シンとトニーのムーンサルトレター 第079信
- 2012.02.08
- ムーンサルトレター
第79信
鎌田東二ことTonyさんへ
つい、この前、新年を迎えたと思ったら、もう2月ですね。
今年の1月は、Tonyさんに二度もお会いできました。まず、1月16日に小倉でお会いしました。その日の夜、父である佐久間進サンレーグループ佐久間進会長の「喜寿の祝い」および「サンレー新年賀詞交歓会」が小倉の松柏園ホテルで開催され、Tonyさんもわざわざ京都からお越し下さいました。
祝宴に先立ち、わたしが特別講演を行いました。テーマは「天下布礼をめざして」というものです。「天下布礼」とは、冠婚葬祭業の経営、本やブログの執筆、講演、大学の教壇に立つことなど、わたしの一連の行動を貫くキーワードです。それは、「人間尊重」思想を広く世に広めることです。
講演会の終了後は場所を移し、「佐久間会長の喜寿祝いおよびサンレー新年賀詞交歓会」が開催されました。じつに、300名近い方々にご参集下さいました。最初に、佐久間会長が沖縄の長寿祝いの衣装を着て、舞台に登場。まずは、ご参集いただいた方々に御礼の挨拶をしました。会長は、「ここまでの人生を振り返ると、どこに行っても大変でした。何を始めても大変でした。そして、いくつになっても大変です。でも、すべてを陽にとらえて、これからも精一杯に生きていきます」と語っていました。また、ご参集下さったみなさんから喜寿を祝っていただく「縁」を得たことに心からの感謝の言葉を述べました。
そして、幸せになるための「はひふへほ」の法則について語りました。すなわち、「半分でいい」「人並みでいい」「普通でいい」「平凡でいい」「ほどほどでいい」の心です。また、「縁」「援」「宴」「園」「円」の5つの「エン」の重要性についても説きました。
続いて、わたしが挨拶しました。わたしは、「父の喜寿をお祝いいただき、佐久間家の長男として心より御礼を申し上げます」と述べた後、賀詞交歓会のチャンネルに切り替えて、わが社の昨年の業績、そして今年の抱負についてお話しました。
それから、来賓を代表してTonyさんが挨拶をされました。Tonyさんからは「佐久間会長は國學院の先輩です。折口信夫らが理論国学者だとしたら、佐久間会長は応用国学者です。先程の『はひふへほ』の法則といい、わかりやすい説明と実践には感服しております」との有難いお言葉を頂戴し、それから祝いの法螺貝を吹いていただきました。
祝宴の終了後は、サンレーグループ社員のみなさんが佐久間進会長の「喜寿祝い」のために集まって下さいました。もちろん、わたしも参加しました。Tonyさんをはじめとした特別ゲストの方々にもご同席いただきました。全部で、150名近くが松柏園ホテルの大広間に集まりました。
ここでも最初に佐久間会長が「本当に、ありがとうございます」と御礼の挨拶をしました。続いて、わたしが挨拶に立ちました。わたしは、長寿祝いとは生前葬でもあると思っています。冠婚葬祭業界の中でも、特にわが社はこれまで長寿祝いに力を入れてきました。
わたしは、この長寿祝いという、「老い」から「死」へ向かう人間を励まし続ける心ゆたかな文化を、ぜひ世界中に発信したいと思っています。今夜は、父である佐久間進の喜寿を祝って下さり、長男として御礼を申し上げます。また、会長の喜寿を祝って下さり、サンレーの社長として御礼を申し上げます。新年会で、わたしは福山雅治の「家族になろうよ」を歌いました。それにしても、会長はこんなに多くの家族がいて幸せだと思います。これからもサンレーは「家族主義」で行きたいと思います。以上のように話しました。
それから、「喜寿の祝い歌」として、民謡が披露されました。九州を代表する民謡歌手である岩原美樹さんと頼実かおるさんが登場しました。岩原さんは「博多節」を、頼実さんは「秋田大黒舞」を披露してくれました。また、シンガー・ソングライターならぬ神道シングライターであるTonyさんも歌ってくれました。曲は、京都大学ボート部の応援歌「琵琶湖周遊歌」です。会場全体が大いに盛り上がったことは言うまでもありません。
なお、三次会として鎌田先生とカラオケボックスに繰り出し、例によってSHIDAXの禁煙ルームで歌いまくりました。その後は、小倉の堺町公園の横にある「力ラーメン」にて、とんこつラーメンを食べましたね。
その2日後、18日には横浜でお会いしました。(社)全日本冠婚葬祭互助協会の新年賀詞交歓会の記念イベントとして、画期的なパネルディスカッションが開催されました。題して、「無縁社会を乗り越えて〜人と人の“絆”を再構築するために」という新春座談会です。これは、「無縁社会の克服」をテーマとする画期的な座談会です。
会場は、新横浜の「ソシア21」です。司会には、佐々木かをり氏をお招きしました。
そして、本日の出演者は、以下のメンバーでした。
・奥田知志氏(日本ホームレス支援機構連合会会長、NHK「無縁社会」コメンテーター)
・鎌田東二氏(哲学者、宗教学者、京都大学こころの未来研究センター教授)
・島薗進氏(東京大学大学院人文社会系研究科教授)
・山田昌弘氏(中央大学教授、内閣府男女共同参画会議・民間議員)
・一条真也(作家・経営者・平成心学塾塾長・北陸大学客員教授)
業界関係者として小生も参加しました。冠婚葬祭互助会の社会的役割が根本から問われている今、自分なりの考えを業界のみなさんに訴えました。
会場は超満員の200以上の方々が集まりました。マスコミ関係も多く取材に来ていました。無縁死の問題は、今後ますます深刻化する社会問題と捉えられており、冠婚葬祭互助会業界においても重要な課題となってきています。この座談会では、無縁死問題をどのようにして克服していくか、また冠婚葬祭互助会業界としてどのように関わり、対応していけばよいのか、といった点についてディスカッションを行いました。
冒頭に、出演者がそれぞれ自己プレゼンを行いました。
Tonyさんは、「修験道の開祖とされる役(エン)の行者に倣ってわたしは20年以上前から『現代のエンの行者』を名乗り始めました。『現代のエンの行者』の『エン』の字には、『役』でも『円』でもなく、『縁』を宛てます。つまり、現代の法力・験力・霊力とは、空を飛んだり、病気を治したりする呪術的な力よりも、個々が持てる力をさらに大きくつなぎ結び相乗させていく『縁結び力』、すなわち『むすびのちから』であるというのがわたしの考えです」と語りました。そして、「無縁」にも消極的無縁と新しい縁の構築=新縁結びにつながる創造的・積極的無縁があると指摘しながらも、そのような「自由」と「新縁結び」に連動するような「無縁」の一面もしっかりと見通しつつ、現代の「無縁社会」を捉え直し、これからの社会構想を考えなければならないと訴えました。最後に、これまでの悪しき縁やしがらみから「自由」になって新しい社会づくりを志す人びとは最初「悪党」視されるが、そのような「悪党」こそが新しい時代の「世直し」の担い手にもなり得るという「無縁社会論」のパラドクシカルな全体構造を見据えつつ、「絆」や「つながり」や「有縁」のありようを構想したいと述べられました。
わたしは、以下のような話をさせていただきました。2010年より叫ばれてきた「無縁社会」の到来をはじめ、現代の日本社会はさまざまな難問に直面しています。その中で冠婚葬祭互助会の持つ社会的使命は大きいと言えます。じつは、「無縁社会」の到来には、互助会そのものが影響を与えた可能性があるように思います。互助会は、敗戦で今日食べる米にも困るような環境から生まれてきました。そして、わが子の結婚式や老親の葬儀を安い価格で出すことができるという「安心」を提供するといった高い志が互助会にはありました。しかし、おそらく互助会は便利すぎたのかもしれません。結婚式にしろ葬儀にしろ、昔は親族や町内の人々にとって大変な仕事でした。みんなで協力し合わなければ、とても冠婚葬祭というものは手に負えなかったのです。それが安い掛け金で互助会に入ってさえいれば、後は何もしなくても大丈夫という時代になりました。そのことが結果として血縁や地縁の希薄化を招いてきた可能性はあります。もし、そうだとしたら、互助会には大きな責任があるということになります。
もちろん、互助会の存在は社会的に大きな意義があることは事実です。戦後に互助会が成立したのは、人々がそれを求めたという時代的・社会的背景がありました。もし互助会が成立していなければ、今よりもさらに一層「血縁や地縁の希薄化」は深刻だったのかもしれません。つまり、敗戦から高度経済成長にかけての価値観の混乱や、都市部への人口移動、共同体の衰退等の中で、何とか人々を共同体として結び付けつつ、それを近代的事業として確立する必要から、冠婚葬祭互助会は誕生したのです。
互助会がなかったら、日本人はもっと早い時期から、「葬式は、要らない」などと言い出した可能性は大いにあります。ある意味で、互助会は日本社会の無縁化を必死で食い止めてきたのかもしれません。しかし、それが半世紀以上を経て一種の制度疲労を迎えた可能性があると思います。
制度疲労を迎えたのなら、ここで新しい制度を再創造しなければなりません。すなわち、今までのような冠婚葬祭の役務提供に加えて、互助会は「隣人祭り」の開催によって、社会的意義のある新たな価値を創るべきであると考えます。
東日本大震災以後、多くの日本人が「支え合い」「助け合い」の精神に目覚めた今こそ、相互扶助の社会的装置である互助会のイノベーションを図る必要があります。私は、有縁社会、そして互助社会を呼び込むことが、互助会の使命であると考えます。
「孤独死防止ディスカッション」あるは婚活イベント「ベストパートナーに会いたい」などの最近の全互協の一連の取り組みは、まさに無縁社会を乗り越える試みでしょう。
活発な意見が交換され、パネルディスカッションは盛況のうちに幕を閉じました。
会場のみなさんも熱心に聴いて下さり、必死でメモを取っている方も多くいました。メディアの取材もたくさん受けました。なお、この座談会の内容は映像に残し、全互協のHPで配信される予定です。その映像をもとに広くアンケートを実施し、その結果を報告書にまとめます。また、単行本としても出版されることが決定しています。
この座談会が、無縁社会を乗り越え、新しい「絆」をつくるための礎となることを願っています。わたし自身が大変勉強になり、貴重な体験をさせていただきました。Tonyさんと一緒にパネル・ディスカッションに参加できて、今年は幸先の良いスタートが切れたように思います。今後とも、よろしく御指導下さい。それでは、オルボワール!
2012年2月8日 一条真也拝
一条真也ことShinさんへ
Shinさん、このたびの「孔子文化賞」受賞決定、まことにおめでとうございます!筋金入りの孔子主義者のShinさんに受賞が決まり、審査員の選択眼に敬意を表します。ほんとうによかったです。生来の孔子主義者にして礼楽の実践者であるShinさんが受賞するのは、「天命」です。来年は満50歳だと思いますが、まさしく、『論語』の「50にして天命を知る」そのものですね。
日本の冠婚葬祭業と互助会の発展に務めた父上の佐久間進サンレー会長を始め、ご家族もサンレー社員のみなさんも大喜びのことと思います。もちろん、義兄弟の造形美術家の近藤高弘さんもわたしも、です。
「孔子文化賞」とは、孔子の子孫の孔健氏が会長を務める一般社団法人・世界孔子協会が昨年に制定・実施している賞で、孔子・論語・儒教の精神を広めた人物に贈られるものと聞いております。その第1回目には、野村克也氏(プロ野球・東北楽天名誉監督)、渡邉美樹氏(ワタミグループ創業者)、 北尾吉孝氏(SBIホールディングス代表取締役執行役員CEO)、酒井雄哉氏(比叡山延暦寺大阿闍梨)の4名が受賞。今年の第2回目には、福田康夫氏(元内閣総理大臣)、稲盛和夫氏(財団法人稲盛財団理事長)、高木厚保氏(会津藩校日新館名誉顧問)、一条真也氏(平成心学塾塾長)。
凄い顔ぶれですね。授賞式は2月28日、東京目白の椿山荘で開催される由。Shinさん念願の「天下布礼」が着々と進行していきますね。慶賀に堪えません。というのも、Shinさんはこれまでたびたび人類史上で孔子をもっとも尊敬していることを公言してきました。そしてShinさんのブログでは、現役の方では稲盛和夫氏をもっとも尊敬しているとのことでした。その稲盛和夫氏と一緒に「孔子文化賞」を受賞するということは、「もっとも尊敬している歴史的人物の名前が入った賞をもっとも尊敬している現役社会人と同時受賞する」ということであり、大変得難い快挙であります。
Shinさんの『孔子とドラッガー 新装版』(三五館)は平成心学塾の基本テキストで、中国語版の刊行も検討されているとのこと。これから必ずやShinさんが礼楽の本場の中国で、孔子の思想について講演する機会も訪れることでしょう。ともあれ、ほんとうに、ほんとうにおめでとうございました。
また、先月の1月16日には母校の敬愛する大先輩である佐久間進会長の喜寿の会においてみなさまと共にお祝いすることができて、大変有難くも嬉しく思いました。その際、佐久間会長が「はひふへほの法則」を発表されましたが、本当に感心してしまいました。Shinさんも稀代のコンセプトメーカーで、「ハートフル」など数々の時代の趨勢を象徴するキャッチフレーズを世に放っていますが、それは実は父上のDNAと実践を拡大再生産し発展させたものだと改めて感じ入りました。「はひふへほの法則」、実に今日的、かつ未来的で、わたしは、これこそ今までの本居宣長や平田篤胤や柳田國男や折口信夫などの伝統的国学者・信国学者にはなかった「応用国学」「応用人生国学」だと思いました。それは、現代の「もののあはれを知る」道の実践であり、「少子高齢化社会」を粘り強く生き抜いていくライフスタイルでありましょう。
「は」・・・・・半分でいい
「ひ」・・・・・人並みでいい
「ふ」・・・・・普通でいい
「へ」・・・・・平凡でいい
「ほ」・・・・・程々でいい
これを聞きながら、「現代の妙好人」という言葉も浮かんできました。が、あえて言うなら、問題は、われわれを含む「高齢化社会」の高齢者にはこの言葉はリアルに響きますが、わたしたちの子供の世代以降の「少子」化の若者にこれがどのように響き、希望と生きる糧になるかですね。人生の折り返し点を過ぎた者には、そこに帰着することは、ある落ち着きどころでもあり、「安心立命」の場所でもあるでしょうが、しかし、「夢」を魂の養分としてこれからの人生を歩み始めようとする若者はどうでしょうか。そのような若者にも届く「はひふへほの法則」をさらにご考案いただけば、「少子高齢化」時代の老若男女の生の指針が得られるのではないかと思いました。
わたしは、孔子主義者のShinさんとは違って、生来老荘的タオイストで、一種の自然居士だと自覚し、それゆえに「生態智」を探究する「東山修験道」の実践者になっていると思っていますが、この父上の「はひふへほの法則」は、儒教的に言えば「中庸」の道徳でしょうが、しかしそれだけでなく、ここにはどこか、人生の諦念を得たタオイストの風格も垣間見えます。「愚者の智」とも言えるパラドクシカルな「智」が。
失礼ながら、こうした一歩も二歩も引いた言葉は、「孔子文化賞」を受賞して「天命を知っ」て「天下布礼」を獅子吼していくShinさんからは当分出てこないのではないかとも思いましたが、それはそれ、それぞれの役目と立ち位置があるでしょう。どちらかだけが大事だとは思いません。中国には孔孟の道と老荘の道があることが強みですし、わが日本には神道の道と仏道の道の両方があることが非常なる強みであると思っています。さらに、わが国には、Shinさんの奉ずる儒学の道もあるのですから、このような先祖の歩んだ「文化遺産」をうまく再活用することができれば、日本の底力もまだまだ創造的に発揮できるはずだと思っています。
さて、わたしは、1月にはシンポジウムが目白押しで、大忙しでした。1月13日(金)の神戸の生田神社会館での「久高オデッセイ 生章」上映と<原初的な暮らしを遺す久高島から「1・17」そして、「3・11」へ>シンポジウム、18日の「無縁社会から有縁社会へ」シンポジウム、24日の研究プロジェクト「こころの再生に向けて〜世直しの思想をめぐって」研究集会、27日・28日の科研「身心変容技法の比較宗教学」シンポジウムと研究集会、29日法然院での「風の集い」、2月2日〜4日の天河大辨財天社の鬼の宿・節分祭・立春祭、2月4日・5日の京都大学第5回宇宙総合学研究ユニットのシンポジウム「人類はなぜ宇宙へ行くのかⅢ」、5日の比較文明学会関西支部第16回例会、などなど。来週には、19日に宮城県仙台市で行われる東北大学GCOE主催のナチュラル・ステップのワークショップ、20日に東京大学東洋文化研究所で行われる第1回柳宗悦研究会、25日に和歌山県新宮市で行なわれる熊野学サミットなどなど、毎日のようにシンポジウムや研究会が開かれて、それに参加します。
こんな次第で、目まぐるしく催しが続いていますが、1月6日に比叡山からの下山中、アイスバーン化した雪山で激しく転倒し、背中や脇腹をとてつもなく強打した後遺症のため、この1ヶ月間コルセットをしながら何とか乗り切り、息つく暇もない感じでした。笑うと脇腹が痛いし、身を屈めると背中が痛いし、立ち居振る舞いも、小笠原流の師範か、観世流の熟達能楽師かと思えるほどのゆっくりとした優雅な起居動作でしたよ。日々是能、という感じで、世阿弥研究会をこの3年間やって来た我が身としては骨身に沁みて勉強になりました。ううっ、ありがて〜???
ところで、最近、寺山修司の作品や彼に関する著作を読んでいて、寺山修司の面白さとラジカリズムに新鮮な感動を覚えています。寺山修司は、高橋和巳の『生涯に渉る阿修羅として』をもじっていえば、「生涯に渉るホラ吹き」であったと思いますが、そのしたたかで柔軟な思考と行動は、この難局にある日本の状況下でいろいろなヒントと風穴を開ける力を持つと思います。
前にも思いましたが、寺山修司の作品ではやはり1965年の歌集『田園に死す』と1970年の詩集『長編叙事詩 地獄篇』が寺山ワールド全開の圧巻的な作品でしょう。
大工町寺町米町仏町老母買ふ町あらずやつばめよ
新しき仏壇買ひに行きしまま行方不明のおとうとと鳥
地平線縫ひ閉ぢむため針箱に姉がかくしておきし絹針
『田園に死す』の冒頭「少年時代」の作品群です。こんな彼の作品を17歳の頃、わたしはよく読んでいたものです。寺山修司の内包する「捨て子」幻想は彼の想像力の「翼」をどこまでも羽ばたかせていったのです。想像力の中でだけ、汽車の中で生まれた」子供・寺山修司は「自由」であり、その力能を発揮できたのです。その精神的「捨て子」の「冥界遍歴」としての寺山修司の生涯は実に心に沁みるものです。「好奇心」の鬼・寺山修司は「奇人・奇形・奇譚・奇談・猟奇・怪奇」など、その「奇」嗜好を存分に発揮しつつ、蠱惑的な人買い。山椒大夫のような力で奇人変人ネットワークを作り上げ、実に不可思議でノスタルジックなバロック的地獄・犯罪・性・暴力・家出・自殺・荒野・魔術・劇場の仮想空間を実現しました。
「言葉の魔術師」寺山修司は、「託宣と詐欺の間」を、あるいは、「ホントとウソの狭間」を生き、そこで「大ホラ」を吹いた怪物ですね。その「神懸り(憑依)と演技(演戯)の間」を往来した魔法使いは、みずから「寺山修司という『職業』」を生きたと断言しましたが、それは、『仮面の告白』の三島由紀夫や、その三島が大いに嫌った太宰治の『人間失格』の間にあるエロスとロマンとニヒリズムとアナーキズムです。
1967年、寺山修司は東由多加や横尾忠則らと演劇実験室「天井桟敷」を旗揚げし、美輪明宏らを出演者に招いて、『青森県のせむし男』『大山デブコの犯罪』『毛皮のマリー』『花札伝綺』などを次々と上演していきました。その寺山修司が今を生きていたら父上と同じく本年77歳です。1935年12月10日(第二次大本事件の2日後!)生まれの寺山修司と1935年9月26日生まれの父上佐久間進会長は、同学年の戦前戦後を生きたのです。わたしの書いたものを最初に評価しれくれたのは寺山修司でしたが、同学年の佐久間進会長も過分にわたしを評価してくれていることも不思議な縁を感じています。
「マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」で知られる寺山修司の歌の中で、わたしが一番哀切に感じるのは、
わが息もて花粉どこまでとばすとも青森県を越ゆる由なし
です。わたしたちはこの「息」を以てどのように「花粉」を飛ばそうとしてもこの「地球」を越えることはできないということの切実な現実を思い知りつつあります。そんな時、寺山修司はもう一つの「はひふへほの法則」、ホラ吹き男爵の法則を気球のように掲げてくれているのではないでしょうか?
2012年2月15日 鎌田東二拝
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