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シンとトニーのムーンサルトレター 第162信

 

 

 第162信

鎌田東二ことTonyさんへ

 Tonyさん、お元気ですか? わたしは今、金沢に来ています。ついに、24日、石川運輸支局で一般貸切旅客自動車運送事業の法令試験を受けました。お客様を駅や空港から結婚式場まで運ぶバスや葬祭会館から火葬場まで運ぶバスの事業資格試験で、この資格がないと冠婚葬祭業は立ちゆきません。

 昼食を取った後、石川運輸支局に向かい、13時30分から法令試験を受けました。自分でも驚くほど、問題はスラスラ解けました。試験時間は45分だったのですが、5分ほどで退出しました。やはり過去問を何度もやったのが良かったようです。前夜も、13年間分の過去問を解きましたが、すべて全問正解でした。今日の試験は全30問で、27問以上の正解で合格です。たぶん全問正解ではないかと思います。



法令試験を受ける直前

法令試験を受けた直後

 今回は不測の事態もあり、本来は1年半かけてやる勉強を実質1ヵ月半で仕上げました。分厚い『自動車六法』(3000ページ以上!)を手にしたときは途方に暮れました。字も小さくて読みにくいので、Hazukiルーペをかけて一生懸命読みました。今では内容のほとんどは頭に入りました。これも「日日是好日」という茶道の精神で何事も「苦難」ととらえずに、「今ここに生かされていること」に感謝し、勉強を楽しんだことが良かったのだと思います。

 「日日是好日」といえば、現在、同名の日本映画が全国公開され、話題を呼んでいます。先月お亡くなりになった樹木希林さんが茶道教室の先生役で出演されていますが、心の底からしみじみと感動が湧きあがってくる名作でした。

 その映画の原作である『日日是好日』(新潮文庫)という本を数日前に読みました。「『お茶』が教えてくれた15のしあわせ」というサブタイトルがついています。著者の森下典子氏は、1956年、神奈川県横浜市生れ。日本女子大学文学部国文学科卒業。大学時代から「週刊朝日」連載の人気コラム「デキゴトロジー」の取材記者として活躍。その体験をまとめた『典奴どすえ』を87年に出版後、ルポライター、エッセイストとして活躍を続けています。

 『日日是好日』のカバー裏表紙には、以下の内容紹介があります。「お茶を習い始めて二十五年。就職につまずき、いつも不安で自分の居場所を探し続けた日々。失恋、父の死という悲しみのなかで、気がつけば、そばに『お茶』があった。がんじがらめの決まりごとの向こうに、やがて見えてきた自由。「ここにいるだけでよい」という心の安息。雨が匂う、雨の一粒一粒が聴こえる・・・季節を五感で味わう歓びとともに、『いま、生きている!』その感動を鮮やかに綴る」

 『日日是好日』を一読して、わたしは大変感動しました。本書は茶道の最高の入門書であり、岡倉天心の名著『茶の本』の現代版であり、さらには高度情報社会を生きる日本人のための優れた幸福論であると思いました。「まえがき」に著者は書いています。「世の中には、『すぐわかるもの』と、『すぐにはわからないもの』の2種類がある。すぐわかるものは、一度通り過ぎればそれでいい。けれど、すぐにわからないものは、フェリーニの『道』のように、何度か行ったり来たりするうちに、後になって少しずつじわじわとわかりだし、「別もの」に変わっていく。そして、わかるたびに、自分が見ていたのは、全体の中のほんの断片にすぎなかったことに気づく。『お茶』って、そういうものなのだ」。

 『日日是好日』という本は、現代の『茶の本』である前に『水の本』だと思いました。雨、海、瀧、涙、湯、茶などが次々に出てきますが、これらはすべて「水」からできています。地球は「水の惑星」であり、人間の大部分は水分でできています。「水」とは「生」そのものなのです。孔子といえば、拙著『世界をつくった八大聖人]』(PHP新書)で、わたしは、ブッダ、孔子、老子、ソクラテス、モーセ、イエス、ムハンマド、聖徳太子といった偉大な聖人たちを「人類の教師たち」と名づけました。彼らの生涯や教えを紹介するとともに、八人の共通思想のようなものを示しました。その最大のものは「水を大切にすること」、次が「思いやりを大切にすること」でした。

 「思いやり」というのは、他者に心をかけること、つまり、キリスト教の「愛」であり、仏教の「慈悲」であり、儒教の「仁」です。そして、「花には水を、妻には愛を」というコピーがありましたが、水と愛の本質は同じではないかと、わたしは書きました。

 東洋思想は、「仁」「慈」「慈悲」を重んじました。すなわち、「思いやり」の心を重視したのです。そして、芽を育てることを心がけました。当然ながら、植物の芽を育てるものは水です。思いやりと水の両者は、芽を育てるという共通の役割があるのです。そして、それは「礼」というコンセプトにも通じます。孔子が説いた「礼」が日本に伝来し、もっとも具体的に表現したものこそ茶道であるとされています。

 また、飛行機の操縦士だったフランスの作家サン=テグジュペリは飛行機の操縦士でしたが、サハラ砂漠に墜落し、水もない状態で何日も砂漠をさまようという極限状態を経験しています。そこから、水が生命の源であることを悟りました。そして、人類の「こころの世界遺産」とも呼べる永遠の名作『星の王子さま』に「水は心にもよい」という有名な言葉を登場させたのです。

 『日日是好日』の本質が『水の本』であることは、「まえがき」の雨の描写において最もよくわかります。次の通りです。

 「ある日突然、雨が生ぬるく匂い始めた。『あ、夕立が来る』と、思った。庭木を叩く雨粒が、今までとはちがう音に聞こえた。その直後、あたりにムウッと土の匂いがたちこめた。それまでは、雨は『空から落ちてくる水』でしかなく、匂いなどなかった。土の匂いもしなかった。私は、ガラス瓶の中から外を眺めているようなものだった。そのガラスの覆いが取れて、季節が『匂い』や『音』という五感にうったえ始めた。自分は、生まれた水辺の匂いを嗅ぎ分ける1匹のカエルのような季節の生きものなのだということを思い出した。毎年、4月の上旬にはちゃんと桜が満開になり、6月半ばころから約束どおり雨が降り出す。そんな当たり前のことに、30歳近くなって気づき愕然とした」

 『日日是好日』は茶道をテーマにした本です。拙著『儀式論』(弘文堂)の第6章「芸術と儀式」で詳しく述べたように、茶道は単に一定の作法で茶を点て、それを一定の作法で飲むだけのものではありません。実際は、宗教、生きていく目的や考え方といった哲学、茶道具や茶室に置く美術品など、幅広い知識や感性が必要とされる非常に奥深い総合芸術です。その茶道を学ぶことについて、著者はこう書いています。

 「人は時間の流れの中で目を開き、自分の成長を折々に発見していくのだ。だけど、余分なものを削ぎ落とし、『自分では見えない自分の成長』を実感させてくれるのが『お茶』だ。最初は自分が何をしているのかさっぱりわけがわからない。ある日を境に突然、視野が広がるところが、人生と重なるのだ。すぐにはわからない代わりに、小さなコップ、大きなコップ、特大のコップの水があふれ、世界が広がる瞬間の醍醐味を、何度も何度も味わわせてくれる」

 ここでは、「水」と「コップ」という言葉が登場します。わたしは、これは「こころ」と「かたち」のメタファーであると思いました。水は形がなく不安定です。それを容れるものがコップです。水とコップの関係は、茶と器の関係でもあります。水と茶は「こころ」です。「こころ」も形がなくて不安定です。ですから、「かたち」に容れる必要があるのです。その「かたち」には別名があります。「儀式」です。茶道とはまさに儀式文化であり、「かたち」の文化です。

 「一期一会」として、著者と父親の永遠の別れが綴られていますが、著者は以下のように述べています。「人生に起こるできごとは、いつでも『突然』だった。昔も今も・・・・・・。もしも、前もってわかっていたとしても、人は、本当にそうなるまで、何も心の準備なんかできないのだ。結局は、初めての感情に触れてうろたえ、悲しむことしかできない。そして、そうなって初めて、自分が失ったものは何だったのかに気づくのだ。でも、いったい、他のどんな生き方ができるだろう? いつだって、本当にそうなるまで、心の準備なんかできず、そして、あとは時間をかけて少しずつ、その悲しみに慣れていくしかない人間に・・・・・・」

 このあたりのくだりは、グリーフケアの核心を衝いていると思いました。続けて、著者は次のように書いています。「だからこそ、私は強く強く思う。会いたいと思ったら、会わなければいけない。好きな人がいたら、好きだと言わなければいけない。花が咲いたら、祝おう。恋をしたら、溺れよう。嬉しかったら、分かち合おう。幸せな時は、その幸せを抱きしめて、100パーセントかみしめる。それがたぶん、人間にできる、あらんかぎりのことなのだ。だから、だいじな人に会えたら、共に食べ、共に生き、だんらんをかみしめる。一期一会とは、そういうことなんだ・・・・・・」

 この文章は本書の帯の裏でも使われていますが、とても力強く、読む者の心を打つ感動的な名文であると思います。

 著者は「雨の日は、雨を聴く。雪の日は、雪を見る。夏には、暑さを、冬には、身の切れるような寒さを味わう・・・・・・どんな日も、その日を思う存分味わう」と書き、お茶とは、そういう「生き方」なのだと言います。そうやって生きれば、人間はたとえ、まわりが「苦境」と呼ぶような事態に遭遇したとしても、その状況を楽しんで生きていけるかもしれないというのです。雨が降ると、「今日は、お天気が悪いわ」と言いますが、本当は「悪い天気」など存在しません。雨の日を味わうように、他の日を味わうことができるなら、どんな日も「いい日」になります。それが「日日是好日」ということなのです。わたしも法令試験の受験日をはじめ、すべての日を「いい日」と思い、何事も陽にとらえて生きてゆきたいと思います。

 最後に、上智大学グリーフケア研究所が創立10周年を迎えました。残念ながら、10月8日に大阪で開催された記念式典には参列が叶いませんでしたが、日本人の「こころの未来」にとって大切な10年間であったと思います。関係各位には心よりお慶びを申し上げるとともに、客員教授としてわたしも次の20周年に向けて全身全霊で尽力したいと考えております。11月には、いよいよわたしの講義もスタートいたします。

 Tonyさんにおかれましては、10月30日に東京で冠婚葬祭総合研究所主催講演会でお話しいただきます。わたしも石垣島から駆けつけますが、テーマが「なぜ人類は葬儀を発明したのか」だそうで、非常に楽しみにしております。それでは、30日にお会いいたしましょう!

2018年10月25日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 10月のムーンレター、ありがとうございます。また、金沢での法令試験勉強、Shinさんらしく万全の取り組みですね。合格疑いなし。まことにおめでとうございます。日々進化している「日々是好日」のShinさん! すばらしいですね、その前向きな姿勢。

 わたしの方は、8月末から週末はいくつか学会などがあり、休む間もなく、大忙しでした。この間、北海道には2回行きました。函館と札幌。札幌では台風24号の影響で帰りの飛行機がフライドできず、大変でした。これからの地球環境や気象状態の変化の中で、これまでほぼ安定的にできていたことも、同じようにはできなくなる不測の事態に備える準備と覚悟が必要だと改めて思った次第です。

 と、ここまで書いて、5日間もの長い間中断せざるを得ませんでした。帯状疱疹で背中や胸部が痛く、最低限の仕事以外は横たわっていたからです。そして、今日、今、上京中です。Shinさんがこのレターの最後に書いてくれた冠婚葬祭総合研究所主催の第35回の講演会に講師として招かれたからです。

 テーマは、「弔いの思想と葬儀の社会的価値と機能〜人類はなぜ葬儀を発明したのか?」です。このレターがHPに掲載される頃にはもうすでに講演は終わっているはずなので、内容をここで明かしても問題ないでしょう。全体の話の構成は、
 1. 「弔うこと」と「葬儀の発明」
 2. 宗教の三要素
 3. 日本における死の特性
 4. 多死時代の弔いの思想と儀礼
 5. まとめ
 の予定です。

<1、「弔うこと」と「葬儀の発明」>では、
 ①死への問い・死者への気遣い〜最近、『禁じられた遊び』(ルネ・クレマン監督,1952年)を再見した。そこで、ポーレットとミシェルの2人の子供たちは、死者が雨に濡れないように穴を掘って埋めると考え、犬や猫やミミズや動物たちの墓を作って十字架を盗んで建てる。青いパラソルの想い出。
 ②死後・異界(霊界・神霊界)の存在と生の意味と構造〜洞窟と異次元
 ③「弔い」への意思と「葬儀」の発明〜死者との相互交通と相互守護関係の構築により生存力を強化した人類。
 死者儀礼は生者儀礼でもある。死者と共に強く永く生きていくための儀礼。
について、話をするつもりです。

 この前、京都四条のNHK文化センターでの「日本書紀講読」講座の後、世阿弥研究会までの間の時間が4時間ほどあったので、四条烏丸にある京都シネマで一人で『禁じられた遊び』を観ました。昔々観たことがあると思うのですが、ほとんど記憶がないので、これは1度観直さねばと思っていたのです。

 というのも、『久高オデッセイ』三部作の故大重潤一郎監督が映画に魅了された最初の映画がこのルネ・クレマン監督の『禁じられた遊び』だったからです。鹿児島市の甲南高校1年生だった大重潤一郎は、1年先輩で、同人誌「深海魚群」の仲間であった宮内勝典(後に作家となる)に勧められて『禁じられた遊び』を観て以来、映画に病みつきになります。それまでは、短歌などを作る文学青年でした。が、以降、学校の勉強はそっちのけで映画に没頭。挙句の果てに、素行不良で名門高校にいられなくなり、田舎の高校に転学。大学受験はして法政高校に受かったものの、入学金を握ったまま大学には行かず、映画界に「入学」し、岩波映画で助監督の修行をします。本当は彼はShinさんの母校・早稲田大学が第一志望だったと思いますよ。

 そんなこともあって、大重さんの「鎮魂供養」のためにも、ずっとずっと『禁じられた遊び』は観なくっちゃと思っていたのです。ちょうど先週の火曜日、京都シネマでそれをやっていたので、観ることにしました。その朝、近くの医院で、帯状疱疹の診断をされたばかりでした。

 映画は、やはり、名作、と言われるだけのことはある「名作」だと思いました。外連味のない、無駄のない、リアリスティックなタッチですが、墓を作る場面にとてつもないファンタスティックな場面があり、痺れました。何よりも泣けたのは、ポーレットとミッシェルが作った墓がすべて、人間の墓ではなく、動物の墓であった点です。

 まず、空襲で死んだ愛犬の墓、続いて、猫の墓、ミミズの墓、モグラの墓、ヒヨコの墓・・・。疎開途中で空襲を受け、胸元に抱いた愛犬機関銃操作の音で逃げ出したので、犬の後を追っかけて行ったポーレット。そんなポーレットを追いかけた両親は戦闘機に撃たれて即死、犬も死にます。しかし、親切に荷車に乗せてくれたおじさんとおばさんが犬は死んでいると川に投げ捨てたのでポーレットはその犬を追って川辺に探しに行きます。彼女にとって、父母の死よりも、イヌの死の方がリアルで哀しかったのでしょうか。なぜか、両親の死体を見ても、ポーレットは泣かなかったと記憶します。このあたりの人間の死体よりも犬の死体に愛着する描写は、なかなか突き放したドライな感じで、凄味があると思いましたね。

 実は大重潤一郎さんは、10歳でお母さんを亡くしています。彼の創作の原点には、スサノヲのような亡き母への思慕があると思います。大重さんがこの『禁じられた遊び』を観て映画の世界に入ったのは、映画を通して亡き母を求め、出会い、鎮魂できると思ったからだと思います。大重潤一郎にとって、映画とは、根本的に、スピリチュアルペインの鎮魂だったと思うのです。

 今日の講演に戻りますが、次の<2、宗教の三要素>とは
①神話
②儀礼
③聖地
の三要素です。

 神話は、人間が人間であるための根源的な「物語」です。なぜ、どのように、この世界と存在世界と生命と人間が生まれたのか、人間はどこからきてどこへ行くのかを物語り的に説明することが人間には必要だったのです。そのような神話に基づいて、礼拝や祈りや祭りなど、さまざまな儀礼や修法・修行が行なわれるようになりました。というよりも、神話を物語る行為そのものが神聖な儀礼だったと言えます。そして、そのような神話が語られ、儀礼が執行される場所が聖地でした。そのような聖なる場所には、聖なるものが示現し、立ち現れます。それが、超越世界への孔であり、通路・回路であり、出入り口なのです。そこでわたしは、宗教とは、「聖なるものとの関係に基づくトランス(超越)技術の体系」と定義しました。そのトランス技術の三要素が神話と儀礼と聖地です。

 <3、日本における死の特性>については、次のようなことを話しします。
 ①災害大国・災害列島の日本列島〜世界中で頻発する昨今の自然災害
 ②「日本泥沼」論の二つの意味次元〜遠藤周作『沈黙』(1966年)と「くらげなす漂える国」(『古事記』)
 ③災害死と事故死と病死〜死に方(逝き方)と世界観・人生観
 ④日本神話における死の始まり〜イザナミノミコトの黄泉国への「かむさり(神避)」
 ⑤火山列島・災害列島の思想〜益田勝実『火山列島の思想』(筑摩書房、1968年)

 また、<4、多死時代の弔いの思想と儀礼>では、
 ①弔うことと物語ること
 ②物語ることと記録すること、そして記憶すること
 ③儀礼が持つ意味と力の再認識
 ④死と史と詩の三つの「シ」〜スパイラル史観=現代大中世論
 ⑤天河大辨財天社での護摩壇野焼き講(1996年結成)と「解器」制作の試み
について話をしますが、ポイントは『日本人は死んだらどこへ行くのか』(PHP新書、2007年)で展開した持論の「死」と「史」と「詩=物語」を切り結ぶ「物語の創造」という点です。これが、葬儀の場でも、グリーフケアやスピリチュアルケアの場面でも必要不可欠ということです。如何に深く「物語」を生みだすことができるかがポイントです。

 そして、最後の<5.まとめ>では、
 ①死者に心を向けることが死者も生者も共に強めることになる〜生者と死者との共助関係〜 葬儀により、「楽・福・安心」を生み出す。そこにおいては、「美」が重要なはたらきをする。
 ②死者を忘れる時、世界の深みと全体を見失う
 ③弔いの儀式は「再結(合)・再決(心)」の時
について話をします。

 冠婚葬祭業界の皆さん方に届くかどうか、よくわかりませんが、問題提起になれば幸いです。その中でも、わたしの忘れ難い「弔い」の記憶は、犬を亡くしたたまプラーザの小学生の「青いパラソル」です。9歳か10歳の少年は、万感の思いを込めて、お墓を作り、雨が降っている中、そのお墓に彼が使っている「青いパラソル」をかけていたのでした。その「出来事を物語る」わたしに、「詩」の力、物語力があるかどうか、が問われます。

 世界中に不穏な現象が頻発している今、わたしたちの生存を意味づけていくための物語力が力強く創造されねばならないと思っています。冠婚葬祭業界の「語り部」であるShinさんにはこれからも期待することろ大です。ますますのご活躍を祈念申し上げます。



国際シンポジウム「身心変容のワザと哲学」

 2018年10月30日 鎌田東二拝