シンとトニーのムーンサルトレター第247信(Shin)
鎌田東二ことTonyさんへ
Tonyさん、こんばんは。今日9月8日の未明、日本全国で皆既月食が見られました。太陽と地球と月が一直線に並び、満月が地球の影に完全に覆われる現象です。7日の夕方に昇った満月が、8日に日付が変わったあと1時27分に欠け始め、完全に月が地球の影に入る皆既は、2時30分から3時53分まで、その後4時57分に部分食が終わるスケジュールでした。約3年ぶりの皆既月食で、前回は2022年11月8日でした。
ムーンサルトレター第200信
前回の皆既月食の件は、ムーンサルトレター第200信で紹介されています。その記念すべき第200信に、わたしは「Tonyさん、わたしたちのムーンサルトレターがついに200信になりましたよ。丸16年8カ月もこの満月の文通が続いていることは、快挙というか、偉業というか、異形というか、奇行というか、とにかく凄いことであると思っております。次は丸20年の240信を目指したいものですが、今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます」と書きました。240信という目標を達成した喜びと、Tonyさんがもうこの世におられない寂しさを共に感じています。
今夜は美しい満月が上っています。月の居心地はいかがですか? いつもは「Tonyさん、いま、どこにいますか?」とムーンサルト1人レターを書きだすわたしですが、今回は書きません。なぜなら、Tonyさんはいま、月にいることを知っているからです。なぜ、知っているかというと、「月への送魂」でわたしがTonyさんの御霊を霊座(レーザー)光線に乗せて月に送ったからです。
「リメンバー・フェス」の主催者挨拶
9月6日の夜、北九州市八幡西区のサンレーグランドホールで新時代の供養イベントである「リメンバー・フェス」が開催されました。盆踊りの後、わたしは浴衣姿で櫓の上にあがり、ご来場のお客様に主催者挨拶をしました。すると、MCから「社長、この後は“月への送魂”も行っていただけると伺いましたが・・・・・・?」の言葉がありました。そうです。今夜、盆踊りの後に行われるのが、このフェスの“クライマックス”とも言えるセレモニー、「月への送魂」です。故人への想いを“光の矢”に乗せて月へと届ける儀式であり、宗教や形式にとらわれず、誰でも気持ちを届けられる「新しい供養のかたち」です。
わたしは、「今夜、みなさまの想いと一緒に、わたしたちがとくに月に光を送りたい人が2人がいます。1人は、昨年9月20日に亡くなった、わたしの父であり、サンレーの創業者である佐久間進名誉会長です。『人を大切にすること』『感謝をかたちにすること』を生涯貫いた人でした。ときに厳しく、でも心の奥はとても優しく、社員や地域の人々を家族のように想っていました。まさに“太陽のような存在”でした。父が旅立って、まもなく1年になります。このフェスも、本当は父と一緒に見たかったです。今夜は、このフェスを見せてあげるつもりで、感謝とともに光を月へと送ります」と言いました。
Tonyさんの話をしました
また、わたしは「そして、もう1人は、今年の5月30日に亡くなられた、京都大学名誉教授で日本を代表する宗教哲学者の鎌田東二先生です。わたしの師であり、同志であり、魂の義兄弟でした。サンレー社歌を作って下さった方です。鎌田先生が提唱する『明るい世直し』を目指して共に歩んでまいりました。また、『死を明るく語ること』『亡き人を想い、祈ることが、いまを生きる力になる』といった考え方を、先生は伝えて下さいました。鎌田先生も旅立たれ、本当に寂しくなりました。しかしながら先生から頂いた数々の教えは、これからもわたしたちの光となり、道しるべとなると信じています。今夜、わたしは先生への『ありがとう、ずっと忘れません』という深い感謝の想いも、しっかりと光に込めて送ります」と言いました。
月への送魂
月は死者の霊魂が赴く死後の世界だからです。多くの民族の神話と儀礼において、月は死、もしくは魂の再生と関わっています。規則的に満ち欠けを繰り返す月が、死と再生のシンボルとされたことは自然です。「月への送魂」のプレ・ムービーが流れた後、皇産霊神社の瀬津隆彦神職が登場、魂弓(たまゆみ)を射って、送魂の儀を行いました。「魂弓を祈りを込めて引きつらむ 光の矢をば月に送らむ」という庸軒道歌が披露されました。そして、第一子を授かったばかりの瀬津神職が持つ神弓から発せられたレーザー(霊座)光線が夜空の月に到達すると、満場のお客様から盛大な拍手が起こりました。
Tonyさんの遺影を持って
「月への送魂」は、21世紀にふさわしいグローバルな葬儀の“かたち”であると思います。何より、レーザー光線は宇宙空間でも消滅せず、本当に月まで到達します。わたしは「霊座」という漢字を当てましたが、実際にレーザーは霊魂の乗り物であると思います。「月への送魂」によって、わたしたちは人間の死が実は宇宙的な事件であることを思い知るでしょう。父とTonyさんも、きっと喜んでくれたのではないかと思います。わたしは、「死は不幸ではない]」ことを示す「月への送魂」の普及に、死ぬまで、そして死んだ後も尽力したいです。
『満月交命 ムーンサルトレター』(現代書林)
それから、Tonyさん、ビッグニュースです!
このムーンサルトレターの内容を掲載した、わたしたちの最後の共著『満月交命 ムーンサルトレター』(現代書林)の見本がついに出たのです。発売日はもう少し先ですが、13日に開かれる鎌田東二百日祭「かまたまつり」で来場者の方々にお配りしたいと考えています。なんと、788ページあります。まさに鈍器本です。いや、枕本というべきでしょうか。本書を枕にして寝れば、鎌田先生の夢を見ることができるでしょうか?
『満月交命 ムーンサルトレター』の帯
本書の帯には「満月文通240信」「20周年達成!!」「鎌田東二バク転神道ソングライター」「一条真也 儀礼文化イノベーター」「生命・使命・天命の交信!」「渾身の書評(7万字)『日本人の死生観Ⅰ/Ⅱ』全文掲載」と書かれています。
本書の帯の裏
帯の裏には、「新型コロナの流行、東京オリンピック開催、長女の結婚、父・佐久間進の逝去・・・・・・一条真也は、公私にわたる話題を縦横無尽に語り合いながら、激動の2020年代を鮮やかに描き出す。そして――244信、魂の義兄弟・鎌田東二自身が旅立ち、その交信は終わりを遂げた。20年以上にわたった、世に類を観ない画期的な二人の交信は、永遠へとつながっていく」と書かれています。
本書の「目次」
本書の「目次」は以下の通りです。
「まえがき」一条真也
第181信
ウイルス感染映画3本 オンライン授業
第182信
新型コロナ、第二波 著作100冊達成
第183信
『心ゆたかな社会』 熊本県球磨川流域での大洪水
第184信
コロナ下の月次祭 新型コロナ感染拡大
第185信
前川清さんとの出会い コロナ時代をどう生きるか
第186信
『満月交心』刊行 「アニマの鳥」
第187信
書肆ゲンシシャ 昔語り
第188信
『鬼滅の刃』 航空券もホテル代もパー
第189信
猪の出現 『荘子』とA・J・ヘッシェル
第190信
コロナ禍の「祭り」と「祈り」
「宇宙の果て」とは何か?
第191信
ムーンサルトレターのリニューアル
フランシスコ教皇
第192信
宇宙旅行の公募 オリンピックと感染
第193信
東京五輪の開催 最悪のシナリオ
第194信
ぼったくり男爵 「災難教育」の経験智
第195信
オリンピックの中止を願う 映画の撮影
第196信
東京五輪の開会式 天皇の開会式参加
第197信
感染大爆発 コロナ禍と自然災害
第198信
「老人クラブ」が減少 「優等生」という問題
第199信
「DUNE/デューン 砂の惑星」
「スピリチュアル・ファンタジー」
第200信
「ほぼ皆既」な月食 何事も「楽しく」
第201信
「日本人と死生観」シンポジウム
「悲とアニマ~いのちの帰趨」
第202信
サービス業からケア業へ
でたらめ・でまかせ・でかせぎ
第203信
ABCクッキー 日本経済新聞のコラム
第204信
グリーフケア最終講義 神道ソングライター
第205信
SDGs奨励賞を受賞 出雲の旅
第206信
「シン・ウルトラマン」 常神半島
第207信
長女の結婚披露宴 TAO塾でのトーク
本書の「目次」
第208信
安倍元首相銃撃事件
「旧統一教会(世界家庭平和統一連合)」問題
第209信
加地伸行先生の講演会
神話を科学し、科学を神話する
第210信
稲盛和夫氏、死去 ノマドフーテン芸能民の血
第211信
アントニオ猪木、死去 小熊秀雄という詩人
第212信
皆既月食 大本信徒との会食
第213信
『心ゆたかな映画』と『葬式不滅』
クラウドファンディング
第214信
「レッドシューズ」舞台挨拶 ムスタキ涙事件
第215信
Share金沢 還暦者と中期高齢者
第216信
WCの具体的実現 江戸時代のWC
第217信
小倉で対談 ステージ4のガン
第218信
『供養には意味がある』 「供養の意味」論
第219信
還暦祝い 「ロックンロール神話考」
第220信
『悲嘆とケアの神話論』
「顕神の夢」展のオープニング鼎談
第221信
青木新門の墓参り 映画「君たちはどう生きるか」
第222信
「顕神の夢」展 「宇宙一元サンレー世界」
第223信
映画「君の忘れ方」 「横尾龍彦 瞑想の彼方」
第224信
父の米寿祝 ガン遊詩人北海道の旅
第225信
『古事記と冠婚葬祭』 京都の森
第226信
秋篠宮皇嗣妃殿下 激動の2023年
第227信
炎の正月 正月元日の地震
第228信
能登半島の珠洲市訪問 能登地震の教訓
第229信
第96回アカデミー賞
「平田篤胤学校・氣吹舎」の学頭
第230信
映画「オッペンハイマー」 人生終盤の「和解」
第231信
R&Rツインブックス 空海への想い
第232信
玄侑宗久氏との対談 高熱の日々
第233信
映画「グリーフケアの時代に」
「日本衰滅・日本沈没」の想い
第234信
やりたいこと=やるべきこと 函館にて
第235信
冠婚葬祭文化振興財団の理事長就任
ステージ4のがん患者のライブ
第236信
父の旅立ち
「人生の目的は何ですか?」という問い
第237信
佐久間進「お別れの会」
映画「君の忘れ方」全国公開
第238信
『心ゆたかな言葉』
余分なものが削ぎ落とされて・・・・・・
第239信
『冠婚葬祭文化論』 「ポート」の手術
祝! 20周年
第240信
20周年達成! 食欲回復
本書の「目次」
「ムーンサルトレター」永遠なれ
第241信
第48回日本アカデミー賞授賞式
鎌田宅訪問
第242信
『仏と冠婚葬祭』 今年の桜
第243信
父の銅像
第244信
鎌田東二逝く
「あとがき」一条真也
追悼書評
『日本人の死生観Ⅰ/Ⅱ」評者・一条真也
満月シリーズ全6冊が勢揃い!
『満月交感 ムーンサルトレター(上)』『満月交感 ムーンサルトレター(下)』『満月交遊 ムーンサルトレター(上)』『満月交遊 ムーンサルトレター(下)』(いずれも水曜社)、『満月交心 ムーンサルトレター』(現代書林)の続編で、満月シリーズ6冊目にして完結編となります。前作同様に上下2巻に分けずに1巻としました。ですから、すごく分厚いです。なお、『満月交心』の背表紙はグリーンですが、これは鎌田先生のイメージカラーでした。そして『満月交命』の背表紙はわがイメージカラーであるパープルとなっています。
Tonyはグリーン、Shinはパープル
それにしても、ついに『満月交命』を世に問う運びとなりました。日本を代表する宗教哲学者であり、わが魂の義兄であるTonyさんと、わたし(Shin)がWEB文通の「ムーンサルトレター」を開始したのは、2005年10月18日のことでした。それから毎月、満月が夜空に上がるたびにレターを交換し、それらは『満月交感』上下巻、『満月交遊』上下巻として水曜社から、『満月交心』として現代書林にまとめられました。そして、第181信から第244信が『満月交命』にまとめられたのです。第1信から、じつに20年。正直、こんなに長く続くとは思ってもみませんでした。そのうち、この文通は永遠に続くのではないかと思うようになりました。しかし、その思いは現実のものとはならなかったのです。2025年5月30日にTonyさんが帰幽されたからです。
本書の「まえがき」
Tonyさんは、1951年、徳島県生まれです。わが‟魂の義兄“は、5月30日18時25分、ご自宅で奥様に見守られながら、その偉大な生涯を閉じられました。享年74。ステージ4のがん患者でありながら、八面六臂の大活躍でした。その元気な姿に驚きつつも、わたしは「どうか無理をしないで療養に専念してほしい」と思い続けてきました。 Tonyさんからのレターを読むたびに、わたしは「これは命の一部だ」と思いました。命とは「使命」であり、「天命」であり、何よりも「生命」です。20年ものあいだ文通が続いたことは、とりもなおさず、わたしたちが20年間生きてきたということです。わたしたちはWEB上で言葉の交換をしながら、「明るい世直し」や「天下布礼」といった、お互いの使命や天命をレターの交換によって確認し、激励し、鼓舞し合ってきました。そして、まさに生命としての「命」の交換をしてきたように思うのです。
「朝日新聞」2023年6月14日(夕刊)
「命」の輪郭をくっきりと示すものこそ「死」です。Tonyさんの遺作となった『日本人の死生観Ⅱ 霊性の個人史』の第一章「死に臨む」の「1、ステージⅣのがんになって『死を光源として即身を生きる』」では、ステージⅣのがんになってから元気になったとして、Tonyさんは「元気が出た。覚悟が定まり、余分なものが削がれて、スッキリしたことは確かだ。生のかたちがシンプルになり、いのちのいぶきに素直になったのだ。だから、ずいぶん楽になったし、ある意味、楽しくなった。というより、たのしいことしかしたくない」と書かれています。
「死は光源である」
またTonyさんは、「死は光である。死は光の元、すなわち、光源である。それは、くっきりと生を、いのちを照らしてくれる。自分の全体ばかりではなく、『在る』、ということの全体を照らしてくれる。なぜなら、死は自分の生と思っているもの、いのちと思っているものが『無い』ものとなる、なくなってしまう、消滅してしまうと思える事態だからである」とも述べられています。死ねば無に帰すと思っている人も多いです。それに対して、死んだら、肉体を離れて、自由になった霊魂がホンモノの世界に生きることになると思っている人もいます。
死生観を語る鎌田先生
それを踏まえた上でTonyさんは、「死生観も、一様ではないし、さまざまな考え方、捉え方がある。だが、死生観はさまざまだとしても、死を光源としていのちの輪郭やありようが鮮明になるということは事実である」と述べます。「死は光源である」は、鎌田先生の遺言ともいえる魂のメッセージであり、後世に残る卓越した死生観です。改めて、鎌田先生が偉大な実践思想家であったことを痛感します。その不在は、日本にとっても大きな損失です。もっともっと活躍して「明るい世直し」を推進していただきたかったのに、もっともっと語り合いたかったのに、まことに残念でなりません。
鎌田先生のお話を拝聴する
Tonyさんには言い尽くせないほど、本当にお世話になりました。父・佐久間進の通夜・葬儀告別式、お別れの会にもご参列いただき、心ある弔辞も賜りました。火葬場にまで同行して下さり、父の骨を一緒に拾って下さいました。感謝の言葉もありませんでした。生涯をかけて「明るい世直し」を目指した鎌田先生の志は、わたしが受け継ぐ覚悟です。それにしても、鎌田東二という、こんな凄い思想家と20年以上も文通させていただいたことは、わが生涯における最大の誇りであり、人生の宝である。わたしもいずれそちらに行くので、そのときはまた文通させていただきたいです。「まえがき」の最後に、わたしは「満月の 文を交はして 二十年(はたとせ)に 互いの命(めい)を 想ひ想はれ」という道歌を記しました。
本書の「あとがき」
また、「あとがき」もわたしが書きました。本来は、鎌田先生が書かれるはずでした。これまでの満月シリーズはすべてそうだったからです。しかし、鎌田先生が帰幽されたためにそれは不可能となり、わたしが代筆した次第です。ともあれ、わが魂の義兄であった鎌田先生は旅立たれました。故人は、神道、仏教、修験道、スピリチュアリズム、スピリチュアルケア、グリーフケア・・・「こころ」と「たましい」に関わる、あらゆるジャンルを自由自在に駆け巡った精神世界の巨星でした。 わたしはご逝去の翌日となる五月三一日に京都のご自宅を訪れ、魂の義兄と最後のお別れをしました。
アマゾンより
Tonyさんほど思考のスケールが大きく、また行動力のある学者はいませんでした。死の間際まで、「明るい世直し」に取り組まれました。遺作は『日本人の死生観 Ⅰ 霊性の思想史』と『日本人の死生観 Ⅱ 霊性の個人史』の二部作。本当に凄い方です! 鎌田先生は、子どもの頃の原風景に自分だけが見える「鬼」があり、不可解な夢に悩まされていたそうだ。その後、運命の書である『古事記』と出合い、神話の世界がその内面に深く根を下ろした。國學院大學で神職の資格を取得、宗教哲学や比較文明学、民俗学など幅広い分野で研究を重ねられました。
父の「お別れの会」で法螺貝を献奏する鎌田先生
京都大学こころの未来研究センター(現・京都大学人と社会の未来研究院)教授、上智大グリーフケア研究所教授、日本臨床宗教師会会長などを歴任。著書は膨大である。また、「神道ソングライター」としてCDのリリースやライブ活動も行われた。わが社の社歌「永遠からの贈り物」の作詞・作曲も手掛けて下さったのも良き思い出である。最近はステージ4のがんと公表しながら、精力的に活動された。今年に入ると、神話や伝承には地質学的・生態学的根拠があると指摘し、防災教育には地域風土記の作成が必要だと訴えた。そして、死の直前まで災害支援社会士の育成に情熱を傾けられた。
Tonyさんと最期の別れをする
改めて、Tonyさんが偉大な実践思想家であったことを痛感する。その不在は、日本にとっても大きな損失である。もっともっと活躍して「明るい世直し」を推進していただきたかったのに、もっともっと語り合いたかったのに、まことに残念でならない。ご自身の死後については「死後百日祭「かまたまつり」と名付けたお別れの会を企画し、参列者が歌や踊りで自由に表現するといった内容を、ユーチューブの「京都面白大学」の動画内で語っておられた。ちなみに、この「かまたまつり」の最高責任者である葬儀委員長はこのわたしである。Tonyさんには言い尽くせないほど、本当にお世話になった。2024年9月20日に逝去した父・佐久間進の通夜・葬儀告別式、お別れの会にもご参列いただき、心ある弔辞も賜った。そればかりか、火葬場にまで同行して下さり、父の骨を一緒に拾って下さったのである。感謝の言葉もなかった。
魂の義兄弟は永遠です!
生涯をかけて「明るい世直し」を目指したTonyさんの志は、わたしが受け継ぐ覚悟です。わたしとの往復書簡であるムーンサルトレター20周年の書籍化である『満月交命』は結果的にTonyさんの遺作となるわけですが、何とか「かまたまつり」の当日までには刊行したいと思っていました。ギリギリで間に合いました。多大なご協力をいただいた出版プロデューサーで編集者の内海準二氏には心より感謝を申し上げます。それにしても、鎌田東二という、こんな凄い思想家と二〇年以上も文通させていただいたことは、わが生涯における最大の誇りであり、人生の宝である。「あとがき」の最後に、「わたしもいずれそちらに行くので、そのときはまた文通させていただきたいと思っている。Tonyさん、その日まで、オルボワール!」と書き、「魂の兄の旅立ち 見送りて その志 継がんと誓ふ」という道歌を記しました。
『日本人の死生観』二部作の書評ページ
『日本人の死生観Ⅰ 霊性の思想史』の書評
なお、「あとがき」の後には、Tonyさんの遺作『日本人の死生観 Ⅰ 霊性の思想史』、『日本人の死生観 Ⅱ 霊性の個人史』のわたしの書評を全文掲載しました。なんと7万字もあります。わが渾身の書評であり、Tonyさんに対する最高の供養になるのではないかと思って書きました。
メモリアル・アルバム
メモリアル・アルバム
さらに、巻末には「メモリアル・アルバム」が4ページにわたって掲載されています。本書にも多くの写真が使われていますが、そこから漏れた2人の思い出の写真を集めました。じつは、最後の最後にこのアルバムに載せる写真選びをしたのですが、そのとき、初めて「ああ、もう鎌田東二はいないのだ」という事実が心に迫ってきて、わたしは大きな悲しみに包まれました。もうすぐ13日。京都の亀岡の大本みろく会館で「かまたまつり」が開かれます。
2025年9月8日 一条真也拝
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シンとトニーのムーンサルトレター第246信(Shin)
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