シンとトニーのムーンサルトレター 第048信
- 2009.08.06
- ムーンサルトレター
祝!4周年
第48信
鎌田東二ことTonyさんへ
Tonyさん、このムーンサルトレターも48信目です。ついに4周年を迎えましたね。4年といえば、大学に入学して卒業するまでの長さですよ。生まれたばかりの赤ん坊は、もう歩いて言葉をしゃべっていますよ。よく、ここまで続いたものです!まあ、前回のレターも、わたしが『思い出ノート』の話題に終始し、Tonyさんが『1Q84』の話題に終始するといった形であまり噛み合ってはいませんでしたが(笑)、これからもお互いが言いたいことをつれづれなるままに書き、たまにはスウィングしながら、少しでも「楽しい世直し」につながっていけばいいですね。
それにしても、ここ最近は自然の力の偉大さを思い知らされる日々でした。まずは、さる7月22日です。月が太陽を完全に覆い隠す「皆既日食」が鹿児島のトカラ列島や奄美大島北部などで起きました。日本の陸地でこの壮大な天体ショーが見られるのは1963年7月21日の北海道以来、46年ぶりです。国立天文台では、硫黄島で皆既日食の観測に成功しました。北硫黄島沖の船からも皆既の直前、直後にダイヤモンドリングが見え、わたしもその神秘的な光景をNHKの中継で楽しみました。そして、「硫黄島に眠る多くの旧日本軍の英霊たちも皆既日食を見たかなあ?」と思いました。
22日、わたしは業界の会議のため、東京にいました。都心ではまったく観測できず、また空が暗くなることもなく、「こんなことなら90度の部分日食を観測できた北九州のほうがマシだったな〜」と落胆しました。
わたしは、皆既日食ほど神秘的なものはないと、日頃から思っています。以前もレターに書いたように記憶していますが、その最大の神秘は、地球から眺めた月と太陽が同じ大きさに見えることです。人類は長いあいだ、このふたつの天体は同じ大きさだとずっと信じ続けてきました。しかし、月が太陽と同じ大きさに見えるのは、月がちょうどそのような位置にあるからです。月の直径は、3467キロメートル。太陽の直径は、138万3260キロメートル。つまり、月は太陽の400分の1の大きさです。次に距離を見てみると、地球から月までの距離は、38万4000キロメートル。地球から太陽までの距離は、1億5000万キロメートル。この距離も不思議なことに、400分の1なのです。こうした位置関係にあるので、太陽と月は同じ大きさに見えるわけです。それにしても、なんという偶然の一致!皆既日食とは、太陽と月がぴったりと重なるために起こることは言うまでもありません。この「あまりにもよくできすぎている偶然の一致」を説明する天文学的理由はどこにもありません。わたしは、かつて、「ただ直き心のみにて見上げれば 神は太陽 月は仏よ」という短歌を詠みましたが、皆既日食とは神と仏が一致する神霊界の一大事件のように思えてなりません。
皆既日食の後、わたしの住む福岡県では記録的な豪雨が降りました。それは、もう生まれて初めて体験するすさまじい雨でした。多くの人が亡くなりました。わが家は築70年以上のボロ家ですが、24日から漏電が原因で三夜連続して停電しました。家の中は真っ暗闇で、何をするにも手探り状態です。
そこでクリスマス用に備蓄してあったキャンドルに灯をともしました。家中を照らし出すキャンドルの幻想的な灯。それを見つめるわたし、妻、高校2年生の長女、小学4年生の次女。ふだんは、それぞれが多忙な時間を送り、なかなか会話の時間も取れません。でもキャンドルの灯を前にすると、なぜか会話がはずむから不思議です。おかげで、夫婦、親子、姉妹の会話を楽しみ、わが家は外の暴風雨とは反対に平和な空気に包まれました。
じつは今度、わたしは『灯をたのしむ』というロウソクの本を現代書林から上梓する予定です。『茶をたのしむ』『花をたのしむ』に次ぐ、「日本人の癒し」シリーズの第3弾です。
冠婚葬祭業を営むわたしは、結婚式でも葬儀でもロウソクが使われることを昔から興味深く思っていました。結婚披露宴では、キャンドル・サービスや、最近ではキャンドル・リレーといった演出も普及しています。葬儀はもちろん、法要や追悼式、供養祭などでもロウソクは欠かせません。さらに言えば、神道でも仏教でも儒教でも、ユダヤ教でもキリスト教でもイスラム教でも、その宗教儀式においてロウソクはきわめて重要な役割を果たします。ゾロアスター教という、火そのものを崇拝する宗教もあります。火があらゆる宗教儀礼で使用されることはそんなに不思議なことではないのかもしれません。照明は火の模倣からはじまっています。焚き火以前にも、自然界には火山もありましたし、山火事のような自然発火もありました。そのように、もともと存在していたものを人間がコントロールできるようにして製品化し、生活に活かしてきたものがロウソクなどの照明なのです。
わたしは、世界各地の宗教の発達においてロウソクが果たした役割は非常に大きかったと思っています。それは、ロウソクの炎が揺れることも大きな原因があったことでしょう。ロウソクの炎を見つめて瞑想する人がいます。これは、古代のロウソクと宗教の結びつき想像させるものです。ロウソクの炎の揺れ方は、人の心拍の間隔、電車の揺れ、小川のせせらぎ、木漏れ日、蛍の光り方などと同じく、いわゆる「1/fゆらぎ」だという説があります。ロウソクの炎が揺れれば心も揺れる。人間の心の歴史にロウソクは深く関わってきました。宗教のみならず、哲学においてもそうでした。
ロウソクの起源は、紀元前2000年から1500年のギリシャにさかのぼります。ミノア文明とかクレタ文明と呼ばれる古代文明がありました。当時のクレタ島はギリシャやキプロス、エジプトなどとの交流ポイントにありましたが、このクレタ島からロウソクを置く燭台が発見されたのです。古代エジプトではミイラ作成のために古くからミツロウが使われていました。2300年前のツタンカーメン王の墓からも燭台が発見されています。
当然ながら、時代が下ったギリシャのアテネでもロウソクが活躍していました。紀元前3世紀には相当に普及していたようです。その頃、ソクラテスが誕生しました。彼は、いわゆる哲学そのものの生みの親だとされています。アテネの夜、ロウソクを前にして、さまざまな哲学談義が交わされたことは想像に難くありません。ソクラテスもプラトンもアリストテレスも、ロウソクの炎に導かれて哲学を語ったことでしょう。まさに、ロウソクは哲学の産婆であり、揺り篭だったのかもしれません。そして古代アテネにおいて、哲学は文学であり、文学は哲学でもありました。アメリカのピュリッツァー賞作家ウィル・デューラントは、著書『誰が文明を創ったか』(PHP研究所)で次のように述べています。
「通常、一つの時代に栄えた哲学が、次の時代の文学を生み出す。ある時代に徹底的に吟味され研究された思想や課題が、次の時代の劇、ノンフィクション、詩の背景となることが多い。ところがギリシャでは、文学と哲学は同時に発展した。」(髙田亜樹訳)
人間の「夢想」について考え続けた科学哲学者ガストン・バシュラールは、「焔は、われわれを目覚めたままにするあの夢想の意識のうちにわれわれを保つだろう。火の前で人は眠るが、蝋燭の焔の前で眠りこむことはないのだ」と語っています。ロウソクの炎が、わたしたちに想像することを強いるというのです。そういえば、世界各地の神話や伝説などの各種の物語も焚き火を囲んで語られてきたとされています。
多くの人々に語り伝える物語は、焚き火という環境がふさわしかったのかもしれません。そして、グリムに代表される民話や童話などは、暖炉の火の前で子どもたちに語られたことでしょう。しかし、人を内省的にするロウソクの炎からは宗教、哲学、文学が生まれ、それらはロウソクの炎によって育てられてきたのです。
なぜ、ロウソクの炎が宗教、哲学、文学の発生と発展に深く関わってきたのか。おそらく、それは脳のメカ二ズムと関係があるのではないでしょうか。脳科学者の茂木健一郎氏は、著書『脳と仮想』(新潮社)の中で、人間はなぜ「平和」や「愛」という仮想を生み出さなければならなかったかという重要な問いを立てています。また、「サンタクロース」とか「一角獣」とか「極楽浄土」などという仮想を、なぜ人類は必要としたのか。その答えを茂木氏は次のように述べます。「私たちの意識の中で生み出される様々な仮想は、この上なく厳しい人間の生存条件の中で、私たちの心が傷つき、その傷が治癒される際に放射される光のようなものではなかったか。」
そう、「仮想」とは脳内で放射される癒しの光なのです。そして、ロウソクの光とは脳外で放射される癒しの光ではないかと、わたしは思います。ロウソクから放たれる「1/fゆらぎ」の光をながめているうちに「神」「仏」「天国」「極楽」「愛」「平和」「サンタクロース」といったさまざまな仮想たちが心に立ち上がってくる。そして、人間の魂は深い部分から癒される。その一連のプロセスが、大いなる仮想の体系である宗教・哲学・文学を生んだのではないでしょうか。茂木氏は述べます。「仮想によって支えられる、魂の自由があって、はじめて私たちは過酷な現実に向かい合うことができるのである。それが、意識を持ってしまった人間の本性というものなのである。」
では、人間にとって最大の過酷な現実とは何でしょうか。それは、やはり「死」に他ならないでしょう。アンデルセンの書いた「マッチ売りの少女」は、死に際してマッチに火を灯し、「クリスマスツリー」「ごちそう」「亡くなったおばあさん」という仮想たちに出会い、幸せな気持ちのまま天国に旅立って行きました。マッチにしろ、ロウソクにしろ、ゆらゆらと揺れる炎を見つめることによって、人間はさまざまな仮想たちを脳内に立ち上がらせ、心の傷を癒し、さらには過酷な現実に向かい合うことができるのかもしれません。
そして、人間にとっての最大の仮想とは「あの世」であり、さらに詳しく言えば「天国」と「地獄」であると思います。わたしは、このたび刊行された『「天国」と「地獄」がよくわかる本』(PHP文庫)の監修をいたしました。この本には、これまで人類が想像した、あらゆる天国と地獄が紹介されています。Tonyさんと五木寛之さんが『霊の発見』(平凡社)で発言されたように、いま、天国や地獄を信じる人は少なくなりました。昔の人々は信じていました。心の底から天国に憧れ、震えあがるほど地獄を恐れていました。天国や地獄を信じなくなった結果、人間の心は自由になり、社会は良くなったのでしょうか。
いや、反対に人間の心の闇は大きくなり、社会は悪くなったのではないでしょうか。凶悪犯罪はさらに増加し、より残虐になっています。親が子を殺し、子が親を殺すような事件も多くなっています。まさに、Tonyさんが言われるように「ありえないことなどありえない」状況です。
未曾有の不況による貧困社会を迎えた現代の日本。日本人の心はますます荒廃するばかりです。わたしたちは、「良いことをすれば天国や極楽に行ける」「悪いことをすれば地獄に堕ちる」という素朴な人生観が再び必要なのかもしれません。わたしは、同書の「まえがき」の最後にこう書きました。「何はともあれ、天国と地獄を信じよ!そして、限りある生を精一杯に人間らしく生きようではないか!」と。
それでは、5周年に向けて、今後ともよろしくお願いいたします。オルボワール!
2009年8月6日 一条真也拝
一条真也ことShinさんへ
そうですか。もう丸4年も経ったのですか。満月の夜に交信を始めてから。Shinさんとは20年近い付き合いですが(確か、1990年くらい?)、その間の4年間は、毎月、お互いに異なった場所で同じ満月を見上げながらレターを書き合っていたのですね。
さて、皆既日食のことですが、わたしも京都で見ました。我が砦はその日雨漏りしてしまうほどの夜中の雨に打ち叩かれましたが、11時ごろからおよそ1時間くらい空を見上げて、太陽が翳ってゆく過程を観察しました。左京区付近ではそれほど空が暗くなることもなく、曇天の中でしばしばうっすらと顔を覗かせる三日月のような太陽をベランダに寝っ転がって見ていました。昼の空に架かっているお月さんのようでしたが、実際はお月様は翳の部分だったわけでした。小学生の時に見た時の方がドラマティックだったような気がする……。
『古事記』の中に、日の神天照大神が天の岩屋に隠れたために世界が真っ暗になってしまう神話伝承が記されていて、これが日蝕を神話的に表現したものだという解釈が古くからされています。古代人にとっては、皆既日蝕はまったく太陽の死に他ならなかったでしょう。それを目撃したときの驚きはいかばかりだったか、想像するに余りあります。
その暗黒の世界の中で、さまざまな災いが起こってきたので、神々が相談して祭りを行うことになるのですが、暗黒と光が死と再生を象徴する二極であるならば、その二極をつなぎ反転させるワザが祭りであったことはとても意味深長な話だと思います。別の意味で暗黒の時代を生きるわたしたちも、光を再生せしめる祭りをいろいろな仕方で仕掛け、実行しなければならないのではないでしょうか。
この祭りの仕掛け人を、「天思兼神(あめのおもひかねのかみ)」と言います。さまざまな思念・思索を兼ね、めぐらせることができる神という意味です。「思いを兼ねる」とは、なかなか示唆に富む言葉ですね。それは、「思い遣り」でもあり、「慮り」でもあり、「思い巡らす」でも、「思い届ける」でもあります。
とくに、「兼ねる」ということの複数性が重要です。Shinさんは、サンレーという大手冠婚葬祭業の社長ですが、同時に、二人の女の子の父であり、夫であり、息子であり、またバリバリ現役大活躍の作家・評論家・大学客員教授・共同研究員など、またさまざまな団体の役職を兼務していることと思います。一つの顔ではなく、いくつもの顔を持ち、いくつもの交通の回路を持ち、いくつもの言語を駆使し、世界と通じ合う。そんなマルチな複数性が、宮沢賢治の言う「有機交流電燈」としての「わたくし」という「透明な幽霊の複合体」(『春と修羅』序)の実態でしょう。
本日、Shinさんが監修した『「天国」と「地獄」がよくわかる本』(PHP文庫)を拝受しました。その「まえがき 『何はともあれ、天国と地獄を信じよ!』」に、「あなたは、あの世を信じるだろうか。あの世を信じること、つまり『来世信仰』は、あらゆる時代や民族や文化を通じて、人類史上絶えることなく続いてきた。/たとえば古代エジプトの『死者の書』、あるいはチベット仏教の教典である『チベット死者の書』のなかには、永遠の生命に至る霊魂の旅がまるで観光ガイドブックのように克明に描かれている。/また、『聖書』や『コーラン』に代表される宗教書の多くは死後の世界について述べているし、世界各地の葬儀も基本的に来世の存在を前提として行なわれている。日本でも、月、山、海、それに仏教の極楽がミックスされて独自の『あの世』のイメージがつくられてきた。/人間は必ず死ぬ。では、人間は死ぬとどうなるのか。死後、どんな世界に行くのか。これは素朴にして、人間にとって最も根本的な問題であるといえよう。人類の文明が誕生して以来、わたしたちの先祖はその叡知の多くを傾けて、このテーマに取り組んできた。/それでも、現在に至るまで人間は死に続けている。死の正体もよくわかっていない。実際に死を体験することは一度しかできないわけだから、人間にとって死が永遠の謎であることは当然だろう。まさに死こそは人類最大のミステリーなのである」と書かれています。
そして、Shinさんは、「まえがき」の最後をこう高らかに結んでいます。「未曾有の布教による大貧困社会を迎えつつある現代日本。日本人の心はますます荒廃するばかりだ。『よいことをすれば天国や極楽に行ける』『悪いことをすれば地獄に堕ちる』という人生観が、わたしたちにはふたたび必要なのかもしれない。/何はともあれ、天国と地獄を信じよ! /そして、限りある生を精一杯に人間らしく生きようではないか!」と。
国学者の中でShinさんと似たような主張をした人がいます。それは、お察しのとおり、平田篤胤です。彼は、死後の「霊の行方の安定(しずまり)」がわからなければ「大倭心(大和心)」の「鎮(しずまり)」はないと断言しました。そして彼は「幽冥界」、つまり「幽世(かくりよ)」の研究に邁進したのです。『霊の真柱』『古今妖魅考』『仙境異聞』『勝五郎再生記聞』『稲生物怪録』などを次々と書き著して。
現代心学者を名乗っているShinさんは、そういう意味では、同時に、現代の平田学派ですね。もちろん、わたしはそういう方向で探究を進め、生きてきましたから、わたしも現代のHIRATA SCHOOLの一員であることはいうまでもありませんが。
でもね。わたしは死んだらこうなるから生きてる間に善いことをしなさいというような、死後を担保にしたような言い方はしたくありません。それって、どっか、功利的じゃないですか。その点については、死後の世界については「無記」、つまり、黙して語らず、この生の現実を直視しなさいと「正見」することを説き、実践したお釈迦さんを支持します。スッキリして気持ちいいです。脅しも何もなく、掛け値なしの脚下照顧だから。
要するに、死の高次元方程式からではなく、まずは、生の次元方程式を解くことから律する道を探るべきだと思うのです。というのも、不確かな死後ないし霊界情報探索に拠りかかることから、思い込みや共同幻想や妄想や狂信が生まれることがままあるからです。そうしたリスクを避ける「中道」を行くのは、一つの確かな智慧だと思いますね。不当で不埒で詐欺的な「スピリチュアル」に騙されないためにも、仏教というよりも、お釈迦さんが説いた「正見」の道は大事だと思っています。
Shinさんは、茂木健一郎さんの説いた「仮想によって支えられる、魂の自由」という主張を引いています。プラトンならば、これは、「イデアによって支えられる、魂の自由」と言うところでしょう。「仮想」ではなく、「真実在=イデア」こそが、魂=理性の立脚点に基づく行為、すなわち真の「自由(自らに由ること)」を支えるものだとプラトンなら主張すると思うからです。
そのプラトンが『国家』の最後で、エルの物語として知られる臨死体験の記録を詳しく書いていることはたいへん興味深いところです。プラトンにとっては、もちろん、「霊界」も「霊魂」も「仮想」ではなく、「新実在=イデア」でした。
また、プラトンの「洞窟の比喩」も、Shinさんの話とつながっていると思います。この世の現象は「仮象」で、洞窟内に映った影のごときものというのが新実在たるイデアと仮象との関係ですが、この「仮象」は茂木さんの言う「仮想」と通じます。
最近、わたしは、統合生理学者で東邦大学医学部教授の有田秀穂さんの講演を聞きました。「高野山大学いのちのセミナー」という講演会で。有田さんは、お医者さんでもありますが、座禅の研究者でもあります。そして、座禅に伴う呼吸法を生理学的観点から研究しているのです。そして、座禅によって、セロトニンと呼ばれる脳内神経伝達物質のホルモン分泌が活性化され、強化されることを実証し、それを生活の中に活かすための実践活動として、セロトニン道場やNPO国際セロトニントレーニング協会の代表をしています。
著作に、『セロトニン欠乏脳』(NHK生活人新書)、『禅と脳』(玄侑宗久氏との共著、大和書房)、『呼吸の事典』(朝倉書店)、『呼吸を変えれば「うつ」はよくなる!』(PHP研究所)、『ウォーキングセラピー』(かんき出版)、『脳からストレスを消す技術』(サンマーク出版)『セロトニン欠乏脳』(NHK出版)、『禅と脳』(大和書房)、『朝の5分間脳セロトニン・トレーニング』(かんき出版)、『脳内物質のシステム神経生理学:精神精気のニューロサイエンス』(中外医学社)、『瞑想脳をつくる』(井上ウィマラ氏との共著、佼成出版社)などがあります。
有田さんは、ドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニンを「心の三原色」と呼んでいます。ドーパミンは快楽ややる気を引き起こし、ノルアドレナリンはストレスに反応する、いわば危険感知物質、危機管理物質で、これが過剰分泌されるとパニック障害やうつを引き起こすといいます。
それに対して、問題のセロトニンは、快楽=ドーパミンでもなく、ストレス=ノルアドレナリンでもなく、むしろこの両者を抑制させる第三神経伝達物質です。言ってみれば、中道神経伝達物質。つまり、精神安定剤のような脳内神経伝達物質で、心のバランスと安定には欠かせないはたらきをするようです。
有田さんは、歩行と咀嚼と丹田呼吸(腹式呼吸)がセロトニン活性に有効だということを実験的に確かめました。これらは基本的にリズム性の運動だというのです。現代医学はもちろん、「エビデンス・ベイスド・メディソン」ですが、歩行や咀嚼や丹田呼吸がからだにいいことはすでに古くからの「ナラティブ・ベイスド・メディスン」ともいえる民間伝承の知恵として伝えられてきました。それを、脳内生理学メカニズムとして実証したわけです。
問題は、それがからだにいいとわかっても、あるいは心の安定にいいとわかっても、やるかやらないかはその人次第だということです。最終的に、知識は、考え方の方向性や生き方に支えられてその人の生活の中で活かされたり、ただの知識ないし情報としてのみ消費されたりするわけです。
なんといっても、大事なことは実践です。実践・実行がすべて。実践が理論を鍛え、知識に息吹を与えます。唐突ですが、最近、わたしは詩人になりたい、などと本気で考えています。わたしは10代後半のころ、毎日のように詩を書いていました。20代もほぼそうでした。30代にはしかし、まったく書くことなく、40代半ばに神道ソングライターになりましたので、いわゆる歌の詞を200曲以上書きました。最新作は「猫神さまのお通りじゃあ〜!」という、意味不明の歌です。また、その間に、時に俳句を作ってきましたし、たまに短歌も作りましたので、「詩人」というものからかけ離れたところにいたわけではありません。
ともあれ、30代から40代半ばまでの10年余りのブランクはありましたが、これまで17歳から58歳まで、正味30年近く、詩と付き合ってきたといえます。けれども、わたしは今、切実に詩を必要としていると感じています。エビデンスではなく、詩が必要です。ナラティブでもなく、詩。詩、こそがいのちの鍵を、たましいの鍵を握っている。そんな感じ、ですね。
わたしにとって、有田さんのセロトニンは、「詩ロトニン」なのです。「詩ロトニン」物質の脳内活性を図りたい。詩がエビデンスとナラティブとの次元飛び超えを可能にしてくれるという気がしています。科学と宗教と詩を取り結ぶこと。わたしにとって、17歳の時からそれは一貫して変わらない課題であり続けているように思います。そして、ようやっと、詩に向き合う時がきたのか、と思っているのです。
道のはずれに立っているおじぞうさま。
ぼくはいつも行き帰りに会釈します。
ぺこり。
おじぞうさまは笑ってくれます。
はい。きょうはごくろうさま。
雨の日も風の日も笑ってくれます。
はい。きょうもごくろうさま。
いつもいつも笑ってくれます。
ぼくが死ぬ日も笑ってくれます。
2009年8月9日 鎌田東二拝
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