART2」は、宇宙帝国の統治者である皇帝に命を狙われる主人公が、惑星デューンの砂漠に暮らす先住民フレメンの女性らと共に反撃を開始する物語です。その惑星を支配する者が、全宇宙を制すると言われる砂の惑星デューン。宇宙帝国を統べる皇帝とハルコンネン家に命を狙われるポール(ティモシー・シャラメ)は、先住民フレメンのチャニ(ゼンデイヤ)と共に数奇な運命に翻弄されながらも、皇帝とハルコンネン家への反撃に立ち上がります。「デューン 砂の惑星PART2」は前作のクオリティを受け継ぎながらも、面白さにおいては前作を上回っています。物語の設定や登場人物の名前など少々ややこしく感じる部分もありますが、かの「スターウォーズ」シリーズに多大な影響を与えたことで知られるぐらい、原作のストーリーには深みがあり、まさに「宇宙神話」といった印象です。

 

ヴィルヌーヴ監督は、「『DUNE/デューン 砂の惑星』は私がこれまで作った映画の中で圧倒的に最高の映画だ。私たちは3年以上の歳月をかけて、ビッグスクリーンでユニークな体験ができるようにこの作品を作り上げた。その映像と音響は、映画館で見るために綿密に設計されたものだ」と語っています。また、ヴィルヌーヴ監督は「映画やシリーズ作品を創造するのはアーティストの仕事だ。ウォール街の連中が何を言おうと、映画の未来はビッグスクリーンの中にあると私は強く信じている。有史以来、人間は共同して物語を語る体験を強く必要としてきた。ビッグスクリーンで上映される映画は単なるビジネスではなく、人と人を結びつけ、人間性を称え、互いの共感を高めるアートだ。それは、私たちが直接人と対面し合ってシェアすることができる、最も芸術的な集団体験の1つだ」とも語っています。

 

「スターウォーズ」第1作を作ったとき、ジョージ・ルーカスは2冊の本を参考にしたそうです。1冊はアメリカの神話学者ジョゼフ・キャンベルの神話論である『千の顔を持つ英雄』、もう1冊はフランク・ハーバードが書いたSF小説の金字塔『デューン砂の惑星』です。「人間は神話と儀式を必要とする」というのはTonyさんとわたしの合言葉ですが、この映画では儀式も重要な役割を果たします。時代設定は西暦10190年ですが、正直、「いくらなんでも、未来すぎるだろう!」と思います。今から8170年も先ではないですか。そのわりには人間社会の構造はほとんど変わっておらず、帝国があって皇帝がいるとか、貴族としての2つの一族が抗争を繰り広げるなど、人類の過去の歴史を見るようでした。そこでは血統が重んじられ、結婚が重要視されます。そして、未来の世界には、さまざまな儀式も存在します。


儀式論』(弘文堂)

 

前作の映画の冒頭では、惑星アラキスをアトレイデス家が統治することになった記念として壮大な式典が開催されました。結局、8170年先の未来でも人々は「礼」を重んじ、「儀式」を行っているのです。それは、社会を維持していくためには「礼」や「儀式」が必要なものであり、それは人間の本能によって支えられているということを示しているように思えました。西暦10190年という途方もない時代設定は、人類にとっての普遍を描くためだったのです。また、今回の「デューン 砂の惑星PART2」では、ティモシー・シャラメ演じるポールが、「獣ではなく人間である」ために行う儀式も登場しました。わたしは、拙著『儀式論』(弘文堂)で展開した「人間が人間であるために儀式はある!」という自説の裏付けを得た気分でした。


札幌のシネコンに参上!

 

また、この映画の映像美が圧倒的です。何よりも砂の惑星の砂漠が美しく、砂漠に住む砂虫(サンドワーム)の造形も素晴らしいです。ちなみに、この砂虫は宮崎駿の「風の谷のナウシカ」(1984年)の王蟲に影響を与えたとされています。わたしは、「デューン 砂の惑星PART2」を公開日の15日に鑑賞したのですが、3日後の18日にも出張先の札幌で再鑑賞しました。なぜ、わたしは、この映画を再鑑賞したのか? それは、公開初日に観たのはシネプレックス小倉の4番シアターだったからです。そこは、いわゆる通常のシアターなのですが、その後に続々とUPされた同作のYouTube解説動画のほとんどすべてに「この映画は絶対にIMAXで観て下さい!」と書かれていたのです。当然ながら、わたしの心は疼きました。

 

特に、最近わたしが注目している茶一郎さんというYouTuberの【最高峰の映画体験にして “神” を浴びる神話体験】というデュ―ン2の解説動画では、「とにかく大きい映画」「動く宗教画」「言葉を失う。現段階で最高峰の映画体験では?」「IMAXで、即ち現行の上映設備でこれ以上の映画体験が今後できるのか?」「到達点にして限界とすら思ってしまう圧巻の出来。圧倒され、言葉が出なかった」「同じ人間が作ったと思えない巨大なパワーと神々しさ、荘厳さ」などの言葉が心に響きました。「千年後には信仰の対象になる巨大な神話映画」「普通の映画では刺激が足りなくなる中毒性の高い映画体験」などなど、これ以上ないほどの最大級の賛辞が送られています。決め手は、「昔、わし、あの時この『デューン 砂の惑星PART2』を映画館でIMAXで観たんじゃと自慢できる」という一言でした。これはもうIMAXで観るしかありません。


IMAXシアターの前で

 

いやあ、IMAXで観る「デューン 砂の惑星PART2」は本当にド迫力でした。映画鑑賞というよりも、テーマパークのアトラクションのシミュレーション施設に入った感じです。画面も大きく、本当に砂漠の中にいるようでしたし、音響もリアルです。ユナイテッドシネマ札幌の11番シアターがIMAXでしたが、ちょうど全体のど真ん中の通路側の席を取りました。座席の前には鉄パイプの柵があり、いかにもテーマパークのライドといった感じです。座席の前の空間が狭くて窮屈でしたけど。あと、外国人の観客が多いことに驚きました。TOHOシネマズ六本木でも、こんなに外国人はいませんよ。IMAXの迫力に圧倒されて、166分の上映時間はあっという間に過ぎました。前回はちょっと寝落ちしましたが、今回は一睡もしなかったです。また、鑑賞直前に大量のサッポロビールを飲んでいたにもかかわらず1度もトイレに行かなかったことは自分でもビックリ!


館内には公開予定作品の大看板も・・・

 

再鑑賞効果で、最初はよくわからなかった「デューン 砂の惑星PART2」の謎のシーンの意味も理解することができました。一度観てストーリーは頭に入っているので、細かい部分の確認や、演出そのものを堪能できますね。1つ気になったことは、ポールの父親が残した大量の核兵器について「大いなる力」などと肯定的に語られていたことです。実際、ポールは香料工場を核爆弾によって破壊すると皇帝を脅して、自身が権力を握ります。このように核を背景にした権力者誕生の物語というのはいかがなものか? 核兵器が誕生したのは、1945年7月16日、米国ニューメキシコ州ビンガム近くで行われた「トリニティ実験」においてです。ポール・アトレイデスが核兵器で皇帝を脅した8245年前に核融合実験を成功させた男の名は、ロバート・オッペンハイマー。


次は、いよいよ「オッペンハイマー」!

 

そういえば、「デューン 砂の惑星PART2」の上映前には第96回アカデミー賞で7冠に輝いた「オッペンハイマー」の予告編がIMAXで流れ、すごい迫力でした。この「原爆の父」の伝記映画は全米では昨年7月21日に公開されたので、今年3月1日公開の「デューン 砂の惑星PART2」よりも前です。核兵器の開発者の伝記映画が大ヒットした直後に、核兵器肯定の大作映画が作られたことに嫌な予感がするのは、わたしだけでしょうか? いずれにせよ、次は、いよいよ、今月29日から日本公開される「オッペンハイマー」を観なければ! ということで、今回のレターは映画の話が満載となりました。映画は世界を見る窓であり、人間の無意識を映す鏡です。わたしは、これからも命ある限り多くの映画を観続けたいと思います。


ヤフーニュースより

 

最後に、3月17日の日曜日の朝、ヤフーニュースで「日本人2人が月面着陸へ、『アルテミス計画』で28年以降想定・・・日米政府が合意方針」という記事を見つけました。記事によれば、日米両政府は、米国が主導する有人月探査「アルテミス計画」で、日本人宇宙飛行士2人を月面着陸させることで合意する方針を固めたそうです。日本人の月面着陸は初めてで、実現時期は2028年以降が想定されています。日本が開発する月面探査車を10年間運用することでも合意する方向だとか。1972年以来となる月への有人飛行や、将来的な月面基地の実現を掲げるアルテミス計画では、2025年に月の周回軌道での有人飛行を成功させた上で、2026年に米国人飛行士の月面着陸を目指しています。2028年以降にも定期的に飛行士を月面に送り、このうち2回で日本人を着陸させ、トヨタ自動車を中心に開発を進めている月面探査車「ルナ・クルーザー」を運用するスケジュールが想定されているそうです。

 

アルテミス計画には、日米や欧州各国などが参加しており、日本は月上空に新設される有人基地「ゲートウェイ」への物資補給や、月面探査車の開発などを担当しています。過去に月面に降り立ったのは米国人だけで、日本政府は日本人の月面着陸について、「20年代後半の実現」を目標としています。わたしは、このニュースを知って胸が高鳴りました。2021年3月にスタートトゥデイの前澤友作社長が、自身が企画する月周回旅行「dearMoonミッション」について、同乗者となる8人を世界中から募集すると発表したとき、Tonyさんとわたしは揃って応募しましたが、残念ながら月へ行くことはできませんでした。ぜひ、わたしはTonyさんと月に行きたいです。なんとかお互いに命あるうちに月に行けるように、夜空のピンクムーンに願いをかけたいと思います。それでは、次の満月まで!


Tonyさんの応募証明画像

わたし(Shin)の応募証明画像

 

2024年3月25日 一条真也拝

 

 

一条真也ことShinさんへ

ムーンサルトレター229信、ありがとうございます。3月も25日の満月になりました。が、このところ、とても寒かったり、雨が多かったり、雪が降ったりで、天候が不安定です。これまで、わたしの誕生日である3月20日頃は、けっこうあたたかい、ポカポカした日が多かったように思いますが、今年はちょっと異常のように思います。

 

その誕生日に小倉にお伺い出来ず、大変残念でしたが、次の機会を楽しみにしています。

 

今回のShinさんのレターは、アカデミー賞のことがかなり詳しく書かれていますね。最近、わたしはほとんどテレビを見なくなり、映画の方もこの前久しぶりに「パーフェクト・デイ」を観たくらいで、映画を見る機会もめっきり減りました。その原因は、「京都面白大学」の講義(主に一人講義か対談講義)をして、それをyou tubeにアップロードするのに時間がかかり、そのような「閑?」がなくなってしまったからでもあります。ほんと。忙しいったら、ありゃせんのう~。

その上、2月29日から3月3日まで、沖縄本島南城市に行き、久高島にも渡りました。また、東北大学や代々木の平田神社や「第一回大使サミット」に参加したので、いっそうあちこちに飛び回ることになりましたね。

沖縄には、「ものがたりの街」の創設者の医師・佐藤伸彦さんと、東京大学名誉教授の島薗進さんたちと行きました。そして、古謝南城市長さんに面談し、市役所の担当部課長さんたち6名の方々と1時間近く意見交換もしました。それから、それから、いつもいつも、定番のチャーリー・レストランで、定番のチャーリーステーキを食べました。好きなんですわ~、これが。

 

また、久高島では、新たに区長に就任した内間豊さんのパートナーの内間瑛子さんにもお会いして、話を聞きました。それらはみな、京都面白大学の授業にしていますので、関心がありましたら、いつでも、拾い見、でもして見てみてください。

代々木の平田神社では、平田龍胤宮司さんから「平田篤胤学校・氣吹舎」の学頭に任命されて、月1回、11時から16時過ぎまで、昼食時間1時間を除いて、ぶっ続けの4時間に及ぶ講義をしているのですよ。もう3回はやりました。

そこで、取り上げているのは、平田篤胤の神話研究と祝詞研究と祝詞奉上について、です。神話研究のパートでは、『古史成文』『古史伝』『古史徴』を併せ読みしていますが、特に、『古史成文』と『古史伝』の併せ読みをしていて、両著に微妙で決定的な違いがいくつかあることに気がつきました。それは、『古史成文』で、「天虚空、あるいは、大虚空」とあるところが、『古史伝』においては「高天原」になっているところです。平田龍胤宮司さんによれば、こうした修正というか、二著での違いがいくつかある、ということですが、問題は、その違いが何を意味しているのか、意図しているのか、です。

 

これは、思想上の、あるいは、大げさに言うと、「神道神学」上の大問題と言えるでしょう。「天虚空・大虚空」、つまり、「虚空」という概念と「高天原」という概念はまったく異なるものだから、です。平田篤胤は、なぜここであえてダブルスタンダードを採用したのでしょうか? もちろん、『古事記』には冒頭部に「高天原」とあります。

『古事記』と『日本書紀』本文の冒頭部を次に引用して比べてから、平田篤胤の『古史成文』と『古史伝』を引用して、その違いを見てみます。

1,『古事記』冒頭部

天地初發之時於高天原成神名、天之御中主神、次高御産巣日神、次神産巣日神、此三柱神者並獨神成坐而隱身也。

2,『日本書紀』本文冒頭部

古、天地未剖、陰陽不分、渾沌如鶏子、溟涬而含牙。及其淸陽者薄靡而爲天・重濁者淹滯而爲地、精妙之合搏易、重濁之凝竭難。故、天先成而地後定。然後、神聖、生其中焉。故曰、開闢之初、洲壤浮漂、譬猶游魚之浮水上也。于時、天地之中生一物、狀如葦牙。便化爲神、號國常立尊。至貴曰尊、自餘曰命、並訓美舉等也。下皆效此。次國狹槌尊、次豐斟渟尊、凡三神矣。乾道獨化、所以、成此純男。

3,平田篤胤『古史成文』冒頭

古天地未生之時。於天虚空成坐神之御名。天之御中主神。次高皇産霊神。次神皇産霊神。此三柱神者。並独神成坐而。隠御身矣。

4,平田篤胤『古史伝』冒頭部]

古天地未生之時。於高天原有神之焉。御名天之御中主神。次高皇産霊神。次神皇産霊神。此三柱神者。並独神成坐而。隠御身矣。

 

ごくごく簡単に言うと、『古事記』と『日本書紀』は天地の始まりの捉え方が全く異なるし、顕現してくる神々も違う。本居宣長は『古事記』を最高の書と尊んだ。それに対して、反旗を翻した平田篤胤は、最終的に、『古事記』と『日本書紀』の折衷案にした。『古史成文』は少し『日本書紀』寄り。だが、『古史伝』は『古事記』寄りになっている。

なぜ、こんな違いがあるのか? いささか、無節操ではないか? そう思うのですが、この違いは捨て置けません。「天地未生」の時に、「天の虚空」に「成る」三神が現われ出る。いや、「天地未生」の時に、「高天原」に「有る」三神が在る。この違いは大きいだろう。前者は生成論的、後者は存在論的。うう~む。なにゆえに?

 

そもそも、現代の稗田阿礼や太安万侶になろうとした平田篤胤は、国学のフレームを踏み外した国学者と言える。それはもはや国学者ではなく、万国学者であり、汎国学者であり、脱国学者である。

そんなこんなを考えながら、体調さえ整っていたら、2024年12月初旬に行なわれる次の神道学会でこの問題『平田篤胤『古史成文』における「天虚空」と『古史伝』における「高天原」の距離――幽りの神学の系譜②』と題して研究発表したいぜよ。

 

ところで、来月は、関係する本が3冊出ます。まず、チャールズ・ロウ著『神々が喜ぶ音楽』国書刊行会、次に、シンメイP著『東洋哲学超入門 自分とか、ないから』サンクチュアリ・パブリッシング、そして、鎌田東二著『予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学――大正十年の言語革命と世直し運動』平凡社、の3冊です。

いずれも、超おもろい、はず。もちろん、全部、ゲラ段階で読んでますが、大本の八雲琴の霊的音楽世界。東洋哲学の超超断捨離真髄把握。そして、今から100年前、1920年前後の破局的危機と世直し。

3者3様に、飛んでるわ。じつに、じつに、まともに。ぜひ書評ブログで自在にコメントください。

それでは、Shinさん、ご家族のみなさまのご健康とご健勝を心よりお祈り申し上げます。また、能登半島で被災された方々の苦しみが少しでも軽減されますように。

2024年3月25日 鎌田東二拝