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シンとトニーのムーンサルトレター 第090信

第90信 

鎌田東二ことTonyさんへ

 今年最後の満月が上りました。早いもので、あと3日で今年も終わりですね。わたしは、師走の慌しい中、台湾に行ってきました。4月の韓国に続く、東アジア冠婚葬祭業国際交流研究会のミッションです。12月12日の早朝、わたしは福岡空港から中華航空に乗って台北の松山空港に飛びました。ちょうど、北朝鮮が弾道ミサイルを発射したときであり、まさにわたしの飛行機とミサイルは至近距離で飛んでいたことを後から知り、ゾッとしました。

 また、13日に台湾の海岸線から、ガイドさんに案内されて尖閣諸島の方角を眺めました。すると、まさにその時に中国が尖閣の上空を領空侵犯していたのです。なんたる偶然!
なんだか、わたしの運命は東アジアに翻弄されているような感じです・・・・・。

 それはともかく、ミッションの一行は、台湾政府内政部、台北市営斎場、龍山寺、中華民国殯葬礼儀協会、台湾大学附属病院、龍厳公司(白沙湾安楽園)などを視察し、大いなる収穫がありました。

道教の聖地・龍山寺

道教の聖地・龍山寺席取りのための椅子に座る

席取りのための椅子に座る
 内政部衛星局によれば、2011年末の台湾における人口は2344万4912人でした。死亡者数は15万2030人(日本は126.1万人)で、1981年の86204人と比較すると、この20年間でほぼ倍増しています。

 台湾の葬儀ですが、道教信仰が強いため、火葬や葬儀、埋葬や納骨の日にちは陰陽五行説によって決定されます。通常は死後2〜3週間以内に葬儀が行われますが、場合によっては半年〜1年ということもあるそうです。また、道教式では陰暦7月の葬儀は避けるそうですが、暑い時期なのに大変ですね。

 仏教式には、このようなタブーはありません。しかし、死後8時間は遺体を動かさずに読経し続けなければなりません。そのため、これまで病院で亡くなる場合には、臨終が迫った病人に呼吸器をつけて家まで運ぶか、遺体となってからすぐに運ぶかの選択を迫られていました。でも最近では、病院側が多額の費用をかけて、死後に読経ができる往生室が設置されています。今回、実際に視察した国立の台湾大学病院の霊安室は280坪もの広さがあり、往生室は仏教徒向けに8時間まで使用することができるということでした。

 国立大学病院の地下に遺体を供養する部屋が設置されているということに、わたしは静かな感動をおぼえました。台湾大学病院の広いロビーでは、毎日、クラッシックのミニ・コンサートも開催されており、多くの患者さんたちが演奏に聴き入っていました。いろんな意味で、非常に進んだ素敵な病院でした。

 それから、道教の代表的寺院である龍山寺を初めて訪れたのですが、人の多さに驚きました。イメージでいうと、日本の浅草の浅草寺に似ているでしょうか。ちょうど、絵馬の購入を目的とする人々が寺を取り囲んでいるのですが、場所取りに小さな椅子を置いていました。この光景を見て、わたしは台湾の人々の「現世利益」にかける情熱を見たような気がしました。

 さて、今回のミッションで最もインパクトを受けたのは、「龍厳股份有限公司」の視察でした。1992年5月に設立された 龍厳股份有限公司は、もともと電子部品の会社でしたが、将来性が見込める有望な新規事業として霊園事業に進出しました。霊園事業に続いて、葬祭事業にも進出。その際、日本の公開企業である冠婚葬祭互助会のサン・ライフメンバーズ(株)に指導を仰ぎました。台湾での葬祭事業は、ジャパニーズ・フューネラルとしての「日式葬儀」のブランドを打ち出します。

 2011年2月、台湾で株式上場を果たしました。葬祭・霊園関連企業では、台湾における唯一の公開企業です。同社の主要業務は、生前契約、葬祭サービス、墓苑および納骨など。生前契約は20年間で約20万件獲得しています。年間売上げは、日本円で約150億円。売上げの内訳は、主に葬儀・納骨・永久管理(永代供養)料など。経常利益は約40億円です。これは、台湾における全サービス業の中でも4位の業績です。台湾における葬儀社数は約3200社、年間(2001年)の葬儀件数は15万2915件。龍厳の葬儀件数は4599件、生前契約のある葬儀社では龍厳が最大手となり、また墓苑最大手でもあります。

 龍厳の墓苑は台湾国内に全部で6ヶ所あります。われわれが訪問した「白沙湾安楽園」の広さは、約20万坪。道教思想にもとづく「風水」によって設計されています。さらには、8年後に開業予定の「安藤忠雄世紀霊園」が約15万坪です。「安藤忠雄世紀霊園」は、日本を代表する建築家である安藤忠雄氏の設計による新時代の納骨施設で、もはや芸術作品そのものです。白沙湾安楽園の納骨ビル「真龍殿」には、各種のプレゼンテーション・ルームが設置され、骨壷、施設の説明、さらには「風水」思想についての解説まで行います。いずれも最新の映像技術を駆使して演出が凝らされており、まるで博覧会のパビリオンかテーマパークのアトラクションのようでした。

白沙安楽園の真龍殿の前で

白沙安楽園の真龍殿の前で黄金の三大仏

黄金の三大仏
 「真龍殿」内には、黄金の大仏が三体も納められている空間があります。向かって左から阿弥陀如来、釈迦如来、薬師如来ですが、大仏の大きさは5・5mで、台座を入れると9.9m。それぞれ純銅に金メッキが施されているそうです。龍厳の副総裁である藤林一郎氏によれば、この三体の大仏だけで総建設費の半分の価値があるとのこと。約120億NT$(約336億円)の葬建設費の半分とは、約60億NT$(約168億円)、つまり大仏一体で56億円ということになります。ちょっと、凄すぎますね。

 最後に、「真龍殿」の1階には副葬品のコーナーが設置されていました。それには、アクセサリー、家電、自動車、家屋などの紙の模型とともに、紙幣の模型もあった。もっとも人気のあるのは、紙幣だそうです。

 それにしても、土葬の平均価格が約2000万NT$(約5600万円)というから驚きます。ここまで土葬が高い背景には、台湾の人々が「土葬の方が(死者の)エネルギーが残る」と信じているからです。土葬に比べて、火葬ではエネルギーが残らないというのです。とはいえ、面積の狭い台湾国内には土葬の用地は限られている。台湾政府も火葬を奨励していますが、それでも人々は土葬を希望します。よって、土葬のスペースを確保できる龍厳のような巨大資本でないと儲からないというシステムになっているわけです。

 とにかく「真龍殿」の巨大さ、豪華さには圧倒されました。また、価格の高さにも仰天しました。墓にかける台湾人の思いを痛感した次第です。そして、その背景にある「風水」思想の奥深さに興味を抱きました。

 話題は変わりますが、12月25日のクリスマスの日、沖縄に新しい紫雲閣がオープンしました。クリスマス・イブの24日、わたしの乗ったANA機は那覇空港に降り立ちました。クリスマス寒波が各地に到来し、北九州では雪も降りましたが、沖縄は気温約20度で暖かかったです。25日、沖縄県名護市で「北部紫雲閣」の竣工式が開かれました。昨年4月には、嘉手納基地のすぐ近くに「中部紫雲閣」をオープンしました。今度の「北部紫雲閣」は、普天間基地の移転先とされた辺野古のすぐ近くです。ちなみに、わたしはセレモニーホールとは精神文化の拠点であり、究極の平和施設であると思っています。思い起こせば、普天間基地の移転問題から、民主党政権は迷走を始めました。 新しい年の訪れを目前とし、日本と世界の平和を願わずにはおれません。

 ところで、沖縄県名護市は「あけみおのまち」と呼ばれています。その意味について、名護市のHPには「あけみおとは、夜明けの美しい静かな入り江の青々とした水の流れの意」と書かれています。海のかなたのニライカナイから人々に豊穣をもたらす流れであり、海の外へと広がり行く水の流れでもあります。人々の幸せを願い、可能性に向かって突き進む名護市の進取の精神が込められているのです。そこで、わたしは本日の竣工式の施主挨拶の最後に次のような短歌を詠みました。

 「あけみおのまちに生まれし 幸せの紫の雲ニライカナイへ」

 新セレモニーホールを幸福の楽園ニライカナイへの港にしたいと願っています。

 それから、クリスマスの日に、わたしの新しいサイトが開設されました。オフィシャル・ブックレビュー・サイト「一条真也の読書館」です。

 ここには、これまで、わたしがブログに書いてきた多くの書評が整理されています。じつは、11月6日にオフィシャルサイト「ハートフルムーン」内に「読書館」を開設しました。それを今回、大幅なリニュアールを経て、新サイトとして独立させました。

 カテゴリーも26から36に増えて、とても見やすくなりました。「読書論・読書術」「書評・ブックガイド」「社会・コミュニティ」「国家・政治」「経済・経営」「マーケティング・イノベーション」「メディア・IT」「コミュニケーション」「心理・自己啓発」「人間学・ホスピタリティ」「帝王学・リーダーシップ」「論語・儒教」「哲学・思想」「日本思想」「宗教・精神世界」「心霊・スピリチュアル」「神話・儀礼」「民俗学・人類学」「オカルト・陰謀」「格闘技・武道」「映画・芸術」「恋愛・結婚」「人生・仕事」「死生観」「グリーフケア」「冠婚葬祭」「歴史・文明」「評伝・自伝」「エッセイ・コラム」「文芸研究」「小説・詩歌」「ホラー・ファンタジー」「SF・ミステリー」「児童書・絵本」「コミック」「幸福・ハートフル」の36のカテゴリーです。

 Tonyさんの著書や編著もたくさんありますので、ぜひサイト内検索をお使い下さい。いま、この書評をまとめてブックガイドを出版するという企画も進行しています。よろしければ、新しい「読書館」をご笑覧下されば幸いです。

 沖縄から小倉に戻ってからは、もう毎晩が忘年会です。忘年会のカラオケタイムの最後では、わたしが矢沢永吉のナンバーを歌います。上半身裸で、白の上下のスーツに白い靴、さらには白のパナマ帽で歌うわたしの勇姿をTonyさんにもお見せしたかったですね。いや、ほんとに。

沖縄・北部紫雲閣にて

沖縄・北部紫雲閣にて忘年会で歌う一条真也

忘年会で歌う一条真也
 今年は、会社と個人の両方で、多くの出来事がありました。高齢者介護事業に進出し、結婚式場の新規設備投資を再開し、10のセレモニーホールをオープンさせました。また、孔子文化賞を受賞させていただき、「世界平和パゴダ」の運営にも協力させていただくことになりました。Tonyさんにも、大変お世話になりました。このレターも、気づけば第90信! 『満月交感』上下巻(水曜社)を上梓してから、さらに一冊分の文通を行ったわけです。いったい、このムーンサルトレター、いつまで続くのでしょうか?ともかく、来年もよろしくお願いいたします。どうぞ、良いお年をお迎え下さい。オルボワール!

2012年12月28日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 Shinさん、いつもながらのエネルギッシュな活動に敬意を表します。この1年、実に精力的に動きましたね。足も、手も、口も、頭も。すごい、です。

 さて、わたしの方はといえば、こちらも例年になく忙しかったですね。特に、11月に行なった第30回比較文明学会と第8回地球システム・倫理学会の合同学術大会を京都大学で行ない、その実行委員長を務めたので、その準備と実施で今年は明け暮れたという感じです。シンポジウムの開催などは、NPO法人東京自由大学や、こころの未来研究センターなどでしょっちゅうやっているので、何ともありませんが、数百人の会員を擁する学会の年に1度の学術大会、それも、第30回という節目の学会と、合同大会という二重・三重の負荷がかかっていたので、いろいろと大変ではありました。

 とはいえ、副実行委員長の小倉紀蔵京都大学教授を始め、小倉研やわたしの研究室や学生・院生が手伝ってくれたので、いろいろと不慣れや不備はあったとはいえ、無事有意義な形で盛況裡に終えることができました。ほんとうに、ありがたいことです。

 この1ヶ月の間にも、勤め先での研究報告会を始め、いろいろなシンポジウムや研究会や研修会が次々とあって、その日程をこなしていくだけでも、大変でした。風邪を引いて体調など悪くしようものなら、周りに迷惑をかけてしまうので、気を使いました。

 が、疲れからか、12月12日に、急に寒気がして胃が重くもたれ、発熱しました。一晩寝ると熱は下がったので、12月13日には、領国で行われた東京ノーヴイ・レパートリーシアター主催の国際シンポジウムに参加しました。テーマは、「この現代を、勇敢に大胆に生き抜くには…!」というものでした。

 東京ノーヴイ・レパートリーシアターは、この時期、領国のシアターχで、ブレヒト作・アニシモフ演出の『コーカサスの白墨の輪』を公演しました。その3時間半にわたる公演を観てから、シンポジウムに臨みました。パネリストは、李哉尚 (イー・ジェサン、 演出家・劇作家・韓国)、井出勉(作家・日本ペンクラブ事務局長代理)、上田美佐子(シアターX芸術監督・演劇プロデューサー)、釋一祐(日蓮宗僧侶、大垣市寳光寺代表)、田口ランディ(作家)、レオニード・アニシモフ(演出家・東京ノーヴイ・レパートリーシアター芸術監督・ロシア功労芸術家・芸術学教授・全ロシアピョートル大帝科学芸術アカデミー会員・ロシア)、セルゲイ・ヤーチン(ウラジオストック工科大学教授・学部長・哲学者・ロシア)、そして、鎌田東二と、司会の木村光則(毎日新聞社学芸部記者)という顔ぶれでした。

 奇人変人倶楽部の設立同志であるアニシモフさんの呼びかけに応じて、体調不良の中で、苦しい思いを押して、シンポジウムに参加しましたが、参加して本当によかったと思いました。それは、何よりも、上演作がよかったことと、ブレヒトという作者・思想家に対する関心が芽生えたためでもあります。

 「人間らしく生きることは危険だ。それでも生きることを恐れるな。」という言葉を、ブレヒトは発信したと言います。公演&国際シンポジウムの広報文には、<人間の尊厳と、手に入れたものを失いたくないという葛藤。すべての人間の中にある残忍さ・子供と母親の問題・領地問題などなど、ブレヒトの提示する問題は今もかわりがありません。「演劇芸術の使命は、観る者の意識を変えること」とアニシモフは言います。未来を力強く生きるために今、私たちが出来る事は?!それぞれの専門分野のお立場からの考え、智恵、体験などをお話し頂き、参加の皆様と共に「考える場」にしていきたいと思います。>とありました。

 ヘルベルト・ブレヒト(1898〜1956)のことは、『三文オペラ』や『肝っ玉お母とその子供たち』の戯曲作者で、「異化効果」の演劇理論の提唱者というくらいの知識しかありませんでした。彼の戯曲は、しかし、今に至るも、何一つ読んだことはありません。

 そのどこが、どうよかったか? それを、うまく言うことができません。この作品は喜劇的で寓話的だということでしたが、わたしには大変大変リアルでした。東京ノーヴイ・レパートリーシアターのホームページには、次のように案内が出ていました。

 「戦争の絶えないコーカサスを舞台に、誇り高くも無邪気な人々が大胆に生き抜く寓話劇。ヒットラーの政権下、亡命をよぎなくされた詩人・作家ブレヒトの痛烈な風刺が今を映し出す。」

 「領主が反乱軍に殺され、産まれたばかりの領主の子供が置き去りにされてしまった。宮殿の料理女グルシェは赤ん坊を見殺しに出来ず抱いて逃げる。子供の命を狙う兵士から逃れ、氷河を越え、苦難の末に自分の子として育てていく決意をする。やがて内乱が終わり、領主夫人が子どもを連れ戻しにやって来た。産みの親と育ての親、どちらが真実の母親か?!かくして裁判は混乱の最中ひょんなことから裁判官にさせられたアツダクの手にゆだねられた。」

 復活祭の日曜の夜に反乱が起こり、領主は殺されます。そして、領主の子供の赤ちゃんミヘルは召使のグルシェが連れて逃走します。その逃走の苦難の中でグルシェはミヘルを捨てようとしますが、どうしても捨てることができず、故郷に連れて帰ります。そのグルシェの子供に対する愛のありようが経糸で、緯糸に、裁判官アツダクの裁判の様子が描かれます。この稀代のトリックスターの酔っぱらいのアツダクが不思議な直感と論理で、次々に裁いていって、その最後の裁判がグルシェと領主夫人の子供争奪裁判でした。アツダクは、子供のミヘルを白墨の輪の真ん中に立たせて、両側からグルシェと領主夫人に幼子の手を引っ張らせるのでした。そして、その結果は・・・。

 う〜ん。それは、・・・観てのお楽しみ。でもありますが、予想された結末でもあり、どこが「異化効果」なのかはわかりませんでしたが、わたしはなぜか、『古事記』の「国譲り」のことを考えたりしていました。生存とは何か? 生存哲学というか、生存戦略というか、生き延びていくということは、いかなることなのか? などと。

 あるいはまた、生存と、尖閣諸島や竹島などの「国境・領土問題」など、「所有」の問題を考えさせられました。そうした状況において、「国譲り」とは何であったのか? とも。

 「国作り」をした国土所有を放棄することによって生き延び出雲大社に祀られることになる大国主神とは、いったい、何者なのか? いかなる存在なのか? そして、大国主神が発信しているメッセージとは何なのか? と。

 ブレヒトが、わたしの中の「出雲神話」を別のところから揺さぶったのです。これこそ、ブレヒトの言う「異化効果」だったかもしれません。

 日本の政治は、自民党政治に逆戻りしました。脱原発や卒原発も、一挙に「異化効果」ならぬ「無化効果」されつつあるように思います。未来は脱原発というか、廃原発しかないと思いますが、「所有」をめぐって、「子供」を両側から引っ張り合うような状況が生まれて、「領主夫人」の手に渡ったかのような現状ですね。

 わたしにとっては、このようなこともあるかなと思うような展開でしたが、しかし、それによって、未来はますます混沌とし、「岩戸開き」もできないような状況に陥っていくと思わざるをえません。

 『古事記』編纂1300年の本年は、わたしにとって、本質的に「古事記ルネサンス」の1年でした。もちろん、日向と出雲と大和という、『古事記』ゆかりの地で行われた3つのシンポジウムや学会に引っ張り出されたこともそうでしたが、夏風邪に唸りながら『古事記ワンダーランド』(角川選書)をまとめたことが、もう一度、わたしのハートに「古事記熱」を発熱・発火してくれました。

 おかげさまで、『古事記』の面白さに、深く、改めて、眼を開かれたのです。『古事記』は実に面白く不思議な文書です。ほんとに。稗田阿礼も太安万侶も実に謎の人物です。稗田阿礼は男性なのか女性なのかもよくわからないくらい、不思議な存在です。わたしはもちろん、平田篤胤や柳田國男や折口信夫や三谷栄一諸氏とともに、稗田阿礼女性説ですが、ね。

 いずれにしても、わたしにとっては、もっとも、不思議で面白いのは、怒涛の如き意表を突く出雲神話の展開です。苦労して「国作り」をした神があっさりと「国譲り」をするなんて、考えられないことではないでしょうか? どうして? どうして? なにして? なにゆえ? なんで?

 出雲大社(杵築大社)と引き換えに、「幽(かくり)」世にお隠れになるという、まさに、大本の国祖隠退神話の原型のような、「大国主」という「国祖」のご隠退物語。これには、恐れ入ります。

 NHK大河ドラマの「平清盛」のように、ガチンコ源平の合戦をやらなかったんですよね。そこでは。中世武士からすると、「国譲り」なんて、ありえないような、腰抜けか? 超超ウルトラCか? 抜け道か? 誰もが思いつきもしない「奇策」ではないでしょうか? 外交政策としても、実に思慮の深い、考え抜かれた政策だったのかもしれません。「無血革命」の理想形ともいえるのかも!?

 とにかく、とにかく、すごい「想定外」の大展開・大転換ではないでしょうか? こんなパラダイム・シフトを誰がどう考えたのか? 『古事記』1300年の本年、わたしの頭脳はグズグズにさせられました。その『古事記』の問いがグルグルと頭と心と魂を駆け抜け、めぐり巡りつづけています。そして、そのグルグルを踏まえて、もう1冊『古事記』についての本が書きたくてムンムンしています。それほど、『古事記』の面白さと謎に魅かれ、痺れたのでした。それが、わたしの本年の「古事記ルネサンス」でした。

 この謎と問いは、年越し蕎麦くらいでは、区切りがつきません。年を越し、世紀を超えて、「脱原発」の問いとともに、さらにさらに発酵(発光)しそうです。

  と、支離滅裂な頭ですが、ご家族のみなさまとともに、よいお年をお迎えください。来年も引き続き、よろしくお願いいたします。

2012年12月28日 鎌田東二拝