京都伝統文化の森協議会のクラウドファンディングへのご支援をお願いいたします

シンとトニーのムーンサルトレター第216信(Shin&Tony)

鎌田東二ことTonyさんへ

 

Tonyさん、こんばんは。
3月の満月は「ワームムーン」と呼ばれます。アメリカ先住民の間での呼び名だそうです。日本では、前日の3月6日が二十四節気のひとつである「啓蟄」となりますね。そして明日、8日は、Tonyさんが小倉へ来られる日です。そう、ついに、「神道と日本人」をテーマにしたわたしたちの対談が行われるのです。明日はTonyさんの胸をお借りして、大いに語り合いたいと思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。


『開』(土曜美術出版販売)

 

いろいろとTonyさんに報告したいことが山ほどあるのですが、まずは、Tonyさんの第五詩集である『開』(土曜美術出版販売)を拝読した感想から述べさせて下さい。この詩集は、新時代の扉を開く言霊の書のように感じました。グリーフケアの時代、コンパッションの時代、ウェルビーイングの時代・・・・・・さまざまな時代の訪れがこの詩集から感じられます。そして、この詩集に収められた詩、および本書を上梓した直後にTonyさんが書かれた数々の詩には圧倒的な死生観が滲み出ており、読者の魂を揺さぶります。言葉には力がある。物語には力がある。Tonyさんが紡がれてこられた一連の詩集はもはや神話ではないかとさえ思います。Tonyの詩集は旅なのだとも思います。文字を持たなかった縄文人が口伝で語られたであろう神々の物語。それがこの詩ではないかと思いました。間違いなくTonyさんは、当代一の吟遊詩人です。闇の中の光から生まれてくるTonyさんの新しい詩を、いつまでも、いつまでも、読み続けたいと心から願います。


「天道塾」で語る佐久間会長

 

次に、2月17日に行われた「天道塾」の話をしたいと思います。当日の早朝から執り行われた月次祭に続いて、松柏園ホテルのバンケット「グランフローラ」で天道塾が開催されました。冒頭、サンレーグループの佐久間会長が登壇して挨拶をしました。会長は、「最近、『ウェルビーイング』という言葉をよく聞くようになりました。わが社が37年前から使ってる言葉です。慶應義塾大学の前野隆司さんという先生の『ウェルビーイング』という本を読みましたが、明治維新から太平洋戦争の終戦までに77年の時間が流れています。その終戦から77年後が2022年でした。昨年は『ウェルビーイング元年』などと呼ばれているようですが、大きな時代の変革を感じます。今日は、ウェルビーイングとコンパッションについて、社長がこれから1時間、大事なことを話しますので、しっかり聴いて下さい」と語ってから降壇しました。


コバルトブルーのマスクで登壇

 

それから、わたしが登壇しました。この日の持ち時間は1時間です。コバルトブルーの不織布マスクをつけたわたしは、最初に「今年に入って、サンレーグループは絶好調です! 北九州市の振り袖墨汁事件での松柏園ホテルのコンパッション対応は日本中に感動の嵐を巻き起こしましたし、紫雲閣も北九州・大分・宮崎で過去最高記録を出すなど、勢いが止まりません。新年祝賀式典で述べた『陽はまた昇る』という言葉が実現したかのような実感がありますが、今日はさらに明るい未来を拓いていくための話をしたいと思います」と述べました。次に「WC」という言葉を見せて、「これは、どういう意味だかわかりますか?」と問いかけました。


WとCの「産霊」を!

 

WCは、トイレでもワールドカップでもありません。Wはウェルビーイングで、Cはコンパッションです」と言いました。このところ、コンパッションについての話をしてきたのですが、世間ではウェルビーイングが大きな話題になっています。わたしは、これまでウェルビーイングを超えるものがコンパッションであると考えていましたが、この2つは矛盾しないコンセプトであり、それどころか2つが合体してこそ、わたしたちが目指す互助共生社会が実現できることに気づきました。わたしは、「ウェルビーイングが陽なら、コンパッションは陰。そして、陰陽を合体させることを産霊(むすび)といいます」と述べました。


SDGsからウェルビーイングへ

 

「ウェルビーイング(well−being)」が時代のキーワードになっています。「SDGs(Sustainable Development Goals)」は世界的に有名ですが、これは「持続可能な開発目標」という意味で、国連で採択された「未来のかたち」です。SDGsは健康と福祉、産業と技術革新、海の豊かさを守るなど経済・社会・環境にまたがる17の目標があり、2015年の国連総会で全加盟国が合意しました。そして、2030年までにそのような社会を実現することを目指しています。SDGsは、2030年までという期間限定なのです。それ以降のキーワードはというと、「ウェルビーイング」だと言われています。意味は、「幸福な存在、相手を幸福にする存在」ということになります。SDGsの17の項目を包括する概念といってもいいでしょう。


ウェルビーイングについて

 

ウェルビーイングは、WHO(世界保健機構)憲章における、健康の定義に由来した思想である。その定義とは、「健康とは、たんに病気や虚弱でないというだけでなく、身体的にも精神的にも社会的にも良好な状態」というものです。しかし従来、身体的健康のみが一人歩きしてきました。ところが、文明が急速に進み、社会が複雑化するにつれて、現代人は、ストレスという大問題を抱え込みました。ストレスは精神のみならず、身体にも害を与え、社会的健康をも阻みます。健康は幸福と深く関わっており、人間は健康を得ることによって、幸福になれます。ウェルビーイングは、自らが幸福であり、かつ、他人を幸福にするという人間の理想が集約された思想と言えるでしょう。

 

島薗進先生から教えていただいた『現代スピリチュアル文化論』伊藤雅之著(明石書店)という本によれば、ウェルビーイングとは何よりも「持続的幸福」であり、「心と体のつながり」「自然との調和」「超越的存在とのつながり」「ありのままの自己の変容」によって成り立ち、「心の平安」を志向しています。ウェルビーイングの文化的潮流は「マインドフルネス(瞑想)」「ヨーガ」「心理セラピー」などですが、最後の心理セラピーは「グリーフケア」とも深く関わっています。そして、「ありのまま」というウェルビーイングのメッセージを表現した歌に、ビートルズの「Let It Be」、SMAPの「世界に一つだけの花」、ディズニーアニメ映画『アナと雪の女王』の主題歌「Let it Go~ありのままで~」などがあります。イメージが明確になりますね。

 

最近、ウェルビーイングを具現化した施設がNHKで紹介されました。「Share金沢」という共生施設です。この施設を知ったのは、佐久間会長から教えられて観た「NHKシリーズ ウェルビーイング 第1回「LIFE SHIFTにっぽん リンダ・グラットンが見た北陸の幸せ」においてでした。番組の中で、世界的ベストセラー『LIFE SHIFT』の著者であるリンダ・グラットンが日本の北陸を訪れて、総合的な幸福としての「ウェルビーイング」を探求するという内容でしたが、その最大の鍵となる施設がShare金沢だったのです。ここは、高齢者、大学生、病気の人、障害のある人、分け隔てなく誰もが、共に手を携え、家族や仲間、社会に貢献できる街です。かつてあった良き地域コミュニティを再生させる街です。いろんな人とのつながりを大切にしながら、主体性をもって地域社会づくりに参加します。ウェルビーイング施設でもありますが、わたしは「コンパッション都市のモデルでもあるな」と感じました。


サンレーとウェルビーイング

 

「ウェルビーイング」といえば、わが社が約40年前に経営理念に取り入れた思想です。社内報の名前も「Well Being」でした。当時のサンレー社長であった佐久間進会長は九州大学名誉教授の池見酉次郎先生(故人)と日本心身医学協会を設立し、日本における心身医学の啓蒙・普及に努めましたが、そのときのコンセプトが「ウェルビーイング」でした。1986年の創立20周年には「Being!ウェルビーイング」というバッジを社員全員が付け、社内報の名前も「Well Being」でした。当時の社長であった佐久間会長の先見の明に驚いています。40年前は、「ウェルビーイング」という言葉を知っている人はほとんどいませんでした。今まさに「ウェルビーイング」が時代のキーワードになっており、わが社の先見性に驚かれた方も多いようです。その思想は、佐久間会長の著書『わが人生の「八美道」』(現代書林)、拙著『ハートフルに遊ぶ』(東急エージェンシー)、『リゾートの思想』(河出書房新社)、『老福論』(成甲書房)などで述べられています。


サンレーグランドホールについて

 

そして、サンレーのウェルビーイング思想は、1986年にオープンした松柏園グランドホテルで具現化されました。プールをはじめ最新の設備を備えたスポーツクラブやカルチャーセンターも備えた同ホテルはまさに「ウェルビーイングの殿堂」でした。現在はサンレーグランドホールに生まれ変わりましたが、グランドカルチャーセンターなどは継続されています。また、日本最大級の葬祭施設である北九州紫雲閣も併設され、前代未聞の高齢者複合施設として知られています。数年前に、経産省が新時代のシルバービジネスとして調査・研究したのが奇しくもShare金沢とサンレーグランドホールの両施設でした。サンレーグランドホールには約3000坪の遊休地もあり、いずれはShare金沢のような多世代共生のコンパッション・センターが作られれば素晴らしいと思います。

 

そこから、「コンパッション」の話へと移りました。まずは、ACジャパンのCM「寛容ラップ」を紹介して、「叩くより、讃え合おう」というメッセージを訴えました。そこから「競い合うより、思いやり」として「コンペテションよりコンパッション」というメッセージを示しました。「コンパッション都市」とは、老・病・死・死別の喪失を受け止め、支え合うコミュニティですあり、グリーフケアを中核とした都市です。コンパッションとは、平たく言えば「思いやり」であり、仏教の「慈悲」「利他」、儒教の「仁」、キリスト教の「隣人愛」にも通じます。つまり、拙著『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)で提示したブッダや孔子やイエスの思想に源流が求められるとして、それらをまとめた「人類十七条」を紹介しました。


有縁社会の再生

 

ウェルビーイングとコンパッションを包括すると、「ありのままの自分を大切に、他人に優しく生きる」というメッセージが浮かび上がってきます。そこから、ミッションとしての「人間尊重」とアンビションとしての「天下布礼」に言及し、サンレーズ・アンビション・プロジェクト(SAP)の実現を訴えました。わが社の目的の1つである「有縁社会の再生」ですが、そのためには、碁縁・句縁・球縁・旅縁・読縁・映縁・歌縁・笑縁・酒縁といったさまざまな趣味の縁の構築が求められます。現代の日本社会は「無縁社会」などと呼ばれますが、残念ながら血縁や地縁が希薄化していることは事実です。ならば、それに代わるもろもろの縁を育てていかなければなりません。


グリーフケア&マインドフルネス

 

そして、コンパッションとは仏教の「慈悲」ということ。ミャンマー仏教が最重要の経典とする『慈経』はブッダの最古の教えとされていますが、わたしは『慈経 自由訳』(三五館、現代書林)を上梓しました。この中には「コンパッション」の根本思想が説かれています。また、ミャンマー仏教は瞑想の本場だとされますが、瞑想は現在「マインドフルネス」と名前を変えて一大ムーヴメントを起こしています。GAFAをはじめ、ヤフー、ゴールドマンサックスなどの一流企業が軒並みマインドフルネスを取り入れています。わが社がサポートしている日本で唯一のミャンマー式仏教寺院「世界平和パゴダ」も「マインドフルネス・センター」として位置づければ大きな話題を呼ぶかもしれません。わたしは、「WCの具体的実現は、GMで!」と言いました。GMのGとは「グリーフケア」で、Mとは「マインドフルネス」のことです。


CSHWとは何か

 

そして、経営学用語に「PDCA」というものがあることを紹介しました。Plan(計画)→ Do(実行)→  Check(評価)→  Act(改善)という意味です。わたしたち [http://www.sun-ray.co.jp/:title=サンレーグループ]は、「CSHW」を提供したいと願います。それは、Compassion(思いやり)→  Smile(笑顔)→  Happiness(幸せ)→  Well‐being(持続的幸福)のハートフル・サイクルです。北九州市の振り袖墨汁事件の被害に遭われた二十歳の女性が新しい振り袖を着て松柏園の庭園で写真撮影していたとき、それを見ていた新規のお客様(親御様)が「ぜひ、松柏園で子供の婚礼をお願いしたい」と予約して下さいました。

 

それを知ったわたしは、「思いやりの上書き」が「幸せの連鎖」を起こしたと思いました。松柏園のコンパッション対応に端を発する一連の出来事によって、わたしが長年想い続けてきたハートフル・サイクルがついに起動した実感があります。最後に、わたしは「ハートフル・ソサエティとしての互助共生社会が実現するその日まで、心を1つにして頑張りましょう! 共に歴史の大きな流れに身を投じて、輝ける未来を創造しましょう!」と訴えてから降壇しました。天道塾の後、聴講者の感想を読みながら、「ウェルビーイング」と「コンパッション」について考えました。「ウェルビーイング」という考え方が生まれたのは1948年ですが、そこには明らかに戦争の影響があったと思います。また、ビートルズの「LET IT BE」のメッセージをアップデートしたものがジョン・レノンの「MAGINE」であることに気づきました。つまり、ウェルビーイングには「平和」への志向があるのだと思います。実際、ベトナム戦争に反対する対抗文化(カウンターカルチャー)として「ウェルビーイング」は注目されました。現在、ロシア・ウクライナ戦争が行われていますが、このような戦争の時代に「ウェルビーイング」は再注目されました。

 

一方、「コンパッション」の原点は、『慈経』の中にあります。ブッダが最初に発したメッセージであり、「慈悲」の心を説いています。その背景には悲惨なカースト制度があったと思います。ブッダは、あらゆる人々の平等、さらには、すべての生きとし生けるものへの慈しみの心を訴えました。つまり、コンパッションには「平等」への志向があるのだと思います。現在、新型コロナウイルスによるパンデミックによって、世界中の人々の格差はさらに拡大し、差別や偏見も強まったような気がします。このような分断の時代に、また超高齢社会および多死社会において、「コンパッション」は求められます。地球環境の問題は別にして、人類の普遍的な二大テーマは「平和」と「平等」です。その「平和」「平等」を実現するコンセプトが「ウェルビーイング」「コンパッション」ではないでしょうか?CSHWのハートフル・サイクルは、かつて孔子やブッダやイエスが求めた人類救済のための処方箋となる可能性があるのではないか? そんなことを考えました。後は、実行あるのみです!


ヤフーニュースより

 

さて、3月2日、新興宗教団体「幸福の科学」の創始者で総裁の大川隆法氏の訃報に接し、大変驚きました。「幸福の科学」の関係者によれば、大川隆法氏は一昨日に東京・港区の自宅で倒れ、病院に搬送されました。2日午前、死亡が確認。66歳でした。死因は分かっていないそうです。FNNの取材に対して、教団側は、「大川総裁の現在の状況についてはコメントを差し控える」としているとか。幸福の科学は、創価学会と並ぶ有名教団です。そのトップの死去なだけに、宗教界の混乱は避けられないでしょう。


ヤフーニュースより

 

大川氏は、1956年(昭和31年)、徳島県生まれ。東京大法学部を卒業後、商社「トーメン」に勤務後、1987年に幸福の科学を設立。同年に出版した著書『太陽の法』がベストセラーとなり、その後も多くの著書を出版。公称1100万人の信者獲得につなげたとされます。劇場映画公開による広報活動にも力を入れました。2009年には政界進出を目指して政治団体「幸福実現党」を設立。この年の衆院選に出馬し、落選。その後、学校法人「幸福の科学学園」を立ち上げました。さらに幸福の科学大学を設置する計画を進めていましたが、2014年に文部科学省の大学設置・学校法人審議会が開設を不可と判断しました。

 

わたしは、「幸福の科学」の信者でも会員でもありません。しかし、創始者である大川隆法氏の著書は、最近のものこそ読んでいませんが、初期の『太陽の法』『黄金の法』『永遠の法』の三部作は興味深く読みました。わたしは、創価学会の『人間革命』、生長の家の『生命の実相』、GLAの『心の発見』など、新宗教関係の本は部分的ながら、かなり読みました。それらの本と比べても、大川氏の三部作は完成度が高い印象がありました。同じ頃に世間を賑わせていたオウム真理教の麻原彰晃の著書も何冊か読みましたが、「本として、あまりにもレベルが低い」と感じました。一方の大川氏の著書には「この教祖は教養があるな。かなりの読書家に違いない」と思いました。


『心ゆたかな社会』(現代書林)

 

わたしは特定の宗教団体の会員や信者にはなりませんが、あらゆる宗教を「いいとこどり」して、「心ゆたかな社会」としてのハートフル・ソサエティを創造する一助になりたいと願っています。じつは「幸福の科学」というコンセプト自体は、わたしにとって最も関心度の高い考えです。「幸福」と「科学」という2つの単語を結びつけたセンスはまことに秀逸です。でも、実在する宗教団体と混同されるのを恐れて、これまで、わたしは「幸福の科学」という言葉をあまり使ってきませんでした。でも、これからは「ウェルビーイング」や「コンパッション」といったキーワードを窓として、「幸福」を「科学」するという営みを自分なりに行ってみたいと思っています。


空港に向かう車中で「太極図」を眺める

 

大川隆法氏が死去された翌日の3日、わたしは東京に出張しました。朝、北九州空港に向かう車内で、持参した「太極図」をじっと眺めました。思えば、故人とわたしの間には多くの共通テーマがありました。でも、そのテーマの追求方法と実現方法がまったく異なりました。わたしは今、幸福を追求するキーワードとして「ウェルビーイング」と「コンパッション」に注目し、『ウェルビーイング?』『コンパッション!』の2冊を同時に執筆しています。思うに、幸福の正体は、ウェルビーイングだけでは解き明かせません。また、コンパッションだけでも解き明かせません。陰陽の2本の光線を交互に投射したとき、初めて幸福の姿が立体的に浮かび上ってくるように思います。それは、「死」があるからこそ「生」が輝くことにも通じています。


CSHWのハートフル・サークル

 

太極図では、陰と陽が1つの円を作っています。陰陽は相反するものでなく1つのものが見せる異なったように見える姿です。陰と陽の光があたり、1つの円が見えてくるという感覚です。言い換えると、陰と陽がないと円は見えてきません。そして陰陽が繋がることによって神道でいう「産霊」が起動するように思います。わたしは、喜びと悲しみ、冠婚と葬祭、平和と平等、そしてウェルビーイングとコンパッションを繋ぎ、産霊の力によって「幸福」というものの姿を浮き彫りにしたいです。そのためにも、CSHWのハートフル・サイクルを回し続けたいと思います。それでは、Tonyさん、明日、お会いできることを心より楽しみにしています!

2023年3月7日 佐久間庸和拝

 

一条真也ことShinさんへ

Shinさん、わたしは3月生まれのせいか、3月になるととてもウキウキしてきます。そして、旅立ちたくなります。どこか遠くへ行きたくなる。それは、小さな頃からの習性でした。このところ、そんな旅を求める心が再燃しています。もっとも、明日、3月8日に京都から小倉に行ってShinさんたちにお会いできるのですから、ちょうどいいタイミングでした。明日の『神道と儀礼』をめぐる対談、よろしくお願いします。楽しみにしています。

 

対談終了後のあさって3月9日の午後には長崎に行って、翌10日には念願の「遠藤周作文学館」を訪ねるつもりです。遠藤周作さんの大大大ファンである私にとって、西海の涯てにあるその文学館は一度は行ってみたいところでした。遠藤周作の初期の代表作『沈黙』は1966年に発表されました。その際、遠藤はキリシタン資料を取材し、現在長崎市出津町になっている外海地区の黒崎村を「トモギ村」のモデルの一つにしたと言われています。遠藤はこの場所を、「神様が僕のためにとっておいてくれた場所」とその深い縁を語っています。

 

この外海地区出津文化村の岸壁沿いに「沈黙の碑」が建立されているようなので、それが何としても見たいのです。そこには、もう1つ、有名な、遠藤の言葉を刻んだ「人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです」という石碑もあります。遠藤周作が生れて、今年は生誕100年です。1923年生まれの遠藤さんはちょうど本年で100歳となるのです。

長崎県長崎市出津文化村内「沈黙の碑」

http://www.city.nagasaki.lg.jp/endou/monument/

そんな節目の年に、記念すべき遠藤さんの思いの籠った場所で、日没を眺め、パライソ(パラダイス・楽園)や西方極楽浄土を望みたいところですが、残念ながら、その日の内に京都に戻らねばならないので、日没時まではおられません。というのも、翌3月11日に、再生された朝日カルチャーセンター京都で「石牟礼道子 詩人の眼と心」と題して講義をしなければならないからです。

 

朝日カルチャーセンター京都は、昨年だったか、一昨年だったか、1回閉鎖となりました。閉鎖の知らせを聞いた時には大変たいへん残念に思いましたが、再生・再開されて本当によかったです。京都には、朝日カルチャーセンター京都とNHK文化センター京都が二大カルチャーセンターで、そのいずれもに関わってきたので、両方ともがんばってほしいと思います。

 

朝日カルチャーセンター京都でのこのハイブリッド講義(対面とオンライン)は、3月11日と25日の2回連続講座です。

 

3月11日(土)15時30分~17時 石牟礼道子の世界①―詩人の心と眼 (教室&オンライン)

3月11日は、石牟礼道子さん(1927年3月11日生~2018年2月10日没)の誕生日です。誕生の84年後となる2011年の同じ日に東日本大震災が起こりました。その後、石牟礼さんは、詩や俳句や能で「毒死列島」の苦悩とそこからの脱却と希求を表現しました。歌人、詩人として出発した石牟礼さんは、70年の時を経てふたたび詩人の原点に立ち返ったのです。その石牟礼さんの詩人の心と眼について考えます。

https://www.asahiculture.jp/course/kyoto/4719a1cb-8a15-203d-2ac3-6391595a5700

https://www.asahiculture.jp/course/kyoto/917b672e-86b6-45e2-3ab6-63916a3b8b3e

3月25日(土)15時30分~17時 石牟礼道子の世界②―社会思想家の心と眼 (教室&オンライン)

石牟礼道子さんは詩人ではありますが、すぐれた詩人が「預言者(予言者)」であるように、人間と社会の過去と未来を鋭く見通しつつ、世界に警鐘を鳴らす言葉を発信し続けました。黙示禄的光景とも言える代表作『苦海浄土』はその一つですが、その後も次々と文明批評や社会批評の籠った発言を続けます。絶望と希望(かすかな光明と祈り)を併せ持つラディカルな社会思想家としての石牟礼道子さんの位相を、宗教学者とともに考えてみましょう。

https://www.asahiculture.jp/course/kyoto/12188b72-d4fb-5df5-0f3a-639170bd9f10

https://www.asahiculture.jp/course/kyoto/a048a581-a6a4-d12a-0334-63917229131b

 

わたしは、詩人には文学的な詩人と預言者的な詩人がいると思っていますが、石牟礼さんはまごうことなく後者の「預言者的詩人」であると思います。もちろん、大変優れた文学者でもありますが、しかし、「文学者」というような枠には収まらない人です。むろん、「社会活動家」という枠にも収まりません。どちらにも収まりませんが、しかし、両方の要素を持ちながらも、過去現在未来を貫いてもの凄く深くて遠いメッセージを送り込んでくれています。

 

詩人としての石牟礼道子さんのことも含め、最近は、「詩」の問題をよく考えます。特に、「神話詩」。神話と詩との深い関係性について。また、詩作に注力もしています。そのこともあり、今回のムーンサルトレター216信でわが第五詩集『開』(土曜美術社出版販売、2023年2月2日刊)のことやその後の最新の詩篇についてコメントいただき、まことにありがとうございました。詩も詩集も旅である、旅人であるとも思いますが、同時に、「預言」でもあると思っています。わたしは、石牟礼道子さんや山尾三省さんが示した「預言者としての詩人」の系譜を現代に蘇らせたいという強い思いを持っているのです。

 

それに関連して、4月末に春秋社から『悲嘆とケアの神話論ー須佐之男・大国主』を出す予定です。これは、おそらく、これまでにない斬新かつ冒険的な神話論+神話詩集で、何ともへんてこな本ですが、わがスピリットを注入したスピリチュアルブックです。出ましたらお送りしますので、ぜひ存分に書評していただきたく思います。よろしくお願いします。

 

さて、2月には2回、東京に行きました。1度はNHKホールで丸3年ぶりに開催された地域伝統芸能祭り「息吹(いぶき)」を見に、もう1回は、地球システム倫理学会で「いのちの声を聴く~生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける」を講演するためと、慶應義塾大学信濃町キャンパスで行なわれた第5回いのちの研究会「科学技術の時代のスピリチュアリティ」にパネリストとして参加するためでした。地域伝統芸能祭りは、2001年から始まり、本年で23回目になります。わたしは地域伝統芸能祭り実行委員会初代会長梅原猛さんに誘われて、2002年から委員となって、NHKホールで上演する演目の選抜に関わってきました。その間に会長は梅原猛さんから山折哲雄さんを経て、現在3代目の小松和彦さんに代わりました。全員、京都の国際日本文化研究センターの所長を務めた方々です。

 

いのちの研究会の方は、東京工業大学副学長の上田紀行さんがメインスピーカーで、島薗進さん、町田宗鳳さん、わたしがコメンテーターで、慶應義塾大学名誉教授で医師(MOA高輪クリニック院長)の加藤眞三さんが司会進行を務めました。これはまもなくyou tubeですべてを見ることができるようになると思います。回を重ねるについて、議論が深まり、問題がクリアーになってきたように思います。「いのち」というキーワードはとても重いものですが、現代科学文明と人間社会はその「いのち」の加工と虐殺に歩を進めていると危機感を抱いています。

 

今朝、煌々たる西の空の満月前夜のお月様が落ちていくのを見ながら、「いのちの帰趨」と題する詩を書きました。

 

「いのちの帰趨~満月の朝に」~2023年3月7日

いのちの精霊にしていのちの肉体

いのちの容れ物

いのちを産み出す母なるもの

そこを通ってこの世に届く

妣なるものを回路として

どこから送り出されるのか

そして その回路をへて

どこに向かうのか

いのちの帰趨に果てはない

 

しかしながら、その「果てはない」と思いたい「いのちの帰趨」に果てが到来しそうな地球環境であります。たいへん危うい事態になってきています。京都三山も危うい事態です。昨日撮影した「京都タワー・三条大橋・大文字山・比叡山」と題した動画の3分40秒あたりを見てください。比叡山の中腹6‐7合目の左側に地面が剥き出しになって禿げているところが見えると思います。これは昨年から目視できるようになり、日々拡大し続けています。ということは、日々崩落が続いているということです。そしてそれはいずれ麓に深刻な影響を与えます。これらをどうするか、京都伝統文化の森推進協議会のクラウドファンディングだけではどうにもならない問題ですが、今後、この問題にも粘り強く向き合っていかねばなりません。

 

今日は、午後に比叡山に登拝しました。東山修験道832回目になります。山頂付近でバク転3回しましたが、筋力が弱っていました。この前、3月3日に831回目の登拝をした際もバク転をしましたが、その時は1回だけにとどめました。でんぐりがえし15回、前方回転1回。下山時、日没がきれいに見えました。また、下山後、満月が曼殊院山から昇ってきました。は以下の動画が本日の比叡山と日没と満月です。この陽気でもうすっかり雪は解けていました。

下山時、パラパラと木の実が落ちて来ました。さやエンドウのようなさやの片割れがパリンと割れて、黒い実が中に幾粒か入っているのです。それが、パリンパリンと鳴りながら、パラパラと落ちてくるのですが、その音が何とも言えず「奥床しい」というのか、まさにその音は、『古今和歌集』仮名序に紀貫之が書いた「生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける」と主張したところの「歌」であり、「声」であり、「音」であり、「響き」です。

 

 

最後になりましたが、Shinさんが最近特に力を入れているのが「コンパッション」と「ウェルビーイング」ですね。じつは、江戸時代にまさにその「コンパッション村」「コンパッション藩」「コンパッション共同体」と、そこにおける「ウェルビーイング」の実現を図ろうと社会実践をしていたのが、Shinさんもよくご存じの二宮尊徳金次郎です。彼こそ、江戸時代における「コンパッション都市」づくりの先駆者です。ぜひ二宮尊徳の業績を顕彰していただきたく思います。明日、少しそんな話も出てもいいかな? とも思っています。

いくつか、二宮尊徳が描いた図を示してみます。

「三才報徳金毛録」図版

二宮尊徳の『三才宝徳金毛録』の図版をいくつかランダムに引用してみましたが、コンパッション都市を考える上で、二宮尊徳の業績を再検証することは必須だと思っています。彼の図版には、下記のようなものがいろいろと詰まっており、非常に面白く、参考になります。

  • 【太極の図】 【一元の論図】【一元体の論図】【一元気の論図】【五行分配の図】
  • 【陰陽が分ちを生ずるの図】 【気体が先後を分つの図】
  • 【天地開闢の図】
  • 【天が生死往来を命ずるの図】【天が四季の変化を命ずるの図】
  • 【天が草木花実を生じて輪廻するの図】
  • 【五常配当の図】
  • 【天が治世を命じ輪廻するの図】
  • 【天が乱世を命じ輪廻するの図】
  • 【天が百穀栽培の季節を命ずるの図】
  • 【生民の勤労を計るの図】
  • 【太極の解】
  • 【一元と体気の解】
  • 【陰陽暑寒の解】
  • 【天地の開闢と生死の解】
  • 【男女五倫の解】
  • 【一心と治乱の解】
  • 【農具の修補を勧めるの解】
  • 【上下は交流し、相互扶助するの解】
  • 【報徳訓】 【忠信の解】【因果と輪廻の解】【富貴貧賎の解】

特に「治世」と「乱世」との関係など、いろいろと考えるヒントがあります。根本的には、すべての事象は陰陽の関係にあり、それが「相生」するか、「相克」するかの違いに帰着します。

ですので、「コンパッション」も、もしそこに、押しつけがましさとか強制とか共感支配とかがあると、それはもはや「相生」ではなく「相克」になる可能性があり、その場合、「共感都市」が、「相克的叫喚・受苦受難都市(共同体)」になる可能性もあるということだと思います。このあたり、よくよく考え、常に現実がそのような陰陽のダイナミズムに引っ張られることを注意していく必要があるのではないでしょうか?

さて、4月には、4月29日から川崎市岡本太郎美術館で「顕神の夢」展が始まり、同展監修者としてオープニングトークに参加します。

「顕神の夢」展開幕記念鼎談
展覧会監修者と
本展提案者2名が「顕神の夢」について熱く語り合います。
時:4 29 日(土・祝 14:00
登壇者:
鎌田東二(京都大学名誉教授、展覧会監修者)
江尻潔
(足利市立美術館次長)
土方明司(川崎市岡本太郎美術館館長)

場:岡本太郎美術館 ガイダンスホール
員:40 名程度(当日先着順)
金:無料(要観覧料)

https://www.artagenda.jp/exhibition/detail/8294

絶対におもろい、ですよ。ぜひ期間中にご覧ください。それでは、明日、小倉でお会いできることを大変楽しみにしております。

3月7日 鎌田東二拝