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シンとトニーのムーンサルトレター 第059信

第59信

鎌田東二ことTonyさんへ

 また満月の夜が来ました。九州は大雨ですが、わたしは今、東京にいます。前回のレターは沖縄からでしたが、あれから政局は急転回しましたね。鳩山由紀夫首相が退任して、菅直人新首相が就任しました。その就任会見で、菅首相はまず最初に、「最小不幸の社会」をめざすと述べました。鳩山前首相の「友愛社会」に代わるスローガンのようです。

 「最大幸福」という言葉は聞いたことがありますが、「最小不幸」というのは聞き慣れない言葉です。でも、わたしは非常に興味深く感じました。菅新首相は、恋愛だとか絵を描くのが好きとか、そういった個人の「幸福」の部分には政治は立ち入るべきではない、むしろ世にはびこる「不幸」をなくすのが政治の目的だと語りましたが、この言葉には共感をおぼえました。たしかに、政治がめざすのは、「幸福の最大化」ではなく、「不幸の最小化」かもしれません。

 現在の日本において、明るい展望は見えないと多くの人々が思っています。実際、日本人の心には非常ベルが鳴っていると思います。98年以降、自殺者数が12年連続して3万人を上回り、大きな社会問題となっています。かつて交通事故による死者が1万人を超えたとき、大きな社会問題ととらえられ、これを減らすためのさまざまな対策が講じられました。交通事故死に対する保険などの経済的なシステムが構築されるなど、これが緊急事態なのだという共通認識がありました。そのことを考えても、自殺者が交通事故死亡者の6倍以上という数字を記録し続けているのは、まさに異常事態なのです。しかも自殺者の性別を見ると、男性が全体の70パーセント以上を占め、年齢別では圧倒的に50代〜60代の中高年男性の自殺が多い。

 そして、その最大の原因は「うつ病」とされています。本来なら、50代、60代の男性は、さまざまな人生経験を積み、職場でも家庭でも頼りになる存在として若い人々から尊敬され、成熟の時期を迎えているはずです。ところが、長引く不況や、将来が見通せない社会状況を色濃く反映し、不況による倒産やリストラなどが引き金になって「うつ状態」に陥り、やがて自殺に踏み込んでしまう例が跡を絶たないのです。

 「うつ病」といえば、「心の病」の代表とされています。ワールドカップのカメルーン戦での日本勝利で紙面が埋め尽くされた6月15日付「読売新聞」に「心の病」に関する記事が載っていました。厚生労働省が、234名の精神疾患の患者を労災認定したというのです。その前日の午後、わたしは写真週刊誌「FLASH」(光文社)の取材を受けました。拙著『葬式は必要!』(双葉新書)についての取材ですが、7月6日発売号に掲載されるそうです。その取材の際に、女性記者から「どうして、葬式は必要なんですか?」と質問されました。わたしは、いくつかの理由を答えましたが、その中で「葬式をしなかったら、心の病が増える」と発言しました。

 葬儀の大きな役割に、「悲しみの処理」というものがあります。これは残された生者のためのものです。残された人々の深い悲しみや愛情の念を、どのように癒していくかという処理法のことです。通夜、葬式、その後の法要などの一連の行事。それらは、遺族にあきらめと決別をもたらしてくれます。愛する者を失った遺族の心は不安定に揺れ動いています。そこに儀礼というしっかりした形のあるものを押し当てる「不安」をも癒します。

 親しい人間が消えていくことによって、これからの生活における不安。その人がいた場所がぽっかりあいてしまい、それをどうやって埋めたらよいのかといった不安。残された者は、このような不安を抱えて数日間を過ごさなければなりません。心が動揺していて矛盾を抱えているとき、この心に儀式のようなきちんとまとまった「かたち」を与えないと、人間の心はいつまでたっても不安や執着を抱えることになります。これは非常に危険なことなのです。つまりは、「うつ病」などの「心の病」へと至る可能性が高いのです。人間はどんどん死んでいきます。この危険な時期を乗り越えるためには、動揺して不安を抱え込んでいる心にひとつの「形」を与えることが大事であり、ここに、葬儀の最大の意味があると思っています。

 さて、6月21日、新しい「癒しの空間」をオープンしました。北九州市八幡西区にある高齢者複合施設「サンレーグランドホテル」内の「ムーンギャラリー」です。「ムーンギャラリー」の機能は主に3つ。第1に、葬儀の事前相談窓口としてのフューネラルサロン機能。費用や演出の内容などを含め、自分の葬儀は自分で決める時代です。伝統的な仏式葬儀はもちろん、館内に神社や教会を備えた「北九州紫雲閣」ならではの神葬祭、キリスト教式、あるいは自然葬、宇宙葬、手元供養まで、あらゆる葬儀の相談が可能な窓口です。

 第2に、ご遺族の悲しみを癒すグリーフケア・サポート機能。葬儀後のご遺族の会「月あかりの会」を中心に、さまざまなセレモニーやイベントなどを通じて、グリーフケア・サポートを行います。また、専門家のよるカウンセリングなどもお世話します。

 第3に、供養関連商品を展示販売するメモリアル・ショップ機能。自分なりの祈りの形、新しい供養の形を個々のライフスタイルにあわせられるように100種類以上の厳選された商品をラインナップし展示・販売を行います。「癒し」をコンセプトにした空間で、ゆっくりと手に取り選んでいただけるような店内となっています。各種ロウソクや線香、手元供養のペンダントなどをはじめ、数多くのオリジナル・グッズを揃えました。わたしの著書を中心に書籍のコーナーもあります。また、本名の佐久間庸和で発刊したブックレットやオリジナル・ポストカードがすべて揃っており、こちらは無料で持ち帰り自由です。

 この「ムーンギャラリー」が、一人でも多くの方の悲しみを癒すお手伝いができることを心より願っています。なお、わが社では、北九州市八幡西区の1号店をはじめ、今年9月には北九州市小倉北区の「小倉紫雲閣」隣接地に2号店となる独立店舗をオープン、さらには紫雲閣グループの各拠点に「ムーンギャラリー」の展開を図って行く予定です。

 そして、ムーンギャラリーのオープンとあわせて、念願であったグリーフケア・サポートのための会員制組織をスタートしました。愛する方を亡くされた、ご遺族の方々のための会です。「月あかりの会」という名前にしました。現在、「サンレーグランドホテル」を舞台に活動するNPO法人ハートウェル21・隣人むすびの会(会員2300名)、旅講(会員950名)、カルチャー教室44(会員860名)とのタイアップを行い、「月あかりの会」会員のグリーフケア・サポート活動をメインに生きがいづくり、仲間づくり、健康づくり等の総合的な支援活動を行います。また、「月あかりの会」の組織拡大と総合的なグリーフケア・サポートを目指します。

 「月あかりの会」発足の日、「サンレーグランドホテル」で恒例の「月の法宴」が開催されました。1年以内に身内を亡くされた方々の合同慰霊祭です。70名以上のご遺族の方々がお越し下さいました。みなさんがロウソクで献灯される姿を見ているうちに、故人の冥福を祈る心がひしひしと感じられて、なんだか涙が出てきました。そのため、その後の主催者挨拶では言葉が詰まってしまいましたが、今日から「月あかりの会」を発足させていただくことを宣言いたしました。

 グリーフケア・サポートをスタートさせることは、じつに20年来の悲願でした。わが社の葬祭部門では、愛する人を亡くした人に対して何ができるのか、どのような言葉をおかけすればよいのかを全社員が毎日考えています。でも、必要以上に言葉に頼ってはなりません。もちろん、通夜や告別式で、悲しんでおられるお客様に慰めの言葉をかけることは必要なことです。しかし、自分の考えを押し付けたり、相手がそっとしておいてほしいときに強引に言葉をかけるのは慎むべきです。

 ただ、黙って側にいてさしあげるだけのことがいいこともある。共感して、一緒に泣くこともある。微笑むことがいいこともある。いまだ理想には程遠いですが、これからも、「愛する人を亡くした人へ」のメッセージをお届けする会社にしたいと願っています。「月あかりの会」の発足に際して、わたしは「亡き人の面影浮かぶ月あかり 集ひて語る心の絆」という短歌を詠みました。長年の念願がかない、まことに感無量です。

 最後に、今日は法事と墓参りに行ってきました。早朝、父と弟と一緒に東京の秋葉原駅から特急に乗り、千葉県の佐貫まで行きました。佐貫駅で迎えに来てくれた本家の長男の車に乗り込み、富津市に向かいました。富津はわが一族の出自の地であり、そこに菩提寺があります。真言宗の東光院というお寺です。今日は、わたしの祖母の三十三回忌と伯父の十三回忌だったのです。久しぶりに30名を越える親族が集まりました。親族たちと一緒にいて、わたしは祖母のこと、伯父のこと、そして遠い先祖たちのことを考えました。

 わたしたちは、先祖、そして子孫という連続性の中で生きている存在です。遠い過去の先祖、遠い未来の子孫、その大きな河の流れの「あいだ」に漂うもの、それが現在のわたしたちに他なりません。その流れを意識したとき、何かの行動に取り掛かる際、またその行動によって自分の良心がとがめるような場合、わたしたちは次のように考えるのです。「こんなことをすれば、ご先祖様に対して恥ずかしい」「これをやってしまったら、子孫が困るかもしれない」こういった先祖や子孫に対する「恥」や「責任」の意識が日本人の心の中にずっと生き続けてきました。

 それらの意識は「家」という一字に集約されるでしょう。かつての日本人には「家」の意識があったのです。「家」の意識などというと、良いイメージを抱く人は少ないかもしれません。戦後の日本人は、「家」から「個人」への道程をひたすら歩んできました。たしかに戦前の家父長制に代表される「家」のシステムは、日本人の自由を著しく拘束してきたと思います。なにしろ「家」の意向に反すれば、好きな職業を選べず、好きな相手と結婚できないという非人間的な側面もあったわけですから。その意味で、戦後の日本人が「自由」化、「個人」化してきたことは悪いことではないと思います。

 でも、「個人」化が行き過ぎたあまり、とても大事なものを失ってしまったのではないでしょうか。それが、先祖や子孫への「まなざし」ではないか。激増する凶悪犯罪や自殺にも、その「まなざし」の喪失が影響しているのではないか。たとえば、殺人などの凶悪犯罪に手を染める場合には「先祖に申し訳ない」という意識が働き、自ら命を絶つ場合には「自殺すれば子孫が迷惑するのでは」という想像力が働くのではないでしょうか。

 それらが失われた結果、どうなったか。残ったのは自分という「個」の意識、すなわち「自我」だけになってしまったのです。倫理的に最も悪質であるとされる「親殺し」や「子殺し」が現代日本で増加している背景にも、「自我」の肥大化があるように思えてなりません。今日は、法事と墓参りのおかげで、いろいろなことを考えさせられました。

 それでは、Tonyさん、次の満月まで。オルボワール!

2010年6月27日 一条真也

一条真也ことShinさんへ

 Shinさん、冠婚葬祭業の経営者でありオピニオンリーダーとしての活躍をいつも大変頼もしく見ております。今回も返信レターが遅れて申し訳ありません。

 このところ、研究会やら催しやらが立て込んでいました。政治状況も1日1日、刻々と目まぐるしく変化していて、管内閣の支持率も就任当初は60%だったのが、現在は40%前後に激減しています。いくら参議院選が近いとはいえ、変化が早すぎますね。

 「最小不幸」という言葉はわたしにはよくわかりません。それは、経済、福祉、教育などの格差是正や不平等の改善を意味しているのでしょうか? どのようなシナリオで「最小不幸」を達成できるのでしょうか、疑問です。

 というのも、わたしが怖れているものの一つは天災です。気象の変化がもたらす地球環境、居住環境の変動は予測のつかない事態を招きます。そのような変則事態がこれから次々と生起すると思っているので、「最小不幸」などという事態はありえないのではないかと思ってしまうのです。

 管氏もこれまでの概念やビジョンや地球環境地図の中で政治を考えているのでしょうね。しかし、事態はいっそう予測のつかない、不透明な変動を連鎖させていくのではないかと思います。そんな中で、「不幸」を単なる「不幸」にしない、それを別のものに変容させていくことのできる創造力をわれわれは必要としているのだと思います。わたしにとっての「世直し」とは、そんな、「不幸」を「不幸」でなくする創造性の創造です。言い換えると、ピンチをチャンスに、不幸を幸福に、災害を次なる恵みに変容させていく、めげない強靭な意志と力強い創造力。

 6月12日、岩手大学開学記念日に講演を依頼され、「こころの時代の科学と宮沢賢治」と題して2時間話をしました。宮沢賢治という人は、本当にいろんな角度から尽きることのないインスピレーションを与えてくれる稀有な人だと思います。創造性の権化のような。

 賢治さんは「生徒諸君に寄せる」という詩を書いています。その中に、次のような一説があります。

新しい時代のコペルニクスよ
余りに重苦しい重力の法則から
この銀河系統を解き放て

新たな時代のマルクスよ
これらの盲目な衝動から動く世界を
素晴しく美しい構成に変へよ

新しい時代のダーウヰンよ
更に東洋風静観のキャレンヂャーに載って
銀河系空間の外にも至って
更にも透明に深く正しい地史と
増訂された生物学をわれらに示せ

衝動のやうにさへ行はれる
すべての農業労働を
冷く透明な解析によって
その藍いろの影といっしょに
舞踊の範囲に高めよ

新たな詩人よ
雲から光から嵐から
新たな透明なエネルギーを得て
人と地球にとるべき形を暗示せよ

 まことに残念ながら、この詩は完成せず、生徒たちの前に完成した形では示されなかったようですが、しかし、賢治さんのことです。その途中でも、生徒に、ここに挙げたような言葉を発していたことでしょう。それを聞いた生徒たちの反応は、きっと、「はあ〜?」だったでしょう。「センセイ! 言っていることがよくわかりませ〜ん!」だったでしょう。

 「新しい時代のコペルニクスよ、新たな時代のマルクスよ、新しい時代のダーウヰンよ」と呼びかけられても、「それって、誰のこと?」とリアリティがなかったことでしょう。そして、「余りに重苦しい重力の法則から/この銀河系統を解き放て」と言われてもねえ。「何、言ってんの〜?」という感覚だったかもしれません。

 でも、生徒のハートには火が点いたでしょう。何か、熱い、あったかいエネルギーが注入されたでしょう。意味ではなく、感覚と意志と無意識を通して賢治は生徒を深いところから揺り動かしたのです。それこそが、創造力ではないでしょうか?

 わたしにとって、「不幸」を「幸福」に変えていく力というのは、そのような創造力の発現だと思います。それがはたらくとき、「重苦しい重力の法則」の中にある「不幸」な現実は、もう一つ違う「銀河系統」の中に「解き放た」れて、生きる活力を持ち始めるのです。

 創造力というものは、自分の中から生まれてくるのではなく、自分の外部から自分の内部にはたらきかけてきて、そして自分自身を通過してさらにまた外部へ、他者へとはたらきかけを延長させていくものではないでしょうか。宮沢賢治を見ていると、そのような創造力の銀河の渦巻きの中にわたしたちが生きているのだということを強く思わされます。

 ところでわたしは最近、2つの小説を読みました。一つは、村上春樹の『1Q84 BOOK3』(新潮社)です。Shinさんは、どう読まれたでしょう? わたしには、これもまたまったく面白くも何ともありませんでした。多用される直喩も鼻につくし、牛浜も青豆も人が変わったように「かわいく」なっているし。まったく、どうなっちゃってんの〜、と叫びたい気持ちでした。

 そんな感想をある人に話をすると、「カマタさんは、よくよく、ハルキとアワナイんだねえ」と妙な感心をされました。わたしは『呪殺・魔境論』の中には村上春樹の『海辺のカフカ』を引用していますが、この小説はとてもリアリティがあってよかったと思っています。だから、村上さんの全部がダメだなんてまったく思ってはいません。確かに、ピンとくる作品が少ないことは事実だけど。

 なんか、全部、ちまちまと、小さく、つじつまあわせをしちゃって。こんなに、起承転結をまとめて、どうすんの? と思っちゃったわけ。何か、舞台裏を全部覗かせられたような、いやな、矮小な感じがして、ますます冷めてしまいました。

 もう1冊は、東浩紀の『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社)。これは、なかなか、おもろかった。これは、おそらく、村上春樹の『1Q84』とほぼ同時期に書かれていた小説だろうけど、しかし、『1Q84』へのアンサーブックになっていると読めました。おそらく、東浩紀は村上春樹をよく読みこんできた人なのだろうな、と思いました。たぶん、ハルキ・ファンというか。

 小説自体は、とても、観念的で、救いようがない、多重的なタイムトラベルとタイムギャップの中を浮遊していくのだけれど、しかし、その中で浮かび上がってくる“家族の肖像”が鮮明な像を結んでいると思ったのです。20年以上昔、わたしはある雑誌に「輪廻家族の誕生」というエッセイを書いたことがあります。そしてそれを、『老いと死のフォークロア——翁童論Ⅱ』に収録しました。この世の3次元的な家族とは違う4次元的なというか、異次元を介して別の“家族の肖像”の地図が浮き上がってくる関係性がある。そのような、血縁家族ではない、もう一つの“家族の肖像”をスケッチしました。その文章の最後は、次のような文章で終わります。「そうした存在世界ないし他者との関係性の重層構造に自己を開き、架橋してゆく、性と血の原理のみによらない、魂の原理に基づく人間関係のありようを、私は『輪廻家族の誕生』と呼びたい」。

 東浩紀の『クォンタム・ファミリーズ』は、もちろん、このような「輪廻家族」を描くものではありません。それは、しかし、量子論的な多次元構造とタイムスリップを持つ時空交差の中で、多重的に家族が織り成されていく関係性の多次元性が描かれていて、わたしにはとても興味深く、面白かったのです。そのような思考と感覚が生まれてくる基盤のリアルさを感じました。それは、『1Q84』で描かれる2つの「月」(そのうちの一つは「緑の月」なのです)よりも、ずっと、リアルで、納得のいくものでした。

 宮沢賢治ならば、「余りに重苦しい重力の法則から/この銀河系統を解き放て」と言う、その感覚が息づいているような時代の空気感。それが、村上春樹ではなく、東浩紀の小説にある、とわたしは思ったのです。まあ、こんな直感は、当たっているかどうかは、わかりませんがね。

 わたしは、長いこと、宮沢賢治を友としていろいろと考え、書き、実践もしてきました。そんな中で、超多次元的で多様な開かれの中に宮沢賢治が生きていたと確信するようになりました。もっとも、シャーマンという存在は、本来、そんな多次元的な世界を往来する人たちですからね。何の不思議もないのですが。

 ともかく、Shinさん、わたしは、これまでの「家」ではないけれども、しかし、多重な関係構造を持ち、それを自覚し、引き受けているような、「ファミリーズ」の存在がリアルに思えるのです。そういう時代と感覚の中で、では、葬儀はどのような意味と機能と価値を持つのでしょうか? わたしは、神話も儀礼も必要だと確信しているものです。でも、その神話も儀礼も一様ではなく、変化・変容するものです。人間が神話と儀礼を作ったのではなく、その反対に、神話と儀礼が人間を創ったのではないかとさえ思います。

 21世紀の「量子葬儀」というものの多次元的なありようを考え、実行する時が来たのかも知れません。では、さようなら。

2010年7月5日 鎌田東二拝