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シンとトニーのムーンサルトレター 第095信

第95信

鎌田東二ことTonyさんへ

 Tonyさん、今夜は、旧暦で卯月十五日の満月です。月がひときわ大きくて妖しいです・・・・・。最近のメールの内容などから推察するに、Tonyさんは7月に開催される第4回「こころの再生に向けて」シンポジウムの準備で大変お忙しいようですね。今回は、「震災と語り」がテーマとか。「震災後の幽霊の語りと民俗」なども取り上げられるそうで、非常に興味深いです。わたしも幽霊について語ること、つまり「怪談」とは鎮魂と慰霊の文学であり、ひいてはグリーフケア文化であると考えており、近く上梓する2冊の著書でもそのことに触れています。

 1冊は『命には続きがある』(PHP研究所)で、東大大学院教授で東大病院部長の矢作直樹氏とわたしの「死」と「魂」と「葬」をめぐる対談本です。矢作氏の『人は死なない』とわたしの『愛する人を亡くした人へ』という2冊の本がクロスオーヴァーした対談本で、コンセプトは「愛する人は死なない」です。スピリチュアルな問題についてもガチンコで語っており、なかなか刺激的な内容になっていると自負しています。

 もう1冊は『死が怖くなくなる読書』(現代書林)で、「死生観」や「グリーフケア」などに関わる本を50冊取り上げたブックガイドです。Tonyさんの『古事記ワンダーランド』、島薗進さんの『日本人の死生観を読む』、玄侑宗久さんの『アミターバ 無量光明』、井上ウィマラさんの『人生で大切な五つの仕事』なども紹介しています。日本では珍しい本格的な「死のブックガイド」に仕上がったのではないかと思います。誠に不遜ながら、2冊とも送らせていただきますので、御笑読のうえ、御批判下されば幸いです。

 さて、この5月10日は、新月にして仏滅でした。5×10=50。そう、この日、わたしは50回目の誕生日を迎えたのです。自分が50歳になったなんて、信じられません。11年前の今日、39歳になったわたしは非常に焦っていました。あと1年で40歳を迎えるという事実の前に呆然としたのです。40歳は「不惑」と呼ばれます。不惑の年を迎えるにあたり、何をすべきかといろいろ考えましたが、「不惑」なる言葉が『論語』に由来することから、『論語』を精読することにしました。

 当時、サンレーの社長に就任したばかりでもあり、冠婚葬祭の根本思想としての「礼」を学び直したいという考えもありました。学生時代以来、じつに久しぶりに接する『論語』でした。一読して、目から鱗が落ちる思いがしました。当時の自分が抱えていた、さまざまな問題の答えがすべて書いてあるように思えたのです。江戸時代の儒者である伊藤仁斎は「宇宙第一の書」と呼び、安岡正篤は「最も古くして且つ新しい本」と呼びましたが、本当に『論語』1冊あれば、他の書物は不要とさえ思いました。

 そこで、40になる誕生日までに『論語』を40回読むことに決めました。それだけ読めば、内容は完全に頭に入ります。以後は、誕生日が来るごとに再読することにします。つまり、わたしが70歳まで生きるなら70回、80歳まで生きるなら80回、『論語』を読んだことになります。何かの事情で私が無人島などに行かなくてはならないときには迷わず『論語』を持って行きます。また、突然何者かに拉致された場合にも備えて、つねにバッグには『論語』の文庫本を入れておきます。めざすは、「論語バカ一代」です!

 こうすれば、もう何も怖くないし、何にも惑いません。何のことはない、わたしは「不惑」の出典である『論語』を座右の書とすることで、「不惑」を実際に手に入れたのです。そして、わたしは50歳になりました。「五十にして天命を知る」ということで、自らの使命を知ることでしょう。そして、それは「天下布礼」の道をさらに突き進み、孔子の人間尊重思想である「礼」の精神を広めていくことではないかと思います。

 わたしは、『論語』とは船のような存在ではないかと思います。人生の荒波を超えて無事に航海していける船ではないかと思っています。「志学」や「而立」や「不惑」や「知命」や「耳順」や「従心」といったものは、人生の港ではないでしょうか。『論語』という船に乗れば、安全に次の港に辿りつけるような気がしてなりません。わたしは、昨年の誕生日に次の短歌を詠みました。「不惑より港を出でし論語船 知命へ向かふ礼を求めて」

 わたしは『論語』に出合い、孔子に出会ったことに心から感謝しています。誕生日の夜、50回目の『論語』の通読を行いました。自分でもまだ違和感はありますが、とりあえず胸を張って「知命」をめざしたいと思います。

 ところで、5月9日、つまり50歳の誕生日の前日に素晴らしい映画を観ました。もう、これまでの50年間に観てきた映画の中でも5本の指に入る名作です。「シュガーマン 奇跡に愛された男」という映画で、本年度のアカデミー長編ドキュメンタリー賞を受賞しています。有楽町の「読売ホール」内にある「角川シネマ有楽町」で観ました。「ビックカメラ」の最上階と言ったほうがいいでしょうか。

 2012年のスウェーデン・イギリスのドキュメンタリー映画で、原題を“Searching for Sugar Man”といいます。1960年代後期にアメリカでデビューした歌手ロドリゲスの奇跡的な人生を描いた作品です。もう本当に「驚愕の事実」が描かれているのですが、それを書いてしまうとネタバレになってしまいます。この映画の核心部分をブログやツイッターに書くような馬鹿は、馬に蹴られるか鹿の糞まみれになって、地獄に堕ちたほうがいいでしょう。ほんとに。この映画には、以下のような多くの絶賛の声が寄せられています。

 「衝撃的! 史上最も素晴らしく感動的なドキュメンタリー」(Q誌)
 「パワフル、希望にあふれ、忘れられない」(Dazed and Confused誌)
 「驚異的で、信じられないくらい素晴らしい!」マイケル・ムーア(アカデミー賞受賞ドキュメンタリー監督)
 「とにかく感動! 必見の映画」スーザン・サランドン(女優)
 「これは、素晴らしき旅」(Daily Mirror誌)

 また、アカデミー賞だけでなく、サンダンス映画祭、ロサンゼルス映画祭、トライベッカ映画祭、モスクワ映画祭、ターバン国際映画祭、メルボルン映画祭、キャンベラ映画祭、アテネ映画祭などの賞も軒並み受賞しています。

 さらには、ナショナル・ボード・オブ・レビュー、セントルイス映画批評家協会賞、インディアナ映画批評家協会賞、フェニックス映画批評家協会賞、ダラスーフォートワース映画批評家協会賞、オクラホマ映画批評家賞などのドキュメンタリー映画賞をすべて受賞しているのです。

 ロドリゲスはその曲の雰囲気から、同時代に活躍したボブ・ディランとよく比較されました。しかし、発表した2枚のアルバムは商業的に失敗し、彼はアメリカの音楽シーンから姿を消してしまいます。その数年後、なぜか彼の音楽は地球の反対側にある南アフリカで大ブームとなります。エルビス・プレスリーやローリング・ストーンズよりも有名なミュージシャンとしてアルバムは爆発的なセールスを記録しました。彼のデビュー・アルバム「Cold Fact」は、ビートルズの「アビイ・ロード」やサイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」と並ぶゴールド・ディスクとなったのでした。しかし、彼は南アから忽然と姿を消します。地元の新聞には、「スーパースター、自殺!」と大きく報じられました。ステージに火をつけて、銃を手に取って引き金を引いたというのです。それは、あまりにもショッキングな死の報道でした。90年代に入って、南アの熱狂的なロドリゲスのファン2人が、今は亡きスーパースターの足跡を辿るべく、調査を開始します。その情報収集のためのサイトを立ち上げたところ、彼らは驚くべき事実に直面するのでした。

 この映画には、ロドリゲスの実際のナンバーがたくさん流れますが、わたしはそれらを聴いて感動しました。どれも、ものすごく名曲なのです。特にロドリゲスのニックネームにもなった「シュガーマン」という曲が最高に素晴らしい! もう最初の歌い出しから、なんだか涙が出てきます。一度聴いたら、鼓膜にこびりついてしまって、耳から離れません。ちなみに、「シュガーマン」というのは「麻薬売り」という意味のスラングですね。

 その仇名のせいで、彼は拳銃自殺で死んだのではなく、本当は麻薬漬けになって精神病院で死んだという噂も広まったそうです。映画館では、レコードジャケットを模したプログラムと映画のサウンドトラックCDが販売されていたので、迷わず購入しました。

 この作品には、南アフリカ共和国の不気味さがよく描かれています。この国は、人種隔離政策の「アパルトヘイト」で世界中から批判を浴びていました。それゆえ、南アでは鎖国状態のような情報統制が行われていました。その度を越した異常さはこの映画からもよく伝わってきます。異常といえば、映画の中のコンサート場面で出てくる南アの若者たちは男女を問わず、みんな超美形なので驚きました。まるでヒトラーが愛してやまなかったアーリア人の理想を姿を見るような不思議な気がしました。そして、わたしは、27年間も投獄された反体制活動家のネルソン・マンデラを描いた2009年の映画「インビクタス/負けざる者たち」を思い出しました。あのクリント・イーストウッドが監督した作品にも、非常に感動しました。

 それにしても、50歳になる直前にこの映画を観ることができて、本当に良かったと思います。正直に告白すると、「知命」とか何とか言っても、とうとう大台に突入するということで、わたしは少しションボリしていたのです。でも、この「シュガーマン 奇跡に愛された男」を観てから、気分が一変。冗談抜きで、生きる勇気のようなものが湧きました。そのメッセージを集約すれば、「人生、何が起こるわからない」「人生、あきらめてはいけない」ということになるでしょうか。大袈裟と思われるのを承知で言いますが、この映画を観てから、わたしにとっての人間とは二種類しかいなくなりました。すなわち、「シュガーマン」を観た人と、「シュガーマン」をまだ観ていない人です。

 Tonyさん、もし機会がありましたら、ぜひとも、この映画を観て下さい。ボブ・ディランに通じる音楽世界を持つ「神道ソングライター」のTonyさんなら、きっとロドリゲスの曲を気に入られることと思います。また、彼の数奇な人生には大いに共感されることと思います。わたしは、感動のあまり泣けて仕方がありませんでした。これほど多くのものを与えてくれて、人生を豊かにしてくれる映画は初めてです。「シュガーマン 奇跡に愛された男」がわたしに与えてくれたもの。それは、50歳以後の人生を毅然と生きていく覚悟でした。それでは、Tonyさん、また次の満月まで。オルボワール!

2013年5月25日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 Shinさん、50歳の誕生日、まことにおめでとうございます。「40にして惑わず」(不惑)、「50にして天命を知る」(知命)を『論語』を読み切ることで乗り切り、「天下布礼」を実践する雄姿は頼もしい限りです。50歳を過ぎて、ますますご活躍ください。「ションボリ」などする暇はありませんよ。まったく。

 ところで、ロドリゲスの『シュガーマン 奇蹟に愛された男』を観られた由。わたしも近々ぜひ観てみたいと思います。そこまで勧められたら、世界にただ一人、オンリー・ワンの「神道ソングライター」としては観ないわけにはいきません。

 でも、その前に観たい映画が一つあるのです。それは、5月31日に日本公開されるトム・クルーズ主演の『オブリビオン』です。この前、地下鉄丸ノ内線の四ツ谷駅のプラットフォームで、ふと、映画の宣伝の看板が目に入りました。一人の男が廃墟に佇み、巨大なビルの残骸を見上げているような光景でした。たしかそこに、「地球にたった一人、取り残された男」とか何とかの宣伝コピーが付いていたように記憶します。

 それが、『オブリビオン』、でした。どうも、昔から、この手の惹句に弱いのですよ。ニコラス・ローグ監督、デヴィッド・ボウイ主演の『地球に落ちてきた男』とか。これは、やはり、17歳の時、テアトル東京で観た『2001年宇宙の旅』のディープ・インパクトがトラウマのように残っているせいかもしれません。とにかく、わたしが人生上でこれほど感動したことはないという映画が、スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』でした。これを100回以上、観てます。何度観ても、すばらしいと思います。凄いよ、キューブリックさんは。

 そんなこともあり、もし有楽町で半日かけて映画のハシゴができたら、まず『オブリビオン』を観てから、次に、『シュガーマン』を観ることにします。次回は、その映画評になるかもしれませんね。

 さて、この前、わたしは西部講堂で、「神道ソングライター」として、7曲30分を歌うライブを行ないました。伝説の「京都大学西部講堂」でライブをするのは初めででした。ムーンサルトレターの94信に記したとおり、「京大俳句会50回句会記念イベント in 西部講堂」で、場所は京大西部講堂、主催は京大俳句会です。プログラムは、まずわたしの講演 「言霊あるいは言語遊戯としての俳諧」の後、公開句会「あなたの好きな俳句を選ぼう」を行ない、その後が約1時間半のライブで、ブルースバンドの仲田コージ & Boogie Baby Bandと神道ソングライター鎌田東二の共演、そして最後に、連句アニメーション「冬の日」(川本喜八郎監督、2003年、松尾芭蕉七部作「冬の日」のアニメーション作家35名のコラボ)でした。

 講演の方は、25年来のわが俳句論を展開したので、予定通りでした。そこ論点は以下のようなものです。

①「俳句」は「俳諧」である。
②「俳諧」は「俳=人に非ず+諧=皆言う」ワザである。
③「俳諧」は「写界主義」である。それは、「界面」を「写す」ワザである。
④対して「短歌」は「写心主義」である。それは「心(情)」を「写す」ワザである。
⑤「俳諧」は「徘徊=吟行」によって支えられる「地面の文学」である。あるいは、「地霊」を呼び出すワザである。
⑥その、場ないしアニミズム文学としての「俳諧」は、「脱人間(中心)主義」、「脱主体(個人)主義」を基とする「汎主体(俳諧=人に非ず・皆言う)主義」である。

 わたしは、かつて、「自我の他在—あるいは非‐私の文学としての俳諧」(『アサヒグラフ』臨時増刊1988年7月20日号、朝日新聞社)と、「廢苦國逃亡記」(『俳句空間』No.10、1989年9月、弘栄堂書店)と題する俳句エッセイを書いたことがあり、それを、23年前に、『意識と場所Ⅱ 異界のフォノロジー −純粋国学理性批判序説』所収(河出書房新社、1990年)に収めました。「俳句」は「俳諧」であり、「俳諧」は「俳=人に非ず+諧=皆言う」ワザであるというのが、25年来の持論なのです。

 松尾芭蕉は、元禄7年1月29日付けの高橋怒誰宛て書簡の中で、「物我一智之場所へ至」ることが肝要だと述べています。「物我一智の場所」とは、いうまでもなく、『奥の細道』の名句「閑さや岩にしみ入る蝉の声」や「荒海や佐渡によこたふ天河」の境地でしょう。芭蕉は「松の事は松に習へ。竹のことは竹に習へ。」と言った人ですから、「俳聖」というにふさわしい人だったと思います。

 わたしは、日本の四大詩人を、①山部赤人、②西行法師、③松尾芭蕉、④宮沢賢治、と考えています。そんなわけで、芭蕉は大好きですし、とても偉い人だと思っています。その芭蕉の辞世の句は、一般には、「旅に病で夢は枯野を駈け廻る」と思われていますが、じつはそうではなく、「清滝や波に散り込む青松葉」であるとのことです。このことを、わたしは、最近、魚住孝至『芭蕉 最後の一句—生命の流れに還る』(筑摩選書、2011年)を読んで知りました。芭蕉はなくなる少し前に、「清滝や波に塵なき夏の月」という句を作っていたのですが、それを、「旅に病で夢は枯野を駈け廻る」の後に、改作して、「清滝や波に散り込む青松葉」にしたというのです。

 その「青松葉」の語の中に、「松尾芭蕉」の名が詠みこまれているというのです。確かに「松葉」は逆に音読みすると「ばしょう」と読めます。また、「松靑」には「松尾」の「散り込む」ように詠み込まれていますね。このような俳聖の辞世の句の機智に唸らされます。

 加えて、この辞世の句の「清滝や波に散り込む青松葉」は、芭蕉が尊敬し敬慕してやまない西行法師の『新古今和歌集』収録の歌「ふりつみし高嶺の雪とけにけり清滝河の水の白浪」に対するアンサーソングであったと思うのです。降り積んだ雪が溶けて、清滝の川の白波になって流れていく。その流れの中に「散り込む我=青松葉である松尾芭蕉」というわけです。500年余の時を経て、西行はその後継者の応える「声」を聴き取ったのです。「清滝」の流れの中に。日本文学史を貫く二大詩人のすばらしい応答ではないでしょうか?

 とはいえ、5月18日の西部講堂でのイベントにおいて、そうした西行と芭蕉の応答についての主張まではよかったのですが、その当日のわが記念すべきライブは、まことに残念ながら、すべてにおいて、食い違いがありました。ボタンのかけ違いを最初から切り替えることができず、35点の赤点でした。世阿弥研究会の主宰者として、世阿弥の芸論を学んできた「物学」学徒としては大失敗・大失策。大失格でした。ううむ、むねんじゃ〜!

 その大失策とは、
①持参した緑のESPのエレキギターが使えなかったこと(大失策。作戦負け)
②急遽、変更して借りたエフェクターを使いこなせず、戸惑いながらの演奏で乗り切れなかったこと。
③借りた電子ピアノが普通のピアノとはタッチが異なり、勝手が違った上に、最初チェンバロから入るつもりだったのがそのことをすっかり忘れていて、演奏し始めて気づいたが、後の祭りで、それに気づいたことも手伝ってか、トチリにトチリ、集中できずに終わったこと。
④MCを入れずに最後まで飛ばそうと思っていたのが、1曲目の後にMCを入れてしまったために、緊張感と歌のテンションを維持することができなかったこと

 まあ、ライブ・パフォーマーとしては、大失敗・失策でしたね。「シュガーマン(砂糖男)」ならぬ「ソルトマン(塩男)」でしたね。本当に、かえすがえすも、残念無念ではありますが、しかし、転んでもただでは起きない、七転び八起の精神で、今後も精進努力してまいりますので、どうかご支援のほどよろしくお願い申し上げます。世阿弥研究会の一員としては、世阿弥からの学びを理論的にも実践的にももっともっと深めたいと思います。

 しかし、「怪我の功名」というのか、「不幸中の幸い」というのか、京大生の父兄の方が来てくれ、次のような感想を送ってくれました。「正直、神道ソングライターのほうはそれほど期待もせずに出かけたのですが、おもわぬ収穫でした。3Dにひそむ祈りと呪いと真摯と笑いと、もろもろが皮膚感覚として伝わってきて圧倒的でした。」。

 「3D」というのは、「神道ソングライター」としての3大ポリシー「でまかせ・でたらめ・でかせぎ」の「3D」のことです。3つ目の「出稼ぎ」はいつになっても実現しないなあと、諦めかけていたのですが、なんと、広島に住むその京大生の父親の方から、広島でのライブのオファーを受けたのです。なんとまあ、うれしいことでしょう! ありがたいことでしょう! 飛んで行って、思う存分、「神道ソング」を歌いまくりたいものです。はい。ありがとうございます。

 ところで、Shinさん、わたしは5月の連休中に対馬と壱岐に行きました。そこにおける延喜式内社と卜部の亀卜などのシャーマニズム文化と神道を探索するためでした。そのフィールドノートは「モノ学・感覚価値研究会」のホームページの「研究問答」欄の「東山修験道202〜208」に書いたので、時間のある時にご笑覧ください。

 対馬も壱岐も、実に、濃厚でした。対馬の北端から韓国の釜山まではわずか49・5キロ。博多に行く距離のほぼ1/3ですよ。朝鮮半島のシャーマニズム文化の影響をダイレクトに受けていますよね、この距離だったら。それが、対馬の神道を独自の形に彩っていると見えます。帰洛後、対馬在住の大変優れた郷土史家永留久恵氏の著作『対馬国志』(「対馬国志」刊行委員会)や「海童と天童——対馬からみた日本の神々』(大和書房)を取り寄せて、読み始めています。これまで対馬と壱岐に行きたい行きたいと思いながらもその機会がなかったので、今回の最初の壱岐対馬訪問を機に、何度か、通ってみたいと思います。

 最後に、NPO法人東京自由大学の新企画「震災解読事典」と「現代霊性学講座第3弾 山伏と修験道」のことを記します。東京自由大学を設立して15年目になりますが、「3・11」後の生き方を問い直すために新たに二つの講座を始めました。それが、「震災解読事典〜3・11の過去と未来を読み解く」と「現代霊性学講座第3弾 山伏と修験道〜森のいのちの声を聴くワザ」の二講座です。

 この「震災解読事典」の方の講師として、スローライフの提唱者の環境運動家で明治学院大学教授の文化人類学者の辻信一氏、民俗学者で学習院大学教授の赤坂憲雄氏、福島在住の詩人の和合亮一氏、作家の田口ランデイ氏、同じく作家の平野啓一郎氏をお招きします。対して、「山伏と修験道」の講師として、羽黒山伏で松聖や所司前を務めた大先達の星野尚文氏、大峰山伏で大峯金峯山修験本宗宗務総長で金峯山寺執行長の田中利典氏、修験道研究の第一人者の宗教学者で慶應義塾大学名誉教授で修験道管長・法首で総本山五流瀧尊院住職の宮家準氏、現代の若き修験者をめざすイラストレーター・山伏で明治大学基層文化研究所客員研究員の坂本大三郎氏と天台宗中應山蓮台院慶福寺住職で全日本仏教青年会副理事長の関口亮樹氏を招き、「森のいのちの声を聴くワザ」として修験道の今日的意味を探っていきます。

 「バク転神道ソングライター」であり、「東山修験道」道徒であるわたしとしては、ライブも修験道も同じ、「神仏諸霊や森のいのちの声を聴くワザ」であります。その「道」をまっとうし、精進努力にあい勤めてまいりますので、今後ともご支援のほどよろしくお願い申し上げます。

Shinさんの「知命」を心から祝して バク転神道ソングライター・鎌田東二拝