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シンとトニーのムーンサルトレター 第168信

 

 

 第168信

鎌田東二ことTonyさんへ

 Tonyさん、ついに新元号「令和」が発表されましたね。

 4月1日、小倉のサンレー本社で8時40分から4月度総合朝礼が行われた後、10時から松柏園ホテルで松柏園ホテルでサンレーグループ入社式が行われました。今年も多くのフレッシュマン&ウーマンが入社してきました。入社式では、社長であるわたしが、すべての新入社員に辞令を交付しました。1人ずつ名前を読み上げ、心を込めて交付しました。その後、社長訓示を述べました。わたしは、「ご入社、おめでとうございます。みなさんを心より歓迎いたします」と述べました。それから、以下のような内容を話しました。 

 サンレーとは「礼」の実践を生業とする「礼業」です。世の中には農業、林業、漁業、工業、商業といった産業がありますが、わが社の関わっている領域は「礼業」です。「礼業」とは「人間尊重業」であり、「ホスピタリティ・インダストリー」ということになります。このような会社に入った新入社員をはじめとした若い社員のみなさんに一番伝えたいことは、儀式の大切さです。

 平成が終わって新元号となったとき、さまざまな慣習や「しきたり」は一気に変化します。中には消えるものもあるでしょう。しかし、世の中には変えてもいいものと変えてはならないものがあります。結婚式や葬儀、七五三や成人式などは変えてはならないものです。それらは不安定な「こころ」を安定させる「かたち」だからです。「かたち」があるから、そこに「こころ」が収まるのです。人間の「こころ」が不安に揺れ動く時とはいつかを考えてみると、子供が生まれたとき、子どもが成長するとき、子どもが大人になるとき、結婚するとき、老いてゆくとき、そして死ぬとき、愛する人を亡くすときなどがあります。その不安を安定させるために、初宮祝、七五三、成人式、長寿祝い、葬儀といった一連の人生儀礼があるのです。

サンレー入社式のようす

サンレー入社式のようす歓迎昼食会で「令和」が発表される

歓迎昼食会で「令和」が発表される

 そして、最後に「それにしても、新元号が発表されたその日に社会人になるという貴重な経験をされたみなさんの今後の活躍に大いに期待しています。みなさんが生きる未来を、みなさん自身が創造して下さい。本日は、誠におめでとうございました!」と述べました。入社式の後は歓迎の昼食会を開催しましたが、会場内にモニターを設置し、新元号発表のNHK中継を流しました。新元号の発表を一同息をひそめて待っていましたが、「令和」とわかった瞬間、各自が持っていたクラッカーが鳴らされ、大きな拍手が起こりました。わたしはマイクの前に立って、「ただ今、新元号が『令和』と決まりました。『万葉集』に由来する言葉のようですが、きっと美しい日本の文化を大切にしようというような意味だと推察します。美しい日本の文化とは冠婚葬祭のことです。この素晴らしい仕事を選ばれ、本日から社会人となられたみなさん、本当に、おめでとうございます!」と述べました。

 菅官房長官が最初「レイワ」と口にしたとき、「ヘイワ」と聞こえて「平和」が新元号かと一瞬思いました。また、「令和」の「令」が「礼」だったら最高なのにとも思いました。しかしながら、新元号は「令和」です。正直、「令和」という言葉が新しい元号になるということには違和感もおぼえますが、考えてみれば「平成」のときもそうでした。時間が経てば、きっと可憐なイメージに変わっていくでしょう。5月1日の改元が楽しみですね。

 記者会見を開いた安倍晋三首相によれば、『万葉集』三十二首序文の「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す」が出典です。安倍首相は、「令和は、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味です。典拠となった『万葉集』は幅広い階層の歌がおさめられた日本の豊かな国柄をあらわす歌集であり、こうした日本が誇る悠久の歴史と香り高い文化、四季折々の自然の美しさという伝統を後世へいでいく。また、厳しい冬の後に花開かせる梅の花のように、国民ひとりひとりがそれぞれの花を大きく開かせることが出来る時代になってほしい。その想いこめるにふさわしい元号として閣議で決定いたしました」と述べました。

 何と言っても、「昭和」に続いて「和」の一字が入ったことが大きいです。「和」は「大和」の和であり、「平和」の和です。日本の「和」の思想こそが世界を救うのではないかと思います。「令和」を考案したと有力視されている国文学者の中西進氏は、「読売新聞」のインタビューに応じ、「元号の根幹にあるのは文化目標」とした上で、令和の「和」について「『和をもって貴しとせよ』を思い浮かべる」と述べ、十七条憲法の精神が流れているとの考えを語りました。

 聖徳太子の「和をもって貴しとせよ」のルーツは『論語』で、「有子が日わく、礼の用は和を貴しと為す。先王の道も斯れを美と為す。小大これに由るも行なわれざる所あり。和を知りて和すれども、礼を以ってこれを節せざれば、亦た行なわれず。」〈学而篇〉という言葉があります。「みんなが調和しているのが、いちばん良いことだ。過去の偉い王様も、それを心がけて国を治めていた。しかし、ただ仲が良いだけでは、うまくいくとはかぎらない。ときには、たがいの関係にきちんとけじめをつける必要もある。そのうえでの調和だ」という意味ですね。

 わたしは、「令和」が梅の花を詠んだ和歌に由来することに感銘を受けました。現在の日本は桜の開花で賑わっていますが、この時期に梅の花に由来する元号が発表されたことは興味深いです。梅の花を見ると、わたしはいつも『論語』を連想します。わたしは、日本・中国・韓国をはじめとした東アジア諸国の人々の心には孔子の「礼」の精神が流れていると信じています。

 ところが、いま、日中韓の国際関係は良くないです。というか、最悪です。三国の国民は究極の平和思想としての「礼」を思い起こす必要があります。それには、お互いの違いだけでなく、共通点にも注目する必要があります。そこで重要な役割を果たすのが梅の花です。日中韓の人々はいずれも梅の花を愛します。日本では桜、韓国ではむくげ、中国では牡丹が国花または最も人気のある花ですが、日中韓で共通して尊ばれる花こそ梅なのです。この意味は大きいと思います。それぞれの国花というナンバー1に注目するだけでなく、梅というナンバー2に着目してみてはどうでしょうか。そこから東アジアの平和の糸口が見えないものかと思います。

 梅は寒い冬の日にいち早く香りの高い清楚な花を咲かせます。哲学者の梅原猛氏によれば、梅とは、まさに気高い人間の象徴であるといいます。日本人も中国人も韓国人も、いたずらにいがみ合わず、偏見を持たず、梅のように気高い人間を目指すべきではないでしょうか。各地の梅の名所は、海外からの観光客の姿が目立ちます。わたしは、戦争根絶のためには、ヒューマニズムに訴えるだけでなく、人類社会に「戦争をすれば損をする」というシステムを浸透させるべきであると考えます。梅原氏は今年の1月に逝去されましたが、「令和」という元号そのものが梅原氏の遺言のような気がしてなりません。

 さて、新しい時代が到来し、大きく社会の様子が変化していく時だからこそ守っていかなければならないものがあるように思えます。それこそ、元号に代表される古代からの伝統であり、わが社が業とする儀式ではないでしょうか。今回の改元が行われる曲折の中で、情報システム上の問題から、企業の元号離れが進んだといわれています。国際化などが進展する現代において、基準となる西暦以外の紀年法は必要ないのではないかという意見も聞こえました。もちろん、元号不要論の中には、単に西暦と併記することが億劫だからという理由もあるのでしょうが、果たしてそんな理由でこれまでの伝統をなくしてしまって良いのでしょうか? わたしの答えは「否」です。

 元号であれば、「大化」以降約1400年あまりにわたって受け継がれてきた伝統であり、今回の「令和」に至るまで、平成を含めて約250を経ています。これはルーツとなった中国においても既に喪われてしまったもので、現在は日本固有の文化だということができるでしょう。ここに見える希少性は、無論、今後も元号を続けるべき理由のひとつですが、それ以上に、元号にはこれまで日本が歩んできた道のりや、その時代を生きた人々の想いが凝縮されたものであることが何よりも大切なのです。

 元号と同じく、儀式も日本文化です。冠婚葬祭・年中行事に代表される儀式は、これまで日本人が培ってきた文化の淵源——核であり、元号と同じく、携わる人間が想いをこめて紡ぎ上げてきた、かけがえのない存在です。そのように重要な存在を、効率化や文明化の美名を被った「面倒くさい」という意識のもとになくしてしまうことは、決して許されるものではありません。そもそも、現代のわたしたちが「改元」や「儀式」を体験できることは、過去のご先祖様たちがわたしたちへ、この文化をいできてくれたからです。それを中継地点に過ぎないわたしたちが勝手に途切れさせてしまうことは「おこがましい」としか表現のしようがありません。

 世の中には本当に意味のない、ムダな作法「虚礼」が存在することも事実です。このようなものは淘汰されてしかるべきですが、不易と流行の間にある線引きをどこに置くかについて、新時代を迎える今、わたしたちは慎重の上にも慎重に考えを巡らせなければなりません。ともあれ、ついに新たな元号「令和」が決定しました。これから今上陛下の御譲位また皇太子殿下の新天皇への御即位にあたり、日本文化の核ともいえる践祚と即位に関する儀式群が幕を開けます。儀式に携わる者として、いま、この時に立ち会えた幸運に感謝し、その推移を見守らせていただくとともに、これから迎える新たな御代が誰にとっても平穏で、そして儀式の華ひらく時代となることを心より願う次第です。「

 梅の花を詠んだ和歌を出典とする「令和」が発表されたとき、日本各地では桜が満開で花見が行われていました。4月7日には上智大学グリーフケア研究所の人材育成講座の開講式に参列しました。壇上で客員教授として紹介され、同研究所の一員となった実感が改めて強く湧いてきましたが、四谷に咲き誇るソメイヨシノの美しさも印象的でした。

 桜といえば、13日には安倍首相主催の「桜を見る会」に初めて参加。新宿御苑の八重桜が見事でしたが、今回は妻も一緒でした。今年でわたしたち夫婦は結婚30周年を迎えるのですが、その節目の年に2人で桜を楽しむことができ、良い記念になりました。

新宿御苑の八重桜の前で

新宿御苑の八重桜の前で桜を見る会に夫婦で参加

桜を見る会に夫婦で参加

 18日、松柏園ホテルで月次祭の後に行われた天道塾で、わたしは、儀式は「礼」を形にしたものであり、「礼」をハードに表現したものがセレモニーであり、ソフトに表現したものがホスピタリティではないかと述べました。「礼」は究極の平和思想です。先程述べた日中韓の三国には孔子の説いた「礼」の思想が生きているはずなので、ぜひ三国間で友好関係を築いてゆきたいものです。また、日本人の間においても、至るところで冠婚葬祭が大切にされ、「おめでとう」と「ありがとう」の声が行き交うハートフル・ソサエティを実現したいものです。「令和」の出典である『万葉集』に収められている和歌で最も多いのは相聞歌と挽歌、つまり恋愛と鎮魂がテーマです。まさに冠婚葬祭そのものです。最後に「令和の時代に、礼の輪を!」と訴えてから、わたしは降壇しました。すると父である佐久間会長が登壇して、わたしの「礼輪」にインスピレーションを得たのか、今年の見事な初日の出に言及し、「まんまるく まんまるまるく まんまるく まんまるまるい 令和の日の出」という歌を即興で詠みました。うーん、これぞ老人力ですね。お見事!

 ということで、令和の御代が良い時代となることを心より願っています。それでは、Tonyさん、次の令和元年の最初の満月まで。ごきげんよう!

2019年4月19日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 今日、4月19日は、キリスト教では復活祭、イースターで、特別の日となります。そんな日の満月の夜に、わたしは北鎌倉の円覚寺の塔頭寺院の龍隠庵で、「龍吟雲起」と題する、第一詩集『常世の時軸』(思潮社、2018年7月刊)の朗読会を行ないました。龍隠庵は実に素晴らしいところで、円覚寺の中でも一番高いところにある見晴らしの美しい、まさに禅宗の「庵」でした。そこには、観音様が祀られていました。観音様に手を合わせ、裏山を散策し、オウム真理教事件で殺害された坂本弁護士のお墓に向かって般若心経を唱え、心を鎮めて満月の夜の朗読会「龍吟雲起」に臨みました。

 『常世の時軸』の構成は3部仕立てで、今回の朗読は第1部全篇(序詩「悲の岬1」と「時の断片」23篇)と第3部全篇「時じくのかくの実」12篇と終詩「悲の岬2」)の散文詩全37篇と第2部の韻文詩「めざめ」を一人で朗読しました。もちろん、この詩集は自作ですから、自分ではよくわかっているつもりですが、散文詩を全篇朗読して初めて気づいたことも多々ありました。

 その一つは、繰り返し出てくる語彙があること。例えば、月、雷、龍、水、風、神父、巫女、奈落、墜落、銀河、星を食べる、南十字星、北極星、闇・暗黒、死体、始祖鳥、永遠、深遠、オートバイ、指、ハレルヤ、などです。結構、語彙に偏りと濃度があります。これは大体気づいていましたが、今回の朗読ではっきりと認識しました。わたしの精神世界のキーワードは一言で言うと「星を食べる」ということになります。たぶん、わたしは子供の頃から星になりたいと思って生きてきたので、星を食べるということは、生きることであり、願うことであり、祈ることでもあったのだと思います。そして、グノーシス主義のように、故郷へ帰るという願望でもあると思いました。

 が、わたしがこの世に生まれてきた使命・天命・宿命・運命・ミッションがあるので、それを果たさずにはおめおめ帰還できないので、それを今生で果たすためにあれこれ蠢いているのだと思っています。世直しを言うのも、また心直しや身直しとしての「身心変容技法」などのことを言うのも、そんな今生の使命を果たすためのあくせくであります。

 そして、わたしが詩に求めているのは、理解されることではなく、預言やメッセージを容れる器でありたいということだけのような気がしました。わたしにとって、詩とは預言である、なかなか感度が悪くてそこまでいかないけれども、預言でありたい、そう思っている、あるいは、詩を書く、書かされる理由はそれ以外にない、ということだとも思いました。

 それに対して、歌(神道ソング)は完全にメッセージであると思っています。そして、悲に形を与えることだと。しかし、それが成功しているかどうかは自分には判断がつきません。まだまだ未熟というか、不足というか、不適切というか、解像度が低いということです。残念。

 ではありますが、この7月には、第二詩集『夢通分娩』を土曜美術社から出します。すでに全原稿・詩篇26篇は出版社に渡してあります。来週あたり、初校が出来て来ると思います。6月末には本が出来ます。出来たらお送りしますので、ぜひまた存分に書評をしてください。楽しみにしています。

 ところでわたしは、先回のレターに書きましたが、3月に「第4回日韓老年哲学国際会議」に参加するために韓国に参りましたが、4月には、ひょんなことからベトナムのハノイに行ことになり、4月7日から9日までハノイに行って参りました。ハノイにあるベトナム国立音楽院で講義を頼まれたのです。ベトナム国立音楽院は、日本で言えば、東京芸術大学音楽学部のようなベトナム随一の音楽大学で、東京芸大と姉妹校・提携校のような協力関係を保っています。わたしを招いてくれたビン教授はバイオリニストで、東京芸大の沢和樹学長の教え子とのことでした。また、駒場(神泉)の東京大学大学院総合文化研究科修士課程でも学んだことがあるとのことでした。その頃、渋谷でよくラーメンを食べたとか。

 ベトナム国立音楽院でのわたしの講義内容は、日本の宗教と文化、特に神道と仏教と音楽や芸能との関係について、でした。石笛、法螺貝、神楽、能、能管などについても実演しながら話をしました。ベトナム一の音楽大学の学生さんたちですからね。ベトナムの民族楽器の横笛を学んでいる学生には、わたしの持って行った横笛を渡して、実際に吹いてもらいました。音楽大学の学生との交流は、音楽好きのわたしにはとても面白かったです。

 講義前日には、ハノイのジャーナリズム&コミュニケーション大学の2年生のミン君が、ハノイ一の仏教寺院「鎮国古寺」と国立美術館に案内してくれました。ミン君は、剣道を学び、近代日本文学に関心を持っていて、夏目漱石と川端康成と村上春樹が大好きな青年でしたが、普通の日本人も読まない川端康成の『みづうみ』を読んでいて、大変驚きました。『みづうみ』は、川端流の大変濃密な変態魔界美探究の書で、これを21歳のベトナム・ハノイの若者が読んでいるとは不思議な驚きでした。

 加えて、ミン君ははっぴーえんどやYMO、特に細野晴臣さんの大ファンで、はっぴいえんどの2番目のアルバムの『風街ろまん』(1971年リリース)の「風をあつめて」(松本隆作詞・細野晴臣作曲)を歌ってくれたんですよ。35年もの長きにわたり、細野さんと交流してき、また1970年に大阪の天王寺で、まだデビュー間もない頃のはっぴいえんどのライブを黒テントの前座で聴いたことのあるわたしも、「風をあつめて」は何度も聴いていて知っているけれども、空で歌えるほど覚えているわけではないので、これまた実に、不思議な驚きでした。1984年の夏、天河大辨財天社で細野晴臣さんと会って以来、猿田彦大神フォーラムでの活動など、いろんなイベントで細野さんと協働作業をしてきたことを伝えると、彼はもちろんわたしが細野さんと知り合いなどということは知らない初対面だったので、大変驚き、一挙にリスペクト顔になりましたね。細野晴臣ファンがベトナムの現代のハノイの21歳の若者の中にもいるという発見も実に嬉しい楽しいサプライズでした。

 そんなミン君が友だちがオーナーをしているというコーヒーハウスに連れていってくれましたが、その店にナイロン弦のギターがあったので、ミン君たちに、神道ソングを3曲歌い、けっこう喜ばれました。「弁才天讃歌」「銀河鉄道の夜」「なんまいだー節」の3曲を歌ったのですが、特に、「なんまいだー節」が評判良かったですね、なぜか。「なむなむなむなむなんまいだー」というフレーズの繰り返しが多いので、リズミカルで覚えやすいこともあるからかもしれません。この歌は日本でも特に子供たちと関西では受けますね。

ハノイの「鎮国古寺」

ハノイの「鎮国古寺」

 

鎮国古寺仏塔

鎮国古寺仏塔

 



 湖の中の鎮国古寺

湖の中の鎮国古寺



 

 ベトナムに行ったのは2度目ですが、また行きたいという気持ちが起こりました。ベトナムの仏教は中国の支配や影響を受けてきたので大乗仏教です。詩人で僧侶のティクナットハンさん(1926年生まれ)がベトナム出身ですね。

 とここまで書いて、今日は、4月21日、神戸でOリングテストに関心を持つ医者の集まりである「第28回日本Bi-Digital O-Ring test 医学会学術集会」に招待されて、「言霊の思想と身心変容技法〜見えない世界を探る智恵」と題する講演をしてきました。今日は、この1月12日に亡くなった梅原猛さんのお別れ会があったのですが、ちょうど先約だった招待講演と重なり、まことに残念でしたが、梅原猛さんのお別れ会には出席できませんでした。その代わりというわけではないのですが、先回のムーンサルトレターに書いたように、梅原さんの誕生日の3月20日にご自宅にお参りに参りました。

 Oリングテストに関心を持っているお医者さんがこれだけいるというのも、不思議な驚きで、創始者の大村恵昭教授ともお会いし、いろいろお話もしました。大村さんがわたしの話を面白がってくれたのも有難くも面白かったです。わたしはプラグマティストなので、原理や理論はわからなくても効果があるものは何でもやるべきだという一種の方便主義者です。あの手この手を使って事態を打開し良い方向へ持って行ければいい、また、たとえ悪い事態でもそこから学ぶものもあるはずだというのが基本的な生き方です。この世を生き抜いていくために、そしてどんな環境にあっても力強く学びながら生き延びていくためにはプラグマティズム的な神道と仏教が必要だとも思っています。神道は「むすびと修理固成」のプラグマティズム。仏教は無常と方便のプラグマティズム。両方大事というのが、神仏習合諸宗共働プラグマティストであるわたしの立場です。

 ところで、昨日は、NPO法人東京自由大学でこれまた面白い講座がありました。浪曲師の玉川奈々福さんの浪曲講演とトークがあったのです。連続講座「異界の声、常世の歌」の第1回めの催しの「宗教と芸能の魂〜浪曲の来た道」です。メインゲストは玉川奈々福さん、そして曲師の沢村豊子師匠。奈々福さんは浪曲の歴史を紐解きながら、「浪花節更紗」を実演してくれました。正岡容原作の明治20年代を舞台にした浪花節修業の青春物語でした。

 浪曲を生で聴くのは初めてで、大変面白く、興味深く聴きました。玉川奈々福さんは上智大学文学部哲学科だったかの卒業生で、卒業後25年近く筑摩書房の編集者として志村ふくみさんや石牟礼道子さんなどの本を作ってきた、大変ユニークな経歴を持っている浪曲師です。来週行なう上智大学の学部での「日本の宗教と文学Ⅰ」と「宗教思想の構造」と大学院の「宗教と平和研究」の授業で、上智大学OBの玉川奈々福さんの活躍をぜひ紹介したいと思っています。

 奈々福さんの実演の表情、語り、謡い、唸り、こぶし、身振り、また三味線や掛け声や合いの手、それに加えて観衆の掛け声、それらすべての相関・相乗により、浪曲ダイナミズムが会場に脈打ち、横溢し、包摂していました。とても活き活きとした豊かな不思議なあおぞら銀行オアシスルームの時空間でした。

 奈々福さんとは、「俳優(ワザヲギ)」論、異類間コミュニケーション、草木虫魚の声のことなど、いろいろと話をし、浪曲芸が庶民の苦しみの中の悲哀を突き抜けていく寄り添いの芸能であることなど、まさにグリーフケアやスピリチュアルケアやカタルシス効果を持つことが確認できたと思います。浪曲は明治時代に成立した新しい芸能です。しかし同時に、神楽や狂言や説教節や歌舞伎や講談や落語などの伝統芸能のエッセンスを取り込んだ総合語り謡い芸ですね。

 玉川奈々福さんの浪曲も見事でしたが、沢村豊子師匠の三味線と掛け声も実に見事というか繊細微妙で色気があり、感心しました。唸りました。NPO法人東京自由大学の次回の連続講座「異界の声、常世の歌」は5月11日(土)に行なわれます。次回は映像人類学者の川瀬慈さんと作家の姜信子さんが「流浪のうたびと〜アフリカの吟遊詩人、さまよい安寿」をトークします。これまた刺激的で、面白い事、間違いありません。 【詳しくはこちらの 講座-ゼミ-シンポジウム(異界の声-常世の歌 第2回)

 ところで、4月になって、イースターの最中の15日、パリのノートルダム寺院の大聖堂の尖塔が焼け落ちるという考えられない事態が起こりました。まさにセーヌ川はわたしの故郷であり、シテ島は産湯を使ったところなので、非常に深いところに突き刺さりました。また、本日21日、スリランカのホテルやキリスト教の教会で自爆テロ事件と思われる爆発が起こり、200人を超える犠牲者が出た模様です。「平成」の最後の最後で起こった2つの痛ましい出来事ではありますが、「令和」の時代、わたしはひたすら「靈輪・霊和」を求め、実現していく道を探り、生きていきたいと思います。「礼輪」づくりのShinさんと「靈輪・霊和」づくりのTonyのコンビで、この凍結していきそうな時代に燈火を掲げ続け、さらにさらにおもろくたのしくいきいきしたことをやらかしましょう! いっそうよろしくお願いします。

 2019年4月21日 鎌田東二拝