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シンとトニーのムーンサルトレター 第128信

 

 

 第128信

鎌田東二ことTonyさんへ

 数十年に一度という超寒波の到来で、小倉もかなりの雪が降っています。Tonyさん、あけましておめでとうございます。旧年中はお世話になりました。今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。お正月はいかがお過ごしになられましたか? 元旦の朝、わたしは例年通りに北九州の門司にある皇産霊神社を訪れ、初詣をしました。

 それから1月4日の北九州から始まった全国各地での新年祝賀式典の社長訓示で、今年が申年であることに言及しました。猿といえば日光東照宮の三猿が有名です。「みざる・きかざる・いわざる」の出典は、『論語』です。本来は「うごかざる」が加わり「四猿」です。

 『論語』(岩波文庫、金谷治訳注)の「顔淵篇」には以下のくだりがあります。顔淵が孔子に仁とは何かを問うた。孔子は「己に打ち勝ち、礼の原点に立ち戻ることが仁である。一日己を律して礼に立ち戻れば、世の中が仁の心に立ち戻るだろう。すべては自分次第の問題であり、他人を責めてはいけない」と答えた。顔淵が「その要点を教えてください」と尋ねると、孔子は「礼にはずれたことは見ず、礼にはずれたことは聞かず、礼にはずれたことは言わない、礼にはずれたことはしないことだ」と教えた。顔淵は「わたしは愚か者ではありますが、先生のお言葉を実践してまいります」と宣言した・・・。そう、申年の本年はまさに「礼の年」なのです。礼は「儀礼」によって実現されます。

 今年最初に驚いた芸能ニュースは、「週刊文春」がスクープしたタレントのベッキーとロックバンド「ゲスの極み乙女。」のボーカル川谷絵音の不倫報道でした。川谷絵音は昨年夏、バンドを結成時から支えた女性と結婚しました。しかし、世間には結婚したことを公表しませんでした。結婚していること自体を秘密にしているため、結婚式も挙げませんでした。彼の奥さんは身内だけでも結婚式をしたいと願望を伝えましたが、その気持ちは届きませんでした。川谷絵音とベッキーは本物の「ゲスの極み」になってしまいましたが、その最大の理由は、川谷がきちんと結婚式を挙げなかったことに尽きると思います。

 自分が結婚しても結婚式を挙げないと、ゲスの極みになってしまうのです。同じく、親が亡くなっても葬儀を挙げないのもゲスの極みです。孔子の最大の後継者である孟子は人の道を歩む上で一番大切なことは親の葬儀をあげることだと述べました。

 さて、前回のレターでTonyさんは「世界の涯てに」という香港映画の話をして下さいましたが、そのDVDを新年早々に観ましたよ。Tonyさんは「わたしは子供の頃から、『世界の涯て』という言葉に大変弱いので、もうそれだけで滂沱の。。。なのです」と書いておられましたが、わたしも「世界の果て」というイメージは好きです。ロマンがありますよね。じつは、わたしがカラオケで唯一歌う(歌える)英語の歌はブレンダ・リーの“The End of The World”なのですよ。この前、「DAN」という東京の赤坂見附にあるカラオケ・スナックで歌ったところ、数百人の中で見事1位に輝きました。わたしが生まれた1963年に作られた曲ですが、これを歌っていると、もう泣きたくなるくらいにセンチメンタルな気分に浸されてしまいます。

 映画「世界の涯てに」の話に戻します。主人公の女性ケリーは恋人であるテッドを探し当てますが、彼は故郷であるスコットランドの田舎に帰ってしまいます。テッドによれば、「世界の涯て」でもあるその島は墓だらけで、老人しか住んでいないといいます。若者がみな島を出てしまったからですが、島に戻る理由が2つだけあります。1つは「亡くなった親族を埋葬するため」であり、もう1つは「自分が死んで埋葬されるため」だとテッドは言います。この言葉を聴いて、わたしは人間が生きる目的そのものを語っているように思えてきました。人間は、愛する者たちを弔うため、また自分自身が愛する者たちから弔われるために、この世に生を受け、この世を旅立って行くのではないでしょうか。

 「世界の涯て」に心を奪われたケリーは、病身でありながらテッドのもとに辿り着き、そこで生命の不思議・神秘を実感します。テッドは以下のような話をします。

 「大自然はじつに素晴らしく、神秘に満ちあふれている。山にあるものはいつか海に至り、海にあるものはいつか山に戻る。その良い例がサケかもしれない。海で生まれたサケは必死に川を上って生まれ故郷に戻ってくる。傷だらけになって上りきると、その後、卵を産んで静かに死んでいく・・・・・・」

 そして、ケリーはテッドに連れられて、ついに「世界の涯て」にやって来ます。そこは寒流と暖流が出合う奇跡の海でした。その瞬間は非常に神々しく、まさに大自然の神秘、偉大さを感じさせる感動的な光景でした。わたしは、この場面は皆既日食、あるいは結婚式に似ていると思いました。なぜなら、寒流と暖流の結婚、太陽と月の結婚、そして男と女の結婚・・・すべて、この世の陰陽のシンボル同士が合体する大いなる錬金術が実現する瞬間だからです。錬金術が行われる場面ほど、神秘の瞬間はありません。

 じつは、わたしはこの正月に次回作である『死ぬまでにやっておきたい50のこと』(仮題、イーストプレス)という本を脱稿したのですが、その中に「圧倒的な大自然の絶景に触れる」という項目を置きました。どこまでも青い海、巨大な滝、深紅の夕日、月の砂漠、氷河、オーロラ、ダイヤモンドダスト・・・・・・人間は圧倒的な大自然の絶景に触れると、自らの存在が小さく見えてきて、「死とは自然に還ることにすぎない」と実感できるのではないでしょうか。そして、大宇宙の摂理のようなものを悟り、死ぬことが怖くなくなるのではないでしょうか。映画「世界の涯てに」に登場する大自然の神秘もケリーの死の恐怖を払拭する力を持っていたと思います。

 以上のような「世界の涯てに」の感想をブログに書きましたが、それを読まれたTonyさんから「すばらしい! さすが、Shinさん! 脱帽! 脱糞! いや、失礼!」というメールが来ました(笑)。Tonyさんはまた、「『はなちゃんのみそ汁]』を観て、感動!」とも書かれていました。それで、わたしも「はなちゃんのみそ汁」を観ました。
 画公式HPの「イントロダクション」には、「日本中が涙した! ベストセラー実話エッセイを映画化! 広末涼子×滝藤賢一×赤松えみな(期待の新人)×一青窈 豪華キャストの幸せなアンサンブル」というリードに続いて、以下のように書かれています。

 「がんでこの世を去った千恵、33歳。5歳の娘と夫、家族との日々をつづったブログを基にしたエッセイ『はなちゃんのみそ汁』は2012年に発売されるやいなや、常にひたむきな明るさで生きる安武一家の姿が日本中で大きな話題を呼び、関連書籍やテレビドラマ化、教科書への採用など社会現象を巻き起こし、このたびついに映画化」

 映画の中で千恵は古谷一行演じる自然食の専門家のもとへ通い、自然治癒力を高める指導を受けます。そのために多額の費用が発生し、親や友人から借金までした場面には複雑な思いがしました。専門家の意見に従って、千恵は玄米や味噌汁を食べ続けましたが、結果としてはガンに勝てずに亡くなったわけです。これは、「自然治癒力ではガンを克服できない」と見るべきなのか、それとも「食事療法によって自然治癒力を高めなかったら、千恵はもっと早く亡くなっていた」と見るべきなのか。難しいところです。この問題、Tonyさんはどのように感じられたのでしょうか?

 いずれにせよ、自然食の専門家のアドバイスによって、千恵は毎日、具だくさんの味噌汁を飲み続けます。それを幼い娘の伝授する姿が、映画のタイトルにつながったわけです。はなを演じた子役の赤江えみなちゃんはとても可愛くて、わたしも思わず笑顔になりました。演技というよりも、子どもらしさをストレートに発揮していて好感が持てますね。

 千恵は「もしお母さんがいなくなったとしても、味噌汁さえあれば生きていける」と言って、はなに味噌汁作りを伝授しますが、それはわが子の今後の食生活のためということもあるでしょうが、それ以上に千恵は味噌汁作りを伝授することによって「死の恐怖」を軽減していたのではないかと思います。「自分が死んでも、この子が同じ味噌汁を作り続けてくれる」という思いが、「生命の連続」というものを意識させてくれたのではないでしょうか。じつは、わたしは、この味噌汁作りの伝授のシーンを観て、「これは孝だ!」と思いました。そして、そこに儒教の真髄を見た思いがしました。

 孔子が開いた儒教における「孝」は、「生命の連続」という観念を生み出しました。日本における儒教研究の第一人者である大阪大学名誉教授の加地伸行氏によれば、祖先祭祀とは、祖先の存在を確認することであり、祖先があるということは、祖先から自分に至るまで確実に生命が続いてきたということになります。また、自分という個体は死によってやむをえず消滅するけれども、もし子孫があれば、自分の生命は存続していくことになります。わたしたちは個体ではなく1つの生命として、過去も現在も未来も、一緒に生きるわけです。つまり、人は死ななくなるわけです!

 学生時代に声楽を学んでいた千恵は、亡くなる前に「ふれあいコンサート」に出演し、多くの観客の前で歌います。その前に、夫に対して「ありがとう!」と呼び掛けますが、それを聞いた夫は号泣します。この場面には、わたしも貰い泣きしました。夫婦の絆とは、家族が順風満帆なときだけではなく、逆境の中でこそ強まるのだと思います。このコンサートは千恵の生前葬であると思いました。

 千恵は亡くなる前に「わたしはツイてる」と書き残して旅立って行きましたが、本当に彼女はツイていたと思います。だって、良き夫を得て、かわいい娘を授かって、素晴らしい生前葬を行って、さらには本物の葬儀で天国に旅立ったわけですから。それにしても、彼女が妊娠したとき、がんの再発を恐れて中絶も考えたとき、「おまえは死んでもいいから産め」と言い放った彼女の父親は偉いと思います。結果的に、彼女は娘を産んで育てたことで、幸せで「ツイてる」人生を送ることができたわけです。

 はなに対して千恵は、「ちゃんと作る」「ちゃんと食べる」ことの大切さを徹底的に教え込みました。すべての日本人が肝に銘じるべき言葉であると思います。手軽なインスタント食品やファーストフードばかり食べていては、日本のガン患者は増える一方です。

 最後に、わたしは千恵がきちんと結婚式を挙げ、きちんと葬儀を挙げたことを素晴らしいと思いました。結婚式や葬儀を挙げることは本来当たり前の行為ですが、現在の日本では当たり前でなくなってきました。「ゲスの極み」が増える一方です。ちゃんと結婚式をする、ちゃんと葬儀をする・・・ちゃんと儀式をすることが、ちゃんと人生を送ることにつながるのではないでしょうか。「はなちゃんのみそ汁」を観て、そんなことを思いました。

 最後に、この1月20日から「朝日新聞」でコラムの連載を開始しました。連載タイトルは「一条真也のこころの世界遺産」です。『論語』や『聖書』や『コーラン』などの聖典をはじめ、『ギリシャ神話』『古事記』『アラビアン・ナイト』、それにアンデルセンや宮沢賢治の童話など、多くの人々の「こころ」に影響を与え続けている書物を毎月紹介していくつもりです。ということで、Tonyさん、今年もどうぞよろしくお願いいたします。



「朝日新聞」2016年1月20日朝刊

2016年1月24日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 新しい年が始まりました。申年の本年は諏訪大社の御柱祭のある年になります。今年はよりいっそう異常気象に気をつけなければならないと思っています。地震、噴火、台風、ありとあらゆる自然災害が連鎖反応的に起こってくる可能性があると思っています。が、仮にそのような大災害があったとしても、それに一つ一つ対応して、そこから深い学びと生き方と点検をしていくべきだと思っています。

 加えて、テロ事件を含め、人災も多発することが懸念されます。もはやどこにも安全と安心はありません。ありませんが、わたしたちが生存を継続していくにはどうしても「安心」装置が必要です。毎日をビクビクと怯えながら生活していては、それこそ、「病は気から」で病気になってしまいます。免疫力を高めるためにも「安心」は必要です。

 そこで、いっそう必要になっていくのは、安全なき社会においてもつかの間の「安心」を得ることのできる「身心変容技法」です。たとえば、能=申楽のことを、世阿弥は『風姿花伝』の中で、繰り返し、「魔縁」を退け、「福祐」を招くワザ=芸能であり、申楽が「天下の御祈祷」であることを強調していますが、世阿弥が生きた時代は南北朝の対立があり、それを統合していくぎくしゃくしている乱世でした。その時代に、世阿弥は申楽・複式夢幻能という「身心変容技法」を編み出して「安心」を招きよせようとしたのです。

 また、千利休がまとめあげた侘び茶も戦国時代のもっとも戦いの激しい時期にあるような「戦場の一服」のような「安心」装置が作られたのです。あの狭い茶室空間は、戦いを起こしえない平和と安心を、一時でも、またこの「小宇宙」の中だけでも、生み出すための大変優れた「安心のワザ学」であり、仕掛けです。

 わたしはこのムーンサルトレターを、2016年1月24日午後、京都に帰る新幹線の中で書き始めています。13時50分東京発の新幹線に乗りましたが、折からの西日本の大雪のため、到着が遅れ、車内整備に時間がかかり、10分ほどの遅れで出発しました。たぶん、関ヶ原辺りで徐行運転などがあって、京都到着は予定より30分ほど遅れるのではないかと推測しますが、どうでしょうか? まずは新幹線を「信用」しないことには始まりません。何事も「信用第一」です。

 ところで、『世界の崖てに』の感想、ありがとうございます。この映画の中にでてくるイギリス西北の大西洋沖に浮かぶ「故郷の島」は戦慄的に素晴らしいですね。わたしはこの「島」に魅せられ、映画にも魅せられてしまいました。この美しくも神々しい神秘的な「島」の存在がなかったら、これほどこの映画に入れ込んではいなかったでしょう。まさに、「いのちの島」、「たましいの島」、ケルト神話の「ティル・ナ・ノーグ(常若の国)」や、日本の「青島」や「厳島」や「沖ノ島」や「久高島」や「妣の国・常世の国」や「ニライカナイ」のような。

 ところで、「はなちゃんのみそ汁」ですが、わたしは1月9日に、大阪梅田駅近くの阪急インターナショナルホテルの裏手にある「テアトル梅田」で時間つぶしのために偶然に観たのです。2015年製作、広末涼子と滝藤賢一主演、阿久根知昭監督作品でした。5歳の女の子と西日本新聞社の記者の夫を遺して、35歳で乳癌が全身に転移して死んだ女性が、娘に「いのちと生き方」を「みそ汁づくり」を通して伝える実話を元にした映画です。

 これはまったく期待していなかったのですが、非常に深く感じ入りました。この女性がカトリックの信者(カトリック家族)だったということも、いろいろと符合するものを感じました。というのも、昨年末12月19日に、東京自由大学初代学長・横尾龍彦画伯のカトリック所沢教会での告別式と非常によく似たシーンが2度あったからでもあります。それは、主人公の女性の父の死の場面と、主人公自身の死の場面の2ヶ所でした。

 主人公の女性千恵さんは若くして(たぶん20代後半で)乳癌になり、35歳で亡くなりましたが、かけがえのない夫と娘を得て、「私はツイていた」とブログや日記に書いて死んでいきます。まさに「グリーフケア」と「スピリチュアルケア」の映画でしたね。

 もう一つ、大切な感じ入った点。この女性は大学では「声楽」を専攻していたのですが、結婚とともに歌を本格的に歌うこともなく、闘病と家事で精一杯でしたが、最後に娘と夫に感謝と「いのち」の根源を開示するかのように、「ふれあいコンサート」の舞台で歌を歌いました。そしてその後まもなく死んでいった(と映画では描かれている)点です。「神道ソングライター」のわたしとしては、この「歌の力と心と霊性」を深く深く感じ入った次第です。

 「歌は国境を超える」とよく言われますが、それだけではありません。「歌は生死を超える」のです。その意味で、「歌は永遠」と言えます。

 さて、Shinさんがお訊ねのこの映画の中で出てくる自然治癒力や免疫力を高める古谷一行演じる自然食の専門家の件ですが、Shinさんがなぜ高額の費用がかかるのかと疑問を呈しています。その治療費を払うために親や友人から借金してとても苦労して治療を受けるという場が描かれているからです。わたしも、玄米食や味噌汁食などの食事療法になぜそのような高額な治療費がかかるのかよくわかりませんでしたが、ここのところはもう少し事実関係を調べないと何とも言えません。原作の本が出ているようですので、そこにはもう少し詳しく書かれているかもしれません。

 Shinさんは「自然治癒力ではガンを克服できない」と見るべきなのか、それとも「食事療法によって自然治癒力を高めなかったら、千恵はもっと早く亡くなっていた」と見るべきなのか、と問いかけていますが、答えは両方でしょう。間違いなく、この食事療法で一度は癌は消えたようですし、よくなっていました。が、最終的には、それだけでは再発を防ぐことはできなかったということです。再発可能性は遺伝子の構造もあり、食事療法だけですべてが解決するということはないと思います。さまざまな要因が加わりながら再発したということでしょうが、再発のメカニズムの科学的エビデンスはないのではないでしょうか?

 ところで、わたしがはまった(毎日見続けた)映画にもう一つ、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』(Hedwig and the Angry Inch、ジョン・キャメロン・ミッチェル監督、2001年製作)があります。これは、もともと、ニューヨークのオフ・ブドードウェイで、大ヒットした演劇(音楽劇・ミュジカル?)を映画化したものです。

 わたしはこれを観始めてから病み付きになり、1ヶ月、30日・30晩は毎晩深夜に見続けました。なぜ観たのか、今となってはどうしても思い出せませんが、どこかで1回観て、はまりました。DVDを買って、毎晩寝る前に真夜中に見ていました。それを見ないと、眠れないのです。

 旧東ドイツのベルリン生まれで哲学を学んでいた大学生のヘドウィグが、米軍GIと恋仲になり性転換をして亡命し、アメリカにわたり、しがないロック・シンガーとしてドサ回りするのですが、その途次、トミー・ノーシス(文字的には「グノーシス Gnosis」)少年と合い、彼に愛を音楽のすべてを注ぎますが、性転換したことがバレ、トミーは去り、ヘドウィグの作った曲でロックスターにのし上がっていきます。それを追いかけながら失われた片割れを求め続ける切ないプラトン的かつグノーシス的求愛の物語です。マドンナがこの作品の曲の権利をほしがっていたとのことですが、サンダンス映画祭の最優秀監督賞やベルリン国際映画祭のテディ・ベア賞などいくつもの受賞の栄誉に輝いています。

 とりわけ、テーマ曲とも言える「愛の起源(The Origin Of Love)」と、「Angry Inch」と「Your Arms Tonight」がすばらしく、「愛の起源」はプラトンが『シンポジオン(饗宴)』で記した自身の半身を求めるエロス論が童画的な映像とともに歌われていて、切ないものがあります。

 愛とは、おのれの片割れを求める行為である。昔々、人間は一対であった。男男の一対、女女の一対、男女の一対。その頭が2つ、胴体が1つ、手足が4本ずつの一対人間のパワーがあまりに強大になりすぎたので、神様が懲らしめに真っ二つに引き裂いたいので、人間はそれ以来、自分の元の姿を恋い求めるというアリストファネスのエロス説を歌にしたものですが、これは「グノーシス主義映画」でした。

 1月16日、NPO法人「世直し講座」で細野晴臣さんに「音と耳の可能性〜聴くことと発すること」のタイトルで話をしていただきました。とても面白く意味深いものがありました。まさに「節目」の催しでした。細野晴臣さんとは1984年夏に天河で出逢い、以来いろいろなことを一緒にやってきましたが、特に伊勢の猿田彦神社での「おひらきまつり」における「現代神楽」の演奏はいろんな意味で刺戟的でした。

 細野さんは言いました。「神楽の世界には間違いがない」と。この「間違いというもののない神楽」は、まさに伝統芸能としての神楽ではない(なぜなら伝統芸能のシテの神楽には様式や曲や型が決まっているので間違いはあります)、「原神楽」の真髄だと思います。「神懸りするような神楽」は、演奏のような、決め事のような神楽ではないはずですから。

 その講座で仰天したことが一つあります。それは細野さんが1980年代に治療を受けていた人が神道家で滝の行者の異名を持っていた金井南龍氏であったことです。・このことはわたしにとっては大変サプライズでもあり、面白くもありました。

 細野さんは1980年代の中頃に、金井南龍さんと一緒に「グルジェフ舞踊」の会に行ったのですが、金井さんはそれを見て「これは悪魔のダンスだ」と怒っていたとのことです。そしてYMOの音楽を聴いて「天狗倒し」と言ったようです。「天狗倒し」とは妙義山の天狗のお囃子のようです。また細野さんの体調が悪いと、枇杷の葉の風呂に入れてくれたようです。修験の山の崖の中腹で猿が作る「猿酒」を分けてもらったこともあるようです。金井南龍さんは人の霊格を富士山に譬えて「八合目だ」などと表していたとのことです。また甘いものが好きで「小豆は身体にいい」と言いながらぜんざいなどを振る舞ってくれたようですが、そのせいかどうかわかりませんが、金井南龍さん自身はとうとう糖尿病になってしまったようです。

 実は、わたしも30年近く前に金井南龍さんに2回ほどお会いしているのです。また「さすらの会」で発行していた「さすら」という雑誌も2〜3冊買った記憶があります。笠井叡の弟子の神領國資さんが金井南龍の神道の弟子だったので、1982〜3年頃に連れていかれて、金井南龍さんにお会いしたのでした。またわたしの年長の友人の心霊研究家の梅原伸太郎さん(ハリー・エドワード『霊的治療』国書刊行会の翻訳や『他界論』春秋社などの自著があります)も金井南龍さんと面識があったので2人がつなぎ役で面会したでした。

 その金井南龍さんと再会したのは、「スサノヲの到来」展においてでした。もちろん、金井南龍さんはとうに亡くなっていますが、金井南龍さんの絵画作品が9点(「妣の国」「龍宮城の花火」「昇り龍 降り龍」「江の島霊験記」「高千穂と山王龍」「灑水観音の瀧」「富士諏訪木曽御嶽のウケヒ」「秋の彼岸の中日に七面山より富士山頂からの御来光を仰ぐ」「秩父 清浄の瀧」)、「スサノヲの到来」展に展示されていたからです。その作品はスサノヲ・スピリットの籠ったすばらしい作品でした。

 さて、昨日、NPO法人東京自由大学の講座「人類の知の遺産」では、「魔界の人・川端康成」を「魔界も行き来する現代のオルフェウス(詩人)」吉増剛造が大胆かつ繊細に読み解く「川端康成」論が展開され、大変面白くお聞きしました。睡眠薬中毒の川端康成は、その朦朧の中で、「山の音」「眠れる美女」「みずうみ」「ひまわり」などの作品を書いたようです。特に、京都の流響院で1週間ほど滞在して、その山の音を聴きながら、また妖怪のような曲がった紅葉を見ながら、「山の音」を書いたとか。



NPO法人東京自由大学で「川端康成」論を講義する吉増剛造さん

吉増剛造さんは、「不如抛筆対真山」と画いた浦上玉堂(文人画の最極北。侍脱藩。七弦琴をかついで放浪)の「微茫惨澹」の描画法についてとても印象的な話をしてくれました。それは、世界が滲んでくる描法で、ぼーっとしているところに世界をもう一度立ち上げる描法とのことですが、それはまさに映像詩人吉増さんご自身の映画作品の撮り方そのものであるかのようでした。

 吉増さんは、「伊豆の踊子」に描かれているトンネルと「雪国」冒頭で描かれているトンネルを結びつけ、転移と変奏について鋭く深い洞察を示してくれました。踊り子たちが「山のトンネル」を抜けて、その後からトンネルを抜けた後、次の章で、踊り子に出逢う場面と「雪国」の「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった」とがトンネル体験・トンネル表象でつながっているという「トンネリズム(?)」の指摘。

 また、「雪国」の主人公島村が駒子の指を噛む印象的なシーン。そして、「この指が覚えていた」というセリフ。そこに祖父の記憶が甦るのだと。子どもの頃、眼の見えなくなった祖父の掌に字を書いて手紙を伝えた体験が(「十六歳の日記」)。そしてそれが「掌小説」に変じていくと、大変大胆な洞察を示してくれました。①トンネル、②指、③声の川端三大話をしてくれ、本当に霊感に浸った1日でした。ありがたや!

 「24時間詩人」吉増剛造さんの本領発揮。本当に素晴らしかったです。凄かったです。吉増さんの人柄はピュアーで真っ直ぐでしかもオルフェウスのようにデモーニッシュというかディオニュソス的。その直観とアングルは冴え渡り、独自の切り口から本質をみ取る。そしてそれを即時の声として表現としてアウトプットする。「24時間詩人」の面目躍如!

 終了後の「神田オープンカフェ」でわたしは言いました。NPO法人東京自由大学が一番大切にしてきたのは「詩」だと。「師」ではなく。「人はパンのみに生くるにあらず。世界の口から息吹く『詩』によりて生くるものなり」というわけです。その昔、「文学は飢えた子の前で何の役に立つ?」という、サルトルたちだったか、実存主義者だったの問いがあったと記憶します。その時わたしは「飢えた子の前」でも誰の前でも「詩」は必要だとしんそこ思ったものです。「はなちゃんのみそ汁」だけでなく。「詩」はいのちのみなもと、存在の息吹きです。

 NPO法人東京自由大学副理事長の大重潤一郎の映画『黒神』(1970年製作)にも『久高オデッセイ』三部作にも「詩」がいっぱい詰まっています。というより、「詩」しかありません。『久高オデッセイ』はすばらしい長編詩篇です。

 そして、東京自由大学・横尾龍彦初代学長の絵も「詩」です。そしてまた『宇宙曼荼羅』(BNP、2014年)の著者海野和三郎(東京大学名誉教授・天文学者、91歳)東京自由大学第2代学長は「宇宙詩人」です。大重さんと横尾画伯は昨年7月22日と11月23日に亡くなりましたが、「死人〜詩人に口あり」、その作品が永遠に「詩」を語り続けているのです。

 ところで、10日ほど前の1月15日に、京都左京区の恵文社一乗寺店で「黒神」(95分)上映会&トークを行ないました。入場者は一般13名、学生5名の合計18名でした。最初20分ほど前段の話を話して法螺貝を奏上し上映を始めました。映画は「時代を超えた傑作」だと改めて思いました。

 「日本の悪霊」(1970年)、「祭りの準備」(1975年)を作った黒木和雄監督が、1970年当時、「黒神」の試写を観て「10年早い傑作」と評したとのことですが、わたしは「40年早い傑作」だったと思っています。とりわけ、東日本大震災後、この「黒神」の真価が姿を顕わしたと思います。この自然災害多発の混迷の時代の中で。

 桜島の麓の山の荒地を開墾する主人公の農夫が鍬を振り上げながら、夢想に入る場面。男が白装束で桜島への岩山をトランス状態で登って行くシーンは、「複式夢幻能」を見ているかのようで、この上なく幻想的で幽玄でした。寺山修司や唐十郎や龍村仁監督の演劇や映画はサービス精神もエンタメも外連味もたっぷりで歌舞伎的で大衆受けをするけれども、大重潤一郎の作品はまるでそのようなサービス精神が一つもない断捨離を徹底した「能」のような作品であると思っていましたが、「黒神」を改めて観て、やはり「これは『能』である!」と確信しました。「黒神」は「複式夢幻能」形式の傑作である、と。

 ラスト近くの5つの1文字:「火」「祭」「闘」「酔」「狂」は、大重さんのこの時代を串刺しするメッセージでした。この部分は、1970年、いやもろ「60年代」でした!

  「祭」=「死からの再生」
  「闘」=「叫びと連帯」
  「酔」=「安らぎの命」
  「狂」=「まぼろしとの出会い」

 そして、大重潤一郎の遺作『久高オデッセイ第三部 風章』(2015年)が、45年前の「黒神」(1970年)とあまりに見事に対応し照射し合っているのに感嘆しました。畑を耕しているオバア、盆踊りを踊る村人たちは、久高島の畑を耕すオバアたち、また旧正月などでみんなで一緒にカチャーシを踊る島人たちの姿と重なり合います。

 映画を観終わって、18名一人一人に感想を述べてもらいました。そして、その後、総括的に話をし、最後の最後で、亡くなった方々に鎮魂の3曲の「神道ソング」を歌いました。新作2曲、旧作1曲を。

  ①夢にまで見た君ゆえに
  ②面影
  ③永訣の朝

 忘れられない一夜となりました。ありがとうございました。

 2016年1月24日 鎌田東二拝