シンとトニーのムーンサルトレター 第111信
- 2014.09.09
- ムーンサルトレター
第111信
鎌田東二ことTonyさんへ
Tonyさん、このたび入院されたことを遅まきながら知ったとき、大変驚きました。昨日、9月8日、京都大学こころの未来研究センター研究員の奥井遼さんから以下のメールが届きました。
「鎌田先生が先々週の金曜日に網膜剥離で緊急手術を受けられました。まだ入院中ですが、本日、退院なさる見通しが立ったそうですので、ご報告申し上げます。今のところの退院予定日は今週の金曜日(12日)です。手術後、入院中はずっとベッドにうつ伏せの絶対安静状態を維持しておられます。そもそもの原因についてはよく分からないそうなのですが、症状としては、左目の網膜に何らかのきっかけで穴があき、隙き間から眼球の中の硝子体(ゲル状)が流出し、網膜がペロリと一部剥がれてしまったそうです。症状が出た翌日に手術ができ、また無事に成功しましたので、大事には至らず済みました。うつ伏せ状態を『修行』『身心変容技法』とおっしゃっていたのはさすがでした。退院後、メールのやり取りができるようになれば、本MLにも復帰されるかと存じます。なお、退院後も数日は自宅療養が続きまして、この間、日本宗教学会のパネル以外のすべてのお仕事がストップいたしますので、ご迷惑をおかけいたします、と伝言を預かっております。ご快復を祈りつつ、以上、ご報告させていただきます」
このメールは、Tonyさんが主宰される「身心変容技法研究会」のメンバー宛に同時配信されたものですが、うつ伏せ状態を「身心変容技法」と表現されたのは、わたしも「さすが!」と思いました。一日も早い回復をお祈りいたします。
Tonyさんとは、てっきり6日に東京でお会いできるものだとばかり思っていました。そう、日本スピリチュアルケア学会の「第7回学術大会 in東京」で。6日の朝、わたしは北九州空港からスターフライヤーで東京に飛びました。赤坂見附の定宿にチェックインして、大会の会場となる四谷の上智大学まで歩いて行きました。ここ最近は業界や会社の仕事が忙しく、なかなか勉強ができませんでしたが、一念発起して、この大会に参加する決意をしたのです。この大会のことは、前回の「ムーンサルトレター」第110信で知りました。2日間にわたる開催ですが、Tonyさんが2日前のシンポジウム「宗教とスピリチュアルケア」に出演されるというので、わたしは参加を決めました。上智大学グリーフケア研究所所長の島薗進先生、前所長の高木慶子先生にお会いする目的もありました。
しかし、会場に到着してみると、Tonyさんの姿が見えません。島薗先生から網膜剥離の手術も受けられて入院中だとお聞きしました。大変驚きましたが、わたしには手術の成功と早い回復を祈るほかはありませんでした。でも、会場では、島薗先生をはじめ、京都大学のカール・ベッカー先生、高野山大学の井上ウィマラ先生などにお会いしました。
その他にも、医療、グリーフケア、仏教、キリスト教の世界で有名な方々も多かったです。
さながら「スピリチュアルケア・サミット」の観がありましたね。わたしも何人かの方から「一条さんですよね?」とか「ブログ、いつも読んでいます」などと声をかけられ、恐縮しました。
上智大学副学長である川中仁先生の基調講演「カトリックのスピリチュアリティ」に続いて、評論家の柳田邦男先生による記念講演「人生の総括とスピリチュアリティ」を拝聴しました。柳田先生といえば、1936年生まれで、わが国を代表するノンフィクション作家です。1971年に『マッハの恐怖』で第3回大宅壮一ノンフィクション賞、79年に『ガン回廊の朝』で第1回講談社ノンフィクション賞を授賞するなど、ノンフィクション関連の賞を総ナメにされています。航空機事故、医療事故、災害、戦争などのドキュメントや評論を数多く執筆していますが、わが子の自死について書いた『犠牲(サクリファイス)—わが息子・脳死の11日 』をはじめ、「死」に関する著作が多いことでも知られます。
柳田先生の講演は、以下の問題意識に沿った興味深い内容でした。
1.「物語を生きる人間」とスピリチュアリティ
——傾聴・聞き書きを中心に
2.「生活臨床」とスピリチュアリティ
——自然・生活の周囲から見られている「私」
3.苦しみ・悲しみの意味とスピリチュアリティ
4.言葉とスピリチュアリティ
(1)名言・名句の力
(2)表現することの力
5.音楽とスピリチュアリティ
6.ユーモアとスピリチュアリティ
7.「死後生」から見つめられている「今」
柳田先生は、「死」や「グリーフケア」に関するさまざまな書籍を紹介しながら、時にはその中の一節を朗読して下さいました。わたしは特に、『ホスピス通りの四季』徳永進著(新潮文庫)に大きな関心を抱きました。早速アマゾンで注文しましたが、早く読んでみたいです。先生は、ナチスによるユダヤ人強制収容所に入っていた心理学者V・E・フランクルの不朽の名著『夜と霧』(みすず書房)にも言及されました。
また柳田先生は「名言・名句の力」について大いに語りました。わたしの口癖ですが、言葉には人生をも変えうる力があります。そして、言葉は悲しみの淵に沈んでいる心を癒すこともあります。まず先生は、フランクルの「あなたが人生に絶望しても、人生はあなたに期待することをやめない」とか「それでも人生にイエスを言う」といった言葉を紹介しました。続いて、死生学の古典である『死』を書いた哲学者V・ジャンケレヴィッチの「死は生を無にするが、死は逆に自らを無にすることによって、生を意味づけするものだ」などの言葉を紹介しました。
さらに柳田先生は、「人生(いのち)のライフサイクルの新しいとらえ方」を図表で説明し、ライフサイクルの先には「死後生」があることを明言されました。「死後生」とは、「肉体はなくなっても、人の生きた証(精神性、心)は、大切に思ってくれた人の心の中で生き続ける」ということだそうです。わたしは、東京大学医学部大学院教授の矢作直樹先生との共著『命には続きがある』(PHP研究所)でも述べたように、「死後生」の存在を信じることこそはグリーフケアの核心であると考えています。
「死後生」がもたらすものとして、柳田先生は以下の5つを挙げました。
(1)遺された人の人生を豊かに膨らませる
(2)「死後生」をよりよいものにするために、自分は「今」いかに生きるか
(3)死への恐怖が薄らぎ、未来を展望するようになる
(4)医療者やケアワーカーも「死後生」まで展望したケアのあり方を考えるようになる
(5)これら全体こそ、スピリチュアリティの「開花」である
柳田先生のお話は大変「学び」の多い素晴らしい内容でした。90分の講演時間の予定でしたが、110分ぐらい話して下さいました。講演が終わると、会場から盛大な拍手が起こりました。そして10分間の休憩を挟んで、「総会」「資格認定・認定プログラム授与式」が開かれました。
18時からは、2号館の5階ホールで懇親会が開かれました。ここでも柳田先生が御挨拶をされ、島薗先生や高木先生もじっと聴いておられました。乾杯の後は大いに盛り上がりましたが、わたしは柳田先生と高木先生のお二人と名刺交換させていただき、貴重なお話を拝聴しました。わたしも、自分がやっていること、これから目指すことを簡単に説明させていただきました。お二人とも大変興味深く聴いて下さいました。
また、Tonyさんがいなくてションボリしているわたしを気遣われたのでしょう、島薗先生が何かと話しかけて下さり、その優しさに感激しました。というわけで、鎌田先生にお会いできなかったのは残念でしたが、とても有意義な時間を過ごすことができました。この日に学んだこと、考えたことは、必ずやわたしの新しい著作に反映したいと思います。
今回は、Tonyさんの現状からレターを書くことは困難と思い、わたしは6日に以下のようなメールをお送りしました。
「いま、上智大学に来ています。『スピリチュアルケア学術大会』に参加するためです。お会いできることを楽しみにしていました。しかし、島薗先生から突然の欠席を知らされ、驚いております。網膜剥離とのこと、心よりお見舞い申し上げます。どうぞ、無理をしないで療養に専念されて下さい。今回のレターを書くことは困難かと思われますが、1回パスしますか?それとも、わたしだけでも書きましょうか? いずれにせよ、メールが可能な状態になったら、御一報下さい。くれぐれもお大事に・・・・・・」
すると昨日、奥井さんからのメールとともに「ぜひレター、かいてください。お願いsm巣。おこころづかい、まことにありがとうございます」とのメールを頂戴しました。その乱れたメールの文面から、まだ見えにくい目であるにもかかわらず、必死にわたしのためにパソコンのキーボードを叩かれた光景が浮かんできて、わたしは胸がいっぱいになりました。「ぜひレター、かいてください」と言われたからには、書きます。そして、今このレターを書いています。
9日の夜、わたしは、いつものように小倉織の染織家である築城則子先生の工房で開催された「月見会」に参加しました。北九州の空は晴れており、 八幡は猪倉の上空に神秘的な満月が昇りました。夜も更けてくると月も上へと移動します。余計な照明のない猪倉の山の稜線が黒いシルエットとなり、満月を中心に虹のような光輪ができて、まことに幻想的でした。本当に月は良いもんです。そして、Tonyさんとわたしの縁も「月」がとりもつ月縁です。わたしは、いつも月を見上げるたびに、「Tonyさんも、あの月を見ているかなあ?」と思います。退院前の現在、まだ名月を肉眼で鑑賞することは厳しいでしょうが、ぜひ心眼で愛でられて下さい。一日も早い回復を心よりお祈りいたします。
北九州市八幡の猪倉から見た満月
2014年9月9日 一条真也拝
一条真也ことShinさんへ
Shinさん、この間のお心遣い、まことにありがとうございます。9月6日に上智大学での「日本スピリチュアルケア学会」でお会いできることを楽しみにしておりましたので、「想定外」の網膜剥離となり、緊急入院・緊急手術となり、Shinさん始め、いろんな方々にご心配とご迷惑をおかけしてしまいました。申し訳ありませんでした。そして、お見舞い、ありがとうございました。
わたしはこの2週間余、社会からドロップアウトしておりましたが、先ほど日本宗教学会での発表を終えて帰宅したところです。初社会復帰の仕事が、日本宗教学会第73回学術大会での「宗教研究として『身心変容技法』が問いかけるもの」のパネル発表となりました。
棚次正和京都府立医科大学教授、鶴岡賀雄東京大学教授、津城寛文筑波大学教授、井上ウィマラ高野山大学教授とわたしの5人で、日本宗教学会第73回学術大会第10部会パネル発表【宗教研究として「身心変容技法」が問いかけるもの】を行ないました。
網膜剥離の手術と入院加療のため、入院が長引けば参加できない不安がありましたが、懸命に「うつ伏せ行者」を続けて、何とか、本日の責めを果たすことができました。関係各位の絶大なる協力と支援と配慮とお見舞いにより、恙なく有意義に2時間を越えるパネル発表済ますことができ、嬉しかったですよ。社会復帰初仕事でしたから。
実は、わたしは、8月21日から26日まで、NPO法人東京自由大学の夏合宿で、福島県の浪江町から岩手県宮古市や遠野市や花巻市まで、東北被災地を巡っているうちに、目の異変に気づきました。左目の右半分近くがブラックアウトしたのです。
京都に戻って町の眼科医に診てもらうと、「網膜剥離」とのことで、その場で京大病院に電話され、着の身着のままで緊急入院、翌日手術となったのです。たぶん「網膜剥離」の原因は、加齢による老化と繰り返された打撲と激しい運動や活動だと思います。「想定外」の「異変」でしたが、左目の半分近くまで網膜が剥がれていたので、危うく視力を失いかけて寸前での緊急手術でした。
が、その日(8月28日)から、患者としては最優等生で、医師や看護師さんに褒められました。ひたすら早く「娑婆」に戻りたい一心で、24時間の内、23時間うつ伏せ状態を維持しましたからね。山伏ならぬうつ伏せ行者の五体投地の修行。確かにきつかったですが、こんな「修行」はしようと思ってもできないと思ってやりぬきました。退院した後もガスが抜けきるまでこのうつ伏せ状態が続きます。
退院後外に出て、眩しい光の中、秋風が吹き過ぎて行くのを感じ、あまりの爽やかさに涙しました。2週間寝たきりだったために、体はふらふら、真っ直ぐ見ようとすると頭くらくら、バランスが取れず、転びそうでしたが。最も感動したのは秋の気配の立ち込めた「風」でした。
入院中の2週間の間に、石牟礼道子の『苦海浄土』第一部と第二部と第三部の一部を毎日家人に読んでもらいました。600頁余の石牟礼道子全集のほぼ2巻分がしっかり耳に入りました。これは、有難くも得難い経験でした。床伏せしたまま、石牟礼道子の作品を聴きながら、これは「草木言語う」凄絶で美しく哀しく祈りと呪詛の籠った作品だと深く深く感じ入った次第です。
来週、9月18日から20日まで、3日間熊本に赴き、病中の石牟礼道子氏(87歳)に「こころの未来」第14号のための巻頭インタビューをします。たぶんお会いして直接話の出来る生涯唯一の機会になると思います。心して臨みます。
1時間の網膜剥離の手術は、部分麻酔だったために、眼球にブスリと麻酔注射するのがよくわかりました。執刀医は京都大学の鈴間准教授でした。動いてはいけない、ミリ・ミクロン単位の手術なので、思わずクシャミをしないかとかと緊張したが、懸命に不動の姿勢を保ち、手術は成功しました。
目にメスが入った時でしょうか、スタンリーキューブリックの『2001年宇宙の旅』のラストシーンの木製重力圏に引き込まれていく際のサイケデリックな光と色彩の洪水のような状態を体験しました。
光りの拡散と変化。そして、赤の爆発(おそらく血が出たのでしょう)と変容。3つめは、ゴヤの人間群像のような集合紋様。そんな視覚変化がありました。2週間の床伏し行では、手術をしていない方の目が腫れに腫れ、「線香花火が燃え尽きて落ちる寸前」の「お岩さん顔」に「身心変容」しました。
ほとんど目をつむったままの2週間の間、極彩色の夢を見続けました。最後に見たのが、次のような夢です。
——知人の写真家の若き女性が講堂のようなところで「美と霊性」について講義をし、理路整然と静かに講義をし終えた。
と思う間もなく、突然、講師の隣にあった大きな書棚を見上げて、突然、そこにある書物を全部、荒々しく投げ散らした。その棚の置物もすべて床に叩きつけて壊した。
最後に一番大きな置物を叩き壊そうとした時、経営者とも責任者とも理事長とも見える老人が「やめろ!」と止めようとしたが、後の祭りだった。それは激しく床に叩きつけられ、壊れて勢いよく転がった。
よく見ると、それは巨大な人間の頭であった。若き女性はその壊れた頭の脳みそを思いっきり蹴り飛ばした。脳みそがコロコロと音を立てて転がった。
それを見ていたわたしは、
「なるほど、そうなのか。魂というものは、霊性というものは、『無限定』なものなのだ。」
と呟き、深く、納得していた。
虚空に「無限定」という言葉が鳴り響いていた・・・・
とまあ、そんな夢でした。
そして、この2週間の間に、2首の短歌と1つの詩が出来ました。
くれないに燃え果てるまで生き通し
常世の境 越えてゆくらむ
うつしみの身はひとひらの蝶と化し
闇夜の空をこえわたりゆく
「待ち望む」
水の音とともにかすれゆく記憶
天にはふたまたの大烏がいて
象の肺腑を覗き込んでいる
沁み込んでいく入日を受ける
朝日の食卓に並べられた色鮮やかな蓴菜も
今日の記憶を辿ろうとしても
<忘れようとしても想い出せない>日々
哀しみのトレモロ
着の身のままでまっすぐに生きて来た人びとともに潮風に吹かれ
この世にあるひとときを
凪の海を見て過ごす
けれどもすぐにまた
荒れ狂う風乱の神々
額づいて唱える乱声の祝詞さえも
千々に途切れて微声となって止む
<光陰矢の如し>
旅人に還る所はない
故郷を失くした流浪者は
はたして旅人といえるのだろうか
地下水脈の行方に耳を澄ましながら
明日が生まれてくる産声の予兆を聴く
しかし
何ものも生ぜず
何ものも滅することもない
不生不滅
不増不減
定常宇宙
エントロピーさえも風と共に去りぬ、か
やがて静かに起き出してくるモノたち
眠れる獅子どもの首に数珠つなぎになったヒト細胞群の飛散する蒼穹は
星雲の彼方からの呼び声に応じて木霊する
SOS
SOS
スピリット・オープン・スペース
スピリット・オープン・スペース
と
モールス信号のようにまたたく太陽の眸
もうこれ以上の願いを語ることは
許されぬとしても
許されぬ闇の希望とともにある
往ける者
逝けるモノよ
この世にはもはや
持ち運びできる塵一つない
落されたる時間と空間の不定の渚に
ただ
泡の如く浮かび
を待つ
待ち望む
この2週間、左脳(脳の左半球)をほとんど使っていなかったのかもしれません。外界から遮断され、テレビも見ず、新聞も読まず、ほとんど暗黒の世界にいて、自己の内面を見つめることと夢を見ることが「うつ伏せ行」の主な仕事でした。
63年生きて来て、手術をしたのも、入院したのも初めてです。大きな病気はしたことがなかったので、よい機会となりました。自分を振り返り、立ち止まって足元を見る機会に。なにせ、トイレに行く時も、1メートル先しか見てはいけないというお達しなので、首を上げて真っ直ぐ世界を見るということがまったくなかったのですから。だから、世界の見え方が変わりました。世界の見方も変わりました。完全に視野狭窄でした。が、違うモノが見えました。
これから、どのように生きていくか。おのれの「生のコンパス(羅針盤)」に問いました。この「生のコンパス」こそが「スピリチュアリティ」だと思います。
ところで、入院中に、『講座スピリチュアル学第1巻 スピリチュアルケア』(BNP)が出ました。ぜひ読んで、ご批評ください。楽しみにしています。
2014年9月14日 鎌田東二拝
▼参考資料:
9月14日に同志社大学で発表した「身心変容技法研究」の要旨。
「身心変容技法」とは身体と心の状態を当事者にとってよりよいと考えられる理想的な状態に切り替え変容・転換させる諸技法をいう。古来、宗教・芸術・芸能・武道・スポーツ・教育などの諸領域で様々な「技法」が 編み出され、伝承され、実践されてきた。本パネルでは、そうした「身心変容技法」の研究が「宗教研究」に何を問いかけるかを、総論と各論を通して検討する。
まずその問いは、研究方法(手法)と研究対象(内容)に分けられる。研究方法としては、「身心変容技法」に関する文献研究・フィールド研究・臨床研究・実験研究がある。とりわけオウム真理教事件後の宗教研究にとって、本研究はフィールド研究と臨床研究において現代的意義と批判的応用的価値を持つものである。また、昨今隆盛の脳神経科学的な実験研究と関連する問題としても可能性と批判的反省の意義を持つ。
研究対象としては、祈り・祭り・元服・洗礼・灌頂などの伝統的宗教儀礼、種々の瞑想・イニシエーションや武道・武術・体術などの修行やスポーツのトレーニング、歌・合唱・ 舞踊などの芸術や芸能、治療・セラピー・ケア、教育プログラムなどの諸領域があり、またその起源・諸相・構造・本質・意義・応用性・未来性を問うことができる。宗教研究としては、身体論や身体技法論、修行論、変性意識状態・神秘体験(宗教体験)・回心・心直し研究などに総合的な知見と基準をもたらすものと期待できる。
そこで鍵となるもっとも一般的な身心変容技法は、「調身・調息・調心」という言い方に見られるように「呼吸法」である。また日本の芸能や芸道・武道においては「重心」(腹や腰の入れ方・あり方)も重要となる。それとの関連において、スーフィーダンスのような回転やジャンプ(跳躍)、足踏み・首振りなども問題となる。
可視化できる身体の領域から、目には見えないが感受できる心の領域、そして目にも見えず感受も不確かではあるが種々の宗教体験や宗教思想の中でリアリティを持つ霊の領域までをつなぐ「ワザ」として諸種の「身心変容技法」を挙げることができるが、日本における最初の「身心変容技法」の文献記述として、『古事記』におけるアメノウズメノミコトの「神懸り」を取り上げてみたい。この「神懸り」は、『日本書紀』では「俳優(ワザヲギ)」と言い換えられているが、それは単に演劇的な変身という意味以上に、「人に非ず優れたるモノと成る(化す)超越のワザ」である。それが神楽・鎮魂などの日本の芸能の起源伝承の一つであり、能や歌舞伎や各種の民俗芸能とも連なっていく。
人が神と成り、動物や植物や鉱物や物と成り、身心変容していく超越ないし変態(変身)のワザ。こうして、宗教研究にとって、もっとも重要な課題の一つとしての自己変容や関係変容の問題をこの「身心変容技法研究」は総合的・総体的・方法的に追求することのできる領域となる。同時に今後、霊長類研究や進化生物学にとっても、「乱世」おける身心再生の方策としても、未来的な示唆を含み与える課題となるであろう。
「体は嘘をつかないが、心は嘘をつく。そして、魂(霊性)は嘘をつけない」というのが、「身心霊」三層関係に対するわが持論である。それゆえにこそ、「心」に対する洞察と方法的対峙が重要となる。その課題に「身心変容技法研究」は真っ直ぐに応えるものである。
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