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シンとトニーのムーンサルトレター 第188信

 

 

 第188信

鎌田東二ことTonyさんへ

 Tonyさん、霜月晦日となりました。明日からは、いよいよ師走となります。あと1ヵ月で、今年も終わりますね。今年は、なんといっても新型コロナウイルスに振り回された1年でした。しかし、冠婚葬祭業界へのグリーフケアの導入は着々と進みました。

 先月4日は、グリーフケアの時代を開く記念すべき日となりました。その日、全互協会と上智大学グリーフケア研究所の精鋭陣による「グリーフケアPT」のメンバーが小倉に集結。まずは会議を行いました。久々に開催されたリアル会議は、グリーフケアの定義から、テキストや試験問題の内容、ワークの評価の方法まで、議論が大いに白熱しました。

 その後、場所を移動して、「グリーフケア資格研修発会式」が行われました。全国の互助会から選び抜かれた10名のファシリテーターのみなさんも集まってくれました。冒頭、「グリーフケアの時代〜サンレーの取り組み〜」と題したムービーが流されました。開会宣言の後、PTの座長であるわたしが挨拶しました。わたしは、「『選ばれし者の恍惚と不安、二つ我にあり』という言葉があります。フランスの詩人ポール・ヴェルレーヌの言葉ですが、太宰治が『葉』という小説で使い、前田日明も新生UWFの旗揚げの挨拶で使いました。今日ここに全国から選び抜かれて集ったファシリテーターのみなさんも、同じ思いではないでしょうか?」と述べ、さらには「「本日は、上智大学からも先生方がお越しになられています。上智大学は日本におけるカトリックの総本山であり、イエズス会の日本支部です。カトリックでは、何よりも『ミッション』ということを重んじます。みなさんは、グリーフケアの時代を拓くパイオニアです。どうか、自身の大いなるミッションを果たされて下さい。ここに、グリーフケアの時代が幕を開いたことを心より祝福したいと思います!」と言いました。この制度は一般財団法人 冠婚葬祭文化振興財団が運営しますが、わたしは同財団の副理事長に就任しました。同日から早速、指導役のファシリテーター養成の準備会議が始まりました。来年の6月には「グリーフケア士」、22年冬に「上級グリーフケア士」の試験を開始する計画です。

グリーフケア発会式にて

グリーフケア発会式にて上智大オンライン講義のようす

上智大オンライン講義のようす
 それから、先月12日、2回目の上智大学グリーフケア研究所のオンライン講義を行いました。前日の11日、上智大学のキャンパス内で時限爆弾を作動させるとの予告がありました。12日はキャンパスが閉鎖されましたが、非常に心配しました。通常なら四谷キャンパス内の6号館で行うので、おそらく中止されていたはずです。でも、オンラインゆえに、わたしは小倉の松柏園ホテルから講義を行うことができました。

 今回の講義テーマは、「グリーフケアと読書・映画鑑賞」でした。同研究所の島薗進所長やTonyさんとの共著である『グリーフケアの時代』(弘文堂)の第3章「グリーフケア・サポートの実践」で、わたしは葬儀とともに、グリーフケアの方法として読書や映画鑑賞に言及しました。その内容に沿って、話を進めていきました。2010年6月、わが社では念願であったグリーフケア・サポートのための自助グループを立ち上げました。愛する人を亡くされた、ご遺族の方々のための会です。月光を慈悲のシンボルととらえ、「月あかりの会」という名前にしました。同会で行っている読書会や映画鑑賞会の実例などについて話しました

 「グリーフケア」にしろ、「修活(終活)」にしろ、一番重要なのは、死生観を持つことだと思います。死なない人はいませんし、死は万人に訪れるものですから、死の不安を乗り越え、死を穏やかに迎えられる死生観を持つことが大事だと思います。一般の方が、そのような死生観を持てるようにするには、読書と映画鑑賞が最適だと思います。本にしろ、映画にしろ、何もインプットせずに、自分1人の考えで死のことをあれこれ考えても、必ず悪い方向に行ってしまいます。ですから、死の不安を乗り越えるには、読書で死と向き合った過去の先人たちの言葉に触れたり、映画鑑賞で死に往く人の人生をシミュレーションすることが良いと思います。この日は、そんなことを話しました。講義後は島薗所長のコメントをお聴きし、受講生の方の質問を受けました。オンライン講義はちょっと苦手ですが、グリーフケアの研究と実践はわたしの天命だと思っています。これからも全身全霊で、この道を歩んで行く覚悟です。それにしても、上智が爆破されなくて良かった!

 さらに先月18日は、サンレー創立54周年の日でした。この日、松柏園ホテルの神殿で神事を行った後、記念式典が万全のコロナ対応スタイルで開かれました。例年は500名を超える社員が参加しますが、今年は半数以下に制限、新館に第二会場も用意しました。

 最初に、佐久間会長とわたしが第一会場に入場しました。佐久間会長は訓示で、「おかげさまで、54周年を迎えることができて感謝しています」と述べました。それから、最近の自身の健康事情に言及し、病気にならない身体をつくるための予防医学の重要性を訴えました。また、「共飲」「共食」「共浴」「共健」「共笑」「共歌」「共遊」「共旅」という「実践共助八美道」を示し、アフターコロナの時代に互助会として提供したいと述べました。

サンレー創立54周年記念式典のようす

サンレー創立54周年記念式典のようす社長訓示の最後に道歌を披露

社長訓示の最後に道歌を披露
 続いて、社長であるわたしが登壇し、「コロナショックは、コロナチャンスです。コロナ禍の中でも、わが社の施設は続々とオープンし続けました。ついに念願の福岡市での紫雲閣オープンも実現します。日本中のサービス業が絶体絶命の状況にある中で、『天下布礼』という高い志を抱くサンレーは元気一杯です」と述べました。それから、「大ブームになっている『鬼滅の刃』には人間を食らう恐ろしい鬼がたくさん登場しますが、彼らの弱点は太陽で、日光を浴びると死んでしまいます。東洋の鬼だけでなく、西洋の吸血鬼も太陽が弱点であることは有名ですね。生きとし生けるものに生命エネルギーを与え、邪悪なものを滅する太陽は最強です!」と言い、最後に、「朝の来ない夜はない。陽はまた昇る。何事も陽にとらえ、みんなで力を合わせて、この素晴らしい礼業を守り抜いていきましょう!」と述べてから、「陽の光あらゆる人に降り注ぎ 礼を求めんコロナの今も」という道歌を披露いたしました。来年の創立55周年に向けて、さらに邁進いたします。

 さて、創立54周年記念式典の社長訓示でも言及した「鬼滅の刃」ですが、現在、社会現象というべき大ブームを巻き起こし、その勢いは止まりません。公開中の映画「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」は、259億円(11月23日現在)を超えました。国内歴代3位という数字にも驚きますが、その到達スピードも歴代1位に近々躍り出るといわれています。こうした勢いを受けて、最終話を掲載したコミック23巻(12月4日発売)の初版部数は395万部だといいます。電子版を含む累計発行部数が1億2000万部を超えたというから桁そのものが違います。これに加え関連グッズというものもあるわけで、その経済効果はコロナ禍で疲弊する日本経済の救世主のようになっているのです。

 吾峠呼世晴氏の漫画『鬼滅の刃』の第1巻には、「時は大正時代。炭を売る心優しき少年・炭治郎の日常は、家族を鬼に皆殺しにされたことで一変する。唯一生き残ったものの、鬼に変貌した妹・禰豆子を元に戻すため、また家族を殺した鬼を討つため、炭治郎と禰豆子は旅立つ!! 血風剣戟冒険譚、開幕!!」と書かれています。

 鬼滅ブームのことはもちろん知っていましたが、漫画の絵柄もあまり好みではなかったのでスルーしていたのですが、あることがきっかけでアニメ版に興味を持ちました。その後、ネットフリックスに加入し、全26話を鑑賞。「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」も観ました。さらに、原作コミックス既刊22巻を一気読みした次第です。本当は、「鬼滅の刃」のように、あまりにも流行になったものはスルーしたいと思っていました。しかし、ある人の「社会現象にまでなるものには、どこか優れたものがあるし、『時代の気分』に応えている何かがある」という言葉に納得して、体験してみましたが、まさにその通りでした。

 まず、この物語のテーマは、わが社が追求している「グリーフケア」ではないですか!鬼というのは人を殺す存在であり、悲嘆(グリーフ)の源です。そもそも冒頭から、主人公の竈門炭治郎(ルビ:かまどたんじろう)が家族を鬼に惨殺されるという巨大なグリーフから物語が始まります。また、大切な人を鬼によって亡き者にされる「愛する人を亡くした人」が次から次に登場します。それを鬼殺隊に入って鬼狩りをする人々は、復讐という(負の)グリーフケアを行います。しかし、鬼狩りなどできない人々がほとんどであり、彼らに対して炭治郎は「失っても、失っても、生きていくしかない」と言うのでした。強引のようではあっても、これこそグリーフケアの言葉ではないでしょうか。

 炭治郎は、心根の優しい青年です。鬼狩りになったのも、鬼にされた妹の禰豆子(ねずこ)を人間に戻す方法を鬼から聞き出すためであり、もともと「利他」の精神に溢れています。その優しさゆえに、炭治郎は鬼の犠牲者たちを埋葬し続けます。野生児で無教育ゆえに字も知らず、埋葬も知らない伊之助という仲間が「生き物の死骸なんか埋めて、なにが楽しいんだ?」と質問しますが、炭治郎は「供養」という行為の大切さを説くのでした。

 さらに、炭治郎は人間だけでなく、自らが倒した鬼に対しても「成仏してください」と祈ります。まるで、「敵も味方も、死ねば等しく供養すべき」という怨親平等の思想のようです。『鬼滅の刃』には、「日本一慈しい鬼退治」とのキャッチコピーがついており、さまざまなケアの姿も見られます。鬼も哀しい存在なのです。人を殺す鬼は「死」のメタファーですが、最近で言うなら、「コロナ」も同じです。禰豆子を連れ歩く炭治郎は、「鬼と共生する人間」であり、これは「ウイズ・コロナ」そのものではないでしょうか。

 「鬼滅の刃」という物語は基本的には戦の話です。一方に、鬼舞辻無惨をリーダーとして、「上弦」たちがトップを占める「鬼」のグループ。他方に、「お館様」こと産屋敷耀哉をリーダーとして、「柱」たちがトップを占める「鬼殺隊」のグループ。この両グループが死闘を繰り広げる組織vs組織の戦争物語です。なので、マネジメントやリーダーシップの観点からも興味深い点が多々あります。

『鬼滅の刃』を読み解きます!

『鬼滅の刃』を読み解きます!全集中の呼吸で書きます!

全集中の呼吸で書きます!
 そんなことを漫画版、アニメ版、劇場版についての3本のブログ記事に書いたら大反響で膨大なアクセスがありました。また、ブログを読まれた出版社の方から連絡があり、今月25日に東京・日比谷の帝国ホテルで面会しました。そして、『なぜ、コロナ禍で「鬼滅の刃」は大ヒットしたのか』という本を書くことになりました。版元は、なんと年内の刊行を希望しています。これまで、わたしが書いた原稿を活用できるにしろ、あまりにもスケジュールがタイトです。まあ今年は忘年会ラッシュから解放されるでしょうから、師走に執筆の時間も取れるでしょう。「オレはやれる! 絶対にやれる! 俺はやれる男だ!」「がんばれ! 人は心が原動力だから」という炭治郎の言葉を我がこととして、頑張ります。
 それではTonyさん、次回、今年最後の満月の日まで!

2020年11月30日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 先回の187信は、10月31日に、658回目の東山修験道を終えて、下山して書きましたが、今回の188信も、ちょうど1ヶ月後、11月30日に664回目の東山修験道を終えて、下山して書き始めています。今日は比叡山の山頂付近から、水井山の上に虹が出ているのが見えました。下山後、金星と土星と木星を見、満月を遥拝しました。下の東山修験道664をご笑覧ください。動画にしてあります。
 東山修験道664(7分):https://www.youtube.com/watch?v=NUb3fkb5Rt8

 さて、この間、Shinさんは、「グリーフケア資格研修発会式」、上智大学グリーフケア研究所人材養成講座に客員教授としてのオンライン講義、サンレー54周年記念式典、そして怒涛の勢いでの『鬼滅の刃』の全巻読破、TVアニメ版全話視聴、劇場版視聴と、いつもながらの凄まじくエネルギッシュな展開ですね。感心します。

 わたしの方も、11月の1ヶ月はいろいろとありましたよ。大きな催しとしては、11月7‐9日に、沖縄県那覇市の沖縄大学で行なわれた「日本スピリチュアルケア学会第13回学術大会」への発表者としての参加。また、11月21日に札幌の北海道立近代美術館で行なわれた「諸星大二郎展 異界への扉」のオープニング講演と北海道大学見学。11月23日に国立民族学博物館で開催された比較文明学会第38回学術大会のシンポジウムに発表者として参加。11月27日、京都市東山区の建仁寺塔頭の両足院などで開催する予定の「悲とアニマ展Ⅱ〜いのちの帰趨」(仮題)の下見と打ち合わせ、などです。

 けっこう忙しかったんですよ。その間、新型コロナウイルスの感染拡大が続き、政府が推進しているGo to travelやGo to eatには制限がかかるようになりました。コロナ対策と経済対策、両立させるのは難しいということがよくわかりましたね。つまり、移動することは、必然的に接触する機会が増えることになるので、コロナウイルスも共に移動し、接触し、活動するということですかね? 政府はエビデンスがないなどと言っていますが、常識でわかるじゃないですか。その程度のことは。移動が感染拡大につながることくらい。

 しかし、「withコロナ」と言う限り、覚悟しなければなりません。どれほど注意を払っても、いつ何時、どのようにしてか、感染することはあり得ることと、拡大し始めたらコントロールすることなど極めて困難になることを。しかし、そうは言っても、感染を抑えるための対策を講じなければいけないし、予防も治療も、さまざまな手当ても講じなけれななりません。やることは山ほどあります。猫の手を借りたいくらいに。

 そんな中、11月7日、日本スピリチュアルケア学会の初日のZoom参加を伊丹空港に向かう高速バスの中で終えて、さて、沖縄・那覇空港行きのANAの搭乗券を持って、荷物検査に入ろうとして搭乗券をセンサーにかざした途端、ブザーが鳴り響いたのです。係員の人がチェックすると、何と、わたしは間抜けなことに飛行場を間違えていたのでした。関西空港20時10分発を、伊丹空港20時10分発と間違えて、関空ではなく、伊丹空港へ直行していたのですよ。嗚呼!

 そこから、関空までは、タクシーを飛ばしても1時間はかかります。万事休す。慌てて関係各位のみなさまに連絡し、お詫びと次善の策を講じるほかありませんでした。というわけで、同じ道を辿ってわが家に戻り、結局、沖縄大学で研究発表する予定だったのを、自宅からのZoom発表に切り替えるほかありませんでした。朝の10時半から12時までが、わたしたちの発表セッションだったからです。朝一番のフライトに変更したとしても間に合わなかったのです。ということで、航空券もホテル代もパー。藻屑と消えました。

 が、学会発表は意義があったと思います。

◆日本スピリチュアルケア学会第13回大会
11月8日(日)午前10時30分〜11時55分
第4部会座長:鈴木岩弓(東北大学教授)
研究発表①:<映画「久高オデッセイ」と沖縄のスピリチュアリティ>島薗進(上智大学大学院実践宗教学研究科)
研究発表②:<沖縄を記録すること:ペインとケアの相互作用〜大重潤一郎の映画とケアの心>鎌田東二(上智大学大学院実践宗教学研究科)
研究発表③:<「久高オデッセイ第三部 風章」自主上映会を通して〜医師の立場から見た大重映画のメッセージとケア>石野真輔(十条武田リハビリテーション病院)
→ くわしくはこちらのPDFをご覧ください

 「久高オデッセイ第三部 風章」の助監督を務めてくれた比嘉真人さんが、「久高オデッセイ」三部作を中心に、今回の学会用の9分の動画を作ってくれたので、それを途中で上映したり、第一部・第二部の助監督を務めてくれた沖縄大学准教授の映像民俗学者の須藤義人さんのコメントなども聞くこともできましたし、高木慶子日本スピリチュアルケア学会前会長が1997年に聖トマス大学で、800人の観客を集めて、大重潤一郎監督を呼んで「光りの島」(1995年制作)の上映会と講演会を開催したことなども聞くことができ、得難い、有難い機会となりました。そのことはとてもよかったです。関係各位に心から感謝申し上げます。

 最近、わたしはよく大重さんのことを思い出すんですよ。以前にも増して。コロナ感染で苦しんでいる時こそ、大重映画のメッセージが生きるとわたしは思っているからです。なぜなら、大重映画は常に全作「いのちの根源」を問いかけてきたからです。だからこそ、この時代のこの状況下で観てもらいたいのです、いろんな人たちに。若者たちに。年配者たちに。何らかの形で、そのための工夫と仕掛けもしていきますので、しばらくお待ちください。

 北海道立近代美術館での講演は、楽しみにしていましたが、札幌の感染状況が日に日に悪化していくので、もしかすると、中止の連絡が来るかもしれないと思っていたのですが、それがなかったので、とにかく出向きました。ほんとうに、行ってよかったと思います。「諸星大二郎展」を初日の前にじっくり観ることもできたし、講演終了後に、北海道大学をゆっくり見学することができたし、わたしにとっては得るものの大きな旅となりました。
 北海道大学・北海道道立近代美術館見学映像:https://www.youtube.com/watch?v=5zcBgIBnj3E

 今、上智大学大学院実践宗教学研究科の授業「宗教学研究」で、夏目漱石・南方熊楠・寺田寅彦・柳宗悦・内村鑑三・宮沢賢治などを取り上げています。彼らが相互に強い、あるいは微妙な影響関係を持っていることが浮かび上がってきて、大変面白く思っていたところに、北海道帝国大学初代総長の佐藤昌介のことが飛び込んできたのです。

 佐藤昌介は、1856年(安政3年)、現在の岩手県花巻市で、盛岡藩(南部藩)士の子として生まれ、1939年(昭和14年)に83歳で亡くなりました。札幌農学校の一期生で、ジョンズ・ホプキンズ大学に学び、帰国後、札幌農が校の教授や校長を務め、北海道帝国大学となった時の初代総長を長いこと務めた農学博士です。札幌農学校校長のクラーク博士から直接薫陶を受け、クリスチャンになっています。内村鑑三と新渡戸稲造と宮野金吾は札幌農学校の二期生ですから、一年先輩の一期生代表として二期生に接しました。新渡戸稲造は佐藤昌介を兄のように慕っていたとのことです。

 新渡戸稲造も盛岡藩士で、花巻には、佐藤昌介と新渡戸稲造の両方の記念館があるそうです。宮沢賢治記念館は何度も行っていますが、二人の記念館のことは今回初めて知ったので、今度花巻に行ったら、ぜひ立ち寄ってみたいと思います。

 宮沢賢治は、花巻農学校(稗貫農学校)の教諭を勤めていた4年半の間に、3回北海道に生徒を修学旅行に連れていっていますが、3回目の修学旅行の際に、生徒たちと一緒に北海道帝国大学を訪ね、佐藤昌介総長の訓辞を聞いて、美味しい牛乳とお菓子をご馳走になっています。宮沢賢治の修学旅行の「復命書」に、その時のことが、次のように記されています。

 「即ち(佐藤昌介)総長より生徒に対し一場の訓辞あり。要旨まづ新開地と旧き農業地とに於る農業者の諸困難を比較し殊に后者に処して旧慣幣風を改良し日進の文明を摂取すること棒茨の未開地に当るよりも難く大なる覚悟と努力とを要する所以並に今日は大切なる農業の黎明期にして実に斯土を直ちに天上となし得るや否や岐れて存する処なりといふにあり。引卒者は立ちて答辞を述べそれより学生食堂に於て菓子牛乳の饗を受く。牛乳甘美にして新鮮且つや勧の切なるまゝに恐らくは各人一立を超ゆるまで総長の好意を辞せざりしが如し。」

 このことは、花巻出身の石毛教子さんから教えてもらいました。石毛さん、ご教示、ありがとうございました。石毛さんのお父さんは宮沢賢治の教え子で、納豆菌の研究をして、それを製品化し、「花巻納豆」を作り上げた人です。
 大内シマ・大内栄助(石毛教子さん制作):https://www.youtube.com/watch?v=IBJzTd_k3wo

 今回の北海道大学の見学を通して、宮沢賢治がけっこう佐藤昌介や内村鑑三や新渡戸稲造の影響を受けていたと思うようになりました。加えて、羅須地人協会の発足には、所属していた国柱会の「国性芸術」の影響の他に、白樺派の武者小路実篤の新しい村の運動や、柳宗悦の民藝運動の影響も受けていたのではないかと考えています。「農民芸術概論綱要」は、盛岡高等農林と札幌農学校〜北海道帝国大学農学部と国柱会と白樺派のミックスかもしれません。

 その宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」の精神を引き継ぐ展覧会「悲とアニマ展Ⅱ〜いのちの帰趨」(仮題)を2021年11月に建仁寺塔頭の両足院とThe Terminal KYOTOの2ヶ所で行なう予定です。乞う、ご期待! 「悲とアニマ展Ⅰ」は2015年に行ないましたが、北野天満宮での展示はShinさんも見に来てくれましたね。また、協賛もしていただきました。その節は、まことにありがとうございました。可能であれば、「悲とアニマ展Ⅱ〜いのちの帰趨」(仮題)も「グリーフケア」や「スピリチュアルケア」や「死生観」がテーマとなってきますので、ぜひ協賛いただければ幸いです。
 両足院の映像と比叡山の映像(東山修験道663(14分): https://www.youtube.com/watch?v=c2aG9k4vZKs

 ところで、先だってNHK国際で放送された「宮本武蔵〜都で悟った剣の極意」(2020年11月19日放送)が以下のサイトで視聴できますが、宮本武蔵の二刀流(二天一流)のことなど、少し話していますので、ご笑覧ください。
 https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/ondemand/video/2029144/

 さて、明日から「師走」。コロナで翻弄されたこの1年。来年もまだまだコロナで翻弄されるでしょうが、withコロナの生き方をもう少し見定めて地道な実践を続けていくことができるようにしたいと思っていますので、今後ともいっそうよろしくお願いします。

 2020年11月30日 満月の夜に 鎌田東二拝