シンとトニーのムーンサルトレター 第049信
- 2009.09.05
- ムーンサルトレター
第49信
鎌田東二ことTonyさんへ
Tonyさん、お元気ですか? 先の衆議院選挙では、大方の予想通りに民主党が圧勝しました。ついに政権交代が実現しますね。9月1日には、わたしたちの仕事に関係の深い消費者庁もスタートしました。これから政治も経済も社会も大きく変化していきます。そんな中で、Tonyさんは多忙な日々を送られていることと存じますが、わたしも、ここのところ異常な忙しさを体験しています。本業でも多くの案件があるのですが、それに加えて、9月には3冊の著書、2冊の編著、1冊の監修書、つまり合計6冊の本が一度に刊行されるため、その校正やら何やらで休日ゼロのめまぐるしい毎日なのです。
今回は、それらの本についてお話したいと思います。
まず、最初に紹介するのは『最短で一流のビジネスマンになる!ドラッカー思考』(フォレスト出版)というビジネス書です。現在、「100年に一度」の深刻な不況が世界経済を襲っています。この世界不況の直接の原因は、アメリカのサブプライムローン問題とされています。つまり、弱者から利益をしぼり出す経済学です。その詐欺的手法が破綻して、世界の金融システムそのものがグチャグチャになってしまいました。
企業モラルに反して、詐欺同然の利益至上主義を突っ走ったリーマンブラザーズは2008年9月に破綻しました。総資産規模では世界最大の破綻劇でした。そして、今年の6月1日には製造業最大の企業であるGMが破綻しました。消費者のニーズにあった自動車を作れず、大型車や金融事業に頼ったのが大きな原因とされています。
破綻時のGMは、創業100年と257日の歴史ある企業でした。1931年から2008年に日本のトヨタ自動車に抜かれるまでの77年間、新車販売台数世界一の座を守り続けました。1950年代から60年代にかけては、売上高、利益で何度も世界一を記録しました。従業員数は約24万人、2007年の売上高は約20兆円でした。「アメリカの象徴」とされた、これほどの超大企業があっけなく国有化されてしまった事実を前にして、わたしは金融資本主義の終わりを改めて痛感したのです。
リーマンブラザーズやGMといったアメリカの企業だけではありません。日本を代表する超大手企業も、決算時の業績を意識するあまり、まだ利益が出ているにもかかわらず平気で数万人単位の従業員を解雇する。しかし、そもそも経済も企業も、人間を豊かに幸せにするため、すなわち人間のためにあったはずです。
「企業は人間のためにある」。そのことを生涯にわたって訴え続けた偉大な経営学者がいます。ピーター・ドラッカーです。「マネジメントの父」と呼ばれ、マネジメントという考え方そのものを発明した人です。彼は今から、ちょうど100年前に生まれました。GMと同い年です。実際に、GMとは深い縁があります。彼は、1943年にGMの副会長から、同社の経営方針および構造を調査するように依頼を受けました。快諾したドラッカーは、GMの主要工場を訪問、主要幹部のほとんどにインタビューし、「ミスターGM」と呼ばれたアルフレッド・スローンにも出会っています。
ドラッカーは、まさに全盛期のGMにおいて、そのマネジメント思想を生み出したのでした。しかし、経営に対する根本的な考え方の違いからGMを去ったドラッカーは、その後、独自のマネジメント理論を完成させます。そして、彼の理論は、各種のマネジメントを中心に、マーケティング、イノベーション、リーダーシップ、果ては自己実現や未来創造まで、およそビジネスに関わるすべての分野に大きな影響を与えていきました。それも、アメリカのみならず日本をはじめとした世界中のビジネスマンに大きな影響を与えました。人々は、いつしか彼の考え方を「ドラッカー思考」と呼び、それを体得した者は一流のプロフェッショナルとなり、人生における真の成功をもたらすとされたのです。この本では、これ以上は不可能というくらいに、数々の「ドラッカー思考」をわかりやすく解説します。
2冊目は、『あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)という読書術の本です。現在、話題の「フォトリーディング」をはじめ、速読術というものが、もてはやされています。本を速く読むことで、ビジネスの効率があがって、ライバルよりも優位に立てるという論法で、ビジネス書コーナーには数多の「速読本」が置かれています。
速読はそもそもアメリカが発祥の地です。J・F・ケネディ大統領が非常に短い時間で本を読みこなすことができた。それが一つのシンボルとなり、「速読のできる人間は大統領にでもなれるわけだから、社会的に大成功できるはずだ」と思われたのでしょう。
ビジネスの世界においてはスピードが大切です。必要な情報を速く読んで、すみやかに実践に生かすに越したことはありません。「速度」は「量」に直結します。一日に1冊読めれば、一年に365冊読める。量のストックから「質」が生まれてくる部分もあるので、「本を人よりも速く読む」ことにはそれなりの意味があるでしょう。
その一方で、なんでもかんでも速読で片づけようとする姿勢は問題だと思います。自分の人生観に多大な影響を与える哲学書とか文学書を速く読むことはナンセンスであり、むしろゆっくりと反芻しながら読んだほうがいい。一般に、「古典」と呼ばれる本は速読には適さないように思います。最近亡くなった故・加藤周一も『読書術』(岩波書店)の中で、「古典とはゆっくり読むための本なのです」と断言しています。結局、本には二種類あると、わたしは思います。「速く読んだほうが得をする本」と「速く読むと損する本」です。
すべての本を速読しようという考え方には違和感を覚えるだけでなく、得てしてそうした速読を薦める本には過剰な宣伝文句が目につきます。アイデアを元にして事業を始めるとか、経営者として組織にどういう影響を与えようか考えているといった人たちは別ですが、現在、組織人として会社の中でそれぞれの役割を果たしている人たちに、「1億円稼げる」だの、「あなたの年収が10倍になる」だのと呼びかけるのは確信的なウソではないか。
政治、経済、法律、教育、哲学、芸術、宗教、歴史、地理、科学、そして経営と、本の分野を数え上げただけでもキリがなく、さらに経営にはマネジメント、マーケティング、イノベーション、リーダーシップ……といったように、ひとつの分野にもじつにたくさんの本が刊行されています。これだけの本があるのに、ただ本さえ速く読んでいれば、金が儲かるというのはとてもおかしな話です。
たとえば、なぜビジネスマンが哲学書を読むのか? 結局、自分の思考法をつかむことが大事なわけです。考え方、世界の見方、そうしたフレームや視点をつくってしまえば、どんな問題にも対応できる。哲学書などは、そのための思考法づくり、フレームづくりに必要なのでしょう。では、それがすぐに仕事に結びつくでしょうか? すぐに年収が上がるでしょうか?そんなわけはありません。本を読むということが金儲けの手段だというなら、極論をいえば、金持ちなら最初から本を読む必要がないのでしょうか? もちろん、本を読む意味は金儲けにあるのではありません。読書とは、拝金主義の反対の営みであり、何よりも自由な「精神の王国」への入口であるはずです。そんな内容の本です。
それから、2冊の編著を出します。版元は違いますが、どちらも冠婚葬祭の実話集です。
ひとつは『むすびびと〜こころの仕事』(三五館)で、小社の結婚式場やホテルで実際にあった感動のエピソード集です。もうひとつは『最期のセレモニー〜メモリアルスタッフが見た、感動の実話集』(PHP研究所)で、こちらは小社がお世話をさせていただいた葬儀の実話集です。映画「おくりびと」が世界中の人々の心を打ちましたが、冠婚葬祭とは「愛」と「死」のセレモニーです。そこには、思いやり、感謝、感動、癒し・・・さまざまな心がたくさん込められています。
お葬式のお世話をする「おくりびと」は故人の魂を送る人ですが、結婚式のお世話をする人を、わたしは「むすびびと」と呼んでいます。新郎新婦の魂を結ぶからです。わたしは各地で冠婚葬祭業を営んでいますが、日々、多くの「むすびびと」や「おくりびと」たちから心あたたまる実話を直接聞いて、そのたびに目頭を熱くしています。
たとえば、ある結婚間近のカップルがいらっしゃいましたが、男性が事故で亡くなられました。お母さんと彼女の要望で、湯灌終了後、故人にタキシードをお着せしました。そして、ウエディングドレスを着た彼女と正装したお母さんの二人は故人を抱き起こし、三人で記念写真を行ったのです。このようなエピソードの数々を2冊の本で紹介しました。わたしは、冠婚葬祭業は「こころの仕事」だと思っています。
さらに、48信で紹介しました『灯をたのしむ』(現代書林)も9月初旬に刊行され、月末には監修書である『よくわかる「世界の怪人」事典』(廣済堂文庫)が出る予定です。この本は、ノストラダムスやラスプーチン、石川五右衛門などの実在の怪人から、怪人二十面相、オペラ座の怪人、『犬神家の一族』の佐清(すけきよ)などの架空の怪人まで、古今東西、虚実入り混ぜて「怪しき人びと」を集めた前代未聞の事典です。わたし自身、こんな世にも奇妙な本の監修をすることについて大いなる戸惑いを隠せません。でも、内容の面白さには絶対の自信があります。
10月以降も『ハートフル・ファンタジー(仮題)』、『幻獣事典』(講談社)、『香をたのしむ』(現代書林)など、本の刊行が続々と控えています。本業のほうでもビッグ・プロジェクトが目白押しで本当にバタバタの毎日ですが、そのぶん充実もしています。とにかく、天地自然の「理」に耳をすませ、智恵をしぼって、いろんなアイデアを実行して、自分なりに「こころ」の未来を拓いていきたいと思っています。
それでは、Tonyさん、オルボワール!来月はパリに行きますよ。
2009年9月5日 一条真也拝
一条真也ことShinさんへ
Shinさん、新幹線に乗って東京から京都に戻る車中でレターを書き始めています。9月7日の16時40分発の博多行きの一号車1Bの座席に座って書いています。空いていれば、いつも禁煙車両の1号車の前の方のD席に座るのですが、この車両にはコンセントが一番前と一番後ろにしかないので、一番前の席に陣取っています。天候は晴れ、富士山がよく見えそうで楽しみです。
ところで、Shinさんは、この9月に6冊も新刊書を出すのですね。ビジネス、ドラッガー、速読術、冠婚葬祭、怪人、etc・・・。凄いですねえ。いつも感心していますが、1ヶ月に6冊というのは実に大変なことですよ。ホンマ。本業の暇を見つけての執筆と校正なので、それこそ、寝る間もない忙しさでしょう。
Shinさんほどじゃないけど、わたしの方も、今月から11月くらいまで、毎月本が出ます。明日、9月8日発売の角川選書の『神と仏の出逢う国』(角川学芸出版)、それから10月20日くらいに発売のミシマ社から出す『超訳 古事記』、また同じ頃に創元社より上梓する『モノ学の冒険』(編著)、11月には同じ創元社より『平安京のコスモロジー』(編著)を出す予定で、校正作業を進めています。お互い、収穫の秋、となりますね。
『神と仏の出逢う国』は、わたしにとって、神仏習合論の第3弾となります。2000年に春秋社から『神と仏の精神史——神神習合論序説』を出し、2005年に相国寺より『神と仏の精神史再考』を出しましたが、後者を新原稿などを加えて全面的に書き直してできたのが今回の『神と仏の出逢う国』です。これは、わたしの、神神習合論や神仏習合論の総集編でもあります。
もちろん、個々には論じ残した問題や考察や考証を精密にし上げなければらならいところは多々ありますが、それでも一通りの通史的把握と未来への展望を自分なりに描いたという点で、荒削りではあっても、わたしには必要な仕事でした。これからの日本の国づくりや文化創造を考える際にもヒントになるところがいろいろとあるはずだと確信しています。
来月出す『超訳 古事記』、これは、わたし自身が、いわば稗田阿礼ならぬ鎌田阿礼になって口述した、まさに「モノガタリ」としての、「叙事詩」としての『古事記』の復元をねらったものです。「超訳」などという、こんな、学術的でない、ある意味では馬鹿げた手法は誰もやらないかもしれませんね。これは、My古事記、わたしの古事記、鎌田流古事記、ではありますが、ぜひとも小学生や中高生にも読んでほしいものです。誰にも読める『古事記』に近づけようとしています。おもしろいかどうかは、読者のご判断におまかせしますが、これまで読んだ『古事記』とは違う『古事記』の世界をトリップされることと思います。Shinさんも、二人の娘さんにお勧めください。日本最古の古典に、新たないのちと息吹を吹き込みたいという祈りとともに世に問います。
創元社から出す『モノ学の冒険』と『平安京のコスモロジー』は、科研「モノ学・感覚価値研究会」と「平安京研究会」の研究成果の総括であり、特に後者はシンポジウムの記録集で、岡野玲子さんも出てきて、平安京の空間デザインがどれほど幾何学的に構築されているのか、問題提起しています。どちらも、最新の成果と観点を盛り込んだ冒険的な編著です。ご期待ください。
後、角川学芸出版から角川ソフィア文庫で、既刊の単行本を文庫化する予定です。そんなこんなで、Shinさんほどの豊作ではありませんが、わたしもこの秋はいくらかの「奉作」となります。謹んで、神さま、仏菩薩さま、ご先祖さま、読者のみなさまに捧げます。
さて、政権交代。ずっとずっと願ってきたことがやっと実現しました。5年前の7月の参議院議員選挙で、喜納昌吉さんが民主党から立候補した時、わたしは、大宮駅前西口、有楽町マリオン前、渋谷駅ハチ公前で、3回法螺貝を吹き鳴らしながら応援演説をしました。とにかく、反自民であるわたしとしては、日本の社会を世直ししていくための一つの道として、政権交代は絶対に必要だと思ってきたので、今回の政権交代はその一里塚だと思っています。
とはいえ、とにかく、スタートラインに立っただけで、問題はこれからです。民主党が中心になって、どんな世の中を作っていくことができるか、まずは注意深く見守ることにしましょう。また、喜納さんの動きにももっと注目していきたいと思います。
今年の3月7日に東京大学理学部小柴ホールで、大重潤一郎監督のドキュメンタリー映画『久高オデッセイ 生章』の初上映会とシンポジウムを開催した時、喜納昌吉さんに出演依頼をしていたのですが、国会の運営などで当日参加ができず、それでも10分間男特別ビデオ参加をしてくれました。喜納さんは、とても心のこもったメッセージを大重監督とその時の「楽しい世直しシンポジウム」に寄せてくれました。シンガーソングライターの喜納さんは「すべての人の心に花を」などの自作の曲を歌いながら、選挙運動をしましたが、そういう選挙運動も「楽しい世直し」の一つの手法だと思いますよ。型にとらわれない、自由な発想と行動がこれからますます求められるでしょう。そうでないと、地球の気象の変化にもついていけまへん。
ところで、わたしは8月の後半からずっと聖地霊場巡りが続いています。8月には出羽三山縦走、その後、天川大弁財天社・高野山金剛峰寺ほか・丹生津比売神社参拝、比叡山諸堂歩行参拝、諏訪大社・尖石縄文考古館・井戸尻考古館・八ヶ岳麦草峠・茶臼山、長野県茅野市市民会館でのイワクラサミット、静岡県奥湯河原天照山神社白雲の滝での滝行先達。
とまあ、休むまもなく、常時、30人ほどのいろいろな人々・方々を引率して出かけました。忙しかったです、センダツの役目は! いろいろ、気を配らねばなりませんからね。気配りのできないヤツが、気配りの人Tony・KAMATAにならなあかしまへんから。たいへんでござります。典型的な、B型人間と自他共に認められているもんやから。
その中で、特筆してお知らせしておきたいのは、毎年8月末に登っている月山の万年雪が異常に少なかったこと(ほんとにこの変化は心配です)と、湯殿山周辺のブナ林がぶな食い虫にやられてほとんど全滅状態だったこと。わたしは、呑気にも、運転手さんに、「今年は黄葉が早いですねえ」と声をかけたら、黄葉などじゃなく、ぶな食い虫による大被害だったのです。それは、身心を通り抜けて、もっと深いところにズシンと来ました。その衝撃が。
それから、「天河火間(窯)」のこと。実は、NPO法人東京自由大学の夏合宿で、8月末に天川に行き、「天河火間(窯)」の造営に着手しました。その設計は、われらの義兄弟・近藤高弘氏が担当しました。「世界一美しい窯」が出来上がるのです。その呼びかけ文を以下のように書きました。長くなりますが、読んでください。
「天河火間(窯)」造営趣旨とご寄付のお願い
平成21年(2009年)6月24日、雨上がりの後の爽やかに晴れ上がった天河大辨財天社鎮魂殿前の神聖地にて、「天河火間(窯)」の地鎮祭が柿坂神酒之祐宮司の斎主のもと、厳かな中にも麗しく執り行われました。天の川の清流と秀麗に聳え立つ高倉山に囲まれた天地人の通ずる吉祥地に、今、天河文化の新しい次なる創造の火が点されようとしています。設計者の陶芸家・美術家の近藤高弘氏は「世界一美しい窯(火間)を造る」とその意気込みを語ってくれています。
なぜ今、「財団法人天河文化財団」の活動の一つとして、天河のこの地に「世界一美しい窯(火間)」を造ろうとしているのか、その経緯を説明させていただき、ご理解とご協力を得て、今後一層力強い活動を展開してまいりたく思います。
平成8年(1996年)夏、柿坂神酒之祐宮司や関係者と相談して、近藤高弘氏とわたしが中心となり、天河太々神楽講の中の一つ講組織として「天河護摩壇野焼き講」を結成しました。そして翌年の平成9年(1997年)2月3日の節分祭で、第1回目の天河護摩壇野焼き講を実施しました。以来、わたしたちは毎年2月2日・3日・4日の鬼の宿・節分祭・立春祭の春の訪れを寿ぐ祭りにご奉仕をさせていただいてまいりました。
この13年の間、わたしたちはみずからの祈りを込めて作り上げた陶の器や作品を護摩の斎火に投じ、参列されているみなさま方の祈りとともに焼き上げ、その中のいくつかの作品は神社に奉納させていただきました。
この「天河護摩壇野焼き講」野焼き先達である京都市山科在住の陶芸家・美術家の近藤高弘氏は、「行者」シリーズ三部作を始めとする数々の独創的な作品を護摩壇の中で焼き上げ、天河大辨財天社に奉納してきました。その「行者」シリーズ三部作は、今は鎮魂殿の中に納められています。天・地・人、火・土・水、神々・自然・人間の三位一体的な関係性と調和を象徴するそれらの作品は、いずれ天河大辨財天社の貴重な神宝になるものと確信します。
護摩壇野焼きの火を前にして、人は心の深みを覗き込み、始源の記憶と感覚を呼び覚まし、おのずと瞑想的な状態に導かれていきます。水と土でつくったさまざまな形の器が、火と風のエネルギーによって焼成され、神秘不可思議というほかない絶妙の変容をとげてゆくさまを目の当たりにします。この錬金術のような変成・変容は、深いところでわたしたちの霊性を静かに覚醒・顕現させ、清らかな魂の浄化をもたらします。
わたしたちは天河護摩壇野焼き講の経験を重ねながら、護摩壇野焼きにおける火と水の合体の儀式が現代社会に持つ意味と力と役割をいろいろな角度から考えさせられました。
まず何よりも、護摩壇野焼きは、わたしたちの慎み深い自然への畏怖・畏敬の念を取り戻す回路となります。粘土をこねて、それぞれ想い思いの形に器を造る。土は各自のイメージと手の動きを通して変現自在な形を表す。この言葉を介することのない、土と人とのコミュニケーション体験の中で、土のいのちが目覚め、躍動し、わが身と交流し合って、火や風などの天然の力によって変容していくさまがつぶさに実感できる。火が水を飲み、水が火を迎え入れるこの大自然の秘儀。この自然のダイナミズムの感得が、環境教育や感性教育に取り入れられて子供たちにも共有されれば、必ずや大きな効果をもたらすだろうとも確信するようになりました。
護摩壇野焼きの実践は、全心身的な感覚を蘇らせます。まどろんでいた細胞が目覚め、息を吹き返します。火と風と土と水との相生を感得し、喜びと感動ともに瞑想に導かれ、鎮魂の回路が蘇生して、深い心身の調律・調整を促す機会となります。
かつて弘法大師空海は、天河で祈りを捧げ、護摩の中で「灰練り弁天像」を焼き上げ、弁財天女の御神徳を称揚し、その功徳を人々に伝えたと言われます。
わたしたちは、お大師様の時代の弁財天文化創造に思いを馳せつつ、今ここに、この時代の大きな苦悩と混乱を乗り越え、深い調和に導いていくための新しい天河弁財天文化創造の拠点としての「天河火間(窯)」を天の川と坪内谷川の合流点に鎮座する鎮魂殿前に建立したいという発願を抱きました。
窯(特に「火間」という漢字を宛てています)の設計は、近藤高弘氏が心を込めて、火と水が結合交叉する「世界一美しい特別の火間(窯)」として、自分の持てる最大の力と思想と技術を注いで造りました。そこは、百年・千年の時を越えて、瞑想の場として、芸術芸能の表現の場として、各個の霊性・精神性の研鑽と覚醒の場として、活用されていくことと思います。必ずやその「火間(窯)」は、わたしたちの時代の新しい地水火風空の五大感覚を練成してくれ、宇宙に通ずる祈りと変容の聖域となると思います。
本日、6月24日には地鎮祭を斎行し、来る11月22日には「初火間(窯)火入れ式」を行います。それを、財団法人天河文化財団・柿坂神酒之祐理事長が別紙で述べておられますように、天河文化財団再生の最初の活動として実施していきます。
天河文化財団は、平成元年(1989年)に、「地域の文化、文化財並びにこれをとりまく社会・自然の環境の保護と振興、更には、伝統文化の理解・保持・伝承に不可欠の人材を育成し、文化活動の活性化を図り、ひいては、社会の進展・文化の創造に寄与することを目的として設立」(天河文化財団設立趣旨書より)されました。この財団設立の趣旨に基づき、新しい天河文化を創造し、時代に訴えていくことは、この混濁する時代の世直し・心直しにわたしたちの持てる祈りと力を注ぎ込むことになると確信します。どうか、お力をお貸ししていただきたく、心よりお願い申し上げます。
21世紀を生きるわたしたちの祈りと願いと思いが、天の川・十津川・熊野川のような美しく大きな大河となって、いのちあるもの、存在するすべてのものをつなぎ、包み合い、本当の安らかさと豊かさを育んでゆく「天河火間(窯)」を、みなさまのご理解とご協力を得て、天の川と坪内谷川の合流点に鎮座する鎮魂殿前に建立し、それを皮切りに、今後活発な天河文化財団の文化活動を展開してまいりたいと思います。
趣旨をご理解いただき、新生天河文化財団の「天河火間(窯)」創設と諸種の文化活動へのご寄付をお願い申し上げる次第です。力を合わせ、心を合わせて、共に、未来の新天河文化を創造していきましょう。なにとぞよろしくお願い申し上げます。
平成21年6月24日
天河文化財団評議員(天河護摩壇野焼き講講元) 鎌田東二
「天河火間造営 9月3日」
「天河火間造営 9月4日15時火間造営状態」
「天河火間造営 9月5日」
Shinさん、この「天河火間」が仕上がっていく様を写真で見てください。鎮魂殿(禊殿)という社殿の前の、本当に気の流れのよいところに、「天河火間」が出来上がり、いよいよ、懸案の「解器(ほどき)」制作も始まりますよ。11月22日には、当地で、初窯火入れ式が行われます。ぜひご参加ください。
天地人、ともに、大きな「チェンジ」にさしかかっています。心して進みましょう。
2009年9月7日 鎌田東二拝
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