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シンとトニーのムーンサルトレター 第133信

 

 

 第133信

鎌田東二ことTonyさんへ

 Tonyさん、お元気ですか。前回はレターの返信が遅れて心配しました。風邪で体調を崩されていたそうですが、もう大丈夫ですか。この1ヵ月、わたしにはいろいろなことがありました。まずは、作家の青木新門さんとの出会いからお話したいと思います。

 6月6日、わたしは富山に入りました。翌7日から、会長を務める全国冠婚葬祭互助会連盟(全互連)の定時総会が富山で開催されるので前日入りしたのです。その夜、JR富山駅前にある「オークスカナルパークホテル富山」で青木氏にお会いしました。氏は、同ホテルを運営する冠婚葬祭互助会であるオークス株式会社の顧問を務めておられます。

 映画「おくりびと」が、第32回日本アカデミー賞最優秀作品賞、第81回米アカデミー賞外国語映画賞を受賞してから時が過ぎましたが、あの興奮は今でも憶えています。日本映画初の快挙でした。この映画で主演の本木雅弘さんは、「ある本」に出会って大いに感動し、映画化の構想をあたためていたそうですが、その本こそ『納棺夫日記』です。平成5年(1993)に単行本として桂書房から出版されベストセラーになった名作ですが、現在は版を重ねており、文春文庫にも入っています。その『納棺夫日記』の著者が青木氏なのです。氏は昭和12年、富山県下新川郡入善町のお生まれで、長く「納棺師」として葬儀の現場で働かれました。その尊いご体験が『納棺夫日記』には綴られています。

 じつは、昨年上梓した拙著『永遠葬』(現代書林)を青木氏に献本させていただいたところ、氏はご自身のブログ「新門日記」で、同書について以下のように書いて下さいました。

 「内容は島田裕巳氏の『葬式は、要らない』や近著『0葬』を批判した『葬式は要る』という立場で、なぜ要るのかということを多くの事例や理由をあげて書かれた本である。島田氏が個の命にとらわれているのに対して、一条氏は永遠を見据えているのがいい。氏は京都大学こころの未来研究センターの研究員でもある。私も島田祐巳氏が『葬式は、要らない』を出した時、当時本願寺の教学研究所の所長をしておられた浅井成海師と対談形式で『葬式は要る』と題して出版する計画があった。ところが企画したPHP出版と打ち合わせていたら浅井氏が末期癌で急逝され、出版の話はたち切れとなってしまった。あの時島田氏の本を読んで感じたことは、NHKのクローズアップ現代のように、葬式や宗教を社会現象学的に取り上げているだけだと思った。事物の現象の本質が全くわかっていない人だと思った。現象の本質がわかっていないということは、死の本質がわかっていないということであり、宗教の本質がわかっていないということでもある。後から島田氏はマックスウェーバーの流れをくむ橋爪大三郎氏の弟子だと知って、なるほどと思ったものだった。こういう現象の上辺をなでたようなものを書いて時流に乗るのがうまい学者の本はよく売れるが、酒鬼薔薇聖斗の近著『絶歌』が売れるのと同じような市場経済優先の社会現象のように私には映るのだった。しかしそのことが多くの人を惑わす結果になるから困るのである」

 わたしは、この青木氏のブログ記事を読んで、大変感激しました。青木氏からはメールも頂戴し、「一度ぜひお会いしましょう」と言っていただきました。本当に光栄であり、ありがたいことでした。その後、メールのやりとりなどを重ねて、このたびの対面に至ったわけです。「一条さん、あなたに会いたかったんですよ」との初対面の言葉が嬉しかったです。ホテル内にある和食店の美味しい料理をいただきながら、わたしたちはさまざまな話で盛り上がりました。青木氏からはご著書『転生回廊』(文春文庫)を頂戴し、そこに写真が掲載されていたチベットの鳥葬についてのレクチャーも受けました。なお、青木氏は当日の「新門日記」でわたしについて、「氏は、新時代の葬儀の一つとして、月へ魂を送る『月への送魂計画』を提案する。超日月光を信じる私は違和感を覚えるが、奇抜なアイデアとして面白いと以前から思っていたので、一度お会いしたいと思っていたのであった。氏は、大変な読書家で豊富な知識を持っておられ、共通の知人も多かった。そんな方に会うと、話が弾む。しかし2時間の会食を終えて別れた後、余計なことまで話していたことを後悔しながら帰路の夜道を歩いていた」と書かれていました。

青木新門氏と一条真也

青木新門氏と一条真也青木氏からチベットの鳥葬の話を聞く

青木氏からチベットの鳥葬の話を聞く
 青木氏との会話はすべて楽しく有意義な内容でしたが、特に氏が「月への送魂」に興味を持っておられたことは意外でした。浄土真宗に代表される伝統的な葬儀しか認めておられないイメージがあったからです。氏が仏教に深い造詣を持ちながら、非常に柔らかい発想をされる方であることがわかり、嬉しくなりました。今度は、ぜひ、九州の夜空に上った満月を見上げながらお話したいです。

 さて、6月17日、小倉の「松柏園ホテル」の神殿で月次祭を行いました。戸上神社の是則神職が神事を執り行って下さいましたが、祭主であるサンレーグループの佐久間進会長に続いて、わたしは参列者を代表して玉串奉奠しました。神事の後は、恒例の「平成心学塾」を開催しました。佐久間会長に続いて、わたしが登壇しました。まずは、米大リーグ・マーリンズのイチロー選手について話しました。現地時間15日(日本時間16日)、彼は、サンディエゴで行われたパドレス戦で2安打をマークし、ピート・ローズが持つメジャー記録の4256安打を日米通算で上回りました。わたしは、偉業達成後の記者会見で彼が語った言葉にとても感銘を受けました。

 記者会見で、イチロー選手は、「子どもの頃から人に笑われてきたことを常に達成しているという自負がある」と明かしました。小学生の頃、プロ野球選手になる夢を抱き、毎日コツコツ練習を重ねてきましたが、周囲からは「あいつ、プロ野球選手になるのか」と笑われたそうです。それでも愛知・愛工大名電高で甲子園に出場し、1991年にドラフト4位でオリックスから指名を受けると、94年にプロ野球史上初のシーズン200安打以上を達成するなど一気にスターの座に駆け上がりました。

 2001年に大リーグへ移った時は「首位打者になってみたい」と目標を掲げましたが、周りで真に受ける人は誰もおらず、彼は冷笑を受けました。しかし、そこからメジャー1年目で首位打者を獲得。04年には262安打を放ちシーズン最多安打を84年ぶりに更新と、活躍を続けてきたのです。イチロー選手は、大リーグだけで通算4256安打を超える可能性について問われました。すると彼は、「常に人に笑われてきた悔しい歴史が、僕の中にあるので。これからもそれをクリアしていきたいという思いはもちろん、あります」と語りました。それを聞いて、わたしは感動しました。「50歳で現役」という高いハードルにも挑むことを公言しているイチロー選手ですが、もう、その言葉を笑う者はいません。

 「つねに人から笑われる」ような高い目標を掲げ続け、それを次々に達成していく奇跡の人生。彼の生き様には多くの人が勇気を与えられるでしょう。このわたしだって、これまで「冠婚葬祭屋が本を書いてどうする?」「冠婚葬祭屋が孔子を語ってどうする?」「冠婚葬祭屋にドラッカー理論が実践できるのか?」「大学教授などになれるはずがない」などと、これまで散々笑われてきました。宗教学者の島田裕巳氏の『葬式は、要らない』や『0葬』に対抗して『葬式は必要!』や『永遠葬』を上梓したときも笑われました。

 現在も、その島田氏との対談本の刊行、あるいは、儀式そのものの必要性を理論武装しようと試みる『儀式論』の出版などに対して、「そんなことをしてどうする」と笑う人もいるでしょう。もちろん、わたしの人生など、偉大なイチローの人生と比べられないことはよくわかっていますが、わたしも彼と同じ「なにくそ!」「今に見ていろ!」の精神で走り続けたいと思います。北島三郎の「兄弟仁義」という歌の三番には、「ひとりぐらいはこういう馬鹿が居なきゃ世間の目はさめぬ♪」という歌詞がありますが、そういった心境です。

 かつて、極真会館の創設者である大山倍達は「空手バカ一代」と呼ばれました。考えてみれば、武蔵は「剣術バカ一代」ですし、イチローは「野球バカ一代」です。わたしが『儀式論』を書く上で大きな示唆を得たフロイトは「精神分析バカ一代」で、柳田國男は「日本民俗学バカ一代」です。わたしは、「儀式バカ一代」になりたい!

 そして、イチロー選手の記者会見で最も胸を打たれたのは、「アメリカに来て16年。これまでチームメイトとの間にしんどいことも多かったけど、今は最高のチームメイトに恵まれて感謝している」という発言でした。内野安打を含む単打を連発するイチロー選手の野球スタイルは、「チームに貢献していない」「打率狙いのセコい野球」などと酷評されてきました。おそらくはチーム内にもそんな空気があったのでしょう。

 しかし、42歳にしてようやく彼は「最高の仲間」を手に入れたのです。「豊かな人間関係こそが最高の贅沢である」というのは、フランスの作家サン=テグジュペリの言葉であり、わたしの信条でもあります。イチロー選手は、お金も名声もすべて手に入れてきました。夢もすべて実現してきました。しかし、彼が最も欲しかった宝物とは「最高の仲間」であり、ついにそれを手に入れたという感動の表れが会見の涙だったように思います。

 わたしは『儀式論』を書くにあたり、「なぜ儀式は必要なのか」について考えに考え抜きました。そして、儀式とは人類の行為の中で最古のものであることに注目しました。ネアンデルタール人も、ホモ・サピエンスも埋葬をはじめとした葬送儀礼を行った。人類最古の営みは他にもあります。石器を作るとか、洞窟に壁画を描くとか、雨乞いの祈りをするとかです。しかし、現在において、そんなことをしている民族はいません。儀式だけが現在も続けられているわけです。最古にして現在進行形ということは、儀式という営みには普遍性があるのではないか。ならば、人類は未来永劫にわたって儀式を続けるはずです。

 じつは、人類にとって最古にして現在進行形の営みは、他にもあります。食べること、子どもを作ること、そして寝ることです。これらは食欲・性欲・睡眠欲として、人間の「三大欲求」とされています。つまり、人間にとっての本能です。わたしは、儀式を行うことも本能ではないかと考えます。ネアンデルタール人の骨からは、葬儀の風習とともに身体障害者をサポートした形跡が見られます。儀式を行うことと相互扶助は、人間の本能なのです。この本能がなければ、人類はとうの昔に滅亡していたことでしょう。

 わたしは、この人類の本能を「礼欲」と名づけたいと思います。人間には、人とコミュニケーションしたい、豊かな人間関係を持ちたい、助け合いたい、そして儀式を行いたいという「礼欲」があるのです。金も名誉も手に入れたイチロー選手が「最高の仲間」を得て涙したのも、礼欲のなせるわざでしょう。「礼欲」は、「人間は社会的動物である」というアリストテレスの言葉、あるいは「人間は儀式的動物である」というウィトゲンシュタインの言葉にも通じます。このように、「儀式バカ」はついに「礼欲」という本能を発見しました。わたしのドヤ顔を見ながら、参加者たちはみな呆然としたような表情を浮かべながら、最後の「一同礼」を行っていました。おそらく、本能によって(笑)。

 ということで、Tonyさん、次の満月まで、ごきげんよう!

2016年6月20日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 お心遣い、ありがとうございます。こじらせた風邪は徐々によくなってきました。90%回復ということでしょうか。まだ時折、咳が出たり、声が枯れたりするので、「神道ソングライター」として大切な喉の調子はいまだ本調子ではありません。

 ところで、富山での青木新門さんとの出逢いと交流、またイチローの笑われたことをバネに言ったことを着実に実現して来たこと、どちらも大変興味深く思いました。Shinさんご存知のように、わたしは20歳の時から、「人に笑われるリッパなニンゲンになる」とポリシーに生きてきたので、笑われないようなヤツはアカン、と思っておりました。笑われるヤツこそ、何ごとかを成し遂げるのだと。それをどこまでの強度と精度・クオリティで成し遂げるかは、その人の資質や努力によって変わると思います。いずれにせよ、わたしも熱く「笑われてきたニンゲン」であります。中でも、やっぱ〜、一番笑われたのは、「神道ソングライター」になった時かな? 45歳で群馬大学医学部を受験した時かな? 埼玉県大宮市の大成中学校の運動会で、チベットと日本のホラ貝2個を吹いた時かな? まあ、数え上げれば切りがありません。

 さて、わたしは、6月17日から20日まで、福島県から岩手県まで、東北被災地の第11回目の追跡調査に行っておりました。レンタカーを借りて福島駅を出発し、飯館村の山津見神社と虎捕山の奥宮参拝、南相馬市の相馬小高神社、相馬市鹿島地区の延喜式内社の鹿島御子神社、同地区の全て津波で攫われた山田神社、もともとは浪江町にあった相馬市の真言宗豊山派の清水寺、相馬中村神社、宮城県名取市閖上地区の日和山富主姫神社・閖上湊神社、仙台市若林地区の浪分神社、荒浜供養塔観音菩薩像・八大竜王社、七ヶ浜の猿田彦大神を祀る延喜式内社・鼻節神社、陸奥国一宮の塩竈神社・志波彦神社、女川港、一般社団法人「雄勝花物語」雄勝ローズファクトリーガーデン、石巻市北上町の釣石神社、大川小学校、石巻市雄勝町字大浜の葉山神社、気仙沼市陸前階上の臨済宗妙心寺派の地福寺、岩井崎の琴平神社、気仙沼市南町の紫神社、金光教気仙沼教会、五十鈴神社、岩手県陸前高田市の月山神社、陸前高田市広田半島の突端の泊の臨済宗妙心寺派の慈恩寺などを訪ね、宮司さんや住職さんや教会長さんたちのお話や現状をいろいろと伺って来ました。

 東北被災地の「復興」や「現状」があまり意識化されてこない今、熊本地震の被災地とも連動しながら、次の日本のありようを真剣に議論し具体的な形を実現していくことの必要を大きく深く感じています。

 その中で、大きな問題は、次の3つだと思います。
①人口問題〜特に地方の人口流出をどう防ぎながら持続可能な町づくり・地域づくりをしていくか
②環境問題〜福島の放射能汚染、被災地沿岸部の高さ15メートルもの防潮堤の建設がもたらすさまざまなレベルでの破壊性、水・空気・食糧のこと
③後継者問題〜①の人口問題にもつながり、教育問題とも、地域づくりともつながりますが、どのような活力と創造力のあるよき後継者を育成し引き継ぐことができるか

 この4月まで理事長を務めてきたNPO法人東京自由大学では、そのような問題を含め、「世直し講座」を開設して、いろいろなアプローチを探りました。そして、猫の手も借りて、あの手この手でできることをすべてやってみる、という精神で取り組んでまいりました。

 その一環で、6月19日の日曜日に、宮城県石巻市北上町の釣石神社の「復興奉祝祭」で、京都市在住の観世流能楽師の河村博重さんと共に、新作「鎮魂能舞 北上」の奉納演舞・演奏を約30分行ないました。その歌詞は以下の通りです。

宮城県石巻市北上町釣石神社再建奉祝祭 「鎮魂能舞 北上」2016年6月19日奉納

第一楽章 北上 (ゆったりと 法螺貝 石笛 神鈴 奉奏)

神ながらたまちはへませ 神ながら
神ながらたまちはへませ 神ながら

(歌)
北上遥けく 滔滔と流る
海幸山幸 はじけるいのち
友と語らい 明日を夢見
今日の喜びを 常永久に

(語り)
 平成23年3月11日午後2時46分、三陸沖から真っ黒な壁のような高浪が一挙に北上川に押し寄せ、みるみるうちに、家々を、田畑を、山野を呑み込んでいった。
 避難指示を待って校庭に待機していた対岸の大川小学校の大勢の児童たちも呑み込まれていった。

   赤い靴履いてた 女の子 異人さんに連れられていっちゃった
   横浜の港から 御舟に乗って 異人さんに連れられていっちゃった

 逆らうことのできない自然の振る舞いではあり、まさに自然とは、そのような自然の律動に従って動き、はたらき、現象するものではあるとはいえ、人間世界の暮らしに多大な被害と悲惨と痛みをもたらすことも歴史の事実であった。

 1150年前、貞観11年5月26日、三陸沖で大地震が起こった。時の歴史書『日本三代実録』には、「流光真昼の如く照らし、人々叫び声を上げ倒れ伏して起き上がることできず。家の下敷きになって圧死する者、割れた地面に埋もれる者続出。驚愕した牛馬奔走、城郭倉庫門壁、倒壊建築の数知れず。海、雷如く吠え、盛り上がった高波城下に押し寄せ数十里陸を呑み込み、船に乗る間も山に逃れる間なし。ゆえ、溺死者千人を下らす。家財も稲苗も何も残らぬ大災害なり」と記されている。

 その貞観大地震に比する大地震が平成23年3月11日に起こったのだ。

嗚呼 無情なり
嗚呼 無常なり

 この貞観大地震発生時の天皇は清和天皇、政務は、摂政太政大臣藤原良房が司っていた。
 本釣石神社の御祭神天児屋根命は、長く日本の政務を担当してきた摂関家の藤原氏・中臣氏の祖先神である。
 そして、天児屋根命の本地は地蔵菩薩と信仰された。

神ながらたまちはへませ 助けたまえ
南無阿弥陀仏 救いたまえ

 平成28年6月19日、東日本大震災から5年と3ヶ月、氏子崇敬者、また岐阜県南宮大社などの支援を受けて、石巻市北上町追浜に鎮座する釣石神社の新社殿が竣工なり、かくも盛大に奉祝行事が営まれることになった。

 その復興・再建を祈り祝う、奉祝のみ祭に際し、ここに、京都市在住の観世流能楽師・河村博重と不肖・鎌田東二が共に心を込め、魂を込めて、「鎮魂能舞 北上」を奉納申しあげるものである。

神ながら たまちはへませ 神ながら
神ながら たまちはへませ 神ながら

北上遥けく 滔滔と流る
この麗しき 山河海
心尽して みたまを悼み
亡くしたいのちを 忘るまじ

第二楽章 夢にまで見た君ゆえに (静かに 横笛奉奏)

夢にまで見た君ゆえに ひとつかみまでさくゆえに
祈りを込めて届けたい 心尽きるまで果たしたい
仰ぎ見る空と

夢の果てまで君探し この世の果てまで君恋し
届かぬ思いを見届けて いのち尽きても届けなむ
落ちて往く空へ

一日過ぎたら戻れない 時の流れに身をまかせ
この世の果てまで追いかけて 星のかけらとなりにけり

夢の奥まで迷い来ぬ 風に吹かれてさ迷いぬ
どこまで行けども果てしない 祈りの果てまで身を投げて
飛び惑う夢よ

夢にまで見た君ゆえに ひとつかみまでさくゆえに
祈りを込めて届けたい 心尽きるまで果たしたい
仰ぎ見る空に

第三楽章 神 (激しく 石笛奉奏)

この苦しみの中に神が在る この悲しみの中に神が居る
神は森に住んでいるけれど 人の心の森にも住んでいる

この激しさの中に神が在る この慎みの中に神が居る
神は海に住んでいるけれど 人の心の海にも住んでいる

開け天地 吹けよ山河 つながれ天地 結ばれよ山河

この痛みの中に神が在る この静けさの中に神が居る
神は天に住んでいるけれど 人の心の天にも住んでいる

この喜びの中に神が在る この祭りの中に神が居る
神は祭りの中に現われるけれど 祈る心の中にも現われる

開け天地 吹けよ山河 つながれ天地 結ばれよ山河

第四楽章 弁才天讃歌

オンソラソバテイエイソワカ(8回)

天の川清く流れ 地上に光の帯となって 緑の大地を育み
世界に夢の帯となって 心の絆を結ぶ
弁才天 輝け 弁才天 世界へ 弁才天 響かせ 弁才天 天翔ける

オンソラソバテイエイソワカ(8回)
天の星遠く流れ 地上に光の帯となって 魂の道を照らし
世界に虹の橋となって 国の境を超える
弁才天 あふれ出せ 弁才天 宇宙へ 弁才天 響かせ 弁才天 魂翔ける
オンソラソバテイエイソワカ(8回)
オーム

神ながらたまちはへませ 神ながら
神ながらたまちはへませ 神ながら

(アカペラで ゆっくりしずかに)

北上遥けく 滔滔と流る
この麗しき 山河海
心尽して みたまを悼み
亡くしたいのちを 忘るまじ

(ゆったりと 法螺貝奉奏)

 この「鎮魂能舞 北上」が被災地の方々の心にどのように届いたのか、そこに参列されていた200人近い方々お一人お一人に感想をお伺いする機会はありませんでしたが、最前列で見、聴いてくださったお年寄りの方々の雰囲気は悪いものではありませんでした。

 その後、地元の太鼓の奉納演奏があり、続いて、法印神楽の奉納が12時前から16時前までぶっ続けで行われました。演目は、
①初矢
②磐戸開
③魔王退治
④笹結
⑤鬼門
⑥日本武尊

 の6演目でした。雄勝法印神楽同様、この山伏神楽系の舞いは、剣を持ったリズミカルな激しい舞いを伴います。トランス状態に入るほどの。神剣を持って舞うというのは特別の意識変容、身心変容が生まれるのです。まさに「身心変容技法」としての「神楽」であったと思います。

 釣石神社の岸浪均宮司さんは、その中で、神楽笛・篠笛を吹き鳴らし、最後の演目では自ら太鼓を打ち鳴らしました。祭式と云い、神楽と云い、宮司として、素晴らしいお務めであったと感嘆しました。

 「神道ソングライター」になって、しみじみ、よかった〜、と思えました。このような晴の機会に奉納演奏や演舞ができるのですから。そして地元の方々と素朴な腹を割った交流や交感ができていくのですから。

 このような地道な活動と遊行をこれからもたんたんとつづけてまいりたくおもいますので、こんごともよろしくおねがいもうしあげます。

 2016年6月23日 鎌田東二拝


◆久高オデッセイ〜故大重潤一郎監督追悼祭りin沖縄〜

久高オデッセイ〜故大重潤一郎監督追悼祭りin沖縄〜

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