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シンとトニーのムーンサルトレター 第024信

第24信

鎌田東二ことTonyさま

 ボンジュール!ヨーロッパから帰ってきました。今回の収穫は、バチカン美術館にシスティナ礼拝堂、カプリ島にモン・サン・ミッシェル。いずれも初めて訪れた場所です。バチカンのサン・ピエトロ寺院は何度も訪れていますが、美術館やシスティナは時間の関係や修復中などで、これまで中に入る機会がありませんでした。ミケランジェロの描いたモーセとイエスの生涯をじっくり鑑賞し、いろいろ考えさせられました。プロレスラーのような筋骨隆々としたマッチョなイエスには、ギリシャ哲学の影響が強く見られます。そう、ミケランジェロは熱烈なプラトン主義者でした。システィナ礼拝堂の中で、西洋における三大聖人とはモーセ、イエス、そしてソクラテスの三人であることを、わたしは改めて確認しました。ちょうど、東洋における三大聖人がブッダ、孔子、老子であるように。

 カプリ島も素晴らしかったです。残念ながら潮が高くて「青の洞窟」には入れませんでしたが、代わりに「緑の洞窟」を訪れました。美しかった!そして、世界遺産のモン・サン・ミッシェルもなかなかでした。シンプルな修道院も良かったなあ!絢爛豪華なゴシック大聖堂よりも、わたしは質素な修道院に惹かれます。余計な装飾を排した、純度の高い信仰空間だという感じがします。なによりも、ゴシック教会は同時代に展開された「異端審問」や「魔女狩り」といったカトリックの負の歴史を連想してしまいます。日本にもゴシック教会もどきの建物が各地にたくさん建っています。それらの建物の正体は結婚式場ですが、まるでドラキュラ城のような尖塔を有するおどろおどろしい醜悪な建築物が日本中の都市の景観を破壊しています。まさに、美の環境破壊です。たいへん憂慮しています。

 パリにも滞在しました。セーヌ河をながめながら、Tony Parisさんのことを思い出しましたよ。なんだか、わたしの前世もShin Parisなるフランス人だったような気がしてきました。イタリアは噂通りの暴力的な暑さでしたが、フランスは平均14度くらいで、意外なほど過ごしやすかったです。それよりも、帰国した日本の暑いこと、暑いこと。前回のレターで、今年の夏は平年並みと書きましたが、大間違いでした。

 その殺人的な猛暑の日本で、ここのところ、「人間」について考えています。ずっと『面白いぞ!人間学』(致知出版社)というブックガイドを書いており、「人間」を考える本を大量に読んだせいもあります。Tonyさんは以前、ご自身が確信犯的なトーテミストであり、動物が人間よりも偉いとおっしゃっていましたよね。わたしも常々、あらゆる生きとし生けるものの「いのち」の源は同じであるという「万類同根」を信じている人間です。また、ヒューマニズムを超越し、有情全体の幸福を問題にしたブッダから宮澤賢治までの徹底的な平等主義にも深く共感しています。もとより人間だけが偉いなどとは決して思っておりませんが、一方で、人間は「人間は偉大である」ということを意識しなければならないとも考えております。そこには、かの松下幸之助の影響が強くあります。

 わたしは、松下幸之助という人は「経営の神様」とか「近代日本における最大の成功者」などといった評価を超えて、日本人の歴史の中でも最高レベルの実践思想家であったと考えています。彼の提唱した「PHP」とは「Peace and Happiness through Prosperity」の略で、「平和」「幸福」、そして「繁栄」が謳われています。渡部昇一先生も指摘されていますが、「平和」や「幸福」ということは世界中のどんな思想家でも訴えます。しかし、松下幸之助は経済的な「繁栄」を通して「平和」と「幸福」を実現しようと訴えた。この「繁栄」というコンセプトを打ち出したところに実践思想家としての彼の非凡さがあったと思うのです。

 それこそ、わたしは今、ブッダ、孔子、ソクラテス、イエスをはじめとした聖人たちについてのPHP新書を書いているところですが、錚々たる人類の偉大な教師たちと比較しても、松下幸之助の思想は非常にユニークであり、かつ、現実に与える影響力は甚大です。
彼は「人間は偉大である」ということを言い続けました。数多くの彼の著書の中でも最高の名著だとわたしが思っている『人間を考える』(PHP文庫)の中には、「新しい人間道の提唱」という一文があります。「人間には、万物の王者としての偉大な天命がある。かかる天命の自覚に立っていっさいのものを支配活用しつつ、よりよき共同生活を生み出す道が、すなわち人間道である。人間道は、人間をして真に人間たらしめ、万物をして真に万物たらしめる道である。」からはじまり、以下、礼の精神と衆知にもとづいて人間道を円滑により正しく実現し、政治、経済、教育、文化その他、物心両面にわたる人間の諸活動はすべて、この人間道にもとづいて力づよく実践していかなければならないことが説かれています。この人間偉大説は、PHP総合研究所の江口克彦社長にも受け継がれ、著書『いい人生の生き方』(PHP新書)には、松下思想のエッセンスが簡潔にまとめられています。

 松下幸之助は、「人間がいちばん偉大だ」と考えて、お互いに尊重しあい、敬意をはらっていくことが幸福な結末をもたらすのだと喝破しました。「人間がいちばん偉大だ」という考え方には、傲慢だという批判もあるでしょう。しかしそれでは、人間が偉大だと考えることと、小さな存在だと考えることと、どちらが幸福な結末をもたらすか。

 人間は偉大であるという見方に立てば、お互いに尊重しあい敬意をはらうようになる。一方、人間はつまらない小さな存在である、他の動物と同じでなんら変わりないなどと考えれば、周りの人に対しても、こいつはつまらない存在だと、つい否定したくなる。お互いに相手を否定しあいながらでは、人間どうしが仲良くなるはずもないし、社会がよくなるはずもない。このような松下幸之助の考え方に、わたしも深く共感しています。

 彼は人間尊重のかたちとしての「礼」を重んじましたが、まるで現代によみがえった孔子のようです。孔子は徹底的な人間主義者でした。その関心は極度に人間の問題に集中していますが、そこを本居宣長が批判しています。厩舎が焼けたとき、孔子が「人にけがはなかったか」とたずね、馬のことは問わなかったと、『論語』郷党篇にあります。これについて宣長は、ふつうの火事でも人は焼けることは少ないが馬はよく焼ける。まして厩舎なら馬こそ危うい。まず馬を問うのが人情であろうに、人のことを問うて馬を問わないとは、なんとも「心なき人」である。とりわけ「馬を問わず」とはひどいことで、これは孔子が常人とは違うことを門人たちが吹聴するあまりに、かえって孔子を非情な人にしたててしまったのだ。この句は『論語』から削除するべきであると、宣長は『玉勝間』に書いています。「生まれつきたるままの心」として情を尊重した宣長の、かの「物のあはれ」論に連なる立場がよく出ています。こよなく孔子をリスペクトするわたしも、ここは宣長に同感です。孔子に限らず、聖人とは後世の人々からさまざまに脚色されるものなのですね。

 孔子はまた、自然についてほとんど無関心だったとされています。道家の書である『列子』湯問篇には、孔子がその放浪中に、ある土地で二人の子どもが言い争っているのに遭遇するエピソードがあります。太陽が真上に来たときと地平線にあるときと、どちらの距離が近いかという問題です。一人が太陽が大きく見えるから地平線が近いというと、他の一人は日中は熱いから真上が近いという。孔子がやってきたのを認めて、あの知恵者に決めてもらおうということになります。しかし、孔子はそれに答えることができず、子どもたちは「頼りない知恵者だなあ」と笑ったという話です。もちろん、道家によくある、孔子をおとしめるために作られた笑い話でしょう。でも、孔子が人間について関心を持つあまり、自然に対する科学的な関心をほとんど持たなかったことも事実だと思います。聖人の本を書いていて、孔子と老子は相互補完関係にあるという思いが日々強くなっています。

 自然といえば、本日は全国各地で皆既月食が6年半ぶりに観測できるはずでした。月が完全に地球の影に入る「皆既食」となるはずでしたが、あいにく曇りで見えませんでした。でも、雲が晴れると月はいつもより明るく、とても綺麗でした。わたしは美しい月を見るたびに、「センス・オブ・ワンダー」を痛感します。そして、月の最大の謎について想いを馳せます。もともと謎の宝庫ともいえる月における最大の謎とは何でしょうか。

 それは、地球からながめた月と太陽が同じ大きさに見えることです。人類は長いあいだ、このふたつの天体は同じ大きさだとずっと信じ続けてきました。しかし、月が太陽と同じ大きさに見えるのは、月がちょうどそのような位置にあるからなのです。月は太陽の四百分の一の大きさです。そして不思議なことに、地球から月までの距離も、地球から太陽までの距離の四百分の一なのです。こうした位置関係にあるので、太陽と月は同じ大きさに見えるわけですね。なんという偶然の一致でしょうか!皆既月食ならぬ皆既日食も、太陽と月がぴったりと重なるために起こるのです。この「あまりによくできすぎている偶然の一致」を説明する天文学的理由はどこにもありません。

 この巨大な謎を前にしたとき、わたしはいつも、神や仏といったサムシング・グレートの存在について考えずにはいられません。そして、夜空の月を見上げずにはいられません。人間の深層心理において、月はさまざまなものと結びつけられています。詩、夢、魔法、愛、瞑想、狂気、そして誕生と死・・・そのすべての神秘性を、月はつねに映し続けています。満月のたびに交わすわたしたちの不思議な文通も、これで24回目。ちょうど二年になりましたね。早いものです。この先、いつまで続くかはわかりませんが、今後ともよろしくお願いいたします。それでは、Tonyさん、オルボワール!

2007年8月28日 一条真也拝

Shinこと一条真也さま

 ボンジュール、シン! ジュ・マペル・トニー・パリ・カマターニュ。わたしは今、久高島にいます。今しがた東の浜でご来光を仰ぎ、朝のお勤めをし、真裸になって海に入って禊し、宿所の久高島交流館に戻ってきて、この返信レターを書き始めました。

 昨日のお昼に久高島に着いたのですが、皆既月食は後半部が見られました。十六夜の赤い満月が欠けていく様子も、完全に欠けている状態もよく見えました。しかしその直後に雲に隠れてしばらく見えず、10時半過ぎに皓皓たる満月が顔を覗かせました。東の浜で1時間ほど月見をし、その後、伊敷浜に出てまた月見をし、そこで真裸で月光浴兼沐浴、すなわち禊をしました。満月のもと、まっぱだかで禊をしたのは初めてで、えもいわれぬ心地でした。うろこをぬめらせ、のたうち、光り輝きながらうねってゆくリーフの波があまりにも官能的で、ファンタスティックで、神秘的で、魅入ってしまいました。大きな龍か海蛇が島の沖をくねくねと取り巻いているような、不思議な光景でした。思わず手を合わせたくなる光景でした。

 8月23日からわたしたち科研「モノ学・感覚価値研究会」(詳しくは、http://homepage2.nifty.com/mono-gaku/)のメンバー8名は、沖縄に研究合宿に来ています。沖縄のお盆の行事を見学することと、その中で日本の南西の果てから「モノ」を見ることをテーマに30日までの7泊8日の研究合宿です。その成果はいずれモノ学・感覚価値研究会のホームページに掲載し、2008年3月発行予定の研究雑誌『モノ学・感覚価値研究第2号』(京都造形芸術大学モノ学・感覚価値研究会発行)にも掲載する予定ですので、その折はぜひご覧ください。

 24日は与那国の、25日は波照間の、26・27日は石垣島のお盆の行事、アンガマとムシャーマを見ました。それぞれまったく異なる祭礼と楽で、八重山南西諸島の多様性を強く感じた次第です。地質学専攻の地球科学者で京都造形芸術大学教授の原田憲一さんも一緒だったので、与那国ではレンタカーを借りて、町役場の方と那覇市文化協会常務理事・事務局長の民俗芸能研究家・佐藤善五郎さんの案内で、まずは地形・自然と歴史民俗資料を見ていきました。島内を一周し、東の端から西の端の日本最西端まで地質の特徴のレクチャーを受けながら見て回る贅沢かつ有意義な時間を持ちましたが、何と言っても強烈だったのが「東崎(あがりざち)」の「風」です。

 この「風」にはつらぬかれました。きよめられました。あらわれました。よみがえらせられました。すばらしい、にらいかないからのかぜ。『風の谷のナウシカ』で、ナウシカがアスベル少年と共に腐海に降りていって、渓谷の川の中でオウムたちに取り巻かれる場面がありましたね。ナウシカはオウムの前に身をさらし、オウムが金の触手を伸ばしてナウシカを包み込み、ナウシカの心の中のすべてを調べるシーン。その心の中で、ナウシカの衣服が風により剥ぎ取られ、なつかしい記憶が蘇ってくる。オウムの幼虫を大事に持っていて、隠そうとするナウシカに、彼女の父は「蟲と人間とは一緒に棲めないのだよ」と諭す。ナウシカは必死で抵抗するが、オウムと別れ別れにさせられる。あの場面で、ナウシカが無心の心で王蟲に対する時のような、何も無い心。何も持たない無心の心。それを東崎の激しい風はもたらせてくれたのです。そしてそれはまさしく、常世の国・ニライカナイからの「魂風」だったと強く強く感じました。

 古来、世界中のどの民族でも「風」は「霊魂」の隠喩となって来ましたが、まさに霊的世界の消息を東崎の風はもたらしてくれました。この世のものとは思えない、あの世から吹いてくる風。神風。魂風。霊風。水による禊ではなく、風による禊というものがあるのだということを全身全霊で感じさせられました。これはまさに「ミソギ(身削ぎ)」だ! と。

 友人である喜納昌吉さんの歌に与那国のこの東崎を歌った歌、「東崎(あがりざち)」がありますが、それはそれは素晴らしい歌です。わたしは、喜納さんの数ある歌の中でもその歌が一番好きです。「すべての人の心に花を」よりも。その「東崎」まで、とうとう、やってきたのだ。日本列島の果てと言えば、晴れた日に台湾が見えるという最西端の西崎が果てではありましょうが、わたしは東崎の方に「日本の果て」を感じたのでした。日本人は朝日の差し上ってくる「東=あがり」に、魂の世界に近い「果て」を感じたのではないでしょうか。それはこの世とあの世との境界をなす境目としての「果て」でした。三次元世界と霊的世界や四次元世界と立体交差する分岐点としてのこの世の「果て」。その「果て」を東崎に感じ、魅入られたのです。

 夜の10時ごろに、もう一度この東崎の尽端に立ちました。雨上がりの後、美しく12夜の月が輝き、東の空にピカピカと雷光が走っている神秘としか言いようの無い光景の中、夜の東崎の突端に立ち、もう一度風に吹かれました。東の空には天の蛇がのたうち、閃光を放っていました。狂ったように空をうねり、海に刺さり、はねかえる。その不規則でアナーキーでダイナミックな光の筋の運動に魅入りながら、ひらすら手を合わせているばかりでした。

 波照間では、ムシャーマの仮装行列を見学しました。白く大きなムーンフェイスのみるく(弥勒)を先頭にさまざまな衣装と歌舞音曲の老若男女の仮想行列が続きます。サンシン(三味線)の響き、笛・太鼓。ドラ。そして、ホラ貝の合奏。ホラ吹きトニーのわたしは、このムシャーマ行事のホラ貝の合奏にはじつに感動したなあ! なつかしいともだちにめぐりあったような、そんなわらいたくなるようなこころもち。

 前組・西組・東組の舞台での踊りの途中抜け出して、御嶽を参り、日本列島最南端まで歩きました。そこで禊をしたいと思っていたのですが、とてもとても、禊のできるようなところではなく、崖っぷちの、その波の中にひとたび身をさらせば、あの世まで持っていかれそうな、強力な、どこまでも青黒い激しい波波波。嗚呼、ここが日本の最南端か。そこもまたこの世の「果て」だと強く感じました。この先には何も無い。実際には、この南にはフィリッピンがあるのですが、そのような物質世界の秩序とは違う次元に入っていく回路としての何も無い「果て」。『ゲド戦記』の描くこの世の果てのような、『ナルニア国ものがたり』の「朝びらき丸東の海へ」のこの世の果てのような、そんな遠い遠い風景。東崎のような優しい「果て」ではなく、激しく剥き出しの「果て」。そんな苛烈な、容赦ない「果て」を波照間の最南端で感じました。そこもまた、風と波の渦巻く世界でした。

 石垣島では、アンガマの盆行事を見ましたが、これまたすばらしく、とくに登野城の小中学生の子供たちの演奏演舞するアンガマがスピリチュアルでピュアーで、実に美しく、清潔で、潔かった。何とも言葉で表現できない感動を覚えたのです。アンガマとは、お盆に戻ってくる祖霊(仮面をかぶったお祖父さんとお婆さん、翁とオウナで表現される)や死者たちが太鼓を叩き、笛を吹き、サンシンを弾く中で踊り、またオキナとオウナと観客席からの質問者との滑稽な掛け合いをする中で繰り広げられます。その30名弱の死者集団は一軒一軒家を回り、歌舞音曲と掛け合いをすることで、死者供養をしていきます。それが次の世代の子供たちに引き継がれて、小中学生だけの死者集団が家々を巡回していくのです。まるで、欧米のハローウィンのように……。

 踊りの達者な男女もいて、その衣装、デザイン、振り、音楽など、見所・聞き所がいっぱいでした。それは「魂風」のように、一軒一軒にあの世の「風」を送り込むのでした。祖霊や死者の世界の音信を歌舞音曲という「風の響き」によって伝える「タマヲギのわざ」がアンガマなのだと思います。それは洗練されてもいましたが、また力強さと庶民性を濃厚に保ってもいました。折口信夫は石垣島でこのアンガマを見たことも手伝って、彼の「マレビト」論を確信したと聞きます。わたしは、与那国の東崎や波照間の最南端の御崎と同様に、アンガマもまた、「風の王国」のポイントでありワザであると思ったのです。

 27日には原田教授の地質学の説明を受けながら、石垣島の要所である観音崎、御神崎、玉取崎、そして白保と宮良の御嶽めぐりをしました。特に、玉取崎から見た珊瑚礁のリーフと湾内が絶景で、海の青と空の青と珊瑚群の色合いの絡み合いが、群青曼荼羅と言えるほどのブルーワールドを見せてくれました。風も爽やかで、その青と風の中、法螺貝を響かせました。

 そして、昨日、28日には石垣島から那覇経由で久高島に入り、ドキュメンタリー映画『久高オデッセイ』(2006年第1部完成)の監督・大重潤一郎さんと合流し、大重さんの案内でお盆の最後の日の久高島を島内見学し、夜は刺身を買ってみんなで料理して歓迎会。島の区長さんも土地管理委員会の委員長さんも久高小・中学校の教頭先生も来られて、モノ学・感覚価値研究会のメンバー7名と祝宴。その間に少し皆既月食が見られたというわけなのです。

 大重監督は、『久高オデッセイ』の第2部の撮影に入っています。わたしたち、NPO法人東京自由大学の有志は、大重さんの製作資金をカンパし、励ましていますが、第2部の今回はわたしが製作にまわることになりました。



久高島の波止場の大重潤一郎監督と鎌田東二(撮影:上林壮一郎)

 今日の夜は、沖縄での研究合宿の最後の夜になるので、那覇市の中心街の国際通りの三越近くの居酒屋レキオスで打ち上げ会を行います。詩人の高良勉さんや佐藤善五郎さんも来る予定です。また、東大大学院で宗教学を専攻している沖縄出身の大学院生も来る予定です。そんなこんな沖縄での1週間を過ごしました。

 さて、この間、8月前半に、わたしはNPO法人東京自由大学の夏合宿で白山に登拝しましたが、これがまた凄かった。台風4号の影響下、暴風雨の中、白山山頂まで登りましたが、霧のためまったく視界が効かず、山頂の社で登拝した9名で参拝祈願をした後、独りで山頂周辺を歩き回りましたが、その峰の白の深遠とその白光の懐かしさと優しさには涙が溢れ出、号泣し嗚咽してしまいました。そんなことは、初めての経験で、どうしたのだろうと思うほど、霧の白山山頂に感じ入ったのです。ほんとに、どうしたのでしょう!?

 白山は、わたしにとって、忘れられぬお山になりました。また、行きたいです。晴れていたら、人もたくさんいて、こんなことにはならなかったと思います。暴風雨で、わたし独りきりになった時間にこの世の「果て」のような、あの世からの光を感得したのです。僥倖でした。

 その翌々日、長野県の戸隠の「遊行塾」で講演し、戸隠修験の本拠地の戸隠山と九頭龍山を独りで登り、蟻の門渡りを経験しました。修験の本場、大峰の山上ヶ岳の大日岩巡りと勝負できるほど怖い場所で、わたしは四つん這いと馬乗りを交互に繰り返して渡りましたが、この上をスイスイ立って歩く人がいると聞いたことがありますが、それはほとんど仙人のワザですわ!

 今年、鳥取県の大山を皮切りに、日光の男体山、白山、戸隠山、出羽三山と、修験の御山巡りが続いています。修験の霊山はすべて美しいブナ林帯がありますね。それだけ水が豊富できれいだということですね。「東山修験道」の開発から始まったわが修験の山巡りは留まることをしらず、その美しさと深遠にはまっています。ほんとに、これは「浄土」の世界、この世の「果て」のトランス世界ですわ。

 そんなこんなで、この夏は隠岐や沖縄の海から修験の山まで、海山をめぐりめぐっています。シンさんは、そんな折、ヨーロッパに出かけ、帰国してからは『面白いぞ!人間学』(致知出版社)とかPHP新書の執筆に没頭しているのですね。わが故郷のパリはなかなかよかったようですね。おれもパリに盆帰りしたいわ。

 最後に「人間の偉大さ」について、わたしは人間は「大きくなる技法」を飛躍的に開発してきて「偉大化」してきたけれども、これからは「小さくなる技法」を開発しなければ人類は「偉大過」しすぎて自滅すると確信しています。そんなこともあり、「人間の偉大さ」を謳歌することはわたしにはできません。ペシミストでもニヒリストでもありませんが、絶滅種であった恐竜をトーテム=わが先祖とする鎌田東二は、「絶滅」の記憶を内蔵しております。人類も「絶滅」寸前ではないか、と思っています。修験道は「六根清浄、懺悔懺悔」と大声で唱えながらお山駈けしますが、しんそこ「懺悔」が必要ではないでしょうか? 地球にごめんなさい。鉱物・植物・動物にごめんなさい。そして人間にごめんなさい。神さま・仏さま・ご先祖さま、ごめんなさい。

 シンさん、ごめんなさい。わたしのニンゲン批判は相当根深いのです。自分自身のことももちろん含めてですが……。いずれ、絶滅の覚悟をする時がくるだろうと思っています。それでも、今日も明るく、ナショナルに、オルボワール!

2007年8月29日 鎌田東二拝