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シンとトニーのムーンサルトレター 第084信

第84信

鎌田東二ことTonyさんへ

 いま、東京に来ています。昨日は、九州北部で記録的な豪雨が降りました。今朝のTVニュースで現地の被害状況を見て、驚きました。大分県の中津市では豪雨によって、なんと道路のアスファルトが引き剥がされたとか。また、日田市では1時間に110ミリの雨が降ったそうです。中津も日田も、わが社の営業エリアです。冠婚葬祭の施設もたくさんあります。昨日は、東京で行われた業界の会議中も携帯メール等でずっと被害状況などの報告を受けていました。自宅のある北九州市も豪雨でしたが、そういう時に限って離れた地に居ると、社員や家族が心配でたまりません。

 さて、雨といえば、わたしにとっては「死」のイメージと分かちがたく結びついています。雨がしとしと降る日などに自宅にいると、わたしはよく「幽霊」のことを考えてしまいます。じつは、次回作として『グリーフケアとしての怪談』(仮題)の執筆を出版社から依頼されているため、最近は古今東西の怪談論の類に目を通していました。そして、怪談には必ずと言ってよいほど、死者の霊すなわち「幽霊」が登場しますので、幽霊に関する文献をいろいろと読んできました。

 わたしは、「幽霊は実在するのか、しないのか」といった二元的な議論よりも、「なぜ、人間は幽霊を見るのか」とか「幽霊とは何か」といったテーマに関心があります。あまり「幽霊に関心がある」などと言うと、冠婚葬祭会社の社長としてイメージ的に良くないのではと思った時期もありましたが、最近では「慰霊」「鎮魂」あるいは「グリーフケア」というコンセプトを前にして、怪談も幽霊も、さらには葬儀も、すべては生者と死者とのコミュニケーションの問題としてトータルに考えることができると思います。

 あえて誤解を怖れずに言うならば、今後の葬儀演出を考えた場合、「幽霊づくり」というテーマが立ち上がってきます。もっとも、その「幽霊」とは恐怖の対象ではありません。生者にとって優しく、愛しく、なつかしい死者としての「優霊」です。かつて、わたしは『ロマンティック・デス〜月を見よ、死を想え』(幻冬舎文庫)において、ホログラフィーを使った「幽霊づくり」を提唱したことがありました。玄侑宗久さんが、「月落ちて天を離れず」という素晴らしい書評を以下のように書いて下さいました。
http://www.genyusokyu.com/essay05/bookview/gentousha08.htm

 玄侑さんは、そこでわたしが提唱する「幽霊づくり」にも触れておられます。しかし、「幽霊づくり」というのは、けっして奇抜なアイデアではありません。幽霊が登場する怪談芝居だって、心霊写真だって、立派な「幽霊づくり」です。死者が撮影されるという「心霊写真」は、もともと死別の悲しみを癒すグリーフケア・メディアとして誕生したという経緯があります。写真にしろ映画にしろ、さらには覗きからくり、幻燈、ファンタスマゴリアなどのオールド・メディアにしろ、すべての視覚的メディアは本質的に「幽霊づくり」に直結しています。すでに死亡している人物が登場する写真や映像は、すべて死者の生前の姿を生者に提供するという意味で「幽霊づくり」なのではないでしょうか。葬儀の場面では「遺影」として故人の生前の写真が使われています。これなど、いずれ動画での遺影が主流になるかもしれません。

 それにしても、雨が激しく降ると、自然と死者のことを考えてしまうのは何故でしょうか。おそらく、雨音には心の奥の深い部分を刺激する何かがあるのかもしれません。わたしは、ずっと雨音を聞きながら、孔子のことを思いました。よく知られているように、孔子は儒教という宗教を開きました。儒教の「儒」という字は「濡」に似ていますが、これも語源は同じです。ともに乾いたものに潤いを与えるという意味があります。すなわち、「濡」とは乾いた土地に水を与えること、「儒」とは乾いた人心に思いやりを与えることなのです。孔子の母親は雨乞いと葬儀を司るシャーマンだったとされています。雨を降らすことも、葬儀をあげることも同じことだったのです。

 雨乞いとは天の「雲」を地に下ろすこと、葬儀とは地の「霊」を天に上げること。その上下のベクトルが違うだけで、天と地に路をつくる点では同じです。母を深く愛していた孔子は、母と同じく「葬礼」というものに最大の価値を置き、自ら儒教を開いて、「人の道」を追求したのです。わたしが「幽霊」に強い関心を持つのも「人の道」につながっているのかもしれませんね。そう、「霊を求めて」は「礼を求めて」に通じるのです。たぶん。

 さて、『グリーフケアとしての怪談』(仮題)の話に戻ります。最近読んだ怪談関連書の中でとびきり面白かった本があります。『なぜ怪談は百年ごとに流行るのか』東雅夫著(学研新書)という本です。著者は、1958年生まれの「怪談スペシャリスト」として知られます。怪談専門誌「幽」の編集長であり、わたしが一時所属していた早稲田大学幻想文学会の先輩でもあります。ちなみに、早稲田の幻想文学会は荒俣宏さんを顧問とし、東氏をはじめ、評論家の浅羽通明氏、作家の倉阪鬼一郎氏なども輩出しています。

 『なぜ怪談は百年ごとに流行るのか』では、メインテーマの「怪談百年周期説」よりも、「怪談とは何か」を論じた部分に深く共感しました。周知のように日本では昔から「怪談」は夏の風物詩として受容されてきましたが、同書には次のように書かれています。

 「心胆を寒からしめることで銷夏の一助とする。だから蒸し暑い夏場が怪談のシーズンなのだ——という解釈は、感覚的には得心させられるけれども、実のところ俗説である。むしろ注目すべきは、お盆の風習との関わりなのだ。
釈迦の弟子・目連尊者が、餓鬼道にあって苦しむ母親を救うための供養をしたという『盂蘭盆経』の伝承にもとづく盂蘭盆会は、日本古来の祖霊信仰と結びついて、近世にいたると精霊会、魂祭などの名称で民間に定着をみた。
陰暦の7月なかば(地方により時期に異同あり)、家々の門前で迎え火を焚き、精霊=祖先の霊や新仏、さらには無縁仏までをもお迎えし、供物を捧げて冥福を祈る。夜となれば寺社の境内や集落の広場で、慰霊のための舞踊がにぎやかに催される・・・・・今に続く盆踊りの行事には、踊りの輪の中に精霊を迎え入れ、生者と死者がもろともに歌舞に興ずるという祖霊供養の性格が色濃く認められるのであった」

 ちなみに、慰霊・鎮魂と舞踊といえば、中世以来の夢幻能が連想されます。そう、世界にも稀な幽霊劇といえる夢幻能もまた、見えないモノとの交感に由来する芸能でした。また、歌舞伎の祖とされる出雲阿国は、京都で盆踊りの原型である踊り念仏を主宰と伝えられています。能にしろ歌舞伎にしろ、近世の芸能には、慰霊と鎮魂の宗教儀礼としての要素が秘められているのです。さらには、「日本最初の怪談実話集」と呼んでも過言ではない仏教説話集『日本霊異記』も、近世における怪談文芸の最初の成果とされる仮名草子『伽婢子』も、いずれも著者は僧侶でした。近代において語りとしての怪談の担い手となった噺家や講釈師のルーツもまた、近世仏教の説教僧であったとされています。

 これらの史実を踏まえて、著者は次のように述べます。
「要するに、われわれ日本人は、怪異や天変地異を筆録し、語り演じ舞い、あるいは読者や観客の立場で享受するという行為によって、非業の死者たちの物語を畏怖の念とともに共有し、それらをあまねく世に広めることで慰霊や鎮魂の手向けとなすという営為を、営々と続けてきたのであった」
「仏教における回向の考え方と同じく、死者を忘れないこと、覚えていること——これこそが、怪談が死者に手向ける慰霊と鎮魂の営為であるということの要諦なのだ」と。

 そう、怪談の本質とは「慰霊と鎮魂の文学」なのです。
同書の最後に、東氏は「ガレキの下から人の声」という奇妙なニュースを紹介しています。これは、東日本大震災から16日が経過した2011年3月27日の朝、石巻市の津波被災地で「ガレキの下から人の声が聞こえる」という情報が警察に寄せられ、自衛隊などによって大がかりな捜索が行われたというものでした。しかし100人態勢で捜索したにもかかわらず、結局のところ生存者も、遺体も、何も見つかりませんでした。

 著者は、「これを怪談として捉えたら」と考えて、次のように述べています。
「大がかりな捜索がおこなわれたこと、多くの人たちが必死に探し求めてくれたこと。それ自体が、せめてもの供養に、手向けになったとは考えられないだろうか。現実には何もできない、してあげられない、だからこそ、せめて語り伝える物語の中で何とかしたい。何かをなしたい。そこにこそ、怪談という行為の原点があり、この世において果たすべき役割があるのだと、私には思えてならないのである」

 そう、「慰霊と鎮魂の文学」としての怪談とは、残された人々の心を整理して癒すという「グリーフケア文学」でもあるのです。東日本大震災以来、被災地では幽霊の目撃談が相次いでいるそうです。たとえば、2012年1月18日付のMSN産経ニュースでは、「『お化けや幽霊見える』心の傷深い被災者 宗教界が相談室」という記事が以下のように紹介されています。
http://sankei.jp.msn.com/smp/life/news/120118/trd12011811500005-s.htm

 津波で多くの犠牲者を出した場所でタクシーの運転手が幽霊を乗車させたとか、深夜に三陸の海の上を無数の人間が歩いていたとかの噂が、津波の後に激増したというのです。わたしは、被災地で霊的な現象が起きているというよりも、人間とは「幽霊を見るサル」なのではないかと思います。故人への思い、無念さが「幽霊」を作り出しているのではないでしょうか。そして、幽霊の噂というのも一種のグリーフケアなのでしょう。夢枕・心霊写真・降霊会といったものも、グリーフケアにつながります。恐山のイタコや沖縄のユタも、まさにグリーフケア文化そのものです。そして、「怪談」こそは古代から存在するグリーフケアとしての文化装置ではないかと思います。

 怪談とは、物語に力で死者の霊を慰め、魂を鎮め、死別の悲しみを癒すこと。ならば、葬儀もまったく同じ機能を持っていることに気づきます。葬儀で、そして怪談で、人類は物語によって「こころ」を守ってきたのかもしれません。

 いよいよ来る7月11日に京都で開催される第3回「震災関連プロジェクト〜こころの再生に向けて」シンポジウムにおいて、わたしは「東日本大震災とグリーフケア」について発表させていただきます。当日は時間の関係もあって、残念ながら「幽霊」や「怪談」の話はしませんが(笑)、グリーフケアについての最新情報および今後の方向性について報告したいと思っています。Tonyさんや玄侑宗久さんをはじめ、みなさんに再会できることを心より楽しみにしています。どうぞ、よろしくお願いいたします。

2012年7月4日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 もうはや7月ですね。早いものです、時が過ぎ去るのは。この前新学期が始まったと思っていたら、もう前期試験の時期なのですから。梅雨の時期でもありますが、今年は台風は来手大雨になったけど、梅雨前線はあまり強くないなあと思っていたら、昨日・今日と雨模様になりました。すごい湿気です。今日は昼間と夕方には晴れ間も出ていて、満月もチラリと見えましたが、今しがた急に大雨が降り出し、今も断続的に雨が続いています。

 Shinさん、ムーンサルトレターのやり取りの中で、何度も申し上げましたが、わたしは人間が作り上げた文明を大きく変えていくのは気象や自然災害だと思っています。20世紀が戦争の世紀だとすれば、21世紀は災害の世紀になるのではないかとさえ思っています。なので、風の吹き方とか、雨の降り方とか、季節の移り変わりとか、温度の変化などに注意すると同時に、敏感になっています。20年前くらいから雷の鳴り方が変わり、積乱雲の出方も変わりました。雪の降り方や台風の来方も、集中豪雨の降り方も変わりました。そして、4〜5年前から風の吹き方が変わったとはっきり感じていました。そんな中で、人間だけが変わらないはずはありません。

 山の動物たちにも異変が生じています。1週間前に比叡山に登り、いつものようにつつじヶ丘で3回バク転をして帰ってきたら、知り合いの生態人類学者からメールが入り、東山山系でクマが出没しているので気をつけるようにとのことでした。そして、昨日、近くを歩いていると、おばさんやおばあさんたちが立ち話をしていて、サルが山から下りてきて畑のナスやキュウリを全部食べて、食い荒らして逃げたというのです。そして、少し先の川沿いの木の上に登ってじっとしていると指さしてくれました。残念ながら、夕方でサルの姿は見えませんでしたが、このところ、わが砦のある一乗寺近辺にはサルが出没しているのですが、昨年以上に被害は大きいようです。

 動物世界の生態系も変貌しつつあります。わたしは人類が猿から進化したという進化論がしっくりしません。もちろん、人類が知性やものづくりや文明などを発達させたことは否定できません。が、それが進化と言えるのか、これまでとても疑問に思ってきましたが、いよいよその疑問は深まってきています。ニンゲンは、猿から人類に向かって退化しているのではないかとよく考えます。「大化の改新」ならぬ「退化の回診」。

 一歩、森の中に入ると、人間がいと小さきものであるかがよくわかりますし、その能力も大したことはないと思わざるを得ません。要するに、文明の利器などがなければ、大変たいへんひ弱な生き物がニンゲンなのです。そして、大飯原発のなし崩し的な稼働への動きを見ていても、現代日本人種のニンゲンは本当に愚か者で、森の動物以下どころか、救いがたい大悪人ではないかと思わざるを得ません。

 そんな深刻な事態が進行している中ですが、わたしは、理事長を務めるNPO法人東京自由大学で「古事記1300年・鎌田東二の超『古事記』論」という特別企画の講座を5月26日と6月30日の2回行いました。3回目が最終回となりますが、7月28日(土)に行います。最後のテーマは、「神々/動物/聖地/芸能」です。古代の神々の中で、古層の神々は動物神であることが多いのです。人間神よりも自然神や動物神の方が本来、格上でした。少なくともわたしの中では今でも「生態系格付け」のの中で、人間以外の動物がニンゲンよりも格上で、ニンゲンが一番下になります。ともあれ、この講座は、整理し直して、この秋、角川学芸出版から刊行する予定です。

 ところで、日本社会はすでに世界一の「少子高齢化社会」になっていますが、NPO法人東京自由大学では、この少子高齢化社会問題をユース企画の講座として行っています。6月3日(日)に第1回目を長谷川敏彦氏(日本医科大学教授・医療管理学)の「未踏高齢社会と生存の転換」、 7月1日(日)に第2回目を山田昌弘氏(中央大学文学部教授・現代社会論)の「少子化社会の家族観」、そして、 9月7日(金)夜に第3回目を藻谷浩介氏(日本総合研究所調査部主席研究員・エコノミスト)の「人口減少と日本経済の進路」、 9月28日(金)夜に第4回目を広井良典氏(千葉大学法経学部総合政策学科教授・公共政策学)の「創造的な福祉社会に向けて」を行ないました、あるいは行います。

 講座は、ユースの企画力とスタッフ他の協力で、大変充実した稔りあるものになっています。少子高齢化を人類史的な視野から「生存転換」としてとらえ、同時にこの20年ほどの日本社会の変化や欧米社会との対比などによって日本の少子高齢化問題の特質を浮かび上がらせながら、創造的な未来の福祉社会のビジョンを構想していきます。これは、Shinさんが中心になって進めている「老福社会」構想や「隣人祭り」とも関連しています。そのような講座に取り組みながら、今後、どのような方向性や打開策やライフスタイルの選択があるのかが浮かび上がってきつつあります。

 この少子高齢化問題は、NPO法人東京自由大学のユース企画として、今年度だけではなく次年度以降も継続発展していくと思いますので、今後とも引き続き、いろいろとご示唆・ご協力をいただければ幸いです。

 ところで、最近わたしは、「神道ソング」の223曲目を作り、歌い始めました。今日も世阿弥研究会で歌いました。次のような歌詞です。

神道ソング 223曲目 「約束」 2012年6月18日作詞・作曲

めざす めざすべき地
めざす めざすべき地に
花が咲かない
鳥が鳴かない
光が射さない
死に絶えたような
恨めしきあの
懐かしきかの
地の果てまでも 歩めど
この世の果てまで 探せど
嗚呼 零れ落ちる砂
嗚呼 砕け落ちる心
なすすべなく
なすすべもなく
嗚呼
嗚呼

約束 約束の地
約束 約束の地に
花も枯れて
鳥も墜ちて
闇が覆った
死に絶えた荒野
憎しみも消えず
懐かしさも消えぬ
地の果てまでも 歩めど
この世の果てまで 探せど
嗚呼 零れ落ちる愛
嗚呼 砕け散る夢
なすすべもなく
なすすべもなく
ただ 待つだけ
ただ 待つだけ
嗚呼 嗚呼
嗚呼 嗚呼

 この「約束」という言葉は、『旧約聖書』的な意味合いを持っています。「約束の地」とは、「エデンの地」とか、「観音浄土」とか「極楽浄土」とか、「桃源郷」とか、「蓬莱国」とかの、楽園や理想郷、ユートピアを意味しています。そんなユートピアは、もちろん、人類史上に実現した例はありませんが、それゆえにこそ、人類はそれを希求し続けてきました。『旧約聖書』において、神より約束され、祝福された「乳と蜜の流れる」「カナンの地」は、示され、与えられるも、そのつど何度も失われていきます。誰にとっても、哀しくも厳しい現実と闘争がそこにはあります。

 わたしは『旧約聖書』が大好きですが、それはそこに人類史の業のようなものがあますところなく表現されていると思えるからです。そして、そこで描かれる祈りの詩篇の切実さ、哀しさ、深さ。絶望と希望。恨みと感謝。あらゆる苦悩と希望がそこにはあると思います。

 Shinさんは、このところ、「怪談グリーフケア文学」に興味を持ち、そのテーマの著作を執筆中とのことですが、わたしは最近、アンリ・ベルクソン(1859〜1941)を読み始めました。昔、『物質と記憶』とか『創造的進化』とかを読んだ記憶がありますが、去年から「身心変容技法研究会」を始めて、その先行研究者として、改めてベルクソンの先駆的な仕事が浮上してきたのです。たとえば、100年ほど前に行われた講演を集めた本の『精神のエネルギー』の中の、「意識と生命」「魂と身体」「生者の幻と心霊研究」「夢」「脳と思考」などの章は、今でも古びるどころか、大変に問題提起的ですし、『道徳と宗教の二源泉』の中の「神秘主義」論も実に啓発的で、考えどころ満載です。このところ、わたし的にはちょっとした「ベルクソン・ルネサンス」「ベルクソン・リバイバル」「ベルクソン革命」です。

 そのベルクソンが、心理学者・哲学者で、『宗教的経験の諸相』で「神秘主義」や「神秘体験」を本格的に宗教心理学の問題として論じたウィリアム・ジェームズととても親しく、ともに、イギリスとアメリカの心霊科学協会の会長を務めたことも興味深い事実です。彼らはともに人間の持つ深い潜在能力に対する確信を持っていました。わたしはニンゲンは度し難い存在であり、種々の誤った道と経験を辿ってきたと思っていますが、しかし、潜在的には未発の底力を秘めているとも思っています。とはいえ、それがどのような形で発現するか、注意と用心深い努力が必要だと思っています。その「用心深い努力」の中に、法然さんが言った「凡夫」の自覚や、自己のいと小ささに対する自覚や謙遜が不可欠であると思っています。

 そんなことを考えながら、来週、7月11日に京都大学こころの未来研究センターで開催する「第3回東日本大震災関連プロジェクト〜こころの再生に向けて」シンポジウムでお会いできるのを楽しみにしています。

2012年7月4日 鎌田東二拝