シンとトニーのムーンサルトレター 第028信
- 2007.12.25
- ムーンサルトレター
第28信
鎌田東二ことTonyさま
メリー・クリスマス! 今日はいかがお過ごしですか? 神道に立脚しながらも、あらゆる宗教に対してオープンなTonyさんのことですから、きっとご自分なりのクリスマスを楽しまれていることと思います。クリスマス・イブの昨夜は見事な満月でしたね。満月のイブの夜! なんて素敵なことでしょう! まるで、「13日の金曜日」の反対みたいですね。
クリスマス・イブといえば、一昨年を思い出します。あの日の夜、東京自由大学でTonyさんや玄侑宗久さんたちと集いました。そして、一緒にクリスマス・ソングを歌いました。あれは、神道も仏教も儒教もキリスト教も関係ない、ただただ平和な一夜でした。ちょうど、わたしのホームページが開設された日でもあり、強く印象に残っています。
そして、2007年12月25日の今日も、思い出に残る日となりました。サンレーの本社機能も兼ねる小倉紫雲閣がリニューアル・オープンし、その隣接地に念願の「月の広場」が完成したのです。月の満ち欠けによって可変する噴水の周囲に四季折々に花が咲く木々を植え、「死」と「再生」をコンセプトにした庭園をつくりました。そこでは、「月への送魂」も行うことができますし、噴水の周りのロータリーを霊柩車がゆっくり通り、それを輪になった参列者が見送ることによって、かつての「野辺の送り」のような「残心」のある出棺が可能になりました。春は、桜の花びらが散ってゆく中を故人が見送られていきます。夜には、月に向かってレーザー(霊座)の一条の光が放たれ、ひとつひとつの「死」が実は宇宙的な出来事であることを示します。また、「月」をテーマにした「癒し」の多目的空間である「ムーンギャラリー」もあわせてオープンしました。
ムーンギャラリー
ムーンギャラリー
オープン式典には多くの方々やマスコミも訪れてくれましたが、わたしはそこで三首の短歌を披露しました。「新月の やがて満ちゆき 満月の やがて欠けゆき そして新月」「人は生き 老い病み死ぬるものなれど 夜空の月に残す面影」「あの人のぶんまで生きて 伝えたい 愛する人を亡くした人へ」の三首です。心をこめて詠みました。
また、今日、わたしは作詞家としてデビューしました。「千の風になって」とはまた違ったメッセージのグリーフソング「また逢えるから」を作詞したのです。作曲と編曲は、先月ご紹介したココペリです。歌も彼らが歌ってくれました。なかなか良い感じに仕上がったかなと自分では思っています。今度、CDを送らせていただきますので、神道ソングライターとしてのご意見、ご批判を頂戴できれば幸いです。
ところで、11月末には近藤高弘さんの展覧会が東京・青山の「スパイラル・ホール」で開催されましたね。本当はTonyさんと一緒に行きたかったのですが、お互いの予定が合わず、わたしは一足先に会場を訪れました。久々に近藤さん御夫妻にお会いできて、良かったです。作品も、どれも観る者の想像力を駆り立てる素晴らしいものばかりでした。特に、わたしは「OIL&WATER」という作品に心を惹かれました。近藤さんにお聞きすると、テーマが「石油から水へ」ということで、非常に驚きました。このレターでも何度か書いたように、わたしは、石油をめぐって血を流し合っている人間が、今後は、水をめぐって血を流し合う時代が来ると憂慮しています。そして、ブッダや孔子やソクラテスやイエスなどの聖人とは「水の精」であり、人類は「戦争」と「環境破壊」という二つの業への対処として、まず「水を大切にする」という思想を共有しなければならないと訴えていました。ですから、近藤さんの心とわたしの心がシンクロしたのがまことに不思議でもあり、たいへん嬉しくもありました。それでこそ、義兄弟です。本当に、すばらしい方を紹介していただき、Tonyさんには深く感謝しております。
すばらしい方といえば、最近、ヒューマンメディア財団理事長の合田周平先生と知り合い、非常に有意義でした。先生はシステム工学の権威で、特にロボットについての第一人者です。東京と北九州を往復する生活を続けておられますが、そのおかげで北九州市がロボット最先端都市として知られるようになりました。先日、上野の国立科学博物館で「大ロボット博」が開催されましたが、出展されているロボットのほとんどが安川電機や九州工業大学などによる「メイド・イン・北九州」でした。ロボットだけでなく、合田先生は宮本武蔵と中村天風についての研究者としても有名です。昨年は『こころの潜在力〜宮本武蔵と中村天風』(PHP研究所)という著書を上梓されています。なにしろ、「ロボット」について手塚治虫と対談し、「天風哲学」について稲盛和夫さんと対談されるような方なのです。「武道」と「ヨガ」の共通点などのお話は本当に刺激的です。Tonyさんとも絶対に意気投合されると思いますよ。いつか、ご紹介したいです。
「大ロボット博」でも明らかでしたが、これから多くのヒト型ロボットが登場します。特に介護ロボットをはじめとしたサービス・ロボットの可能性が注目されています。しかし、合田先生は「鉄腕アトム」的なヒト型ロボットには懐疑的です。また、「介護ロボットなんかに、自分は絶対に介護してもらいたくない」と断言されています。『サイバネティックスとは何か』(講談社現代新書)という名著の著者でもある合田先生には、人間とテクノロジーの関係における厳しい監視者の立場を今後も守っていただきたいと願っています。
人間とテクノロジーの関係については、『人間改造論』(春秋社)という、とても興味深い本を最近読みました。Tonyさんも、「クローンと不老不死」という一文を寄せられていますね。その中に紹介されている「イエス・キリスト=神のクローン人間」説や遺伝子操作でハエを「神」にする計画の実話には仰天しました。いやあ、メチャクチャうさんくさくて、面白いです! 提唱者のジョナサン・キーツには、これからも大注目ですね。もし、イエスがクローン人間なら、クリスマスはクローン人間の誕生日ということになりますね。
でも、クリスマスの真の主役とはイエスよりも、サンタクロースではないでしょうか。実は、わたしはここのところずっと「サンタクロースは実在する」という話をあちこちでしています。今朝、サンタクロースからのプレゼントを枕元で見つけて幸せいっぱいの次女は、小学2年生です。彼女は、わたしに「サンタさんはいるの?」と聞いてきました。
その答えは簡単。サンタクロースはいます! そのことを明らかにした『サンタクロースっているんでしょうか?』(偕成社)という素晴らしい絵本があります。次女と同じ8歳の少女ヴァージニアの問いに、アメリカの新聞社が社説として真剣に答えたという100年以上前の実話です。著者は、少女に対して「見たことがないということは、いないということではないのです」と、やさしく語りかけます。愛、思いやり、まごころ、信頼・・・この世には、目に見えなくても存在する大切なものがたくさんある。逆に本当に大切なものは目に見えないのだと記者は説きます。サンタクロースは、それらのシンボルなのです。
現代ほどサンタクロースの存在が求められる時代はありません。今度、お子さんやお孫さんから「サンタさんはいるの?」と聞かれたら、「もちろん、いるよ!」と答えてあげてくださいと、わたしは多くの方々に呼びかけています。新聞のコラムにも書きました。
また、わたしは色々な場所で「サービス業の意味」について話す機会が多いのですが、そのときにサンタクロースをよく引き合いに出します。現在、景気が回復してきたとのことで、学生の就職状況が好調です。大変結構なことですが、そのわりにサービス業の人気が低いのは困ったものです。サービス業が選ばれない理由としては、まず「休みが不規則」などが思い浮かびますが、最大の理由は他にありました。すなわち、製造業のように「仕事が形に残らないので不安」というのです。たしかに、目に見えない形なきものを提供するのがサービス業ですが、だからこそ価値があるのではないでしょうか。
それは、サンタクロースとまったく同じです。思いやり、感謝、感動、癒し、夢、希望など、この世には目には見えないけれども存在する大切なものがたくさんある。逆に本当に大切なものは目に見えない。そして、その本当に大切なものを売る仕事がサービス業なのですね。製造業はモノを残す仕事で、建設業は地図に残る仕事です。ならば、サービス業こそは心に残る仕事に他なりません。愛用している自動車やパソコン、またビルや橋を見ても、それに関わった人たちの顔は浮かんできません。でも、サービス業は違います。サービス業とは、サービスしてくれた人の顔が浮かんでくる仕事です。お客様の心に自分の顔が浮かんでくる仕事、こんな贅沢なことはありません。さらに、お客様から「ありがとう」の一言があれば、もう言うことはない。サービス業ほど素敵な商売はありません!
そんなことを北九州市立大学ビジネススクールの斎藤貞之教授にお話ししたところ、「それはライブ感ということですよ」とおっしゃっていました。斎藤教授は大学の教員という御自分のお仕事が大好きだそうですが、それは学生たちを前にして、彼らの反応がすぐに返ってくるというライブ感がたまらないからだとか。なるほど、「ライブ」感というのは、教師やミュージシャンや役者やサービス業従事者など、すべての「素敵な商売」に共通するキーワードかもしれません。ブロガーや物書きには絶対に味わえない世界です。Tonyさんも、大学での授業のほか、神道ソングライターとして「ライブ」の世界にどっぷり浸かって生きておられるわけですね。ダニエル・ベルは「脱・工業化社会とは、人間が人間を相手にする社会である」との名言を残しています。まさに、「生の」人間に接するという「ライブ」感こそ、「心ゆたかな社会」に通じるカギかもしれませんね。
それでは、今年もお世話になりました。Tonyさん、良いお年を!オルボワール!
2007年12月25日 一条真也拝
一条真也ことShinさま
昨夜の満月は本当にうつくしかったですね。わたしはいつも行く広場で、バク転をしながら満月が昇ってくるのを見ていました。今日もそこへ行ってバク転をしているうちに、雲間から朧月の十六夜が見えてきて、これもなかなか風情がありましたよ。
ともあれ、Shinさん、早いものですね。今年もあと6日で幕を閉じます。今日はクリスマス。メリー・クリスマス! そんなメールを何人かにしましたら、「鎌田さんが『メリー・クリスマス!』と言うのは意外だ」と返事を返してくれた人がいました。その人に、「わたしは、パリ生まれの典型的な日本人です。Tony Paris KAMATA」とレスしましたよ。なにしろ、わが神道論は、『神と仏の精神史——神神習合論序説』(春秋社、2000年)で展開したように、「神仏習合」や「神儒仏習合」や「神基仏習合」をすべて包摂する「神神習合」説ですからね。メリー・クリスマスなんて、ぜんぜんおかしくないし、もちろん、サンタクロースはいると信じていますよ。
義兄弟の一人・近藤高弘さんの個展は、12月2日の日曜日に、わたしたちモノ学・感覚価値研究会のメンバー7名で行きました。その日は、朝から秋葉原の電気街と神田神社を見学参拝した後、急ぎ、アキバの冥土喫茶を3軒もフィールドワークして(その内、2件は11時には準備中で開店していなかった。開店を待っていた若者もかなりいた。俺は、「お兄ちゃん、お帰りなさい!」と言ってくれる妹系冥土喫茶に行きたかったぜい!)、青山のスパイラル・ホールでの近藤さんの個展に行ったのでした。いかにも現代を感じさせるスパイラル・ホールの空間と近藤さんのコンテンポラリーかつ未来的な作品がじつにほどよくマッチングしていて、いい味出してましたね。近藤さんて、体育会系なのに、ほんと、オシャレなんだよね。義兄弟3人組の中で一番オシャレだね、彼が。次がShinさん。パリ生まれのわたくしが一番泥臭いぜ。嗚呼! なんと言っても、「フンドシ族ロック」だもんな。
「フンドシ族ロック」と言えば、11月に1回、12月に2回、フンドシ一丁で「フンドシ族ロック」を歌いましたよ! 11月23日は京大植物園まつりの特設ステージで。12月1日は東京世田谷梅ヶ丘のCrazy Catsで、シンガーソングライターKOWとの対決ライブで(残念ながら、本年は我輩の負けなり)。そして12月21日には東京新宿の日蓮宗のお寺・常圓寺の祖師堂で。わが白フン、大活躍の師走なり。ありがたきかな。
その21日は大忙しの日で、常圓寺でのトーク&ライブの前に、3時から有楽町駅前の1200人も入るよみうりホールで、三十三間堂(妙法院)の門跡(門主)さんと「仏となった神——『神仏習合』と日本人の信仰」という講演会。門跡さんとは、早稲田大学文学部名誉教授で神仏習合思想研究の権威・菅原信海先生。信海先生は、早稲田大学で教鞭を執る傍ら、日光山輪王寺の塔頭寺院の住職や輪王寺の執綱を務めてきた天台宗勧学大僧正。また、京都古文化保存協会の理事長さんもしている学僧で、春秋社から『神仏習合思想の研究』『日本人と神たち仏たち』『日本思想と神仏習合』などの著作を出版されています。講演の前後にいろいろと話をしていると、平田篤胤にたいへん興味を持っている由。平田篤胤はんに関心ある人はおもろい人が多いので、すっかり意気投合しましたよ。Shinさんもぜひ菅原先生の本を読んでみてちょ。
ところで、わたしは12月17日(月)に、春日大社のおん祭を見学しました。大学の授業が終わって急ぎ駆けつけたのですが、一番見たかった演目の細男(せいのう)の舞は終わっていて、その後の神楽式に移っていました。このおん祭は壮麗なる神楽や舞楽の奉納上演で有名ですが、そのお旅所祭の「神遊び」は、①神楽、②東遊び、③田楽、④細男、⑤神楽式、⑥和舞、⑧舞楽(振鉾三節、萬歳楽、延喜楽、賀殿、長保楽、蘭陵王、納曽利、散手、貴徳、抜頭、落蹲)の順で粛々と行われていきます。神楽式には間に合って近くで座って見学できましたが、すばらしい緊張感でしたね。
そして、それが終わって、10時半過ぎから還幸の儀。これは神様が若宮殿に御帰りになる儀式です。皇學館大學の百人近くの白衣姿の学生神職に囲まれて神様が動座していくのです。その時、行列の中から「オーッ、オーッ!」と野太い警畢の声が混声合唱のように上がってきます。声のオーケストレーション。照明は完全に消されています。携帯電話の灯りさえ、消してと指示されます。もっとも、携帯嫌いのわたしにはその方が静かでいいけどね。
夜の底を船団のような一行が野太い声を上げながら春日山の方に歩いていくのです。その光景はじつに不思議で、神秘的で、怖ろしくて、美しい! 若宮の神さまは、夜中の0時に若宮殿を出られて、お旅所に遷幸され、暁祭、本殿祭、お渡り式、お旅所祭(神遊)を終えて、その日の内に還幸されるのです。シンデレラのように、24時間以内に社殿に戻らなければならないのです。この日、神さまはとてもいそがしいのです。うつくしくもものかなしげな8日月が、天空からこの光景をじっと目を凝らして見つめていました。
その「還幸の儀」の光景は、涙が出るほど美しく、力強く、純粋でした。神の臨幸。西行法師ではありませんが、
なにごとのおはしますか知らねども
かたじけなさに涙こぼるる
という感慨が湧いてきました。目にははっきりとは見えないけれど、神がたましいとしてまぎれもなく「おはす」というリアルな、そそけだつ感覚。ゾクゾクするような、ワクワクするような、ジンジンするような、クラクラするような、そのありがたくかたじけない感覚に天を見上げました。オリオンとお月さまが見つめ返してくれました。
わたしは、15年以上前に、美学者で滋賀県立大学教授の梅原賢一郎さんと一緒におん祭を見たことがあります。梅原さんはその後、『カミの現象学』(角川書店)という本を出版しましたが、その時は帰りの電車に間に合わすために、還幸の儀を見ずに帰ったのでした。そこでわたしは、今回初めて有名な還幸の儀を見たのです。評判どおりの儀式でした。言葉にならないリアリティがありました。言葉に窮するというのではなく、言葉を無化する圧倒的な存在感がその場にあふれ出ました。日本神道の祭りの神髄を垣間見た思いでした。
春日大社のホームページには、おん祭のことが次のように説明されています。
<春日大社の摂社である若宮の御祭神は、大宮(本社)の第三殿天児屋根命と第四殿比売神の御子神であり、その御名を天押雲根命と申し上げます。平安時代の中頃、長保五年(1003年)旧暦三月三日、第四殿に神秘な御姿で御出現になり、当初は母神の御殿内に、その後は暫らく第二殿と第三殿の間の獅子の間に祀られ、水徳の神と仰がれていました。/長承年間には長年にわたる大雨洪水により飢饉が相次ぎ、天下に疫病が蔓延したので、時の関白藤原忠通公が万民救済の為若宮の御霊威にすがり、保延元年(1135年)旧暦二月二十七日、現在地に大宮(本社)と同じ規模の壮麗な神殿を造営しました。若宮の御神助を願い、翌年(1136年)旧暦九月十七日、春日野に御神霊をお迎えして丁重なる祭礼を奉仕したのが、おん祭の始まりです。>
この祭りは、保延2年(1136)に時の関白藤原忠通(1097〜1164)によって始まったというのです。藤原忠通は摂政や関白や太政大臣を務めた藤原氏の氏の長者で、藤原忠実の長男でした。この人の息子の中に、九条兼実や慈円がいます。娘には崇徳天皇の中宮となった聖子や、二条天皇の中宮となった育子が、そして養女には、近衛天皇の中宮となった呈子がいます。忠通は鳥羽天皇の関白となり、その後、崇徳天皇、近衛天皇、後白河天皇の3代の摂政・関白を務めました。その摂関歴は37年におよびます。それはは高祖父である藤原頼通の50年の長さに次ぐ長期政権でした。詩歌や書に優れ、法性寺殿と呼ばれ、『法性寺関白集』と題した漢詩集、『田多民治集』の家集があります。
おん祭は、この藤原忠通が大雨洪水による飢饉と疫病に苦しむ時代の救済のために、春日野の地に第三殿の神・天児屋根命と第四殿の神・比売神の御子神とされる若宮・天押雲根命の神霊をお迎えし、神楽や雅楽を奏して丁重にお祀りしたのが起源とされるのです。 この盛大なる祭りのご利益があってか、長雨洪水も治まり、晴天が続いて危機を脱することができたので、以後この方、戦時中においても一度も途切れることなく、今日まで毎年、五穀豊穣・万民安楽を祈る祭りとして継続されてきたというのです。
じつは、この藤原忠通は、わが家の先祖鎌田正清が主君源義朝とともに殺された平治の乱(1159年)の前年まで関白を務めていた人です。忠通の実子で天台座主を務めた慈円は、著作『愚管抄』の中で、保元の乱(1156年)と平治の乱以後は「乱世」となり、「武者の世」となったと述べていますが、源義朝は保元の乱では後白河天皇とこの藤原忠通の側について勝利を収めたのです。しかし、3年後、源義朝は熊野詣でに出た平清盛の留守を狙ってクーデターを起こし、平治の乱となりました。が、報せを聞いて急ぎ取って返した清盛軍に破れ、敗退して、尾張国知多半島の野間・長田の庄の鎌田正清の妻の実家平(長田)忠致の元に身を寄せますが、そこで騙し討ちにあい、殺されてしまいます。年末から正月にかけてのことでした。正清は酒を飲まされ、酔ったところを切り殺されたと言われています。わが家ではそのために、今に至るも正月3ヶ日、一切お酒を使いませんし、飲みませんし、お供えもしません。酒なし正月を過ごすのです。
春日大社のおん祭がその保元の乱と平治の乱の中心人物の一人であった藤原忠通によって始められたというのも、因縁を感じました。世は乱れに乱れ、親子兄弟が敵味方になっってあい争い、殺し合い、血で血を洗う末法の世となり、飢饉と疾病と戦乱で地獄のような世界が現出したのがこの時代だったのです。そんな時代の暗雲をなぎ払い、氏の長者の威信を以って人心不安を解消する、見るも綾なる絢爛豪華な祭礼を行なったのがこのおん祭だったのですが、しかしその23年後、平治の乱は起こり、その後も源平の合戦となり、武力政治の時代となっていき、摂関政治は終わりを告げたのです。その摂関勢力の最後の実力者がおん祭のスポンサーであった藤原忠通でした。
ところでわたしは、このおん祭で上演される細男の舞がとても気になっています。この舞は異様です。舞いもヘンですが、楽もじつにヘンです。調子っぱずれで、アヴァンギャルドなのです。じつにじつに、アヴァンギャルドな無調性の音楽です。わざわざこのような音楽を作った神経と思想がどのようなものだったのか、わたしはその成立の謎を解いてみたいと思わずにはいられません。わたしは今この細男にぞっこんまいっているのです。どのようなコンテンポラリーダンスや前衛音楽よりもコンテンポラリーで前衛だったと。とまれ、この謎解きは来年の楽しみにとっておくことにしましょう。それではShinさん、よいお年をお迎えください。さらなるおのれの使命をお果たしください。また会う日まで、ごきげんよう。オルボワール!
2007年12月25日 TONY PARISこと鎌田東二拝
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