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シンとトニーのムーンサルトレター 第106信

第106信

鎌田東二ことTonyさんへ

 Tonyさん、京都で花見はされましたか? 小倉の桜はすっかり散ってしまいました。4月5日、わたしは沖縄の那覇市に向かいました。サンレー主催による「第1回 沖縄海洋散骨」が那覇の海で行われたのです。まずは14時から「メモリアルホール紫雲閣」において、合同慰霊祭が開催されました。献灯式などが行われ、わたしも主催者を代表して献灯させていただきました。終了後、それぞれの遺族ごとに集合写真を撮影しました。



沖縄での海洋散骨のようす

海洋散骨で主催者あいさつする
 その後、メモリアルホール紫雲閣から三重城港へ移動しました。
 船は15時30分に出港しました。出港の際は汽笛が鳴らされ、スタッフが整列して見送ってくれました。船は最初の10分ぐらい揺れましたね。でも、昨日までは悪天候で波も荒かったようですが、今日は晴天で波も穏やかでした。16時頃、散骨場に到着しました。そこから、海洋葬のスタートです。開式すると、船は左旋回しました。これは、時計の針を戻すという意味で、故人を偲ぶセレモニーです。それから黙祷をし、ここでも「禮鐘の儀」を3回行いました。

 その後、日本酒を海に流す「献酒の儀」が行われ、いよいよ「散骨の儀」です。ご遺族全員で遺骨が海に流されました。続いて「献花の儀」です。これも、ご遺族全員で色とりどりの花を海に投げ入れました。ご遺族が花を投げ入れられた後、主催者を代表してわたしが生花リースを投げ入れました。カラフルな生花が海に漂う様子は大変美しかったです。

 それから、主催者挨拶として、わたしがマイクを握りました。わたしは、「今日は素晴らしいお天気で本当に良かったです。今日のセレモニーに参加させていただき、わたしは2つのことを感じました。1つは、海は世界中つながっているということ。故人様は北九州の方だったそうですが、北九州なら関門海峡でも玄界灘でも、海はどこでもつながっています。どの海を眺めても、そこに懐かしい故人様の顔が浮かんでくるはずです」

 それから、「もう1つは、故人様はとても幸せな方だなと思いました。海洋散骨を希望される方は非常に多いですが、なかなかその想いを果たせることは稀です。あの石原裕次郎さんでさえ、兄の慎太郎さんの懸命の尽力にも関わらず、願いを叶えることはできませんでした。愛する家族であるみなさんが海に還りたいという自分の夢を現実にしてくれたということで、故人様はどれほど喜んでおられるでしょうか」と述べました。その後、散骨場を去る際、右旋回で永遠の別れを演出しました。

 帰るとき、パラグライダーやホエール・ウォッチングの船を見かけました。やはり、ここは沖縄の海なのだと実感しました。そして16時20分頃には港に帰り着いたのです。本当に素晴らしいセレモニーでした。

 海洋葬とは、自分や遺族の意志で、火葬した後の遺灰を外洋にまく自然葬の1つです。散骨に立ち会う方法が主流ですが、事情によりすべてを委託することもでき、ハワイやオーストラリアなど海外での海洋葬が最近は多くなってきました。もちろん、告別式の代わりにというのではなく、たいていは一周忌などに家族や親しい知人らと海洋葬が行われます。「あの世」へと渡るあらゆる旅行手段を仲介し、「魂のターミナル」をめざすサンレーでは、世界各国の海洋葬会社とも業務提携しているのです。

 翌6日、わたしは那覇から与那国島に向かいました。そして、ずっと念願だった与那国島の海底遺跡をついに視察しました。正しくは「与那国島海底地形」と呼ばれ、沖縄県八重山諸島与那国島南部の新川鼻沖の海底で発見された海底地形です。人工的に加工されたとも考えられる巨石群からなることから、「海底遺跡」と考える説が有力です。与那国島の海底にある巨石郡は非常に大きく、東西に250メートル、南北に150メートルもあります。現在、遺跡だという説と自然現象が作り出したものだという説があり、結論はいまだに決着がついていません。遺跡説を唱える人々の中には、ムー大陸やアトランティス大陸の一部であると主張する人もいます。



与那国島の海底遺跡を視察する

海底遺跡のようす(撮影:一条真也)
 1986年、地元のダイバーである新嵩喜八郎氏が新たなダイビングスポットを探している時、与那国島南部の新川鼻沖合の海底で遺跡のような地形を発見したのが事の発端です。発見されたものは、巨大な岩を半分ほど加工したような造りで、階段のような部分も見られました。この発見の後、沖縄各地で似たような発見が相次ぎます。たとえば、慶良間諸島ではサークル状の構造物が発見され、他にも人工的に穴が開けられたとみられる岩などが見つかっています。もし、これらが人工物であるとしたら、かつて沖縄に文明が存在していたことになります。琉球大学教授の木村政昭氏は「幾度となく遺跡を調査した結果、この地形は古代遺跡とみて間違いない、もしかしたら失われたムー大陸の一部かもしれない」と発表し、大騒ぎとなりました。

 木村教授によれば、「もともと沖縄のある琉球列島は中国大陸から張り出していた部分で、そこが地殻変動によって分断され、一部は沈み、現在の形になった。その時起こった災害が太平洋各地に伝えられていくうちに誇張されムー大陸の伝説となった」といいます。与那国の海底に眠る遺跡のような地形は、この時に沈んだ文明の一部ではないかというのが木村氏の主張です。また、沖縄のロゼッタストーンと呼ばれる石版なども発見されており、木村氏はこの遺跡こそがムー大陸実在の証拠だと主張します。亀にちなんだ遺跡が多いことから、竜宮伝説との関連も考えられます。亀は竜宮のシンボルだからです。

 その一方で、この遺跡のような地形は人工物でなく自然が生み出したものであるという説もあります。現在のところ、考古学界も遺跡説を支持していないようです。その最大の理由は、その造形以外に人工物である根拠がないからだそうです。

 わたしが自分の目で実際に見た印象は、「これは間違いなく人工物である」というものです。「自然は直線を嫌う」とは真理でしょう。第一、原人の骨や土器の発掘とかSTAP細胞の発見などと違って、捏造のしようがありません。生活の跡が見られないとか人骨が出てこないなど、いろいろ他にも理由はあるようですが、これだけの遺跡を「自然物である」と言い張る人々の神経を疑います。この地形が人工物と認定されれば、どうなるか。その時点で約1万年前の東アジアに大規模な石造建築文化が存在したことになり、沖縄海底遺跡は世界最古の文明の遺跡ということになります。そして、その瞬間、人類の文明史は大きく書き換えられます。なんと愉快な話ではありませんか!

 まあ、人工物であるにせよ自然物であるにせよ、この地形が特別なものであることに変わりはありません。わたしは高速半潜水艇の中から遺跡をじっと眺めながら、「サムシング・グレート」と呼ぶべき存在を思っていました。



海底遺跡の発見者・新嵩喜八郎氏と

『決定版 冠婚葬祭入門』(実業之日本社)
 最後に、わたしの最新刊『決定版 冠婚葬祭入門』(実業之日本社)が刊行されました。
 わたしは、これまで「遊び」「リゾート」「社会」「死生観」「宗教」「神話」「ファンタジー」「グリーフケア」「人間関係」「法則」「読書」、そして「経営」など、さまざまなジャンルの本を書いてきました。しかし、わが最大のメインテーマは「冠婚葬祭」です。ずっと、あらゆる年代の人々が実際に活用できる冠婚葬祭の入門書が書きたいと思っていました。ようやく念願かなって上梓することができ、まことに感無量です。

 監修は、日本儀礼文化協会の専門家の方々にお願いしました。日本の伝統文化である儀礼・儀式を見つめ直し、先人の伝統的知恵をふまえ、人を敬い・人を思いやり・人を大切にする精神を養い育て、日本人の美しい心を取り戻すことを目的に昭和54年5月に設立、儀礼文化の啓蒙および普及活動に努めています。平成13年7月、「特定非営利活動法人」化されました。版元は、創業120年の伝統を誇る実業之日本社です。同社は「論語と算盤」で有名な澁沢栄一翁が創業に関わられているとのこと。

 近代日本の出版史を振り返ると、日本万国博覧会が開催された1970年に超ベストセラーが誕生しました。塩月弥栄子氏の『冠婚葬祭入門』(光文社)です。実に308万部を売上げ、シリーズ全体(全4冊)で700万部を超える大ミリオンセラーとなりました。同名でTVドラマ化、映画化もされています。

 あの頃、日本の冠婚葬祭は大きな変化を迎えて、誰もが新しい冠婚葬祭のマナーブックを必要としていました。今また結婚式も葬儀も大きく変貌しつつあり、「無縁社会」などと呼ばれる社会風潮の中で、冠婚葬祭の意味と内容が変わってきています。今こそ、新しい『冠婚葬祭入門』が求められているのです。

 「冠婚葬祭」とは何か。「冠婚+葬祭」として、結婚式と葬儀のことだと思っている人も多いようです。たしかに婚礼と葬礼は人生の二大儀礼ではありますが、「冠婚葬祭」のすべてではありません。「冠婚+葬祭」ではなく、あくまで「冠+婚+葬+祭」なのです。「冠」はもともと元服のことで、15歳前後で行われる男子の成人の式の際、貴族は冠を、武家は烏帽子(えぼし)を被ることに由来します。現在では、誕生から成人までのさまざまな成長行事を「冠」とします。「祭」は先祖の祭祀です。三回忌などの追善供養、春と秋の彼岸や盆、さらには正月、節句、中元、歳暮など、日本の季節行事の多くは先祖を偲び、神を祀る日でした。現在では、正月から大晦日までの年中行事を「祭」とします。

 そして、「婚」と「葬」があります。結婚式ならびに葬儀の形式は、国により、民族によって、きわめて著しく差異があります。これは世界各国のセレモニーというものが、その国の長年培われた宗教的伝統あるいは民族的慣習といったものが、人々の心の支えともいうべき「民族的よりどころ」となって反映しているからです。日本には、茶の湯・生け花・能・歌舞伎・相撲といった、さまざまな伝統文化があります。そして、それらの伝統文化の根幹にはいずれも「儀式」というものが厳然として存在しています。儀式なくして文化はありえず、ある意味で儀式とは「文化の核」ではないでしょうか。

 そして、核は不変でも、枝葉は変化します。情報機器の世界ではないが、冠婚葬祭にもアップデートが必要です。基本ルールが「初期設定」なら、マナーは「アップデート」です。わたしは、現代日本の冠婚葬祭における「初期設定」と「アップデート」の両方がわかるよう、『決定版 冠婚葬祭入門』を書きました。

 誠に不遜ですが、Tonyさんにも送らせていただきます。どうか、ご笑読の上、ご批判頂戴できれば幸いです。それでは、また次の満月まで。オルボワール!

2014年4月15日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 Shinさん、事業展開も著作活動もさらにいよいよ活発に精力的に次々と攻めていってますね。頼もしい限りです。沖縄本島での「海洋散骨」(海上葬)、大変興味深い葬礼だと思います。

 というのも、那覇市の西の三重城港のすぐ近くには、琉球八社の第一に当たる沖縄最大の古社・波上宮があり、琉球熊野権現信仰の最大拠点地だからです。熊野信仰は、柳田國男の言う「海上の道」のルートにあり、いわば、ルート1号線の海上他界ネットワークと言えると思います。それは折口信夫の言う「妣の国・常世」でもあり、「根の国・底の国」でもあります。要するに、海上他界信仰のヴァリエーションだということです。

 そんな、海洋・海上・海中的な、ニライカナイ信仰のある沖縄で、海洋葬を行なうことのコスモロジカルな意味は大きく、深いものがあります。

 実は、昨日、4月15日頃から店頭に並び始めたと思いますが、わたしは編著『究極 日本の聖地』(KADOKAWA)を出版しました。その第2部第5章が「沖縄・アイヌの聖地」の章だったんですよ。ちなみに、目次は以下の通りです。



『究極 日本の聖地』
 はじめに 「聖地」に目覚める
  第1部 聖地を探る
   第1章 聖地誕生〜聖地の起源
   第2章 聖地顕現〜聖地の拡大
   第3章 聖地機能〜聖地の役割
   第4章 聖地三密〜出雲・熊野・伊勢
 むすびに
  第2部 聖地を歩く
   第1章 巡礼霊場をたどる
   第2章 神道の聖地
   第3章 仏教の聖地
   第4章 修験道の聖地
   第5章 沖縄・アイヌの聖地
   第6章 新宗教の聖地
 あとがき

 思えば、わたしの聖地巡礼もまもなく半世紀、50年になります。思えば遠くに来たもんだ、ではないですが、よくまあ、飽きることなく、聖地巡礼し続けたものだと、われながら感心します。本当に好きなんですよね。そういうところが。この世の果て、世界の果てを感じさせてくれるところが。小さい頃から。この世の果てを見たい、そこから、ニライカナイでも、常世の国でも、ティル・ナ・ノグ(常若の国)でも、どこでもいいから飛んで行ってしまいたい。という、他界渡航願望がほんとに子どもの頃から強烈にありましたね。

 わたしはその他界願望を、3〜4歳の子どもの頃、祖母と近くの橘湾という港に行って、白い船を指さして、「ボクはこの船に乗ってアメリカに行くんだ!」と宣言していたそうです。なんでアメリカか、わたしにもよくわかりませんが、子どものわたしにとっては、たぶん、「アメリカ」が他界の象徴だったのでしょう。実際、ニライカナイや常世と考えられた東方海上他界をさらに東方に延長していくと、カリフォルニア半島に行き当たり、アメリカに上陸することになるんですからね。「アメリカに行く」ことと東方海上他界信仰は、どこかで交点を持つということでしょう。

 さて、当方は、4月になって矢継ぎ早にシンポジウムが3つ続きました。4月5日に京大西部講堂で、“a dialogue with gravity”「重力との対話-西部講堂37年ぶりの舞踏家・麿赤兒渾身のソロ〜今、木村英輝×麿赤兒から学ぶこと」を行ない、シンポジウムでは、木村英輝氏+麿赤兒氏+林海象氏+青野荘氏+田所大輔氏とわたしがトークしました。基調講演は、阪上雅昭京都大学大学院人間・環境学研究科教授の宇宙物理学者の「万有引力と曲がった時空としての重力について」でした。阪上教授は甥の学部・修士課程時代の指導教授(主査)で、わたしとしては甥に博士課程に進み、生物群集の流体過程での行動パターンの数理解析の分野で独創的な研究を出してもらいたかったのだけど、滋賀医科大学の職員になりました。

 その翌日の4月6日は、東京青山の浄土宗の寺院・梅窓院で、宗教者災害連絡会の3周年記念シンポジウムがありました。テーマは、「宗教と災害支援−3・11以後と今後」。基調講演は、湯浅誠氏(社会活動家、法政大学教授、元内閣官房震災ボランティア連携室長)の「東日本大震災における連携」。そこに、島薗進氏(宗援連代表、東京大学名誉教授、上智大学特任教授)、黒崎浩行氏(宗援連世話人、國學院大學准教授)、稲場圭信氏(宗援連世話人、大阪大学大学院准教授)、蓑輪顕量氏(宗援連世話人、東京大学大学院教授)、高橋一世氏(気仙沼市浄念寺・住職)、白鳥孝太氏(シャンティ国際ボランティア会気仙沼事務所・代表)、篠原祥哲氏(世界宗教者平和会議仙台事務所・所長)、神田裕氏(カトリック司祭・NPO法人たかとりコミュニティセンター代表)が加わって、「宗教と災害支援・ケア活動」が報告され、議論されました。わたしがまとめをし、鎮魂の石笛と法螺貝を奉奏し、宗援連世話人の宍野史生氏(神道扶桑教管長)が閉会の挨拶をしました。

 震災後3年経って、被災地と被災者はどうなっているか? 宗教はその間に何をしたか? そして、19年前の阪神淡路大震災の時はどうであったか? などなど、さまざまな視点で語られ、議論されました。

 実は、19年前、1995年3月初旬、わたしは、今回のパネリストの一人の神田裕神父と会っていたのです。30代のカトリック司祭で神戸市長田町でNPO法人たかとりコミュニティセンターの代表をしている神田裕神父に会いに行ったのです。そして、神田神父から「震災ユートピア」という言葉を初めて聞いたのでした。震災直後は、あらゆる垣根や壁がなくなり、相互への思いやりや愛の共同体が実現すると。しかし、それも復旧・復興の過程で、徐々に失われていくと。

 その「震災ユートピア」を垣間見た神田神父と19年ぶりの再会。今は50代になった神田裕氏のコテコテの関西弁に驚きと感銘がありました。そのシンポジウムは、この3年間を振り返る貴重な時間と機会でした。大東京のど真ん中にある都心の超モダンなお寺で、この3年間を振り返る時を持ったのです。

 そして、先週末、4月11日と12日に、ダライ・ラマ法王14世を主賓とする、米国Mind & Life Instituteとこころの未来研究センターとの共催で国際会議“Mapping the Mind”があったのです。それは次のような催しでした。

国際会議Mapping the Mind (こころの再定義):科学者・宗教者とダライ・ラマ法王との対話

【4月11日(金)】開会式
開会挨拶1 アーサー・ザイエンス(Mind & Life Institute代表)
開会挨拶2 吉川左紀子(京都大学こころの未来研究センター長)

セッション1
ダライ・ラマ法王14世による基調講演
今枝由郎(元フランス国立科学研究センター 研究ディレクター)「初期仏教におけるこころ」
トゥプテン・ジンパ(マギル大学兼任教授)「仏教心理学と瞑想実践に関する考察」
リチャード・デヴィッドソン(ウィスコンシン大学教授)「こころを変えて脳を変える:瞑想の脳科学的研究」
※モデレーター:アーサー・ザイエンス(Mind & Life Institute代表)

セッション2
ジェイ・ガーフィールド(イェールNUS教授)「認識の錯覚:仏教瑜伽行学派の観点から」
アーサー・ザイエンス(アマースト大学名誉教授/Mind & Life Institute代表)「量子物理学におけるこころの役割」
森重文(京都大学数理科学研究所所長/教授)「芸術との比較における数学:求めるものは応用か、真理か、それとも美か?」
※モデレーター:入来篤史(理化学研究所 シニア・チームリーダー)

【4月12日(土)】
セッション3
北山忍(ミシガン大学教授/京都大学こころの未来研究センター特任教授)「文化神経脳科学:文化・脳・遺伝子をつなぐ」
ジョアン・ハリファックス(ウパーヤ禅センター長・創立者/老師)「プロセスベースによる慈悲の位置づけと、慈悲の修練におけるその影響」
下條信輔(カリフォルニア工科大学教授/京都大学こころの未来研究センター特任教授)「潜在的なこころ、共感、そしてリアリティの共有」
※モデレーター:入来篤史(理化学研究所 シニア・チームリーダー)

セッション4
バリー・ケルジン(ヒューマンバリュー総合研究所所長)「情動の可塑性:健全な社会の構築に向けて」
松見淳子(関西学院大学文学研究科長/教授)「子どものこころを探り、ポジティブな学校環境を創る:心理学におけるエビデンスベースの実践」
長尾真(京都大学元総長)「コンピュータはどこまで人間に近づけるか」
※モデレーター:アーサー・ザイエンス(Mind & Life Institute代表)

閉会式
閉会挨拶1 アーサー・ザイエンス(Mind & Life Institute代表)
閉会挨拶2 山極寿一(京都大学理学研究科教授)
*総合司会:熊谷誠慈(京都大学こころの未来研究センター・上廣こころ学研究部門特定准教授)、マルク=ヘンリ・デロッシュ(京都大学白眉センター・特定助教)

 日米の12名のスピーカーの発表と、ダライ・ラマのユーモアとエスプリに満ちたコメントや質問に、聴衆はたくさんの知的興奮とヴィジョンを受け取りました。ほんの一例を挙げれば、リチャード・デヴィッドソン氏(ウィスコンシン大学教授)の発表「こころを変えて脳を変える〜瞑想の脳科学的研究」は、瞑想に基づく神経可塑性や遺伝子のon/offや利他性や感情の制御などをめぐるスリリングな議論でした。もっともっと突っ込んだ最先端の研究内容を聞きたかったし、確認したかったですね。ともかくも、このような、宗教と科学の両サイドからアプローチする「こころ」をテーマにした国際会議が京都で行われる時代になったのですよ。大きな変化だと思います。

 このようなシンポジウムとは別に、3月末にNPO法人東京自由大学の春合宿を行ない、那須のトラピスト修道院に宿泊したのですが、トラピスト修道院の修道女たちの礼拝の美しさに心底感動しました。

 意外に思われるかもしれませんが、わたしは昔から、宗教文献としては『旧約聖書』が一番好きで、これほど面白い書物はないと思っています。中でも、「詩篇」には強く心を魅かれるのですが、トラピスト修道院の礼拝はほぼすべて讃美歌とこの「詩篇」を歌うことで構成されているのです。

 昼12時の礼拝、夕べ17時の礼拝。日曜日朝6時のミサの3回の礼拝に参列できましたが、そのいずれも感動の連続で、特にリードヴォーカルをとった修道女の声と歌がすばらしく、最近はまっていたマリア・カラス以上でした。

 作為がない。天然の無心の祈り。どこにも作り物がなく、自然で、力が抜けていて、つぶやきやささやきのようで、長年の献身と祈りの生活を通してして出てこない声であり歌であると感じ入りました。わたしがこれまで師匠としてきたジョン・レノン、ボブ・マーリー、都はるみ、美空ひばり、マリア・カラスの誰とも異なる声であり歌でした。神道ソングライターとして、新しい声と歌と地平が啓けたように思いました。

 そんなこんなで、この3週間ほどの間に3曲作詞作曲しました。放っておくと、いくらでも歌が出てくるような状態に逆戻りしている感じです。蓋を外すと、溢れ出てくる感じ。まあ、どの曲もわたしが作っているのではなく、すでに宇宙のどこかにあるものをもらってくる、借りてくる、ダウンロードしてくるだけなので、借用権だけをわたしが負担しているようなもんです。

 そんなこんなで、実に実に慌ただしく新年度、2014年度が始まりました。が、ウクライナ共和国の首都キエフから来ている留学生が、故国の現状に心を痛めるロシアの侵略的なウクライナ攻撃が展開されている深刻な事態。まさに戦国時代のような、無法地帯にいるような状況があちこちに吹き出してくる「乱世」。現代大中世=乱世というスパイラル史観が現実の事態となっているようで、その中でどんな「楽しい世直し」ができるのかが問われています。

 ところで、与那国の海底遺跡と言われているものは、わたしも10年ほど前に見てきましたが、わたし自身は自然の造形であると思っています。沖縄本島の斎場御嶽の三庫理(サングーイ)のように、地殻変動で直線の巨岩の断裂は起こると思うので、「自然は直線を嫌う」と言い切ることはできません。むしろ、「自然は直線も生み出す」というべきではないでしょうか。これについては、まだまだしっかりした信頼のできる学術的な調査と議論が必要だと思っています。

2014年4月16日 鎌田東二拝