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シンとトニーのムーンサルトレター 第124信

 

 

 第124信

鎌田東二ことTonyさんへ

 今宵の満月は今年1回だけのスーパームーンです。普段の満月と比べて大きく見ることができます。昨日27日は中秋の名月でした。2015年は中秋の名月とスーパームーンが2日連続する珍しい年です。スーパームーンの瞬間は日本ではお昼で見れませんが、28日夜の満月は通常より約14%大きく、約30%明るく見えるとか。

 わたしは、いつも満月に向かって祈りを捧げます。また、願い事をすることも多いです。「星に願いを」ならぬ「月に願いを」ですが、最近、わたしの願いが1つ叶いました。
 日頃より私淑する稲盛財団の稲盛和夫理事長にお会いしたのです。9月13日の日曜日、わたしは朝から京都ホテルオークラで開催された第1回京都こころ会議シンポジウム「こころと歴史性」に参加しました。Tonyさんとの御縁でわたしが連携研究員を務めさせていただいている「京都大学こころの未来研究センター」の主催イベントです。冒頭、稲盛理事長が祝辞を述べられることになっていました。そして、来場された稲盛理事長を同センターの教授である鎌田東二先生が、シンポジウムの開始前に紹介して下さったのです。

稲盛和夫理事長を紹介していただきました

稲盛和夫理事長を紹介していただきました「京都こころ会議」で総括する鎌田東二教授

「京都こころ会議」で総括する鎌田東二教授
 わたしは、つねづね稲盛理事長を尊敬申し上げています。しかし、じつは実際にお会いするのはこれが初めてです。稲盛理事長とわたしは2012年に第2回「孔子文化賞」を同時受賞させていただいております。でも、授賞式には弟の稲盛豊氏(稲盛財団専務理事)が代理で出席され、ご本人とお会いすることは叶いませんでした。

 それを義兄弟であるTonyさんが「孔子文化賞を同時受賞された一条真也さんをご紹介いたします」と名刺交換の機会を与えて下さったのです。稲盛理事長は「おお、あなたが一条さんですか!」とわたしのことをご存知で、まことに感激いたしました。稲盛理事長からも丁重にお名刺を頂戴しました。この名刺はわたしの宝物です。日本経済界最高のリーダーであるにもかかわらず、稲盛理事長は腰の低い素晴らしい人格者でした。わたしは、胸いっぱいで「心より尊敬申し上げております。御著書はすべて拝読させていただきました。今日は御挨拶させていただき、まことに光栄でございます」と言うと、稲盛理事長はニッコリと微笑んで下さいました。

 わたしは憧れの方にお会いできて、本当に感激しました。孟子が会うことのなかった孔子に私淑(この言葉の出典は『孟子』です)したように、平田篤胤が会うことのなかった本居宣長に夢の中で弟子入りしたように、わたしも稲盛理事長とお会いする機会がないのかと諦めていました。一般社団法人・全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)の事業継承委員長時代に稲盛理事長の講演会を企画しようともしましたが、残念ながら諸般の事情で実現しませんでした。

 わが夢を叶えて下さったのはTonyさんです。まさに、Tonyさんこそは最高の「現代の縁の行者」でした。心より感謝いたします。わたしは私淑する渋沢栄一翁や松下幸之助翁や出光佐三翁にはお会いすることはできませんでしたが、稲盛和夫翁にはお会いできました。まさに本居宣長が賀茂真淵と運命の邂逅を果たした「松坂の一夜」ならぬ「京都の朝」でした。わたしは、これまで稲盛理事長の著書の多くをブログなどで取り上げ、またその名言も紹介させていただきました。何よりもその経営理念を学ばせていただき、サンレーの経営に当たってきました。

 じつは京都へ向かう前日、わたしはサンレー本社の社員旅行で鹿児島を訪れました。そして、そこで島津家ゆかりの神社に参拝しました。御祭神が照國大明神、すなわち島津家28代当主 11代藩主 島津齊彬なのです。そのとき、「ぜひ稲盛翁に会わせて下さい」と祈願したのです。鹿児島出身の稲盛理事長は郷土の英雄である西郷隆盛をこよなく敬愛し、西郷の言葉である「敬天愛人」を座右の銘にされておられます。その西郷は島津藩の藩士ですから、照国神社での祈願が効いたのかもしれません。すべては「神ながら」ですね。

 さて、京都こころ会議シンポジウムですが、現代日本を代表する「知」のフロントランナーたちを揃えただけあって、非常に刺激的で興味深い内容でした。400名定員の席はすぐに予約でいっぱいとなり、京都ホテルオークラの大宴会場が1つの空席もなく埋まりました。すごい熱気です。「知」への情熱を感じます。9時30分に「開会の言葉」として、 吉川左紀子(こころの未来研究センター長)、稲盛和夫(公益財団法人稲盛財団理事長)、牛尾則文(文部科学省研究振興局学術機関課長)のお三方から祝辞が述べられました。

 9時50分からは講演(1)として、中沢新一(明治大学野生の科学研究所長)さんが「こころの構造と歴史」を講演されました。中沢氏は「『ニューロ系』と『こころ系』をつなぐbricolageの概念」「『ニューロ系』と『こころ系』に通底する『ホモロジー』の構造」「『こころ系』にセットされた『アナロジー構造』」「キリスト教的『三元論』とユング・曼荼羅的『四元論』はともに『こころ系』の基本構造をしめす」などのお話をパワーポイントなしで話されました。中沢さんのお話を聴くのはずいぶん久しぶりですが、相変わらずシャープな頭脳の持ち主であると感じました。

 その後、講演(2)として、河合俊雄(こころの未来研究センター教授)さんによる「こころの歴史的内面化とインターフェイス」、休憩をはさんで、講演(3)として、広井良典(千葉大学法政経学部教授)さんによる「ポスト成長時代の『こころ』と社会構想」。講演(4)として、下條信輔(カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授)さんによる「こころの潜在過程と『来歴』——知覚、進化、社会脳」。講演(5)として、京都大学の山極壽一総長による「こころの起源−共感から倫理へ」が行われました。どの講演も内容が深く、大変勉強になりました。わたしの専門である儀式についいての言及も多く、次回作である『儀式論』(仮題、弘文堂)のヒントをたくさん貰いました。

 16時40分からは「総合討論」として、中沢新一、河合俊雄、広井良典、下條信輔、山極壽一の各氏が語り合われました。ここでは「超人類」とか「地球を超えたコミニュティ」といったSFを連想させるような壮大なテーマをはじめ、「グローバリズムとナショナリズム」「差別と人間の本性」「ネアンデルタール人の歌」「黄金律と世界の閉鎖」などの興味深いテーマが次から次へ、まるでマンダラのように語られました。

 特に印象的だったのは、中沢新一さんの発言です。中沢さんは「capital」を「資本」と訳した西周の先見性を讃え、資本の「資」とは「次の貝」と書く。つまり、貨幣としての貝が増殖することが資本であると述べました。一方で「富」という言葉があります。これは「家の中に発酵するものがあって、微生物がモノを生成させること」という意味です。「資」とは死んだ貝であり、「富」とは生きた酵母菌なのです。死んだ貝としての「資」は国境も性別も一切を超越しますが、酵母菌による生成は閉じます。この中沢発言を聴き、わたしは「死によって、あらゆるものが超えられる」すなわち「死=超越性」ではないかと思いました。

 17時50分からは「総括」として、こころの未来研究センター教授のTonyさんが登壇され、戦後最初の流行歌である「リンゴの唄」とアニミズムを関連づけた素晴らしいお話をされました。すべての日本人の「こころ」の琴線に触れるようなお話でした。総括が終わると、満員の会場から割れるような拍手が起こり、義兄弟であるわたしも感動しました。わたしは「Tonyさん、やったね!」と思いました。最後は京都大学の湊長博副学長が「閉会の辞」を述べられました。

 18時15分からは懇親会も開催されました。わたしも参加させていただき、「知」のフロントランナーのみなさんと意見交換させていただきました。日本におけるアカデミズムの聖地である京都大学が総力をあげて開催したシンポジウムの余韻に浸りながら、さまざまな先生方と意見交換をさせていただき、非常に有意義な一日となりました。

京都大学の山極総長、鎌田教授と

京都大学の山極総長、鎌田教授と『満月交遊 ムーンサルトレター』

『満月交遊 ムーンサルトレター』
 それから、ビッグニュースがあります。わたしたちの共著である『満月交遊 ムーンサルトレター』上下巻(水曜社)の見本がついに出たのです。Tonyさんとわたしの満月の夜の文通は、2005年10月18日に開始されました。そして、2015年6月7日に第120信がアップされました。第60信がアップされた際には、『満月交感 ムーンサルトレター』が上下巻で出版されています。それぞれの巻は300ページを優に超え、その過密な字組みは業界に衝撃をもたらし、多くの出版社の編集部で回覧されたといいます。あれから5年、ついに続編である『満月交遊』が刊行されました。

 『満月交感]』はとにかく本のカバー・デザインがインパクト大でした。満月に向って吠える二匹の狼が描かれているのですが、まるで伝奇小説のようなイメージでした。わたしは上巻の「まえがき」の最後に、「満月に吠える二匹の狼が世直しめざす人に化けたり」という歌を詠みました。Tonyさんもわたしも大の月狂いなのですが、これはどうやら干支と関係があるように思えます。つまり、二人ともウサギ年生まれなのです。ということは、わたしたちは狼の皮をかぶった二羽のウサギなのかもしれません。今回の『満月交遊』では、表紙にウサギが描かれていて、「やっぱり!」といった感じです。編集を担当して下さった水曜社の朝倉祐二さんによれば、デザイナーの方が「日本最古の漫画」と称される『鳥獣戯画』に出てくるウサギをイメージされたそうです。これを見たわたしは「世直しをめざす兎が二羽跳ねり月を見上げて今宵も遊ぶ」という歌を詠みました。

 わが書斎の書棚に『満月交遊』を収めると、銀色の背表紙が、お隣りの『満月交感』の金色の背表紙とともに輝いています。まるで「金の月」と「銀の月」が並んでいる感じです。わたしは童謡「月の砂漠」に登場するラクダの「金の鞍」と「銀の鞍」に乗った王子様とお姫様を連想して、センチメンタルな気分に浸りました。加藤まさおが作詞した「月の砂漠」の歌詞]によれば、金の鞍には銀の甕が、銀の鞍には金の甕が備えられ、2つの甕はそれぞれに紐で結んでありました。いやあ、ロマンティックですねぇ!

 『満月交遊』の書店販売ですが、28日(月)に配本され、10月1日(木)から全国主要書店で発売されます。また、11月22日(日)の14時から東京・神田の「東京自由大学」において、わたしの『唯葬論』についての講演および『満月交遊』の刊行記念としてTonyさんとのトークセッションを行うことになりました。

 進化論のチャールズ・ダーウィンの祖父にエラズマス・ダーウィンという人がいました。彼は月が大好きだったそうで、18世紀、イギリスのバーミンガムで「ルナー・ソサエティ(月光会)」という月例対話会を開いたといいます。わたしたちは、現代日本のルナー・ソサエティのメンバーなのかもしれません。そして、われらのルナー・ソサエティは、ハートフル・ソサエティをめざしています。どうか、「楽しい世直し」の書である『満月交遊 ムーンサルトレター』上下巻を1人でも多くの方に読んでいただきたいと願っています。夜空のスーパームーンに手を合わせながら・・・・・・

東京自由大学講演会のご案内

東京自由大学講演会のご案内

2015年9月28日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 Shinさん、わたしも昨日のスーパームーン、じっくり見ましたよ。阪急電車に乗って大阪から京都に帰って来た時、河原町四条で降りて、鴨川にかかる四条大橋を渡ろうとしたら、京都南座の上空に光り輝く満月が煌煌と照っていたのです。道行く人々もおのおの携帯を出して、東山と南座の上で照り輝いているスーパームーンを撮影していました。

 ところが、そこから、京阪四条で乗り換えて、鴨川沿いを北上し、出町柳で降りて、叡電に乗り換えて修学院駅で降りて曼殊院の方に向っていく30分ほどの内に一気に雲が出てきて、一乗寺の吾が砦に帰り着く頃には雲の中に出たり入ったりの状態となり、その後は雲に覆われてしまいました。仲秋の名月は朝方まで皓皓と照っていましたが、スーパームーンの方は残念ながら、京都では短時間しか見ることができませんでした。

 が、こんなスーパームーンが出る時期に、『満月交遊』が出版されるのも何かの縁です。というより、この出版は無謀な出版ですね。今どき、上下で600頁を超える「満月の夜の文通」記録をいったいどのような方々が買って読んでくださるのでしょうか? 読めば読むほど、スルメのようにじわじわと深い味が出てくるとは思っていますが、これは軽薄短小やネット社会の趨勢に完全に逆行した反時代的な本ですね、まったく!

 しかしながら、その内容は、未来的なメッセージが満載されていると確信しています。わたしもぜひ多くの方々に読んでほしいと心から思っています。

 ところで、9月13日(日)京都のホテル・オークラで開催された「第1回京都こころ会議」に参加してくださり、まことにありがとうございます。また、その時の様子と感想を詳しく書いてくださり、感謝に堪えません。

 この第1回京都こころ会議のキーワードは「可塑性」だと思います。この言葉は、中沢新一さんと下條信輔さんが使っていました。神経可塑性とこころ可塑性を接続し、社会可塑性に接地すること。そのような意味での「可塑性」とは、「楽しい世直し・心直し」の別表現ではないでしょうか?

 わたしにとって、「世直し・心直し」とは「創造性の渙発」に他なりません。これまでわたしが闘ってきたのは、「創造性を抑圧し、歪め、奪おうとする力や制度や諸存在」に対してでした。わたしはあらゆる創造性を搾取したり抑圧したり弾圧したり破壊したりする働きに我慢ならないのです。そのような動きや勢力には容赦なく戦いたいといつも思っています。が、その戦い方にも「創造性」があるはずなので、これでなければならないという決め事は一切ありません。たとえば、大国主神様のような「国譲り」だって「創造的な戦い方」かもしれないと思うのです。それは少なくとも単純な「敗戦」でも「非戦」でもありません。「和平的な戦い方」ともいえるでしょう。

 第1回京都此処と会議では、この「可塑性」が、「進化」(山極壽一)になり、「来歴」(下條信輔)になり、「ブリコラージュ」や「言語(メタファー/メトニミー)」(中沢新一)になり、「オープンシステム」(河合俊雄)になり、「公共・地球倫理」(広井良典)になります。ですから、「可塑性」とは、「創造性の渙発」とほぼ同義となるのです。

 ともあれ、この会議の議論は、「スリリングで、スペクタクルで、スマート」でしたね。この「『す』ばらしく、『す』てきで、『す』ケールの大き」な「3Sシンポジウム」に、わたしに与えられた役目は、「酔狂」で「すかたん」で「素っ頓狂」な「総括」という名の「攪乱」を与えること、つまり、「ホラを吹くこと」だと認識しました。

 わたしは来年3月で京都大学こころの未来研究センターを定年退職しますが、この8年間、こころの未来研究センターの創生期のもっとも「創造的」な時期に関与できたことを有難くも運命的なものと感じています。Shinさんにもワザ学や震災関連のプロジェクト「こころの再生に向けて」の連携研究員になってもらって、いろいろとシンポジウムなどしましたね。存分に、研究や表現の「可塑性」を探究できたと思っています。

 とはいえ、わが「スカタン・ミッション」はまだまだこれからが本番です。来年4月には、NPO法人東京自由大学からも京都大学こころの未来研究センターからも離れて、「本来自由の生涯一フーテン」として生を全うしたいと思っていますので、今後ともよろしくお願いします。

 7月以降、本当に、北は北海道から南は沖縄まで、行ったり来たりしています。9月中旬には、高野山から久高島から東北被災地まで文字通り東奔西走しました。大変慌ただしかったことは事実ですが、それぞれ学ぶつころが深く強烈でした。

 高野山では、日本スピリチュアル学会第8回学術大会が高野山大学で開催され、「スピリチュアルケア」とは何かが熱心に議論されました。そして第1回京都こころ会議では「こころと歴史性」が、久高島ではゼミ生と一緒に久高島論と大重潤一郎監督の記録映画「久高オデッセイ」論が熱い話題となりました。その後の東北被災地めぐりでは、「復興」とは何か、ハード面での復興や再生とソフト面での復興や再生の違いを痛感することになりました。ハード面は可視化されるから評価もしやすいし、何よりもわかりやすい。けれども、心の中やソフト面は目に見えないので、とても曖昧で、デリケートです。そして、ハード面よりもソフト面がいっそう「可塑性」に富んでいて、瞬時に変わることもありえます。だからこそ、アセスメントが大変難しいのです。

 ハード面とソフト面の復興の一例として、宮城県石巻市雄勝町の葉山神社の遷座祭と奉祝祭の神楽奉納のことを書いてみたいと思います。9月19日、土曜日の夜19時から葉山神社の遷座祭を厳粛に執り行われました。葉山神社の新社殿は雄勝町の漆黒の闇の中で龍宮城のように光り輝いていて華やかでした。それは確実に、再建され、再興され、その意味で、「復興」を目の当たりにすることが出来ました。

 そして、翌9月20日(日)は朝から夜まで奉祝の雄勝法印神楽上演がありました。午前10時から竣工奉告祭が斎行され、その後続けて、11時から雄勝法印神楽が12番奉納されたのです。演目は次の通りでした。

11時00分〜初矢
11時30分〜四天
12時00分〜魔王退治
12時30分〜蛭児
13時10分〜鬼門
13時50分〜岩戸開
14時40分〜日本武尊(産屋)
15時30分〜能舞奉納
16時00分〜空所
16時25分〜順唄
16時45分〜所望分
17時20分〜二之矢
17時55分〜醜女退治
18時25分〜獅子振り
18時45分〜プロジェクションマッピング
19時終了

 このうち、15時30分からの「能舞奉納」が、観世流能楽師で京都造形芸術大学客員教授の河村博重師とわたしの共演する新作・創作の「鎮魂再生能舞 葉山・石峰」の奉納上演でした。ありがたいことに、雄勝法印神楽衆の12演目の真中にわたしたちの奉納能舞を入れてくださったのでした。

 が、初めて「能舞」なるものを見る観客の方々はさぞかしビックリ仰天したことと思います。「想定外」の歌舞音曲だったでしょうから。

観世流能楽師・河村博重氏と「鎮魂再生能舞 葉山・石峰」奉納上演(撮影:須田郡司)

観世流能楽師・河村博重氏と「鎮魂再生能舞 葉山・石峰」奉納上演(撮影:須田郡司)
 この「鎮魂再生能舞 葉山・石峰」の台本は次のようなものでした。


(法螺貝奉奏)

謡:「♪チハヤブル〜♪」

序章 探すために生きてきた

探すために生きてきた 探し求めて生きてきた
夢を求めて生きてきた 道を求めて生きてきた

12345678910 果てしない 12345678910 切りがない
12345678910 とめどない 12345678910 終わりない

探し求めて生きてきた 愛を求めて生きてきた
時を求めて生きてきた 夢を求めて生きてきた

12345678910 果てしない 12345678910 切りがない
12345678910 とめどない 12345678910 終わらない

探し求めて生きてきた 夢を求めて生きてきた
愛を求めて生きてきた 道を求めて生きてきた

12345678910 果てしない 12345678910 時がない
12345678910 当てがない 12345678910 道がない

第一楽章 も一度君に逢えるなら

遠い遠い遠い 海の果て
深い深い深い 海の底
長い長い長い 時を翔け
荒い荒い荒い 波の中

  光は消えて
  命も消えて
  闇の中に 沈む

嗚呼 嗚呼

神も仏もあるものか すべてを攫っていったなら
神も仏もあるものか 祈りの言葉も届かない

なぜ? なぜ?

神も仏もあるものか も一度君に逢えぬなら
神も仏もあるものか も一度君に逢えぬなら

なぜ? なぜ?

遠い遠い遠い 地の果て
深い深い深い 波の底
長い長い長い 時を超え
光る光る光る 波の上

  光は求め
  命を求め
  闇を抜けて 往く

嗚呼 嗚呼

神も仏もあるはずだ すべてのいのちの元だから
神も仏もあるはずだ すべての意味の元だから

神も仏もあるはずだ 祈りの言葉が届くなら
神も仏もあるはずだ も一度君に逢えるなら
神も仏もあるはずだ も一度君に逢えたなら

(激しい石笛の響き)

第二楽章 永訣の朝

ぼくがきみと出会った朝 遠くの星が泣いていた
いつか別れの時が来ると 遠くの星が泣いていた
いつだって どこでだって 探していたのに
こんな星の下 この時ばかりは 泣いたよ

ぼくがきみを想い出すたび 遠くの星が泣いている
もう二度と帰らぬ日々と 遠くの星が泣いている
風に吹かれて ぼくは旅をする 忘れることも出来ずに
こんな星の下 この時ばかりは 泣いたよ

ぼくがきみと別れた朝 遠くの星が泣いていた
いつかまた出会うときが来ると 遠くの星が泣いていた
いつだって どこでだって 探していたのに
こんな星の下 この時ばかりは 泣いたよ

いつだって どこでだって 探していたのに
こんな星の下 この時ばかりは 泣いたよ

(柔らかな横笛の響き)

第三楽章 ふるさと

光りを失くしたその日から 海を見つめる日々だった
遠い記憶の彼方から 流れ出てくる水を待つ
遥かに煙る戦火さえ 愛しきものと消え去りし
嗚呼 夢の跡 嗚呼 夢の城 水の惑星 愛しのふるさと

どこへなりとも行かねども 声も聞こえぬふりをして
耳を澄まして天仰ぐ 両手を開いて今受ける
あらゆるものが愛おしく すべてのことが懐かしく
嗚呼 夢の跡 嗚呼 夢の城 水の惑星 愛しのふるさと

消えて終って無のしじま 終わりしものは声も無し
騒がしきもの汝らよ 声なき声に耳済ませ
愛しきものを呼び覚まし すべてのいのち懐かしむ
嗚呼 夢の跡 嗚呼 夢の城 水の惑星 愛しのふるさと
嗚呼 夢の跡 嗚呼 夢の城 水の惑星 愛しのふるさと
水の惑星 愛しのふるさと

謡「♪天下泰平、国土安穏、今日の御祈祷なり、在原や〜♪」

終章 弁才天讃歌

オンソラソバテイエイソワカ オンソラソバテイエイソワカ
オンソラソバテイエイソワカ オンソラソバテイエイソワカ
オンソラソバテイエイソワカ オンソラソバテイエイソワカ
オンソラソバテイエイソワカ オンソラソバテイエイソワカ
天の川清く流れ 地上に光の帯となって 緑の大地を育み
世界に夢の帯となって 心の絆を結ぶ
弁才天 輝け
弁才天 宇宙へ
弁才天 響かせ
弁才天 天翔ける

オンソラソバテイエイソワカ オンソラソバテイエイソワカ
オンソラソバテイエイソワカ オンソラソバテイエイソワカ
オンソラソバテイエイソワカ オンソラソバテイエイソワカ
オンソラソバテイエイソワカ オンソラソバテイエイソワカ
天の星遠く流れ 地上に光の帯となって 魂の道を照らし
世界に虹の橋となって 国の境を超える
弁才天 あふれ出せ
弁才天 世界へ
弁才天 響かせ
弁才天 魂翔ける

オンソラソバテイエイソワカ オンソラソバテイエイソワカ
オンソラソバテイエイソワカ オンソラソバテイエイソワカ

オンコロコロセンダリマトウギソワカ オンコロコロセンダリマトウギソワカ
オンコロコロセンダリマトウギソワカ オンコロコロセンダリマトウギソワカ

オンソラソバテイエイソワカ オンソラソバテイエイソワカ
オンソラソバテイエイソワカ オンソラソバテイエイソワカ
オーム

(法螺貝奉奏)


 おそらく、このような「能舞」を観たことのない観客はさぞかし戸惑われ、解釈に苦しまれたことでしょう。神社の中で、仮設の神楽殿の上で、大声で、「神も仏もあるもんか!」などと絶叫するのだから。もちろんその後に「神も仏もあるはずだ」と続くのですが、何よりも、先に歌われる「神も仏もあるもんか!」というフレーズのインパクトが強烈ではないかと思います。が、このような歌が出てきたのですから、神ながら人生を生きる神道ソングライターとして致し方なく、その「聲」に従うほかありません。

 が、そのようなわたしの思いも観衆の印象も吹き飛ばすかのごとく、何事もなかったかのように雄勝法印神楽の奉納が継続されていったのです。伝統というものの時間の厚みと蓄積を感じました。また、神話的な時間の大きさ深さ深遠も感じました。この神話的なめでたさの中に違和も異物も中和されてすべてが祝儀の中に融け込み呑み込まれていくかのうようでした。かくして雄勝法印神楽の奉祝行事の中にすべてがヒエロファニーの聖体示現として溶かされ溶融され融合されたゆとう得難いカオスモスに安心して浸ることができたのでした。このようなソフト面のアセスメントは大変難しいですが、しかし確実に心に活力と支えと余韻を与えるものと思います。その意味で、ハード面での再建だけではなく、ソフト面の「こころの再生に向けて」の動きが確実に進んだのではないかと実感しました。

 「神楽」とは、「神楽し(神は楽しむ、神も楽しむ、神と楽しむ)」と書きます。それは本来、「面白・楽し」のワザヲギです。このワザヲギによって、震災や津波による鬱積した「負の感情」の浄化と注力エンパワメントがどれほど進んだか測ることは困難ではあっても、それぞれに確かな手応えがあったのではないかと思います。何よりも再建された葉山神社のおごそかな儀式と神楽衆の喜びと躍動に満ちた姿に接しただけでも、「浄化力」と「活力」が横溢したと感じられました。

 雄勝法印神楽の奉祝行事が終わった翌日の9月21日の朝8時半、雄勝町大須の浜から、東南海上に美しくも凛凛しい金華山を望みました。金華山は中世には弁財天信仰の東北の拠点となり、後には神仏習合して、葉山神社の姉妹神市杵島姫命とされていきます。海抜445メートルの金華山は、山容がわが砦付近の修学院や一乗寺の辺りから見る比叡山に大変よく似ていました。それが神の山であり、神の島であることがはっきりと感じられました。

 雄勝に新たなサイクルが巡り来る、そしてそれを機に次のいのちの開花の時が来る。その時を待ち望み、共に祝い、活力を共有しながら、縁を活かした活動が今後も出来ていければと思いました。東北被災地の追跡調査は「3・11」後半年に1回行なってきましたが、今回で第10回目となりました。その節目の時に、このような得難い機会と場を得たことを心から感謝するとともに、いっそうの精進努力を果たしていきたいと思います。

 2015年9月29日 鎌田東二拝