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シンとトニーのムーンサルトレター 第170信

 

 

 第170信

鎌田東二ことTonyさんへ

 Tonyさん、お元気ですか? ムーンサルトレターもついに第170信ですよ。なんと、14年と2カ月も続いています。令和の時代になっても、ずっと続くといいですね。

 さて、サンレーが経営する紫雲閣グループは「セレモニーホールからコミュニティセンターへ」をスローガンにしていますが、大きな出来事がありました。6月4日の16時から北九州市庁舎で北橋健治市長とサンレー社長のわたしが「災害時における施設の使用に関する協定」の調印式を行い、その後、記者会見に臨んだのです。

 これは、地震や津波や台風や大雨などの災害時に予定避難所として北九州市が紫雲閣の施設を使用するという協定の調印式です。出席者紹介、協定概要説明、協定締結(署名)、記念写真撮影が行われた後、わたしはサンレー社長として次のように挨拶しました。

 「本日、北九州市様と弊社との間で『災害時における施設の使用に関する協定』を締結することが出来ました。弊社は昭和41年にこの北九州市で創業し、以来52年間冠婚葬祭互助会の事業を展開しております。『人間尊重』を経営理念とし、地域の皆様のお役に立てること、そして必要とされる会社となることを目指し精進してまいりましたが、わが社のミッションに基づいたこの協定の締結で、大きな目標に一歩近づくことができ、大変嬉しく思っております。今回の締結の経緯といたしましては、弊社の小倉北区の『小倉紫雲閣』と八幡西区の『北九州紫雲閣』の2施設を災害時の予定避難所として提供させていただくことで、より地域の皆様が安心していただけるのではないかと考え、北九州市様にご相談させていただいたところ、ご尽力頂き締結の日を迎えることができました。今回の協定により、さらに地域に密着したかたちで地域の皆様と密接な関係が築けていけるものと思っております」

 その後、北橋市長より以下の御挨拶がありました。
 「本日は、『災害時における施設の使用に関する協定』を締結することができたことを大変嬉しく思います。株式会社サンレー様は、昭和41年の創業以来、『人間尊重』を経営理念とし、本市を拠点として事業を展開されるなど、本市の発展に貢献いただいており、深く感謝申し上げます。災害に対応するには、住民や地域団体、企業、行政等がそれぞれの特徴を活かし、『総合的な防災対策に取り組む地域社会』を構築することが重要です。今回の協定により、サンレー様から、災害時に予定避難所として施設を提供していただけることで、本市の災害対応力の向上につながり、大変心強く思います。北九州市としても、市民の皆様の安全・安心を守るため、今後とも皆様のご協力を得ながら、防災体制の充実・強化に一層努力してまいります」

 最後に質疑応答が行われて、途中で市長は公務のために退席されましたが、わたしは最後まで質問にお答えしました。北九州市の市民のみなさまのために、サンレーは全社をあげてお役に立ちたいと考えています。紫雲閣は全館バリアフリーで駐車場も完備しているため乳幼児や高齢者・身体が不自由な方でも安心して使用できる施設です。これまで避難所に行くことをためらっていた方に大規模な災害時に限らず、毎年起こりうる大雨や台風の際にも予定避難所として避難者を受け入れ安心を提供させていただきたいとの思いで今回の協定締結となりました。この協定により新たなコミュニティセンターとしての大きな役割を果たすことができ、そして地域になくてはならない施設としてこれからも地域に貢献させていただきたいと願っています。



北九州市の北橋市長と記念撮影

NHKニュースの冒頭で紹介

 互助会から互助社会へ。拙著『ハートフル・ソサエティ』『隣人の時代』(ともに三五館)などで訴えてきた互助社会の実現を目指したいです。ようやく、わたしの「おもい」を「かたち」にできる時が来ました。なお、その日の夕方には、NHKのローカル・ニュースのトップで紹介され、翌日の「毎日新聞」「読売新聞」「西日本新聞」「日本経済新聞」の朝刊でも記事として取り上げられました。

 10日、わたしは北海道へ向かいました。北九州空港からANA3878便で羽田空港へ。羽田からはANA555便で函館へ飛びました。翌11日に函館で開催される第61回の全互連定時総会に参加するためです。今回は妻も一緒でした。

 11日の朝、わたしたち夫婦は宿泊先の函館国際ホテルの近くにある函館山を訪れ、ロープウェイに乗りました。じつは昨夜、このロープウェイで名物の夜景を見たかったのですが、ガスが強くて見えなかったのです。函館山の山頂から見た函館の景色は素晴らしかったです。ロープウェイから降りた後は、すぐ近くの元町を散策しました。聖ヨハネ教会、カトリック元町教会、函館ハリストス正教会などを訪れ、それぞれ妻と2人で礼拝堂に入りました。わたしたち夫婦は今年でちょうど結婚30周年なのですが、今日の教会めぐりは良い思い出になりました。その後は、30分くらいかけて歩いてホテルまで戻りました。



函館の港にて

全互連総会懇親会で乾杯の音頭を取る

 11日の午後からは、全国冠婚葬祭互助会連盟(全互連)の第60回定時総会が結婚式場「マリエール函館」で行われました。15時からの理事会に続いて、16時から定時総会が開催されました。冒頭、物故者黙祷が行われました。続いて、「開会の辞」の後、杉山会長の挨拶の時間となりました。その挨拶を聞きながら、わたしは、昨年6月13日の沖縄総会のことを思い出していました。あの日、わたしは4年間務めた全互連会長を退任したのです。あれからもう1年、時間の経つのは本当に速いものです。

 定時総会が終わると、同じマリエール函館で懇親会が開かれました。わたしは前会長として乾杯の音頭を取りました。登壇したわたしは、「昨年の沖縄総会では、多くの方々にお越しいただき、ありがとうございました。みなさまとともにカチャーシーを踊ったことが昨日のことに思い出されます。また今年も函館に多くの方々がお越しいただいて嬉しく思っております。北海道から沖縄まで、全互連が真の全国組織なのだということを痛感いたします。それでは、みなさまのご健勝と全互連加盟各社のご発展を祈念して乾杯いたします。大きな声でご唱和下さい」と述べてから、乾杯の音頭を取りました。

 懇親会は非常に盛り上がりました。北海道の美味しい料理とお酒を味わいながら、みなさんとの会話を楽しみました。やはり志を同じくする仲間と飲む酒は格別です。今回は妻も一緒でしたので、一緒にみなさんと談笑しました。

 懇親会の終了後は二次会が開催され、カラオケ大会も行われました。わたしはこの日はもう歌わないつもりだったのですが、みなさんから請われて函館出身の北島三郎さんの「函館の女」を歌うことになりました。お調子者のわたしが会場を練り歩いて歌うと、会場は割れんばかりの拍手に包まれました。全互連の結束が強まった函館の夜となりました。



懇親会の二次会で「函館の女」を歌う

函館の「八幡坂」で

 翌12日は妻と一緒に函館の街を観光しました。わたしたちは、函館国際ホテルをチェックアウトして、8時に出発しました。それから、ホテルのすぐ近くにある函館朝市に向かいました。多くの店が立ち並び、呼び込みの声も飛び交い、非常に活気がありました。

 それから、五稜郭の函館奉行所を見学した後、五稜郭タワーに上りました。107メートルのタワーは、観光都市・函館のランドマークです。平成18五稜郭タワーに年(2006年)4月1日に新タワー(2代目)がオープンしました。展望台から見はるかす函館山や津軽海峡、横津連峰の山並み、そして特別史跡五稜郭の大地に輝く星形の眺望が楽しめます。展望台には、五稜郭の歴史が学べる展示スペース「五稜郭歴史回廊」や強化ガラスの床で下が見える「シースルーフロア」、「売店」、「カフェスタンド」などがあります。新タワーでは建物自体が五稜郭に対するこだわりを表現しています。展望台は五角形、塔体の断面も星形を採用、徹底して五稜郭と星形をモチーフにしています。

 それから、元町教会群を訪れました。函館市元町地区の高台に建つ教会群は、旧函館区公会堂と函館山ロープウェイ山麓駅の中間付近に位置しています。ハリストス正教会、カトリック元町教会、聖ヨハネ教会がそれぞれ近接して建ち並んでおり、西洋的な雰囲気が感じられます。「日本一美しい坂」と呼ばれる八幡坂も訪れました。

 それから、元は日本銀行(2番目の支店)の建物を使用している「北方民族資料館」でアイヌの文化を学んだ後、金森の赤レンガ倉庫にある函館ビヤホールで昼食を取りました。たくさん歩いた後だったので、喉が渇いてビールが美味しかったです。ただし朝食に続いて、昼食にもイクラ丼が出て、ビックリしました。

 それから、北海道昆布館を見学しました。館内のコンブミュージアムでは、昆布の歴史・生態・科学・人との関わりといった視点にたって、その魅力・不思議の全てを、映像、道具、展示、パネルなどで楽しむことができました。最後にはマーケットもあり、多くの昆布が売られていました。

 観光の最後は、大沼国定公園を訪れました。ここは、渡島半島南部に位置し、函館市の北約16kmの距離にあります。活火山の北海道駒ヶ岳とその火山活動によってできた大沼、小沼、蓴菜沼の湖沼からなる。大沼には大小126の小島が浮かび、春から秋にかけてサイクリング、ランニング、ボート、遊覧船など、冬はスノーモービルやワカサギ釣りなどのアウトドアスポーツを楽しむことができます。

 こうして観光を終えたわたしたちは、函館大沼プリンスホテルに到着、チェックインしました。18時から懇親会が開催され、ゴルフ組のみなさんと合流して、この夜も志を共にする仲間たちと大いに飲みました。懇親会を終えて、もうジジイは早く寝ようと思って部屋に入ったのですが、数人の方から「三次会でカラオケをやっています。ぜひ、お越し下さい」との連絡があり、老体にムチ打って三次会の会場に行きました。すると、そこはすでにカラオケで大盛り上がり。わたしも矢沢永吉の「時間よ止まれ」を歌わせていただきました。さらにラストで函館が生んだグレイト・シンガーである北島三郎の「まつり」を歌いました。じつは妻がいるので非常にやりにくかったのですが(苦笑)、頑張って歌いました。みなさん、大いに盛り上がって下さり、嬉しかったです。

 妻とは今年で結婚30周年となりますが、久々に夫婦で旅をし、いろんな話ができて良かったと思います。それではTonyさん、次の満月まで。ごきげんよう!

2019年6月17日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 結婚30周年、まことにおめでとうございます。夫婦同伴で函館に行くことができてよかったですね。わたしも昨年9月に函館に行きました。函館山とトラピスト修道院とトラピスチヌ修道院と函館神宮と住港。それから函館港の波止場の活魚の店などなど。一番行きたかったのは自殺の名所の岬の突端ですが、あいにく雨で行けなかった。函館に石川啄木が住んでいたことも、改めて感慨深い発見でした。

 ところで、北九州市との「災害時における施設の使用に関する協定」、すばらしいですね。わたしはこれから世界は「狂天慟地」になる(すでになっている!)と思っているので、人として、あるいは企業として、あるいは行政として、できることは何でもやっていくべきだと思っています。大変素晴らしいことです。心より敬意を表します。ぜひ地道な善き活動を継続していってください。

 わたしは、4月にベトナムのハノイに行き、ベトナム国立音楽院で講義をしましたが、6月11日から14日までベトナム・ハノイ経由でラオスの首都ビエンチャンに行って参りました。目的は、ラオス国立大学で講義をすることでした。テーマは、「アジア共同体と世界市民社会の役割〜日本の神仏習合思想の持つ意味と力を考える」というものでした。ラオス国立大学の2〜3年生の学生60〜70人が聴いてくれ、質疑応答でも8人近い男女が活発に質問してくれました。中にはオレンジ色の僧衣をまとった上座部仏教の僧侶の学生もいました。特に、仏教や宗教の役割について質問が多かったですね。



講義終了後の集合写真

 今回のラオス行きの一番の目的はもちろんラオス国立大学での講義でしたが、加えて、ラオスの宗教と政治経済とメコン川を視察するのも大きな目的でした。わたしはラオスの宗教事情を知りたかったし、ラオスのメコン川を見たかったのでした。わたしのラオスについての関心は、文化人類学者の故岩田慶治さん(1922‐2013)の書いたものを読んだことにあります。わたしは岩田慶治さんを文化人類学者としてだけでなく、詩人として、哲学者として、敬愛しています。一言で言うと、岩田さんの人柄も文章も好きです。

 その岩田さんが、『草木虫魚の人類学—アニミズムの世界』(淡交社、1973年、講談社学術文庫) や『カミと神—アニミズム宇宙の旅』(講談社、1984年、学術文庫)の中に、「新アニミズム」や「ピー」の信仰のことについて書いていたのがとても印象に残っています。これらの多くの文章は、1970年代の大学院生の時に読みました。宗教社会学研究会の確か長野合宿の時だったか、岩田慶治さんが来てくれて、一晩酒を飲みながら語り合ったこともありましたね。

 岩田さんは、講談社学術文庫版『カミと神』「まえがき一カミをたずねる旅−序にかえて」の中に次のように記しています。<ラオスの地方にいくと、住民は仏教信仰とならんでアニミズムのカミ観念を根づよくもち伝えている。ラオ語で精霊をピー(phi)というが、かれらは、巨石にも、大樹にも、川にも、虎にも、ヘビにも、水牛にも、その他もろもろの生物、無生物にピーが宿っていると考えている。すべての生物、無生物に宿っているわけではないが、あやしく、力強く、不思議なものはすべてピーを宿していると考えているのである。>

 今回、わたしは、ラオスでその「ピー」と逢いたかったのです。そして、逢えた、と思います。メコンもそのピーの一つであり、さまざまな樹木信仰の中にもとなりのトトロと共通するピーの存在を感じました。

 ラオス国立大学文学部日本語学科主任のミーサイ先生にピーの信仰についていろいろとお話を聞くことができました。曰く、
①ピーには良いピーと悪いピーがいる。
②よいピーは守護霊や守護神的なはたらきをする。
③悪いピーは妖精や妖怪や悪霊や怨霊のような悪さやいたずらや祟りをする。
④ラオスの主要な民族であるラオ人の多くは仏教徒であるが、それ以外の民族信仰はピーの信仰である。

 ミーサイ先生によると、ラオスには700万人弱の人口がいるが、半数以上のラオ族のほとんどが仏教徒であるとのことでした。政治体制的には社会主義の国だけれども、信仰的には仏教。そして、基層信仰としてピーの信仰を持っている。そんなピーにとても親しみを感じます。八百万の神々の信仰とも共通するものを感じて。



メコン川沿いのピーの祠

メコン川

 ラオスの仏教は上座部仏教(テーラワーダ仏教)で、カンボジアから14世紀ごろに入ってきたらしいですが、正確にはまだよくわかりません。正確な年代はもっと早いかもしれない。ビエンチャンの3つのお寺を回りましたが、その一つ、ビエンチャン最古のお寺のワット・シーサケットにも行きました。ここは、セーターティラート王により建立されたのですが、戦争などで破壊され、今の建造物は1818年に建てられたものだとのことでした。ここには6840体もの仏像があります。凄い数です。

 ラオスには大学(University)と呼ぶものは5つしかないそうです。ラオス国立大学を筆頭に4つの国立総合大学と1つの国立医科大学の5つ。みな国立大学です。私立のカレッジはあるようなので、それはユニバーシティとは違う位置付けのようです。ラオスの大学の中で、一番優秀とされる総合大学がビエンチャンにあるラオス国立大学です。

 ミーサイ先生によると、文学部には言語を学ぶ学科しかなく、哲学や歴史学や心理学などは社会学部の中に入っているとのことでした。文学部英語学科は、去年、250人の定員に3万人の応募があったと言います。同中国語学科は、200人の定員に2万人の応募。続く第3位の韓国語学科は40人の定員に700人の応募。そして4位の日本語学科は同じく40人の定員に200人だったか300人だったかの応募だったと言います。特に近年は、中国語学科が大人気。もちろん、日本でも英語や中国語を学ぶ学生は多いですが、中国語学科の定員200人に2万人が応募するというのは凄すぎですね。日本では考えられない事態です。

 ユニーバーシティは5つだけですが、国立の仏教カレッジがあるというのでミーサイ先生に連れていってもらいました。そして若いお坊さんにインタビューしました。国立仏教大学3年のA君21歳はカンボジアに近い南部出身で、ここの国立仏教カレッジで学んだ後に大学院に進学して経済学を学び、その後は還俗して働きたいと言いました。お坊さんになるのは一つの勉学課程の選択肢としてあるようです。仏教は若者の生き方や人生設計や勉学と密接に結びついているわけですね。



国立仏教大学(カレッジ)

ピーの代わりに釈迦牟尼仏像が



仏教大学3年のA君と

 仏教がこれほど若者の生き方に作用する力があることと仏教を他の学問や文化や行動と結びつけることができるということに可能性を感じました。仏教は哲学的にも学問的にも思想的にも大きな可能性と未来性があると思います。興味深かったのは、ミャンマーのお坊さん二人に、日本には「セン」があるんだろうと訊かれたことです。「セン」とは、漢字では「文A」の合成語の一字で表すようですが、ジャイナ教のことです。どうも彼らは、日本にジャイナ教が根付いていると思っているようですね。なぜかな?

 ところで、わたしにとって、今回の大きな収穫はメコン川とピーとの出会いでした。毎朝ホテルでは朝のお務めとして法螺貝や石笛や横笛を吹きましたが、メコン川と一つのお寺で法螺貝を奉奏しました。メコン川では川べりまで近づいてタイ国境の方に向かって吹き鳴らしたしました。

 ビエンチャンに到着した6月11日の夜7時すぎ、一人でメコン川を見に行きました。その日は、39・8度の気温でした。夜7時過ぎのメコン川はほとんど真暗でしたが、初めてのラオスなので、シティマップをホテルでもらって、それを頼りに行きました。アヌウォン王の像のところまで行くと、目の前に一面に、地の果てのような雄大な夜のメコン川が流れていて思わず涙がこぼれました。ヒマラヤに源流を発し、中国、ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムを流れる大河メコン。ガンジス川同様、ここもまた「母なる大河」です。



メコン川からタイ国境を望む

 ビエンチャンに来た最初の夜、メコン川を見て帰って来て一篇の詩を書きました。これを、今年の秋に出す予定の第三詩集『狂天慟地』(土曜美術社出版販売)に収めます。第二詩集『夢通分娩』(土曜美術社出版販売)はもう出来上がりました。近々お送りしますので、ぜひ存分に書評してみてください。よろしくお願いします。



第二詩集『夢通分娩』(土曜美術社出版販売、2019年6月15日出来)

 以下、第三詩集『狂天慟地』の最後に収めた詩「メコン」です。

『狂天慟地』 メコン

メコン
棚の上の骨壺を抱いて
夕焼けの散華の海に入る

人知れず葬りの蛾
矢板の上に意気消沈した雪だるまが
悶えた

この世の果てまで飛んで来たよ
誰にも見られず
何人にも咎められず
靴下を履いたまま飛び込んだ
おまえの胸に
メコンよ

防ぎようもない空と
喘ぎ見るばかりの
おまえの喉元
ぬめりと流れてゆく舌先を
衝立は途絶えた

メコンよ
何というなつかしさの奥に
蜜蜂がつつき合って
互いを刺し殺す現場を
生まれたばかりの
二日月の生卵
割れぬまま呑み込んだ
おまえの度量

いくばかり
いかばかりかと
捨て石に訊く
死後の生存を

名ばかりの孤独に
唯名論者は躓く
明日を信じないくせに
明日を待ち望む偽善者よ
サンクトペテルブルグまで
日傘をさして
揺籃の扉
消え果てし秀妻
海鮮問屋の蛸と消ゆ
うつばりの夜汽車で

さあ ひらいて
おまえのまたを
ちのはてまでつづく
あめのやちまた

だが ちまたには季節外れの雪が降っていた
熱帯夜のメコンの夜なのに

恐れ多くも畏くも
狂天慟地の凧上がる

だがたとえ 天地がひっくり返っても
あめつちをつなぐ母なる河として
あなたは 流れつづける
この世の果てまで
地の涯てまでも

 2019年6月13 鎌田東二拝

PS. 近々、以下の催しを行ないます。

7月19日に北鎌倉円覚寺塔頭龍隠庵で、第二詩集『夢通分娩』を詠う夕べを行ないます。



また、6月24日(月)には、上智大学大阪サテライトキャンパスで、三島由紀夫についての講座を行ないます。