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シンとトニーのムーンサルトレター 第130信

 

 

 第130信

鎌田東二ことTonyさんへ

 Tonyさん、お元気ですか? 早いもので、京都大学こころの未来研究センターの教授退職記念講演会・シンポジウムからもう1ヵ月以上が経過しましたね。あのときの懇親会のお土産として頂戴したご高著『世直しの思想』(春秋社)を拝読しました。Tonyさんの最新作である同書は、Tonyさんのこれまでの活動の集大成であり、新たな出発の書でもあると思いました。

 Tonyさんは、同書において現代の日本は「大中世」とも言うべき激動と混迷の乱世の時代であると訴えます。では、「大中世」とは何か。Tonyさんは以下のように述べられています。「わたしが主張する現代大中世論とは、一言で言えば、4つのチ縁の崩壊現象とそれを踏まえた再建への課題を指している。それはまず、地縁・血縁・知縁・霊縁という4つのチ縁の崩壊現象として現れてくる。限界集落を抱える地域共同体やコミュニティの崩壊。家族の絆の希薄化と崩壊。知識や情報の揺らぎと不確定さ。『葬式は要らない』とか『無縁社会』と呼ばれるような先祖祭祀や祖先崇拝などの観念や紐帯や儀礼が意味と力を持たなくなった状況。物質的基盤から霊的・スピリチュアルなつながりまで、すべてのレベルでチ縁が崩落し、新たな効果的な再建策やグランドデザインを生み出せないでいるのが今日の現状である」

 わたしも、「葬式は、要らない」や「無縁社会」などは亡国のキーワードであると思っていました。そのようなところへ、2011年3月11日に東日本大震災が発生しました。「葬式は、要らない」「無縁社会」といった妄言は、M9の大地震が粉々に砕き、大津波が流し去ってしまった観がありました。遺体も見つからない状況下の被災地で、多くの方々は「普通に葬式をあげられることは、どんなに幸せなことか」と痛感したのです。やはり、葬式は人間の尊厳に関わる厳粛な儀式であり、遺族の心のバランスを保つために必要な文化装置であると確信します。

 Tonyさんは東日本大震災の発生後、「世直し」への想いを強められたようですね。わたしも「世直し」には深い関心があります。わが世直しのキーワードは、「天下布礼」です。この語の「礼」には「人間尊重」という意味が込められています。しかし、つねづね「『人間尊重』は『人間偏重』に通じる危険がある」とわたしに対して訴え続けて下さるTonyさんは、同書で以下のように述べています。

 「現代世界において、人間だけに都合のよい『世直し』をするだけでは真の『世直し』とは言えまい。かつて『人類愛善会』を作った出口王仁三郎の『人類』とは、『人群万類』を意味したという。つまり、大本の説く『愛善世界』とは、『万教同根』思想に基づき、戦争のない世界のみならず、人種や宗教間の敵愾心を超えて和み合い、動物も植物も、草木花に至るまで万物がみな親和し合う『人類万類愛善』であった」

 ここでTonyさんが言うように「和み合い」「親和し合う」世界を創造することが「世直し」ならば、その目標とするコンセプトは「和」の一語に集約されます。わたしは『和を求めて』(三五館)で「和」について書きました。「和」は大和の「和」であり、平和の「和」です。「和」といえば、「和をもって貴しとなす」という聖徳太子の言葉が思い浮かびます。聖徳太子は単なる仏教保護者ではありませんでした。神道・仏教・儒教の三大宗教を平和的に編集し、「和」の国家構想を描いたのです。

 さて、じつは「和を以て貴しと為す」は聖徳太子のオリジナルではなく、『論語』に由来します。学而篇に「礼の用は和を貴しと為す」があります。「礼のはたらきとしては調和が貴いのである」の意味です。聖徳太子に先んじて孔子がいたわけですね。孔子は儒教の開祖ですが、『世直しの思想』の中でわたしが最も興味深く読んだのは、儒教および孔子についてのくだりでした。第五章「世直しと教育と霊性的自覚」の第一節「韓国儒学の学びから」の冒頭を、Tonyさんは以下のように書き出しています。

 「ほとんどの人が儒教を倫理道徳だと理解している。ご多分にもれず、わたしもそのような1人であった。だが、最近、『儒学は道徳の学ではなく、美学である』という認識と意見を韓国で聞いて目を見開かされた。わたしは儒教についてずいぶん表面的で一般的な理解しかしていないのではないかとも反省させられた」

 このTonyさんの言葉は、人類史上で孔子を最も尊敬し、「礼」を求めて生きているわたしにとってこの上なく嬉しい言葉でした。「おおっ、Tonyさん、やっとわかってくれましたか!」と叫びたい気分でした。Tonyさんが儒教に対する見方を改めたきっかけは、韓亨祚韓国学中央研究院教授の「儒学は道徳の学ではなく、美学である」という観点と主張だったそうですね。この「儒学は美学である」という思想は、わが父である佐久間進の生き方に強く感じます。父は冠婚葬祭業の傍ら、小笠原流礼法を学び、さらに今年からは利休以前の茶道として知られる小笠原家茶道古流の会長に就任します。

 父は著書『わが人生の「八美道」』(現代書林)の「まえがき」で「礼法を学び、おじぎを極め、会社を興し、すべてが『美』を追い求めてきた気がします」という一文に続いて、父は以下のように述べています。「『正しいか、正しくないか』——私にはわかりません。『美しいか、美しくないか』——これはわかります。『美』を唯一無二の基準にして、生きてきたような気が致します。自然の美しさに学び、心の美しさに涙し、無理のない美しい流れを大切にしながら生きてきました。ささやかではありますが、その行いのすべてが、今日ある私の姿です。良し悪しは他人様に評価して頂きたいと存じます」

 『世直しの思想』は「神界」のフィールドワーク後に「現世」に生還してきたTonyさんによる「世直し」マニフェストであり、その実践報告でもあります。今後の日本における「世直し」には、「グリーフケア」の分野が最重要になってくるような気がしてなりません。不肖の「魂の弟」であるわたしは、これからもTonyさんの「楽しい世直し」の道をともに歩いていく覚悟です。Tonyさんは京都大学こころの未来研究センターを定年退職されましたが、本書を読み終えたわたしには確かに「こころの未来」が見えました。

『世直しの思想』

『世直しの思想』『死ぬまでにやっておきたい50のこと』

『死ぬまでにやっておきたい50のこと』
 さて、新刊といえば、わたしも『死ぬまでにやっておきたい50のこと』(イースト・プレス)という本を上梓しました。同書では、死ぬまでにやっておきたいことを50個考えることを提案しています。死の直前、人は必ず「なぜ、あれをやっておかなかったのか」と後悔します。 さまざまな方々の葬儀のお世話をさせていただくたびに耳にする故人や遺族の後悔の念・・・・・・そのエピソードを共有していけば、すべての人々の人生が、いまよりもっと充実したものになるのではないかと考えました。

 わたしが経営するサンレー紫雲閣は、これまで多くの方々の葬儀のお世話をさせていただいてきました。そして、わたしは「終活」や死生観に関する本を何十冊も執筆してきました。いろいろな方の最期に立ち会い、「生」と「死」に関する古今東西の文献をひもとき、書きとめてきた経験を踏まえ、後悔のない人生を生き、そして「最期の瞬間を清々しく迎えるための50のヒント」をご紹介したいと考え、本書を上梓することにした次第です。Tonyさんにも送らせていただきましたので、ご笑読下されば幸いです。

 本の話が続きましたが、昨日、求めていた古書をついに購入することができ、わたしの心は喜びで打ち震えています。20年以上探していた幻の全集『世界聖典全集』全30巻を神保町の小川書店で購入したのです。同全集の端本は珍しくありませんが、全巻揃いはなかなか市場に出ません。昨年末、石川県白山市にある「呉竹文庫」で同全集の揃いを見かけ、どうしても欲しくなりました。ほぼ毎週末、ネットで探していましたが、一昨夜ついに発見。古書サイトへのアップ直後に購入することができました。

『世界聖典全集』前輯

『世界聖典全集』前輯『世界聖典全集』後輯

『世界聖典全集』後輯
 『世界聖典全集』とは、大正年間に世界聖典全集刊行会から出版された世界中の宗教や哲学における聖典を網羅した稀有壮大な叢書です。まさに大正教養主義を象徴する全集でした。仏典や四書五経はもちろん、『聖書』や『コーラン』、さらには『ウパニシャッド』、ゾロアスター教の『アヴェスタ』、エジプトの『死者の書』まで収めた奇跡の全集です。

 同全集は「前輯」と「後輯」に分かれていますが、前輯のラインナップは以下の通りです。1『日本書記神代巻』全(加藤玄智纂註)、2・3『四書集註』上下 (宇野哲人訳)、4・5『三経義疏』上 下(高楠順次郎訳)、6『印度古聖歌』全 (高楠順次郎訳)、 7『耆那教聖典』全 (鈴木重信訳) 、8・9『波斯教聖典』上下(木村鷹太郎訳)、 10・11『埃及死者之書』上下(田中達訳)、12『新訳全書解題』全(高木壬太郎訳)、 13『新約外典』全(杉浦貞二郎訳)、14・15『コーラン経』上 下(坂本健一訳)。また、「後輯」のラインナップは以下の通りです。1『古事記神代巻』全(加藤玄智纂註)、 2『道教聖典』全 (小柳司気太他訳)、 3〜11『ウパニシャット』一〜九(高楠順次郎他訳)、 12『旧約全書解題』全(石橋智信著)、 13『旧約外典』全(杉浦貞二郎訳)、 14『アイヌ聖典』全 (金田一京助訳)、 15『世界聖典外纂』全(高楠順次郎他著)です。

 ものすごいラインナップです。リアル「こころの世界遺産」と言うべき内容です。聖徳太子は神仏儒を「和」の精神で宗教編集しましたが、『世界聖典全集』もまさに「和」の精神で編集された前代未聞、空前絶後の出版物でした。特に126種の「ウパニシャット」を翻訳したことは偉業であり、インドでもこの試みはなされていませんでした。ちなみに、1980年に『ウパニシャット全書』の名で東方書院から復刻されています。

 しかし、『世界聖典全集』の本当の凄味は、最終巻の『世界聖典外纂』です。わたしはその内容を見て驚愕しました。以下の通りです。「世界宗教概説」高楠順次郎、「ボン教」寺本婉雅、「道教」小柳司気太、「朝鮮の天道・侍天教」幣原坦、「台湾の宗教」丸井圭次郎、「琉球の宗教」折口信夫、「印度六派哲学」木村泰賢、「印度教諸派」中野義照、「シク教」「ブラーフマ・サマージ」「アーリヤ・サマー」「神智教」宇井伯寿、「ユダヤ教」石橋智信、「ミトライズム」「摩尼教」「スーフィーズム」荒木茂、「バハイ教」松宮養一郎、「基督教各派源流」杉浦貞二郎、「景教」佐伯好郎、「モルモン宗」「クリスチャン・サイエンス」石橋智信、「印度の仏教」木村泰賢、「支那の仏教」常盤大定、「西蔵喇嘛教」寺本婉雅、「朝鮮の仏教」常盤大定、「仏教各派源流」鷲尾順敬、「主智教」鈴木宗忠)、「スヱデンボルグ」鈴木貞太郎、「フリーメーソンリー」川辺喜三郎、「シャマン教」ツァプリカ著・浅田抄訳、「倫理運動及び倫理教」井上哲次郎。

 なんと、鈴木大拙がスエデンボルグについて、早稲田大学教授で社会学者だった川辺喜三郎がフリーメーソンについて書いています。そして、何よりも驚くべきは、折口信夫が「琉球の宗教」について書いていることです。 いろいろ調べると、折口はこの全集を愛読しており、収録されているエジプトの『死者の書』に影響を受けて、彼の代表作である『死者の書』を書いたそうです。『死者の書』初版本の表紙や挿絵として使われているのは、『世界聖典全集』から引用しています。

 わたしは、まるで背後にフリーメーソンか大本教でも存在したのではないかとさえ思える「万教同根」のオーラに包まれたこの革張りの重厚な全集の虜になりました。あまりも謎が多いので、『世界聖典全集の謎』という本を書きたい欲望にも駆られますが、とりあえずは全巻読破することを老後の楽しみにしたいと思います。『世界聖典全集』を読破するという夢が、わたしの「死ぬまでにやっておきたいこと」に加わりました。

2016年3月23日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 今回のムーンサルトレターで、拙著『世直しの思想』を詳しく紹介し、批評してくださり、まことにありがとうございます。

 この『世直しの思想』(春秋社、2016年2月21日刊)と『世阿弥—身心変容技法の思想』(青土社、2016年4月10日刊)は、京都大学こころの未来研究センターでの8年間の一つの決算報告です。これを機に、再スタートを切って、さらに先に進みたいと思います。

 これに関連して、長らく理事長を務めてきたボランティア市民大学のNPO法人東京自由の第一期(ファーストステージ)が終了し、それに伴い、理事長職を退任しました。また、先のレターでも書きましたが、こころの未来研究センターを65歳で定年退職します。

 すべてを次の世代に託します。次世代につなぐことは最大の重要事です。「新陳代謝」がなければいのちは機能もせず、継続もしないから。

 というわけで、2016年2月13日に、NPO法人東京自由大学の「人類の知の遺産」講座の最終回で「石牟礼道子」を講義し、ほぼ1週間後の2月21日に京都大学稲盛ホールで「日本文化における身心変容のワザ」を講演したわけです。そのどちらでも、「詩」を最終課題として取り上げました。そしてそれはわたしの最初の課題でもありましたから。「詩」こそがわがαでありωでした。

 振り返れば、自分の人生が変わったのは、17歳になったばかりの1968年の春3月のことです。3月下旬、知り合いの叔父さんに自転車を借りて徳島県阿南市を出発し、2日がかりで四国を横断し、八幡浜から別府に渡り、阿蘇山麓を抜けて北九州横断道路を東西に移動したのです。そして、熊本から南下し、桜島を周遊して宮崎県に出、青島に立ち寄ったのです。それがすべての始まりで、大変化と大噴火の始まりでした。わがトラタヌ人生の。

 わたしは、青島体験後、「詩」を書くようになりました。その時、神話・物語と場所(神社・聖地)と詩・文学が一体化し、それが今に続いています。わたしがずっと生涯一貫して求めてきたのは「詩」でした。

 そこで、2つの「最終講義」では、一つは現代詩人・石牟礼道子に焦点を当て、もう一つは神代詩人・スサノヲノミコトに焦点を当てました。

 『苦海浄土』で知られる石牟礼道子さんは、本質的な意味の「詩人」です。本質的な意味での「詩人」とは、この世のものならざる声や隠れたもののつぶやきに耳を傾けて深く聴き取り、それをこの世につなぎ心に深く食い入る形で伝える通訳者であり媒介者であるということです。

 その「詩人」は、「草木言語(くさきこととう)」、つまり草木も磐根も森羅万象すべてが言葉を発しているという、古代的なアニミズム感覚に根ざして成立してきます。

 詩歌は飢えた子のお腹を満たすことはないと言われます。でも、間違いなく、詩歌は心と魂を満たすことにより、「透き通った本当の食べ物」(宮沢賢治)になる力(言霊)を秘めています。

 詩人・山尾三省さんは、「詩人というのは、世界への、あるいは世界そのものの希望(ヴィジョン)を見出すことを宿命とする人間の別名である」と言ってくれましたが、わたしもそのような意味での「詩人」でありたいとずっとずっと思い続けてきました。

 NPO法人東京自由大学第1期の最後の催しは、3月18日から2日まで2泊3日で、那須にある厳律シトー会那須の聖母修道院トラピスト修道院での春合宿でした。それは実に心に残る霊性的な合宿となりました。

 オープニングは、ショパンの演奏。そして、原爆詩の朗読。続いて、民謡やサックス演奏。また神道ソングの歌。それぞれが自由で、多様で、切実。そのかけがえのない時間と空間。

 NPO法人東京自由大学の春合宿の流れは以下の通りです。

2015年度「春合宿in那須」タイムスケジュール

3月18日(金)
 13:00 スタジオ雷庵にて
コンサート第一部
 13:20 ピアノ演奏「藤村百合子」10分
 13:30 朗読劇「ヒロシマ・ナガサキ」(夏の会)20分
 13:50 「夏の会」コメント 10分
 14:00〜 波の音効果音 詩朗読「フクシマ」(夏至の会)15分
 14:15民謡&サックス「相馬市・わかまつ兄弟」15分
 14:30〜   休憩10分

コンサート第2部
 14:40  サックス演奏(若松安男)5分 オープンカフェ  30分
 15:20  鎌田東二 2曲  10分
 15:40 出発
 16:10 トラピスト修道院入所
 17:00  晩課
 19:00〜21:00 「久高オデッセイ第三部風章 上映会」チームとの懇談

3月19日(土)
 3:45起床・4:05〜夜課
 6:30 ミサ
 9:00〜11:30★横尾先生を偲んで:横尾嘉子・アンジェラ豊田・鎌田東二
 11:50〜六時課 
 13:30〜14:30 座禅:横尾嘉子
 14:40〜15:30 アンジェラ豊田大院長先生と共に〜
 15:40〜16:40 ヨガ:松倉福子
 17:00〜晩課
 19:00〜21:00 ミーティング(横尾龍彦初代学長、大重潤一郎副理事長、岡野恵美子元運営員長への思いと思い出を語り合う)

3月20日(日)
 3:45起床
 4:05〜夜課
 6:15〜ミサ
 9:15〜10:15気功:鳥飼美和子
 10:20〜11:20 総括
 11:30退所
 11:50〜13:00 藤村靖之アトリエ:非電化工房訪問
 15:30 解散

 3日間、トラピスト修道院の弥撒はすばらしかった その祈りの歌唱に、身も心も魂も浄められました。ちょうど2年前、横尾龍彦画伯に導かれて、NPO法人東京自由大学の春合宿をここで行なったのですが、その時、修道女たちが捧げる讃美歌や聖歌や詩篇の歌唱の素晴らしさに魅せられたのです。これほど美しい歌唱を聴いたのは生まれて初めてでした。

 その修道院に、長年のご縁により横尾龍彦画伯のキリスト像と聖母子像が収められ、日々の祈りの対象となっているのです。とりわけ、祭壇正面の十字架にかけられたキリスト像は横尾龍彦画伯の遺作で、心血を注いでこの像を彫り上げ、まもなく横尾龍彦画伯は亡くなりました。本当に魂の籠った遺作です。

 拙著『世直しの思想』(春秋社)224頁〜229頁に横尾龍彦画伯のことを書いているので、ぜひご一読いただきたいですね。またその前後には、「久高オデッセイ」三部作の大重潤一郎監督のことや、「久高オデッセイ第三部風章制作実行委員会」事務局長岡野恵美子さんのことも書いてあるので、ぜひこちらも併せてお読みいただきたいです。もうすでに読んでいただき、いろいろと書評までしていただいていますが。

 この3日間、深い悲しみと喜びの中のグリーフケア、スピリチュアルケアの「最後の晩餐」でした。

横尾龍彦画伯作 聖母子像

横尾龍彦画伯作 聖母子像横尾龍彦画伯遺作 キリスト像

横尾龍彦画伯遺作 キリスト像基督像と聖母子像

基督像と聖母子像教会祭壇

教会祭壇
 このNPO法人東京自由大学第1期最後の春合宿で、これまで見向きもされず、完全に忘れられていた「東京自由大学第一校歌」が甦りました。忘れられていた「名歌」(?)が甦った(?)のです。何の「因果応報」なのでしょうか?

東京自由大学第一校歌「永遠からの贈り物」(1999年、鎌田東二作詞作曲)
ぼくたちの明日を信じて歩こう
ぼくたちの明日を信じてゆこう
ぼくたちの明日は果てしないけれど
ぼくたちの明日を信じてゆこう

永遠からの贈り物 それは自由
永遠からの贈り物 それは愛

あなたの心に届けたい 自由を
あなたの心に届けたい 愛を

ぼくたちのいのちを信じて生きよう
ぼくたちのいのちを信じてゆこう
ぼくたちの旅は果てしないけれど
ぼくたちのいのちを信じてゆこう

永遠からの贈り物 それはあなた
永遠からの贈り物 それは私

あなたのいのちに届けたい 自由を
あなたの心に届けたい 愛を

永遠からの贈り物 それはあなた
永遠からの贈り物 それは私

・・・・・・・・・

 付け加える言葉はありません。有難くも畏き最後の春合宿。神ながらたまちはへませ。これからも親分スサノヲはんのミッションに突き動かされて動いて参ります。今後ともなにとぞよろしくお願い申し上げます。

 2016年3月24日 鎌田東二拝


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