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シンとトニーのムーンサルトレター 第104信

第104信

鎌田東二ことTonyさんへ

 Tonyさん、いま金沢から小倉に戻ったばかりです。金沢も小倉も雪ですが、東京はまたもや積雪だそうですね。先月末は小倉でお会いできて嬉しかったです。1月27日の夜、サンレー北九州の新年賀詞交歓会が行われました。まず17時半から、平成の寺子屋「天道館」において、お披露目を兼ねた卓話会が開かれました。話すのは、サンレーグループ]の佐久間進会長です。演題は、「いい環境にめぐまれて 〜私の健康法〜」でした。会長自身の体験を基にしたリアルな話に、みなさん真剣に聴き入っておられました。

 18時半からは松柏園ホテルにおいて、じつに300名近くのお客様がお越し下さいました。人数が多いので迎賓は行わず、お客様にどんどん会場に入っていただきました。オープニングの花柳三五郎先生による日舞の後、司会者より開会宣言。それから、社長であるわたしが挨拶させていただきました。わたしは、「昨年のわが社は増収増益、特に経常利益においては史上最高額を計上することができました。これも日頃より支えていただいている皆様のおかげと心より感謝いたしております。今年は、宅食事業、樹木葬霊園事業などを新たにスタートします。グループでは、いま、8つの紫雲閣を同時に作っており、今年の半ばには60店を突破する予定です」と述べました。

サンレー賀詞交歓会で挨拶する一条真也

サンレー賀詞交歓会で挨拶する一条真也サンレー賀詞交歓会で挨拶する鎌田東二

サンレー賀詞交歓会で挨拶する鎌田東二
 また、「ミャンマー仏教の寺院である世界平和パゴダの支援を通じて、少しでも心ゆたかな社会づくりのお手伝いをしたいと願っております」と言ってから、来場した僧侶を紹介させていただきました。最後は僧侶が「世界平和パゴダをよろしくお願いします」と挨拶されました。すると、満場のお客様から盛大な拍手が起こりました。わたしは、「来月には『自由訳 慈経』も完成します。今年も、どうぞよろしくお願いいたします」とも述べました。

 それから、宮崎から駆けつけて下さったTonyさんに来賓祝辞および法螺貝奉奏をしていただきました。さらにTonyさんの乾杯の発声により、華やかに宴がスタートしました。賀詞交歓会の終了後には、恒例のカラオケに出掛けましたね。Tonyさんは大の煙草嫌いですが、昨年末、京都の祇園で煙草の匂いが充満したカラオケルームに入れられて散々な目に遭われたそうですね。そのせいで、風邪も引かれたとか。今夜も、禁煙のカラオケルームではサングラスにマスク姿で、まるで銀行強盗か学生運動の闘士みたいでした。(笑) これでコートを着込んで帽子を被れば、もう透明人間の世界ですよ。(笑)とにかくマスクをしたままカラオケを歌う人を、生まれて初めて見ました!

 わたしたちが歌った歌ですが、Tonyさんはまだ風邪が完治していないとのこと。そのため、「琵琶湖周遊歌」(加藤登紀子)、「上を向いて歩こう」(坂本九)、それから「ロマンチック」(ザ・ブルーハーツ)の3曲しか歌われませんでした。じつは宇多田ヒカルや戸川純のナンバーも歌われようとはしたのですが、あいにくお目当ての曲ではなかったようで、途中で演奏を中止されたのです。

 一方のわたしは「ぜひ、2曲づつ歌って下さいよ!」というTonyさんのリクエストもあり、「あの鐘を鳴らすのはあなた」(クレイジーケンバンド)、「蛍」「ピースとハイライト」(サザンオールスターズ)、「祭りのあと」(桑田佳祐)、「時間よとまれ」「アイ・ラブ・ユー・OK」(矢沢永吉)、「幸せな結末」(大滝詠一)、「A面で恋をして」(ナイアガラ・トライアングル)、「アンコ椿は恋の花」(都はるみ)、それから「港町ブルース」(森進一)の合計10曲を熱唱しました。賀詞交歓会の直後ということもあり、けっこうグロッキーになりました。なんだか歌い過ぎて、無性に腹が減ってきました。カラオケ店を出たわたしたちは、小倉名物の「力(ちから)ラーメン」に向かいました。もちろん、2人とも、豚骨ラーメンを食べましたとも。Tonyさんは「風邪を治すために」と言いながら、大量のニンニクをラーメンに投入していましたね。

 ところで、Tonyさんは先日、宮本武蔵が『五輪書』を書いた熊本・玉名の金峰山霊巌洞を訪れ、いたく感じ入られたそうですね。そして、それ以来、武蔵に強い関心を抱かれているとか。そのことを知った佐久間会長から「このすぐ近くの手向山には、武蔵と小次郎の碑がありますよ」と聞かれたそうで、Tonyさんは「手向山に行きたいです」と言われました。わたしたちは28日の朝、松柏園ホテルで朝食をともにした後、車に乗り込み、手向山へと向かいました。

 手向山は、わたしの自宅からもすぐで、歩いて15分くらいの距離です。わたしの自宅は北九州市小倉北区の赤坂2丁目ですが、手向山は赤坂4丁目です。高さ76メートルの山で、小倉北区と門司区の境界に位置します。ここは宮本武蔵を顕彰する小倉碑文があることで有名です。また、佐々木小次郎を顕彰する碑文もあります。毎年4月13日前後の日曜日には、手向山山頂の公園で、「武蔵・小次郎まつり」が開催されます。少年剣道大会を中心とした祭ですが、武蔵と小次郎の決闘(巌流島の決闘)が行われたとされる1612年(慶長17年)4月13日にちなんでいます。

 わたしたちは手向山の山頂から関門海峡を眺め、武蔵と小次郎が決闘した巌流島(船島)を望みました。Tonyさんはそこで関門海峡に向かって法螺貝を吹かれました。ちょうど、その方角には巌流島があり、その先には源氏が平家を滅亡させた壇ノ浦があります。さらに巌流島の近くには世界平和パゴダがあります。巌流島および壇ノ浦という「戦」のシンボルとパゴダという「平和」のシンボルが同じ視界に入っている・・・・・わたしはこのことに非常に感動し、思わず合掌して心からの平和の祈りを捧げました。関門海峡に響け、平和の法螺貝!

手向山の山頂から関門海峡を望む

手向山の山頂から関門海峡を望む関門海峡に響け、平和の法螺貝!

関門海峡に響け、平和の法螺貝!
 ちょうど、そのとき、関門海峡を赤い船が通り過ぎて行きました。まことに詩的な情景でしたが、その船の船体には「IL SHIN」と書かれていました。わたしはそれを指差して、「あの船、SHINと書かれていますよ!」と言ったところ、Tonyさんは「イル・シン・・・・・シンは、ここにイル!」と叫ばれました。あいやー、まさにTony節が炸裂した瞬間でしたね。Tonyさんは手向山をたいそう気に入り、「ここで祭をやりたい」と言われました。

 Tonyさんが主宰する「モノ学・感覚価値研究会 研究問答」に連載されている「東山修験道」というエッセイの第237回には次のように書かれています。
「吾は、これから、『宮本武蔵祭り』をやりたい、と思っているのだ。なぜかと言うと、わたしが棲んでいる左京区一乗寺には『一乗寺下がり松』というところがあり、ここで宮本武蔵は吉岡道場の吉岡清十郎たちと決闘し、撃ち殺したと言われている。
もっとも、これは、吉川英治『宮本武蔵』の創作で、史実は不明である。
が、わが砦の近くの瓜生山下の狸谷山不動院には宮本武蔵が修行したという滝があり、ここで武蔵は決闘前に滝に打たれ、『神は尊ぶが、神に恃まない』という心境を得たとされる。まあ、どうか、わからんけどね。
そして、29歳との時、巌流島で佐々木小次郎と闘ったというわけだ。そこで、京都の一乗寺と小倉や下関の巌流島と熊本・玉名の金峰山霊巌洞の3点を切り結んで、『宮本武蔵』の武芸と思想を検証〜顕彰する『宮本武蔵祭り』を行ないたいと思っているのだ」

 さて、武蔵は二刀流で有名ですが、わたしも「ヘッポコ二刀流」を自称しつつ2本のブログを毎日書いています。それで、武蔵の碑文の前で、「これからも、ヘッポコ二刀流を続けられますように」と願をかけました。すると、Tonyさんが厳しい顔をされて、「あなたのブログは、ヘッポコではない!」と、河童じゃなくて喝破されました。さらに、「あなたのブログは素晴らしい。そして、社長業と作家業を両立させているあなたの生き方そのものが見事な二刀流ですよ」と身に余るお言葉を頂戴いたしました。Tonyさんによれば、「仕事をする人」や「物事を深く考える人」は世の中に多くいますが、「物事を深く考えながら仕事をする人」は少ないそうです。それを両立できる人こそが「世直し」を実現できる人なのだとか。

 そして、Tonyさんはわたしに「天地二刀流の開祖になりなさい」と言われたのです。「天地二刀流」とは天と地、太陽と月、そして生と死を結ぶワザだそうです。それはそのまま「産霊(むすび)」そのものであると言えますが、鎌田先生からのミッションをわたしは慎んで拝命しました。

 鎌田先生は「東山修験道237」に以下のように書かれています。
「この地で二人は、新たな『二刀流』の『流祖』として活動していくことを誓った。
一条真也氏は『天地二刀流』の開祖として。吾は、『神仏二刀流』の中興の流祖として。いやはや、おもろくも、入魂の旅であったわいなあ!
そして、吾はこれから京都大学で『宇宙総合学』ユニットの会議に参加するのだが、一条真也サンレー社長の『月面聖塔』や『月面葬』がNASAの元技術者で、現在「エリジウム・スペース社」CEOのトマ・シベ氏の目に留まり、『宇宙葬』という新ビジネスを展開していくのだとか。
そこで、一条真也サンレー社長 は、この7月に米国に渡り、NASAに行き、トマ・シベCEOにも会って話をしてくるのだとか。
いやはや、黒田官兵衛ではないが、実に『今も、乱世だ』の〜。その黒田官兵衛が、宮本武蔵を3000石で召し抱えようとして、武蔵はこの得難い士官を断り、生涯一武芸者として生き、最晩年に霊巌洞で『五輪書』を著した。
一条氏にも『現代五輪書』を書いてもらわねばのう〜。
そして、こころの未来研究センターの吾は、『未来五輪書』でも書き遺すかの〜」

 いやはや、Tonyさんの構想(妄想?)は留まるところを知りませんが、わたしは『五輪書』には大いに興味があります。というのは聖徳太子の「憲法十七条」と同じような意味で、『五輪書』には神仏儒のエッセンスがハイブリッドに込められているような気がするのです。わたしは、いつの日か「憲法十七条」を自由訳してみたいと思っているのですが、『五輪書』にもぜひ挑戦したいですね。熊本・玉名の金峰山霊巌洞にも行ってみたいです。
そのまま、先生を小倉駅までお送りし、Tonyさんとはお別れしました。

 そうそう、途中のコンビニで買った『黄昏流星群セレクション 我が愛しの剣星』をプレゼントさせていただきました。弘兼憲史のコミックですが、宮本武蔵の時空を超えた恋を描いたなかなかの傑作です。数日前、わたしはこのコンビニマンガを読んでいるときに、Tonyさんから「今日、霊巌洞を訪れました。武蔵に興味が湧いてきました」というメールを頂戴して、「おお、シンクロニシティだ!」と驚いたのです。

 ユングによれば、シンクロニシティという意味のある偶然の一致は「宇宙からミッションが与えられること」のサインだそうです。そして、まさにそれが「神ながら」ということなのだと、Tonyさんが教えて下さいました。ということで、Tonyさんと束の間の「魂の自由旅」を楽しむことができました。それでは、また会う日まで。オルボワール!

2014年2月15日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

  Shinさん、1月27日の小倉では大変お世話になり、まことにありがとうございました。いずれ近いうちに「宮本武蔵祭り」、ぜひやりたいですね。やりましょう! 現代巌流島の戦いを!

 わたしが「宮本武蔵祭り」をやりたい理由は、レターでShinさんが引用してくれた通りです。わたしの住む京都の一乗寺と、Shinさんの住む小倉や下関の巌流島と、蓮華院誕生寺の川原英照貫主さんの住む熊本・玉名の金峰山霊巌洞の3点を切り結んで、「宮本武蔵」の武芸と思想を検証〜顕彰する「宮本武蔵祭り」を行ないましょう! 絶対! なにとぞよろしくお願いいたします。

 宮本武蔵は21歳で「都」に出て、「天下の兵法者」と「数度の勝負」をして負けたことがないと『五輪書』の冒頭に書いています。

 <兵法の道、二天一流と号し数年鍛錬の事、初而書物に顕さんと思ひ、時に寛永二十年十月上旬の比、九州肥後の地岩戸山に上り天を拝し観音を礼し仏前にむかひ、生国 播磨の武士新免武蔵守藤原の玄信、年つもって六十。/我若年のむかしより兵法の道に心をかけ、十三歳にして初而勝負をす。其のあひて、新当流有間喜兵衛といふ兵法 者に打勝ち、十六歳にして但馬国秋山といふ強力の兵法者に打勝つ。廿一歳にして都へ上り、天下の兵法者に会ひ数度の勝負をけつすといへども勝利を得ざるといふ事な し。其後国々所々に至り、諸流の兵法者に行合ひ六十余度迄勝負をなすといへども、一度も其利をうしなはず。其程歳十三より廿八、九までの事也。>

 と。なんと、13歳から28〜29歳までの間に、「60余度」も「勝負」をして、負けたことがないなんて! それって、凄いことじゃないですか。宮本武蔵はまさしく「天下無双」だったのですね!

武蔵は『五輪書』に、
「第一によこしまになき事をおもふ所
第二に道の鍛錬する所
第三に諸芸にさはる所
第四に諸職の道を知る事
第五に物事の損徳をわきまゆる事
第六に諸事目利を仕覚ゆる事
第七に目に見えぬ所をさとつてしる事
第八にわづかなる事にも気を付くる事
第九に役にたたぬ事をせざる事」

 と書いています。これは、「兵法」を学ぼうとするものが必ず心がけねばならない9ヶ条です。邪心なき正道を歩み、たゆまぬ道の鍛錬をし、諸芸全般に触れて学び、もろもろの職能や仕事を知り、物事の損得をリアルにわきまえ、諸事万端に関し、さまざまなる分析力を身につけて、目利きになり、さらには目利きを超えて、「目に見えぬところ」を悟って知る。そして、ほんのちょっとしたことにも注意を怠ってはならない。それが命取りになることもあるから。そして、結局、役に立たないことはしない。すべてを役立つように仕上げる。こうして兵法を鍛錬しろと諭すのです。

 また、『五輪書』水の巻には、「兵法二天一流の心、水を本として、利方の法をおこなふによつて水の巻として、一流の太刀筋、此書に書顕はすもの也。」とあります。「水」を手本するということは、水は器によって形を変えることができるから、場や関係によって、「臨機応変」に姿を変えよということでしょう。「臨機応変力」が武芸のリアリズムであることを宮本武蔵はよく知っていました。この「臨機応変力」が身体を用いるあらゆるパフォーマーの真髄であることは言うまでもありません。

 またさらに、「目の付けやうは大きに広く付くる也。観見の二つの事、観の目つよく、見の目よわく、遠き所を近く見、ちかき所を遠く見る事、兵法の専也。敵の太刀をしり、聊かも敵の太刀を見ずといふ事、兵法の大事也。工夫有るべし。此眼付、ちひさき兵法にも、大なる兵法にも同じ事也。目の玉うごかずして両わきを見ること肝要也。かやうの事、いそがしき時、俄にはわきまへがたし。此書付を覚え、常住此目付になりて、何事にも目付のかはらざる所、能々吟味あるべきもの也。」と言います。

 目のつけようにも二種があると言うのです。「見」の目付けと、「観の目付け」です。この内、「観」が強い目で、「見」はそれに比べて弱い。要するに、全体を見ること。遠いところを近くに見、近いところを遠くに見る。目の玉を動かさずして両脇を見ること。これができなければ勝負に負けるということです。これも、勝負師にはよくわかる鉄則です。「木を見て森を見ず」では、線上ではすぐに殺されてしまうから。

 また、「有構無構といふは、元来太刀をかまゆるといふ事あるべき事にあらず。され共、五方に置く事あればかまへともなるべし。」とも言っています。「構え有って、構え無し」、これは「兵法」の極意です。よくよく肝に銘ずるべきでしょう。

 最近、宮本武蔵の『五輪書』と柳生宗矩の「兵法家伝書」を読み比べていますが、柳生宗矩もなかなかですよ。たとえば、次の一節。

 <〇兵法の、仏法にかなひ、禅に通ずる事多し。中に殊更著をきらひ、物ごとにとゞまる事をきらふ。尤も是親切の所也。とゞまらぬ所を簡要とする也。江口の遊女の、西行法師の歌にこたへし歌、

家を出る人としきけばかりの宿に
心とむなとおもふばかりぞ

 兵法に、此歌の下の句をふかく吟味して、しからんか。如何様の秘伝を得て手をつかふとも、その手に心がとゞまらば、兵法は負くべし。敵のはたらきにも、我手前にも、きつてもついても、其所々にとゞまらぬ心の稽古、専用也。>

 この「家を出る人としきけばかりの宿に心とむなとおもふばかりぞ」の歌は、『新古今和歌集』の第978番歌の西行の「世の中を厭ふまでこそ難からめかりのやどりを惜しむ君かな」に対する江口の遊女「妙」の返しの歌、「世を厭ふ人とし聞けばかりの宿に心とむなと思ふばかりぞ」(『新古今和歌集』第979番歌)の冒頭の「世を厭ふ」を、「家を出る」に変えたものです。

 それを柳生宗矩さんが「深く吟味すべし」と問いかけているのですよ。これは有名な「活人剣」下に出てきます。

 西行が天王寺を参拝したところ、俄かに雨が降ってきたので、江口の遊女のところで雨宿りを申し出たのが、『新古今和歌集』第978番歌の「世の中を厭ふまでこそ難からめかりのやどりを惜しむ君かな」の歌です。西行は過酷にも、世の中を厭うて出家するのは難しいだろうけれど、あなたは仮の宿さえ貸すことを惜しむのですか、と非難します。

 それに対して、遊女の妙さんは、「世を厭ふ人とし聞けばかりの宿に心とむなと思ふばかりぞ」と突き放すのです。これは遊女の妙さんの方が一段上ではないでしょうか? この真剣勝負に西行法師は「負けた」のです。

 遊女の妙さんは、「法師であるあなたさまは、悩み多い世の中を厭うて出家されました。そのようなお方が、かりそめであるとしても、遊女であるわたくしなんぞの宿に泊まるなど、そんなことに執着なさいますな。」といなせにというのか、粋に突き放したのですね。

 この歌のやり取りの後、歌の名手である二人は夜を徹して語り明かしたということですが、この遊女の妙さんは、源平の合戦に敗れて没落した平家の平重盛の息子の平資盛の娘、つまり、平清盛の曾孫だったとのことです。この『新古今和歌集』を材に、世阿弥の娘婿の禅竹が『江口』を仕立て上げたと言われます。もっとも、これは世阿弥の父の観阿弥作といういう伝えもあるので、作者についての議論はあるところですが、強烈な無常観が表明されているところなど、禅竹ものではないかとわたしは推測していますが、さて?

 この謡曲『江口』では、江口の君が、遊女の罪業と無常の世のありさまを謡い舞い、執着を捨て去れば迷いはないと説き及んで普賢菩薩に変身し、白象に跨って西の空へと消えさって行くところに、最後の地謡が、「思へば仮りの宿 心留むなと人をだに 諫めし我なり これまでなりや帰るとて 即ち普賢菩薩と現はれ 舟は白象となりつヽ 光と共に白妙の 白雲にうち乗りて 西の空に行き給ふ ありがたくぞ覚ゆる ありがくこそは覚ゆれ」とその功徳を詠嘆して閉じられるのです。

 中世には観音菩薩や普賢菩薩がいろいろな姿に化身して衆生を救済するという物語がいろいろと語られますが、これもその一つです。

 Shinさん、ここでわたしの「勝敗」について、語らねばなりません。わが1年に1回行なう「巌流島の戦い」は、吾が「神仏二刀流」の「歴史的敗北」でありました。

 東京は、世田谷区梅ヶ丘のライブハウスCrazy Catsで、9回目(9年目)の因縁の「Tony & Kow対決ライブ」。歴史的な大雪で、新幹線や都内の電車のストップした2月15日(土)、「歴史的敗北」を喫したのでございます。今回は、Shinさんの応援も、島田裕巳さんのヤジもなかったしねえ。

 対戦直前、ライブ会場近くの蕎麦屋で、中央大学の大学院博士課程在学中の大学院生の辻信行君と大盛りの「カツ丼」を食べ、そこで相席したおじいさんと話をしていて、奥さんの名前が「緑」だと分かった時には、「勝利」の雷光が瞬き、間違いなき勝利を確信したのでありますが、結果は、なな、なんと、「歴史的敗北」でござった〜。

 が、これで、1年間の精進努力を約束されたわけなので、これを「天命直受」と受け止め、この1年、さらにさらに精進を重ねる決意であります。

 ライブ報告をさらに少し申せば、全14曲を前半と後半の2部仕立てに分けて歌い合う「歌合戦」の「先攻」で、毎日毎晩、もっとも稽古を重ねてきた歌「永訣の朝+赤い靴」を歌い始めた途端、マイクがガーガー・ピーピーと唸り声を上げ始めたのであります。まさに「邪魔」が入るとはこのこと。これもまた「運命」なのでありましょう。

 愚直なる「神道ソングライター」は、歌い始めたら途中で止めることができないので、それで1曲、歌い切りましたが、最初の最悪コンディションを最後まで挽回できなかったのであります。臨機応変力とリカバリー力がまだまだだということですね。さらなる「臨機応変力」を練り上げる精進が必要とわかりました。

 が、それはそれとして、最後に、歌合戦の前日の朝に3分間で作った新曲「いのちあるものよ」(271曲目)を歌い、手ごたえを得たのは収穫でした。これは、完全スカのリズムの曲です。歌詞は次のようなものです。

いのちあるものよ 歌い続けるのだ
いのちの限りを いのちの限り と
おおかめ おおかめ おおかめ おおかめ おおかめかめかめかめかめかめかめ

生きていくことは 探し求めること
生きていくことは 失くし続けること
おおまえ おおまえ おおまえ おおまえ おおまえまえまえまえまえまえまえ

死んでいくことは 祈り託すこと
死んでいくことは 痛み手放すこと
おおゆめ おおゆめ おおゆめ おおゆめ おおゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめ

君と出会った今 君と共に今
走り続ける今 かけがえのない今
おお今 おお今 おお今 おお今 おお今今今今今今今今

歌い尽すこと 祈り託すこと
虹を渡すこと 夢を映すこと
おお夢 おお今 おお夢 おお今 おお夢夢夢夢 今今今今
夢夢夢夢夢夢 今今今今今

 というものですが、これを次回のバネと武器として、最終回10年目を戦い抜いて討ち死にする覚悟でございます。今回、わたしは、「敗残」の影法師の「鎌田東死」となりましたが、修験道の極意は「死と再生」であります。必ずや来年、10回目(10年目)の最後の対決で再起しましょうぞ!

 シンガーソングライター:KOW(曽我部晃)さんとの歌合戦「対決ライブVol9」では、敗退しましたが、「敗者」と言えば、浅田真央選手の「敗北」を語らないわけにはまいりません。

 16位に終わったショートプログラムの演技は見ていませんでしたが、フリーの演技はリアルタイムで見ました。実に実によかったですね。どこか、吹っ切れていたような。兵法家としても、武芸者としても、パフォーマーとしても、大変大変、とてもとても、勉強になりました。

 自分を捨てて、自分を最大化するワザ。最小化と最大化を同時に達成しないと最高の演技はできないという極意。絶対他力と絶対自力の統合。実に困難であるけれど、いつもいつもそれに向かって自己投企し続ける冒険心と献身力。そんな、「身心変容技法」に関わる「秘儀」を垣間見た思いです。

 浅田真央さんもきっと「死と再生」を経て、「復活」することでしょう! そう、確信しました。敗れてもあれほどの感動を観客に与えるということの大逆転劇。まさに、芸術、でした。魔術、でした。呪術、でした。武術、もとい、「舞術」、でした!

 わたしも地道な精進努力を継続してまいりますので、今後ともご指導・ご支援のほどよろしくお願い申し上げます。

2014年2月23日 鎌田東二拝