身心変容技法オンラインセミナーを開催します

シンとトニーのムーンサルトレター 第149信

 

 

 第149信

鎌田東二ことTonyさんへ

 Tonyさん、お元気ですか? このたびは、恐山菩提寺院代の南直哉さんとの対談本『死と生 —— 恐山至高対談』(東京堂出版)のご刊行、おめでとうございます。わたしにもご献本いただき、ありがとうございました。とても刺激的な対談本ですね。南さんについては、すでに著書『恐山——死者のいる場所』(新潮新書)を読み、興味深い方だなと思っておりました。ちなみに、同書は拙著『死が怖くなくなる読書』(現代書林)でも紹介しています。15年ほど前に一度、わたしは恐山を訪れました。Tonyさんの言われるように、「死者のテーマパーク」であると感じました。

 また、ご編著『身心変容の科学〜瞑想の科学』(サンガ)もご献本いただき、ありがとうございました。「身心変容技法シリーズ①」で、「マインドフルネスの脳科学から、共鳴する身体知まで、瞑想を科学する試み」と銘打っておられますね。2段組み440頁の大著で、最近ちょっと体調が優れなかったので、申し訳ありませんがまだ読了しておりません。それにしても、出版不況、それも人文書の冬の時代にあって、意義深い書籍を次々と世に送り出しておられることに心より敬意を表します。

 じつは、わたしも『なぜ、一流の人はご先祖さまを大切にするのか?』(すばる舎)という本を上梓いたしました(9月22日発売)。最近、出版界では「なぜ、一流の人は○○なのか?』とか『なぜ、成功する人は△△なのか?』といったタイトルの本がブームになっているようです。書店やネットを覗いてみると、○○や△△の部分はじつにバラエティに富んでおり、「ファーストクラスに乗る」とか「メルセデスが愛車」とか「別荘を持つ」といった、因果関係が逆というか、単に金持ちになることを目指す俗っぽい本が多いことに驚かされます。「これは違うのでは?」と思ってしまいます。

『なぜ、一流の人はご先祖さまを大切にするのか?』(すばる舎)

『なぜ、一流の人はご先祖さまを大切にするのか?』(すばる舎)

 わたしはけっして「一流の人」ではありません。でも、「一流の人」になりたいと願っています。また、「ご先祖さまを大切にする」ことの有効性はよく理解しているつもりです。そういうわけで、本書を書き下ろしてみました。

 親に感謝することの大切さは多くの方が理解されているでしょう。親に感謝することは、自分という存在を肯定することにほかならず、それは自我の支えとなって、もろもろの不安や不幸を吹き飛ばすことになります。これが「幸福になる法則」でなくして、何が「幸福になる法則」でしょうか。親に感謝すれば幸福になるという意外にも超シンプルなところに、「幸福になる法則」は隠れていたのです。

 人間関係を良くする「法則」の体系であった儒教においては、親の葬礼を「人の道」の第一義としました。親が亡くなったら、必ず葬儀をあげて弔うことを何よりも重んじたというのも、結局は「親を大切にせよ」ということでしょう。親を大切にするということは、すべての幸福のサイクルを作動させる初動動作なのだということを、孔子や孟子は知っていたように、わたしは思います。そして、親とは最も近い先祖にほかなりません。「いのち」のつながりを何よりも重んじた儒教では、祖先崇拝をとても重要視しました。それは「孝」という大いなる生命の思想から生まれたのです。

 わたしは経営者として、原点に戻ることをつねに忘れないようにしています。「初心に戻る」ということです。なぜこの事業を始めたのか、それを忘れないために「ご先祖さま」を大事にしています。「ご先祖さまを敬う」ことは、わたしの経営者として役割を初期化してくれます。何のために、この仕事をしているのか。何のために、この会社が生れたのか。わたしは迷ったときに、必ず神棚に手を合わせ、自問自答します。これこそ、わたしにとっての初期化にほかなりません。ご先祖さまに「この考えは間違っていませんか」と問うからこそ、わたしは道を大きく誤ることなく、これまで歩んでこられたのだと思います。

 わたしには経営者以外に、作家という顔があります。すでに90冊もの本を出版しました。なぜそんなに本を出版するのかと、よく聞かれます。別に印税がほしいわけではありません。「書きたいことがある」からです。では、何が書きたいのか——。1つは自分が経験した(本を読むことも含んで)ことを、多くの方々に伝えたいということ。もう1つは、わが志の実現のためです。わたしにとって本を出すことは、自分が考えてきたことを多くの人に知ってもらい、本を読まれた方々の参考にしてもらうための「ミッション」(使命)だといってもよいでしょう。

 「金儲けをして何が悪い」とうそぶく人がいます。他人をだましたり、法律スレスレの詐欺的行為を働いたり、倫理的に問題がある行動をしても、「結果的に金が儲かればいい」と言うひとがいるのです。そういう人は、「自分は先祖である」という自覚のない人ではないでしょうか。説明しますと、自分が子どもや孫や子孫をもつ「ご先祖さま」になることを自覚すれば、またはイメージすれば、悪どい金儲けなどは絶対にできないはずなのです。

 また、わたしは作家でもありますので、本を書く場合を考えてみましょう。わたしの本は、いつも自分が希望しているほどには売れません。それでも、ありがたいことに、今でも執筆依頼が絶えないということは、そこそこは売れているみたいです。でも、「この本をベストセラーにして多額の印税を得たい」と思ったことは一度もありません。いつも、「この本の出版によって、世の中を少しでも良くしたい」と思って書いています。いくら綺麗ごとのように思われても、本当のことですから、仕方ありません。

 ひとたび作家の手によって生み出された作品は、死後も他人から読まれる運命にあります。わたしは作家として、これまでに多くの本を書いてきました。本を上梓するにあたって、いつも思っていることがあります。それは「この本は娘たちや、孫や、子孫が読むかもしれない。彼らが読んでも恥ずかしくない本を書こう。彼らが一条真也を少しでも誇りに思ってくれるような本を書こう」ということです。

 本というものは、少々不正確なことでも言い切ったり、極論を述べたり、面白おかしくウソを混ぜたり、読者を脅迫したりしたほうが読まれることが多々あります。この本ならば、「先祖供養をすれば、年収が倍になる」とか、「先祖供養をしないと、祟られる」などと書いたほうが売れる可能性があるかもしれません。でも、わたしはそんなことは書きません。それはウソですし、ウソを書くことは読者に対して不誠実なばかりか、わたしの子孫に対しても顔向けができないからです。「金儲けをして何が悪い」などと言う人は、どうか、未来の子孫の顔を思い浮かべてほしいです。

 それから、わが社にとって非常に嬉しい出来事がありました。9月29日、わが社の創業の地に建つ松柏園ホテルの新館「VILLA LUCE(ヴィラルーチェ)」がついに完成し、9月29日の11時から竣工清祓御祭が行われたのです。一連のサンレー創立50周年記念事業の総仕上げです。JR小倉駅から車で5分のアクセスに恵まれた立地でありながら、スタイリッシュ&リゾートをコンセプトにした開放感溢れる空間を実現。太陽の光(ルーチェ)、水、緑、空、自然の5つのエレメンツをふんだんに取り入れ駅近とは思えないリゾート感溢れる非日常空間が広がります。また、新館だけでなく松柏園ホテル本館エントランスも国道沿いへ移動しました。全長約70メートルの外観は、視認性を高めオープン効果を最大限に発揮しブランドの再構築を図ります。

完成したNEW「松柏園ホテル」

完成したNEW「松柏園ホテル」竣工式で道歌を披露する

竣工式で道歌を披露する

 竣工式では、わたしが主催者挨拶をしました。わたしは、まずは「このように立派な冠婚施設を建設できて、本当に嬉しく思います。これで、会員様に満足のゆくサービスを提供することができます。ぜひ、最高のサービスを提供させていただきたいです。北九州の方々が幸せな結婚式をはじめとした、さまざまなお祝いをされるお手伝いをさせていただきたい」と挨拶しました。それから、次のようにも述べました。

 わたしは「祝う」という営み、特に他人の慶事を祝うということが人類にとって最重要であると考えています。なぜなら、祝いの心とは、他人の「喜び」に共感することだからです。他人を祝う心とは、最高にポジティブな心の働きであると言えるでしょう。よく、「ありがとうございます」が最強の言霊(ことだま)であると言われますが、「おめでとうございます」はそれ以上のパワーを秘めています。なぜなら、「ありがとう」はレシーブですが、「おめでとう」はサーブだからです。そして、心のサーブとレシーブの応酬が絶えない社会を「ハートフル・ソサエティ」というのです。

 「祝い」という行為には、ものすごい力があります。「祝」に似た字に「呪」がありますが、どちらも「兄」とつきます。漢字学の第一人者だった白川静によれば、「呪」も「祝」も神職者に関わる字であり、「まじない」の意味を持ちます。「呪い」も「祝い」も、もともと言葉が「告(の)る」つまり「言葉を使う」という意味であり、心の負のエネルギーが「呪い」であり、心の正のエネルギーが「祝い」ということです。ネガティブな「呪い」を解く最高の方法とは、冠婚葬祭に代表されるポジティブな「祝い」を行うことなのです。

 いま、世界も日本も「呪い」の応酬の中にあります。北朝鮮とアメリカ、自民党と野党連合・・・・・・それぞれが相手を完全破壊すべく、呪いを仕掛け合っています。ネット社会の中でも、さまざまな誹謗中傷といった呪いが蔓延しています。このような暗闇を明るく照らすことができるのは太陽の光だけです。太陽光は英語で「サンレー」、イタリア語で「ルーチェ」といいます。そう、ヴィラルーチェとは「太陽の光の館」を意味します。

 日本の神話である『古事記』には「天の岩戸」が登場しますが、ヴィラルーチェは「天の館」です。ここから、北九州を、日本を、世界を明るく照らす「祝い」の光を放ちたいと思います。ここで行われる結婚披露宴のみならず、長寿祝い、厄除け祝い、還暦祝いなどが開かれ、多くの方々が参加されることでしょう。これからも、「おめでとう」と「ありがとう」の声が行き交うハートフル・ソサエティの実現をめざしたいものです。そして最後に、わたしは「暗闇を照らす祝いの光あれ 温故知新の天(あま)の館よ」という道歌を披露しました。

「隣人祭り・秋の観月会」にて

「隣人祭り・秋の観月会」にて「中秋の名月」に「霊座」光線が届く!

「中秋の名月」に「霊座」光線が届く!

 サンレーでは、太陽とともに月を大切にしています。「中秋の名月」だった4日の夜、「隣人祭り・秋の観月会」が北九州市八幡西区の「サンレーグランドホテル」で開催されました。恒例の「月への送魂」も行われました。夜空に浮かぶ月をめがけ、故人の魂をレーザー(霊座)光線に乗せて送るという「月と死のセレモニー」です。死後の世界のシンボルである月に故人の魂を送る「月への送魂」は、21世紀にふさわしいグローバルな葬儀の“かたち”だと思います。かつて、わたしは「ただ直き心のみにて見上げれば 神は太陽 月は仏よ」という歌を詠んだことがありますが、太陽をサムシング・グレートそのものであり、言い換えれば「神」であると思っています。また、同じく月もサムシング・グレートそのものであり、言い換えれば「仏」と思っています。これからも、太陽と月、そしてご先祖さまを常に意識しながら、生きていきたいです。

 それでは、Tonyさん、次の満月まで!

2017年10月6日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 Shinさん、ムーンサルト・レター、ありがとうございます。一昨日の10月4日は中秋の名月でしたね。その夜、サンレーグランドホテルで、「隣人祭り・秋の観月会」を行ない、恒例の「月への送魂」を行なったこと、何よりです。わたしも一度、招かれて、「月への送魂」の儀式に参加したことがありました。満月に向かって、故人の魂をレーザー(霊座)光線に乗せて送るという前代未聞の「月と死のセレモニー」! つくづく、佐久間さん親子はアイデアマンだと思います。すばらしい!

 ガンガン・ドンドン、意義あるおもろいことをやって、「楽しい世直し」を実現していきましょう! 創造力を全開していくこと、基本を大事にしつつも、次代の流れの中で、常に臨機応変で臨むこと。宮本武蔵の二天一流の極意です。宮本武蔵は、熊本の霊巌洞の洞窟に籠って書き上げたといわれる『五輪書』水の巻の中で、「五つ構え」について述べていますが、戦いの現場においては、流れを見ながら「臨機応変」に構えを変えていくことを解いています。柔軟な「臨機応変力」がなかったら、宮本武蔵は吉岡道場一門との決闘にも、佐々木小次郎との決闘にも敗れて死んでいたことでしょう。

 我が家の近くに、「一乗寺下り松」というところがありますが、そこが宮本武蔵が吉岡一門と決闘した場所だと吉川英治は小説『宮本武蔵』の中で書いています。宮本武蔵は『五輪書』地之巻の冒頭に、「九州肥後の地岩戸山に上り、天を拝し、観音を礼し、仏前にむかひ」とも、「此一流の見たて、実の心を顕はす事、天道と観世音を鏡として、十月十日の夜寅の一てんに、筆をとつて書初むるもの也」と記しています。

 Shinさんの『なぜ、一流の人はご先祖さまを大切にするのか?』(すばる舎)ではありませんが、おそらく、宮本武蔵も「ご先祖さま」を大切にしたと思います。が、「仏神は貴し、仏神を恃まず」(『独行道』)という自力の極みを行った先人でもあります。これまでわたしは宮本武蔵に興味と敬意を抱いてきました。彼の戦いぶりと剣術思想をもっともっと具体的に知りたい、学びたい、という気持ちがあります。

 ところで、Shinさん、改めて、『なぜ、一流の人はご先祖さまを大切にするのか?』のご出版、まことにおめでとうございます。「神仏習合諸宗共働フリーランス神主」のわたしの考えでは、先祖崇拝は、遡れば、生命崇拝となり、自然崇拝、宇宙崇拝、存在崇拝に行き着くと思っています。ですから、先祖崇拝と自然崇拝は対立したり矛盾したりするものではなく、それどころか、表裏一体というかグラデーションを成している連続体であると思っています。わたしの中には一番深いところに、自然崇拝というか、自然や存在への畏怖の念がありますが、それはそのまま先祖崇拝につながっていると感じています。

 さて、「作家」としての「一条真也」さんの活動ですが、サンレー社長佐久間庸和と作家一条真也の両立は、自然崇拝と祖先崇拝との表裏一体の関係のように、連続し補完し表裏を成している一体のものだと思っています。ですので、誰に何と言われようと、両立をしてほしいと願っています。というより、誰にも、どんな文句も言えないくらいに、説得力のある形で「文武両道」ならぬ、「文礼両道」を貫き、実現してほしいと期待しております。

 Shinさんなら、必ずそれができるはずです。空海のようなマルチプレーヤーが必要です、乱世には。あの手この手を使って、さまざまな「方便力」を使い、活かし切って「楽しい世直し」を実現成就していくのがミッションですので。ぜひとも、文句のつけられない「文礼両道」を全うしていただきたくお願い申し上げます。

 が、体は一つですので、くれぐれも御身大切にご活動ください。

 この間、わたしの方は、学会やら新学期が始まるやら、1年半ぶりのライブを行なうやらで、てんやわんやの忙しさでした。その忙しさはまだ続いています。ライブは、ほびっと村で行ないました。日本のヒッピー文化、オルタナティブ文化、ニューエイジ文化の拠点といえる街中のビレッジ(村)です。

ほびっと村でのライブは、15年ぶりくらい。で、ソロで6曲。
①祭り
②鎮魂能舞 北上 短縮版3曲〜 1)北上、2)夢にまで見た君ゆえに、3)神
③犬も歩けば棒に当たる
④神ながらたまちはへませ

そして、6人編成のバンドで6曲。
①フンドシ族ロック〜フンドシ黙示録
②虹鬼伝説
③君の名を呼べば
④銀河鉄道の夜
⑤なんまいだー節
⑥弁才天讃歌

 バンドは6人編成だったのですが、バンドのサウンドはやはりいいですね。みんなに助けられ、乗せられ、運ばれました。一人でやるよりずっと楽で、楽しくて、ノリがよい、とつくづく感じました。最初から最後まで、いっぱいいっぱい間違えましたけどね。中でも、久しぶりに歌った「虹鬼伝説」は、歌いながらもジーンと来ました。これは大重潤一郎監督との出会いなども含めて、流れ者、外れ者の身心変容と救済の歌でもあります。1999年に作詞作曲したものです。今から約20年前。

虹鬼伝説

昔昔その昔 東の国のその果てに 一人の鬼が住んでいた
やさしいやさしいその鬼は 怖い怖い顔だった
だから誰もが逃げてった

なぜなぜ どうして なぜなぜ 逃げてくの
僕と一緒に遊んでよ 僕は独りでさみしいよ

昔々その昔 孤独な鬼は旅をした 友を求めて旅をした
淋しい淋しい心には きれいなきれいな虹の橋
だけど誰にも見えなかった

なぜなぜ どうして なぜなぜ 逃げてくの
僕と一緒に遊ぼうよ 僕は独りでいたくない

孤独な鬼は涙した 友を求めて涙した どこにも友はいなかった
独り淋しく涙した この世の果てで涙した
流す涙が枯れるまで

鬼 鬼 どうしたの なぜなぜ 泣いてるの
わたしも独り さみしいの わたしも鬼よ さみしいの

昔々その昔 孤独な鬼は鬼と会った この世の果てで友と会った
うれしいうれしい出会いだった この世のものとは思えない
きれいなきれいな鬼と会った

鬼 鬼 どこまでも 鬼 鬼 いつまでも
二人でいっしょに生きてゆく 二人の鬼は生きてゆく

昔々その昔 孤独な鬼は友と会って 二人でいっしょに虹になった
やさしいやさしいその鬼は きれいなきれいな虹になった
二人でいっしょに虹になった

虹 虹 どこまでも 虹 虹 いつまでも
心に虹を架けようよ 虹の橋を架けようよ
虹 虹 いつまでも 虹 虹 どこまでも
心をつなぐ虹の橋 世界をつなぐ虹の橋
心をつなぐ虹になれ 世界をつなぐ虹になれ

 ほびっと村でのライブで、ソロの身心変容とバンドの身心変容は全く異なるということに改めて気づきました。ソロは孤独で、純潔な感じ。対して、バンドは、仲間と共にある安心感があって、猥雑で野生的な感じ。どちらも捨てがたい魅力があります。

 ・・・、と、ここまで書いて、レターが中断。そのまま、3日も経ってしまいました。申し訳ありません。とにかく、忙しく、慌ただしく、いろんなことに取り組んでいるので、分断されてしまいます。体は一つですので、分身の術も効かず、一つ一つ地道に取り組んでいくしかありません。

 さて、これからのことですが、10月は学会やらシンポジウムやらが目白押しです。10月15日(日)には、綾部で新日本研究所のシンポジウム「音霊と言霊—歌の力と癒し」があります。宗教学者の島薗進さんや作曲家の新見徳英さんたちと一緒です。上智大学グリーフケア研究所所長の島薗進さんは、任意団体の新日本研究所の所長でもあります。これはボランティア活動です。

 続いて、10月21日(土)・22日(日)には、人体科学会第27回大会が上智大学で開催され、実行委員になっています。2日目、22日のシンポジウム「宗教・スピリチュアリティ・身体」の司会も務めます。

人体科学会第27回大会「身体と教育」

人体科学会第27回大会「身体と教育」

 それが終わって、翌週の土曜日、10月28日には、多摩美術大学芸術人類学研究所との合同特別シンポジウム「大地の記憶を彫る」を行ないます。鶴岡真弓さんや安藤礼二さんと一緒です。

合同特別シンポジウム「大地の記憶を彫る」
日時:2017年10月28日(土)13時〜17時30分
会場:上智大学四谷キャンパスソフィアタワー・1階ホール(6号館101ホール、782席)
主催:上智大学グリーフケア研究所身心変容技法研究会(科研)+多摩美術大学芸術人類学研究所
テーマ:「大地の記憶を彫る〜スカンジナビア・アイルランドのロックカービングと身心変容」
講演者:
 齊藤五十二(書道家・東華書院会長・ロックカービング拓本採取者・所蔵者)「スカンジナビアのロックカービングと、アイルランドの石に刻まれた図象」30分
 鶴岡真弓(多摩美術大学芸術人類学研究所所長・美術史・ケルト芸術文化研究)「アイルランドのケルト十字架:生命再生の螺旋と円環」30分
 安藤礼二(多摩美術大学教授・文芸評論家)「造形的思考の起源:アンドレ・ルロワ=グーランと日本」30分
 石井匠(國學院大学博物館学芸員・岡本太郎記念館客員研究員)「石と人:岡本太郎が観想した反転の「生物ピラミッド」」30分
 鎌田東二(上智大学グリーフケア研究所特任教授)「アイルランド・ケルトと日本・神道の身心変容技法〜ドゥルイドと修験者」30分
総合討論:90分
 齊藤五十二・鶴岡真弓・安藤礼二・石井匠・鎌田東二(コーディネーター・司会)
入場無料(予約は必要ありませんので直接会場にお越しください)
協力:河合早苗(デザイナー)・松本貴子(映画監督)
合同特別シンポジウム「大地の記憶を彫る」

合同特別シンポジウム「大地の記憶を彫る」

 とまあ、こんな調子ですが、この半年、体調が完全でないのですが、何とかやっています。

 Shinさんもわたしも相応の年齢になってきましたので、お互いに体の調子には気を配りながら、しかし、この世での「楽しい世直し」の務めを、楽しく、愉快に、豊かに進めていきたいと思っていますので、今後ともよろしくお願いします。

 そうそう。最近、徳島新聞にこんな記事を書きましたよ。いよいよわたしも、蔵書の行方を見定める時期に入ってきています。

徳島新聞2017年10月2日付け朝刊記事

徳島新聞2017年10月2日付け朝刊記事

上智大学公開講座 ソフィア・コミュニティ・カレッジ2017 秋期講座一覧 こころとからだのケア学

上智大学公開講座 ソフィア・コミュニティ・カレッジ2017 秋期講座一覧 こころとからだのケア学

 それでは、次の満月の夜まで!
 2017年10月9日 鎌田東二拝