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シンとトニーのムーンサルトレター 第089信

第89信

鎌田東二ことTonyさんへ

 姫路から東京へ向かう新幹線ひかりの車中で、このレターを書き始めています。11月27日、姫路で冠婚葬祭互助会の全国団体である全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)の事業継承セミナーが開催されました。わたしは同協会の理事で事業継承委員長ですので、セミナーの責任者として参加しました。セミナー後は懇親会、二次会、三次会、四次会(なんだか四次元みたいですね)で業界の仲間としこたま酒を飲みました。その翌日、二日酔いの頭を抱えながら、このレターを書いている次第です。

 ところで、先日はTonyさんに東京でお会いできて嬉しかったです。今月6日、7日の両日、ホテルオークラ東京において「ダライ・ラマ法王と科学者との対話〜日本からの発信」が開催されました。わたしたちは、そのイベントに参加し、聴講しました。

 イベントの趣旨は、パンフレットによれば以下の通りです。「宇宙や生命のより深い理解のために、世界の諸問題の解決のために、チベット仏教の最高指導者でノーベル平和賞受賞者のダライ・ラマ法王14世と日本を代表する科学者たちが共に互いの境界線を越え交わることで、今までにない新たな科学の創造の可能性に挑む」

 1日目はダライ・ラマ14世のオープニング・スピーチに続いて、セッション1「遺伝子・科学/技術と仏教」には村上和雄氏(筑波大学名誉教授・農学博士)、志村忠夫氏(静岡理工科大学教授・工学博士)が、セッション2「物理科学・宇宙と仏教」には佐治晴夫氏(鈴鹿短期大学学長・理学博士)、横山順一(東京大学大学院教授・理学博士)、米沢富美子氏(慶應義塾大学名誉教授・理学博士)が、2日目のセッション3「生命科学・医学と仏教」には柳沢正史氏(筑波大学—テキサス大学教授・医学博士)、矢作直樹氏(東京大学大学院教授・医学博士)、河合徳枝氏(早稲田大学研究院客員教授・医学博士)、そしてクロージングセッションとなるセッション4「新たな科学の創造への挑戦〜日本からの発信〜」には全出演者が登場しました。

 日本を代表する科学者たちがダライ・ラマ14世と総括的対話を行った後で、最後はダライ・ラマ14世からのスピーチでイベントは盛会のうちに幕を閉じました。なお、すべてのセッションを通じてモデレーターは、ジャーナリストで元「朝日ジャーナル」編集長の下村満子氏でした。非常に刺激的なイベントで、4つのセッションが開かれているあいだ、わたしは必死になってメモを取っていました。特に、わたしに今回のイベントへの参加を誘って下さった矢作直樹氏による霊性の領域に踏み込んだ勇気ある発言には感動しました。また、それに対するダライ・ラマ14世の言葉も世界最高の宗教家としての深い見識に満ちたものでした。

 ところで、法王様はわたしと2度も握手して下さり、大変感激しました。いやあ、良い思い出になりましたね。わたしは、もともと「現代の聖人」としてのダライ・ラマ14世を深くリスペクトしており、その著書はほとんど読んでいます。また、2008年11月4日に北九州市で開催された講演会にも参加しました。それは福岡県仏教連合会が主催するイベントでしたが、わが社はパンフレットの広告などで協力させていただきました。わたしは、多くの僧侶たちと一緒に「現代の聖人」の話を聴きました。

 ダライ・ラマは、これまで世界各地の行なってきた講演と同様に、「思いやり」というものの重要性を力説していました。そして、人を思いやることが自分の幸せにつながっているのだと強調したうえで、「消えることのない幸せと喜びは、すべて思いやりから生まれます。思いやりがあればこそ良心も生まれます。良心があれば、他の人を助けたいという気持ちで行動できます。他のすべての人に優しさを示し、愛情を示し、誠実さを示し、真実と正義を示すことで、私たちは確実に自分の幸せを築いていけるのです」と述べました。

 2011年10月29日、ダライ・ラマ14世は日本を訪れました。高野山大学創立125周年の記念講演を行うため、そして東日本大震災の被災地で犠牲者の慰霊と法話を行うためです。ダライ・ラマ14世は、仏教には特に「科学」に非常に近い性質があるとして、著書『傷ついた日本人へ』(新潮新書)において次のように述べています。

 「仏教も科学も、この世界の真理に少しでも迫りたい、人間とはなにかを知りたい、そういった共通の目標を持っています。たとえば、宇宙はどうして生まれたのか、意識はどのようなものか、生命とはなにか、時間はどのように流れているのかなど、仏教と科学には共通したテーマがとても多いのです。しかも、それらは現代の科学をもってしても、解き明かされてはいません。概念を疑ったり、論理的に検証したり、法則を導き出したりする姿勢も、仏教と科学は驚くほどよく似ています。科学はそれを数式や実験でもってアプローチし、われわれ仏教は精神や修行でもって説く。用いる道具は違いますが、目指している方向は同じなのです」

 仏教と科学は同じ夢を見ている、というわけですね。仏教とは「法」を求める教えと言えるでしょうが、これは宇宙の「法則」にも通じます。わたしは、かつて『法則の法則』(三五館)に、仏教も科学も「法則」を追求する点で共通していると書きました。同書では、「幸せになる法則」についても考察しました。そこで行き着いたものこそ、仏教の「足るを知る」という考え方でした。けっして、キリスト教の「求めよ、さらば与えられん」ではないのです。

 仏教は、キリスト教やイスラム教と並んで「世界の三大宗教」とされています。しかし、宗教としては非常にユニークな思想体系を仏教は持っています。キリスト教やイスラム教をはじめとして多くの宗教は、あらゆる事象を「神の意志」として解釈します。ニュートンが木からリンゴが落ちるのを見て「万有引力の法則」を発見するのみ、ガンで死ぬのも、宝くじが当選するのも、すべて「神の思し召し」によるものなのです。しかし、仏教は違います。すべては「縁起」によるものなのです。それは、何らかの原因による結果の1つにすぎません。まさにこの点が、仏教が宗教よりも哲学であり、さらには科学に近いとされるゆえんなのでしょう。

 実際に、仏教と現代物理学の共通性を指摘する人がたくさんいます。「極微」という最少物質の大きさは素粒子にほぼ等しいとされています。それ以下の単位は「空」しかありません。ですから、「空」をエネルギーととらえると、もう物理学そのものと言えます。仏教でもっとも有名な経典である「般若心経」には、「色即是空、空即是色」という文句が出てきます。「色」を「モノ」、「空」を「コト」と読み替えてみれば、すべてのものは単独では存在できず、森羅万象はつながっていることがわかります。現代物理学の到達点は、宇宙の本質がモノではなくコトであることを示しましたが、それははるか2500年前にブッダが人類に与えたメッセージでもあったのでしょう。

 仏教は、宗教と科学との接点に位置するものかもしれません。「ダライ・ラマ法王と科学者の対話」を聴いて、そのことを再確認しました。この貴重なイベントに誘って下さった矢作直樹氏に御礼のメールをお送りしたところ、次のような言葉が返ってきました。「真理を富士山に例えると、科学は近くがよく見える眼鏡をかけて足元をしっかり見ながら登山をするようなもので、とうていこの方法だけではいつまでたっても真理などわかるはずもないということを理解しないといけないといつも思っています」

 さて話は変わりますが、「ダライ・ラマ法王と科学者の対話」の前日、佐久間会長とともに横浜で山下泰裕氏にお会いしました。山下氏といえば、言わずと知れた「史上最強の柔道家」です。1984年のロサンゼルス五輪で無差別級の金メダルに輝いたのみならず、引退から逆算して203連勝、また外国人選手には生涯無敗という大記録を打ち立てました。85年に引退されましたが、偉大な業績に対して国民栄誉賞も受賞されています。引退後は、全日本柔道チームの監督・コーチとして、野村忠宏、古賀捻彦、井上康生、篠原信一といった名選手を指導されました。まさに「柔道の申し子」のような方です。

 山下氏は、「NPO法人柔道教育ソリダリティー」の代表として、柔道を通じた国際交流を推進しておられます。特にミャンマーとの国際交流に情熱を燃やしておられ、その関係で「日緬仏教文化交流協会」(日緬協)の代表である佐久間会長と会談の席が設けられたわけです。

 ミャンマーの件についても大いに意見交換させていただきましたが、わたしには山下氏と柔道の話をたっぷりさせていただいたことが何よりの至福の時間となりました。わたしの「一条真也」というペンネームは、梶原一騎原作のテレビドラマ「柔道一直線」の主人公「一条直也」にちなんだものです。そのことを山下氏にお伝えすると、とても驚かれ、それから嬉しそうな笑顔を見せて下さいました。

 佐久間会長は高校、大学と通じて柔道の猛者でした。柔道の本場・講道館で修業し、神様・三船久蔵先生を尊敬していました。大学卒業後、事業を起こしてからも「天動塾」という町道場を開いて、子どもたちに柔道を教えていました。わたし自身もそこで柔道を学んだのです。ですから、物心ついたときから柔道に親しみ、高校時代に二段を取得しました。大学時代に四段だった佐久間会長は、現在は七段教士です。父子で柔道に親しんできました。

 企業経営においても「柔道」は大きなキーワードであると思います。「柔よく剛を制する」の言葉のとおり、柔道で勝つには、体重や体力で勝る対戦相手が、その大きさゆえに墓穴を掘るような技をかけなければなりません。これによって、軽量級の選手でも、身体的にかなわない相手を倒すことができます。ここから、ハーバード・ビジネス・スクールの国際経営管理部門教授のディビッド・ヨフィーらは、「柔道ストラテジー」なる最先端かつ最強の競争戦略理論を思いつきました。柔道ストラテジーの反対は、体力やパワーを最大限に活用する「相撲ストラテジー」です。この戦法の恩恵にあずかるのは、もちろん大企業です。しかし、新規参入企業の成功戦略には、必ず柔道の極意が生かされているのです。大きな企業を倒すには、つまり柔道で勝つには3つの技を習得しなければなりません。

 第1の技は「ムーブメント」で、敏捷な動きで相手のバランスを崩すことによってポジションの優位を弱める。第2は「バランス」で、自分のバランスをうまく保って、相手の攻撃に対応する。第3は「レバレッジ」で、てこの原理を使って能力以上の力を発揮する。

 柔道草創期の専門書には、「投げ技をかける前には、ムーブメントを用いなければならない。ムーブメントによって、相手を不安定なポジションに追い込む。そして、レバレッジを用いたり、動きを封じたり、手足や胴体の一部を払って投げ飛ばす」とあります。

 講道館柔道の創始者である嘉納治五郎は、その晩年、「精力善用」と「自他共栄」の精神を強く説きました。柔道には、単なる戦略や戦術を超えた深い思想があります。ぜひ、柔道の精神を理解し、3つの技を駆使して、巨大な敵を投げ飛ばしたいものです。

 日毎に寒さが増しています。どうか、風邪など引かれませんよう、御自愛下さい。次回は今年最後の満月になりますね。それでは、また。オルボワール!

2012年11月28日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 Shinさん、今日から、師走、極月、12月となりました。Shinさんが姫路から東京に向かう新幹線ひかりの中でムーンサルトレターを書き始めたのに対して、わたしは今、小田原から小田急電車の特急はこねに乗って新宿に向かっています。これから、モンゴル国籍のモンゴル・日本近代の研究者の国立オーストラリア大学教授の歴史学者ナランゴアさんと会って、いろいろとお話しすることになっています。たのしみです。モンゴルはチベット仏教の信仰圏で、ダライ・ラマに対する篤い尊崇の念を持っています。

 今宵は、17夜でしょうか、相模の国と武蔵の国の境をなす相模川を越えたところで、お月様が登ってくるのを見、急ぎ、早くムーンサルトレターの返信を書かなければと焦り、パソコンを取り出し、キーを叩き始めました。

 わたしは、昨日、神奈川県足柄郡の大雄山のビジネスホテルに泊まり、「Ashigara Art Festival」のプログラムの一つ、「金太郎リバイバル」のスピーカー&シンガーとして、トーク&ライブに出演しました。1時間、わたしを招待してくれた横浜国立大学教授の美学者・室井尚さんと「金太郎リバイバル」をテーマにトークをし、その後すぐ、久しぶりで観客を前に30分間神道ソングを歌いました。法螺貝・石笛・横笛のわが三種の神器の後に、「神ながらたまちはへませ」、「約束」「弁才天讃歌」「時代」の4曲を。

 目の覚めるような緑のフンドシ一丁になって「フンドシ族ロック」を歌いたかったのですが、風邪の治りかけでもあり、室井さんも無理をしなくていいよという感じで止めてくれたので(本当は緑のフンドシ姿を見たくなかった!?)、今回はお言葉に甘えて遠慮して、中島みゆきの「時代」に負けない名曲「鎌田東二の『時代』」を締めの曲としました。

 その昔、生命保険会社の第一生命の本社があったビルが売りに出され、ドリップ・インスタント・コーヒーの会社のブリックスが購入した大雄山近くの山の上の12階建てくらいのビルの前の体育館をメイン会場にして、一市五町が「足柄アートフェスティバル」を1ヶ月にわたって行ったのです。そして、この土日が最終週末。明日が、ラスト・デーとなります。

 去年の8月、熱い夏の盛りに、室井尚さんが横浜トリエンナーレで、ハーバード大学教授のアーティストのヴォディチコを招待した「戦争とアート」のイベントを行ない、そこに招かれて、3日3晩、語り合い続け、最終日のレセプリョンで約20分、その時は最後にフンドシ一丁になって「フンドシ族ロック」を歌ったのですが、以来、25年ほど途絶えていた室井さんとの交流が復活したわけです。

 室井さんは、美学者として情報学や記号論やメディア・アートを取り上げてきた大変面白い人ですが、唐十郎を横浜国大に招いた仕掛け人でもあり、横浜トリエンナーレでも、椿昇(現在、京都造形芸術大学教授)の「バッタ」だったか「スパイダー」だったかの巨大オブジェをプロデュースした仕掛け人でもあります。

 その室井さんと、昨夜1年4か月ぶりに再会し、今日の朝から、金太郎が産湯を使ったという生誕伝説の地の地蔵堂、夕陽の滝、足柄神社、大雄山最勝寺、寄神社などを巡り、トーク&ライブに臨みました。すると、昔懐かしい方々が数人聴きに来てくれていて、「時代」の移り行きを強く感じたこともあって、最後の締めの曲を「時代」としたのでした。

 トークでは、山姥と金太郎の神話的原型は、『古事記』のイザナミノミコトと火の神・カグツチとスサノヲであるという仮説を提示しました。女神イザナミは山姥伝説の祖、真っ赤な火の神・カグツチと八俣大蛇を退治した怪力のスサノヲは怪力赤肌・金太郎の原像であると思うのです。細かな考証は抜きに言いますが、神話的残響音が聴こえないと、これほど金太郎伝説が一般に膾炙することはなかったと思うのですね。

 この間、わたしは、講演やシンポジウム漬けの日々でした。まず、11月16日から18日まで行った、第30回比較文明学会+第8回地球システム・倫理学会合同大会。ここでは、実行委員長を務めるとともに、全体テーマ「地球的危機と平安文明の創造」の下、地球システム・倫理学会の「言葉の危機と再発見」のシンポジウムでは「神話と歌にみる言霊思想」を、比較文明学会の「みやこと災害の文明論」では「持続千年首都・平安京の生態智」を、クロージング・シンポジウムの「古典と伝統知」ではコメンテーターを務めました。オープニングの神谷美保子さんと美剣会の剣舞「ちはやぶる」にも石笛・横笛奏者として協力したので、オープニングからクロージングまでフル回転でした。

 そして、それが終わってまもなく、11月23日に、奈良県大和郡山市と京都大学宇宙総合学研究ユニット共催の「古事記と宇宙」シンポジウムで基調講演。その2日後の11月25日では、「ワザとこころⅡ〜祇園祭から読み解く」シンポジウムの企画・運営・司会。と続き、そして、一昨日、世田谷パブリックシアターで行われた麿赤兒さんと笠井叡さんとのコラボ舞踏作品「ハヤサスラヒメ」の初日を見、そして昨日神奈川県大雄山に向かったのでした。

 そんなこんなで、11月は大わらわ、わたしにとっては、師走よりも忙しく、休む暇なく、緊張緩和をする余裕もないままに過ごしているうちに、ついうっかりと風邪を引いてしまったというわけであります。

 そんなことなので、まことに申し訳ないことながら、11月6日・7日とホテル・オークラで2日間にわたり、「ダライ・ラマと科学者との対話」に全プログラム参加したことも、遥か過去のような感じで11月の日々を過ごしておりました。何か、次から次へと山を越えていったので、一つひとつの山がどんな山であったのかも、そのつど忘れて、目の前に聳える山に集中していったという感じです。

 ともかく、「無常」そのものですわ。そして、前の満月から今度の満月に。そしてその満月も欠け始め、と、休む間もなく転変し続ける、そんな日々の中で、東奔西走している緑男キリギリスです。でもね、そんな旅芸人みたいな日々がいやじゃないんですよ、困ったことに。今日も金太郎の里で地元の方に借りたマーティンのギター片手に神道ソングを歌っていると、本当になんだかとっても自然な感じがして来て、ああ、自分はこんなキリギリス・スタイルが性に合っているのだなと心底納得してしまうのです。

 さて、Shinさんが今回書いてくれた東京虎ノ門のホテル・オークラ平安の間で行われた「ダライ・ラマと科学者との対話」に、わたしは、この催しの実行委員会委員を科研「身心変容技法研究会」の研究分担者である宗教哲学者・棚次正和・京都府立医科大学大学院医学研究科教授が務めている関係で有難くも招待を受け、2日間とも参加することができました。

 まず、ダライ・ラマ14世法王は、オープニング・スピーチで、このような対話を西欧で30年ほど継続してきたが、それを継続し、かつ日本で行なう2つの目的を述べられました。
それは、「人類の知識の範囲を広げること」と「こころが穏やかな状態を研究することによって人類の幸福を促進していくこと」の2つです。これは、わたしたちの研究会の文脈に引き付けて言えば、「身心変容技法」ないし「心のワザ学」としての仏教の普遍性や可能性を探究し実践していくということになります。

 ダライ・ラマ法王は、用意されていたパンフレットの中に、
「仏教は相互依存の概念を掲げる唯一の宗教」、
「相互依存の概念は、現代科学の基本概念と一致」、
「仏教は、哲学・科学・宗教の主に三つの側面から考えることができる」、
「宗教的な側面では原則や修行などを伴うため仏教徒に限られるが、相互依存を扱う仏教哲学、そしてこころや感情を扱う仏教科学は、大きな恩恵をもたらしてくれる」、
「現代科学は身体や脳の微細な働きをはじめ、高度に洗練された物理的世界を解き明かしてきた」、
「一方で仏教科学は、こころや感情をさまざまな面から詳細に理解することを第一に専心してきた。こころや感情は、現代科学において比較的まだ新しい分野である。ゆえに、現代科学と仏教科学は重要な知識を互いに補い合うことができるだろう。私(ダライ・ラマ14世)は現代科学と仏教科学、それぞれのアプローチの統合が、身体・感情・社会のウェルビイングを増進するための発見に繋がると確信している」と記しています。

 このような主張の根幹に、「空」の思想家・ナーガールジュナ(龍樹)が開いた中観派の仏教哲学がしっかりと息づいていることを、感嘆の思いを持って感じとりました。そこには、たいへん深く、強く、あたたかい、仏教の芯(真・信)がありました。それがあの、ダライ・ラマ法王の、人を開放し明朗に謙虚にしてくれる「笑い」と臨機応変の智力になっていると思いました。そんな智と方便に支えられた、ダライ・ラマ法王の応答・リスポンスの当意即妙の見事さには、真底、感服させられました。

 各セッションでは、遺伝学(生命科学)、量子力学(物理学)、ゆらぎ(宇宙物理学・天文学)、神経科学、医療、脳科学(認知科学)の領域の専門家からの発表にダライ・ラマ法王がリスポンスしながら、議論するもので、どれも大変興味深いものでした。わたしは特に、「あいまいさの科学」を発表された米沢富美子・慶應義塾大学・名誉教授・理学博士 「『あいまいさの科学』と人間—『科学の限界』ではなく『真理の姿』」に興味を持ちました。

 米沢さんは、「あいまいさ」を、
①両義性(ambivalence)
②多値性(multi-value)
③漠然性(vagueness)
④蓋然性(probability)
⑤予測不能性(unpredictability)
⑥不確定性(uncertainty)
⑦多様性(diversity)
⑧不可知性(impossibility of knowing)
という観点から分類して、科学的知のありようについて特徴付けと反省的評価を加えましたが、科学の持つ面白さと制約と可能性と人間の立ち位置についての多くの示唆を与えてくれたと思います。

 米沢さんは、「もしも改めることができるなら、憂うべきことなどいったい何があるのか。もしも改めることができないなら、憂うべきことなどがいったい何の役に立つのか」というダライ・ラマの言葉を紹介してくれましたが、こんな「覚悟」を以って日々を生きられたらどれほど「省エネ」になるでしょうか!

 わたしは、35歳の頃、寝入りばなに脳内爆発が起こり、以後40日間、一睡もできなくなって、気が狂いそうになりました。そんな経験を持つわたしには、筑波大学&ミシガン教授の柳沢正史さんの「睡眠の謎」は大変興味深いものでした。おそらくわたしの場合、覚醒物質のオレキシンが過剰になったのではなく、入眠へのスイッチングサーキットが「焼き切れてしまった」と推測しています。この「焼き切れて」しまって、入眠する体のコツを完全に忘れてしまったというか、再起動できない状態になってしまったのです。その状態は本当に大変で、よくまあ、生き延びることができたものだと今でもよく思います。そこからの回復法は、朝日と富士山と虹でしたが、それもまたよくまあこんなことが起こるのかというほどのありえないような自然体験でした。それを、わが敬愛する精神科医の加藤清先生は後年、「カマタクン、それはな、ディープ・エコロジカル・エンカウンター(deep ecological encounter)やで」と言ってくれました。

 クロージング・セッションで、ダライ・ラマ法王は、
「本当の意味の世界平和は、内的な平和を作らなければ達成できない。それには分析的な瞑想をすること」、
「本当の幸福は、心の修練によって生まれる」、
「お説教や祈りよりも行動」、
「他者を思いやる」、
「人間の責任」と説かれましたが、その一つひとつの言葉がズシリずしりと心に重く強く響いてきました。

 実は、わたしは、20年ほど前に、ダライ・ラマ法王来日歓迎実行委員会の委員を務めたことがあります。ドキュメンタリー映画『地球交響曲(ガイア・シンフォニー)』の監督である龍村仁さんに誘われたのです。今回、龍村仁さんとは、シンポジウムの2日目にお会いしました。その際に初めてダライ・ラマ法王に接しましたが、凄い方だと思いました。

 「心の練り方」が半端でなく、よくできている方だと。元々の素質や素養や教育もあるでしょうが、同時に、普段の修練・瞑想の維持が、あの笑顔と活力と透明と邪気なき臨機応変を生み出しているのだと強く感じました。そしてそれは、ナーガールジュナ(龍樹)の中観派、すなわち空の哲学の学統に深く根ざすものであるということを今回、再認識させられました。ダライ・ラマ法王のあの「笑い声」は、それ自体が「真言」ですね。「如来力」そのものだと思いました。

 ところで、Shinさんは、幼少期より父上から「柔道」を学ばれましたが、わたしはやはり物心ついた頃から、父と祖父より「剣道」を仕込まれました。父は三段、祖父は六段教士(錬士?)でした。わが家には3つほどの防具の他、面打ちできる大人の等身大の木製人形が据え置かれていたので、時間があると、それに向かって面打ちをしたり、抜き胴の練習をしたりしました。そしてよく裏山に入って、鞍馬山の山中で天狗に教わったという源義経を思い浮かべながら、独りエイヤッっと、木刀の素振りの稽古などもしました。私は子供の頃より、「武者修行」というものにあこがれていたように思います。ノーテンキな子どもでしたね。

 長じて、密教やシャーマニズムや神話などに関心を持ち、今も「身心変容技法研究会」などを組織しているのも、「オニを見た」とか『古事記』を読んだとかという以外に、そのような子供の頃の「修行」や「稽古」の経験が強く影響していると思っています。子供の頃のわたしの憧れは山城新吾扮するところの「風小僧」でしたから。トンビに攫われて山奥の仙人の下で「修行」を積み、自在に「風」を操り、「風」に乗ることのできる若殿が「風小僧」でした。その「風小僧」が小気味よく悪人を征伐するのでした。単純でしたねえ、じつに、まったく〜。

 さて、最後に宣伝です。最近、2冊の新刊を出しました。どちらも、NPO法人東京自由大学の「現代霊性学講座」で話をしたものをまとめたものです。先に出たのが、Shinさんも書評をしてくれました『古事記ワンダーランド』(角川選書、角川学芸出版、2012年10月)で、もう一冊は、先週出た、井上ウィマラ+藤田一照+西川隆範+鎌田東二『仏教は世界を救うか』(地湧社、2012年11月)です。前者は、NPO法人東京自由大学現代霊性学講座の第二弾(2012年度3回開催)で話をしたもの、後者は、第一弾(2010年度〜2011年度3回開催)で話をしたものです。特に後者は、メチャメチャおもろく、ヒント満載のはずです。というのも、「フリーランス僧侶」と「フリーランス神主」が素でガチンコ(?)対話に取り組んでいるからです。絶対、いろいろと参考になると思いますので、周りの方々にもぜひお進めください。

 Shinさん、いよいよ今日から師走。『古事記』編纂1300年、『方丈記』著述800年、法然大遠忌800年、親鸞大遠忌750年の2012年も過ぎてゆきます。年の終わりで、これまで以上に忙しくされていることと思います。わたしも、11月ほどの忙しさではありませんが、12月も2回の「身心変容技法研究会」や「研究報告会」などいろいろと研究発表や討議の会が続き、休む間もない状況です。年末年始には昨年同様、出羽三山修験道の拠点羽黒山の「松例祭」に行こうかなと考えおります。どうか、御身大切に。くれぐれもお父上によろしくお伝えください。

2012年12月1日 鎌田東二拝