NHK文化センター京都での季節限定単発講座「京都 五山の送り火」2022年8月7日を開催します。

シンとトニーのムーンサルトレター 第063信

第63信

鎌田東二ことTonyさんへ

 先月は一緒に天川で中秋の名月を見上げましたのに、早いものであれから一月が経ち、また満月の日となりました。昨夜は、北九州市八幡西区のサンレーグランドホテルで恒例の「隣人祭り・秋の観月会」が盛大に開催されました。おかげさまで、今年で3年目の開催になります。今年も300名を超える人々が観月会を楽しみました。

 いま、「無縁社会」という言葉が時代のキーワードになっています。現在の日本の現状を見ると、「無縁社会」と呼ばれても仕方がないかもしれません。では、わたしたちは「無縁社会」にどう向き合えばよいのか。さらに言うなら、どうすれば「無縁社会」を乗り越えられるのか。わたしは、その最大の方策の一つは、「隣人祭り」であると思います。地域の隣人たちが食べ物や飲み物を持ち寄って集い、食事をしながら語り合うイベントです。都会に暮らす隣人たちが年に数回、顔を合わせます。今やヨーロッパを中心に世界30カ国以上、1000万人もの人々が参加するそうです。ECも正式支援を決定しています。

 「隣人祭り」の中に冠婚葬祭互助会と同じ「相互扶助」の精神を見たわが社では、2008年10月15日にサンレーグランドホテルにおいて開催された「隣人祭り」のサポートをさせていただきました。同ホテルの恒例行事である「秋の観月会」とタイアップして行われたのですが、これが九州では最初の「隣人祭り」となったのです。日本の政令指定都市の中で最も高齢化が進行し、孤独死も増えている北九州市での「隣人祭り」開催とあって、マスコミの取材もたくさん受け、大きな話題となりました。その後も、わが社はNPO法人ハートウエル21と連動し、隣人祭り日本支部公認のオーソドックスな「隣人祭り」の他、わが社オリジナルの「隣人むすび祭り」のお手伝いを各地で行っています。2009年は約190回を開催し、2010年は300回以上の開催を予定しています。「隣人祭り」と「隣人むすび祭り」などを合わせれば、わが社は日本で地域の隣人が集う「隣人交流イベント」あるいは「地縁再生イベント」の開催を最もサポートしている組織だと思います。いや、世界でも5本の指に入るのではないでしょうか。

 発祥地のフランスをはじめ、欧米諸国の「隣人祭り」は地域住民がパンやワインなどを持ち寄る食事会ですが、そのままでは日本に定着させるのは難しいと考え、わが社がサポートする「隣人交流イベント」では、季節の年中行事などを取り入れています。たとえば、花見を取り入れた「隣人さくら祭り」、雛祭りを取り入れた「隣人ひな祭り」、節分を取り入れた「隣人節分祭り」、七夕を取り入れた「隣人たなばた祭り」、秋の月見を取り入れた「隣人祭り・秋の観月会」、クリスマスを取り入れた「クリスマス隣人祭り」といった具合です。おかげさまで大変好評を得ています。

 これは日本におけるコンビニエンスストアのマーケティングを参考にしました。アメリカ生まれのセブンイレブンを初めて日本に輸入したとき、当初はうまくいかなかったとか。
しかし、セブンイレブン・ジャパンの社長であった鈴木敏文氏が日本流に「おにぎり」や「おでん」などの販売を思いつきました。それからは大ブレークして、すっかりコンビニが日本人の生活に溶け込んでいった事実はよく知られています。わたしは、このことを「隣人祭り」のヒントにしたのです。欧米の文化をそのまま日本に輸入してもダメで、日本流のアレンジが必要であるということを学んだわけです。日本人は「お月見」が大好きですが、昨夜は300人が参加する大お月見大会を開いたわけです。

隣人祭り・秋の観月会で

隣人祭り・秋の観月会で見事に月に届いたレーザー(霊座)光線

見事に月に届いたレーザー(霊座)光線
 さて、昨夜の「隣人祭り・秋の観月会」では、恒例の「月への送魂」も行われました。
夜空に浮かぶ満月をめがけて、故人の魂をレーザー(霊座)光線に乗せて送りました。Tonyさんがおっしゃられるように、人間には神話と儀礼というものが必要です。そして、多くの民族の神話と儀礼において、月は死、もしくは魂の再生と関わっています。規則的に満ち欠けを繰り返す月が、死と再生のシンボルとされたことは自然でしょう。

 「月への送魂」によって、わたしたちは人間の死の一つひとつが実は宇宙的な事件であることを思い知るでしょう。『葬式は必要!』や『ご先祖さまとのつきあい方』(ともに双葉新書)などの最近の著作でも「月への送魂」を紹介しています。関心を抱かれる方も多くなったようで、問い合わせなども増えてきました。昨夜の満月には亡きハリーの面影が見えたような気がしました。

 「月への送魂」と並んで、わが社が新時代の葬送文化として提唱し続けているのが、「月面聖塔」です。これは、月に地球人類の墓標を建てるというものです。これは決して突拍子もない話でも、無理な提案でもなく、古代より世界各地で月があの世に見立てられてきたという人類の普遍的な見方を、そのまま受け継ぐものです。無縁社会においては、すべての墓が無縁化していくということで、昔の「共同墓」が見直されてきています。月面聖塔というのは、「共同墓」をさらに「地球墓」として拡大したものだと言えるでしょう。しかも、月は地球上のあらゆる場所で眺めることができますから、あらゆる場所で月に向かって手を合わせれば先祖供養ができるわけです。日本人の場合は盆の時などに大変な思いをして墓参りをしなくても、月は毎晩のように出るので、死者と生者との心の交流も活発になります。特に、満月のときはいつもより念入りに供養すればいいでしょう。それは満月の夜のロマンティックでノスタルジックな死者との交流なのです。いわば、「隣人祭り」ならぬ「隣人祀り」ではないでしょうか。

 「月」といえば、10月1日に、「月の館」とでも呼ぶべき新しい施設をオープンしました。ムーンギャラリー小倉店です。すでに6月21日にはムーンギャラリー八幡店がオープンしていますが、サンレーの本社機能も兼ねる小倉紫雲閣の隣接地に建設された独立店舗であることから、この小倉店を本店と位置づけています。

 ムーンギャラリーは冠婚葬祭のイノベーションをめざしますが、その機能は主に3つ。
第1に、葬儀の事前相談窓口としてのフューネラルサロン機能。費用や演出の内容などを含め、自分の葬儀は自分で決める時代です。第2に、ご遺族の悲しみを癒すグリーフケア・サポート機能。葬儀後のご遺族の会「月あかりの会」を中心に、さまざまなセレモニーやイベントなどを通じて、グリーフケア・サポートを行います。カウンセリング・ルームも備え、専門家によるカウンセリングなどもお世話いたします。第3に、供養関連商品を展示販売するメモリアル・ショップ機能。自分なりの祈りの形、新しい供養の形を個々のライフスタイルにあわせられるように100種類以上の厳選された商品をラインナップし展示・販売を行います。

 「癒し」をコンセプトにした空間で、ゆっくりと手に取り選んでいただけるような店内となっています。各種ロウソクや線香、手元供養のペンダントなどをはじめ、数多くのオリジナル・グッズを揃えました。

 「グリーフケア」をテーマとした書籍やCDのコーナーもあります。もちろん、わたしの著書も置いています。でも、それ以外にも絵本をはじめ、多くの名著を集めました。「死別の悲しみを癒す」ための本をこれだけ揃えた場所は、全国でも珍しいでしょう。

 オープンセレモニーにおいて、わたしはこのムーンギャラリーがいかに日本人の「こころ」の未来にとって大切なものであるかをお話した後、自作の短歌を披露しました。今日は、庸軒も張り切って以下の五首を詠みました。

「大切な人を亡くせし人びとの 悲しみ癒すこの月あかり」
「大切な人を亡くせし人びとが 集ひて語る月の館で」
「つらくとも命絶やすな また会える また会えるから信じて生きよ」
「月は欠け人は亡くなるものなれど 月はふたたび満ちゆく人も」
「悲しみは必ず溶ける また会える 愛する人を亡くした人へ」

オープンしたムーンギャラリー小倉本店

オープンしたムーンギャラリー小倉本店金澤翔子「涙の般若心経」

金澤翔子「涙の般若心経」
 まったく新しい「癒しの空間」の誕生に、オープン・セレモニーには数え切れないほど多くのお客様がお越し下さり、新聞や雑誌などのマスコミ取材もたくさんお受けしました。
そんな中、ひときわ目を引いたのが、ロビーに置かれた一つの屏風でした。ダウン症の天才書家として有名な金澤翔子さんの「涙の般若心経」の屏風です。金澤翔子さんは、5歳から書家への道を歩むべく、日々厳しい修練・研鑽とたゆまぬ努力で孤高の境地まで書の芸位と格を押し上げられました。

 東京・銀座の画廊「晶アート」の大川原有重さんは、翔子さんのことを「神様にもっとも近い存在として、アーティストがいるなら金沢翔子さんは文字通り大人(たいじん)として最右翼に位置付けられると確信します」と表現されています。書家としては「100年の1人の天才」と呼ばれているそうです。「道(タオ)」の第一人者として有名な加島祥造さんなども彼女の才能を絶賛し、展覧会のパンフレットに「翔子は、潜在意識の深みから働きかけている。それを自覚なしにする——それも不思議な美のセンスでもってする」という一文を寄せています。

 わたしが「晶アート」を初めて訪れたとき、そこには翔子さんが10歳のときに書いた「般若心経」が展示されていました。観る者の魂を震わせるような作品でしたが、部分的に染みがありました。そこを指差し、翔子さんは、「これはね、わたしの涙の跡なんだよ」と教えてくれました。ダウン症を理由に通っていた小学校から「養護学校に転校してほしい」と言われ、絶望の底にあった頃、お母さんから夜中に叩き起こされて、辛くて悔しくて悲しくて、そして何故だか有り難くて、泣きながら一気に書いた「般若心経」なのです。

 この「涙の般若心経」は、今年の7月22日にフジテレビ系列で放送された「奇跡体験! アンビリーバボー」でも紹介され、日本中に大きな反響を呼びました。ビートたけし、所ジョージをはじめ、番組の出演者全員が感動していました。わたしも、これを初めて観たとき、非常に感動しました。そして、この作品は、人間のあらゆる悲しみや苦悩を癒してくれる不思議な力を持っていると感じました。

 ですから、ムーンギャラリーに展示して、ぜひ“愛する人を亡くした人”たちの悲しみを癒してほしいと思い立ちました。そして今回、サンレーで求めたという次第です。重い障害を持って生まれてきながら、素晴らしい芸術によって多くの人々に感動を与え続ける金澤翔子さんの「涙の般若心経」。翔子さんの芸術を借りた御仏のメッセージは、きっと多くの方々の心の深いところに届き、悲しみや苦しみを癒してくれることでしょう。

 Tonyさんも、ぜひ一度、ムーンギャラリー小倉本店を訪れられて、「涙の般若心経」を御覧下さい。それでは、次の満月まで。オルボワール!

2010年10月23日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 Shinさん、宗像大社に向かう前の玄海ロイヤルホテルの昼食会場で偶然お会いしてはや1週間が経とうとしています。この間、いろいろと慌ただしくて、ムーンサルトレターのお返事が遅れ、申し訳ありません。このところ、返事が遅れがちで、今後気を引き締めて注意して臨みたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

 さて、玄海ロイヤルホテルのバイキング料理のデザートのケーキを取りに行ったら、そこになつかしくも見かけた後姿がありました。Shinさん、それはあなたの後姿でした。Shinさんも、食後のデザートのケーキをつまんでいたのでしょうか?

 ともかくも、思いがけずというか、当然にというか、そこでばったり再会したわけです。約束の時間は、10月25日(月)14時に宗像大社本殿前でした。その1時間前にケーキ置き場でお会いしたのでした。なんか、会うような気がしてたんだよな〜、実は。

 そこで、今回の宗像大社沖津宮(沖ノ島に祀られた宗像大社の奥宮)参拝団のみなさん方30名に、Shinさんを、「この人が、冠婚葬祭業の大手・株式会社サンレーの佐久間庸和社長さんです。佐久間さんは、一条真也のペンネームで、本を50冊も出しています。わたしの義兄弟なんですよ!」と紹介したのでした。

 そうしたら、参拝団団長の仏壇はせがわの長谷川会長は、なんと、「やあやあ、あなた!」と言われるじゃないですか。顔見知り同士の再会と相成ったというわけ。Shinさんはお父上ともども、仏壇長谷川の会長さんと懇意にされていたのですね。知らんかったよ〜。そのあたりは、Shin速極まる「迅速」なるShinさんのこと、早速、その夜のブログに長谷川会長とのツーショット写真も含めて、UPしたのでした。

 でも、おもろかったでんな〜。また、よかったでんな〜、この経緯。そんな偶然(必然?)があったので、みなさんにShinさんを紹介できたのですから。

 わたしたち一行は、10月24日(日)13時に宗像大社辺津宮に集合して、養父元宮司さんの講話を拝聴した後、正式参拝をし、日本国の国号が成立した歴史的経緯の解釈についての地元の歴史研究者の講演を聞き、大島に向かい、中津宮を正式参拝。そしてその夜、大島の民宿に宿泊して、翌朝8時半にチャーター船で沖ノ島に向かったのでした。

撮影:富田伸

撮影:富田伸
 大島から沖ノ島まで約49キロ。宗像大社辺津宮のある玄海町の神湊から大島までは約10キロ。ということは、辺津宮から約60キロ沖にある絶海の孤島が宗像大社奥宮=沖津宮のある沖ノ島なのですね。そもそも、九州福岡県は、古名で「筑前国」と言い、そこには延喜式内社が19座あります。そしてその筆頭に、「宗像郡 宗像神社三座(並名神大)」があるのです。宗像大社は筑前国の筆頭延喜式内社であり、一の宮であり、旧官幣大社として朝野の信仰を集めてきた九州有数の古社なのです。

 宗像大社とは、玄界灘沖合60キロに浮かぶ沖ノ島鎮座の沖津宮(おきつみや)、10キロ先の筑前大島に鎮座の中津宮(なかつみや)、玄海町の宗像大社辺津宮(へつみや)の三宮の総称です。沖津宮には田心姫神(たごりひめのかみ)、中津宮には湍津姫神(たぎつひめのかみ)、辺津宮には市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)を祀っています。中でも、沖津宮は、そこで見たこと聞いたことは何も語ってはならないと厳しく戒められた「お言わず様」として尊崇されてきたところです。

 この宗像神を祀る神社は、全国に8500余社ほどあるといわれており、宗像大社はその総本宮に当たります。ちなみに、一番多い神社は稲荷神社で、2位が八幡神社、3位が天神社、4位が神明社(伊勢神宮系)、5位がこの宗像神社となります。

 海上交通の要所に位置する沖ノ島の沖津宮は、島全体が御神体とされ、現在でも女人禁制で、「海の正倉院」とも呼ばれ、巨大な磐座群や、その周囲の祭祀遺跡から祭祀具や装飾品なども多数発見されており、また珍種の動植物の北限や南限に当たり、一木一草たりとも持ち帰ってはならぬという掟ゆえに、宮崎駿の『もののけ姫』のシシ神の森のように、島の中の原生の森が保持されてきたのです。

 北九州は、古来、大陸との交易の中継点であり、海上交通の要所として宗像は位置していました。それを保持してきた海の一族がムナカタ一族でした。外交など行政や経済的には大宰府が日本における東アジア中継の要所となりますが、信仰的には宗像が中継点となりました。

 興味深いのは、『日本書紀』には「貴(むち)」という名前を持つ神がわずか三神だけ出てきますが、その中の一神が宗像大神で、別称「道主貴(みちぬしのむち)」の尊名で呼ばれている点です。ちなみに、他の二神とは、天照大神の別称である「大日霎貴(おほひるめむち)」と大国主神の別称である「大己貴(おおなむち)」。この「道主貴」が、「海北の道中に在す。号を道主貴と曰す」と『日本書紀』の神代巻に出てくるわけです。

 先に、筑前国には19座の延喜式内社があり、この中の筆頭が宗像神社であると書きました。ここで、九州の他の国々の式内社数を挙げておくと、筑後国4座、豊前国6座、豊後国6座、肥前国4座、肥後国4座、大隅国5座、薩摩国2座となり、筑前国が圧倒的に数が多いことがわかります。関連して、大変興味深いことに、壱岐島は24座、対馬島には29座もの延喜式内社があり、古代日本において、壱岐・対馬と北九州がいかに重視されていたかをうかがわせます。ちなみに、参考までに、南海道の紀伊国は31座、淡路国は13座、阿波国50座、讃岐国24座、伊予国24座、土佐国21座となり、南海道ではわがふるさとである阿波国が圧倒的に式内社が多いのはなぜでしょうねえ?

 ところで、この沖ノ島からは12万もの祭祀具などが出土しました。すごい数ですね。そのうち、360点の国宝、また8万点の祭祀具も国宝に一括指定されています。なんという「国宝」の宝庫! いやはや!

この島の巨岩の磐座周辺で祭祀が執り行われ、それが、
(1)岩上祭祀(4世紀後半〜5世紀)
(2)岩陰祭祀(5世紀後半〜7世紀)
(3)半岩陰・半露天祭祀(7世紀後半〜8世紀)
(4)露天祭祀(8世紀〜10世紀)
の順で推移していきました

 わたしは長いこと、沖ノ島に参拝したいと思い続けてきました。しかし、沖ノ島へは2週間交替で奉仕する神主さん以外、年に1度5月27日の沖ノ島大祭の日に一般参拝が限定人数で許可されるだけです。そんな僅少機会なので、これまで一度も参拝するチャンスがありませんでした。しかし、昨年9月に、沖ノ島が世界遺産の国内予備登録が終わり、いよいよユネスコに申請するという運びになりつつあるので、今回、研修と参拝を兼ねて、特別視察参拝団が結成され、わたしにもその案内が回ってきたという次第です。

 この機会に行かねば、一生沖ノ島に渡る機会はないかもしれないと思い、思い切って参加したのです。そして、その参拝が終わったら、かの地でShinさんとお会いして、ふたたびゆっくり宗像大社辺津宮を参拝して、そのあと、久しぶりで一緒にカラオケでもと思って、お誘いしたわけです。そうしたら、Shinさんも、「宗像大社に参拝に行きたいと思っていたところなんです」と二つ返事で会いましょうということになり、さらにその前に玄海ロイヤルホテルでバッタリといういきさつとなりました。

 さて、宗像大社沖津宮は、「凄い」の一言しかありません。確かに、安芸の宮島の厳島神社の原型がここにありますね。宮島とは、瀬戸内に浮かぶ第二沖ノ島なのです。沖ノ島出張所。宮島の弥山山頂にも磐座の巨石がありますが、この沖ノ島の磐座群はそれよりも数が多く、大型で、圧倒的なド迫力。またその上、亜熱帯性の植物も繁茂している南方系の森で、わたしは宮崎県の青島とか沖縄の御嶽の森に入ったような錯覚に陥っていたほどです。特に、世界遺産にもなった沖縄本島最高の聖地・斎場御嶽(セイファーウタキ)の珊瑚石灰岩の巨岩の祭祀場にそっくりな感じがして、「ああ、やはり、あるべくところに、あるべくして、あるべきかたちがあるのだな」と心から納得した次第です。

撮影:富田伸
撮影:富田伸

撮影:富田伸
 参拝に向かう前に、30名が一斉に真っ裸になって禊をしました。だいたい、禊は褌一丁で行うものですが、ここでは褌もつけない、裸一貫、生まれたまんまのお姿です。いやあ、気持ちよかった〜。海に入る前と上がった後に法螺貝を奉奏しました。そうしたら、参拝団のおじさんが「ホラ貝さん、一枚写真撮らせて」と頼むので、一枚だけならと応じると、さあ大変! われもわれもと、「一枚撮らせて」と大撮影会になりそうだったので、「わたしは見世物ではありません!」と厳しく言い放ち、裸体写真を収めることに制限を加えたのでした。おお、助かった〜。

 一の鳥居から山道を登っていく途中から、シシ神の森に入っていく感じがして、沖津宮で、祓詞、祝詞奏上、長谷川団長の玉串奉奠の後、参拝者の一人の詩吟奉納、そしてわたしの法螺貝と横笛の奉奏。心ゆくまで笛を奉納演奏することができ、ありがたかったです。この沖津宮の周りは、三方が磐座の巨石で、後でぐるりを廻ると、益田勝実氏が『秘儀の島』(筑摩書房)で、天岩戸神話は宗像の沖ノ島での祭祀が原型となって神話化されたものではないかという説を提起していることにリアリティを感じるほどの「天岩戸」感がありました。胎内潜りができるほどの岩場もあり、「天の岩戸開き」を行なうという神話もあり得る話だと思いましたね。さすが、益田勝実さん、大変な慧眼でんな〜。

 山を下りる時、シシ神の森を通ったアシタカ少年や怪我人たちが、「体が軽くなった」とか「怪我が治った〜!」と言っていたけど、まさしくそんな感じで、体が軽くなり、元気になり、足の怪我もよくなったように思いました。「治った〜!」、そんな奇跡的な治癒や回復の感触がありました。いやあ、癒しの地、ですわ、秘儀の島・沖ノ島は。

 そんな次第で、そのあと、Shinさんと宗像大社辺津宮、高宮、元高宮を参拝し、オープンして間もない玄海町の紫雲閣セレモニーホールを訪れ、また小倉紫雲閣隣の「ムーンギャラリー」も見学させていただきました。

 次々と、大変良い立地にいい感じのホールやギャラリーと建てていると思いました。特に、玄海町のセレモニーホールは2階のホール入り口の大きな全面窓から川と山がよく見え、見送った死者の魂がこの川を通って、あの山に入っていくような、日本人の魂の行方を髣髴させる地形にあり、ここに葬儀に来られた方々の心をこの地形・風景は和ませてくれるだろうと強く思いました。聞くところでは、お父上の佐久間進会長が「ここがいい!」と即決されたとか。その直感は、恩師の折口信夫ゆずりですね。すばらしい!

 ムーンギャラリーも瀟洒で、入り口に置かれたイタリア製のテーブルとイスが何とも言えずよくて、そこに座ってパスタを食べ、エスプレッソを飲みたいと思いましたよ。中のラーメンの蝋燭とか持って帰りたいほど面白い蝋燭グッズやエッグアートの展覧会、そして、Shinさん推薦の金澤翔子さんの書「涙の般若心経」の屏風がありました。うーん、見事ですねえ。10歳の少女が書いたものとは思えないほど、しっかりと気迫とたましいが籠っていました。

 わたしも、いつか、書をやってみたいと思ってきましたが、近いうちに挑戦してみたいと改めて思いました。わたしは絵画はからきし駄目ですが、書を書くのは好きなのです。一気に、一息に書けるじゃないですか。それが、すべてが3分間でできる「神道ソング」と通じるのです。わたしの場合、「一気飲み」ならぬ「一気書き」でなければ何事もできぬようなのです。

 ともあれ、Shinさんが着々と日本に「隣人祭り」を定着させていっていること、大変心強く思っています。実は、わたしたちも、本日、台風接近する中、NPO法人東京自由大学の催しで、山尾三省さんを記念顕彰する「隣人祭り」ならぬ、「三省祭り」を行なったのですよ。京都大学東京オフィスを会場に。山尾三省さんとは兄弟のように育った作家の宮内勝典さんと田口ランディさんとわたしの三人で鼎談したのですが、実に面白くてスリリングでした。その内容は、いずれ三省さんの本をたくさん出している野草社から出版されることになると思います。たのしみにしていてください。

 ところで、わたしは、もう一人の義兄弟の近藤高弘さんと『火・水(KAMI)——新しい死生学への挑戦』(晃洋書房、2010年10月刊)を出しましたが、それがつい先ごろ、第2747回日本図書館協会の選定図書に選ばれたそうです。「天河護摩壇野焼き講」の14年の活動記録や自分の骨壺づくりの「解器(ホドキ)ワーク」をまとめたこの本が、日本中の図書館に置かれることを心から望みます。この挑戦的な試みは、新たな「現代の神話と儀礼」かもしれないも思いましたが、どうでしょうか? いずれにしても、愚直三兄弟のそれぞれの愚直を、さらに「愚愚っ!」と、グレードアップさせていきましょう! ごきげんよう、オルボワール!

2010年10月30日 鎌田東二拝