シンとトニーのムーンサルトレター 第047信
- 2009.07.07
- ムーンサルトレター
第47信
鎌田東二ことTonyさんへ
梅雨でうっとうしい日が続きますが、お変わりありませんか?今夜は満月で、しかも七夕です。なんて贅沢なことでしょうか!気づけば、このレターも、もう47信目になりました。次回で、まる4年になるのですね。前任者の鏡リュウジさんが、たしか全部で41回分のレターを残されています。開始した当初は、とても鏡さんのように続けることは無理だろうと思っていましたが、本当に時の過ぎるのは早いものです。これまでの46信のレターには、46回分のわたしの「思い出」が詰まっています。
「思い出」といえば、このたび究極のエンディングノートをめざして、『思い出ノート』(現代書林)なるものを作りました。エンディングノートとは、自分がどのような最期を迎えたいか、どのように旅立ちを見送ってほしいか・・・それらの希望を自分の言葉で綴る記述式ノートです。高齢化で「老い」と「死」を直視する時代背景のせいか、かなりのブームとなっており、各種のエンディングノートが刊行されて話題となっています。
しかし、その多くは遺産のことなどを記すだけの無味乾燥なものであり、そういったものを開くたびに、もっと記入される方が、そして遺された方々が、心ゆたかになれるようなエンディングノートを作ってみたいと思い続けてきました。また、そういったノートを作ってほしいという要望もたくさん寄せられました。
今回の『思い出ノート』では、第1章を「あなたのことを教えてください」と題して、基本的な個人情報(故人情報)を記せるようになっています。たとえば、氏名・生年月日・血液型・出身地・本籍・父親の名前・母親の名前といったものです。次に、小学校からはじまる学歴、職歴や団体歴、資格・免許など。また、「私の健康プロフィール」として、受診中の医療機関名・医師名、毎日飲んでいる薬、アレルギーなどの注意点、よく飲む薬などを記します。これは、元気な高齢者の備忘録としても大いに使えると思います。
『思い出ノート』の真骨頂はこれからで、「私の思い出の日々」として、幼かった頃、学生時代、仕事に就いてからの懐かしい思い出など、過ぎ去った過去の日々について記します。たとえば「誕生」の項では、生まれた場所、健康状態(身長・体重など)、名前の由来や愛称などについて。「幼い頃・小学校時代」の項では、好きだった先生や友達、仲の良い友人、得意科目と不得意科目などについて。「高校時代」の項では、学業成績、クラブ活動、好きだった人、印象に残ったこと・人などについて。
また、「今までで一番楽しかったこと」ベスト5、「今までで一番、悲しかったこと、つらかったこと」ベスト5、「子どもの頃の夢・あこがれていた職業・してみたかったこと」、「今までで最も思い出に残っている旅」、「これからしたいこと」、そして「やり残したこと」ベスト10といった項目も特徴的です。そして、「生きてきた記録」では、大正10年(1921年)から現在に至るまでの自分史を一年毎に記入してゆきます。参考として、当時の主な出来事、内閣、ベストセラー、流行歌などが掲載されています。
「HISTORY(歴史)」とは、「HIS(彼の)STORY(物語)」という意味ですが、すべての人には、その生涯において紡いできた物語があり、歴史があります。そして、それらは「思い出」と呼ばれます。自らの思い出が、そのまま後に残された人たちの思い出になる。そんな素敵な心のリレーを実現するノートになってくれればいいなと思います。
『思い出ノート』は、記入される方が自分を思い出すために、自分自身で書くノートです。それは、遺された人たちへのメッセージでもあります。たとえ新しい世界に旅立っても、その人は、遺された人たちの記憶の中で生き続けています。きっと、遺された人たちは、このノートに記された故人の筆跡を見るだけで、故人の思い出をよみがえらせ、それを語り合うことでしょう。ときに涙し、ときに笑い、そして懐かしむことでしょう。
『思い出ノート』には、記入者の財産や遺品のこと、旅立ってから後のことなど、いわゆる「情報」と呼べるようなものもたくさん記入できるようになっています。「情報」というと、何となく冷たくて無味乾燥な感じがします。
でも、このノートに記される情報は違います。情報とは、「情」を「報せる」と書きます。「情」は「なさけ」と読むのが一般的ですが、五木寛之さんもよく指摘されるように、『万葉集』などでは「こころ」と読まれています。わが国の古代人たちは、「こころ」という平仮名に「心」ではなく「情」という漢字を当てたのです。ですから、「こころ」を「報せる」ことこそ、本当の情報なのだと思います。わたしは、「はじめに〜このノートを書く意味」に次のように読者=記入者へのメッセージを書きました。
「あなたが家族へ残した財産は、愛情という「情」です。
あなたが友人へ綴った思いは、友情という「情」です。
あなたが詠んだ辞世の歌や句には、詩情という「情」があります。
すべてが、あなたの人情という「情」にあふれています。
このノートには、あなたの「こころ」を報せる「情報」が記されているのです。」
「あなたという、かけがえのない、たった一人の人間がこの世界にいたこと、夢見たこと、考えたこと、実行したこと・・・その記録と記憶を「思い出ノート」が後世に残します。」
この『思い出ノート』は、記入者自身の旅立ちのセレモニー、すなわち葬儀についての具体的な希望を書き記すものでもあります。自分の葬儀について考えるなんて、ましてや具体的な内容について書くなんて、複雑な思いをする人も多いと思います。しかし、自分の葬儀を具体的にイメージすることは、その人がこれからの人生を幸せに生きていくうえで絶大な効果を発揮すると、わたしは確信しています。
自分の葬義をイメージして、友人や会社の上司や同僚が弔辞を読む場面を想像するのです。そして、その弔辞の内容を具体的に想像するのです。そこには、その人がどのように世のため人のために生きてきたかが克明に述べられているはずです。葬儀に参列してくれる人々の顔ぶれも想像するといいでしょう。そして、みんなが「惜しい人を亡くした」と心から悲しんでくれて、配偶者からは「最高の連れ合いだった。あの世でも夫婦になりたい」といわれ、子どもたちからは「心から尊敬していました」といわれる。 まさに、自分の葬儀の場面というのは、「このような人生を歩みたい」というイメージを凝縮して視覚化したものなのです。後は、そのイメージを実際の人生においてフィードバックしていくことが大切ではないでしょうか。
このノートには、古今東西の有名な人々が亡くなった年齢、すなわち「享年」が掲載されています。アンネ・フランクは16歳、ジャンヌ・ダルクは19歳、森欄丸や天草四郎は17歳の若さで亡くなっています。逆に、梅原龍三郎は98歳、諸橋轍次は99歳、野上弥生子は100歳で、泉重千代は121歳で亡くなっています。現在わたしは46歳ですが、三島由紀夫の享年は45歳でした。中上健次や、先日亡くなったプロレスラーの三沢光晴は同じ46歳でした。そして、マイケル・ジャクソンは50歳。
この膨大な享年リストを読むと、「へえ、あの人物は意外に若死にだったのだな」とか「あの人は、こんなに長生きしたのか」とか「今の自分の年齢で亡くなったわけだ」などと思うことでしょう。そして、おそらく読者は「自分は何歳で亡くなるのか」と考え、その人生が短かったとか長かったとか、さまざまな感慨が湧いてくるのではないでしょうか。
しかし、そもそも享年とは、いったい何でしょうか。それは、この世で生きた時間の長さのことですね。ならば、そんなに亡くなった年齢を気にすることはないと、わたしは思います。すべての人間は自分だけの特別な使命や目的をもってこの世に生まれてきています。この世での時間はとても大切なものですが、その長さはさほど重要ではありません。時間とは、人間が創り出した人工的な概念にすぎません。ですから、たとえ一日しか生きられなかったとしても、死ぬことは不幸でも何ともありません。いくら短くても、その生は完結したものなのです。
明治維新を呼び起こした一人とされる吉田松陰は、二十九歳の若さで刑死しましたが、その遺書ともいえる『留魂録』に次のように書き残しました。「今日、死を決心して、安心できるのは四季の循環において得るところがあるからである。春に種をまき、夏は苗を植え、秋に刈り、冬にはそれを蔵にしまって、収穫を祝う。このように一年には四季がある」
そして、松陰は人間の寿命について次のように述べました。「人の寿命に定まりはないが、十歳で死ぬ者には十歳の中に四季がある。二十歳には二十歳の四季がある。三十歳には三十歳の四季がある。五十歳、百歳には五十歳、百歳の四季がある。私は三十歳で死ぬことになるが、四季は既に備わり、実をつけた。その実が立派なものかどうか私にはわからないが、同志の諸君が私の志を憐れみ受け継いでくれたなら、種は絶えることなく年々実を結んでいくであろう」
松陰の死後、その弟子たちは結束して、彼の志を果たしました。かのドラッカーが「世界史上最高の社会的イノベーション」と絶賛した「明治維新」の実現です。松陰の四季が生み出した実は結ばれ、種は絶えませんでした。何よりも、弟子たちは師の「思い出」を胸に、吉田松陰という一人の人間のことを絶対に忘れなかったのです。
「人間は二度死ぬ」と言われます。人が死んでも、生前について知る人が生きているうちは、死んだことにはなりません。生き残った者が心の中に呼び起こすことができるからです。しかし、記憶する人が死に絶えてしまったとき、死者は本当の死者になってしまうのです。誰からも忘れ去られたとき、死者はもう一度死ぬのです。
すべての人は、いつか必ず亡くなります。これは間違いのない未来です。でも、人は二度も亡くなってはいけません。本当の死者になってはいけません。自分の大切な、愛する人たちに、自分のことを憶えておいてもらわなければなりません。そのための「思い出」を『思い出ノート』に記してもらいたいと願っています。
今回は『思い出ノート』の話題に終始しましたが、このノートによって、「老いる覚悟」と「死ぬ覚悟」を持つ社会を呼び込みたいと、わたしは真剣に考えています。Tonyさんにも一冊送らせていただきましたので、ご笑覧のうえ、ご意見やご批判を頂戴できれば幸いです。最後に、『思い出ノート』のカバーには、大正ロマン風に朧月夜が描かれています。その折り返しの部分に、わたしの拙い短歌が掲載されています。こんな歌です。
「人は生き老い病み死ぬるものなれど 夜空の月に残す面影」
それでは、次の満月まで。オルボワール!
2009年7月7日 一条真也拝
一条真也ことShinさんへ
Shinさん、ようやっと、村上春樹の『1Q84』を読みましたよ。読み終えてからレターの返事を書こうと思っていて、遅くなり、大変失礼しました。Shinさんは、6月のレターで、『DNAリーディング』という新著を書いていて、その中の「近代日本文学のDNA」章で、<夏目漱石→芥川龍之介(また、志賀直哉)→太宰治→三島由紀夫→村上春樹という影響関係>を証明し、「漱石の文学的遺伝子が現代の村上春樹にまで受け継がれているという仮説を立て、立証してみ」ようとしていると書かれていましたね。
それは、「無謀」ではなく、たいへんユニークな「夢膨」です。おもろいです。そこで、本年2月15日のエルサレム賞受賞スピーチ「高く堅牢な壁と、そこにぶつかれば壊れてしまう卵があるなら、私は常に卵の側に立とう」という言葉を引きつつ、デビュー作の『風の歌を聴け』から『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェイの森』『ダンス・ダンス・ダンス』『国境の南、太陽の西』『ねじまき鳥クロニクル』『スプートニクの恋人』『海辺のカフカ』『アフターダーク』までの村上春樹の長編小説をまとめて読んだとのことでしたね。
これらの中では、『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』を読んだ記憶がありますが、残念ながら感銘したものはありませんでした。ソフィスティケートされた作品であるとは思いましたが、どうもイマイチ、わたしにはピンと来ません。『海辺のカフカ』はおもしろく、いい作品だとは思いましたが、しかし、深く突き刺さるもの、沈殿するものはなく、残っていません。わたしの中に。
Shinさんは、『1Q84』は、「冒頭からハラハラドキドキ、文字通り寝食を忘れて読み耽ってしまう面白さ」と言われました。確かに、推理小説かと思うほどのスリリングなところはありました。でもねえ。鼻白む思いも何度もしましたよ。読みながら。たとえば、文学賞の新人賞を取った作品『空気さなぎ』、どこがどう新人賞に評価されるのか、まったくわからない。そんなに、優れた作品とはイメージできない。その作者の17歳の少女も、戎野先生という元文化人類学者も何考えてるんだか、まったく首尾一貫せず、描ききれていなくてがっかりするところがいろいろとあって、肩透かしの連続、という面もありました。
確かに、主人公の天吾と青豆の二人の世界はそれなりにうまくかけていました。村上春樹は、筆達者な書き手だなあと改めて思いました。でも、うまい小説だとは思うけれども、それだけでした。思わせぶりっこのカマトト文学じゃないか、これは! とムラムラとするものがありましたよ。もっと緊張感が必要だよ! と叫びたくなりました。これが「ノーベル文学賞」に一番近い人の最新作なのですか?
Shinさんは、『1Q84』の面白さとよさを、第一に実にピュアーな純愛小説であること、第二にエホバの証人、ヤマギシ会、オウム真理教などをモデルとした宗教小説、第三に月をモチーフとして描いたルナティック小説という三つの理由を挙げましたね。「1Q84年の世界では、空には二つの月が浮かんでいる」。確かに、もう一つ、「緑の月」がかかっているのが、「1Q84」でした。しかし、わたしにはリアリティがなかったなあ、まったく。緑好きの、緑ずくめのわたしですが、このもう一つの「緑の月」には空虚な寓話性しか感じませんでした。なぜそれが「緑」である必要があるの?
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の中で、ジョバンニは、宇宙空間のどこにでも行ける「緑の切符」をいつしか手にしていました。それは、「青の切符」でも「銀の切符」でもよかったようにも思えますが、しかし、「緑の切符」であることによって、何か、賢治が願っている<いのちといのりの切り札>のような感じがして、わたしにはとても心に沁みました。それは、「緑の切符」であるべきでした。また、そうあることによって、しっくりと『銀河鉄道の夜』を経巡るジョバンニのいのちといのりの支えになるものと思われました。
しかし、村上春樹さんの「緑の月」は、とりあえず、「緑の月」のような感じがしました。「緑の月」であることによって、不気味であることもなく、祈りの媒介者となるわけでもなく、いのちやたましいの中継点となるわけでもない、中途半端な、宙ぶらりんな寓話的アイコンでしかない。そんな感じでした。
それから、オウム真理教の麻原彰晃を思わせるようなリーダーのことも、まったく中途半端な描き方で、わたしは不満どころか、憤懣を抱いたほどです。そんな、思わせぶりな書き方を止めろっ! と叫びたくなりましたよ。満月に向かって。
新人賞を受賞した17歳の美少女「ふかえり」のことも、その父親である教団「さきがけ」の「リーダー」のことも、その親友の戎野のことも、小松のことも、どれもこれも中途半端で思わせぶり。面白く読み進めながらも、最後になるにつれて、わたしはだんだん気が滅入り、失望を深めました。
道具立てはそれらしい。でも、単なる道具立てだけ。それ以上の意味はない。天吾と青豆に仕える道具立て。この小説の「つくり」にわたしはいろんな意味で、不満や物足りなさや失望を感じたのです。
『1Q84』は100万部を超えるベストセラーになったようですね。そして、いろいろなところで評価されていくのかもしれません。Shinさんも高く評価しています。でも、はっきり言って、わたしは不満です。物足りません。食い足りません。失望しました。
一番心に残った言葉は、「神は与え、神は奪う」(Book2 237頁)です。それから、「蝶と友だちになるには、まずあなたは自然の一部にならなくてはいけません。人としての気配を消し、ここにじっとして、自分を樹木や草や花だと思い込むようにするのです。時間はかかるけれど、いったん相手が気を許してくれれば、あとは自然に仲良くなれます」(Book1 151頁)。
わたしは、東山の動物たちと「友だち」になりたいと思いつつ、東山に入っていきます。でも、いつもいつも、わたしはまだまだ異物です。異形です。「自然の一部」になるどころか、「気配」を消すどころか、自然の患部となり、人間臭い気配と臭いを発して、森を撹乱しています。そうでなくなりたいけど。残念ながら。まだまだ修行が足りまへん。
天吾はふかえり(深田絵里子)に、「正しい歴史を奪うことは、人格の一部を奪うのと同じことなんだ。それは犯罪だ」(Book1 459頁)と言います。そのとおりだと思いつつも、では「正しい歴史」とは何であり、誰がその「正しい歴史」をどのように認識でき、共有できるのか、という疑問が湧き起こってきます。そんな疑問や問いが小説の中で深められることはありませんでした。
「彼(牛河)が歩いていくと、その道筋にいる男女の学生たちは自然に脇によって道をあけた。村の小さな子供たちが恐ろしい人買いを避けるみたいに」(Book2 222頁)。
「誰も彼もが会話の途中で好き勝手に電話を切ってしまう。まるで鉈をふるって吊り橋を落とすみたいに」(Book2 209頁)。「この痛みは耐え難い。ときどき——ときとしてその痛みはすさまじく深くなる。まるで地球の中心にじかに結びついているみたいに」(Book2 201(Book1 151頁)。
このような直喩を読むと、わたしは白けてしまいます。それから、「我々は小さな宗教団体です。しかし強い心と長い腕を持っています」(Book2 155頁)と「さきがけ」という宗教団体の「リーダー」の坊主頭の用心棒は言います。この「強い心」とは何でしょう? 「長い腕」とは何でしょう? とりわけ、「長い腕」という表現は何度も出てきますが、それは何か思わせぶりなだけで、何を示すこともありません。天吾に300万円を助成しようという新人芸術家の助成団体も。ただの道具立て。もっとも重要な脇役と思われる天吾の母親も、実の父親も。「リトル・ピープル」も。
もっとも、小説家としての村上春樹さんの小説作法というのは、最初から寓話的というのか、象徴的というのか、思わせぶりなとことがありましたね。その思わせぶりを、わたしはずっと「カマトト文学」と読んできました。ズバリ、ズシンと響くものがありません。わたしには。
ヤマギシ会を思わせる有機農業のコミューン「さきがけ」がいつしか宗教団体に変貌していくこともわたしには思わせぶりなだけで、何だよこれはっ! って叫びたくなりました。何度も、もどかしくて、食い足りなくて、叫びたくなって。
しつこいですが、わたしは何とも行き場のない、後味の悪さを感じています。Shinさんが言うように、確かにこの小説は「恋愛小説」「純愛小説」でしょう。でも、純愛物語であれば、わたしは断然、楳図かずおさんの漫画『わたしは真悟』を支持します。これほど美しく、せつない恋愛物語をわたしは知りません。哀切で涙なしには読めませんでした。わたしが恋愛物語の最高傑作と推挙するのは『わたしは真悟』です。
今日はちょっとネガティブな意見を書きすぎたでしょうか。でも、それが正直な読後感なのでしょうがありません。文芸批評家やまた他の人は別の批評や感想を持つでしょう。Shinさんとはずいぶん意見が異なってしまいましたが、それはそれとして受け取ってください。わたしは、村上春樹氏が優れた書き手であることは否定しませんし、エルサレムでの発言も好感を持っています。でもね、やはり、実践ですよ、一番大事なことは。行動であり、表現です。
わたしは最近、必要があって、三島由紀夫の『英霊の聲』を読み返しましたが、重い直球でわたしの心と体を射貫いて行きましたよ、それは。三島由紀夫の文学はまったく好きではありませんが、しかしそれは重い問いとなってわたしの中に沈殿し続けています。三島由紀夫は「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」(留魂録)という辞世の句を残して29歳で処刑された吉田松陰を偲びつつ、1970年11月25日に、自衛隊市谷駐屯地に乱入して自決したのでした。今にして思えば、三島由紀夫は実に過激で、危険な小説家であり、思想家でしたね。そして実に上手い小説家でした。でも、そのつくりものの文学をわたしは好みません。
まもなく、祇園祭。そして、天河大弁財天社の例大祭。天河の例大祭に一人で行ってきます。この時代の「宗教」というもの、また、「神社」や「神道」というものを、わたしなりに問い続け、探究し続け、表現し続けていきたいと思います。
2009年7月13日 鎌田東二拝
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