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シンとトニーのムーンサルトレター 第062信

第62信

鎌田東二ことTonyさんへ

 昨夜、小倉に帰ってきました。Tonyさんと天川にご一緒できて、たいへん楽しかったです。22日の夜、京都駅でTonyさんと待ち合わせましたね。ご自身の主義により携帯電話を持たないTonyさんとの待ち合わせは毎回ハラハラするのですが、昨夜も度重なるアクシデントによって、2時間以上も遅れた末に無事に会うことができました。京都駅から近鉄特急に乗って橿原神宮駅へ、そこで乗り換えて下市口駅まで、そこから40分ほどかけてタクシーで天川へ向いました。

天川で見上げた中秋の名月(撮影:一条真也)

天川で見上げた中秋の名月(撮影:一条真也) 天河大弁才天社の観月祭に参加したかったのですが、残念ながら、すでに観月祭は終わっている時間です。途中、丹生川上神社の下社に参拝しました。そのとき空は曇っていましたが、拝殿に向って二人で拍手を打った瞬間、雲が晴れて見事な満月が顔を出しました。
周囲には一つの街灯もなく漆黒の闇が神社を覆っていましたが、満月の光が煌々と吉野の山々を照らし出しました。わたしは、こんなに美しい満月を見たことがありません。しかも中秋の名月です。満月の横には金星まで明るい光を放っています。完璧なる中秋の名月に出会うことができ、わたしは猛烈に感動しました。
 さて、深夜近くに天川に到着したわたしたちは、まず、天河大弁才天社の近くにある天河火間に直行しました。まるで宇宙船のような窯です。ここで新時代の骨壷である「解器」が焼かれるのですね。天河火間の隣には、最近完成したという工芸美術家の近藤高弘さんによる「行者」シリーズ三部作が闇に浮かび上がっており、いきなり国宝級の存在感を放っていました。しばらくは、窯の中で燃えさかる火を見つめながら、Tonyさんやスタッフの方々、取材に来られている雑誌記者の方などと語り合いました。満月の下で、トニーさんとリアル・ムーンサルトレターです!

燃えさかる天河火間(撮影:一条真也)

燃えさかる天河火間(撮影:一条真也)闇に浮かび上がる近藤高弘作「行者」シリーズ3体(撮影:一条真也)

闇に浮かび上がる近藤高弘作「行者」シリーズ3体(撮影:一条真也)
 夜も更けて日付も変ったので、わたしたちは天河火間から歩いて民宿まで歩きました。
月夜のナイト・ウォークです。天川村には、その名も「天ノ川」という川が流れていますが、そこには天上の「天の川」が写し絵のように投影されると言われています。
実際、昨夜の天ノ川にも夜空の星が映り、本当の「天の川」みたいでした。

 もしかしたら川に満月も映っているかもしれないと、わたしたちはしばらく川沿いに歩き回りましたが、最後は道が通行止めになっており、水面の月を見つけることをあきらめました。二人とも、とんだ「ロマンティックおやじ」ですよね。(笑)

 民宿に戻ると、隣室に寝ておられる「東京自由大学」の御婦人たちに気を遣いながら、わたしたちは仲良く布団を並べて寝たのでありました。明け方、5時過ぎに、ものすごい雷の音がして、続いて部屋が揺れました。おそらく近くに落雷したのでしょう。直後には、集中豪雨が降りました。まったく天川では自然の驚異を思い知らされます。

早朝の天河大弁才天社(撮影:一条真也)

早朝の天河大弁才天社(撮影:一条真也)
 それにしても、ここ数日でめっきり涼しくなりました。「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったものですが、この夏は本当に暑かったですね。そして、歴史的猛暑だったこの夏、わが家では悲しい出来事がありました。愛犬というより、家族の一員であったハリーが、亡くなったのです。8歳でした。オスのイングリッシュ・コッカースパニエル犬でした。

 8月25日、ちょうど前回の満月の日で、ムーンサルトレターの第61信をTonyさんにお送りした日です。亡くなる前の夜から姿が見えないので探し回っていたら、家の床下のさらに奥の部分に潜り込んでグッタリしていました。家族総動員で何とか引っ張り出しましたが、様子がおかしいので、動物病院に連れて行こうとしましたが、あいにく時間が遅かったこともあり、かかりつけのお医者さんに連絡が取れませんでした。緊急病院もたくさん当たりましたが、少し症状が落ち着いてきたので、このまま無理して移動させるよりも休息をとらせて、明日の朝一番で病院に連れて行くことにしました。

 妻が心配してハリーに添い寝してやりましたが、午前4時頃から呼吸が荒くなりました。それでも、保冷剤で冷やしたり、撫でてあげたりするうちに、寝たようなので、朝まで寝かせて、それから病院に連れて行きました。てっきり猛暑による熱中症かと思っていたのですが、病院では腹水が溜まっていて心臓も弱っていると診断されました。注射などを打って、いったんは帰宅しましたが、しばらくして様態が急変し、それから息を引き取ったのです。

 ちょうど夏休みで、娘たちも家にいましたが、家族みんなで泣きました。わたしもずっとハリーと一緒にいてあげたかったのですが、今日は会社の大事な会議が行われていて、どうしても出なければなりませんでした。泣きながら会社に向かう前、みんなでハリーを棺に納めて、たくさん花を入れてあげました。ハリーは、わが家の庭に咲く花が大好きだったからです。

 長女はハリーを出棺までずっと優しく撫でてやり、次女はハリーの似顔絵付きのお手紙を書いて棺に納めていました。妻はたくさんの花を、わたしはハリーが一番お気に入りだったフリスビーを棺に納めてあげました。ハリーの死によって、わたしたち家族の「こころ」は一つになりました。ハリーは、自らの死をもって、「家族みんなで助け合って、いつまでも仲良くしてね!」ということを伝えたかったような気がしてなりません。

 わたしは、いろいろと考えるところもあり、思いつめて生きている人間です。そんなわたしが一番リラックスできるのは、ハリーと遊んでいるときでした。わたしは、出張から戻ったり、著書を脱稿したときには必ず、ハリーとフリスビーをしました。『葬式は必要!』や『ご先祖さまとのつきあい方』を脱稿したときも、お祝いにハリーとフリスビーしました。わたしは、ハリーにどれだけ慰められたかわかりません。本当に、涙がとまりません。でも、わたしは、死が永遠の別れではないことも知っています。

 ハリーの棺が自宅を出るとき、家族全員で合掌し、見送りました。そして、わたしは「ハリー、また会おうね!」と呼びかけました。今度生まれ変わっても、ハリーとまた家族になりたいです。わたしは、その日のブログに次のように書きました。

「ハリー、今まで、ありがとう!
君のおかげで、家族のみんながたくさん元気をもらいました。
たくさん君から癒してもらいました。
本当に、本当に、ありがとう!
これからは、わが家のみんなを見守ってね。
『さよなら』は言わないよ。
だって、いつか、また会えるから。
夜は、いつも一緒に月を見上げたね。
『なんで、ウチのパパさんは月ばかり見てんの?』って、不思議な顔をしてたね。
ハリー、今夜はちょうど美しい満月だ。君の魂も、月に着いた頃だろうか?
ハリー、いつかまた月で会おうね。そして、またフリスビーしようね!
頭ではわかっていても、やっぱり涙が出てきます。
ハリー、やっぱり君がいなくなるなんて、寂しいよ・・・・・。
君のことは絶対に、絶対に忘れないから。月を見上げるたびに、君を思い出すから」

 ハリーのお骨は、生前、彼が住んでいた「Harry’s House」と名づけた家に納めています。ハリーによく似た犬の人形、お気に入りだったフリスビー、おやつのビーフジャーキー、そして水も一緒にお供えしています。「四十九日」を迎えたら、庭の中の彼が気に入っていた場所にお墓をつくってあげようと思っています。

 ハリーが亡くなってから18日経ったとき、ガーデニング・ショップで天使像を二体買ってきて、「Harry’s House」の入口に置きました。きっと、この天使たちがハリーを天国で守ってくれるでしょう。「四十九日」とか「天使」とか、仏教とキリスト教が混在しています。でも、そんな宗教の違いなど、わたしには関係ありません。ハリーがあの世で幸せになれるなら、「何でもあり」なのです。

 天使といえば、子どもの頃、テレビアニメの「フランダースの犬」の最終回で、主人公のネロと愛犬パトラッシュが一緒に天使に導かれて天国へ旅立つ場面を思い出しました。天使とは、魂を自由にして、天国に連れていってくれる存在なのですね。ならば、いつもわたしの魂を自由にしてくれたハリーこそは、わたしにとっての天使だったのかもしれません。「Harry’s House」に向かって合掌しながら、わたしは言いました。
「おーい、ハリー!今どこにいるんだい?元気でやってるか?」

 さて、今日は9月26日。父の75回目の誕生日です。わたしは、妻と二人の娘と一緒に実家へ行って、父に「誕生日おめでとうございます!」と言いました。父は、今日から後期高齢者になります。しかし、自分は「高貴高齢者」、さらには「光輝好齢者」になりたいと語っていました。また、老いには「老入」「老春」「老楽」「老遊」「老童」「老成」といった段階があり、高齢者になったら何事も陽にとらえる「陽転思考」が必要であることを説いていました。 

 わたしは古今東西の人物のなかで孔子を最も尊敬しており、何かあれば『論語』を読むことにしています。その『論語』には次の有名な言葉が出てきます。

「われ十五にして学に志し、三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳従う。七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず」

 60になって人の言葉が素直に聞かれ、たとえ自分と違う意見であっても反発しない。70になると自分の思うままに自由にふるまって、それでいて道を踏み外さないようになった。ここには、孔子が「老い」を衰退ではなく、逆に人間的完成としてとらえていることが明らかにされています。

 孔子と並ぶ古代中国の哲人といえば老子ですが、老子の「老」とは人生経験を豊かに積んだ人という意味です。また、老酒というように、長い年月をかけて練りに練ったという意味が「老」には含まれています。人は老いるほど豊かになるのです。さらに、日本人の「こころの柱」である神道においては、「老い」とは神に最も近い存在である「翁」となる過程に他なりません。

 そう、人は老いるほど豊かになるのです!その真理を、父が自らの人生をもって実証してくれていると感じました。これからも、父には元気で「老い」を満喫してほしいと思います。そして、光り輝く好齢者になってほしいと心から願っています。

 それでは、Tonyさん、次の満月まで。オルボワール!

2010年9月26日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 Shinさん、天川ではほんとうにありがとうございました。また、その前の天川行きではいろいろと思いもかけぬアクシデントが続き、大変ご心配とご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。でも、大垣から少し京都に戻った近江長岡のあたりで、物凄い雷雨に遭遇し、落雷のため、信号機が壊れて電車が止まってしまって立ち往生したのには困りました。携帯電話大嫌いのわたしとしては、Shinさんに電話を入れるのも一苦労だったのですよ。最近、携帯電話の普及で、公衆電話が激減していますから。

  ともかく、午後8時半に京都駅で合流でき、8時45分の近鉄特急で一緒に橿原神宮経由下市口下車、そして天川に行くことができました。途中の丹生川神神社下社での深夜参拝の後の満月には心奪われましたね。また、下社の拝殿の88段の長い長い階段と、拝殿左のケヤキの木の巨木にはいつもながら圧倒されましたね。とても好きな神社です。

 天川に到着したのが夜の11時ごろだったでしょうか? 急いで、「天河火間」に向かいました。火間(窯)の前では、上記のShinさんが撮影してくれた写真のように、近藤高弘さんのお弟子さんの高山大さんたちが一所懸命に薪を入れてくれていました。その世は12時過ぎまで「天河火間」の傍にいて帰って寝ました。

 Shinさんは翌朝早く起床して早速ブログを仕上げていましたね。その熱心さと集中力には感心しました。わたしは毎朝の起床儀礼が1時間半くらいかかるので、朝はのんびりしているようで、大変忙しいのですよ。逆立ち瞑想もしなければいけないし、石笛や法螺貝なども奉奏しなければならないし。ともかくも、ご一緒できてまことに幸いでした。

天河火間(2009年9月造営、設計:近藤高弘)

天河火間(2009年9月造営、設計:近藤高弘) Shinさんは、22日の夜入って、23日の朝9時くらいに天河を立ちましたが、わたしは24日の朝10時まで天河にいました。近藤高弘さんのお父さんの陶芸家の近藤濶さんも来られていて、火間の前でゆっくりお話しました。実は、わたしは近藤濶さんの大大ファンなのです。その作品は高弘さんのおじいさんに当たる人間国宝で京都市立芸術大学学長も務めた近藤悠三氏とも異なる、とてもエレガントで奥ゆかしく大和心を感じさせる作品群なのです。まったく伝統的な花鳥風月の世界なのですが、その伝統が一方でしっかりとあってくれるがゆえに、近藤高弘さんのようなアヴァンギャルドが成り立つという、緊張感とバランスを楕円的双極性を感じます。

 火間の方は、わたしが大学に戻った後も、24日の夜10時まで焚き続けたそうです。窯の前の方は1260度以上温度が上ったようですが、窯の後は、なかなか1200度まで行かず、この「世界一美しい窯」はなかなか難しい修行をさせられる窯だそうです。30日には、窯出しがあります。どのような窯変が生まれているか、楽しみです。
 来年からの火間火入れは、旧暦8月15日の観月祭に行うことになりそうです。その火間火入れには、参加者にも薪を入れてもらおうと考えているようです。来年はぜひ観月祭+天河火間火入れ式にご参加ください。

 さて、いよいよ、わたしは近藤高弘さんとの共著『火・水(KAMI)——新しい死生学への挑戦』(晃洋書房)を出版しました。「天河護摩壇野焼き講」を組織して14年、もくもくとその活動をしてきましたが、その全記録を収めました。ぜひご一読・ご感想をお聞かせください。この本の帯に、編集工学研究所所長の松岡正剛さんが、「コンドーの火、カマタの水。二人が揃って、土であって天である器を生んだ。これは貴くて、これは慶ばしい。世には『告げる器』というものがあっていい。」と推薦文を寄せてくれました。大変ありがたいことです。

『火・水(KAMI)——新しい死生学への挑戦』(晃洋書房)

『火・水(KAMI)——新しい死生学への挑戦』(晃洋書房)
 また、ほぼ同時期に、『霊性の文学 霊的人間』(角川ソフィア文庫、角川学芸出版)も上梓しました。これは5月に、『霊性の文学 言霊の力』(同文庫、同出版)を出したのに続く姉妹篇の出版になります。Shinさんの出版の勢いには及びませんが、わたしももくもくたんたんとわが道を行きたいと思います。

 Shinさんところの「家族」のハリー君が8歳で亡くなったとのこと、心よりお悔やみ申し上げます。わが家にも、15歳になる眼球のない三毛猫の「家族」ココがいますので、お気持ちはとてもよくわかります。ココの義祖母に当たるメスのトラ猫の「チビ」が17歳で死んだ時、大宮のわが家の庭の桃の老木の猫塚に埋葬し、般若心経と祝詞を奏上し、笛を吹いて鎮魂しました。

 そしてその夜、満月を仰ぎながらギターを爪弾いていると、突然、口から、「なむなむなむなむなんまいだー、なむなむなむなむなんまいだー」というフレーズが出てきて、3分間で「なんまいだー節」が出来上がりました。これが神道ソングの名曲(冥曲?)「なんまーだー節」で、2003年には同名タイトルのCDまで出しました。もし、わが家の神様であるココが死んだら、わたしはどれほど悲しみに暮れることでしょうか。またどんなレクイエムを作るでしょうか。宮沢賢治が妹とし子を喪くした時にいくつもの挽歌を作ったように、Shinさんもわたしもそれぞれの挽歌を作るのでしょう。

 近藤高弘さんとわたしたちが提案している「解器ワーク」は、基本的に、自分の骨壷を自分で作るという現代の死生学ワークですが、自分の身近なものの遺体を入れる骨壷も作っています。わたしは、自分の骨壷を作る前に3年前に死んだ母の骨壷を作りました。そのような骨壷作りを通して、わたしたちは、現代の「死生学」、つまり、生死への向き合い方を探ろうとしています。それは、新しい葬送儀礼の創出といえるかもしれません。

 わたしたちは、いつの時代にも神話と儀礼を必要とするというか、生み出し続けると思っています。むしろ、神話と儀礼の中でわたしたちが育ち、目覚めるのだと。「葬式がいらない」というのも、神話と儀礼から育ってきた一つの思考であり、思想であり、志向性です。そんな議論がどれほど百出しても、人類から葬式も儀礼も無くなることはない、と確信します。

 けれども、その葬式の方法は、これまで時代と地域によって変化し続けてきたように、これからも変化していくでしょう。Shinさんのような冠婚葬祭を事とする儀礼産業は今後、その中で、どのような役割を果たし、ビジネスとしての意味と力を発揮していくでしょうか? 経営者としても、企画プランナーとしても、時代と人々に試されるのだと思います。

 生死という、不可避の事態に向き合う心とワザ、ここに必ず神話=物語と儀礼が生まれると確信します。Shinさんのハリー物語も、わたしの「なんまいだー節」も、そんなMY Family神話であり、MY Family儀礼でした。そんな神話・物語と儀礼の共同創出として、「天河火間」があり、その共同神話・物語として、近藤高弘さんとの共著『火・水(KAMI)』が生まれた。そのように感じています。季節は、一挙に冬に向かっていきます。どうぞ御身大切にお過ごしください。

2010年9月28日 鎌田東二拝