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シンとトニーのムーンサルトレター 第161信

 

 

 第161信

鎌田東二ことTonyさんへ

 Tonyさん、お元気ですか? 昨夜の「中秋の名月」はどこで眺められたのでしょうか? 違う場所にいても、同じ月を見上げれば「こころ」は通じるような気がいたします。

 22日夜、北九州市八幡西区のサンレーグランドホテルにおいて有縁社会再生のためのイベントである「隣人祭り・秋の観月会」が盛大に開催されました。恒例の「月への送魂」も行われました。夜空に浮かぶ月をめがけ、故人の魂をレーザー(霊座)光線に乗せて送るという「月と死のセレモニー」です。当夜は月が厚い雲に隠れてハラハラしましたが、なんとかセレモニーの時間には姿を見せてくれました。300人を超える人々が夜空のスペクタクルに魅了されました。

 わたしは、かつて『慈経 自由訳』(三五館)を上梓しましたが、「月の経」の別名を持つ「慈経」を重視するミャンマーなどの上座仏教の国々では今でも満月の日に祭りや反省の儀式を行います。仏教とは、月の力を利用して意識をコントロールする「月の宗教」だと言えるでしょう。仏教のみならず、神道にしろ、キリスト教にしろ、イスラム教にしろ、あらゆる宗教の発生は月と深く関わっている。そのように、わたしは考えています。

 死後の世界のシンボルである月に故人の魂を送る「月への送魂」は、21世紀にふさわしいグローバルな葬儀の“かたち”であると思います。何より、レーザー光線は宇宙空間でも消滅せず、本当に月まで到達します。わたしは「霊座」という漢字を当てましたが、実際にレーザーは霊魂の乗り物であると思います。「月への送魂」によって、わたしたちは人間の死が実は宇宙的な事件であることを思い知るでしょう。

 『ロマンティック・デス〜月を見よ、死を想え]』(幻冬舎文庫)をはじめとして、『葬式は必要!』や『ご先祖さまとのつきあい方』(ともに双葉新書)、『決定版 終活入門』(実業之日本社)、『墓じまい・墓じたくの作法』(青春新書インテリジェンス)、『永遠葬』(現代書林)、『唯葬論』(サンガ文庫)、宗教学者の島田裕巳氏との共著『葬式に迷う日本人]』(三五館)、『人生の修め方』(日本経済新聞出版社)さらには今年6月に上梓した『人生の四季を愛でる』(毎日新聞出版)でも「月への送魂」を紹介しています。今では、すっかり多くの人たちに知っていただきました。「月への送魂」の終了後は、多くの参加者の方々から「本当に素晴らしかった」「最高の月だった」「これで寿命が延びた」「なつかしい故人に会えた気がした」などのお言葉を頂戴し、わたしの胸は熱くなりました。これはわが口癖ですが、わたしは「死は不幸ではない」ことを示す「月への送魂]」の普及に、死ぬまで、そして死んだ後も尽力したいと思っています。

月への送魂

月への送魂すべての死者に祈りを込めて

すべての死者に祈りを込めて

 さて、9月といえば、17日が「敬老の日」でしたね。厚生労働省は毎年、敬老の日を前に、住民基本台帳をもとに100歳以上の高齢者を調査していますが、それによれば、今月1日の時点で、100歳以上の高齢者は全国で6万9785人と、去年より2014人増え、48年連続で過去最多を更新しました。男性が8331人、女性が6万1454人で、女性が全体の88.1%を占めています。

 国内の最高齢は福岡市に住む田中カ子(かね)さんで、明治36年1月生まれの115歳です。福岡市東区の老人ホームで暮らす田中さんは、「老人の日」の前日、福岡市の高島市長の表敬を受けて花束をプレゼントされました。田中さんは、海外旅行などこれまでの人生で経験したことを語り、「人生楽しいです。最高です」と語りました。好奇心旺盛な田中さんですが、「何かしたいことはありますか?」と質問されると、「もう少し生きてみたい!」と言いました。この言葉に、わたしは非常に感動しました。

 それにしても、7万人も100歳以上の老人がいる超高齢社会の日本は、これからどうなるのか。わたしは、産経新聞社論説委員の河合雅司氏の著書『未来の年表2』(講談社現代新書)の内容を紹介しました。同書の「はじめに」で、河合氏は以下のように書いています。「日本は劇的に変わっていく。例えば、25年後の2043年の社会を覗いてみよう。年間出生数は現在の4分の3の71万7000人に減る。すでに出生届ゼロという自治体が誕生しているが、地域によっては小中学校がすべて廃校となり、災害時の避難所設営に困るところが出始める。20〜64歳の働き手世代は、2015年から1818万8000人も減る。社員を集められないことによる廃業が相次ぎ、ベテラン社員ばかりとなった企業ではマンネリ続きで、新たなヒット商品がなかなか生まれない。高齢化率(総人口に占める65歳以上人口の割合)は36.4%にまで進む。高齢者の数が増えるのもさることながら、80代以上の『高齢化した高齢者』で、しかも『独り暮らし』という人が多数を占める」

 また、同書の第1部「人口減少カタログ」の序「国民の5人に1人が、古希を超えている」では、「高齢者の3人に1人が80代以上」として、こう書かれています。「日本の高齢社会の特徴として、(1)高齢者の『高齢化』に加え、(2)独り暮らしの高齢者、(3)女性高齢者、(4)低年金・無年金の貧しい高齢者——の増大が挙げられる。このうち、すぐに社会に影響を及ぼしそうなのが、『高齢化した高齢者』および『独り暮らしの高齢者』の増大であろうと考える」

 さらには「笑えない実話」として、河合氏は親の葬儀の問題を取り上げます。「親の葬儀も大変だ。高齢社会の次には『多死社会』がやってくる。前著『未来の年表』では火葬場の不足を取り上げたのだが、足りなくなるのは火葬場だけではない。私の知人には、火葬場の予約はできたものの住職の都合がつかず、結局は10日待ちとなった人もいる。少子化の影響は、お寺も例外ではない。跡取り不足による廃寺や、住職がいないがために、1人の住職が複数のお寺を掛け持ちする場合もあるという。今後、葬式も法事も、自分たちが思い描いたスケジュール通りには進まないというケースが増えるだろう」

 この他、『未来の年表2』には気分が滅入るような未来予測がたくさん書かれています。たしかに、これから大変な時代を迎えることは確かでしょう。こんな中、「終活」に関心を持つ人が多くなってきました。そんな「終活」の国内最大イベントが東京ビッグサイトで毎年開催される「エンディング産業展」です。わたしも、今年から講師として初参加しました。8月24日の11時から、わたしは「人生の修め方〜『終活』の新しいかたち〜」という講演を行ったのですが、開場前から講演会場前には長蛇の列ができて、おかげさまで会場は超満員となりました。中に入れない方もいたほどでした。

 講演の冒頭で、わたしは「アンチエイジング」という言葉についての異論を唱えました。これは「『老い』を否定する考え方ですが、これは良くありませんね」と述べました。そして、わたしは「老いと死があってこそ人生!」という話をしました。サミュエル・ウルマンの「青春」という詩がありますが、その根底には「青春」「若さ」にこそ価値があり、老いていくことは人生の敗北者であるといった考え方がうかがえます。おそらく「若さ」と「老い」が二元的に対立するものであるという見方に問題があるのでしょう。「若さ」と「老い」は対立するものではなく、またそれぞれ独立したひとつの現象でもなく、人生というフレームの中でとらえる必要があります。

 歴史をひもといていくと、人類は「いかに老いを豊かにするか」ということを考えてきたといえます。「老後を豊かにし、充実した時間のなかで死を迎える」ということに、人類はその英知を結集してきたわけです。人生100年時代を迎え、超高齢化社会の現代日本は、人類の目標とでもいうべき「豊かな老後」の実現を目指す先進国になることができるはずです。その一員として、実りある人生を考えていきたいものです。

 究極の「修活」とは死生観を確立することではないでしょうか。死なない人はいませんし、死は万人に訪れるものですから、死の不安を乗り越え、死を穏やかに迎えられる死生観を持つことが大事だと思います。映画化もされた『響〜小説家になる方法〜』というマンガが大きな注目を集めています。女子高生の鮎喰響が15歳の史上最年少で芥川賞・直木賞をW受賞するというストーリーですが、彼女が書いた小説は「お伽の庭」といって死生観を描いたものでした。今後、彼女の小説が日本人の死生観に大きな革命を起こすことが予想されますが、まさに現在の日本人が最も求めているのが死生観だと思います。

 そして、ここで冠婚葬祭互助会の役割が大きくなってきます。互助会の会員さんは、そのほとんどが葬儀を前提とした高齢者の方々です。互助会は日本人の葬送文化を支えているわけですが、わたしは「亡くなったら葬儀をします」だけでは互助会の未来はないと思っています。会員さんがお元気なうちにお役に立てる互助会でなければなりません。そこで重要になってくるのが死生観です。高齢の会員様に「老いる覚悟」と「死ぬ覚悟」を自然に抱いていただけるようなお手伝いができれば、互助会の役割はさらに大きくなるでしょう。

 前回のレターでTonyさんの御高著『天河大辨財天社の宇宙』(春秋社)で言及されている「仏教3.0」や「神道3.0」について紹介しました。わたしは「冠婚葬祭3.0」につnいても考えるべき時期が来ていると思います。「寺院消滅」や「神社消滅」が叫ばれている昨今ですが、制度疲労を迎えているのは、けっして日本仏教や神道だけではないのです。とりあえず、次のように考えてみました。

  ■冠婚葬祭1.0
  (戦前の村落共同体に代表される旧・有縁社会の冠婚葬祭)

  ■冠婚葬祭2.0
  (戦後の経済成長を背景とした互助会の発展期における冠婚葬祭)

  ■冠婚葬祭3.0
  (無縁社会を乗り越えた新・有縁社会の冠婚葬祭)

 無縁社会は、縁を基盤とする冠婚葬祭を無化し、無婚社会や無葬社会を招きました。いま、七五三も成人式も結婚式も、そして葬儀も大きな曲がり角に来ています。現状の冠婚葬祭が日本人のニーズに合っていない部分もあり、またニーズに合わせすぎて初期設定から大きく逸脱し、「縁」や「絆」を強化し、不安定な「こころ」を安定させる儀式としての機能を果たしていない部分もあります。いま、儀式文化の初期設定に戻りつつ、アップデートの実現が求められています。「冠婚葬祭3.0」、さらには「冠婚葬祭4.0」の誕生が待たれているのです。ぜひ、わたしは「冠婚葬祭4.0」の産婆となりたいです。
 ということで、Tonyさん、これからもどうぞ御指導下さい!

2018年9月25日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 ムーンサルトレター、ありがとうございます。今年の仲秋の名月は北海道の函館で見ました。太平洋から出てきた月が函館山に沈んでいく光景はなかなか風情がありました。函館はとても好きな港町ですが、どの地方都市でも同じように、人口減少で苦しんでいるようです。市役所の方にも少し話を聞きましたが、若者の仕事がないので、人口流出は避けられず、UターンやIターンもうまくいかないのが現状のようです。

 加えて、この前の地震の打撃。観光客が激減で、函館も観光客がまばらな感じがしました。さすがに、函館山から見る1千万ドル(100万ドル?)の夜景は人気スポットなので、夕暮れ時にはだいぶ人がいましたが、それでもまだまだ少ないのではないかと感じました。

 日本列島を襲っている自然災害の多発。Shinさんは超少子高齢化社会の後に多死社会が来ると指摘されましたが、わたしはずっと一貫して「多災害世界」が来ると言い続けて来ました。自然災害の多発こそが人類史的な大問題で、自然環境の変化、気象や生態系の変化が、文明や産業や社会の変化以上に深刻で大きな問題だとずっと言ってきたわけです。

 かと言って、相手が人間を超えた地球とか宇宙という「自然」ですから、どうすることもできません。故山尾三省さんは、自然が人間に属しているような現代文明の錯覚を猛烈に批判し、人間が自然に属していることの根源事実を強調しました。故大重潤一郎監督も同様でした。そしてわたしも同じです。吾らアニミスト部族は「自然畏怖教」の教徒です。そして、『般若心経』よりも、『自然畏怖経』を繰り返し読経します。

 ところでこの前、スタートトゥデイの創業者社長の前澤友作さんが2023年打ち上げ予定のスペースXの月周回飛行計画の旅行客として契約したそうですね。前澤さんだけでなく、アーティストを7〜8名連れていくとか。1人当たり100億円の費用がかかるとして、800億円ほどはかかりますね。吾も月に残してきてくれていいから、連れていってくれないかな。途中下車して、地球に帰還しなくてもいいので。最初の月面葬儀者になりたいな。冗談ではなく本気でそう思ってます。まあ、無理でしょうけど。

 ところで、2018年9月4日、台風21号で、近畿一円が大被害に見舞われました。翌朝、外に出てみると、烈風で隣の民家の煉瓦塀が崩れ落ちていました。これまでに体験したことのないような猛烈な暴風でした。が、通過速度は速く、12時過ぎから風で荒れ始め、16時にはほぼおさまっていたので、正味3時間ほどの風雨でしたが、その被害は甚大でした。12時前の午前中は京都は晴れていたのですよ。

 わたしはこの夏8月だけで10回、比叡山に登拝しました。ほぼ毎度35度以上の猛暑の中でした。毎回、比叡山の山頂付近でバク転を3回、でんぐり返しを15回行ないましたが、9月5日、台風通過の翌日に比叡山に登って、その被害の大きさにひっくり返るような驚愕を覚えました。猛暑のみならず、日本や世界で起こっている地震や山火事や台風などの自然災害が次々と起こってくるのを目の当たりにしながら、30年前から予感してきたことが現実になってきて、それをどうすることもできないおのれの非力や無力も感じます。

 これまで、500回以上比叡山に登っていても何もできない、何も変えられない、自然災害が多発することを予感し、それを一番恐れ、周りにはそのことを言ってきたにもかかわらず、実質的には何もできていないという思いと罪責感があります。とにかく、比叡山山中の倒木、根返り、幹折れなど、数千本はあると思いますが、このような大規模な倒木は本当に初めてです。台風後4度、枝を圧し折り、片付け、道を少しずつ作りながら登って行ったのですが、普段は3時くらいに登り始めると、暗くなる頃の6時半か7時までには帰って来れましたが、道を作る作業をしながらなので、14時に登り始めても、降りてきたら20時になっています。普段より2倍の時間がかかっています。本当にこんなことはかつてなかった。そういう事態が比叡山だけでなく、日本各地で、いや、世界各地で起こっているのです。それを、どうすることもできない。

 わたしたちは、阪神淡路大震災の後、1998年に東京自由大学を設立し、地震や自然災害などがあった時に、相互に助け合ったり支援し合ったりできるようなネットワークや心構えを作っていくことを目指してきました。NPO法人東京自由大学の夏合宿で2度、東北被災地を訪問したこともその一環でした。1998年11月25日に、わたしは、東京自由大学設立趣旨 (1998.11.25)をこう書きました。http://jiyudaigaku.la.coocan.jp/

<21世紀の最大の課題は、いかにして一人一人の個人が深く豊かな知性と感性と愛をもつ心身を自己形成していくかにある。教育がその機能を果たすべきであるが、さまざまな縛りと問題と限界を抱えている既存の学校教育の中ではその課題達成はきわめて困難である。
 そこで私たちは、私たち自身を、みずから自由で豊かで深い知性と感性と愛をもつ心身に自己形成してゆくための機会を創りたいと思う。まったく任意の、自由な探求と創造の喜びに満ちた「自由大学」をその機会と場として提供したいと思う。
 私たちは、特定の宗教に立脚するものではないが、しかし、宗教本来の精神と役割は大変重要であると考えている。それは、それぞれの歴史的伝統と探求と経験から汲み上げてきた叡知にもとづいて、人間相互の友愛と幸福と世界平和の希求と現実に寄与するものと考えられるからである。私たちはそれぞれの宗教・宗派を超えた、「超宗教」の立場で宗教的伝統とその使命を大切にしたいと願う。そして、人格の根幹をなす霊性の探求と、どこまでも真なるものを究めずにはいない知性と、繊細さや微妙さを鋭く感知する想像力や感性とのより高次な総合とバランスを実現したいと願う。
 そのためにも、何よりも自由な探求と表現の場が必要である。自由な探求と表現にもとづく交流の場が必要である。
 そして、その探求と表現と交流を支えていくための友愛が必要である。探求する者同士の友愛の共同体が必要である。私たちが生活を営んでいるこの大都市・東京のただ中に、魂のオアシスとしての友愛の共同体が必要なのである。
 かくして私たちは、この時代を生きる自由な魂の純粋な欲求として「東京自由大学」の設立をここに発願するものである。
「東京自由大学」では、「教育とは本質的に自己教育であり、自己教育は存在への畏怖・畏敬から始まる。教師とは、経験を積んだ自己教育者であり、それぞれを深い自己教育に導いてくれる先達である」という認識から出発する。そして、(1) ゼロから始まる、いつもゼロに立ち返る、(2) 創造の根源に立ち向かう、(3) 系統立った方法論に依拠しない、いつも臨機応変の方法論なき方法で立ち向かう、をモットーに、勇気をもって前進していきたい。組織形態、運動体としてはNPO(非営利組織)法下のボランタリー・スクール法人として運営および活動をしていきたいと準備している。また地震など、災害・事件時のボランティア的な互助組織として機能できるように行動したい。自由・友愛・信頼・連帯・互助を旗印に進んでいきたい。
 みなさんのご参加を心待ちにしています。>

 20年前から、「災害多発時代の生き方(ライフスタイル)と心構え(覚悟)」の必要を訴えていました。そしてこの10年は、宗教学者の山折哲雄さん(元国際日本文化研究センター所長)が初代会長として設立した「京都伝統文化の森推進協議会」の活動を2代目会長として引き継いで来ました。しかし、その京都の森を守る会の主峰である比叡山がこのような事態になっているのです。そのことを肝に銘じて自然万物や叡山の神仏のメッセージに耳傾けていく必要があると感じています。

 以前、書いたことがありますが、わたしは、1970年7月、徳島県下の集中豪雨で、県下で1軒だけピンポイントで我が家が裏山の土砂崩れに呑み込まれた経験を持っています。そこで、西日本の豪雨による土砂崩れ被害も、北海道胆振地方厚真町の地震による土砂崩れも他人事とは思えません。

比叡山の檜林の倒木
比叡山の檜林の倒木
比叡山の檜林の倒木
比叡山の檜林の倒木
比叡山の檜林の倒木

 これも以前のムーンサルトレターに書いたと思いますが、わたしは、「1998年」「666×3」の年前後から、「魔」的な状況が強化されると思ってきました。それは、ノストラダムスの予言を考えてのことではありません。わたしは「終末」などという概念や観念は人間が作り出した思想だと思っていますので、「1999年」が終わりの時で、そこで「ハルマゲドン」が起こる等ということは全く信じていませんでした。

 が、ルドルフ・シュタイナーの次の予言には引っかかるものを感じていたのです。シュタイナーは、「666」の数の年やその2倍数あるいは3倍数の時に「悪魔」の力が強くなり、人間意識や社会に変化が起こると予言していたのです。日本では、「666」は、聖徳太子後の、昔「大化の改新」と習った後の政局混乱期に当たります。律令体制の確立前夜で、天智天皇の治世です。天智天皇5年になります。次の「666×2」の「1332年」は、南北朝の混乱期です。日本史で初めて2つの皇統が対立した時に当たります。1332年は、南朝は後醍醐天皇元弘2年、北朝は光厳天皇元徳4年になります。そして、「666×3」の「1998年」、橋本龍太郎首相から小渕恵三首相に交替し、新進党の分裂があり、日本長期信用銀行や日本債券信用銀行が倒産しました。この「日本債券信用銀行」が倒産して再建されて「あおぞら銀行」となり、去年から上智大学ソフィアタワービルの7階以上を本社としているのも不思議な縁です。ともかく、この1998年、世界平均気温は観測史上1位の高温を記録し、日本では自殺者数が跳ね上がって初めて3万人を超えました。

 シュタイナーは、日本史のことはよく知らなかったと思います。しかしながら、彼は独自の西洋史と人類史と宇宙進化史のビジョンの中で直観(霊視?)と思索に基づき予言したのです。そのシュタイナーの予言に備えて、わたしは近藤高弘さんたちと「天河太々神楽 天河護摩壇野焼き講」を1996年に組織し、活動を始めました。そして1997年には、伊勢の猿田彦神社の巡行祭と「おひらきまつり」を開催します。編著『謎のサルタヒコ』(創元社)も出版しました。

 また、1998年には東京自由大学を結成し、神道ソングライターとして歌い始めます。翌1999年には、「虹の祭り」「地球にごめんな祭」「月山炎の祭り」を岡野弘幹さんや草島支日さんたちと開催しました。2000年には「おかえりな祭」を、2001年には「旅立ちな祭」開催しました。

 しかしながら、2001年9月11日にはニューヨーク多発同時テロ事件が起こり、世界は溶解・崩落していきます。自然も人間社会も崩落しつつあるように思います。その中でも、わたしが最も恐れてきたのは、繰り返しますが、自然環境や気候変動の変化です。なぜなら、わたしたちはロボットやAIを作ることができても、地球環境全体を作ることなどできないからです。太陽黒点の活動一つでも大きな影響が出ます。宇宙気象の中にある地球気象、その地球気象がどうなるかが一番の死活問題です。そこに地球温暖化も関与していています。今回の台風21号も科学的な因果関係を特定するのは困難かもしれませんが、地球環境の気象変化が大きく影響していることは間違いないと思っています。なので、「終末」や「ハルマゲドン」ではないとしても、地球環境と気候変動は人間社会に甚大な被害をもたらし、その被害の度合いは拡大増大し続けているのです。実に不気味なまでに。地元の比叡山の惨状を見ていると人類がしでかしてきたカルマがよく見えるような気がします。まことに残念であり、辛いことですが、このことを直視せねばなりません。その中でどう生き抜くことができるか、あらゆる手立てを使い切って生き抜いていかねばなりません。たとえ、途中で挫折し、倒れることがあっても。そんなことを、あれこれ考えているこの頃です。

 ところで、来週の10月5日(金)に以下の催しを行ないます。もし東京においでの際はご参会ください。


『常世の時軸』刊行記念トーク&サイン会「常世と熊野〜詩の宇宙と俳句の海をめぐる旅」

出演:鎌田東二、堀本裕樹(俳人)
日時:10月5日(金)午後7時〜
三省堂書店池袋本店書籍館4階イベントスペース Reading Together

*別館地下1階Aゾーンのレジで参加券(税込1,000円)販売
*参加券のご予約は、お電話でも承ります。
三省堂書店池袋本店 tel. 03-6864-8900(電話受付時間 10:00 – 22:00)
詳細: http://ikebukuro.books-sanseido.co.jp/events/3454

『常世の時軸』刊行記念トーク&サイン会「常世と熊野〜詩の宇宙と俳句の海をめぐる旅」

『常世の時軸』刊行記念トーク&サイン会「常世と熊野〜詩の宇宙と俳句の海をめぐる旅」

 2018年9月26日 鎌田東二拝